木曾が信号弾を撃った直後、湾を見渡せる山頂。
「うぐああっ!」
湾の脇にある山の上で、第3鎮守府所属の戦艦娘は暗視双眼鏡を取り落とした。
そのまま両手で目を覆いながらよろめき、陣地の壁にもたれる。
「ぉあぁあ・・目・・目が、目がああああ」
目を瞑っているのに、目のすぐ先に真っ白な紙があるかのように何も見えない。
木曾の撃った信号銃は強力な赤外線だけを発する弾丸だった。
これを暗視双眼鏡で増幅し、可視光に変換した状態でまともに見てしまったのである。
ターゲットは赤外線を発する熱源部が少なく、船体も小さい為に暗視双眼鏡でも見え辛かった。
その為増幅レベルを最大に設定して目を凝らしていた。
通常、投光器や照明弾のように強い可視光と混ざった赤外線ならばフィルタ機能が働いて可視光に変換されない。
だが、赤外線のみの場合はフィルタ機能が働かず素通りしてしまう。
暗視双眼鏡の仕様上の欠点だったが、戦艦娘はその欠点を知らなかった。
ゆえに、まるで天体望遠鏡で太陽を見たかのような苛烈な光に、全く予想外の形で襲われたのである。
戦艦娘は肩で息を切りながら地面に崩れ落ちた。
「くう・・ぅ・・い、一体、なんなのよ・・」
手探りで暗視双眼鏡を拾い上げると、プラスチックが焦げる嫌な臭いが鼻を突き、ひどく熱い部分があった。
壊れている事は明らかだった。
目の見えない腹立たしさもあって、力任せに暗視双眼鏡を投げ捨てた。
戦艦娘は息を整えながら考えた。
あれだけ撃って、まだ1人も仕留められていない。
それに、少し前から衛星画像を鎮守府のスパコンで解析した進路予測情報も届かなくなった。
その進路予測情報も、ターゲットが見た事無い程のトリッキーな回避行動をするがゆえに、普段は8割の確率で当たるのに1割も当たらなかった。
総出で撃ちまくっているが故にうんざりする程砲弾を消費していた。
鎮守府で何かあった可能性もあるが、直しても予測が当たらないのならと優先順位を下げた。
しかしそれが裏目に出てしまい、最後の切り札だった暗視双眼鏡が壊れた今、ターゲットを捕捉する手段が無くなってしまった。
戦艦娘は歯を食いしばった。
索敵時点ではいつも通り楽に勝利出来ると信じていたのに、どうしてこうなった。
「ヘッド!ヘッド!標的ブラボーをロスト!予測位置を教えてください!」
「ヘッド!標的アルファをロスト!至急修正情報を送ってください!」
耳にかけたインカムから、砲撃部隊が自分に位置を問いかける声が聞こえていた。
とはいえ視力はしばらく戻らない。答えようが無い。
ここで砲撃の手を緩めればこれ幸いと大本営の湾内に入られてしまう。
「くそっ!どうすれば良いのよ!」
その時、インカムが外され、その耳元で囁かれた。
「どうしようも無いわよ?」
戦艦娘はぞっとした。全く気配を感じなかったからだ。
とっさに地面を蹴って逃げようとしたが、その足を払われ地面に叩きつけられた。
「ぐはっ・・いたたたたた」
腕を捻りあげつつ上にのしかかって来た主の声は、静かで穏やかだった。
「貴方、幾ら自分が吸熱布を被っても、長居すれば地面が熱を帯びるの解ってる?」
「・・・」
「指揮だけの場合も数カ所を周って地面を冷さないと赤外線探査で簡単に解るのに・・」
「・・・」
「まして、同じ陣地に滞在して撃ちまくるなんて、ちょっと愚かねぇ」
「・・・」
「3次元計測の為に上から測距するのは良いアイデアだけど、機器の予備は用意すべきよ」
声色は駆逐艦のようだが、逃げようにもしっかりと手足を固められて動けない。
「残念だったわ。ほんと、期待してたのに」
静かな声と裏腹の猛烈な殺気。見えない分余計恐ろしい。
怖くて逃げくてたまらないが、力を入れるほど関節が悲鳴を上げる。
「はっ、離せ・・あいたたたたたっ」
「この雷様に、かなうとでも思ってんのかしら?」
戦艦娘はぴたっと動くのを止めた。むしろ力が抜けたという方が正しい。
御三家を含めても、この海域で雷は1人しか居ない。
戦艦娘はガタガタと震え出した。
表向きは大将の奥方で、可愛くて優しい方だと評判だ。
だが龍田会の名誉会長職を務め、その昔、数百の艦娘をたった一晩で粛清したという。
その徒名は・・・
死神の雷・・だ。
つま先から頭のてっぺんまで鳥肌が立つ。
見えない筈の目の前に過去の思い出がよぎる。
そ、走馬灯?
