艦娘の思い、艦娘の願い   作:銀匙

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時雨の場合(4)

3年前。時雨が事務方に着任した日、夕食後。

 

睡眠時間を考えると早く始めねばと、急いで食事を取り、まっすぐ事務棟に帰って来た。

しかし、机の上の書類が減っている。4cm位あったのに5mm位しかない。

飛ばされたかと思って足元等を探していると、文月が部屋に入ってきた。

「あれれ、忘れ物ですか?夕食終わっちゃいますよ~?」

「文月。違うんだ。食べて帰って来たんだけど、書類が飛ばされたのか、減ってるんだ」

「あ、それは不知火さんですよ。ご飯のついでに作業するって、少し抜いてました」

「え?」

「不知火さん、ああ見えて皆の様子をちゃんと見てるんですよ」

「・・・」

「ついでに言うと、今日から来てくれた人の中で時雨さんが一番でした」

「えっ・・と?」

「処理してくれた書類の数と、その出来栄えです。ダントツでした!」

「も、もう見てくれたのかい?」

文月はぺろりと舌を出しながら言った。

「ご飯食べながら、ですけどね」

ふと文月の机を見ると、かわいらしい弁当箱が乗っていた。

「一人で夕食を食べたのかい?」

「いいえ、不知火さんと一緒ですよ」

「え?」

「不知火さんが皆さんの残りの書類を片付けながら、私は全件を確認しながら」

「二人で仕事しながら黙々と食べたのかい?それじゃ味気なくないかい?」

文月はきょとんとした顔をした。

「普通にお喋りしながら食べてますから・・楽しいですよ?」

時雨はぐにゃりと視界が歪んだような気がした。

夕食を取り、お喋りしながら、自分達が1日がかりでやった以上の仕事を済ませるかこの2人は。

「いつもは食後も書類が残っちゃうんですけど、今日は楽しくデザートを食べられました!」

時雨は目を瞑った。この二人に到達出来るかは解らないけれど。

「文月が夕食も楽しく食べられるように、僕は頑張るよ」

文月はにこっと笑うと、

「ありがとうございます。じゃあ、あとちょっと、頑張ってくださいね~」

と、席に戻っていった。

時雨が作業を再開し、しばらくしてから敷波が帰って来た。

「ふぅーい、美味しかったぁ。あれ、時雨・・早いね。無理しちゃダメだよ?」

時雨がにこりと微笑んだのに頷き返すと、敷波は文月に声をかけた。

「文月さん。天龍さんから訂正した新入生向け演習申請が来てたけど、あれで認めるの?」

「まだ難しいですね。仮想演習を取り入れてもらって、実弾演習をもっと減らしてもらわないと」

「だよね。提督から言ってもらった通り、実弾演習は1人月1回を守ってもらわないとね」

「何かの為にと2回、3回を認めてしまうと、元の木阿弥ですからね」

「天龍さん納得するかなあ。前から実弾演習と仮想演習は違うって、かなりこだわってたし」

そこに。

「文月!邪魔するぜ!」

「あ、天龍さん。こんばんは」

天龍はニコニコしながら文月の机の傍まで入ってきた。

「どうよ文月、新入生向け演習。それくらいなら認めてくれるだろ?」

「んー・・残念ですが・・」

途端に天龍の表情が険しいものに変わる。

「残念!?申請内容では1人2回しか実弾演習してないじゃないか・・うち1回は装填演習だぜ?」

「新入生の皆さんは1回ですが、天龍さんは計7回する事になりますよね?」

「そっ・・それは・・でも、指導役が手本見せなきゃ説明出来ねェよ・・・」

「でも、この演習を認めると鎮守府が潰れちゃいます」

「申請の度にそう言うけどピンピンしてるじゃん。こっちだってキッチリやってんだからさぁ」

ぴくり。

それまで聞き流していた時雨は思わず作業の手が止まった。

きっちり?あんな申請書を書いておいて?

「そう言われても、無い袖は振れないのです。お父・・提督が言った事は本当なんです」

「真面目に指導するのを邪魔するのか?あんまりあれこれ言ってると、しまいにゃ怒るぜっ!」

「そんな睨まないでください。怖いです~」

理由があって断っているのに何と言う言い草だ。文月に加勢せねば!

