「酷い目に遭った」
「同情はするけど、私の裸を見たことは絶対に許さないから」
「あれは不可抗力だろ。それに、俺に見せても恥ずかしくないくらい綺麗な身体だったと思うぜ?」
「…………」
「なぜ顔を赤らめて黙り込む小山よ」
アンタがいきなりそんな恥ずかしいことを堂々と顔色一つ変えずに言ってくるからでしょ!
羞恥に全身が沸騰するような感覚に襲われながら内心絶叫するが、隣を歩いている朴念仁が自分の秘めた想いに気が付く可能性は限りなくゼロに近いだろうことは分かっているのでなんとも虚しい。そのうえデリカシーもないのだからどうしようもない。「恥ずかしくて黙ってんだから余計なこと言わないでよバカ!」とか正直に言ってしまえば気も楽なのだろうが、それもそれで素直に負けを認めるようで癪だ。女心は複雑なのである。
あの後、怒りの右ストレートを食らった波多野は気絶してロッカーに閉じ込められていたのだが、放課後になって小山に解放され現在は下校中である。本来ならば二人のほかに須川や佐藤がメンバー入りする予定だったが、須川は試召戦争、佐藤は日直の仕事があるとかで予定が合わなかったのだ。そういうわけで、結果的に二人で帰ることに。……根本君? 知らないわよあの人は。
「なんでお前はそんなに根本に冷たいんだよ。一応恋人だろ?」
「……うっさいわね。アンタには関係ないでしょ」
「いや、そうだけどさ。あんまりお前に変な噂が立つのも嫌だし、相談があれば乗るぜ?」
「相談ねぇ……」
「そうそう。根本との関係……恋の悩みか。俺結構そういうのは得意だよ。恋愛の悩みを打ち明けてみないか?」
「…………」
「だからなんで赤面状態で俯くんだよ小山」
無言で下を向く小山の顔を覗き込みつつも怪訝な表情を浮かべる波多野。もう狙っているのではないかというくらいにわざとらしい変化球を投げてくる彼に胃痛が止まらない。なんだこの傍迷惑なトラブルメイカーは。相談役がさらに悩みを増やしてどうする。
波多野が不意に投下した爆弾に若干の頭痛を覚えながらも、小山は胸に手を当てて密かに溜息をつく。
(……いつからだっけ。コイツのことでこんなに動揺するようになったのは)
始まりがいつからだったのかは、よく覚えていない。気がつくと視線が彼を追いかけ、どんな時でも波多野のことを考えるようになっていた。根本とは中学時代からの腐れ縁で交際関係となっていたが、彼氏がいるのに小山の中では波多野関係のことが常に上位をキープしていた。彼とは去年にいろいろと騒動があったからというのもあるだろうが……その他心当たりがある感情は、あまり直視したくはない。そんなロマンチックな感情は私には似合わないし。
状況を整理すると、さらに深い溜息が漏れた。なんでこんな奴のことで悩まないといけないのか。
ちらと隣を歩く彼に視線を飛ばす。
「どうした小山、そんなに胸を押さえて。せっかく美乳なんだから余計な刺激は与えない方が――――」
「なんでアンタはいっつもいっつもそういうことしか言わないのよ! 狙ってんのか!? わざとか!?」
「わざとかわざとじゃないかと聞かれれば……」
「聞かれれば?」
「……わざとさっ☆(きらっ)」
「…………」
「いたっ……! 横腹をグーで殴るな地味に痛い! 同時に足を踏むなしかも爪先を!」
相も変わらず阿呆な会話しかしない悪友に殴打を加えながら自己嫌悪に陥ってしまう。ホント、なんでこんな奴のことで悩んでいるのか。無性に悔しくて腹立たしくて仕方がない。こんな騒々しくてエッチでデリカシーのないトラブルメイカーにいちいち悩まされるなんて、時間の無駄でしかないのに。
肩を竦めて嘆息する。
もう今日は疲れたし早く帰ろうかな、と思った矢先、不意に波多野から手を掴まれた。
反射的に頭に血が昇り、間の抜けた声が漏れる。
「ひゃいっ!? な、なに!?」
「いやさ、朝に約束したじゃんか。お詫びに何か奢るって」
「あ、あぁ……そのことね。なんかいろいろありすぎて忘れてたけど」
「そうそう。んで、どうせならデザート奢るだけじゃなくて本格的なショッピングにしてしまおうと思ってさ。デートみたいに!」
「で、でーと!? え、いや、なんで……」
いきなりの提案に混乱が止まらない。手を掴まれたままだし顔もちょっとだけ近いし、なんか知らない内に身体の距離も近くなってるし! ていうか波多野の手ぇ温かい! なにこれドキドキする! あぁもうなんなのよー!
