加賀の説明を聞いた長門は顎に手を当てた。
確かに盗み癖を改めさせるには、厳しい姿勢を見せて始めないと意味が無い。
だが、仕事に意欲を持たせるには楽しさと充実感が必要だ。
その切替はとても難しい。
確かに、提督の却って目立つ間抜けな迷彩姿はその切替に役立ったようだ。
長門は再び提督に双眼鏡を合わせた。
肝心な事は・・・
「本当に提督はそこまで考えてあの姿をしているのか?本気ではないのか?」
加賀は答えを一瞬ためらったが、
「・・そ、そこまでお考えで・・あると、思・・いたい・・ですね」
「めちゃめちゃ歯切れが悪いではないか」
「い、一応私の旦那様でもありますので。そういう長門さんはどう思われます?」
「多分、上手く隠れてると思って被ってると思うぞ」
「それだと物凄く間抜けですが、それで良いのですか?」
長門は肩をすくめた。
「それでも旦那様には変わりない。自らの理想で実態と違うフィルタをかけても仕方ない」
加賀は尊敬の目で長門を見た。
だが、
「そこまで考える旦那様だったらとは、折々思うがな・・」
と言い、二人は深い溜息を吐いたのである。
ふえっくしょん!ふえっくし!
その時、盛大な提督のくしゃみが聞こえた。
「戦地なら間違いなく集中砲火を食らってるな。夜戦の探照灯よりひどい目立ち方だ」
「上空の艦載機でも気付きますね。初心者向けの的のようです」
長門はふと思った。
だが、そうだとしたら、提督は何故わざわざここではなく、浜まで行ったのだ?
ここから見ていれば森に隠れてほとんど見つかる心配はないし、実際ここにも来ている。
なにをもって、やりがいに繋げようとしているのだろう?
長門はジト目になった。どうせ本人に聞いてもはぐらかすに決まってる。
「加賀」
「はい」
「提督が浜で移動している速度に変わりはあるか?」
「そうですね。時折、なんというか、ジグザグというか、千鳥足というか」
「千鳥足?」
「ほ、ほら、今のような」
長門は首を傾げた。
30cm位左右に揺れながら進んでいる。
長門と加賀はその様子を注視していたが、やがてもごもごしたまま止まった。
「?」
なにをしたいのだろう?
ふと双眼鏡を龍田達の方に向けると、龍田達も気になるのか、チラチラと見ている。
「うーん」
そう言った長門の耳元で声がした。
「なーがと、何してるの?」
爽やかな朝の浜辺に長門の絶叫が木霊した。
「な、なな、なん!なんだと!?」
提督はひっくり返った長門を助け起こし、土を払った。
「ど、どうしたんだ長門?あ、あれっ?加賀まで何で蒼白になってるの?」
加賀は口をパクパクさせるが驚きの余り声が出ない。
長門がようやく砂浜を指差し、
「で、でで、ではあれは何なんだ?」
「はい?」
提督は単眼鏡で浜を見て頷くと
「あぁ、あれね」
「・・・提督が放ったのか?」
「そうだよ。ほら、朝の浜なんて動きも何も無いじゃない」
「そ、そうだな」
「だからなんか変な物が動いてれば、二人が共通の話題が出来て楽しいかなってね」
「あの中身はなんなんだ?」
「バタ足人形だよ?」
「バタ足人形!?」
バタ足人形とは、水泳教室にて正しい泳ぎ方と間違った泳ぎ方を見せる為の動く人形である。
上半身は両腕を上げたまま動かないが、足はモーターで数パターンのバタ足で動かせる。
なのでバタ足人形と呼ばれている。
「ヘルメットと白い作業服着せて、手の所に迷彩布を結んでおいたんだよ」
「だから動きがぎこちないのか」
「先日、暁達がバタ足人形を砂浜に転がして遊んでたのを思い出したんだ。面白いでしょ?」
その時。