そう思い、立ち上がって振り向いた時雨の先には、全く予想外の光景が広がっていた。

文月が自らの頭を庇うように覆った腕に、一枚の申請書が貼り付いていた。

良く見ると、そこには時雨が書いた赤い大きな文字で

 

 【借用期限は日付を書いてください。「チョット借せ」とか、ありえないよ】

 

と、書かれていた。天龍が出した設備使用許可申請書だ。

天龍は口を開けたまま硬直していたが、ささっと書類を剥がすと懐に仕舞い、

「あー・・・・も、もうちょっと練り直してくるわ。邪魔したな」

と、そそくさと出て行ったのである。

 

文月は呆然とこちらを向く時雨に気が付くと、

「時雨さんには借りが一つ出来ましたね~」

と笑い、敷波も

「時雨の字って意外と迫力あるよねえ。アタシもちょっとびっくりした」

と、ニカッと笑った。

事情が呑み込み切れない時雨の様子を見て、文月が説明した。

「誰しも、自分の話はちゃんと筋が通っていると信じてます。だけど筋は無数にあるんです」

「よって陳情の回答や、こちらからの指示は、その多くが納得出来る形になりません」

「納得出来ないというのは困るという事です。そういう時、人は感情的になります」

「感情的になった人に私達が感情的に応じると泥沼になり、不毛な結果になります」

「だから私達は感情的になった人を冷やすタネを持っておく。これが最善の道なんですよ~」

敷波が補足した。

「時雨の指摘は正しかったし、「キッチリ」してないでしょっていう暗黙の答えにもなったって訳」

時雨はぺたんと椅子に座りこんだ。

あの短時間で天龍の性格と展開を予想し、書類の山から瞬時にあれを見つけ、偶然を装って見せる。

そうでなければこの展開に持ち込む事は不可能だ。

今の僕には到底出来ない。でも・・・

「ぼ、僕も・・精進したら君達のようになれるかな?」

二人は顔を見合わせると、肩をすくめ、

「あまり頑張って裏を見ると、先に人間不信になっちゃいますよ?」

「ならない方が良いと思うよ~」

と、言ったのである。

「・・と、とにかく、あと4枚、頑張るよ」

時雨は椅子を回し、作業を再開した。

ちなみに天龍は自室で龍田に(少々有利なように)訴えたが、申請書をちらっと見た龍田は、

「天龍ちゃん・・・ズルしようとしてもだめ。ルールはきっちり守りましょう。ね?」

と言い、天龍の鼻先を指でつつきながらくすっと笑った。

 

そんな赴任初日も永遠ではない。

時計はついに21時を差した。

 

「し・・・しんどい・・・な・・・」

出撃で大破しても泣き言を言わない時雨が、一人給湯室で壁にぐったりともたれていた。

書類を見過ぎて頭がくらくらしていた。

「・・・ほらぁ、アタシが言った通りでしょ?無理しちゃだめだよって」

顔を上げると両手を腰に当てた敷波が居た。

「僕は今、心から敷波を尊敬しているよ」

「ふええっ!?お、おだてても何も出ないよ!・・あ、飴食べる?」

「違うよ。僕の本心だよ」

敷波は困ったような顔をしつつ時雨の頭を撫でると、

「だいぶお疲れだね・・もうちょっと少なくした方が良かったかな。後引き取ろうか?」

と言ったが、時雨は

「いや、書類はさっき終わったんだ」

と返した。

敷波は時雨を撫でていた手を放し、代わりに反対の腕を差し出した。

「はい!」

敷波がニッと笑いながら差し出した手には、可愛らしいマグカップが握られていた。

中には氷が浮いたコーヒー牛乳が注がれている。

「・・・くれるのかい?」

「こういう時に飲むと美味しいからね!まずは良く1日頑張ったねってご褒美だよ!」

「頂くよ」

時雨は受け取ると、早速こくこくと飲んだ。

牛乳とガムシロップが多めだ。冷たくて甘くて美味しい。喉に、体に沁み渡る。

「そ、それと、ね」

「?」

「そのカップは・・時雨用だよ」

「えっ?」

そうっとカップを上に持ち上げて底を見ると、「しぐれ」と書かれていた。

「え、えっと、事務方なんて大変な所まで手伝いに来てくれた、お、お礼・・・だよ」

時雨はじっと敷波を見た。敷波はこういう事は照れるらしく、なかなか言わない。

それに、このカップは敷波がずっと前に気に入ったといって買ってた奴じゃないか。

時雨は頷き、にっこり笑って口を開いた。

「・・・ありがとう」

「こ、今度のオフは一緒に取ろうね」

「うん」

「服とかパジャマとか、いっぱい買おう!」

「たい焼きも食べたいね」

「あ!良いね!私お好み焼きも!」

「じゃあ決まったら申請書書こう・・・」

二人は互いを指差しつつ、

「ちゃんとね!」

と、ハモッたあと、くすくすと笑った。

 

