異変の後、堀川雷鼓は九十九弁々、九十九八橋とバンドを結成するが――

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難題「ロックンロール」

「ロックンロールって何かしら?」

 

 思いも寄らぬ難題だった。

 

 

 ○○○

 

 

 異変の後、私がロックンロールを始めたのは、ごく自然な成り行きだった。

 外の世界の楽器を取り込んだ私は世界で一番新しいスタイルの付喪神だ。

 古臭い雅楽なんぞやってられない。そんな訳でロックンロールする事にした。ロックンロールは衝動だ。

 しかしロックンロールは一人よりもバンドの方が好ましいと、直感的に分かった。

 だから私は、異変で知り合った二人の付喪神、九十九弁々と九十九八橋をバンドに誘った。

 

 

 夜になっても元気に演奏している蝉のオーケストラを鑑賞しながら、私達はその辺の草むらにいた。

 直に座ると白いスーツが汚れるので私はバスドラの上に腰掛けているが、九十九姉妹はあまり気にならないようだ。

 弁々は尻をついて座り込んで手酌で一杯やってるし、八橋に至っては地面にごろんと寝ころんでにこにこしている。

 

「貴方達、私とロックンロールしない?」

 

 私のストレートな勧誘に、弁々は口元に酒を運ぶのを一旦止めて「ロックンロールって何なの?」と言うと、安酒を喉に流し込んだ。

 

「いや、何って聞かれても、音楽のジャンルだけど」

「どんな音楽なの?」

「早くてうるさくてかっこいい奴よ」

 

 一番大事なのはかっこいいという事だ。かっこいいのものはロックンロールだ。

 弁々は意味が分からないという顔をして、空になった猪口に酒を注いだ。

 

「鳥獣戯楽と、どこが違うわけ」

「あれはパンクロックよ」

「ロックンロールとパンクロックは違うの?」

「微妙に違うわね」

 

 私の中ではロックンロールとパンクロックは微妙に違う。違いが微妙過ぎて上手く説明出来ないが、とにかく違う。

 納得いかなそうな弁々が「あんた解る?」と八橋に声を掛けると、ふやけた声で「いやあ、私わかんないなあ」と返事が返ってきた。

 呆れた事に、私が来た時から八橋はこうだ。既にべろべろになっていた。

 頬を朱色に染めてごきげんそうな八橋の顔を見て、私は何故かピンと来た。

 

「ロックンロールは自由の音楽よ。パンクロックは反逆の音楽だから違うわ」

「そういうもんかな」

「そういうものよ、そして私達にぴったりの音楽よ」

 

 私はバスドラから飛び降りて、ビーターを付けた特製ブーツで地面を踏みしめた。

 雑草の柔らかい感触が足下に伝わった。確かにこの感触なら、大の字になって寝てもいい。

 

「私達はあの異変で自由を得た楽器達よ。そんな私達だからこそ、ロックンロールしなければならない」

 

 私を見上げる弁々の菫色の目が、少し真剣になり、「自由か」と呟いて猪口の中の酒に目を落とした。

 そうして彼女は猪口の中身を一気に飲み干して「それもいいかもね」と、今度はさっきよりもはっきりと口にした。

 

「私と八橋はさ、今、平家物語とかやってるの」

「また渋いわね」

「そりゃあ琵琶と琴だからさ。それで、人里でお座敷なんかやってるんだけど」

 

 私は小さく頷いて、無言で先を促す。

 

「何か、もっと色々弾けてもいいかなと思ったんだよね。せっかく自由になれたわけだしさ」

 

 そう言って弁々は徳利を頭の高さまで持ち上げて振り「雷鼓さんも呑まない?」と妹よりは多少ましな赤い顔で笑いかけた。

 彼女の隣りまで歩いて、ジャケットの内側からハンカチを取りだして地面に敷き、そこに腰を下ろす。

 ハンカチ越しに座った地面は柔らかく、思ったよりもひんやりしていた。

 

「気障だなあ」

「白いスーツは汚れてないのがかっこいいのよ」

 

 弁々は白くて綺麗な手で、ぎりぎりまで注がれた猪口を私に手渡した。

 口元に持っていった時、安酒特有の甘すぎる匂いがした。

 

「それで、貴方はどうするの?」

「私はロックンロールしてもいいかなと思ったよ。自由っていいもんだしね」

 

 弁々は直接徳利から喉を鳴らして酒を呑んだ後、酒で潤んだ目で私の事をしっかり見て「こうやってお酒も楽しめるし」とウィンクしてみせた。

 

「大酒を飲むのはかなりロックンロールよ」

「じゃあますますやってもいい」

 

 猪口と徳利で乾杯をしたが、少し勢いが良さ過ぎて、猪口から零れた酒が私の手を濡らした。

 私は八橋の意見を全く聞いてない事を思い出し、さっきから一言も喋らない彼女に言った。

 

「八橋、貴方はどう?」

 

 白いシャツに包まれた八橋の右手が、掌を宙に向けて掲げられ、それを見た八橋は「賛成ってこと?」と問い掛けた。

 

「いや、月が掴めないかなと思って」

「何よそれ」

「届きそうだなー、って思ったから」

「それは最強にロックンロールね」

 

 立ち上がって八橋の隣りまで歩き、首を真上に向けて右手を掲げる。

 私の目に、少し上の方が欠けた月が柔らかい光を放つのが映った。

 

「貴方はロックンロールの素質があるわ」

「じゃあ私もやる。ロックンロールやる。姉さんもやるんでしょ?ロックンロール」

 

 そう呼びかけられた弁々は「当たり前じゃないの」と言って勢い良く立ち上がると私の隣りにやってきて、同じように月を掴もうとした。

 

 

 ○○○

 

 

 帰るのが面倒くさくなった私は、そのまま九十九姉妹の家に泊めてもらった。

 二人はお座敷で稼いだ金で、人里の外れに小さな家を借りていた。

 私は妖怪の山の近くに建っている、河童が使っていたと思しきガレージに勝手に住み着いていた。スクワッターは伝統的なロックンロールスタイルだ。

 格好付けずに言うと、住居不法占拠のロクデナシだが、ロクデナシはロックンロールに通ずる。同じ「ロ」で始まるんだから間違いない。

 適当に布団を引いて雑魚寝していた私達は起きた後、すっかり酒臭くなった布団を畳み、車座に座って第一回バンド会議を実施した。勿論、酒はある。昼酒を呑むのは相当ロックンロールだ。

 会議の議事進行は、私の役目だった。

 

「では只今より、第一回ロックンロール会議を始めます」

 

 既に酒を飲んでいる事もあって、九十九姉妹の拍手は力強かったが、リズムは雑だ。

 何となく落ち着かない気分になった私は言葉を続ける。

 

「それではまず、パートを決めます」

「はい!」

 

 元気な返事で勢い良く八橋が手を挙げる。

 

「はい、八橋ラモーン、どうぞ」

「パートって何?あとラモーンってセンスないと思う」

「私のセンスは置いといて、担当する楽器の事よ」

「琴でいい?」

「駄目です」

 

 私の答えを聞いた八橋は手を下ろすのと肩を落とすのを同時にやった後、白いお猪口からお酒を勢いよく飲み干し、酒臭い息を吐いた。

 

「なんで琴を差別するのよ!」

 

 今にも掴み掛かって来そうな勢いで、八橋は口を尖らせて私に抗議した。

 どうにも行き違いがある。私は一切琴を差別する気はない。差別主義なんて最高にダサくてかっこわるい。

 しかしロックンロールは形から入るのが正統派だ。

 一応、ギターとベースがいいと私は思っている。

 

「普通のロックンロールなバンドに琴はいません」

「はい」

 

 そこで弁々の手が静かに挙がる。

 

「はい、弁々ウルフ、どうぞ」

「ロックンロールって自由なんでしょ?だったら琵琶と琴でもいいじゃない。あと雷鼓さんのセンスはおかしいと思う」

 

 弁天様の代理と言っても通りそうな、弁々の綺麗な顔を見ながら考える。

 仰る通りかもしれない。ロックンロールが自由ならギターとベースの代わりに琴と琵琶で演奏してもいい気がする。

 色とりどりのスポットライトの光が落ち、濛々と立ちこめるスモークの中で微動だにせず、琴をつま弾く八橋を想像した。

 次いで、ミラーボールの乱反射する白い光に照らされ、アンプの上に昇って狂ったように演奏し、ばちを客席に投げる弁々を想像してみた。

 かなりロックンロールな光景だ。この世界において、恐らく唯一無二のロックンロールバンドだ。

 しかし、問題が一つある。勿論、私のセンスではない。

 

「悪くないと思ったんだけど、一つ問題があるわ」

「何よ、どんな意地悪言うの?」

 

 琴はいません、の後から八橋は不機嫌そうな顔をしている。

 これを言うと更にへそを曲げそうだが、どうしても言わなければならない。

 

「ロックンロールっぽい音が琴や琵琶じゃ出ないのよ」

「それだけ?」

「いや、かなり重要な問題なのよ」

「いやいや、全然問題ないってば」

 

 いきなり徳利を掴んだ八橋は立ち上がり、腰に手を当てて一気に飲み干すと「本気出しちゃうから」と白い歯を見せて笑った。

 彼女の真っ黒なスカートの周りに七本の赤い光線が浮かび上がり、両手の指には真っ赤なマニキュアを塗ったようにツヤのある琴爪がいつの間にか付いていた。

 八橋は一番上の弦を軽く人差し指で弾く。にゃあ。

 次いで下から二番目の弦を同じように弾く。ほーほけきょ。

 

「何でよ」

 

 思わず発してしまった疑問に、八橋は一番上の弦の左端の方に小指の爪をかけた。ばうばう。

 

「私と姉さんの能力はこういう能力よ」

「良く解らないんだけど」

「自分達で音が出せるの」

 

 言われてみると、部屋に響いた音は琴にしては大きかったし、この部屋のどこを見回してもアンプはない。

 しかしそれ以前に何故動物の鳴き声なのか。

 

「どんな音でも出せるの?」

「自分達が知ってる音ならね」

 

