期待を裏切らないように精一杯頑張っていきたいと思います!
新学期初日、五時間目の体育開始まで残り三分。
波多野進は社会的な死への第一歩を今にも踏み出そうとしていた。
(やべぇ……これは面白いどころじゃすまないぞ……!)
昼休みに異端審問会に捕縛され、女子更衣室に放置の刑を実行された波多野はギリギリでクラスメイトの小山に助けられたが、少しばかりタイミングが遅かったらしい。窓から逃げる時間もなく、逃げ場を失った波多野は小山の案で彼女のロッカーに隠れ潜んでいた。女子勢に鉢合わせるよりは百倍マシだが、これはこれで結果的には危険な橋を渡っているように思えなくもない。
ちょうど目の辺りにある隙間からは、キャピキャピと騒ぎながらワイシャツを脱ぐ女子達の姿が見えた。
こ、これは……役得と言っていいのだろうか。
「(アンタ……まさか嬉しそうに着替えを凝視して無いでしょうね……?)」
「っっ……!?(ブンブン!)」
周囲にバレないように気を遣いながらも隙間から鋭い眼光を浴びせてくるのは小山友香。去年からいろいろと因縁及び関係のある友人だ。女子更衣室に軟禁されていた自分を助けてくれた少女でもある。養豚場の豚を見るような視線をぶつけてくる彼女に多大なる恐怖を感じた波多野は無駄に反論することもせず咄嗟に首を全力で左右に振りまくった。恐ろしさのあまり悲鳴を上げそうになったのはここだけの秘密だ。
ドアを挟んで牽制しあう二人。だが、ここにいるのは自分達だけではない。
「あれ? 友香ちゃん着替えないの?」
「え、えっ? あ、愛子か」
「もうっ。どうしたちゃったのさ友香ちゃん。さっきから様子が変だよ?」
女子勢が既に半裸状態になっている中で一人だけ未だワイシャツを脱いでいない小山を不審に思ったのか、どこかボーイッシュなAクラス生徒工藤愛子が首を傾げながら彼女に話しかけていた。去年の終わりに波多野達のクラスに転校してきた彼女は一応顔見知りではあるが、知人だからといって今の状況がばれてしまうのは限りなくマズイ。
同じ結論に至った小山も顔を引き攣らせながら必死に応対。
「べ、べつになんでもないのよ! ちょ、ちょっとだけなんか恥ずかしくなっちゃって……」
「恥ずかしく?」
「そ、そう! え、えーと……」
この場を凌ぐために全知力を総動員して理由を導き出そうとしているのがこちらからでも分かる。凄まじい勢いで両目は泳いでいるうえに冷や汗の量がハンパないので動揺を勘付かれるのも時間問題ではないかと正直気が気でないが、現在犯罪者予備軍になりつつある自分は黙って状況を見守るしかない。
それよりも問題は、小山が少し動いたことで女子更衣室の光景が再び波多野の目に飛び込んできたことだ。
今回CクラスはAクラスとの合同体育。よって、今女子更衣室にはAクラスの女子生徒もいるということになる。学年主席の霧島翔子や木下優子。幼馴染の佐藤美穂に、目の前にいる工藤愛子。いずれも学年最高クラスの美少女達だが、そんな彼女達が現在波多野の目の前で更衣をしているのだ。これは男として如何ともしがたい事態である。願うことなら、盗撮の一つでもしておくべきではないだろうか。
……まぁ、
(そんなことしたら友香に何されるか分かんないから、やらないけど)
一応これでも善良な一学生を自負しているので、自ら犯罪者になる必要も気持ちもない。こんなしょうもない理由で補導されるのもアホだし。それにさっきから小山の視線が痛いのであまり余計な事を考えると後々酷い目に遭うことが分かりきっている。新学期初日から命を落とす趣味はない。
はぁ、と溜息をつくと、再び小山の挙動に気を配る。
工藤から浴びせられた質問の返答を必死に思案していた小山は顔を真っ赤にしながらも、ようやく思いついたであろう答えをテンパった様子で何故か大声で叫んだ。