 

そして現在。

 

「しぃ~ぐれぇ~?何やってんの?」

目を開けると、敷波が横に立っていた。

「もう御昼だよ?ご飯食べに行こうよ!」

「ええっ!・・・あ」

手元のカップには、半分ほど入ったコーヒー。少しぬるくなり始めてるが、まだまだ熱い。

時雨は超のつく猫舌である。

「んー?」

敷波はちらりとカップを見ると、冷蔵庫から牛乳を取り出し、残り半分を満たした。

「ほら、アイスコーヒー!飲みやすいでしょ!」

「量が倍になっちゃったじゃないか」

「良いから良いから!今日の日替わりはハンバーグなんだからさ~」

「えっ?どうして日替わり定食のメニューを知ってるんだい?」

普通に明日のメニューを間宮さんに聞いても

「明日のお楽しみですよ~」

と言って教えてくれない。その日、昼食時間に食堂でメニューを見て初めて知る事が出来る。

だが、球磨は何故か鮭料理の日だけは解るらしい。

てっきり球磨の超人的な執念かと思っていたのだが、何か方法があるのだろうか?

考え出す時雨に敷波はニヤッと笑いながら、

「誰が食材発注してるのかな?出てくる定食と前日発注内容との相関性は分析済なのだよ」

と、返した。

時雨はふうと溜息を吐くと、

「それって、職務上知りえた秘密じゃないのかい?」

敷波は指を振ると

「だから、外部には喋ってないでしょ?」

と返した。

「ほら!一気に飲んで!行くよ!」

「・・・・・・ぷはっ!」

「良い飲みっぷり!行こっ!」

「あ、し、敷波!洗うから待っておくれよ」

 

そして。

 

「・・・うーむむむむむ。3色そぼろ丼にコロッケ・・・食材は一緒だもんなあ・・・」

という敷波に、

「敷波ちゃんに読まれてる気がしたから、裏を掻いてみました~」

と、間宮は片目を瞑りながら声を掛けた。

「そうか。一昨日のジャガイモの発注量はいつもより多かった。複数日で計算しないとダメか・・・」

ぶつぶつ言う敷波に、

「悪い事は出来ないね、敷波。でも、僕はそぼろ丼好きだけどな」

と、時雨が肩を叩きながら言うと、

「ふん!そぼろになっても、あたしは負ける気なんてないんだからね!」

と、敷波は返したのである。

 

食事後。

 

まだ昼休み中だったが、時雨は事務棟に戻ってきた。

昼前に済まそうと思っていた書類が、考え事をしていたせいで残ってしまったからだ。

初雪なら間違いなく

「午後から本気出すから」

と言って休むだろうが、時雨はこういう所をきっちりしないとどうにも落ち着かない。

書類を思い出す。

「設備使用許可申請」152枚。

チラッと時計を見る。

昼休みはあと10分。

まぁ終わるだろう。

時雨は流れるように申請書をめくりながら、さらさらとペンを走らせた。

最初の頃は書き方見本を見ながら悩んでたよね。

今では大体頭に入ってるし、どこまで許されるかのルールのボーダーも解っている。

あまり細かい所を突いても無駄だから、ボーダーを明らかにはみ出た奴だけ。

だが、1枚でぴたっと手が止まる。

何故ビーチバレーをやるのに海上標的と模擬弾の申請が出ているんだ?

申請者は・・・あー、天龍さんか。

教育班になってもちっとも変わらない・・・

眼帯の裏に提督の写真貼ってるって青葉にタレこんでやろうかな?

いやいやいやいや。職務上の秘密だ。

時雨はペンを持つと、

「こんな申請をすると、眼帯の裏の人が泣くよ」

と、コメントを入れた。

 

さて、後4分。残り48枚。さっさと仕上げてしまおう。

 

 




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