契約書をまとめ上げた翌日の大本営、中将の執務室。
「提督か、入りたまえ」
ノックの音から提督と判断した中将は、書類に目を落としたまま答えた。
今日は基本契約書を持ってくると言ってたな。郵送すれば良いのに律儀だな。
そんな事を思っていた中将は、大和に突っつかれて顔を上げた。
「どうした・・・うおおおっ!?」
中将は目を剥いた。
果たして提督と高雄、愛宕が居たのだが、3人はそれぞれ黒い大きなスーツケースを持っていたのである。
そして目の下はスーツケースに劣らず真っ黒なクマが出来ていた。
「て、提督・・・今日は基本契約書案を持ってくるという話・・だったが・・・・・」
提督は溜息を吐き、スーツケースをぽんぽん叩きながら言った。
「これらが、基本契約書と、細則です」
「・・・全部かね?」
「はい。これで、1部です」
「1部!?」
「ほら、中将の机に中身を置いてあげなさい」
「い、いや・・・ちょ・・・」
ズン!
ドズン!
ドス!
20冊近い百科事典のようなファイルを置くと、
「では、審査の程、宜しくお願いいたします」
と、きっちり一礼して回れ右をしたのである。
それから1ヶ月後。
提督宛に中将から承認の通知が来たのだが、なんとなく文字に力が無い感じがした。
その晩、龍田は雷名誉会長に通信をすると、雷の疲れきった声が返って来た。
「上層部会の連中は1冊目の半分で泡を吹いたし、根性で1冊読みおえた憲兵隊長は入院したわ」
「・・・・・」
「でも、私は大和、五十鈴、中将、大将、それにヴェールヌイを集めて、全員で1回全部読もうって決めたの」
「す、すみません」
「まとめてくれた貴方達の方が大変だったでしょ。血の滲むような内容だったわね」
「週3回のペースが精一杯でした」
「でしょうね。ヴェールヌイが初めて、シベリアの流刑地より酷いって叫んで倒れたわ」
「そ、相談役まで倒れましたか・・・」
「ほんとに、正攻法ならあれもこれも引っかかる中で、良くまとめたと思うわ。」
そして一拍置いてから、
「さすが会長、良い仕事ね」
と継いだ。
通信を終えた後、龍田と文月が力なくハイタッチした。
2日後に開かれた締結式ではメンバー全員が涙ながらにぎゅっと抱き合い、健闘を讃えあった。
健闘というより、むしろ生きている事を喜び合ったと言っても良い。
ほんと、死ななくて良かった。
「あの」姫の島事案が霞んで見える程に過酷な状況が来るとは思わなかった。
提督はメンバーに3日間の休暇を与えたが、全員一様に、「寝て過ごした」と答えた。
したい事がなかったのではなく、本当に寝たかったのだ。
そんな事があったので、研磨班が「開業」する道筋はしっかり整っていたのである。
高雄は陸奥と弥生にお茶を出した。
「なんだか全部ビスマルクさんにやってもらっちゃったわね」
「気になるなら施設利用料の一部でも負担してあげたらどうです?」
「そこはビジネスなので」
「ドライですね陸奥さん」
「うちも結構毎月の費用がかかるのよ。うちは資材置き場が膨大だから」
「まぁ・・・そうですね」
「文月からは悪路踏破演習に使って良いなら安くするって言われたけど断ったわ」
「崩れてきたら怖いですものね」
「それもあるし、研磨中に揺らされたら困るから・・・」
「なるほど。ところで弥生さんと二人で回せるんですか?」
「手を縮めるつもりだったし、丁度良いくらいよ」
「規模を縮小するんですか?」
「ええ。これからは1つ1つちゃんと作って、丁寧に売りたいの」
「なるほど。陸奥さんの拘りを生かすんですね」
「これからは私はオークションハウス専門、弥生はオークションサイト専門という感じ」
「楽しめると良いですね」
「だったらもうちょっと料金安くする気ない?カッツカツなんだけど!?」
「それは文月さんに聞いてください」
「ダメって事じゃない」
「そういえば・・作品を売店に置いてみませんか?」
「売店に?」
「陸奥さんの方は高過ぎて手が出ないでしょうけど、弥生さんの方はサイト用なんですよね?」
「そうね」
「だったら、艦娘の子達も対象者になるんじゃないかなあって」
「価格上限を低めに押さえれば、修行場として良いかもねえ」
弥生はうむと頷いた。
「なるほど。造形センスで勝負ですね・・・・や、やって、みます」
「弥生ちゃん・・・怒ってる?」
「お・・怒ってないです・・すみません。表情、硬くて」
「売り子さんとして頑張るなら笑顔の練習もしましょうね!」
「うえっ!?・・わ・・私が・・・売り子・・・」
「自分で作った物の感想が生で聞けるわよ!頑張ってね!」
弥生は少し青ざめながら答えた。
「ええと・・・ええと・・・が・・・頑張り・・ます」
高雄は頷いた。
途中、しんどかった事もあったけど、この体制なら深海棲艦達を受け入れ、様々な未来を提示出来る。
日々調整事は発生するけど、仕事したって納得出来る。
提督にも褒めてもらえた。
やっと任命してもらった事に報いる事が出来た。
「じゃあ売店に置けるかどうか、間宮さんの所へ相談に行きましょ!弥生ちゃん!」
高雄が差し出した手を、弥生はおずおずと握った。
「お・・・お願い・・・します」
「ええ、任せて頂戴!」
高雄は弥生を案内しながら、ニコニコと笑っていた。
役割が出来、それをこなせている。
それは本当に嬉しい、幸せな事なのだ。