一人錯乱状態であわあわテンパっている小山。繋がれた右手と波多野の顔を視線が何度も往復していて傍から見れば挙動不審者以外の何者でもないのだが、今の彼女にその事実を突きつけるのは酷というものだろう。神経質な性格上ストレートな好意に耐性がない小山は彼の所業に慌てふためくしかなかった。
顔を真っ赤にしながら理由を問う小山に、波多野はいたっていつも通りの快活な笑みを浮かべると、自信満々に言い放つ。
「なんでってそりゃ……そっちの方が面白いだろ?」
ニカッと歯を見せてお世辞にも上品とは言えない所作で笑うと、小山の手を引っ張って走り始める。小山の返事も待たずに強引に連れて行かれているというのに、不思議と嫌な感じはしなかった。それどころか、心のどこかで歓喜している自分がいる。
太陽のような満面の笑みを浮かべている波多野の顔を見ると、自然と表情が綻んだ。
(進って……ホント、子供みたいよね)
今走っている理由もどうせ「時間が惜しい」とかそんな感じのものだろう。自分との外出に対して特別な感情を抱いているとは思えない。ただ面白いことを追求しているだけ。彼はそういうやつなのだ。
傍迷惑な奴だと思っている。いつも騒動に巻き込むし、からかってくるし、余計なセクハラしてくるし。デリカシーがないうえに気遣いも感じられない。本当に小山のことを異性として意識しているのかすら怪しいレベルだ。
……それでも、小山は素直にこう思う。
(進に振り回されるのも、悪い気はしないかな)
底抜けに明るい波多野の笑顔につられて苦笑を浮かべながらも、小山はどこか幸せそうな面持ちで握っている手にいっそう力を込めるのだった。
☆
「じゃあとりあえず最初はやっぱりゲーセンだよな!」
突発的にそんなことを言い出す波多野に溜息が漏れる。……バカだった。このストレートトラブルメイカーに情緒や情趣を少しでも期待した私が大バカだった。
ウキウキと傍から見てもはしゃでいるのが分かるような明るい表情でゲームセンターの中に入っていく彼の後に続きながらも、あまりの失望感に額に手を当てて俯いてしまう。頬がヒクヒクと引き攣っているのが自分でも分かった。波多野のデリカシーの無さは去年から知っていたつもりだが、こうも露骨に目の前にすると衝撃と絶望が止まらない。そんなものはロマンチックだけでいいのだが、肝心のソレは止まらないどころか影を見せてすらいないのが厳しい現実だ。どういう神経しているのかしらこの馬鹿は。
世の中の不条理に落胆する小山を他所に、波多野は彼女の手を引いてとある筐体の前に連れて行く。
「これやろうぜこれ!」
「はぁ。何やるのよ……?」
興奮気味に叫ぶ波多野が指で示した先に視線を飛ばす。
《アンデッド・ガンスリンガー ~血肉を散らして殺し合え!~》
波多野の顔面に思わず渾身の右ストレートが炸裂した。
「馬鹿じゃないの!? 女の子と遊んでいる時にこんなの選ぶ奴がいるか!」
「い、いひゃい……小山、めっひゃいひゃい……」
「自業自得よ! 殴られたくなかったらもっと雰囲気のある奴を選びなさい!」
「ら、らじゃー……」
鼻を押さえながら周囲を見渡す波多野。完璧人間を目指せとまでは言わないが、せめて女性に対する最低限の気遣いと礼儀くらいは弁えてほしいと思う今日この頃である。どこの世界にデート中の異性にゾンビゲームを勧める男がいるというのか。……いや、デート中ではないけども。そこは、まぁ、気分的に。
しばらく視線を彷徨わせていた波多野はある場所に目を止めると、小山の肩を叩いて注意を引いた。
「じゃ、じゃああれなんかどうだ? 小山のイメージと趣味にぴったりだと思うんだけど」
「私のイメージ? へぇ、そんなの見つけたんだ」
意外にも私のことをそれなりに考えて吟味してくれていた波多野の優しさに口元が綻んでしまう。もしかしたらニヤけているかもしれない。普段から阿呆なことしか言わない波多野ではあるが、いざとなればこのような気遣いができるのか。少し彼を甘く見ていたかもしれない、と小山は心の中で彼への評価ポイントを吊り上げる。イメージを掴めるほどに自分のことを見ていてくれていたのかと思うと、顔が熱くなると同時に心が満たされるような感覚を覚えた。
終始仏頂面な小山には珍しい柔和な笑みを浮かべながら、波多野の視線を追う。
《ストリートアンデッド4 ~路地裏のゾンビ最強決定戦~》
無言のボディーブローが波多野の鳩尾にめり込んだ。
「が、がはっ……! な、ぜ……」
「アンタ……私に対してどんなイメージ持ってんのよ……」
「どんなって、そりゃ……暴力的でサディスティックでヒステリックで――――」
「それ以上言ったら埋めるわよ」
「どこに!?」
「ひぃぃ!」と怯える波多野にもう何度目か分からない溜息をつく。
もうこれは絶対わざとやっているとしか思えない。なんだそもそも女子にゾンビを勧めるって。鼻も恥じらう十六歳の乙女を捕まえて、この
