ざわめく艦娘達を前に、提督は気にせず続けた。
「今、君達の顔色を見て、思い知らされた。私は大変な過ちを犯す所、いや、犯してしまったのだ」
「だから現刻をもって、本討伐作戦から我が鎮守府は手を引く。繰り返す。現刻を持って作戦を中止する」
一気にざわめきが広がったが、普段はざわめきを止める側の長門が声をあげた。
「なっ!なぜだ提督!ようやく第1海域を制した!我々は次の海域の攻略計画を立てた!準備も進めている!」
うんうんと頷く艦娘が多数を占める中、頷かない面々が居た。
提督はその一人、龍田を見ながら言った。
「今、ダメージ0、疲労0、気力十分という者、手を挙げてくれないか?」
提督は言葉を切り、ゆっくりと見まわしたが、挙手する者は居なかった。
「長門。これが答えだ。我々は第1海域の攻略で既に満身創痍だ。これ以上の進撃は轟沈をもたらす」
「だ、だが、大本営は第4海域まで攻略せよと指示しているのだ。勝手に降りる訳にはいかぬ」
「いいや長門。私の命令で、私の勝手で、この作戦を降りるんだ。轟沈者を出してはならない」
「何を言っている!平時とは違う!我々のペースでシーレーンを奪還するのとは訳が違うのだ!」
「そうだ長門。私が犯した罪は、私もつい先程まで長門とそっくり同じ考えだったという事だ」
「当たり前だ!それが当然ではないか!」
その時、龍田がすうっと立ち上がり、静かに提督に向けて歩を進めた。
「・・なるほどね、提督。そんな考えだったんだ」
提督はまっすぐ龍田を見て言った。
「私は、忘れていたんだよ。龍田」
「・・ほんと、信用出来ない提督ね~」
パン!
長門の、第1艦隊の、間宮の、そして全ての所属艦娘の前で。
龍田は提督の頬に、渾身の平手を打ったのである。
二人を除く全員が凍りついた。
龍田は数秒、じっと提督の目を覗き込んだ後、そっと提督の斜め後ろに控えて皆の方を向いた。
提督は、切れた口内の痛みを感じながら口を開いた。
「皆も知っての通り、この鎮守府には痛ましい、そして忌まわしい過去がある」
「愚かな司令官の独断と誤った指示で、20隻もの仲間が轟沈させられた」
「そしてその霊は、慰霊碑という形で私達の前に姿を現した」
「私はその慰霊碑に向かい、二度と轟沈させないと誓った。その途端慰霊碑が光に包まれて消えた」
「立ち会った電によれば、必ずやり遂げてくれという声を聞いたそうだ」
「だから私は、轟沈させない運用をこの鎮守府の目標として定め、提督室に掲げていた」
「・・だが」
そう言って提督は、脇に抱えていた板を皆に見せた。
「先程、この板が真っ二つに割れた。誰一人触っていない中、私の目の前でだ」
提督が板をテーブルに置くと、龍田がそっとティッシュを差し出した。
「口の中、切れてる?吐きだした方が良いわ」
「すまない」
受け取ったティッシュにそっと血を吐き出すと、提督は続けた。
「この板が割れたのは、沈んだ者達からの警告だと私は受け取った」
「これ以上進めれば轟沈者を出すぞ、何か忘れてないか?私達との約束を忘れてないかと!」
「・・そこまでされて、ようやく私は思い出したんだよ。ようやく、ね」
提督は伊19の肩を叩いた。
「皆が死力を尽くしてくれたおかげで、こうして伊19を迎える事が出来た」
「伊19は海のスナイパーと呼ばれている。解析能力も高いし、頼もしい仲間だ」
「今はまだ誰も轟沈していない。これから3海域を攻略するにはどう考えても時間が足りない」
「だから足りない時間をどうするか、ではなく、討伐そのものから撤退する」
「本来、もっと早く、もっと皆が疲弊しきる前にこの事に気付くべきだった」
「それはすべて私の責任だ。私が誤った方向に皆を導いてしまった」
「突然中止する事で徒労感、やるせなさ、私への怒り、批判、色々あると思う。全て甘んじて受ける」
「すまない、皆。私はこの件の一切の責任を取る。大本営には私が説明する」
「だからここで引いてくれ。あらゆる非常態勢を解き、休息してくれ。一人も轟沈する前に!」
「頼む!」
提督が再び大きく頭を下げた時、今度は誰一人として声を発しなかった。
龍田が皆を見回しながら継いだ。
「この件、提督の決断に異議ある人は居るかしら?・・そう。じゃ、長門さん」
びくりとしながら長門が口を開いた。
「な・・なんだ?」
「私は皆とこれから立て直し策を相談するから、提督と伊19さんを提督室へ連れてって~」
「あ、あぁ、解った」
「あと、大本営への連絡、よろしくね~」
「解った。任せろ」
「伊19さん、今はドタバタしてるけど、落ち着いたらバンジーしましょうね」
「え?ば、バンジー?」
「そうよ。それがこの鎮守府に来る子に最初にするしきたりなの」
「・・聞いた事無いのね」
「それでも、うちの鎮守府ではそうだから、従ってね」
「・・解ったのね。後でやり方、教えてなのね」
「うん。落ち着いたら、ね」
こうして、微笑みながらひらひらと手を振る龍田や艦娘達を後に、提督達3人は食堂を後にしたのである。
「・・・」
提督室に帰ってきた提督は、道中も含めて一言も喋らなかった。
長門も提督を何度かチラチラと伺い見るも、声をかけられずにいた。
ギシッ。
提督は帽子掛けにそっと帽子をかけると、応接コーナーの隅の椅子に腰かけた。
テーブルに肘から先を乗せ、目を瞑った。
全身が鉛のように重かったし、着任以来経験した事の無い罪悪感を感じていた。
何が自主性を重んじるだ。何が箸の上げ下ろしまでゴチャゴチャ言わないだ。
艦娘達の総意である進撃を真っ向から否定したではないか。
その時、ふと肩に何かが触れた。
振り返ると、伊19がニコッと笑って立っていた。
「提督・・肩凝ってるなの?」
「い、いや・・解らないが・・」
「ほら、こうすると・・」
「あげっ!?」
「痛い?いひひっ」
「いっ、痛っ!痛いです伊19・・さ・・ん」
「・・提督」
「うん」
「提督が言った事、なーんにも間違ってないのね」
「・・そうだろうか」
「川の石は、丸いのね」
「・・そうだね」
「それは、川の水の流れを、こっちじゃないよ、あっちだよって、一生懸命導いて、削れたからなのね」
「・・・」
「導く為には、自らの形が変わってしまう位、削れちゃうって事なの」
「・・・」
「提督は川の石、なの」
「川の石、か・・・」
「そう。皆が正しい方向に進んでない時、ちゃんとした方向に戻してあげるのが、提督の役目なのね」
「・・・」
「その時は削れるくらい辛くても、後になれば皆解ってくれるのね」
「・・これから更に、大本営にガシガシ削られるんだけどね」
その時、長門が伊19に頷き、肩もみの役を代わった。
手持無沙汰になった伊19は、提督の机の上にあった大規模討伐作戦の書類を読み始めた。
提督の言う通り、食堂で見た艦娘達は疲労困憊だった。
あれでは残り3海域を攻略する前に全員沈んでしまうだろう。
そんな無茶な進撃命令を大本営は出したのだろうか、と。