 そう答えた八橋は持ちっぱなしにしていた徳利を畳に置き、両手を頭上で組んで一つ伸びをした。

 彼女の両手が赤い弦の上に戻ると、不規則に弦の上で動き回り、細長い指は一本一本が別の生き物のように弦を弾いた。

 小川のせせらぎ、生い茂った木が風に揺れる音、とんびの鳴き声。彼女は森の中の音を完璧に再現してみせた。

 私と一緒にそれを鑑賞していた弁々も立ち上がって、白塗りの壁に立て掛けた金蒔絵が施された琵琶の胴を取り上げた。

 ネックの代わりに取り付けられた、金色の鎖の先についた腕輪を左腕の手首より少し先の辺りで止め、金具で締める。

 胴から四本の赤い光線が手首に向かって伸び、左の掌からはみ出すぐらいの長さになった。

 静かに目を閉じた弁々は、妹の演奏に合わせて、雨の音を演奏した。

 水滴が地面に落ちた枯れ葉を打つ音から雨足が強まり、遠くの方で雷鳴が聞こえ、やがて滝のような土砂降りになった。

 私は九十九姉妹の演奏に圧倒されながら、湿っぽい森の中の様々な匂いを嗅いだような錯覚に襲われた。

 

 

「どう、こんな感じ」

 

 落雷が大木をへし折る音で演奏を締め、額の汗をシャツで拭いながら八橋が言った。

 

「完璧じゃない」

 

 彼女達は「知ってる音なら出せる」のだから、後はロックンロールなバンドの音を聞けば、完璧にそれを再現出来る。

 九十九姉妹は超高性能なアンプとエフェクターを内蔵した、最も新しいスタイルの琵琶と琴だった。

 腕輪の金具を外し、壊れやすい硝子の器を扱う手つきで壁に琵琶を立て掛けた弁々は畳に腰を下ろし、酒で喉を潤した。

 小さく息を付いた彼女は、少し照れくさそうに笑った。

 

「止めてよ、演奏に完璧なんてないんだからさ」

「じゃあ、極めてロックンロールだった、でいい?」

「それでいいよ」

 

 私の酒を継ぎ足しながら弁々は嬉しそうにし、私もその顔を見て嬉しくなった。

 

「ちょっと二人とも、私の分残ってるの」

 

 一足遅れて座り込んだ八橋が徳利に手を伸ばす。爪は綺麗なピンク色で、琴爪は既に付いていなかった。

 鶴の絵が入った徳利を高く掲げて、彼女は声高に叫んだ。

 

「ロックンロールに乾杯!」

 

 

 ○○○

 

 

昼酒を飲んでいるうちに寝てしまった私はそのまま九十九姉妹の家でもう一泊し、翌日、彼女達を私の住むガレージに招待した。

 流石に三日も泊まるのは気が引けるし、私のガレージならどれだけ大きな音を出しても問題ないので練習するにはぴったりだ。

 それに幻想郷にひっそりと流れ着いたロックンロールな物を拾い集めてあるので、ロックンロール勉強会が出来る。

 大きなシャッターの付いたコンクリートの四角い建物を見て、二人は目を丸くした。

 

「こんなところに住んでたんだ」

 

 どこか呆れたような調子の八橋の声を背中に受け、銀色のシャッターの前にしゃがみ込んで鍵を回す。

 鍵が半回転して、固い金属の音を立てた。力を込めてシャッターを持ち上げると、がらがらと音を立てながら開いた。

 一足先に中に入った私は、左手で入り口側に取り付けられたスイッチを押すと、天井から吊された裸電球達が黄色っぽい灯りをガレージ全体に落とす。

 

「こりゃ凄い」

「なんか、かっこいいね」

 

 九十九姉妹は首を左右に動かして、私のガレージを隅から隅まで確認している。

 幻想郷には色んな妖怪が住んでいるが、こんな暮らしをしているのは私だけだろう。

 大小様々なアンプ、スタンドに立てたギターとベース達。愛しのドラムセットは毛布を被ってお休み中。

 穴が開いたのをテープで塞いだ黒いソファー、バネが軋むパイプベッド、木製キャビネットのデカくて素敵なロックンロール・ラジオ。但し、幻想郷にラジオ局はない。

 そこかしこに積まれたカセットテープや外の世界の本。左のフリッパーが動かないピンボール。剥きだしのコンクリートの壁はロックスター達のポスターで埋め尽くされている。

 ヤニでクリーム色になったチェッカーフラッグ柄のバーテーブルと揃いのスツールを二人に勧め、私はラジオの下の緑色の冷蔵庫を開ける。

 妖怪が冷蔵庫なんて滑稽かもしれないが、これがあれば冷えた酒がいつでも楽しめる。先日拾ったウィスキーを取りだし、隣りの食器棚から大きさがバラバラなグラスを三つ取る。

 冷凍庫から氷を取りだして、適当にグラスに放りこむと、二人が待つテーブルに戻り、スツールに腰掛けた。

 ウィスキーの口を切って、三つのグラスに琥珀色の液体を注ぎこんだ時、ぴしりと氷の割れる音がした。

 でこぼこになったグラスを手に取り、弁々は鼻の下に近づけて匂いを確認する。

 

「強そうだね」

「ロックンロールな飲み方よ」

「酒の飲み方も関係あるの?」

「あるわ。ロックだから」

 

 私は小さく咳払いして、厳かに言った。

 

「それでは第二回ロックンロール会議を開催します」

「乾杯は?」

 

 見たことのない酒の味が気になるのか、前回の馬鹿騒ぎが楽しかったのか、八橋は待ちきれないと言った顔をしていた。

 もう一つ咳払いをして、私は「それではロックンロールに乾杯!」と声を張り、グラスをテーブルの中央に差し出した。

 割れんばかりの勢いで三つのグラスが衝突し、危なっかしい音を立てた。

 匂いも嗅がずに一気にグラスを空にしようとした八橋が盛大に酒を吹き出し、飛び散った飛沫が私のスーツに薄茶色の染みを作った。

 大きく咽せ帰りながら八橋は「めちゃくちゃ強いじゃない!」と涙目になりながら言って、その後でまた咳き込んだ。

 

「匂いも嗅がずに飲むからよ、お馬鹿」

「仕方ないわね、水割りにしましょ」

「それもロックンロールなの?」

 

 弁々の質問に「ロックだと仮定するわ」と答え、私はキッチンに向かった。

 ついでにハンカチに水を含ませ、ジャケットを叩くと、ウィスキーはすぐに落ちた。

 

 

 ○○○

 

 

 最初に話題になったのは、私のガレージの事だった。

 何故ここを選んだのかとか、どこからロックンロールアイテムを手に入れたのかとか、そんな話だ。

 私はドラムの付喪神なので、演奏の練習をするとでかい音が出る。

 そこで、人の寄りつかなそうな河童のガレージに住み着いた。前の持ち主は、ずぼらなのかお人好しなのか知らないが、電気も水も止めていなかったのも好都合だ。

 おかげでたるんだテープの音に合わせてドラムを叩く事も出来るし、練習の後は狭いシャワールームで汗を流す事も出来る。

 九十九姉妹は会話の最中、何度もガレージの事を「倉庫」と呼び、その都度、私に「ガレージ」と訂正された。

 何故かって?私の知る限りの素晴らしいものは全てガレージで生まれているから。新しいものはいつだってガレージから始まる。

 だからこのガレージに運び込んだ数々の道具達も、イカしたはみ出し者ばかりだ。きっといずれは、私達の妹分になるだろう。

 センスのない人間も妖怪も気が付かないが、外の世界から幻想郷には、ロックンロールな奴等が移住してきているのだ。

 彼等彼女等は当然、私のガレージに住む権利がある。だから暇を見つけてはその辺で拾ってきて、ガレージに連れ帰ってくるのが、私のライフスタイルだ。

 

 

「大分話が逸れたわね」

 

 何杯目かのウィスキーを飲み干した私は、スツールから立ち上がり「ちょっとテーブル片付けて」と酒を飲む二人に声を掛け、ソファの足下に置いたラジカセを拾う。

 その後で、ガレージのあちこちに置かれたカセットテープの中からお目当ての一本を探し出す。

 テーブルに戻ると、酒瓶は足下に置かれ、空になった皿は無くなっていた。

 横長のラジカセはテーブルから少しはみ出し、ギリギリではあるが、何とか乗った。

 

「なにこれ」

「ラジカセよ」

「何に使うの」

「音楽を聴くのに使うわ」

 

 八橋の質問に答えながら、銀色のメッキが剥げた再生ボタンを押し込むと、大音量でロックンロールが鳴り響く。

 慌てて円いボリュームのつまみを捻って、音量を調整する。

 九十九姉妹は始めは少し驚いたような顔をしていたが、すぐにリズムに合わせて身体を揺らしたり、指先を動かして、フレーズを確かめようとした。

 私のカセットテープコレクションの中でも、お気に入りの一本だ。独自の研究によれば、外の世界でバンドを結成する場合、このバンドの曲のコピーから入るらしい。

 ロックンロールは形から。そういう意味でも、このテープは二人に聴いてもらいたい。

 

「いいじゃない、この曲」

 

 酒精を含んだ、うっとりした声で弁々が言う。

 

「気に入ってくれた?」

「うん、この太い感じの音もいいし、歌詞もいい。さっきの『終わらない歌』だっけ?あれは凄く良かった」

「解ってるじゃない」

 

 ちょっと納得がいかなそうな顔で八橋が私達のやりとりに口を挟む。

 

「その曲かなあ」

「他に気に入る曲でもあった?」

 

「私はこの、じゃーんって感じの音が好きだな。歌詞だったら『千のバイオリン』の方がピンと来たかな」

 

 九十九姉妹はあれこれとやりとりしながらも、熱心に曲を聴いていた。

 やがて、終わらない歌が終わってしまい、ラジカセからボタンを跳ね上げる固い音がして、ガレージは静かになった。

 私はグラスを小さく揺すり、溶けかけた氷を小さく鳴らした後、本題を切り出す。

 

「まあ、私はこういう感じのをやりたいのよ」

「私賛成!」

 

 ポップでキュートな笑顔と声で、八橋がグラスを高く掲げる。

 

「私もいいと思うよ」

 

 床に置いた酒瓶を拾い上げた弁々がそう言いながら、自分のグラスにお代わりを注いだ後、私達の分も入れてくれた。

 

「それで、さっきの音の話なんだけどね。じゃーんの方がギターで、太い音の方がベースよ」

「じゃあ姉さんがベースで、私がギターって事でいいかな」

「弦の数もだいたい同じだし、いいんじゃない」

 

 普通のギターは六本弦だが、七本弦のものもある。そういう細かい事に拘るのはロックンロールじゃない。

 フィンガーピックなんてのもあるから、全く問題無い

 コードを押さえて弾く姿がちょっと想像つかないが、多分、大丈夫。どうやってミュートするのかも謎だが、恐らく、大丈夫。

 ロックンロールは何とかなる。

 

「ベースってのも四本弦?」

「四本弦よ」

「ばち使う?私、ばち使って演奏できないんだよね」

「それはロックンロールね。でもベースは指弾きがかっこいい事になっているわ」

「じゃあ私かっこいいじゃん」

 

