その昔。
雷が行った、腐敗撲滅の為の大規模な「粛清」
腐敗に染まった幾つもの鎮守府に居た司令官や艦娘、そして大本営の幹部クラスも一気に抹殺した海軍の機密事項である。
確かに作戦を決め、最前線に立ったのは雷だが、密かに作戦行動を支援した艦娘達が居る。
ヴェールヌイ相談役や五十鈴もその一人であり、鳳翔は最前線に攻撃させない為の陽動、つまり囮役を引き受けた。
ところが、その鳳翔の攻撃が想像を絶する強さだったが故に、雷はほとんど抵抗らしい抵抗すら受けずに粛清出来たのである。
そう。
屋内等の至近距離限定ならば雷はほぼ最強と言って良い。
だが、鳳翔は遥か遠方から地域全体を攻撃する事を得意とする。
もし距離を自由に取れる戦いとなれば圧倒的に鳳翔が有利なのである。
ふと、雷は思い出した。
「提督には、親友以上の思いがありますから」
鳳翔は提督の鎮守府に異動する前、雷の質問にそう答えた事を。
理由は雷も知らない。だが、その目は真っ直ぐで強かった。
脅しでは、ない。
雷は静かにつばを飲み込んでから、そっとマイクを握った。
「・・良いわ。じゃあ貴方の言う通り、作戦と粛清を一気に進めましょ」
「作戦要綱を、楽しみにしておりますよ」
ブツッ。
雷は通信が切れた音を聞いた途端、肩で荒い息をした。
「ぜぇ・・はぁ・・・・へうっ」
口を両手で押さえる。胃の中の物が逆流しそうだ。
追い討ちをかけるように、手が今頃になってがくがくと震えてきた。
・・怖い。
あの時の鳳翔を見たからこそ、彼女が本気で怒るのが怖い。
全力で精神を張り詰めていないと論戦など出来ない。
決して言えないが、皆が崇拝するほど私は強くない。
本当に最強の艦娘は・・
「どうした雷、厄介事かな?」
背後から大将の声がした。
雷は涙目で振り返ると、
「・・ごめんなさい。説得に失敗したわ」
と、大将にすがりついた。
「ならば一緒に考えよう。どの件だね?」
大将が優しく背中を撫でた。
そして、2週間後。
「何度読んでも変わった作戦だなぁ・・」
「今度はどこの討伐なんだ?」
「太平洋の真ん中で見つかった深海棲艦の群れを相手にするんだって」
「艦隊決戦か、胸が熱いな。それで、うちはどこを任されたんだ?」
「いや、我々は資源輸送を主とする後方支援組だよ」
「・・また読み間違えてないだろうな?」
「伊19と伊58に最初に渡して翻訳してもらったから完璧です」
長門は溜息を吐いた。
「凄く説得力があるが、提督1人ならこの鎮守府は大変な事になりそうだな・・」
「その通りだよ長門君」
「自信満々に認める前に何とかしろ!」
「ふげふっ!」
長門から懲罰的右ストレートを受ける提督の図は、もはやおなじみの景色だった。
だからその時入って来た文月も顔色1つ変えず
「お父さん、作戦に対応するプランを持ってきましたよ~」
と、とてとてと近寄ってくるのである。
「あ、あぁ、文月ありがとう」
「どういたしましてです~」
提督は椅子に座りなおしつつ、そっと文月を膝の上に乗せた。
「で、どんな感じ?」
「なんだか前回の苛烈さに比べると恐ろしい位簡単ですね」
「いやいや、1つ1つは楽な任務でも回数が凄かったでしょ。時間内にこなすのは周到な計画が要るよ」
「んー・・仮想演習場建設の為に行った資材集めはこんなもんじゃなかったですし」
「へ?そ、そういえば5日で終わったって言った時、工廠長が目を丸くしてたね」
「はい」
「・・そんなペースでやったの?」
「24時間連続で3艦隊同時並行の9班体制でやっただけですけど」
「それを文月一人で捌いたの!?」
「計画立ててしまえば後はその通りに動いてもらうだけで、進捗管理は日に2回すれば充分ですし」
「・・・」
「私が寝てる間は不知火さんにやってもらいましたし、平気ですよ~」
「み、皆の休みは・・」
「2日で計10時間位ですね」
「・・睡眠時間込じゃないよね?」
「もちろん込みですよ?」
提督は溜息を吐いた。それはブラック職場です文月さん。
「・・あのね文月。せめて1日の活動は12時間以内にしてあげて」
「今度の作戦でもですか?」
「そうです」
「んー、大体・・じゃ、だめですか?」
「確実にお願いします」
「しょうがないですね・・じゃあちょっと計画直してきます・・どうしようかなぁ」
「ちょっと見せてくれる?」
「はい。どこを直せば良いでしょうか?」
提督はプランをめくりながら舌を巻いた。
本当に分刻みのスケジュールだ。
朝食7分30秒とか細かすぎる。
そんなにハイペースにしないとダメなのか・・・うん?