「そのっ、最近胸の成長が芳しくなくて、あんまりみんなに見られたくないなぁって思って!」
何を言っているんだろうかこの馬鹿は。
あまりにもこれから先の展開が予想できてしまうほどに安直な地雷をいきなり踏んだ悪友に対して衝撃と戦慄が止まらない。それと現在彼女は慌てすぎて失念しているようだが、小山の話を聞いている少女はあの工藤愛子である。保健体育実践派を自称している典型的なお転婆少女を前にしてそんな爆弾を投下するとか、脱がせてくれと懇願しているようにしか思えない。自分から地獄に飛び込んでいくとか本当に何を考えているのか。
少し経ってようやく自分の過ちに気付いた小山はさらに顔を赤らめると、両手をぶんぶん振りながら必死に前言を撤回。
「ち、違うの! 今のはちょっとした言葉の綾で――――」
「ふ~ん……友香ちゃんはそんなにおっぱいの成長具合を確かめてほしいんだ~?」
「ちがっ……!?」
「優子、代表。ちょっと友香ちゃんを脱がすから手伝ってくれない?」
「ぶほぉっ!? い、いきなり何言ってんの愛子って霧島さんも木下さんもなんで私の腕を拘束するのぉおおおおおおおおおおお!?」
我らが代表が今世紀最大の悲鳴をあげているが、Aクラスメンバー達が手を緩める様子は全くない。華麗に動きを拘束された小山のワイシャツのボタンを上から徐々に外していく工藤。肌色率がだんだんと大きくなっていくにつれて、波多野の鼓動もさらに速度を増していく。さっきから女子の下着とか胸とかが見えていたというのに、小山の裸が露わになっていくことに対しては先程とは比べ物にならないくらい羞恥と焦燥、そして歓喜の感情が胸の中で湧き上がっていた。
様々な感情がせめぎ合い、波多野は涙目だ!
(うわ、うわぁあああ!! なんだなんだなんなんだよこの感情は! 別に俺はあいつの事なんてなんとも思ってないはずだろぉおおおおおお!!)
そうは言ってみるものの自分の赤面率が上昇している事実に波多野は気づいているのだろうか。そしてその間にも小山がワイシャツを脱がされ上半身をブラジャーだけの姿にされていることに遅まきながら気がつくと、一瞬我を忘れかける波多野進十六歳。思春期男子のリビドーが爆発しかけた。いやマジで。
露わになった小山の胸部をまじまじと見つめながら、工藤はニマニマと嫌らしく笑う。
「へぇ~……友香ちゃんって着痩せするタイプ? Bくらいだと思ってたけど……CかDくらいはありそうじゃん」
「!?」
「余計なこと言わなくていいから! なんでそんなこと言うかな愛子は!」
「どう思う、優子?」
「ちょっとだけ脂肪吸引しても罰は当たらないわよね?」
「木下さんは私に何をする気なの!? ちょっとその手の動きはどういう意味合いが!」
「……友香。ちょっとだけ……ね?」
「霧島さんの真意が分からない!」
「あぁもううるさいなぁ。優子、やっちゃって!」
「えいっ」
「ふぁあんっ!?」
霧島に拘束を任せると背後から小山の胸部を下から持ち上げるように掬い上げる優子。柔らかな球体がブラジャーの上から零れ落ちそうになっているが、あれってどれくらい柔らかいんだろうか羨ま……けしからん!
セクハラ紛いの行為にもはやマトモな反抗を返せていない小山に気をよくした優子と工藤はそれぞれ片方の胸をやけに丹精込めて揉み込んでいく。それに伴い徐々に小山の表情が甘いものへと変化し始めていた。
「やっ、ちょっ……はぁ……!」
「もー。こんなに大きいくせに成長度合いが心配だなんて、友香ちゃんは我儘だなぁ」
「そ、そういうわけじゃ……て、いうか、やめっ……」
「妬ましい……ワンサイズくらい分けなさいよ羨ましい憎たらしい……!」
「木下さんなんか変な感情が出ちゃってる! そんな揉んでもサイズダウンしないからぁ!」
(うわ……うわうわうわぁあああああああああ!!)
