「そ、そんな凄い事なんだ・・」
「で、ですが、性格が変わってしまう程の訓練、というのは・・」
鈴谷は自らの可能性に目を輝かせているが、熊野の表情は沈痛だ。
鳳翔が首を振った。
「訓練で性格が変わるような事は致しません。問題は能力を得た後なんです」
「後?」
「例えば提督が、にこりと笑ったままフライパンを握り潰したらどう思います?」
「・・引く」
「ええ」
「そういう事です。ありえない程の能力差を見た周囲の目は確実に変わります」
「・・」
「今まで親しかった人がよそよそしくなったり、嫉妬の目で見られたり」
「・・熊野ぉ」
振られた熊野はぎょっとした。
「わっ、私がそのような豹変をするとでも仰りたいのですか!?」
「だってぇ、鈴谷にとって一番大事な友達は熊野だも~ん」
「妹なんですけど・・」
「どっちでもいいよぅ、熊野が白い目で見るようになったら鈴谷立ち直れないよ~」
そこで初めて、熊野は聴講生を認めた鳳翔の意図に気が付いた。
一緒にレッスンを受けた今、たとえ応用課程を受けた鈴谷の成長にも自分はついていける。
白い目で見る事などありえない。
鈴谷の凄さに慣れる事。
それが聴講生という真の目的だったのではないか。
「鈴谷さんの成長を、傍で支えてくれませんか?」
鳳翔はあの時そう言った。その意味は、この日を見越していたのだろう。
恐らくは、熊野を自分の味方につけ、渋る提督を説得しやすくする為に。
周到な計画だ。
だが。
それは大きな間違いですわ。
熊野は口に掌を当てると、涼しげにほほほほと笑った。
怪訝な顔をする提督達を見回すと、熊野は自信たっぷりに言った。
「着任直後にバンジージャンプさせるような鎮守府で、今更何を仰るんですの?」
「し、しかしだね熊野」
「球磨さん、多摩さんが陸軍の外人部隊で訓練を受け、鎧を着て走り回るような鎮守府ですよ?」
「そ、そうだね。あの一件の発端は私だから責任を感じるけどさ」
「伊19さんや伊58さんが大本営の命令書を最初に読んで解読する鎮守府ですよ」
「え?何か変?」
「そして戦術のほとんどを文月さんと提督が一緒になって考えてるじゃありませんか」
「そうだね」
「ここまで申し上げてまだ解りませんか、提督、鈴谷」
「え・・」
「ごめん熊野、解んない」
熊野はどんと胸を張り、どや顔で言い放った。
「こんな変態的な鎮守府で、鈴谷が狙撃に秀でた所で嫉妬も何もありませんわ!」
鳳翔は苦笑した。
一言、鈴谷が成長しても熊野は味方ですと仰ってくれれば充分だったんですが・・
もう私が何も言わなくても結論が出てしまいましたね。
そして熊野さんが仰った事、確かにそうですね。
あらゆるイレギュラーがまかり通っているこの鎮守府で、多少能力が上がろうと今更ですか。
だが、提督はそれでも慎重だった。
「えーそうかなぁ。鈴谷が万一ぼっちになったら可哀想だよ?」
「その時は提督、責任を取って鈴谷と結ばれなさいまし!」
「・・は?」
「そうすれば少なくとも鈴谷は一人にはなりませんわ!」
提督はぱちくりと目を瞬いた後、
「別に構わないし、私は今も味方だけど、それで良いの?鈴谷さ・・鈴谷!?」
全員が鈴谷に向き直ると、真っ赤になって俯いている鈴谷がそこに居た。
押し黙っていた鈴谷は視線を感じ、それに耐えきれなくなると、
「てっ・・提督が味方なら・・良い・・じゃん」
と、蚊の鳴くような声で答えたのである。
「良いか鈴谷。無理だと思ったらすぐ私に言いなさい。いつでも助けてあげるからね!」
ぎゅむぎゅむと鈴谷の手を両手で上下から包みながら、提督は念を押した。
しかし。
「・・は、はうぅ・・」
鈴谷は耳まで真っ赤になっており、声が出ない。代わりに湯気が出そうである。
「良いね?鈴谷。ちゃんと聞いてるかい?緊張するのは解る。私はずっと味方だからね!良いね!」
何度も念を押された鈴谷はやっとのことで、
「・・はぃ」
と、頷きながら答えたのである。
鳳翔と熊野は呆れていた。
鈴谷は解ってないんじゃなく、解っているのだ。
正確には提督が破滅的に理解してない事を解ってなくて、鈴谷自身は深く意味を捉え過ぎだ。
加賀はポーカーフェイスのままだったが、自らの体調の異変に気づいていた。
なんでこんなに胃がキリキリ痛むのでしょう。後で赤城さんに聞いてみましょうか。
パタン。
3人が出て行くと、提督は加賀に呟いた。
「なぁ加賀さん」
「はい」
「私は所属艦娘全ての味方だと示してきたつもりだったんだが、改めて言った方が良いかなあ」
「なぜです?」
「いや、熊野は私が見捨てるとでも思ってたのかなと思ってさ・・」
「あれは単なる比喩だと思います。ありえないけど、万一そうなったら、という」
「でもさぁ、鈴谷は、上司の私と養子縁組なんか結んで何が楽しいんだろう?」
「・・・は?」
「え?いやほら、熊野が万一の時は私と結ばれれば良いって言ったら鈴谷真っ赤になってたじゃない」
「・・・はぁ」
「戸籍上で親子になったからって何が楽しいのかなぁ。そんなに信用無いのかなぁ」
加賀はげっそりとなった。
違う。
幾らなんでもそれが違う事だけは解る。
結ばれるというのは結婚するという事で、間違っても養子縁組の話じゃない!