 誇らしげに、弁々は胸を張る。

 彼女は恐らく世界でただ一人のスラップ奏法を使う琵琶奏者だ。唯一無二はロックンロールだ。

 もし残念な点が一つあるとしたら、ピック投げが出来ない事ぐらいだろうか。

 

 

 ○○○

 

 

 その後、私達はラジカセを酷使して、耳コピをした。

 ありったけのテープを片っ端から聞き倒した九十九姉妹はロックンロールサウンドを我が物にした。

 鴉の鳴き声すらない静かな夜に、大音量でロックンロールが鳴り響き、満足した私達はもう一度飲み直して寝た。

 翌日、九十九姉妹は一度自宅に帰った後、着替えと枕を持って私のガレージに戻ってきた。

 話し合った結果、泊まり込みロックンロール強化合宿を行う事にしたのだ。

 彼女達は楽器の付喪神だけあって演奏レベルは高いが、ロックンロールの知識が足りない。

 だから私達は画面の左下の映像が変色して映るテレビで映画を見たり、とっくに表紙がなくなった雑誌を読んだり、拾って来た洋服でファッションショーをやったりして、ロックンロールを身につけるべく努力した。

 そんな風に過ごしていたある日、練習前にかっこいいバンダナの巻き方を研究していた八橋が、濃紺のペイズリー柄のバンダナを頭に巻きながら言った。

 

「そろそろ歌を入れてみない?」

 

 私達は全員楽器の付喪神なので、演奏ばかりやっていたし、歌いながら楽器を弾くのは難しいのでボーカルの問題は後回しにしていた。

 ただ、言われてみればそろそろボーカルを入れてみてもいいかもしれない。

 

「そうね、じゃあ今日の練習からオンボーカルでやりましょうか」

「とりあえず、姉さんでいいかな。いつもお座敷で歌ってるの姉さんだったし」

「じゃあ、弁々でいいわ。戻ったら始めましょ」

 

 そう答えて私はネクタイを結び直した。私は絶対にスーツを脱がないし、ネクタイも外さない。それがロックンロールだから。

 しばらくすると、ポマードでがっちり頭を固めた弁々が戻ってきた。

 最近ガレージロックに首っ丈の彼女は、キングが一目惚れしそうなリーゼントをキメて練習に望むようになった。

 

「そろそろ練習始めるわよ」

 

 私はそう言ってスツールから離れ、愛用のバスドラの上にかがみこみ、皮の張り具合を調整した後、ブーツの紐を固く結び直す。

 バンダナからはみ出た前髪を中に押し込んだ八橋は、指先を柔らかく動かし、スケールの練習を素早くする。

 わざわざ革ジャンを着込んだ弁々は、ご丁寧に内ポケットに入れた缶ビールを取りだし、天井を睨むように一気飲みする。

身体の周りに浮かせたシンセドラムの角度を調整しながら私は小さなげっぷをした弁々に言った。

 

「ちょっと今日は歌ってみて」

 

 その言葉を聞いた弁々はサングラスが似合いそうな笑顔を浮かべて小さく頷いた。

 

「じゃあ、曲順はいつも通りで」

 

 私は一呼吸挟み、カウントを取る。そこまでは私の言葉のまま、本当にいつも通りだった。

 私達を正真正銘の悲劇が襲ったのはその直後だ。

 

 

 ○○○

 

 

 目の前は真っ白で、中央に小さな水たまりがあった。

 堅い物に押し当てられて、痺れた腕から頭を持ち上げて周りを見回す。

 少し変色した小花柄の壁紙は張られた狭い空間。私のガレージのトイレだ。

 口の中で舌を動かすと、酸っぱい味がした。

 頭の中でツーバスが乱打されるのに耐えながら、ノブを引いてトイレから出て、洗面台の前に立って電気を付ける。

 蛍光灯の明かりに照らされ、鏡に映った私の顔はスーツと同じような色だった。

冷たい水で顔を洗い、ドアを開けてガレージに戻ると、既に電気は消され、二人分の寝息が聞こえてきた。

 キッチンに置いた電気ケトルでお湯を沸かし、賞味期限をブッちぎったインスタントコーヒーを淹れる。

 今のところ賞味期限切れの食べ物を食べて腹痛を起こした妖怪というのは聞いたことがないので、問題ないだろう。

 濃い目に入れたコーヒーに、何も入れずに口を付けると、苦い味が口の中に広がって、少し頭が冴えて来た。

 背の低いキッチン用の椅子に腰掛けた私は、バンドの未来について考え始めた。

 

 

 私達は、一番お上品な表現を使って言っても、歌がド下手だった。

 普段は綺麗な声で喋り、平家物語を歌い上げてお座敷をやっている弁々はパワフルなスリーコードに合わせて、完全に音程を外して歌った。

 どれぐらい完全だったかというと、本当に、一つも音が合っていないという徹底ぶりだ。

 何を歌っても音程が大脱走する体たらくに、八橋が言った。

 

「姉さん何ふざけてるのよ」

「いや、真面目にやってるってば」

「平家物語はちゃんと歌えるじゃない」

「ロックンロールと平家物語は違うんだよ、難しいんだ」

 

 その言葉を聞いた八橋は弁々を指さし「姉さんに任せてらんないわ。私が歌う!」と宣言し、私に一曲目からのやり直しを求めた。

 彼女の歌声は、普段のすこし子供っぽいところもある笑顔からは想像が付かないデス声で、音程が合っているかどうかが既に判別付かないレベルだった。

 さっきまで姉を会話していた時の声は少し甘い感じの声だったのに、歌った瞬間に何故そうなるのかは理解できない。

 とにかく、私達の求めている方向性の声でないのは間違いなかった。

 

 

 大トリは私だったが、相当ひどい声だったらしい。

 私は精一杯、透明感のある、それでいて骨太なロックンロールに相応しい歌声を出したつもりだが、八橋に言わせると「鶏が絞め殺された声に似てる」らしい。

 抗議しようとした時、弁々が「いや、それは違う」と言って、私の方を申し訳なさそうな顔でちらりと見てから「居眠りしてる猫が踏まれたみたいだった」と何のフォローにもならない事を口にした。

 生まれて初めて、ただの鼓に戻って、黴臭い倉の中で埃を布団代わりにして、ゆっくり寝たいと思った。

 

 

 こうなったら酒を飲むしかない。自分達の声で傷付いた心を癒すにはそれが必要だ。

 私達はガレージにある酒を全部空にする勢いで酒瓶を開けながら、神を呪った。

 私が「私達は楽器だから、歌うのは本業じゃない」と鼻息を荒くすると、八橋は「そうだそうだ!」と膝を叩いて同意し、弁々は「でも私、平家物語なら歌えるし」と反論した。

 そこで姉妹喧嘩が起き、私はそれを眺めながらひたすら酒を飲んだ。そのうちに視線が定まらなくなったかと思うと、喉の辺りに酸味を感じた。

 スツールが倒れる音と九十九姉妹の罵り合う声を聞きながら、トイレに駆け込んだ。そこから先の記憶はない。

 

 

 ○○○

 

 

 二杯目のコーヒーから立ち上る湯気を顔にあて、これからどうするべきか考える。

 バンドを解散するつもりは一切ない。

 私達楽器の付喪神は、音楽に触れていなければ満たされない。食っていけないと言い換えてもいい。

 唐傘お化けが人を驚かせて腹を満たすように、私達は演奏し、人を感動させて腹を満たす。

 普段の練習ではおやつ程度の満足感しか得られない。やはり聴衆の前で演奏しなければならない。可能なら、たくさんの人の前で。

 それが出来なくても九十九姉妹はお座敷で食いつなぐ事が出来るだろうが、私のようなドラムはお呼びではない。そのうち妖力が維持できなくなって、あっさり死ぬ。

 ロックンロールか死か。じゃあ当然、ロックンロールだ。

 

 

 かと言って、歌を練習するつもりもない。

 練習すれば上手くなるのかもしれないが、私達の歌が聴けるものになる頃には長生きで知られるスキマ妖怪ですら墓の下に住所変更しているだろう。

 オーディエンスとバンドは一体なのだから、無人で演奏するのでは意味がない。

 ではどうすればいいか。どこからかボーカルを連れてくるしかない。

 出来れば鳥獣戯楽のボーカル、幽谷響子に負けないようなボーカルが良い。

 生まれて初めて行った屋外ライブは生憎の曇り空だったが、響子の歌声は今にも雲を吹き飛ばしそうな嵐の力強さと、陽炎にも似た儚い響きを合わせ持った声だった。

 どこかにそんな素敵なボーカルがいるのだろうか。

 

 

 衣擦れの音と、ベッドが軋む音がして、続いて足音が近づいてきた。

 暗闇で顔ははっきり見えないが、崩れたリーゼントで弁々だと解った。

 

「おはよう。まだ夜だけど」

「めちゃくちゃ気分悪い」

「ちょっと、トイレ行ってよ」

 

 弁々は食器棚から黄色のコップを取りだして水を一口飲むと、「そうする」と行ってトイレの方に姿を消した。

彼女の背中を見送った後、コーヒーを飲みながら考える。

 幻想郷にいる妖怪達の誰が、私達のバンドに加わってくれるだろうか。

 人里ですれ違った面霊気の横顔はすごく良かったのだが、噂によると口うるさい過保護で過激な保護者が二人居るらしい。

 それなら件の唐傘お化けか。いやいや駄目だ。私達はコミックバンドじゃない。本格派ロックンロールバンドだ。

 そう言えば歌の上手い人魚がどこかに住んでいると聞いた。でも人魚をどうやってステージに上げたらいいんだろう。

 まだ酒が残っているからか、忙しく頭が動く割には考えがまとまらなかった。

 

 

 コーヒーが空になった時、弁々が口元をさすりながら戻ってきて、置きっぱなしにしていたコップを手に取って、勢い良く蛇口から水を注ぎ込んだ。

 

「流石に飲み過ぎた」

「あの後、まだ飲んでたの」

「うん、雷鼓さんがトイレに行った後も喧嘩してたのよ。それで八橋が結局泣いちゃってね」

「ちゃんと慰めてあげたの」

「いや、不貞寝しちゃったから一人で飲んでた」

「最悪の姉ね」

 

 少しバツが悪そうな顔をした後、それを誤魔化すように笑い「そんな事言わないでよ」と言った弁々は水に口を付けた。

 飲み終わったコップを軽く水で洗いながら弁々は言った。

 

「すっきりしたし、もう寝るわ」

「その前にシャワー浴びて、ポマード落とした方がいいわよ」

「それもそうね」

 

 そう言った弁々はクローゼットの前に山積みにした姉妹の服から半袖のシャツとハーフパンツを選び、私の前を通り過ぎてシャワールームに向かおうとした。

 彼女の手にしたシャツの柄がちらっと見えた時、私の見覚えのない柄が目に留まった。UFOと竹藪。

 

「何そのシャツ」

「こないだ八橋が拾ってきたの。結構イカしてない?」

 

 弁々は肩の辺りを持って、シャツの背中側のプリントの図案を私に見えるようにしてくれた。

 

 

 その時、私の頭の中が真っ白になった。

 どこまでも続く真っ白な空間の中央に、サングラスと革ジャンとギターで正装した男が立っていた。

 ダウンストロークで勢い良くワインレッドのギターをかき鳴らし、歪み過ぎてよく解らない爆音が私の耳を打つ。あれはソリッドギターなんてケチな名前じゃない。ソニックジェレネーションだ。

 私が未だ耳にしたことがない、ジェット機を連想させる猛烈なハウリングの中で、男は天を仰いで狼のように吠えた。

 

「かぐや姫ベイベー!」

 

 

 ○○○

 

 

「かぐや姫ベイベー!」

「ベイベー!」

「よく解んないけどベイベー!」

 

 翌日、私達は二日酔いと戦いながら酒を飲んでいた。

 誰を私達のバンドのボーカルを誘うのか決まった祝い酒で、迎え酒も兼ねている。

 昨日か今日かははっきりしないが、弁々が見せてくれた八橋のシャツが決め手だった。

 あのシャツのプリントは、夜空の竹林に舞うUFOを背景にして八割裸のセクシーなお姫姫がこちらを見ていた。

 これだ。これしかない。かぐや姫ベイベー!

