大和が大本営に帰っていった数日後。
それは、いつもの通り唐突にやってきた。
その日の秘書艦当番となっていたのは、比叡だった。
「はーい提督、大本営からお手紙ですよ~」
「はいよぅ」
比叡は金剛型戦艦の最後の1人として着任した。
これで第4艦隊開放だと祝賀ムードになる中、一足早く着任していた金剛を見つけた比叡は、
「早くお姉様と一緒に戦えるようになりたいんです!」
と、物凄い迫力で提督に迫り、出撃・演習・遠征を積極的にこなしたので、今や金剛と並び、すっかり主力の一翼を担っていた。
そのうえでこの多忙な秘書艦当番に挙手したのは、彼女なりに何か思う所があるのだろう。
それは提督にとってもありがたいことだった。
長門、扶桑、日向、そして加賀といった面々は凛とした佇まいで真面目に秘書艦をこなしていく。
それに対して、赤城や比叡は気さくで人懐っこい。
ゆえに提督も赤城や比叡と仕事する日が息抜きになっているのである。
「これで良いよね~」
「そうですね~」
龍田や叢雲がその場に居れば拳骨の1発でも飛んできそうな緩さであった。
しかし、封書を検めていった提督は、その中の大きな封筒を手に取った。
他を置いて開封し、読み始めると、次第に表情がこわばった。
提督は読みながら比叡に声をかけた。
「・・比叡」
「あ、はい。お呼びになりましたでしょうか?」
「・・大規模討伐作戦に参加するよう、指令が下された」
「え?」
「第1艦隊をここに呼んでくれ。最優先だ」
比叡は眉をひそめた。
「艦隊決戦か、胸が熱いな」
「いけるかしら・・」
「姉様・・山城は今回も必ず帰ってきます」
「鎧袖一触よ、心配要らないわ」
「全力で参りましょう」
「うむ。我が鎮守府も招集される程の評価を得るようになったか」
この時の第1艦隊は、長門を旗艦とし、扶桑、山城、加賀、赤城、そして日向であった。
「完了刻限が定められている以上、高速修復剤の大量使用と連続出撃は避けられそうにないな」
それは作戦を説明された第1艦隊全員の一致した見解であり、提督もそう感じた。
出し惜しみ出来るほど、まだ艦娘の層は厚くない。
恐らくは全員で第4艦隊まで常時フルに使って出撃と遠征を回さねばならないだろう。
低錬度の子には厳しい毎日になるだろうが、我慢してもらうしかない。
とはいえ、艦娘達の表情は興奮とやる気に満ちていた。
建造された目的に沿って本領を発揮出来る機会だからであろう。
提督もまた、初めての大規模作戦招集命令であった為、浮き足立っていたのかもしれない。
「よし!必須陥落目標は必ず達成するぞ!皆で頑張って制圧しよう!君達なら出来る!」
「はいっ!」
「まずは討伐がやりやすいよう、各班の再編、装備の見直し、不足装備の追加開発を最優先で行おう!」
「解りました!」
長門が声を張り上げた。
「よし!さっそく通常の班当番を解除し、食堂で臨時の作戦会合を全艦娘参加で行うぞ!」
「はい!」
提督を含めた全員が提督室を後にした後、小さく小さく、飾り棚の方からピシッという音がした。
討伐開始から2週間が過ぎた。
提督はここ数日、睡眠は3時間も取れていなかった。
次第に海域を制圧してはいたが、予想以上に敵の反撃は大きく、その速度は予想より悪かった。
そして提督は、執務中にどこかから、ピシッ、ピシッ、という小さな音がする事に気づいていた。
だが、どこからなのかさっぱり解らない。
そしてある日、長門との通信を終えた直後、提督は目を見開いた。
「そんな・・馬鹿な・・いや、そうか。お前達、だったのか・・」
「素敵な提督で嬉しいのね、伊19、そう、イクって呼んでも良いの!」
長門に連れられ、提督に向かってニコニコ笑う伊19を前に、提督は、
「うん」
と小さく、弱々しく頷き、続けて
「・・長門、全艦娘を食堂に集めてくれ。今実施中の作業は全て中止させなさい」
と言った。
長門は耳を疑った。まだ討伐は最初の海域が済んだだけだ。残り3つもある。
今も全力で出港準備を整えてるのに、わざわざ伊19着任の紹介を全員集めてするのか?
