艦娘の思い、艦娘の願い   作:銀匙

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エピソード66

 

カリカリというペンの音は断続的に続き、誰一人として言葉を発しなかった。

天龍は土下座したままだった。

なにせ顔を上げるのが余りにも怖い。

頭の上に鉛の板が乗っかってるかのようなプレッシャーを感じる。

天龍は思った。

あー、どうせ殺すのならひと思いにやってくんねぇかなぁ。

ロシア式のあんな拷問やこんな拷問は勘弁してくれ・・頼む・・頼むよ・・

ペンの音が止まり、ふぅと息を吐く音がすると、

 

「うん、鳳翔の断片的な報告とも全て符合する。よく解ったよ」

「・・」

「しかし大鳳とは、随分欲張ったものだね。提督もいささか目が曇ったかな」

「・・」

「だいたい、たかが犬の心配で倒れるとは、いささか司令官としての資質に問題があるね」

「・・」

「やるならもっと犬を増やすべきだった。遠征要員なら用が済めば解体すれば良いしね」

「・・」

「駆逐か軽巡を60隻も作れば、疲労問題に悩まず無限に遠征を命じ続けられる」

「・・」

「ま、提督はこのまま大本営に呼び戻そう。鎮守府1つ満足に運営出来ないのだから」

 

ガリッ

 

天龍は床に爪を立てながら、考えを巡らせていた。

 

俺は、なんでこんなに腹を立ててんだ?

・・あぁ、解った。

犬と呼ばれたのが、とても久しぶりだからだ。

・・そう、か。そうだ。

俺はちっとも解ってなかったんじゃねぇか。

2人目の司令官は立案力は0だったが、それ以外の振る舞いは「海軍の当たり前」だった。

普通の鎮守府では、大本営では、俺達は犬で、捨て駒で、沈んでも替えの効く兵器の1つに過ぎねぇ。

司令官の決めたあらゆる事に従うのが「絶対」だったじゃねぇか。

・・あぁくそ。くそっ。

過去の記憶を持った艦娘が着任する度、異口同音に口にしてきたじゃねぇか。

 

 「この鎮守府は艦娘に優しい。他ではありえない」

 

と。

あまりにも当たり前に鎮守府を支配していた雰囲気。それは提督が生み出してくれた空気。

俺は、俺達は、その中で慢心してなかったか?

優しくされる事を、対等に扱ってもらえる事を、考えを聞いてもらえる事を、当然視してなかったか?

それらは提督の元を離れたら、何一つとして認められねぇ事だったのに。

・・そうだよ。

共に戦ってくれる部下だと言ってくれたのは、提督ただ一人だったじゃねぇか。

 

天龍は土下座したまま、怒気をはらんだ声を絞り出した。

どうせ始末される身だ。せめて提督の汚辱だけはそそぐ。

「・・待てよ」

「なんだい?」

「提督は、最高の運営をしてくれたんだぜ」

「そうかな。その果てに飼い犬に手を噛まれ、自らは倒れ、大鳳は迎えられなかったのだろう?」

「ぐっ・・」

天龍は歯を食いしばった。

 

ちくしょう。

とてつもなく悔しいが、相談役の言う事は事実だ。

提督が望んだ事に、文月と執った作戦に、俺は何て言った?

 

「解ってねェからあんな無駄遣い出来んだろうが!提督が自分で1回分集めてみやがれ!」

 

だもんな。

ははっ。笑わせんなよ、俺。

 

・・でも。

 

このまま、恩義ある主の命に応えねぇままなんて、冗談もほどほどにしようぜ。

命がけで作戦を執った提督に、応えなくてどうするよ。

ふざけんなよ。

この俺が借りっぱなしなんて、性に合わねぇンだよ!

 

天龍は再び口を開いた。

「・・俺は、俺達は、まだ諦めてねぇぞ」

「今更、何をだい?」

天龍はキッとヴェールヌイ相談役を睨み上げた。

「大鳳の奴を!俺達の!鎮守府に!首根っこ引っ掴んで!否が応でも着任させる!」

ヴェールヌイ相談役が冷たく目を細めた。

「ほほう?そんな事が君達に出来るのかい?飼い主の手を噛む事しか能の無い犬ではないと?」

「やってやる!提督が間違ってない事を証明してやる!」

「・・10日」

「なに?」

「明日から10日の内に達成するんだ。そうしたら提督の異動を再考してあげても良い」

「無茶言うな!」

「大口叩いた割に今更怖気づいたのかな?あぁ、上手になったのは口先だけって事かい?」

もう我慢ならねぇ!