 かぐや姫なら絶対に美人だろうし、音痴なわけがない。私が知る限り、完璧なお姫様の筈だ。

 

「でもかぐや姫って居るの?」

 

 私達の中で一番血色のいい八橋が青色のカクテルを飲みながら言う。

 

「居るのよ、それが」

 

 以前、先輩バンドである鳥獣戯楽のギタリスト、ミスティア・ローレライの屋台に飲みに行った事がある。

 小豆色の割烹着を着て、手に持った団扇と背中の羽を忙しく動かして、七輪に風を送っているミスティアは先輩バンドマンとして、あるいは先輩妖怪として、私に様々な幻想郷の話をしてくれた。

 その中の一つに「実はかぐや姫が幻想郷に住んでいる」というのがあった。

 何でもミスティアの屋台を出している竹林の中にある、大きなお屋敷に住んでいるらしい。

 その話が今ひとつ知名度が低い原因は三つある。

 一つ目。かぐや姫はなかなかお屋敷から出てこないので、顔を見たことのある人は殆どいないから。

 二つ目。付き人がいるのだが、それはもう堅物の手強い人物で、屋敷の警備も固いから。

 三つ目。竹林の中を迷わず移動するには案内人が必要だが、今のところ案内人は一人しか居ないので、屋敷に行くのが億劫だから。

 

「そんな人誘って、バンドに入ってくれるのかな」

「それはその場のノリと勢いで何とかなるんじゃないかしら」

 

 八橋の意見も解るが、声を掛けてみない事には始まらない。

 ただ、私はかぐや姫に是非ボーカルをお願いしたい。

 絶対に素晴らしいバンドになる。どんな媒体で調べても、かぐや姫より魅力的なボーカルが在籍するバンドはない筈だ。

 それに私達の演奏が加われば、最高のロックンロールバンドになる。

 

「とにかく前向きに考えましょ」

「そうだね、諦めてても仕方ないし」

「ところでさ、雷鼓さん」

 

 つまみのナッツを口に詰め込んで、かみ砕く音と共に弁々が喋る。

 

「みんなで行くわけ?」

「そのつもりだけど」

「あんまり大人数で押し掛けても迷惑じゃない?」

「考えてなかったわね」

 

 バンドは一心同体だ。

 私は当然、三人でかぐや姫に会ってバンドに勧誘するつもりだったのだが、弁々の意見の方が正論かもしれない。

 

「私行きたいな」

 

 白い手を挙げて八橋が言う。

 

「会ってみたい。かぐや姫」

「まあ確かに」

 

 その後、私達はボロボロになったポスターの裏と太いマジックを使って、あみだくじをした。

 厳正な抽選の結果、私がかぐや姫勧誘の大任にあたる事になった。

 バンマスは私だし、バンドの中では私が一番戦闘能力が高い。

 もし頭の固い保護者と、取っ組み合いや弾幕勝負をやる事になった時の事を考えれば適任かもしれない。

 

 

 ○○○

 

 

 迷いの竹林の近くで営業しているミスティアの屋台を訪れるのは久しぶりだった。

 松虫のバイオリンが特等席で楽しめる小さな屋台は、早い時間の為か、私以外の客は一人だけだった。

 銀髪の少女で、幻想郷の少女にしては珍しい太いズボンを穿いていた。

 白いシャツの上からサスペンダーで吊った赤いズボンを見た時に、私はスキンズなのかと思ったが、スキンズにしてはズボンが太すぎる。

 それに、私よりも少し濃い赤い瞳には下級労働者を思わせるような刺々しさはなく、ある種の知的な色を感じさせた。

 長時間座っていると尻が痛くなりそうな木造の長椅子に座り、八つ目の串焼きと冷や酒を頼む。

 ミスティアは私の顔を見て「あら久しぶり」と言った。

 

「どう、叩いてる?」

 

 串を両手に持ったミスティアは、手首を捻ってスネアを打つ仕草をする。

 

「ガンガン鳴らしてるわ」

「最高ね」

 

 串が白い鰻に突き刺さり、タレで変色したハケが丁寧に濃厚そうな濃茶の液体を塗りつける。

 それは墨で熱された七輪の上の金網に置かれ、タレと脂が弾ける音を立てた。

 ミスティアは傍らに置いた瓶から雀の絵が入ったコップに酒を注ぎ、私の前に置いた。

 

「それで、今日はバンドの事で相談したい事があってさ」

「何よ、早速音楽性の違いで解散しそうとか?」

「縁起でもないわね」

 

 銀髪の少女は我関せずという調子で、私の隣りでコップ酒を煽り、湯気の立つ丼飯を食べていた。

 鰻丼ではなく、何かもっと上等のものを食べるような箸の使い方だった。

 

「前にかぐや姫がこの辺に住んでるって言ってたじゃない」

「ああ、そんな話したわね」

「実はかぐや姫をうちのボーカルにしようと思って」

「それは止めた方がいいね」

 

 少女が初めて口を開いた。

 ズボンのポケットからハンカチを取りだして口元を拭い、ハンカチを綺麗に畳んでポケットに戻し、私の方を真顔で見る。

 

「あんなのをバンドに入れるのはお勧めじゃない」

「知り合いなの?」

「そこそこ長い付き合いだよ」

 

 そう言った少女はミスティアに「もう一杯頂戴」と声を掛け、お代わりを注いでもらった。

 透明な液体がグラスを満たす。

 

「紹介してくれって頼んだら、紹介してくれる?」

「一応、そういうのを仕事にしてるからいいけど」

 

 ギリギリまで注がれたコップ酒に口を付け、一口啜った少女は「でもあんまりお勧めしないよ」と笑った。

 

 仕事をお願いするにあたって、私達はお互いに自己紹介をした。

 私の隣りに座っていた彼女こそが、迷いの竹林の案内人、藤原妹紅だった。

 これはもう、かぐや姫をバンドメンバーに入れろというロックンロールの神のお告げだとしか思えない。

 妹紅に言わせれば「私が知る限りで最高のろくでなし」なのが、かぐや姫こと蓬莱山輝夜だという事だった。

 ロクデナシ、いいじゃない。それはきっとロックンロールだ。

 

「どんな風にロクデナシなの」

「部屋に引きこもって、ひたすら盆栽に水やりしてる」

 

 どうにも私の考えるロクデナシとは違うようだった。

 セックス、ドラッグ、ロックンロールではない。いや、かぐや姫なんだからセクシーに決まってる。だからセックスはクリアだ。

 

「他に何かしないの?」

「私と殺し合いしたりとか」

「弾幕勝負?」

「いや、本気の殺し合い」

 

 そう言って妹紅は何が面白いか解らないが、とにかく笑った。

 この上品な銀髪の少女と、漆黒の髪の十二単を着たお姫様が、大邸宅の一室で襟首を掴んで殴り合うのを想像してみた。

 硯が吹っ飛び、掛け軸が宙を舞う。高そうな壺が割れる音がする。圧倒的にロックンロールだ。

 

「ロックンロールね」

「そうなの?」

「ロックンロールもロクデナシも同じよ」

「知らないよそんな事」

「同じ「ロ」で始まるじゃない」

 

 妹紅は「阿呆くさ」と言って、肩をすくめた。

 七輪の上で香ばしい匂いをさせていた鰻が白い皿の上に移され、私の前に置かれる。

 皿の上に顔をやって、暖かい湯気から立ち上るタレの焦げた匂いを楽しむ私にミスティアが笑いながら言った。

 

「妹紅さんにロックの話しても駄目よ、この人そういうセンスがないから」

「なんか傷付くな」

 

 心外そうな表情をした妹紅が酒を飲みながら答えた。

 

「だって、そうじゃないですか。前にギターあげたのに、妹紅さんがギター弾いてるって話は全然聞きません」

「押しつけた、でしょ」

「あげた、ですよ」

「「縁起が悪いから」なんて前置きされたんだから、押しつけたの方だ」

 

 そう言った後、二人はやいのやいのとお互いにやりあう。

 私はあつあつの鰻丼をむさぼり食いながら考えた。妹紅を誘ってみてもいいかもしれない。

 この長い銀髪を振り回しながら脂っこいリフを弾いたら、さぞかし黄色い歓声が飛ぶだろう。

 口の中に詰め込んだものを飲み下した後、私は言った。

 

「貴方、私とロックンロールしない?」

「いや、遠慮しとく」

「せっかくギター持ってるんだから、勿体ないじゃない」

「私はちゃんと案内人の仕事をやってる真っ当な人間だからね、ろくでなしじゃない」

 

 その言葉にミスティアが「私は屋台とロックを両立してますよ」と応じ、私達二人のコップに酒をつぎ足した。

 

「でも輝夜さんを誘うのは難しいかもね」

「気むずかしいの?」

「お目付役がいるんだけど、もの凄くおっかない人よ」

「しかも凄い堅物だよ。ロックなんて柄じゃない」

 