加賀は胃を押さえた。痛っ。また痛くなってきました。一体どうしたんでしょう。
「えと、胃薬飲んできます」
「どうしたの?食当たりかい?それとも風邪?」
「解りませんが、ちょっと失礼します」
「具合悪かったら工廠長に相談しておいでよ~」
「ありがとうございます」
こうして鈴谷は応用課程に入ったが、その事を知った周囲は
「すっごいクマ!狙撃部隊はエリートだクマ!習得したら教えて欲しいクマ!」
「なるほど。じゃあ輸送任務の護衛は鈴谷さんにお任せ出来そうですね。予定しときます~」
「暗視も可能なスコープとか欲しかったら僕に言ってね。作ってあげるよ」
と、盛り上がりこそすれ、鳳翔が言うような展開にはちっともならなかったのである。
しばらくしてその事を聞いた提督は、
「良かった良かった。皆が仲良く過ごして欲しいからね」
と、胸をなでおろしたそうである。
「やぁ、ちょっと良い?お邪魔するよ」
鈴谷が鳳翔の店で越えられない壁だと言って嘆いた翌日。
最上と三隈が鈴谷達の部屋を訪ねてきたのである。
「んにゃ~?最上姉ちゃんどうしたの?」
「ほら、前にさ、もうちょっとアテになる電探が無いかって聞いて来たじゃない」
「・・うん!うん!言った!」
「だからこれを持って来たんだよ」
熊野がきょとんとした。
「32号対水上電探・・ですわね。普通のと何が違うんですの?」
「えっと、最大探知距離がざっと2倍。誤検知やノイズは1/10ってとこかな」
鈴谷と熊野はぎょっとした顔で最上を見た。
「え?何そのチート性能」
「ど、どど、どういう事ですの?」
三隈が肩をすくめた。
「電探の設計図を入手した最上さんは、部品精度をきちんと取れば精度が上がる事に気付いたんですわ」
「へぇー」
「その理想値を計算して、徹底的に近づけたのがこの電探なんですの」
最上がにこっと笑った。
「なんか狙撃の課題で煮詰まってるって聞いてね。僕が役に立てないかなって」
鈴谷は電探を受け取りつつ、目を潤ませて最上を見返した。
「あ、ありがとう。ありがとう最上姉ちゃん。これなら出来るかも」
「ところでさ、鈴谷は今どんな課題やってるんだい?」
「えっとね、2km位先のどこかに数秒間だけ出てくる潜水艦の潜望鏡を撃ち抜くの」
「・・・へ?」
「気付かれたらずっと出てこないとか、次々出てくるといった変則行動もあるんだよね・・」
最上はふっと笑った。
「それなら熱線誘導魚雷を持ってきてあげた方が良かったかなあ」
「え?なにそれ?」
「敵と認識した熱の方に向かって自分で方向を修正して進んでいく魚雷っていえば解る?」
「なにそれ。超便利な兵器じゃん!」
「だよね。たださ、間違って自分の船の熱源を検知しちゃうとね」
「・・えっ?」
「自分に向かってすいすい進んでくるから怖いのなんのって。あははっ!」
「ダメじゃん!ウルトラ危ないじゃん!」
「だからまぁ、その電探で頑張って」
「そうだね!うん!この電探があれば行けるかも!」
「じゃ、僕は帰るよ。操作方法は元の電探と同じだけど、解んない事あったら聞いて」
「はーい」
こうして鈴谷は、その後ずっと愛用する事になる電探を装備したのである。
「いっしっしっしっし。課題クリアー。最上姉ちゃんの電探はカンペキだね!」
「今日はあっさりクリアしましたわね」
「電探のシグナルに集中すれば、潜望鏡が上がってくる様子が見えてくるようだよ~」
楽しそうに笑いあう鈴谷と熊野を見て、鳳翔は微笑みながらコトリと水羊羹の皿を置いた。
ええ。これでもう充分でしょう。
「それを召し上がったら、提督の所に行きましょうか」
「えっ?」
「なんで?」
鳳翔は頷いた。
「応用課程、卒業の報告に」
鈴谷と熊野は一瞬きょとんとし、ゆっくり互いの顔を見ると、キャーと言って抱き合った。
「マッ、マジ!?マジで私卒業!?信じられないよー」
「良かった、良かったですわね!今まで一生懸命やって良かったですわね!」
鳳翔は頷いた。この二人の絆なら、この後も途切れる事は無いだろう。
それに・・
最上さん達の支援が受けられているのなら、鎮守府内での立場も大丈夫でしょう。
熊野さんが言った事が正解でしたね。
今までの卒業生、通称異能者達はほとんどが孤独になりました。
だからその孤独や嫉妬に耐えるべく、表情が硬くなっていきました。
唯一の例外は姉が異能者ではなく、普通に接してくれる武蔵さんだけ。
熊野さんが、鎮守府の皆が温かく受け入れる限り、きっと。
鈴谷さんがこの先も、あの素敵な笑顔を保ってくれる事を願ってやみません。
満面の笑顔で水羊羹を頬張る二人を見ながら、鳳翔はそっと祈っていた。