全滅しなかったのは、奇跡と言っていいかもしれない。
Bクラス防衛隊五人が同時に腕輪の能力を発動した瞬間、小山は咄嗟に左手にあった【茶道部】の扉を開錠。付近にいた先遣隊をできる限り多く部室に引っ張り込んで事なきを得たのだ。
……しかし、たかが部室程度の広さに、しかも咄嗟の勢いで匿えた人数などたかが知れている。
「残ったのは10人か……」
須川の悲痛な呻き声に、小山は声を発する余裕もない。悔しそうに歯噛みをする。
80人いた遊撃隊が、たった一度の攻撃によって10人にまで減らされた。ただでさえ戦力に乏しい連合クラスにとってこれは酷過ぎる痛手だ。もしかしたら廊下に生存者がいるかもしれないが、Bクラスの精鋭を前にして慈悲を与えられているとも考え難い。
改めて、生存メンバーを見返す。
Cクラスは小山と野口、新野、横尾、岡島の五人。Fクラスは須川、秀吉、島田、横溝、福村の同じく五人。一応両クラス内でも上位の成績を持つメンバーが集まってはいるが、Bクラスに比べると目劣りしてしまうのは否めない。
「坂本はんは物量戦って言うてたけど、既に人数ですら負けとるかんなぁ」
「そうだね……いくらなんでもこの人数であの防衛部隊を突破するのは難しいよ……」
「な、なに弱気になってんのよアンタ達! まだ始まったばかりじゃない!」
もはやすっかり敗北ムードで会話する野口と岡島に、島田が慌てたように反論を始める。ここで弱気になってはいけないというのはもっともなのだが、岡島達の意見もまた正しいと言えば正しい。
低い点数を人数で補うというのが今回の作戦だった。人海戦術と言えば聞こえはいいが、ようはただのゴリ押しだ。80人とかいう常識はずれな人数で押せ押せ行け行けという作戦だったのだが、既に10人まで減らされているうえに戦力的にも微妙と言うありさまだ。このやられようでゴリ押し作戦を実行するというのは、少々命知らずと言っていいだろう。
しかし、このまま待機しているわけにもいかない。もしかしたら防衛部隊が手薄になったFクラスに攻め込んでいる可能性も捨てきれないのだから。
「ここは一旦Fクラスに戻るべきではないかのう?」
「ですが、部室を出た途端に待ち伏せされる可能性もあります。迂闊な行動は避けるべきではないでしょうか」
「そうですわね。せっかく生き残ったのに全滅してしまっては元も子もないですわ」
「かといってここにずっと立て籠もっているわけにもいかない。何か行動を起こさないと、消耗戦で不利になるのは俺達の方なんだぞ?」
「うーん……」
誰かが案を出せば、誰かがそれを否定する。決定的な案を出さない限り提案と否定が堂々巡りを繰り返す。生産性のないループが数回続いた末に、誰もが口を閉ざしてしまう。打開策を出さねばならないとは全員分かってはいるけれども、あまりにも絶体絶命な状況下に置かれてしまっているからか、暗い雰囲気に支配されて口を噤むしかなくなっている。
訪れる静寂。重くなる空気。
もう誰も有効な策を考え出すこともできず、このまま負けを待つしかない。
誰もがそう思った。
その時である。
『今だシェリル、やっちまえ!』
『オーケィねトオル! イングリッシュならワタシの独壇場ヨ!』
『なっ!? 後ろから……伏兵だと!?』
『二人だからって舐めるなよ!』
『【一閃】ネ!』
『きゃぁああああああ!!』
「この声は……シェリルと黒崎君……?」
唐突に廊下から響き渡った聞き覚えのある声に、小山をはじめとしたCクラスの面々が驚いたように顔を上げる。残留部隊としてCクラスに待機しているはずの二人が、何故この場にまで出てきているのか。作戦はどうなっているのか。様々な憶測、疑問が頭の中を飛び交うが、そんな彼女達の困惑を他所に茶道部の扉が開かれる。
そこから覗いたのは、先程の二人。
「大丈夫か、代表達!」
「助けに来たネ!」
「シェリル、黒崎君……」
「お二人がどうしてここに……?」
「どうして? おいおい、何言ってんだお前達」
「は?」
当たり前の疑問をぶつける新野に、黒崎とシェリルは何故かキョトンとした顔をして首を傾げる。何がどうなっているのか。Cクラスだけではない。須川達Fクラスメンバーも状況が把握できずに戸惑っているようだ。作戦に変更でもあったのか。しかし、試召戦争中は携帯電話も使用禁止であるため、クラス間の通信は原則困難であるはずだが……。
現状が掴めない小山達の様子をようやく察したのか、二人は目配せすると、シェリルが代表として口を開く。
「もしかしてユーカ達は知らされていないノカ? ワタシ達は渡り廊下で戦闘が始まったら、隙を見て不意打ちをかける特殊部隊としてCクラスに残っていたヨ」
「特殊部隊……? 波多野や土屋が配属されている部隊とは違うの?」
「ノンノン。まったく違うネ。ススム達はあくまでも主力部隊。ワタシ達はユージに最初から救援部隊として行動するように言われていたヨ」