予想はしていたもののあまりにも百合百合した光景に波多野の性的本能がムクムクと本領を発揮し始めていた。だがここで大人しく負けを認めてしまうと行く末は刑務所あるいは鉄人の根城。男としては理性を外すべきなのだろうが社会的に生き続けるためにも理性を総動員して必死に耐え抜くしかあるまい。たとえ憎からず思っている悪友の裸体を目の前にしようとも、今の波多野は煩悩を消し去って無我の境地に至る必要がある。
精神統一の為に目を瞑る……ことまでしなくてもいいか。音の遮断……も必要はないだろう。いや、煩悩に敗北しているとかではなく、ほら、状況の把握は大事だし。
五感すべてを全開にしつつも、心の中では煩悩と過酷な戦いを繰り広げる波多野。
(色即是空、空即是色……!)
「もういっそのことブラジャーまで外して全貌を明らかにしちゃおうよ!」
「いやぁああああ!! せ、せめて今日は勘弁してぇええええええ!!」
「ごちゃごちゃ言わないの。あんまり反抗すると下も脱がすわよ」
「木下さんたまに凄まじいこと言うのやめてくれない!?」
「…………」
「霧島さんは無言で私のショーツに手をかけないで!」
(無理だぁああああああああああああああ!!)
五秒で敗北した。というか、どれだけの鉄の意志を持っていればこの性欲地獄に耐え抜くことができるのか。ムッツリーニ辺りでは貧血で大変なことになっているレベルだと思う。自分は頑張っている方だ。まだいろいろと実力行使に出ていないだけ褒めてほしい。録画すらしていない自分は偉いはずだ!
実質盗撮犯になっていない自分を自画自賛しながらも、小山の痴態をしっかり記憶に焼き付けようとしている辺り情けないにも程があるが、そこは触れないでおくのが吉だろう。彼にも一応なけなしのプライドがある。それがたとえ発泡スチロールよりも脆いものであったとしても、できれば尊重してもらいたい。
霧島が小山のショーツに手をかける。抵抗虚しく徐々に下ろされていく布地を鼻息荒く凝視する波多野を無意識に睨みつける小山だが、彼女は彼女で泣きそうになっていた。しかし救済策はない。
ショーツが完全に下ろされ、秘所が露わになる――――!
『お前らいつまで着替えている! もう授業は始まっているぞ!』
「げっ、大島先生!」
「すみません! 今すぐ行きます!」
「友香ちゃん、続きはまた今度!」
素晴らしいタイミングで飛び込んできた体育教師大島先生の怒声に慌てて更衣室を出ていく女生徒達。Aクラス三人娘も小山を残して走り去っていく。変な静寂に包まれる中、どこか憔悴しきった様子の小山と色々感情の整理がつかない波多野だけが残された。
「…………」
「…………」
終始無言。気まずいにも程がある。黙りこくって下着を着直し、体操着に着替えていく小山を前にして嫌な沈黙が二人の間に広がっていた。
着替え終わると、小山はロッカーのドアを開ける。
なんか言葉で言い表すのも馬鹿らしいくらい恐ろしい形相で波多野を睨みつけていた。
重苦しい雰囲気の中、静かに呟く。
「……見た?」
「み、見てません見てません! ずっと目ぇ瞑ってました!」
「……下着の色は?」
「黄緑!」
あ。
失言に気が付くが時すでに遅し。もう恥ずかしさの臨界点をとっくの昔に天元突破している小山は目の端に涙を浮かべて小刻みに身を震わせながら、拳をぎゅっと握りしめると視線を下に俯いている。裸を見られたのが相当堪えたのだろう。男子の自分にはよく分からないが、女子はそういうところを気にするらしいし。
女子の涙が極度に苦手な波多野はあちこち視線を彷徨わせるが、手を差し伸べてくれる女神様がいっこうに現れる様子はない。いや、このタイミングで性別・女が出現しても困るのは波多野だけれども。
何か言わないと。お通夜でももうちょっと騒々しいだろうというくらいに沈黙した雰囲気を打破するべく、波多野は全力で頭をフル回転させるとできるだけ尾を引かないウィットに富んだ言葉を返そうと小山の方を向き直り、
「俺は……お前の身体、綺麗だと思ったぜぶるちっ!」
渾身の右ストレートを顔面に入れられ、結局放課後まで監禁されてしまう波多野であった。