現在。鎮守府裏の森。
「おんかかかびさんまえいそわか・・・やあっ!」
艤装を解き、錫杖(しゃくじょう)と宝珠を手にした扶桑は、真言を唱え終えた。
地蔵菩薩様、本日もどうぞよろしくお願いいたします。
森の中でもひときわ大きく太い、注連縄を張った木と地蔵尊に一礼すると、振り返った。
「あら?」
艤装の影に、何かが隠れた気がした。
それは多分、実体が無い。
「怖がらなくても良いのですよ」
扶桑の優しい声に反応したのか、そっと出てきた姿を見ると、扶桑は
「どうしたのです?何か手を貸せることはありますか?」
と言い、にっこりと微笑んだ。
その少し後。朝の提督室。
「提督、いい天気ですね」
「そうかい?私はシュウマイになった気分だよ」
汗ひとつかかず涼しげな扶桑とは対照的に、提督はへちゃりと机に伏した。
やがて顔を上げると書類の上に汗がぽたりと落ちた。
「数日前までは無駄な抵抗をしたよ。濡れタオルを首に巻いたりもしたさ」
ぽたり。
「けれどね、0700時から気温32度に湿度68%はね、おかしいよ」
扶桑が小首を傾げる。
「昨年の平均気温や最高気温と比べても、それほど差はありませんよ?」
提督は再び机に伏した。
「昨年と比べて違う事はだね、扶桑」
「はい」
「昨日からエアコンが壊れてるという点が挙げられる」
「明日の夜でしたっけ、部品が届くのは」
「その通り。最短でね。もう今から連絡船が来るのを待って居たいよ」
「お仕事して頂きませんと・・」
「もう全部ハンコ押しちゃうか全部拒否したいです」
「選別位してくださいね」
「うー」
溶けかかる提督の姿を困ったように見ていた扶桑は、ポンと手を打つと、
「提督、涼しくなる良いお話がございました」
提督が自分の腕枕から片目だけ上げて扶桑を見返す。
「話~?」
扶桑は頷いた。いつもの提督ならこの時点で止める筈なのに止めない。
まぁ、事実をお伝えするのも秘書艦の務めです。
「提督、姫の島の事、覚えてらっしゃいますか?」
「・・・酷い戦いだった。あぁ、そうか、あれは12月だったか」
「はい」
「幾ら冬の季節の話だからと言って、思い出しても涼しくならないよ・・」
「いえ、違います」
「んー?」
「全てが終わった帰りの海路を覚えておいでですか?」
「・・・ええと、皆満身創痍で空腹で、慰霊塔を遠目で見ながら帰ったね」
「はい」
「随分海が穏やかだった・・・よね?」
「その通りです」
「うん」
「その後、浜で私が提督に問われて申し上げた事、覚えておいでですか?」
「待ってくれ・・ええと・・えーと、バーベキューをして」
「はい」
「大将殿に戦況のあらましを説明して」
「はい」
「合同慰霊碑を・・建てて・・・」
「はい」
提督がピクリと首を上げた。
「工廠長がお盆にはぼたもち持って来いって言われたんだっけ?」
扶桑が苦笑した。
「それも正解ですが、その少し前ですわ」
「うー・・・ううううう」
「提督が、今後も弔いたいと仰ったのを聞いて、亡くなった皆さんが喜んだ、という所です」
「あ」
「思い出して頂けましたか?」
「うん、そうだった。また・・来るって・・言った・・ね」
「ええ、そこを思い出して頂けましたか」
提督はカレンダーを見た。
「あれ、お盆って・・・」
「昨日からですわ」
提督がごくりと唾を飲み込んだ。エアコンが壊れたのも昨日だ。
「ふ、扶桑さん?」
「はい」
「なんで・・思い出させた・・のかな?」
扶桑は目を瞑り、やれやれと溜息をついた。
「どうもこうもありませんわ。そろそろじゃないかと催促されているからです」
「さ、催促?」
「はい」
「ええっと、それは・・」
扶桑は肩をすくめた。
「提督の周りにおられる方々ですわ」
がばりと提督は身を起こすと首を回し、周囲をぐいぐいと見回した。
「な・・何も居ない・・けど」
「私は山城とは違い、こういう事で冗談は申し上げませんわ」
提督の背中を嫌な汗が伝った。確かに扶桑の言うとおり、扶桑はこういう冗談は言わない。
という事は。
「え、ええとええと、どなたが居るのかな?」
扶桑は見回すような仕草をした後、
「妖精の方々で、良いんですよね。ありがとうございます」
と、提督よりずっと左の方を向いて御礼をした。
提督もつられてその位置を見るが、何も見えない。でも一応頭は下げておく。
提督の汗はすっかり冷や汗に変わっていた。
「ど、どど、どうすれば良いかな?」
扶桑は肩をすくめた。
「工廠長とお盆に参ると仰ったのですから、伺えばよろしいのでは・・」
提督は何度も頷いた。
「よ、よし、工廠長を呼んでくれ」
「なんじゃ提督・・うん?」
提督室に入ってきた工廠長は、腕をさすった。
「どうしました工廠長?」
「いや、暑い筈なんだが、寒気がしての」
「ほぅ、それは話が早い」
「なんじゃと?」
「工廠長、姫の島を覚えてますか?」
「無論じゃよ」
「去り際に何と仰いましたか?」
「去り際じゃと?」
「去り際です」
「わしがか?」
「ええ」
「ふーむ・・・慰霊塔に丸い火が灯った、という事か?」
「惜しい!そのもうちょっと後です」
「ん?んー、はて、なんだったかのう」
その時。
「!」
「ど、どうしました?」
「い、今なんか全身に鳥肌が立ったぞ!何だというんじゃ?」
扶桑がついに口を開いた。
「皆様が大層お怒りなんですよ」
「み、皆様、じゃと?」
「はい」
目を左右に動かした工廠長はハッとした顔で、
「・・霊、かの?」
と言い、扶桑が頷いた時、
ポーン!
と、時計が半刻を告げる鐘を鳴らしたので、工廠長は20cmは飛び上がった。
「ひっ!」
提督が静かに告げた。
「ええと、工廠長が仰ったのは、お盆の時期に来ようという事です」
「お、お盆・・」
扶桑が後を継いだ。
「そして皆様の返事は、ぼたもちをよろしく、と」
扶桑の言葉に工廠長はぎゅっと目を瞑って考えていたが、
「・・・・すまん。本当に忘れておった」
と、何もない空間に向けて謝った。
「というわけでですね、工廠長」
「お、おう」
「ぼた餅を持って、草刈りにでも行きませんか?」
「慰霊碑の所にじゃな?良かろう。忘れていた罪滅ぼしじゃ」
「じゃあ間宮さんの所に行きますか」