「坂本の野郎……もしかして最初から俺達が待ち伏せ食らうことを分かっていやがったな……?」
「80人の捨て駒……? でも、戦力の八割を失っていったい何の得が……」
捨て駒作戦自体を否定するわけではない。時と場合によってはそれが最適な手段になることもありうるのだから、一概に悪いとは言えない。だが、今回の作戦に関してはメリットが全く思いつかない。神童とまで呼ばれ、学内でも一目置かれている坂本雄二のことだから何も考えていないということはさすがに有り得ないだろうが……それにしても、まったく予想ができない。
彼はいったい何がしたいのだろうか。小山の疑問は尽きないが、これ以上悩んでいるわけにもいかない。廊下の防衛部隊は二人が駆逐してくれたようだから、今は作戦の遂行に向けてBクラスに攻め込むことを最優先とするべきだろう。
そのことを皆に提案すると、各々十分な納得はしていないながらも自分達の役目を把握してはくれたらしい。頷きを確認し、全員で茶道部の部室を後にする。
が、現実は想像よりも厳しくできているらしい。
茶道部の部室を出て、新校舎へと進み始めた小山達の前に立ち塞がる人の壁。その数、およそ40人。先程まで存在しなかったはずの防衛部隊を目の前にして、思わず全員が言葉を失う。
「よぉ、どうしたよ連合クラス! そんな顔真っ青にしちゃってさぁ!」
その向こう。渡り廊下の遥か先から、厭味ったらしい男の声が聞こえてくる。もはや名前を思い出す必要すらない、忌々しいながらも自分と最も因縁がある相手。現在において最終的に倒さなければならない強敵。
Bクラス代表、根本恭二。
根本はBクラス生徒の間を通って渡り廊下の前まで歩いてくると、見ているこっちが気分が悪くなるような下品な笑みを浮かべて挑発してくる。
「あれれぇ? 連合クラスなのに随分とこじんまりとした遊撃隊だなぁ?」
「……少数精鋭よ、悪い?」
「少数は認めるが精鋭ってのは認められないなぁ。Fクラスのクズ共とCクラスの雑魚共が精鋭ぃ? ハッ、冗談もここまでくると笑うに笑えないわ」
「根本! テメェ……!」
「駄目よ須川君。アイツの挑発に乗ったら相手の思う壺だわ」
「でもよぉ……!」
「Fクラスってのは我慢もできないのか? 勉強がお粗末なんだからせめてそこくらいは人並みでいてくれよ。人として」
「……言いたいことはそれだけかしら? Bクラス代表さん」
「つれないねぇ。まぁ、戦争が終わればその減らず口も叩けなくなるさ」
くつくつと喉を鳴らす根本。仲間を貶され激昂する須川と黒崎を皆が必死に抑えているのを横目に眺めつつ、小山は顔を俯かせることもなく気丈に根本を睨み続ける。ここで挑発に乗っては元も子もない。だが、だからといって彼の言いたいように言わせておくのも中々に神経を削る苦行だ。いつもの小山ならば光の速さで激怒していることだろう。ここまで耐えられているのは、いつも傍らにいてくれたあの少年の存在が大きいのかもしれない。
拳を握り込み、下唇を噛みしめて必死に耐える小山。彼女が黙っているのをいいことに、根本は罵詈雑言を並べ立てていく。聞いていると耳が腐るのではないかという程に嫌悪感を覚えるが、小山はなんとか耐えていた。
「アンタ! いい加減にしなさいよ!」
「そうネ! それ以上悪く言うとワタシが許さないヨ!」
「あぁん? 雑魚がいくら吠えてもなんともねぇなぁ」
背後から島田とシェリルの叫びが聞こえる。仲間思いの彼女達が怒るのは予想の範疇だ。大丈夫。まだ大丈夫。
耐える。耐えて見せる。耐え抜いている間に作戦を考えるんだ。この圧倒的劣勢を打破できる、起死回生の秘策を。
小山は我慢していた。それはもう、誰が見ても尊敬するであろう程に、彼女は気丈に耐え抜いていた。
――――しかし、根本恭二はそんな彼女の努力さえも嘲笑う。
「ったくよぉ。雑魚と問題児の相手ばかりで可哀想だよなぁ友香。特にあの波多野ってバカは、始末に負えねぇ」
「…………」
「コバンザメみてぇに友香にくっつきやがって迷惑だよなぁ。あんな底辺野郎と仲が良いって噂が立つと、お前の風評にも関わるんじゃねぇか?」
「…………黙れ」
「ちょっと文系科目が良いからって、理系はFクラスにも劣るクズじゃねぇか。なんであんな奴がCクラスに残れてるのか不思議でたまらねぇよ。カンニングか、それとも教師に賄賂でも送ったのか? 有り得そうだな」
「……黙れぇえええええええええええ!!」
気がつくと、小山は右腕を振りかざしていた。
気がつくと、小山は床を蹴って駆け出していた。
気がつくと、目の前に根本の顔があった。
「小山さん! 駄目!」
島田の制止の声が聞こえるが、小山の心には届かない。今の彼女には何も聞こえなかった。大切な人を馬鹿にされた怒りが。好きな人を虚仮にされた憤りが。愛する人を貶された憤怒が、彼女の心を染め上げていたから。
拳を握り込む。
腕を振り上げる。
クソ野郎の顔面を狙って、思いっきり怒りをぶつける!