思わずなりふり構わず叫びだしたい衝動に駆られるも、さすがに公衆の面前でヒステリーを起こすわけにはいかない。自分はこれでも品行方正な生徒(多少誇張有り)で通っている身だから、迂闊なことをやって評判を下げるわけにはいかないのだ。
……まぁ波多野に暴力的な制裁を加えている時点で品行方正の優等生には程遠いのだが、小山友香はそのことには気づかない。知らぬが仏とはよく言ったものだ。人間本当に知るべきことは知らないものなのである。
(……はぁ、仕方がないわね)
こうなったら小山が決めてしまうほかあるまい。
いつの間にか痛みから復活していた波多野の手を握り返すと、ゲーセンの奥――――プリクラコーナーを指さして溜息交じりに口火を切る。
「もうここでぐだぐだ言っても仕方ないから、プリクラだけでも撮って別のところに行きましょ」
「あ、う……うん、そうだ、な。……それがいい、うん」
「進? 急に何どもってんのよ」
「い、いや、その……なんでもないぜ?」
「何よアンタらしくない。煮え切らない態度は似合わないわよ」
急に焦ったような態度を取り始めた波多野に思わず名前呼びが出てしまうが、彼はそれには気づかずちらちらと小山の顔とプリクラコーナーの方に交互に視線をやっていた。普段からはっきりものを言う彼にしては珍しい様子に小山としては違和感を覚えてしまう。なんだ、何が彼をここまでテンパらせているのだ。
首を傾げながらも、波多野の視線を追うようにプリクラコーナーを見る。
そこには――――
《本日はカップル感謝デー! 恋人連れのお客様専用となっております!》
顔から火が出るかと思った。
「ななな、な――――――――っ!?」
「お、俺は構わないんだけどさ……小山は一応彼氏持ちだろ? あんまりこういうのは避けた方が良いんじゃないかと思うんだけど……」
彼にしては珍しく小山を気遣っているようで、どこか気弱な様子で言い訳を並べていた。顔を赤らめて気まずそうに視線を逸らすその姿はあまりにも新鮮で少しばかり目を奪われたものの、今は彼に見惚れるよりもこの場を乗り切ることが先決だ。頭を振って煩悩を追い出すと、まだ熱が残る顔をできるだけポーカーフェイスにするよう試みつつ会話を続ける。
「か、関係にゃいわよ!」
「…………」
「…………」
「……えっと、今噛ん――――」
「言わないでっ! 思い返すと底抜けに恥ずかしいから言わないで!」
もういっそのこと死んでしまいたいくらいに恥ずかしい。普段ならば仕事のできるクールビューティで通っているはずの自分が何故この馬鹿男の前ではこんなにも無様で惨めで哀れな女になってしまうのか。おかしい。何かがおかしい。波多野進の前だと身体のどこかが不調を訴えているような気持ちになってしまう。胸が苦しくて、呂律もうまく回らなくて……最終的にはちょっとした失敗を繰り返してしまう。
頭を抱えて呻き声を漏らす小山。穴があったら掘り進んでブラジルまで行ってしまいたい。
「うぁぁ……」と情けない声を漏らし続ける小山に波多野は何を勘違いしたのか、苦笑交じりに肩を竦めると、彼女の背中に手を当てて言った。
「じゃあ撮るか。いざとなったら俺のせいにすればいい」
「へ……?」
「お前朝言ってただろ? 世間体がどうとかかんとか。だったら全部俺のせいにしちまえばいい。根本に責められようが周囲に罵られようが、俺のせいにしてしまえば平気だろ?」
「や、それはそれでアンタに申し訳が……」
「大丈夫さ! それにどちらかというとそうしてくれた方が面白い! 理不尽な逆境は人生における最高のスパイスだよな!」
「うぉー!」と天井を見ながら猛烈に絶叫する波多野を見たまま、ポカンと口を開けて呆けてしまう。何の責任を感じたのかは知らないが、どうやら彼は小山の世間体とやらを肩代わりしてくれる所存らしい。何がどうしてこうなった。これってそういう話だったっけ?
会話の流れが直滑降すぎて着いていけないものの、彼が自分を気遣ってくれたことだけはなんとなく分かる。小山が呻いている理由を勘違いした上に恥ずかしいことをつらつら並べ立てるとか、彼は相も変わらず突拍子もない人間であるようだ。
しかし……彼を見ていると、なんとなく悩んでいる自分が馬鹿らしくなった。
ちょっとした失敗とか、変な感情とか、あまり気にしすぎても仕方がない。彼といて、楽しいならばそれでいいではないか。
(なぁんか、進の信条に影響されている感が否めないわね)
「どうした、早く行こうぜ小山」
「……そうね。さっさと撮って、早いと次の場所に行きましょうか!」
子供のように催促する波多野に答えながら、プリクラコーナーへと向かう。その手が握られたままだということに気が付く様子はない。しかしまぁ、それをわざわざ指摘するのも野暮というものだろう。
結局プリクラを撮った後に買い物と夕飯で帰宅が遅くなって二人とも親からキツイ説教を受けてしまうのだが、それはまったくの余談である。
感想、誤字報告などお気軽に。お待ちしています。
次回もお楽しみに!
※小山さんの身長は167cm、波多野が163cmの設定です(一応)