飛びかかろうとする天龍の肩を掴んだのは、長門だった。

「10日間で達成する。だがもう1つ頼みたい事がある」

「なんだい?」

「達成した場合、実演習への再参加を認めてほしい。仮想演習だけで育成するのは困難だ」

ヴェールヌイ相談役は眉をひそめた。

「うん?自主的に参加を見合わせていると聞いているが?」

「それは表向きだ。実際は中将の指示だ」

五十鈴が目を見開き、何か言おうとしたのをヴェールヌイ相談役は押し留めた。

「ダー。君達が本当に達成したら、私が必ず再参加出来るようにすると約束する」

「解った。汚名返上の機会を与えてくれた事に感謝する」

「それは10日後に改めて聞くとしよう。あぁ、先に言っておくよ」

「なんだ?」

「未達の場合は鳳翔と間宮を除き、君達所属艦娘全員の記憶とLVを剥奪し、あの鎮守府ごと解体する」

「!」

「なに、達成すれば良いだけだ。失敗など万に一つも無いだろうが、先に言わなければ不公平だろう?」

「・・解った」

「話は終わり。明日0000時からカウントダウン開始だよ」

自分を真っ直ぐ見返す長門の瞳の中に、ヴェールヌイ相談役は強い炎を感じていた。

これで良い。どう転んでも。

 

長門達が鎮守府へと全速力で引き返した後。

 

廊下から集中治療室の提督をガラス越しに見ていたのは、ヴェールヌイ相談役、雷、そして五十鈴だった。

最初に口を開いたのは五十鈴だった。

 

「ねぇヴェールヌイ、あんなに提督を侮辱しなくても良いんじゃない?」

「そんな事より、私は五十鈴が中将の理不尽を見逃していた事をじっくり問い詰めたいね」

「うっ」

「待ちなさいヴェールヌイ。あの子達をけしかける為とはいえ、私も聞いてて面白くは無かったわ」

「誤解しているよ雷。私は提督の身が心配で仕方ないから、一刻も早く取り戻したいんだよ」

「あの鎮守府で内乱に巻き込まれるとでも?艦娘達の忠誠度はもはやトップクラスよ」

「ニェット。司令官として働いている事がだよ。幾つか不穏な話を聞いてるしね」

「ちょっと、どういう事?説明しなさいよ」

「なかなか証拠が揃わないけど、軍内部で変な勢力が蠢いている」

「なにそれ。粛清してあげるからどこの阿呆か言いなさい」

「それさえもまだ絞れてない。とりあえず雷、例の調査隊の設立、全力で阻止しておいてくれないかな」

「・・昨日承認されたわよ」

「なんだって?ダメだ、あの男を隊長にしてはいけない。黒い噂が絶えないんだよ?」

「元帥会やOB一族からもの凄い圧力がかかったのよ。撤回は出来ないわ」

ヴェールヌイ相談役はうっとうしいとばかりに舌打ちした。どうしてこう余計な事ばかり起こるんだ。

五十鈴はヴェールヌイ相談役に訊ねた。

「ところで、貴方は提督を呼び戻してどうするつもり?」

「勿論大本営資料室に匿うよ。彼ほど有能な部下はいないしね」

「それは仕事相手として?それとも楽しくおしゃべりする相手として?」

「両方に決まってるじゃないか。彼に頭を撫でられながら毎日仕事出来るなら悪魔と契約しても良い」

「どう考えても私利私欲じゃない」

だが、ヴェールヌイ相談役は珍しく大声で怒鳴った。

「私なら提督をあんな姿には絶対にさせない!絶対にだ!」

ぽんと、ヴェールヌイ相談役の肩に手を置いたのは雷だった。

「あの子達が寄ってたかってイジメた訳じゃないのよ。そこは解ってあげないと」

ヴェールヌイ相談役は震える声のまま、提督から目を離さずに言った。

「心底どうでも良い。提督が目を覚まし、二度とこんな事にならないのならそれで良い」

雷は頷いた。ヴェールヌイ相談役がどれだけ提督の身を案じているのか解ったからだ。

大事な提督になんて事をしやがったという煮えくり返るような怒りの気持ち。

それをあの子達をけしかけ、退院までに大鳳を迎えて喜ばせよという指示で押し殺したのだ。

そうしなければ、きっと提督が悲しむから。

五十鈴は肩をすくめた。

あの時、杓子定規に取り潰せば良かったの?それともこれが正解なの?

それはいつ、どういう形で解るのかしらね。

 

ピッ、ピッ、ピッ、ピッ・・

 

酸素吸入器のマスクの下には、紙のように白い提督の顔があった。

看護師が提督に繋がれた機械から数字を読み取り、慌しく立ち去っていった。

ヴェールヌイ相談役は瞬きさえ忘れたかのように、じっと、ただじっと、提督の顔を見つめていた。

今の自分は、提督にとってあまりにも無力だ。

だが死なせない。死なせてなるものか。

私を絶望の底から救いだし、人の心の温かさを教えてくれた提督を。

雷は五十鈴に目配せし、そっと立ち去る事にした。

中将にしなければならない話、聞かねばならない話がある。

ヴェールヌイ相談役はまだ何も言ってないが、それが解らぬほど私達は愚鈍ではない。

今は夜中だがそんなのは些細な事で、尋問を延ばす理由にはならない。

「行きましょ」

「・・ええ。雷、ごめんなさい。私の手落ちよ」

「変えられぬ過去より未来を変えよ、よ」

五十鈴は雷を見た。

雷は片目を瞑ってニッと笑った。

「主人の言葉よ。大好きなの」

 


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