プリヤ世界にエミヤ参戦   作:yamabiko

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前回の話の裏側、アーチャーの視点の回、前編です。まさかこんなに長くなるとは……。
アーチャーの知っている聖杯戦争の知識と、この世界の事情をすり合わせるのに、文字数をだいぶ取られましたね。一話で終わらせるつもりだったのに……一万字を軽く超えそうなので前後で分けます。後編も早めに更新するつもりですよ!

プリヤの第四次は勝手に捏造してます。プリヤのような世界になるには―――けっこう色んな人が生き残りますね。


【10】

(……さて、どうしたものか)

 アーチャーは鏡に映った己の姿を見て、立ち尽くしてしまった。

 早朝の薄暗い光の中、額に手を当て、反転した同じポーズをとるのは、赤毛に黄褐色の瞳の平均的な日本人の肌色をした高校生男子だ。

 言うまでもなく、この世界の衛宮士郎である。

「なんでさ」

 思わずいつもの口癖が漏れてしまうのも仕方がないことだろう。

 カードによる転身は解けていたので、てっきりまた衛宮士郎の意識が表に出るか、意識のないまま寝ているしかないと思っていたのだが……。

 昨夜は鏡面界からこちらへ戻ったあと、その場をすぐに離れ、できる限りの速さでこの家を目指した。

 この体はこの世界の衛宮士郎のものであり、カードによる転身がいつまでも続くか分からない状況にあったからである。魔力切れで転身が解けてしまったら、一体だれが小僧の身体を家まで送り届けるだろうか。小僧の意識は、セイバーの魔力によって起動した『全て遠き理想郷(アヴァロン)』の癒しの繭の中であり、ズタボロになった魔術回路の修復には時間がかかるだろう。

 アーチャーとしたら別に道端に士郎の身体が転がっても構わないが、さすがに小僧の家族に迷惑をかけることは好ましくもなく。

 また、イリヤたちに鉢合わせる危険性を考え、イリヤたちよりも早く到着する必要があった。

 この家まで来た頃には魔力切れもいいところで、半ばこの体の帰巣本能に従って、この部屋までたどり着いたようなものだ。

 ベッドに倒れこみ、泥に埋もれるように意識を手放した。

 目を覚ましたのは、数時間しか経っていない朝の陽が顔をのぞかせたころ。

 『全て遠き理想郷(アヴァロン)』の恩恵が流れ込んだのか、身体の損傷は綺麗に治っており、体調も整っている。

 問題なのは、なぜ異物であるアーチャーの意識が表層に現れ、身体の支配権を有しているかだ。元凶であるカードをジロリと睨むが、うんともすんとも言わずに沈黙を返すのみである。

 とりあえず、この問題は棚にあげてアーチャーはこれからどうするかを考えた。

 アーチャーの目的は目下のところ、危険なクラスカードを回収し、冬木から歪みを取り除くことである。長引けばあの歪みは冬木の霊脈に悪影響を及ぼしかねない。更に、クラスカードによって実体化した英霊の力を目当てに、ろくでもない魔術師がこの地へ足を運ぶ恐れもある。

 また、遠坂凛とルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトが魔術協会から回収の任を受けており、何故かイリヤも巻き込まれている以上、彼女たちが英霊たちと相対することは避けたい。

 よって早急に行動を移すことが最善なのだが……。

 ちらりと部屋のカレンダーを見る。

 今日は平日であり当然、学校の授業がある。

 更に今日のメモ欄には「部活、朝、鍵当番」やら「昼休み、生徒会の備品修理」などの書き込みがある。

 己の身体を鑑みるに、魔術回路で使えそうなものは二、三本しか無く、魔力の量も十分回復したとは言えない。カードによる歪みも、この街の人々が活動を始めたせいか、感知が難しくなっている。

 このまま街を徘徊したとて、上がる成果はたかが知れているだろう。

 また、この世界の衛宮士郎の日常を壊すことに抵抗があった。

 アーチャーはこの世界に呼ばれただけの異邦人であり、異物なのだ。例え平行世界の己であっても、己の二の舞になりそうにもない衛宮士郎に、これ以上の負担をかけるのは気が咎めた。何より、コイツの周囲にはコイツの身を案じる家族がいて、コイツがこなすべき用事や仕事がある。