 ステレオ音源で私に忠告がなされた。

 おっかない付き人の名前は八意永琳。大昔、月からやってきた薬屋。

 薬屋が何でかぐや姫の付き人をしているのかは解らないが、妹紅は「まあ、色々あるんじゃない」とだけ言った。

 その後、彼女が昔しでかしたという事を教えてくれた。

 かぐや姫の所に大挙して押し寄せた月に住む悪い虫を、まとめて皆殺しにして逃亡したとの事だった。

 何となく、ホッケーマスクを被ってチェーンソーを振り回す大柄な筋肉質の女性を連想した。

 

「めちゃくちゃバイオレンスね」

「でしょ?輝夜も永琳もそういう奴なんだよ。だから私はもう一回だけ、お勧めしないと言っておく」

 

 何だってそんな物騒な奴が薬屋をやっているのかは謎だが、考え方を変えてみると、永琳はそれなりに反省しているのかもしれない。

 殺してしまった悪い虫達の魂の救済の為、薬を作って恵まれない人々を助けてやっているとか。

 札付きの悪人が何かを悟って、良い事をするのは紛れもないロックンロールだ。

 それに彼女は薬屋だから、ドラッグだ。セックス、ドラッグ、ロックンロール。完璧じゃない。

 

「ロックンロールの解る私は、それぐらいで引き下がらないわよ」

 

 決めた事をちゃんとやるのは、言うまでもなくロックンロールだ。私は妹紅に輝夜を紹介してもらう事にした。

 

 

 ○○○

 

 翌日、枯れ落ちた笹の葉を踏みしめて、竹林の細い道を歩き、輝夜の住む永遠亭に二人で向かった。

 鬱蒼としげる竹林の奥に立てられた永遠亭は黒い瓦を敷き詰めた、見事なお屋敷だった。

 威圧感を感じるほどの大きな門を潜り、石畳を歩き母屋の方に向かおうとすると、妹紅が言った。

 

「そっちは病院だから」

 

 妹紅は白い玉砂利の敷き詰められた庭の方を指差した。

 

「ここを抜けて裏口からお邪魔しよう」

 

 二人で玉砂利の海に足跡を残し、固い音を鳴らしながら大きな建物を迂回して裏口を目指す。

 背の低いウサ耳少女達が賑やかに駆け回る中庭を通り過ぎ、小さな勝手口に前に立った。

 妹紅が三回ドアを叩き、木製のドアは乾いた軽快な音を立てた。

 扉の向こうから足音が聞こえ、ドアが開いた。

 

「はいはい」

 

 ドアを開けたのは、ウサ耳を付けたブレザーの少女だった。

 スーツ派の私は何となく親しみを覚えた。

 ウサ耳ブレザーはかなりキャッチーだし、私と同じ赤い瞳をしている。

 

「今日は何の御用です?」

「何かこの子が輝夜をバンドに誘いたいんだって」

 

 妹紅が私の事を目で指し示す。

 ウサ耳少女は狐に摘まれたような顔をして、ちょっと間抜けな声を出した。

 

「え、姫様をバンドに誘うんですか」

「どう思う」

「大分無理があるような……」

 

 そこで押し黙ってしまった彼女は私を見て、再び口を開いた。

 

「正直、師匠がお許しになるとは思えないんですが」

「ロックンロールは諦めないわ」

「多分断られますよ」

「ロックンロールは不可能を可能にするのよ」

 

 一つ溜息をついたウサ耳少女は「師匠に報告してきます」と言って、私達を畳敷きの一室に案内し、どこかへ行った。

 私と妹紅は臙脂色の座布団に座り、卓袱台の上の饅頭を食べながら話をした。

 

「師匠、っていうのが永琳?」

「そうそう、ここにいる兎達はだいたい彼女の弟子みたいなもんだよ」

 

 だとすると永琳というのはどんな女性なのだろうか。

 ウサ耳少女に制服を着せるとは、とてつもないセンスの持ち主だ。

 実はあんまり虐殺を反省しておらず、相変わらずホッケーマスクを被ってこの世の春を楽しんでいるのかもしれない。

 そんな事を考えていると、襖を叩く音がして、静かに開かれた。

 

「姫様のお支度が整いましたので、こちらにいらして下さい」

 

 

 ○○○

 

 

 屋敷の名前に相応しい、どこまでも続きそうな長い廊下を歩き、雁が書かれた襖に突き当たると、ウサ耳少女は襖を音も立てず襖を引いた。

 手で入るように示す。

 出来るだけ静かに入ると、もの凄く広い畳敷きの部屋だった。

 奥の方にはちょっとした段差があり、そこに部屋の広さに合わせた馬鹿みたいなサイズの簾が天井から下げられており、その傍らには銀髪の女性が座っている。

 多分、この人が八意永琳だろう。そうでなければあの服装が説明が付かない。

 赤と青を豪快に組み合わせたミス・ユニオンジャックと呼んでやりたくなるようなナース服みたいなのを着ている。しかも似合ってる。

 妹紅の言うような本格派キラーマシーンであれば、いっそ、ホッケーマスクなんかよりもこれぐらいブッ飛んでる方がお似合いなのかもしれない。

 妙に納得した私に、永琳が言った。

 

「こちらにどうぞ」

 

 銀色の髪の毛と同じ、不純物のない金属の固さを思わせる声だった。

 彼女の声に応じ、私は簾の方に向かって歩いていき、ほどよい近さだと思うところで正座する。

 正座なんか滅多にしないが、永琳の目はここで胡座を掻いたら、即座に私の事を殴り倒しそうな迫力があった。

 簾の奥には人影がある。恐らくこの向こうに輝夜がいるのだろう。

 もの凄くめくりたい衝動に駆られたが、それをやると多分、いや、確実に殺されそうな気がする。

 

「私は八意永琳。蓬莱山輝夜姫のお側に仕える者よ」

 

 「やっぱり」と言いたいが、そんな事を言える相手ではなかった。

 私の顔を厳しい目で見て、永琳が言った。

 

「まず、貴方の名前を伺おうかしら」

 

 一つ息を吸い込んで、眉間の辺りに背一杯の力を込めて言う。

 

「雷鼓ストラマーよ」

 

 これは私なりの決意表明だ。

 ストラマーは外の世界の言葉で「月に挑む者」の意味がある。少なくとも私はそう思っている。

 かぐや姫をロックンロールの世界にお誘いする者の名前としては絶対にこれ以上のものはない。

 一つ鼻を鳴らした永琳は、小馬鹿にするような顔をして言った。

 

「私は冗談が好きじゃないのよ。特に下手な冗談はね」

「……堀川雷鼓です」

 

 銀色の目に射すくめられて、つい敬語になってしまう。不甲斐ない。

 しかしここでビビって引き下がるのはロックンロールじゃない。

 

「それで、貴方は姫様をバンドに誘おうとしていると聞いたのだけれど」

 

 話を切り出そうとしたところ、機先を制するように言われた。

 

「ええ、そのつもりでこちらにお邪魔しました」

 

 永琳の整った顔が、人の悪そうな笑顔になる。

 

「条件があるわ」

「何ですか」

「今から出す難題に答える事」

 

 一拍置いて「かぐや姫にお願いするんだから、当然でしょ?」と永琳は言った。

 言われてみれば、確かに当然かもしれない。

 簾の奥にいるのは大昔も今もトップアイドルのかぐや姫だ。

 一体何を要求されるのだろうか。

 残念ながら私はしがない貧乏ロックンローラーだから貢ぎ物を用意する事は出来ない。

 

 

「ロックンロールって何かしら?」

 

 思いも寄らぬ難題だった。

 相変わらず人の悪そうな笑顔を浮かべたままの永琳が言葉を続ける。

 

「この問い掛けに、姫様が納得できる答えを出しなさい」

 

 途方もない難題だ。

 ロックンロールの定義なんてどこにも存在しない。ロックンロールの定義をする事そのものがロックンロールではない。

 多分、ロックンロールとはそういうものではないのだ。

 しかも、かぐや姫が納得できるようなイカした答えでなければならない。

 「音楽の一ジャンル」とかいう安直な答えが許されるとも思えない。

 思わず唸り声を挙げた私を見て、永琳は楽しそうに「チャンスは一度だけよ」と言った。

 

「少し時間を貰えませんか」

「あんまり長くは待てないわよ」

「バンドはみんなで一つです。仲間達と相談したい」

 

 私の答えを聞いた永琳は手首に巻いた、細い銀色の腕時計を眺める。

 

「明後日の夜に答えを聞かせてもらうわ」

「ちょっと短すぎますよ」

「明後日は満月の晩よ。ぴったりでしょ?」

 

 それなりに哀れっぽい声を出したつもりだったが、全く通用しなかった。

 永琳の銀色の目は「諦める?」と無言で問い掛けているが、ここで諦めるぐらいならストラマーなんて言えない。

 ストラマーは月に挑む者だ。それを名乗った私はこの難題に挑む義務がある。

 私は永琳と簾の奥に居わすかぐや姫に礼を言い、「三日後の夜に必ず来る」と約束して立ち上がった。

 慣れない正座で痺れた足を引きずりながら、襖の方に向かう私に聞いた事のない声が呼びかけた。

 

「期待しているわ」

 

 あまりに美しい声に後ろを振り返ると、小さく簾が揺れた。

 その声は、私が今まで聞いたどんな音とも違っていた。

 月の石を削りだして作ったフルートなら、こんな風に響くのかもしれない。

 顔は見えなくても、簾の向こうにいるのはかぐや姫当人だと確信できる声だった。

 私は絶対に彼女を掴む。決意を新たにして襖に手を掛けた。

 

 

 ○○○

 

 

 私の話を聞いた妹紅は「そりゃ無理難題を吹っ掛けられたね」と、私に同情し、一足先に残念会として屋台で奢ってやると言った。

 タダ酒は有り難いが、私にはやるべき事がある。

 琵琶シストの弁々と琴リストの八橋と、かぐや姫に通用するロックンロールを考えなければならない。

 あの二人は、私の帰りを今や今かと、ガレージで練習をしながら待ちわびている筈だ。

 無事に輝夜がバンドに加盟した暁に、祝勝会をやってくれと言うと「それは無理じゃないかな」と妹紅は言った。

 

「私にはロックは解らないけどさ、そういうのって答えがあるものじゃないでしょ」

「ま、そうね」

「体のいいお断りだとは思わないの」

「思わないわね。かぐや姫相手なんだから」

 

 私の答えを聞いた妹紅は不満げに「引き際が肝心だと思うけど」とも「あんまり拘ると痛い目見るよ」とも言った。

 舞い散った笹の葉を踏み鳴らして、竹林を出口に向かって歩き、やがて竹の密度が徐々に減り、開けた空間に出た。

 

「貴方はロックンロールって何だと思う?」

「私はロックは解らないからなあ」

 

 そう答えた妹紅は「でも和歌の事なら少しは解るんだけどさ」と言って、語り始めた。

 