「長門さん!加賀!ご無事ですか!?」
「敵襲ですか!?潮!参ります!」
「唐辛子パウダーは投げつければ目つぶしになるわ!」
「龍田、助太刀に参り・・あら?」
地面に座り込む長門と加賀、そして傍に居る提督。
だが、龍田達の視線が提督に集中し、
「あっ、あれっ!?あれえぇっ!」
「瞬間移動されましたか!?」
「あら~、やっぱり~人外でしたか~」
「や、やっぱり・・」
提督は顔をしかめた。
「やっぱりって・・・」
「事情は、解りました」
「大変お騒がせいたしまして、誠に申し訳ありませんでした」
龍田に土下座する提督と、それを見守る面々と言う構図である。
「本当に、本当に提督だと信じて疑いませんでした」
「慢心してはダメですね」
長門は黙ったまま腕組みをしていた。
さっきは思わず絶叫してしまったが、早朝で良かった。
鎮守府の皆に聞こえていたら非常警報が鳴ったかもしれない。
「じゃあ本当に、笑いを提供したかっただけなのね?」
「はい」
「長門さんにセクハラするつもりではなかったのね?」
「本当に普通に声を掛けたつもりなんだが・・」
龍田は長門に向いた。
「長門さん」
「う、うむ」
「先程の絶叫は、提督に声を掛けられたから、ですよね?」
「そうだ」
「提督に何と言われましたか~?」
「何してるの・・だったな」
「変な事はされてないですね?」
「声を掛けられただけだ」
そして首を傾げて加賀に訊ねた。
「変な事って、なんだ?」
言われた加賀は真っ赤になって俯いてしまった。
「うん?」
龍田はしばらく考えた後、提督に向き直った。
「提督~?」
「はい」
「提督の技術力はちょっと並外れてるの。私も含めて本物だと信じ込むくらいに」
「そうですか・・」
「だからもう少し、悪戯なら手を抜いて、解りやすく作ってくださいね~」
「畏まりました」
「じゃ、お説教おしま~い」
提督はほっと溜息を吐いたが、加賀達は数秒後、龍田に驚きの声を掛けた。
「ええっ!?ど、どうしたんですか龍田さん?」
「私に加えた罰に比べて猛烈に軽くないですか!?」
「熱でもあるのか龍田?」
「お、おお、お疲れですか?」
龍田は溜息を吐くと、
「提督は私が困ってるのを見て動いてくれただけよ。ただちょっと凝り過ぎなだけで・・だから、そこを伝える以外に何か必要かしら?」
全員が首を振った。龍田の決定に逆らうのは太陽に裸で突っ込む以上に無謀だ。
「じゃ、皆、仕事に戻りましょ。あと少しだから~」
「解りました!」
そして去り際に長門達を向くと、
「もう監視してなくても心配ないわよ~、ありがと~」
と言って去っていき、提督も
「長門、驚かせてすまなかった。人形を引き上げて私も戻る。じゃあね」
といって帰って行った。
加賀と長門は二人きりになると、ふっと息を吐いた。
「龍田は我々にも気づいていたのだな・・」
「そのようですね」
「それにしても、龍田が提督をあんな簡単に放免するなんて・・」
「以前の龍田さんでは無かった事ですよね」
長門はしばらく考えていたが、
「指輪の威力、か」
と言い、加賀もそっと頷いたのである。
長門がふと、思い出したように言った。
「赤城は今日、秘書艦当番では無いか?」
加賀が慌てて時計を見る。
「そうですね。まだ朝食の時間には余裕がありますが、終わりますかね?」
長門が双眼鏡で見ると、龍田がコンテナを閉める所だった。
「積み込みは終わったようだな」
加賀も頷いた。
「恐らく龍田さんは、赤城が秘書艦という事もご存じなのでしょうね」
「だから心配ない、という事か」
加賀は頷いた。龍田ならそれくらい十分考えられる。