 昼間はできる限り、大人しくするべき、とアーチャーは結論を出した。

(では、手始めに朝食でもごちそうするか)

 軽く目を通させてもらったスケジュール帳やメモによると、切嗣や母親のアイリスフィールは仕事で海外に行っており、この家にはイリヤと衛宮士郎、それにセラとリズというハウスメイドが暮らしているらしい。

 今後、多少なり迷惑が掛かってしまうかもしれないので、今のうちに礼は尽しておこうと、アーチャーは思ったのだ。

 

 

 トントントンと、リズムよく長ネギを刻む。

 既に豆腐まで入れた味噌汁は温まっており、後は香り付けに長ネギを盛る直前で載せるだけでいい。

 大根と豚肉の煮物も程よく味が染み込み、お浸しには特製のたれがかかっている。

 アジの開きもよい感じで焼け、大根おろしを添えれば完璧だ。

 アーチャーは一人台所で満足げに頷く。

 そこに、二階から降りてくる足音が。

「なにやらいい匂いがしますが……ってシロウ! 今日の食事当番は私のはずでしたよね!」

 まくしたてるはこの家のハウスメイドのセラ。

「なぜか目が冴えてな。いつも世話になっているし、偶にはいいだろう?」

 アーチャーは気色ばむセラに向かって言う。おっと、少し衛宮士郎らしくなかったか。

「む、いい匂い。また腕を上げた?」

 もう一人のハウスメイドのリズが顔を出す。残るはイリヤのみだが……。

「二人は顔を洗ったりだとか、身支度をしてくれ。俺はイリヤを起こしにいくから」

 アーチャーは衛宮士郎の口調を意識して二人に声をかけ、イリヤを起こすべく二階へ上がった。

 残ったメイドの一人は不服の文字を顔に貼り付け、もう一人は美味しいご飯への期待を胸に、行動を開始する。

 アーチャーはイリヤの部屋の前に来ると、声を上げた。

「イリヤ、起きてるか?」

 ドアを叩き、耳を澄ます。返事は聞こえず、身じろぎする気配もない。やはり、昨夜の戦いが響いているのか。

 カチャッと扉を開け、中に入る。

 イリヤの部屋は小学生らしい物で溢れていた。マンガや雑誌、アニメのDVDに、女の子らしく可愛い置物やぬいぐるみもある。

 アーチャーはそれらを見て、イリヤが極々普通の生活を送っているのだと、実感する。

 このような世界線があることを単純に喜ばしく思う。己の摩耗した記憶の欠片や『記録』には、イリヤは常に魔術世界の住人として生きてきたものしかない。

 聖杯戦争の『小聖杯』として調整され、人間とホムンクルスの間に生まれ落ちたイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。『願望器』としての機能を持ち、膨大な魔力を受け止める器である彼女は、人並みの寿命も持たず、その大半はただ聖杯戦争で勝ち抜くための準備に費やされた。そして迎えた第五次聖杯戦争で、彼女は――――。

 アーチャーはそこで思考を止めた。

 既に起きてしまったことを思い返しても、仕方がない。

 今はただ、目の前のイリヤの幸せを壊さないようにするのが、アーチャーにできる最善のことである。

 アーチャーはベッドに眠るイリヤの様子を窺った。きちんとパジャマで寝ているが、昨日の状況では誰が着替えさせたのだろうか? あの三人の内誰かがこの部屋に侵入したのなら、気付かなかったアーチャーも迂闊であったが。

 よく見ると顔が赤い。額に手を置いて測ってみると、熱が出ているようだ。

「解析、開始(トレース・オン)」

 小声でつぶやき、念のため解析をかける。

 セイバーから救った直後にもかけたせいか、前よりも深く読み取れる。

 その結果、

(ああ、このイリヤも聖杯なのか)

 アーチャーは軽い失望と共に手をどけた。

 そう、この世界のイリヤも『小聖杯』としての機能と容量を備えていたのだ。

 幸いなことに日常生活に支障が出ないようにと封印措置がかけられていたが、昨夜の様子を見る限り、その封印が一時的でも解けてしまった可能性が高い。この発熱はその際に膨大な魔力を開放した反動だろう。