「私は父さんに歌を習ったんだけどさ。父さんが言ってたんだ」

 

 彼女の赤い瞳はどこか遠く、昔の風景を思い浮かべる色をしていた。

 妹紅の事を私はよく知らないが、口振りでは幻想郷の中でもそれなりに長生きしている部類のようだ。

 少なくとも生後一年に満たない私よりも、多くの出会いと別れを繰り返している。

 

「歌にしたい事があるから、歌を詠むんだって」

「歌にしたい事、ねえ」

「だからさ、ロックも多分、そういう事があるんだよ。歌いたい事って言うか、伝えたい事って言うか」

 

 急に照れくさそうな顔をした妹紅は顔を赤くして「柄にもない事を言ったかも」とこめかみを掻く仕草をしながら笑った。

 私は生きる為にロックンロールする事を選び、自由の価値を世界に伝えたいと思う。

 自由である事は、とてつもなく大事な事だ。

 

「自由の為、じゃ駄目かしら」

「私ならそれでいいと思うけど。輝夜相手だからなあ」

 

 そう言った彼女は「あいつ結構自由に生きてるから」と苦笑した。

 恐らく、私の考え方は間違っていない。ただ、もっとかぐや姫の心を揺さぶる言葉があるに違いない。

 それが何なのかは、まるで見当も付かないが、どこかにある筈だ。

 妹紅は一杯飲んで帰ると言い、最後に私の手を取って「上手くいくといいね」と笑って激励してくれた。

 

 

 ○○○

 

 

「それでは第一回緊急バンド会議を始めます」

 

 テーブルの上には紙とペンだけで、酒はなし。

 ロックンロールを定義する重大会議なのだから、そんな事をしている暇はない。

 まず、口々に自分がロックだと思うものを言い合い、手元の紙に書き殴っていく。

 酒、自由、煙草、爆音、一気飲み、革ジャン(本革に限る)、バイク、ダウンピッキング……。

 あっという間にかすれた黒いマジックで紙は埋め尽くされたが、ピンと来るものは一つもなかった。

 バイクは今まで見掛けた事はないし、煙草は流石にかぐや姫は吸わないだろう。私達も匂いがつくのが嫌で吸わないし。

 

「あんまり良い答えが出ないわね」

「答えがあるもんじゃないしね」

 

 腕組みをして険しい顔をした弁々が私の言葉に答える。

 妹紅と同じ事を言っているが、それは本質的にロックンロールがそういうものだという事を示している。

 またしばらくお互いに三人で意見を出し合う。

 金髪、棒付きキャンディー、レコード、ラバーソール、髑髏の指輪、豹柄、ボーリング……。

 

「お母さん!」

 

 元気いっぱいな八橋の言葉を聞いて、私と弁々は顔を見合わせた。

 お母さんはロックンロール。かなりインパクトのあるフレーズだ。

 

「お母さんてあんた、どこがロックンロールなのよ」

「え、だって私達のお母さんはもの凄いロックンロールよ」

「お母さんって、正邪の事?」

 

 私の質問に「そうそう」と八橋は答えた。

 異変の主犯、鬼人正邪。彼女が引き起こした異変によって私達は付喪神としての生を受けた。

 だから八橋は正邪の事をお母さんと呼ぶ。

 そうするともう一人の主犯、というか騙されていたらしい少名針妙丸も合わせてお母さんが二人居る事になるが、あまりそういう事を八橋は気にしない。

 細かい事を気にしないのがロックンロールの流儀だからそれでいい。

 

「弱い妖怪の為に強い妖怪と戦うなんて、絶対にロックンロールだわ」

「それは間違いないね」

 

 弁々が相槌を打つ。

 弱者の為に立ち上がるのは満場一致でロックンロールだ。

 ただ、相方を見捨てるのはどうだろうか。これはかなりロックンロールではない。

 

「鬼人正邪はロックンロールである、とすると、仲間を見捨てるのもロックンロールになっちゃうわよ」

「私、見捨てたとは思えないんだけどなあ」

「いやあ、どう考えても見捨ててるじゃない」

「私もそう思うわ」

 

 私達の意見を聞いた八橋は唸り声を挙げて目線を下げ、しばらく考え込む。

不意に勢いよく頭が上がった。その笑顔は、頭の上に電球が灯るのを連想させるものだった。

 

「じゃあさ、下克上はロックンロールである、でどう?」

「もう一捻り欲しいわね」

「解った!成り上がりはロックンロールである!これ完璧じゃない?」

「あんた今日冴えてるじゃない」

 

 心底驚いたという声を出した弁々が拍手し、八橋はどうだと言わんばかりの表情をする。

 成り上がりは鉄板でロックンロールだ。言葉の響きも、もの凄くいい。力強さに溢れている。

 成り上がりはロックンロールである。頭の中で反芻し、間違いがないか確かめる。

 その時、致命的な欠陥に気が付いた私は、それを指摘した。

 

「ねえ、ちょっといい?」

「何?」

「かぐや姫に聞かせる答えなのよ」

「それがどうしたの」

「かぐや姫が何に成り上がるのよ」

 

 私の言葉に何も返事は帰って来なかった。

 しばらく気まずい沈黙がテーブルを支配し、それに耐えかねたのか弁々がスツールの足を慣らして立ち上がった。

 彼女は冷蔵庫から瓶ビールやウィスキーを数本持って帰ってきた。

 

「飲もう。とりあえず」

 

 第一回緊急バンド会議はアルコールが解禁され、結局私達は酔い潰れて寝た。

 

 

 ○○○

 

 

 翌日、昼頃に目を覚ました私達はいつも通り練習に励んだ。

 私達の演奏はかなりレベルが高いのだが、少しでもレベルを上げたいし、練習をサボるとあっという間に下手になる。

 最近は弁々も八橋も、練習中でもガンガンに動き回る。

 飛び跳ねたり両膝をついて演奏するのは序の口で、鎖で繋がった琵琶を振りましたり、ブリッジしてソロを引いたりしている。

 私だって負けちゃいない。シンセドラムを砕かんばかりのパワフルなプレイや幻想郷で最も美しい自信のあるスティック回しを繰り出している。

 馬鹿だと思われるかもしれないが、ロックンロールは大馬鹿野郎の集大成でもあるから、間違ってない。

 練習を終えて汗だくになった八橋が窓の方に行き、少しでも涼もうとする。

 窓を開けたまま演奏しても苦情が来ないのが、このガレージのいいところだ。本当はエアコンが付いているのが一番いいのだろうが、それは少し高望みかもしれない。

 白いタオルで顔を拭き、それをそのまま頭に巻いた弁々が言った。

 

「さっき思ったんだけどさ」

「うん」

「桜ってロックじゃない?」

「私、実物見たことないわ」

 

 「ちょっと待ってて」と言った弁々は雑誌や新聞を纏めて積み上げた山を漁り、新聞を持って私のところに来て「これこれ」と一枚の写真を指差した。

 白くて長い、楽器弾きらしい指は、桜の木の前に立ち、カメラに向かって上品な微笑みを浮かべる女性のものだった。

 キャプションで「桜美人、西行寺幽々子さん」とついており、春頃の美人特集の記事のようだった。

 どちらかというと物憂げなところのある美人に見えるが、これは果たしてロックンロールなのだろうか。

 

「桜ってさ、一瞬で咲いて、散っちゃうらしいじゃない」

「そうらしいわね」

「何か凄いパワー感じない?一瞬で良いから咲き誇ってやろうっていうさ」

 

 写真に写った、満開の桜とその生き写しみたいな幽々子の顔を見る。

 どちらもおっとりとした感じに見えるが、生で見ればそういう爆発力を感じるのだろうか。

 ただ、刹那に賭けるのは途方もなくロックンロールだ。

 あらゆるものを投げ捨てて、ただ一時輝こうとするのは、とても美しい事の気がする。

 

「私はそうは思わないな」

 

 いつの間にか窓のところから戻ってきた八橋が言った。

 

「私、多分桜が散ったら悲しくなると思う」

「美しいとは思わない?」

「あんたも解ってないね。一瞬に命を賭けるから美しいんじゃないの」

「いくら綺麗でもさ、それって結局桜の花が死んでるんでしょ?それはちょっとロックンロールとは違うと思う」

 

 おびただしい桜が散り、花びらが地面を埋め尽くすところを想像すると何となく八橋の言葉が理解できた気がした。

 昨日まで咲いていた花が翌日、ゴミ同然に踏まれてぼろぼろになるのは、ロックンロールじゃない。

 ロックンロールに悲しい話は似合わない。どこまでも明るく痛快なのが私の考えるロックンロールだ。

 

「八橋の言うとおりかもね」

「雷鼓さんまでそんな事言うの?」

「枯れない桜があったら、私は綺麗だと思うかも」

 

 八橋の言葉を聞いた弁々は肩をすくめて腕を広げ、更に首まで振って「それはもう桜じゃないね」と苦笑いした。

 練習を終えて順番にシャワーを浴びた私達は、第二回緊急バンド会議を行った。

 最初から酒を飲んでいたからか、活発な意見交換が行われたが、これだという意見は出なかった。

 私は月はロックンロールではないかと言う意見を出したが、弁々には否定された。

 彼女に言わせると、月を目指すのがロックンロールで、月そのものはロックンロールではないとの事で、八橋もそれに同意した。

 いよいよ頭が煮詰まった私達は一番強い酒を飲み干して、ベッドに入る事にした。

 後は野となれ山となれ。これも正しいロックンロールの在り方だ。

 

 

 ○○○

 

 

 私は以前月に向かって手を伸ばした、あの岡に建てられた野外ステージでドラムを叩いていた。

 幻想郷にこんなに多くの人が居たのかと驚く程の人と妖怪で会場は溢れ、みんな好き勝手に土曜の夜を楽しんでいる。

 勢いよくリムショットした私はツインペダルを全力疾走する勢いで踏み鳴らす。

 愛用のシンセドラムとバスドラではなく、真紅のメッキが施された胴を持つ、豪華なドラムセットだ。

 左手側には弁々が居た。床すれすれの高さに琵琶を構え、うねるようなベースラインを三本の指を使って演奏している。

 八橋の姿が見つからないと思ったら、客席でクラウドサーフしながら小気味良いカッティングを繰り返していた。

 私の隣りには魔理沙が立って、赤いタンバリンを軽やかに打ち振るう。

 突如客席からの歓声が大きくなり、ステージに霊夢が乱入し、美しい放物線を描く背面ダイブを敢行した。

 それに気をよくした私はシンバルをでたらめに叩き、ついでにタム回しもする。

 するとそれに答えるかのように、ステージ中央に金色のシルエットが舞い降り、私の頭をなでた。

 その人は男なのか女なのかも解らないが、とにかく大きな掌で、少し乱暴になで回された。

 