「文月さん」
「はーい?」
「終了予定が期間のちょうど半分の日付になってるけど?」
「へ?」
「ほれ、伊19達が翻訳した作戦書をもう1回読んでみ」
文月はしばらくじっと見た後。
「あれえっ!何で半分にしちゃったんだろ!?」
と目を丸くした。
「そういうわけだから、もうちょっと楽なペースにしてあげて」
「大丈夫です。前半ちょっと飛ばし気味にして、後半余裕のスケジュールに書き直します!」
「あ、あんまり飛ばさないようにね」
「締切日にタイトル以外真っ白なんて事態に陥る訳にはいきません!」
「そりゃそんな悪夢は勘弁してほしいけどさ」
「先憂後楽です!お楽しみは後に取っておくのです!」
「いや、文月さん。それは教科書的過ぎる。ちょっと工夫を足して欲しいなぁ」
「ふえ?」
「作戦期間後半はね、大体戦力不足になってくるんだよ」
「・・はい」
「だから余力があると、予定外だけどこれも頼むとか言われかねないんだ」
「あ!前回もそうでした!」
「そう。だから必要な余裕は持っておいて良いけど、余計な余裕は持たない方向で。ね?」
「なるほど、なるほど!よく解りましたお父さん!書き直してきます!」
「頼んだよ~」
「はぁい」
とててと走って行く文月を長門は目で追いながら思った。
あんな小さな子にそこまで泥臭いノウハウを仕込んで良いのだろうか。
「ところで提督」
「なに?」
「何故提督がプランを立案しないんだ?」
「あぁ、私のプランは個性的過ぎるって龍田と文月に指示書取られちゃってさ」
長門が眉をひそめた。
「・・個性的?」
提督は肩をすくめた。
「いや、最上が艦対艦ミサイル開発したじゃない」
「あぁ。先日そんな話があったな」
「だからミサイルで武装した無人のパナマックス級多目的貨物船を百隻くらい建造してさ」
「・・は?」
「そんで延焼しない程度の狭い単横陣で20隻ずつ5重に並べてね、一気に送り込むオーバーロード作戦ってのを立てたんだよ」
長門はがくりと頭を垂れた。
作戦要綱に書かれた指示フォーマットに0.1%も従ってない。
どれだけフリーダムなんだ提督の頭の中は。
「一体どこからそんなプランが出てきたんだ・・」
「だって、それなら敵がなんぼ撃ったって数隻は生き残るでしょ?」
「あ、あぁ、そう、かも、しれないな・・」
「無人なんだからどれだけ轟沈しようと長門達は無傷だし、パナマックス級で数隻分も運べば規定量輸送出来るっしょ」
長門は顔を上げると怒り交じりの薄笑いを浮かべた。
確かに目標は達成出来るかもしれない。
だが達成後、大本営宛に何千枚の始末書を書かねばならないのか。
「で、その間我々はどうするんだ?」
「んー、鎮守府の外に出たり仮想演習やるとバレるから面倒だね。そうだ、夕張に頼んで何かゲーム貸してもらおうよ」
長門が無言の右ストレートを食らわせたのは言うまでもない。
龍田、文月、仇は討ったぞ。
こうして、提督の鎮守府も含めた作戦が開始された、その日の夜。
「・・通信が来るって事は、答えが聞けるのかしら。鳳翔さん」
「ええ。貴方を腐敗側と疑った事は取り消し、お詫びします」
雷はマイクに当たらないよう、顔を外して安堵の溜息を吐いた。
良かった。何より聞きたかった一言だ。これでもう少し生きられる。
あの日。あの通信の後。
大将に全てを打ち明け、わんわん泣いた。
鳳翔が恐ろしいし、何より腐敗側の汚名を着せられたのが我慢ならないと。
だが、大将はそっと呟いた。
「いや、向こうから見ればそう見えても当然だね」
「でっ、でも!」