 魔術師にとって、願望器である聖杯は、十分にそそられる獲物である。イリヤがそうであると勘付かれれば、この日常が脆くも儚く崩れ去るのは確実だ。

 だが、恐らく封印を施したであろうアイリスフィールと切嗣がそれを許すはずもない。この家に魔術的処置が一切敷かれていないのも、魔術師から目を眩ます切嗣の策の一手なのだろう。

 朝食の準備の前に軽くパソコンで調べたが、この世界では第四次聖杯戦争は行われていないらしい。10年前に起きた事件は一つだけ――――だ。

 衛宮士郎が聖杯戦争に巻き込まれるのは、もはや世界に組み込まれた運命の一つなのかもしれない。

 しかし、この世界では切嗣は生きている。よって「正義の味方になる」という呪いのような願いは、この衛宮士郎は持っていないだろう。

(あの月夜の爺さんとの別離は、オレだけが抱いていればいい)

 アーチャーは薄く笑って、イリヤの部屋を退出した。

 本来なら、魔術関係はアイリスフィールと切嗣に任せておけば問題は無い。

 だがなんの因果か、イリヤはカレイドステッキ・ルビーと遠坂凛によって、魔術世界に足を踏み入れてしまった。

 しかも相対するのは、英霊という並の魔術師では到底かなわない相手。更にクラスカードという名の魔術礼装は、聖杯戦争と明らかに関係がありそうである。

 唯一の救いは、封印が解けた状態のイリヤを、凛やルヴィア、カレイドステッキたちが目撃していないことだろうか。ただ巻き込まれた一般人という認識であれば、クラスカードを回収し終えた暁には、イリヤは何事もなく普通の日常に戻るだろう。

 そのためにはもう一人の小学生―――――美遊に口止めをしなければならない。

 アーチャーが見る限り、彼女は善良で優しいまっすぐな心の持ち主だ。どこぞの誰かのように捻じれひん曲がっているわけでは無い。

 多少、真面目で胸の内に溜め込む傾向がありそうだが、それはそれで好都合だ。そういった相手は口が固い。さらに彼女はイリヤのことを大切に思ってくれている。事情を話せば、十分秘密を守ってくれるだろう。

 ただ、気になるのは、頑ななまでに自らクラスカードを回収したがっていることか。

 小学生にありがちな、見栄や矜持のためではない。そのためであったら、セイバーに刃を向けられた時点でとっくに心を折られている。

 あくまで彼女自身の目的があって、クラスカードを回収しているのだ。

 また、昨夜はイリヤが『英霊化』したことについて、凛やルヴィアに告げることは無かった。凛がクラスカードについて説明しているときも、口をはさむこと無く、沈黙するのみであった。

 恐らく彼女は、クラスカードが『宝具を具現化』だけでなく『英霊になる』機能を有していることを知っていたのではないか? そして『英霊化』について凛やルヴィアに知られたくはないらしい――――ならば、イリヤのこともすぐには話すまい。

 私も『英霊化』について黙しているのであれば、取引条件は対等だ。次に会うときには隙をみて二人で話すとしよう。

 それにしても、美遊は何者なのだろうか?

 私の摩耗した記憶にも膨大な『記録』にも引っかかることの無い少女。ここ冬木の地では魔術世界のつながりは極めて狭く、ほとんど全てが聖杯戦争の関係者で占められていると言ってもよい。

 もしかしたら、彼女も聖杯戦争と何か関係が―――――?