嫌、死にたくない!
「ひっ、ひぃ、ひぃぃぃいぃいいぃい」
「新妻ごっこも楽しいけれど、やっぱ戦闘よねぇ。獲物を狩るスリル。わくわくしちゃう」
「お、おおおおお許しを雷様。これは少佐殿の命令で」
「歌うのは後になさいな」
雷が軽く手刀を当てると、戦艦娘は一瞬で気を失った。
まぁこれだけ脅せば素直に喋るでしょ。
雷は鼻歌交じりに慣れた手つきで縛りあげながらインカムをつまんだ。
「武蔵さん、そっちは終わったかしら?」
「ああ、古鷹と加古の協力で戦艦と重巡級は全員沈め、昇天させたぞ」
「それで良いわ。こっちの荷物運ぶの手伝ってくださいな」
「さっき言っていた山頂の陣地か?」
「ええ、そうよ」
「すぐ行く。待ってろ」
「本当の戦闘ってヤツを、教えてやるよ」
真正面の入り江に見えた僅かな砲火に真っ直ぐ木曾は向かって行った。
途中でそっと、2発の酸素魚雷を水面ギリギリの深度で射出。
その魚雷にやや遅れるように進んでいった。
「くっ!」
水平に赤外線ゴーグル越しに見ている艦娘達は、木曾の距離が掴めなかった。
ヘッドである戦艦娘からの位置修正指示も無かったので、同じ所を撃った。
だが、水柱は木曾の後ろに着弾した。
「ヘッド!標的チャーリーが移動しています!修正距離を教えてください!」
指示を仰ぐが、雑音しか帰って来ない。
ゴーグルを思わず外すが、もうどこにいるかさえ見えない。暗すぎて測距儀は使えない。
慌ててゴーグルを掛け直し、木曾を探しながら舌打ちをした。
「どうしろってのよ」
その時、木曾はすっと停止した。
「?」
やっと見つけた艦娘は、立ち止まる木曾を見て、何がしたいんだと訝しがった。
その時、艦娘達の足元に魚雷2発が着弾した。
突然の火柱。予想外の被弾にパニックになる艦娘達。
「きゃあああ!」
木曾は一瞬の明かりと声を頼りに位置を補正した。
「そこかあ!」
艦娘達の至近距離まで一気に辿りつくと、素手で攻撃を開始した。
「お前らの指揮官は無能だなぁ!」
取っ組み合いには全く慣れていない艦娘達は次々と投げ飛ばされていった。
「ひぇぇぇえぇえぇええええ」
多少抵抗する艦娘も居たが、
「寝起きの姉貴達に比べりゃ楽勝だぜ!」
ひらひらとかわし、木曾はぶるんぶるんと艦娘を振り回し、逃げ惑う艦娘達に向けて思い切り投げつけた。
「きゅ~」
仲間に直撃された艦娘達はその場で気を失い、目を回していた。
最後尾に居た数名は陸に逃げた。
そして道路に止めてあった1台のライトバンに乗り込んだ。
「くそっ!逃げるな!」
車のエンジンがかかった瞬間、聞き慣れた声がした。
「なめるなクマぁ!」
木曾は浜に居た最後の艦娘を投げ飛ばした後に声の方を見ると、信じられない光景があった。
・・・ガタン。
車は客席が前後にスッパリ2分割され、車がV字型に崩れ落ちたのである。
座席に座ったまま呆然とする艦娘達の前に2つの影が現れた。
冷たく光る鉤爪をゆらゆら掲げる球磨と多摩だった。
「お前達も、この車のように真っ二つになりたいクマか?」
艦娘達は真っ青になり、両手を挙げてブルブルと首を振った。
浜からようやく追いついてきた木曾に、多摩がニヤリと笑った。
「遅かったにゃー」
木曾はフッと鼻で笑うと、球磨や多摩と片手をパチンと合わせ、艦娘達に言った。
「弱すぎる!!」