「我々は苦情を言う側の不条理を提督に押し付け、提督が必要な資材も自分で工面しろと言ったんだから」
「・・・」
「しかし、さすが鳳翔さんだね」
「・・へ?」
「私もそろそろ、連中の態度が鼻についてたんだよ。そう考えれば、今回の余計な事も丁度良いか」
雷は無言で大将を見た。
大将は雷の頭を撫でながら続けた。
「本土からかけ離れた戦地だし、一番槍の前線基地とは実に聞こえの良い理由だ」
「・・」
「それに、提督の件で中将に抗議した司令官連中について調べたら、面白い事が解ったんだよ」
「・・面白い、事?」
「一派、いや二派に集約出来るんだよ。深海棲艦が彼らを始末しやすいように計画を少し変えるとしよう」
雷は大将の言葉の奥に含まれた怒気に気付いた。
声色に出るという事は、主人は相当怒ってるわね。
大将。
元帥級が全て政治の場で予算獲得に明け暮れる中、実務者の最上位に立っているのが大将である。
海軍の行動を事実上策定し、最終決断をし続け、元帥級の誰かが死ねば元帥になれるポジション。
逆を言えば、元帥が誰か死ぬまで成功し続けなくてはならず、失敗すれば惨めに追い落とされる。
ウルトラハイプレッシャーな立場であるが、この大将になってから随分と久しい。
大将曰く、
「可愛い妻と二人で楽しく仕事してるからね、平気平気」
と、軽く答える。
雷だって大好きな夫と二人で仕事するのは楽しいが、大本営は伏魔殿だ。
鳳翔の件を含め、大小さまざまな揉め事は24時間365日発生する。
雷は時に弱気になる事もあるが、逆に大将が弱気になるのを見た事が無い。
「おいおい、私だって人間だよ」
大将はそう言って笑うが、時折到底適わないと思う事がある。
だからこそ自分に命じられるのはこの人だけと定めたし、以来ずっと付き従ってきた。
その事に後悔は無い。
大将が今の地位につき、実権を握ってからは大きな腐敗も無かった。
それは大将自らが腐敗に全く興味を持たず、そして同情もしないからだ。
「ここに来るまでに腹黒い駆け引きは当然してきた。私の両手は血に染まってるよ」
大将はそう言い切るし、雷の「粛清」についても
「必要な事だった。あれが無ければ今の海軍は無い。尊敬してるよ」
と言ってくれる。
そして大将が雷に何度も言ってきた事は、
「非合法には非合法でしか対抗出来ない。正義が勝つなんてのは綺麗事だ」
という事である。
雷会の本分はここにある。
非合法な手段を用いてでも不正を働く鎮守府を秘密裏に葬り去る力を蓄えておく為に、雷会はある。
事実、雷は雷会を発足させてからも幾つもの鎮守府を粛清してきた。
決して伝説は過去の物ではないのである。
大将は普段は自らの意見を表に出さないが、根幹の所では提督と同じく人を信じていない。
いや、むしろ更に苛烈だった。
人は弱い。だから身に危険が及ばねば自らを律する事は無い。
そう言って来たのだから。
中将は頑張ったが、あまりに責めが酷過ぎて屈してしまった。
その事に手を打たなかったのは我々だ。
おかげで今、我々が作戦に細工しても疑われる事はない。
だからきちんとケリをつけてしまおう。
中将と提督を、もうこれ以上放置してはならない。やるなら隅々まで消毒しよう。
大将はそういって、雷に微笑んだ。
そして二人で作戦要綱を見直し、ほんの僅かに変えたのである。
作戦は複雑なようでいて、死線に向かわせるという観点ではシンプルだった。
次第に補給が途絶え、資源が枯渇してから敵本陣と対峙するよう後方支援の期限を調整したのである。
全滅
それが一番槍の前線基地部隊に課せられた真の命題なのだから。