 そこでアーチャーは首を振った。

 私が干渉するのはクラスカードの回収のみだ。あまり深く首を突っ込んでしまえば、すぐに退散することも叶わなくなる。

 本来、私はこの世界にいてはいけない存在なのだ。

 

 居間に下りれば、身支度をしたセラがアーチャーの作った料理を盛り付けていた。

「ああ、盛り付けなら俺がするのに」

「いいえ、シロウだけに任せてしまってはメイドの立つ瀬がありません!」

 セラは若干ぷりぷりしながら言い、反論は許さない構えだ。

 しかし、アーチャーにも言えることはある。

「リズはもう机で食べるだけの体勢になっているけどな」

「もう! あなたは! 自分の本分を忘れているんじゃありません!?」

 セラの菜箸を握る手からギシギシと音が鳴る。……調理器具は壊すなよ。

 リズはそんな様子にお構いなしに、アーチャーの方にも席に着けと促してくる。

「で、イリヤは? 下りてくる感じがしないけど」

「少し熱があるみたいだ。今は良く寝てるから起こさずに来たけど、後で様子を見に行ってくれないか」

「ん。了解」

 イリヤの不調の報をリズは簡単に受け取る。

 過剰に反応したのはセラだ。

「えっ、イリヤさんが熱! 一大事じゃないですか! あなたも軽く流すんじゃありません!」

「ん~。シロウがそんなに慌ててないし。大丈夫でしょ? 寝てれば治るんじゃない?」

「……基準はオレか。まあ、そんな高熱でもないし、うなされている感じでも無かったからな。慌てるほどでもないさ」

 セラは数秒、口をパクパクさせていたが、大きく息を吐いた後、盛り付けを終わらせて皿を机へ運んできた。

「分かりました。後で私がちゃんと診ておくことにします。今はシロウの作ってくれた食事を頂くことにしましょう」

 そして三人そろって手を合わせ、食事を始める。

 ちなみに本気を出したアーチャーの料理に、メイド二人が言葉も忘れて夢中になったのは言うまでもない。

 

「うむ、美味であった」

「うぐぐ……いつの間にこんなに料理が上手くなったのですか」

 満足げなリズと悔しげに顔を俯かせるセラを尻目に、アーチャーはすまし顔で片付けを開始する。

 もっとも、唇の端はわずかに上がってしまっていたが。

 セラがイリヤの様子を見に二階に上がっている間に、手早く台所を片付け、家を出る。

 挨拶もせず出てきたのは、そうでもしないとまたセラからの小言攻撃を喰らいかねないからだ。

 ちなみにリズはあっさりしたもので、歯ブラシを片手に、もう一方の手をひらひらと返して見送ってくれた。……歯磨きはやはり洗面所でやるべきだと思うぞ。

 アーチャーは快晴の空の下、学校への道を心無しか早歩きで進む。

 道順は既に地図で確認してあり、迷うこともない―――のだが、通学路の風景をアーチャーは『知って』いるような気がする。摩耗した生前の記憶からくる知識でもない。そもそも、家も場所も違う為、生前の通学路ではないのだが。

(なんだ? これは衛宮士郎の『知識』か?)

 学校に到着してからも、弓道部専用となっている弓道場の鍵の場所は当たり前のように浮かび上がり、特に苦労もなく、弓道場を開けることができた。

(小僧の『知識』が私のものと混じってきているのか? だとしたら、私の『知識』も小僧に読み取られる可能性があるか……)

 アーチャーの知識など、知らない方がよいものばかりだ。

 そう、血の匂いの消し方も、効率よく人体を破壊できるやり方も、戦場で銃弾が飛び交う中を走破する方法も、この衛宮士郎には必要ない。

(英霊である私が、同一人物とは言え一介の人間の中にいる弊害かもしれんな)

 低位とはいえ、アーチャーも英霊に至った存在であり、高次の存在だ。元の魂を圧迫し、癒着するように浸食しているかもしれない。

(やはり、私は早めに出ていくべきだ)

 並べられた弓を手に取り、しみじみとアーチャーは思った。

 人気のない弓道場の中、更衣室で弓道着に着替えたアーチャーは、無意識のうちに弓の具合を確かめる。

(少し手入れが必要か。この際、掃除も含めて点検もしてしまうか)