 

 私は頬に冷たさを感じ、眠りから覚めた。

 頭を上げると、テーブルの上には涎の湖が出来ており、誰が見ているわけもないが、ちょっと恥ずかしい気持ちになった。

 真っ暗なガレージの中、ベッドとソファーからは九十九姉妹の寝息が聞こえる。

 音を立てないようにスツールから腰を上げ、キッチンまで移動し、台拭きを持って戻り、テーブルの上を拭く。

 そうしながら、私が見た夢について考える。

 あの金色のシルエットは、恐らくロックの神だ。あの夢は何かの天啓に違いない。

 冷蔵庫を開けて、賞味期限をブチのめした缶ビールを取りだしてキッチンに向かう。

 プルタブに指をかけてあの独特の音を聞いた時、私は理解した。

 

 

 ロックンロールはすぐ側にあった。

 

 

 ○○○

 

 

九十九姉妹が起きてきた後、私は二人に夢で見たものと、ロックンロールの正体を伝えたところ、二人とも声を上げて大賛成してくれた。

 テンションの高くなった私達は朝ビールを飲み干すと、いつも通りの練習に取りかかった。

 これまでの練習の中で、一番イカした音が出た。

 八橋の高音を強調したノイズ混じりのギターは雲を切り裂き、弁々の粘りのあるタフなベースは木々を揺らし、私がトミーガンのように連打したドラムは大地を揺るがした。

 完璧な演奏なんてないけれど、それでも完璧だと思った。この音にかぐや姫の歌声が加われば、太陽だって打ち落としてみせる。

 私達の知っている曲を何度も何度も繰り返し練習し、へとへとになった私達は練習を切り上げた。

 シャワーを浴びた私は、クローゼットから真っ新なスーツとシャツに着替え、ブーツの手入れをする。

 それが終わった後、紫のネクタイを鏡の前で結び、曲がっていないか確認する。

 弁々と八橋は私がスーツを汚さないように、わざわざシャッターを上げてくれた。

 

「じゃ、雷鼓さん、かぐや姫を連れてきてね」

「ビールもキンキンに冷やしとくからさ」

 

 二人と拳を合わせた後、夜空に飛び上がり、満月を見ながら夜空を飛ぶ。

 雲一つない星の海には大きな月が浮かんでおり、正に竹取日和だった。

 妹紅とはミスティアの屋台で待ち合わせをしていた。

 私より少し先に来ていたという妹紅は、一杯やって冷や奴をツマミにしていた。

 

「雷鼓も飲む?」

「流石に酒飲んで行くのは失礼よ」

 

 大きく笑った妹紅は「あいつはそんな大したもんじゃないさ」と言った後、立ち上がった。

 竹林の入り口に向かって歩く私達の背中の後ろで固い物を打ちつける音が響いた。

 振り返ると、屋台の中でミスティアが火打ち石を叩いてくれていた。

 彼女は私達に手を振って、雀っぽくない声の大きさで言った。

 

「頑張ってね!」

 

 笹の葉を踏みながら、月明かりと妹紅の持った提灯が落とす光を頼りに永遠亭を目指す。

 ふと私の方を見た妹紅が微笑み掛けた。

 

「自信ありそうじゃない」

「当然よ、ロックンロールは最後に勝つ」

「期待してるよ、ろくでなし」

 

 やがて私達は永遠亭に辿り着いた。

 以前訪ねて来た時と同じ様に玉砂利の海に飛沫を立てながら、中庭を抜けて裏口まで行く。

 妹紅がドアを三回叩くと、また、「はいはい」と声が向こうから聞こえ、ドアが開いた。

 エプロンを掛けたウサ耳制服少女が、私達に頭を小さく下げた。

 

「こんばんは」

「こんばんは、かぐや姫を口説きに来たわ」

「今日はいい月ですからね」

「ええ、本当に」

 

 

 ○○○

 

 

 長い廊下を抜けた、大きな畳敷きの部屋で、永琳と輝夜が待っていた。

 永琳は、前にこの部屋で会話した時から一歩も動いていないように感じた。

 新種の鉱物みたいに固い彼女は、どれだけの年月が経ってもこの屋敷の畳の上で、姿勢を正して正座しているのではないかと思うほど、同じだった。

 簾の奥にいるであろう輝夜はどうだろう。心変わりして、畳の上からステージに上がる事はあるのだろうか。いや、ある。

 私は雷鼓ストラマーだ。問題ない。

 正座した私に永琳が言った。

 

「それじゃあ、答えを聞かせてもらいましょうか」

 

 息を一つ吸い込んで、最後に頭にその言葉を響かせる。

 いつもよりテンポを上げた胸のビートだけをBGMに、自分に問い掛ける。

 多分、私は、間違ってない。

 

「ロックンロールは、幻想郷よ」

 

 それが私が辿り着いた一つの答えだ。

 表情も変えずに私の言葉に耳を貸す永琳と、シルエットだけの輝夜に呼びかける。

 

「幻想郷は、でたらめで、力強くて、何でもありで、みんな馬鹿で、お祭り騒ぎばっかりやってるわ。だから私達が住むこの世界はロックンロールよ」

 

 上手く言えず、かなり省略されてしまったが、とにかくそういう事が言いたかった。

 幻想郷に住む人妖達は、酒を飲んだり、暴れたり、かっこつけたり、異変を引き起こしたり、それを叩きつぶしたり、花見をしたり、下克上を志したり、和歌を詠んだり、鰻を焼いたり、よく解らない魔法を研究したり、引きこもって盆栽に水をやったり、薬を作る片手間にウサ耳少女にブレザーを着せたりして、自由に生きている。

 強い奴も弱い奴もいい奴も悪い奴もみんなが住んでいて、みんな好きな事をやっている。

 私が死んだって、みんな好き勝手に、永遠にそうやって過ごしている筈だ。

 そんな幻想郷が、ロックンロールじゃなければ、何がロックンロールなのか私は解らない。

 幻想郷は正真正銘、混じりっけ無しのロックンロールだ。

 

「私達のバンドはその幻想郷のロックンロールバンドよ。そんなバンドのボーカルなんて、かぐや姫にしか務まらない」

 

 私は立ち上がって、胸を張り、姿勢を正して、腹の底から声を出す。

 

「私達と組んで、世界最高のロックンロールをしましょ」

 

 簾の奥から、小さな笑い声が聞こえた。

 淡い金色の鈴を連想させる、美しくて上品な笑い声だった。

 永琳が顔を近づけ、何事かを輝夜と囁き交わす。

 何度か頷いた後、永琳は私の方を向いた。

 

「それでは結果を伝えるわ。姫様はお疲れなので、私の部屋に来て頂戴」

 

 そう言って立ち上がった永琳の後ろについて、彼女の部屋に向かう。

 部屋を去る私に、輝夜は何も言わなかった。

 

 

 ○○○

 

 

 案内された永琳の私室は、屋敷に似つかわしくない洋風っぽい部屋だった。

 より正確に言うと、無国籍風になるのかもしれない。

 猫足のテーブルと焦げ茶の革張りのソファーは間違いなく洋風だが、床に敷かれた唐草模様のベージュの絨毯は何となく中華風だし、本棚に収まった本の背表紙は私が読めない文字の物が大量に詰まっていた。

 部屋全体の印象としては、整然とした混沌という趣のある部屋だった。

 真っ白なティーカップに注がれた緑茶を一口飲んだ永琳が話を切りだした。

 

「さて、結果発表なんだけど、直球と回りくどいの、どちらがいいかしら?」

「ストレートにお願いします」

 

 ティーカップをプレートの上に戻した永琳は「それでは」と前置きをして、こちらを見た。

 

「残念だけど、不合格よ」

 

 言葉も出ない私の顔を見ながら、永琳は続ける。

 

「まあ、悪くはない線ではあったけど、姫様を満足させるだけの答えではなかったわ」

 

 そう言った彼女はティーカップを持ち上げて、更に一口茶を啜り、またプレートに戻す。

 私達の答えは月に届かなかった。

 ボーカル候補は他にも居るだろう。でも、かぐや姫よりもイカしたボーカルは思いつかない。

 弁々は月を目指すのがロックンロールだと言ったが、未達に終わった私をロックンロールと呼んでくれるのだろうか。

 何がストラマーだ。

 

「ちなみに、再挑戦は無しよ?」

 

 その言葉に私は適当に頷き、話を切り上げて永琳の部屋を後にした。

 長い廊下を歩きながら、この廊下がねじ曲がって、ガレージに帰り着けなければいいのにと思った。

 

 

 ○○○

 

 

 私の期待を裏切って、長い廊下は終わってしまい、妹紅の待つ部屋に辿り着いてしまった。

 畳に横になってごろごろしていた妹紅は私の顔を見ると立ち上がって、無言で肩に手を置いた。

 どちらが言うでもなく、勝手口に向かい、ブーツを履いているとウサ耳少女がやってきた。

 

「どうでした?」

 

 首を横に振る私を見て、彼女は「残念でしたね」と気の毒そうな表情をして言った。

 永遠亭を後にした私と妹紅は無駄口を叩く事もなく、ひたすらと帰り道を歩いた。

 少し風の強くなった頼り無い道を歩きながら、軽々と吹き飛ばされる笹の葉を目にした。

 その時、妹紅が「ま、あんまり拘らない方がいいよ。あいつは気紛れだから」と言った。

 彼女は約束通り自棄酒を奢ると言ってくれたが、私は九十九姉妹に結果の報告を先にしなければならないと答えた。

 やりたくない事だが、やらなければならない。それがバンマスの務めだし、最後までやるのがロックンロールだ。

 妹紅は最後にまた私の肩を叩いて「今度、演奏を聴かせてくれよ」と言って、屋台の方に去っていた。

 

 

 ガレージに戻って、シャッターを開けた私を、生まれてこの方感じたことのない申し訳なさが襲った。

 散らかったガレージは精一杯、出来る範囲で片付けられ、テーブルの上にはありあわせのご馳走と、四つのグラスが用意されている。

 八橋はソファーに腰掛けて、破れたポスターをハサミで切って、飾り付けを作っている途中だった。

 私が一人で帰ってきたのを見た彼女の手が止まり、もの凄く悲しそうな顔をした。

 

「お帰りなさい」

「ごめん、駄目だったわ」

 

 キッチンから聞こえるリズミカルな包丁の音が止まり、バンダナを三角巾代わりに頭に巻いた弁々もこちらに来た。

 

「まあ、そういう事もあるよ」

「本当、申し訳ないわ」

「気にしてないよ」

 

