跳ねる。跳ねる。跳ねる。
木板を踏みしめロッテは身軽な体を用いてその身を躍らせる。
跳ねて触れるは冷たい鉄のドアノブ。飛びついたソレをロッテは体を撚ることで開くことに成功する。
僅かに開かれていく扉。その先にはやや大きめのベッド。そして些か無機質な印象を受ける家具の置かれた室内。
その中へとロッテは歩を進める。
家宅捜査、あるいは家探し。
せめてなにかしらの収穫を持って帰れば五体満足で済むかもしれないと考えたロッテははやての寝室を物色する腹積もりだった。
〈この世界の遊戯では勇者と呼ばれる存在が家屋を物色するというのが一種のテンプレートになっているそうだけど年端も行かない少女の部屋を物色と言葉にすると犯罪臭しかしないわね〉
正直な話そんなことを念話で言われると良心がジクジクと痛むからやめて欲しい。
気にしたら負けだとロッテは自らに言い聞かせてロッテは捜索を再開する。
それにしても個性の薄い部屋だとロッテは思う。
部屋には性格が出ると言うがあの少女の様子からすると違和感を感じる。
感じるのは無骨さ。もう少し賑やかさや華やかさがあっても良いと思ってしまうのだ。
〈……ロッテ、余り深入りしてしまうと後が辛いわよ〉
この台詞に限ってはアリアの声色は真剣味に満ちていた。
遠からず彼女は人として生きる全てを終わらせてしまう。恐らくは最悪の形で。
〈……うん、分かってる〉
そんなことは監視任務に就いた時から分かっている。
それでも、と願ってしまうのだ。残りの時間がせめて穏やかなものであって欲しいと。
ロッテの視界の端に見えたのは一つの写真立て。
まるで海鳴の町を空から映したかのような構図。その中心に映るのは一枚の抜け落ちた羽根。
光を凝縮して固めたかのような一枚の羽根。
綺麗だと思った
同時に気づいてしまう。もしも、もしも全てを最良へと導くイレギュラーがあるのならきっとあの子なのだろう。
慌ててロッテは首を左右に振る。
これはどこまでも都合の良い考え方だと気づいたから。現実を見据えたソレでは決してないから。
何年も、何十年も思い悩み、苦しみ、決断を出した人のソレではないから。
ロッテは視線を暫し視線を巡らせる。そして、その目は傍らにそびえ立つ本棚で止まる。
幾多の本が並べられた本棚に一冊だけ立てかけられていた本。
厳重に鎖で縛り付けられた一冊の重厚な書。その名称は『闇の書』。
ロッテもアリアも、そして彼女たちの主ともとても深い因縁で結ばれた書物。
気づけばロッテは闇の書を敵を見るかのように睨みつけていた。
こんなことをしても意味はないのに。
その事実を理解していても感情が着いて行かない。
どれほどの時間そうしていただろうか。ふと腹部に柔らかな掌が添えられていることに気づいた。
同時にロッテの四肢が床から離れ、抱き上げられた。
「……余り、ちょろちょろしてはいけない。キミの毛が散ってしまう。だから、めっ」
「めっ」なんと甘美な響きだろうか。甘やかな口調の中に潜む一筋の強調。
出来れば今度は「こら」とか穏やかな表情で叱ってみて欲しい。
いやいや、だからそうじゃない!
おのれ、これもあの掌による洗脳が悪い。なんて卑怯な!