 誰も来ていないことをいいことに、並べられた弓を順々に手に取って様子を確かめる。気になるものは、鞄の中にあった道具で処置していった。

「おはようございます。……って、先輩!? 何をやってるんですか!」

 朝の静寂の空気を破り、入ってきたのは弓道部の後輩、間桐桜である。

「おはよう、桜。何って弓の手入れだけど」

「弓の手入れは後輩である私たちがやるからいいんです! 先輩にやってもらってしまったら、すごく申し訳ないです!」

 そういうものか?と疑問に思いつつ、アーチャーは弓を棚に戻す。ちょうど今ので最後だった。

 アーチャーは予め用意しておいた言い訳を口にする。

「早めに学校に来たからさ、偶には弓の具合を見てやるのもいいかなって」

「そう言って先輩は毎回、私たちの仕事をとっちゃうじゃないですか! 先輩はもっと後ろでどーんと構えているだけでいいんです!」

 やはりここの衛宮士郎もこういう性分なのか。

 アーチャーは嘆息しながら、尚も近づいて言い寄る桜に注意を発しようとする。桜はこちらを真っ直ぐに見つめて来るせいか、足元の整備道具は目に入っていないようなのだ。

「桜、足元に……」

「きゃっ」

 案の定、細かい道具に足を取られ体勢を崩す桜。

 アーチャーは素早く彼女の倒れる方向に、身を滑らせる。

 板張りの床とはいえ、下手に倒れたら打ち身や手首の捻挫もあり得るのだ。よって、より安全に支えるとなると―――腕の中にすっぽりと収めてしまうしかない。

「大丈夫か? 桜」

 アーチャーは桜を抱きながら尋ねる。

 桜は顔を真っ赤にしながらコクコクと頷く。

 恐らく男子がこうまで密着していることなど慣れていないのだろう、身体が緊張しているのが分かる。早く離れようと思うアーチャーだが……思い直して更に力を込めた。

(解析、開始(トレース・オン))

 アーチャーの持つ様々な『記録』の中には、間桐桜が黒い聖杯となって、冬木の街を飲み込み、世界を滅ぼしかけたものも存在している。原因は間桐臓硯によって体内に聖杯の欠片を埋め込まれていたせいだ。更に彼女は間桐家の蟲によって、虐待まがいの魔術鍛錬を強要されていた。

 目の前の彼女が『間桐』を名乗っている以上、第四次聖杯戦争が起こっていないにしても、その可能性が無いとは言い切れない。

 意図したわけでは無いが、接触している今がチャンスなのだ。

「えええっととととーーー、せ、せせせ先輩!?」

 桜の混乱した声が聞こえるが、あえて無視し、解析に集中する。

 使える魔術回路と魔力が少ないせいで低出力だが、それはそれで相手に気付かれにくい。

 まだ軽く肉体面を走査しただけだが、体の中に蟲がいる様子はなく、心臓にも異物などがある感触もない。

 更に深くまで探ろうと霊質―――魂や魔術回路まで手を出した途端、ピリっと流れるものがあった。それは雷が落ちる予兆にも似て―――アーチャーは瞬時に桜から意識を引き上げ、体を離した。

「あ、あの? 先輩?」

 桜が戸惑うような声を上げる。

 アーチャーは乱れそうになる呼吸を抑えつつ、桜に尋ねた。

「桜、胸元に何かつけてないか?」

「えっ、ああこれですか?」

 桜が服の下から取り出したのは、銀のメダルがついたペンダントだ。

「これは小さい頃に、先輩のお母さんのアイリさんからもらったんですよ。お守りにって」

「……アイリさんが?」

 さすがに間桐家とアインツベルン家の間に交流があるとは予想もしていなかった。

 銀のメダルに施された細かい装飾からアーチャーが読み取ったその効果は―――魔力の隠蔽と、魔術的なものからの防御と排除だ。

 アーチャーが退かずに、更に解析を続けていれば、その礼装によって多大なダメージを受けていただろう。

「あんまり人目に晒しちゃいけないって言われましたけど、先輩には特別ですよ」

 桜の小さないたずらを隠すような笑顔には、今のアーチャーの行動を勘付いた様子は見受けられない。

「……そうか。ありがとな。見せてくれて」

 アーチャーは礼を言って、桜が躓く原因となった道具類を片づけ始めた。

「でもどうしたんですか? いきなり胸元のことなんか聞いたりして。もしかして……」

「いや、何か固いものが当たるなっと思っただけだ。他意は無いぞ」

「え、他意はあってもよかったのに……」

 桜の最後のつぶやきは聞こえなかった振りをした。

 わざわざ地雷を踏む必要もあるまい。

 