 弁々はそう言って笑い、冷蔵庫を開けて缶ビールを三つ取りだした。

 

「第一回緊急自棄酒大会をしよう。またボーカルは探せばいいじゃない」

 

 

 風がシャッターを揺らす音を聞きながら、私達はひたすら飲み食いした。

 弁々が「だいたい、かぐや姫なんてスカしてて、好きじゃない」と言うと私は「でも惜しい」と答え、八橋は「他にもっといい子いるよ、お母さんとか」と笑った。

 やがてビールが焼酎になり、焼酎がウィスキーになる頃には、今にもシャッターが破れそうなぐらい風が強くなった。

 すっかり耳まで赤くなった八橋が、窓の方を見て言った。

 

「窓もシャッター降ろした方がいいんじゃない?」

「そうかも」

 

 千鳥足になりそうな頼り無い足で窓の方に向かおうとしたその瞬間、窓ガラスが割れた。

 茶色いギグケースが窓の向こうから生え、何度もガラスに叩きつけられ、どこか音楽的な響きを立てる。

 すっかり枠だけになった窓の掛け金を、ピンクの服を着た手が外した。

 几帳面に窓を置くまで押しやり、「よいしょっと」と掛け声を出して、ギグケースを持った少女が部屋の中に窓から入ってきた。

 粉々に砕け、電球の光を受けて輝くガラスの海に、かぐや姫が降り立った。

 

 

 一発で蓬莱山輝夜その人だと解った。

 あまりに完璧な美人過ぎた。目も鼻も口も耳も髪も首筋も手も、どこも非の打ち所がない。

 十二単ではなく、何となく和風なデザインの大きな白いリボンとフリルに埋め尽くされたピンクのブラウスと、ぞろっとした朱色のロングスカートを着ていても解った。

 かぐや姫だ。

 輝夜は小さく頭を下げた。

 

「お邪魔します」

「あ、はい」

 

 呆気にとられた私の喉から間抜けな声が出た。

 

「ごめんなさいね、ガラス割っちゃって」

 

 それも問題だが、もっと色々な問題がある。

 何でここに居る?手に持ったギグケースは何?

 

「何で正面から入って来ないのよ」

 

 正気を取り戻した弁々が抗議すると、輝夜は「だって鍵が掛かってたから」とくすくす笑った。

 

「それに私、ちゃんと何度かノックしたわよ」

「で、誰も気が付かなかったから窓を割って入ってきたわけ?」

 

 なじるような調子で弁々が問いつめるが、輝夜はどこ吹く風と言った表情をしている。

 

「いいじゃない、そのうち割れないガラスを作ってあげるからさ」

「そんなの作れるの?」

 

 八橋の問い掛けに輝夜は黒髪を揺らして頷き「楽勝よ」と答えた。

 

「じゃあ散らない桜は?」

「作ろうとは思わないけど、作れるんじゃない」

 

 そう答えた輝夜はガレージを見回して、酒瓶とあらかた無くなったご馳走が並んだテーブルに目を留めた。

 「あら、美味しそうじゃない」と言って、ギグケースを無造作にソファーに置き、さっきまで私が座っていたスツールに腰掛ける。

 そうして、私のグラスに入ったウィスキーを勝手に飲んで、「これ、もっと濃い方が美味しいんじゃない?」と言い、勝手に手酌でウィスキーを注いだ。

 どこから突っ込もう。

 椅子を取られた私は台所から椅子を持ってきて、テーブルの近くに座る。

 

「で、何でここに来たの?」

「え、貴方が誘ったんじゃない」

「断ったじゃない」

「私、合格って言ったわよ」

 

 私達三人は顔を見合わせた。

 あの時、永琳は確かに不合格と言った。絶対に聞き間違えていない。

 九十九姉妹も輝夜の顔を「わけがわからない」という目で見ている。

 当の輝夜はやっぱり、一行に気にならないという調子で喋り続ける。

 

「それなのに永琳がね、貴方に不合格って伝えちゃったの」

「何でそんな事するのよ、最低じゃない」

 

 弁々の口から出た「最低」という単語に、輝夜の眉が微妙に動いた。

 しかし流石はかぐや姫。どんな顔をしても絶世の美女だった。

 

「永琳はちょっと心配性だから、私がグレちゃうのが不安だったんじゃない?」

「あ、それ何となく解るかも。うん、解る」

 

 八橋がうんうんと頷く。私も永琳の気持ちはちょっと解る。

 ロックンロールは非行の第一歩だから、あの固そうな付き人にしてみれば、害虫と大体等価ぐらいだろう。

 実際の私達はロクデナシであっても不良ではないのだけれど。

 

「迷惑な奴だなあ」

「でも永琳は優しいわよ」

 

 呆れた調子の声を出す弁々に輝夜が応じる。

 私が見た永琳はあまり優しそうではなかったが、輝夜には優しいのだろうか。

 あの顔で過保護な母親みたいな事をやっているのが、どうにも想像が出来ない。

 ウィスキーを飲み、ちょっと酒臭い息を吐きながら輝夜が私に言った。

 

「でね、私が合格って言ったのに、貴方がいつまで経っても、私を迎えに来ないじゃない」

「永琳に不合格って言われたから帰ったわ」

「あの部屋で戻ってくるのを待ってたんだけどね。それで、何時までも戻ってこないから、永琳に話を聞いたら「何でも他のメンバーに反対されたらしく、なかった事になりました」とか言うわけ」

「それ、おかしいと思いなさいよ」

 

 思わず突っ込みを入れた弁々に輝夜は「おかしいと思ったに決まってるじゃない」と、むっとした顔をして答え、また話を続けた。

 

「それで、イナバに聞いてみたら「さっきの人ならもう帰りましたよ」って言うのよ。「断られたのが凄くショックだったみたいです」とか言ってるし」

「イナバって誰?」

「制服を着た兎よ。うちの屋敷で制服を着てる子は一人だけだから、解ると思う」

 

 私は人の良さそうなウサ耳少女の横顔を思い出した。

 口裏合わせをする前に喋ってしまったのか、それとも問いつめられたのかは知らない。

 けど、それでかぐや姫がここに来てくれたのであれば、間違いなく彼女のおかげだ。

 制服にウサ耳のコーディネートは、やっぱりロックンロールだ。

 

「それで、永琳を説得してここま来てくれたのね」

「いや、説得はしてないわよ」

「じゃあどうしたの」

「永琳は豆腐の角の頭をぶつけて死んだわ」

「いやいや、冗談でしょ?」

 

 突拍子もない輝夜の言葉に、八橋が変な声を出して笑うと、輝夜は真顔で「極限まで加速された豆腐の角が頭に当たった時、人は死ぬのよ」と答えた。

 瓶ビールに直接口を付けて飲む弁々が「さっき優しい人って言ってたじゃない」とまた突っ込んだ。

 

「それとこれとは別問題よ」

「どうしよう、雷鼓さん、私達のバンドのせいで人が死んでる」

「それはちょっとまずいかもね」

 

 眉間に皺を寄せて囁き合う私達を見た輝夜は笑って「永琳は殺しても死なないから大丈夫よ」と答えた。

 

「まあ、そんなわけで家出してここに来たのよ」

 

 家出少女になったかぐや姫。これは露骨にロックンロールだ。

 豆腐の角で人を殺すという発想も、ある種のロックンロールで間違いない。

 それに確かに、永琳のあの目から光が失われるところを想像できないので、輝姫の言う通り、殺しても死なない気がした。

 で、あれば何も問題はない。

 

「よく道が解ったわね」

「妹紅に教えて貰ったのよ」

「屋台に行ったの?」

 

 首を横に振った輝夜は「直接家に遊びに行ったわ」と答え、ソファーに置いたギグケースを指差した。

 

「で、ついでにあれも借りてきたの」

「ギター?」

「そうそう、どうせ弾かないって言うから」

「見てもいい?」

 

 返事を聞く前に八橋がソファーまで行き、茶色い革張りのギグケースを開ける。

 中身を確認した八橋は「わ!超かっこいい!」と叫び、ネックを持って「見て見て!」とこちらにギターを向けた。

 ウィスキーに似た琥珀色の塗装がされた木目の透ける、稲妻にも似た形をしたギター。

 白いピックガードには小さな赤い鳥が刻まれている。本物のファイヤーバード。

 輝夜が持つには少し大きいかもしれないが、間違いのないロックンロールギター。

 思わず溜息が出た。

 

「あれを弾かないでほったらかしにするなんて、妹紅も解ってないわね」

「あいつは昔っから解ってない奴なのよ」

 

 そう応じた輝夜はソファーの傍らに立つ八橋からファイヤーバードを受け取り、黒い革のストラップで肩から下げる。

 

「どう?」

「最高ね」

「めちゃくちゃ似合うと思う」

「意外と様になってる」

 

 口々に私達が褒め称えるのを聞いた輝夜は、女の私でも惚れてしまいそうな笑顔を浮かべて、指でチューニングをされていない六本の弦を一気にかき鳴らした。

 調子はずれの音だったが、このかぐや姫にはピッタリの響きでもあった。

 

「というわけで、私、蓬莱山輝夜が貴方達のバンドでギターボーカルをやるわ。目標は宇宙制覇よ」

 

 あまりにスケールの大きい目標に、弁々が吹き出した。

 

「最初は月からにしない?かぐや姫帰郷コンサートとかさ」

「思わないわね、月なんて大したもんじゃないわ」

「ねえ、月ってどんなところだったの?」

「何か窮屈なところだったわよ」

 

 八橋の質問にそう答えた輝夜は右手を大きく天井に掲げた。

 

「月の姫たる私のバンドなんだから、銀河を突き抜けるわ」

「それって完璧なロックンロールね」

「間違いないね」

 

 

 私と弁々はスツールから立ち上がり、輝夜と八橋に歩み寄る。

 何となく四人で円陣を組むような立ち位置になった。

 私と九十九姉妹も、輝夜に倣って天に向かい、手を上げる。

 正面に立った輝夜は私の顔を見て、微笑みを浮かべた。

 それを見ながら私は、四本の手が天井を突き破り、星の海を駆け抜け、太陽と月を横目に見て、どこまでもどこまでも真っ直ぐに伸びていく光景を思った。

 その後で私達は、当然のように硬い友情の握手を交わす。

 弁々、八橋と来て、最後に私の前に輝夜の華奢な白い手が差し出された。

 

 

 私が掴んだ小さな月は光ってはいなかったけれど、やっぱり柔らかく、そして、想像通りの暖かさだった。

 ロックンロールは暖かい。そんな答えもいいかもしれない。




最後までお読み頂いた方、ありがとうございます。
感想等頂ければ幸いです。


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