両手で顔を洗うように頭を抱えるロッテを不思議そうに見るサクラ。
その視線はロッテが先程まで睨みを利かせていた闇の書へと向かう。
それと同時にサクラの眉が僅かに顰められた。
「アレはきっとあまり良い由縁を持つ品物ではない。近づいては、ダメ」
その言葉にロッテの目が大きく見開かれた。
『由縁』という単語を用いた意味が良く分からないが、間違いなくなにかを理解している。
しかし、闇の書であるということを知っているのなら既になんらかの行動を起こしているはずだ。
そこまで考えてロッテは余計に意味が分からなくなった。
実際、サクラは闇の書に関してなんら知識がある訳ではない。
サクラはその視界に只々捉えているだけなのだ。
―――闇の書の周囲に漂う黒い靄を
アリシアと初めて出会った時と同じ黒い靄。アレは生けるもの全てを拒絶するかのように木を、土を腐らせていた。
死や穢れ、呪いと相反するサクラの属性故か、一度その目に捉え、相対した経験故か、それともその両方なのか。
どちらにせよ、あの穢れは人にも動物にも生あるものにプラスの影響がないことくらいはひと目で理解出来た。
果たしてあの靄が内側から発されるものなのか、外部から向けられたものなのかは分からない。
少なくとも、サクラの目に映るほどの負を溜め込んでいる時点で危険物だ。
サクラはゆったりと書の立てかけられた本棚へと近づく。
そして、鎖に包まれた書へと掌を翳し、小さく呟くように魔法を唱えた。
「『ディスペル』」
その一言だけで黒い靄は一瞬で霧散した。ロッテからは闇の書が淡い光を放ったようにしか見えなかったが。
これは只々邪魔な靄を払っただけ。恐らく靄を纏うだけの負の感情を向けられたナニカには恐らく変化はない。
少なくともコレが今後はやての手の届かない場所へと移動させるべきだとサクラは気づく。
見上げればはやてはおろか、サクラですら手の届かないであろう本棚の上。
あそこに放り投げれば誰の手にも触れることはないだろうと結論を出す。
「……『シール』。これで―――」
それはジュエルシードの封印に有効だった封印魔法。
サクラの掌の上に収められたのは紫色の複雑な文様の刻まれた球体。
効果時間は必要ない。それに元々短時間の封印しか出来ない。
封印してから本棚の上に放り投げる間の時間だけ稼げればそれで良い。
例えばソレがサクラの魔法の効果はそう長いものではないと知っていたのならば。
例えばソレがジュエルシードのような意思を持たぬ完全な道具だったならば。
例えばソレが人や動物のように眠りを知り、暗闇を受け入れられたのならば。
本来ならばこの段階でこんなことが起こるはずもない。
サクラの掌は、紫の球体は、徐々に闇の書へと沈みこんでいく。
闇の書単体における実質的な封印手段など存在し得るはずがなかった。
だが、サクラこそが唯一の例外。どれだけ力を込めても一度の封印時間は三十分を超えることもないだろう。
それでも、サクラの魔法は確実に闇の書へと封印を為すことが出来る。
最初に転生機能が封印された。
次に復元機能が。闇の書の主とのリンクが途絶える。
有り得ない。こんなことが有り得るはずがない。
防衛プラグラムは幾度もエラーを吐く各所へと反応を求める。
それは刹那の時間の出来事であった。だが、何度も何度も闇の書の各所はエラーを吐き続ける。
主が壊れる度に幾度も転生を繰り返す闇の書は眠りを知らない。
例え眠っているように見えてもそれは只の準備期間。
――永遠に訪れるはずがなかった暗闇。
狂いし防衛プログラムは死を、暗闇をこの場に居る誰よりも恐れた。
故に闇の書はその身に巻き付く鎖を自ら引きちぎる。
サクラは突如砕けた鎖に驚愕するも、封印を施す掌を止めることはない。
それは酷く簡潔な命令。眠りに落ちる前の闇の書の恐れより出された命令。
守護騎士よ、書に害為す者を消し去れ
現れたるは四人の騎士。
烈火の将シグナム、紅の鉄騎ヴィータ、湖の騎士シャマル、盾の守護獣ザフィーラ。
同時に紫の球体は闇の書を覆い尽くす。サクラの封印は成功したのだ。
期せずして、この封印は守護騎士と闇の書を繋ぐものを断ち切った。
この段階では成し得ない筈の守護騎士の出現。そして、闇の書と守護騎士の分離は成った。
しかし、未だ四人の騎士たちは優しき主に触れることはない。故に残るは害為す者を消し去れという命のみである。
訪れたるは死闘の幕開け。
かくして騎士の刃は振り下ろされる。
いつだかにあとがきにしたスキルまとめは増やして活動報告に移しました