「あっ、アイリさんと言えば。先輩、今度アイリさんと切嗣さんがいつ帰ってくるか分かります?」

 桜の唐突な質問に、アーチャーは衛宮士郎のスケジュール帳を思い返す。

「いや、帰国の時期については分からないんだ。すぐには帰って来ないと思うけど。……どうかしたか?」

「昨日イギリスから帰ってきた雁夜おじさんが、二人に連絡を取りたいっと言っていて。でも先輩の家には立ち入り禁止されてるからどうしよう、って」

「雁夜おじさん……?」

 誰だそれは。アーチャーは思わず眉をよせてしまった。

「あれ、先輩は忘れちゃったんですか? 昔よく公園で一緒に遊んでくれた人ですよ」

 ますます顔を顰めてしまうアーチャーだが、そこで脳裏に浮かび上がったのは恐らく衛宮士郎のものであろう『知識』。

『雁夜おじさん。若いけど髪が真っ白で顔がちょっと歪で怖いけど、話してみると優しい人。慎二の父親・間桐鶴野の弟さん。ルポライターを職業としていて、海外を飛び回っている』

「ああ、あの人か。髪が真っ白な」

「そうですよ。やっと思い出しました?」

 思い出すも何も。アーチャーは直接会ったこともないが。

『知識』からくる人物像から判断するに、雁夜という人物は魔術師なのだろう。白い髪や引き攣ったままの顔面は魔術的負荷の後遺症に違いない。

 またアイリスフィールや切嗣の知り合いで、衛宮家に出入り禁止となると、聖杯戦争の関係者の可能性が高い。間桐家にいるのは、第四次聖杯戦争が起こらなかった影響なのか。

「あれ? 間桐のお爺さんってどうしてるんだっけ?」

 アーチャーは一番重要な質問をした。

 間桐家を裏で取り仕切っていた諸悪の根源、間桐臓硯。その正体は冬木の聖杯戦争を創った当事者の一人、マキリ・ゾォルケンだ。およそ五百年の時を、人の命を啜り、身を蟲に置き換え生き長らえた間桐家の初代当主である。不老不死の妄執に取りつかれ、聖杯を最も貪欲に追い求めていたのだが……。

 桜の中に蟲の姿が無かったとはいえ、髪や瞳は間桐の色に染まっている。本来の遠坂の色を上塗りされるようなことがあったはずだ。

「お爺さまは十年前に亡くなりました。詳しいことは知りません」

 感情の籠らない声で言う桜。表情は俯いて伺うことはできない。

「そっか。ごめんな、悪いこと聞いた」

 アーチャーは努めて軽く流すように、この話題を終わらせた。

 やはり桜の中で臓硯の影は大きいらしい。身体の中に蟲はいなくとも、幼少期に刻まれた傷は深いか。

 アーチャーは桜の肩を抱くように手をかけ、この重い空気を切り替えるように言った。

「雁夜おじさんのことは、俺からじいさんやアイリさんに言ってみるよ。さ、そろそろ皆も来るころだ。桜も弓道着に着替えたりしないとな」

 ぽんぽんっと軽く叩いて、更衣室へと促す。

 桜はしばらく俯いていたが……――

 バッと急に顔を上げ、宣言するように拳を突き出した。

「そうですね! さあ、今日も張り切って、弓を握りましょう! アレのことは矢に括り付けて飛ばしちゃいましょう! 先輩、雁夜おじさんの言ってたこと、よろしくお願いしますね!」

 ずんずんと大股で更衣室の扉をくぐっていく桜。

 アーチャーはあまりの変わりように呆然と見送ることしか出来なかった。

(あの様子なら、幼少期のトラウマを早々に乗り越えていくのだろうな)

 どうやら彼女は、アーチャーが知る間桐桜とはだいぶ違うようだ。それも、雁夜おじさんの存在と十年も前に臓硯がいなくなった影響か。

(……これなら心配はいらんな)

 この世界の間桐桜は、本当の意味で幸せをつかんでいるようだ。

 その事実に、アーチャーは安堵の笑みをこぼした。

 

 




桜さんは良い意味ではっちゃけてます。

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