「提督・・紹介は後で良いのではないか?皆、忙しい。批判が集ま・・」
「長門っ!良いから言う通りにするんだ!」
目を瞑って大声をあげた提督の前に、長門は息を飲んだ。これは只事ではない。
自分が着任してからを思い出しても、提督はこんな言い方を1度たりともした事が無いからだ。
「・・解った。食堂に、集めれば良いんだな」
「全艦娘だ。遠征中の艦娘も全員帰投させろ。今、すぐにだ!」
長門は早足で提督室を出て行った。
話が見えなかった伊19は、きょとんとして提督を見た。
「提督?何をするつもりなのね?」
提督は疲弊しきっていたが、強い目で真っ直ぐ伊19を見返して言った。
「作戦から撤退する」
「どうしてなの?長門はまだあと3つの海域に進撃する必要があると言ってたのね」
「被害が甚大過ぎる。出撃部隊も資源補給部隊も、いや、鎮守府全体が疲労に包まれている」
「出撃ペースを落せば疲労も資源消費量も減らせる。多少の疲労轟沈は出るかもしれないけど、やり方はあるのね」
「そうだ。私はこの鎮守府を危うく取り返しのつかない方角に導く所だったんだ」
「・・どういう、事なのね?」
「今朝、それが割れたんだよ」
提督は飾り棚を指さした。
伊19が見ると、それは木製の、厚さ5cmはあろうかという大きな平板であり、そこに、
「目標!轟沈がありえない鎮守府を目指す!」
と、書かれていた。
ただ、その板は真ん中から、木目にさえ沿っていない所から左右真っ二つに割れていたのである。
「・・物凄く不吉なのね。で、でも、こんな目標を・・掲げてたの?」
「そうだ。この鎮守府は以前、過去の司令官の愚策で20隻も轟沈させている」
「そうだったのね・・」
「私は、この鎮守府を引き継いだ時、その子達に約束したんだ。二度と轟沈をさせないと」
「・・」
「しかし、今の私は攻略出来ていないからといって皆の疲労を無視し、その極致に追いやっている」
「・・」
「このまま作戦を続ければ絶対に轟沈者が出る。板が割れたのはその警告だと思う」
「・・」
「オカルト的かもしれない。根拠にもならない。それでも私は、間違いに気づいた以上、止める義務がある」
「・・」
「長門から第1海域攻略完了の報告を聞いた直後に板が割れた。だから今が潮時なのだと思う」
「・・」
「君という偉大な潜水艦が来てくれた事はとても心強い。まだ誰も沈んでない。だから、今、止める」
「・・大本営から、怒られないの?」
「無論猛烈に叱られるだろう。降格や左遷もあるかもしれない。それで済むのならそれで良い」
「皆、頑張ってやってるのを止めたら、提督に腹を立てるかもしれないのね・・」
「気づくのが遅れた事は事実だから、後ろ指を指されても仕方ないよ」
伊19は黙り込んでしまった。
コンコンコン。
「・・入れ」
ガチャリとドアを開けた長門は、提督に言った。
「全艦娘、食堂に集めたぞ。出航していた艦娘は居なかったようだ」
提督は伊19に頷いた。
「良かった。じゃ行こうか」
伊19は両腕を組んで天井を見つめ、
「提督が、可哀想なのね」
そう、呟いた。
食堂に集まった艦娘達は、非常にざわついていた。
準備が完了してない、忙しい、話は後にしてほしい、いやいや鼓舞の1つも聞きたいなど、であった。
提督が長門と伊19を連れて食堂に入って来ても艦娘達は静まらなかったので、長門が手を叩いて制した。
間宮も雰囲気を察し、厨房から出てきた。
提督は一人一人の顔を見回してから、口を開いた。
「・・まずはここに居る全員に、お詫びを申し上げる」
そう言うと帽子を取り、深々と頭を下げた。
場が再びざわめいた。