「がっ!?」
ゴッ! という鈍い音が聞こえたかと思うと、根本はやや後方に軽く吹っ飛んでいた。……いや、正確には吹っ飛ばされていた。小山の殴打によって、彼は頬を腫らせて廊下をのた打ち回っている。
ミミズのようにグネグネと悶絶している根本を見下ろしたまま、小山は感情の赴くままに思いの丈を吐き出していく。
「アンタに……アンタなんかに、進の何が分かるっていうのよ!」
「な、なんだよ……!」
「確かにアイツは日頃から問題ばっかり起こすし、
「グチャグチャうるせぇな……おい、鉄人! その五月蝿い女を早く補習室に連れて行けよ! 召喚者による攻撃は戦争規則違反だろ! さっさと失格扱いでこの場から連行してくれ!」
「西村先生と呼ばんか! ……小山、理由はどうあれ手を上げたのは事実だ。お前はこの場で失格とする」
「ほら、早く行けよバカ女! 目障りなんだよ!」
「根本、それ以上悪口を言うようなら貴様も失格にするぞ! いい加減にしろ!」
西村の怒声に押し黙る根本。だが、その表情に悔しさは見受けられない。敵の主力を戦場から追放できたことに対する喜びに、密かにほくそ笑んでいるのが見なくても分かる。
悔しかった。あんな奴に良いように言われたままこの場を去るのが、どうしようもなく悔しかった。
「小山さん!」
「島田さん……」
駆け寄ってきた島田に思わず顔を上げる。自分の身勝手な行動で彼女達に迷惑をかけてしまった。罪悪感に押しつぶされそうになり、堪えきれずに目の端に涙が浮かぶ。
「ごめん、なさい……。私のせいで、みんなが……!」
「……ただの嫌味な女かと思っていたら、案外カッコいいじゃないの」
「え……?」
「後はウチらに任せなさい、
「しま……美波……?」
「アンタの想いはきっと届いてる。大丈夫よ。絶対に勝つから」
「アンタは結果を待ってなさい」そう言って小山を送り出す島田。Bクラスを前にしてまったく臆した様子もなく、彼女は大群に立ちはだかる。見れば、遊撃隊の他メンバーも同様に小山に背を向けるようにしてBクラスに仁王立ちしていた。彼らに怯えた雰囲気は一切感じられない。
(皆、ごめん……。お願い、勝って……!)
身勝手だとは思う。自分から不利にしておいて、都合がいいとは思う。
だけど、今の自分にできるのは祈ることくらいだ。
後ろ髪をひかれながらも、小山は西村に連れられるように戦場を後にした。
☆
『あはは。いやぁ、小山さんらしいと言えばらしいけど、まさかあそこまでするとは予想外だね』
『馬鹿なんだよアイツは。我慢しておけば良いのに、変なことでキレてさ。今までの努力が水の泡じゃねぇか』
『僕達のことなんて放っておけばいいのにねぇ。何言われても今更気にしないし』
『俺がCクラスで一番の問題児ってのは周知の事実だからな。あんな分かり切ったこと言われても流すだろうと思っていたんだが……あのヒステリックは治らないらしいな』
『まぁまぁ。でも満更でもない顔してるよ?』
『……うるせぇよ。ジロジロこっち見んな』
『……さてさて、小山さんが退場しちゃったからちょっと厳しいけど、どうする?』
『あ? 決まってんだろそんなの』
『だね。そう言うと思ったよ』
『
『意外だな。僕も実は同じ気持ちなんだ』
『馬鹿と同じ気持ちとか嬉しくないな』
『キミも相当馬鹿だと思うけど』
『違いねぇ』
体育で教室を空けている
『行くぞ吉井。あのクズ野郎をぶっ飛ばす』
『オーケー波多野君。僕も一発お見舞いするよ』
問題児二人が、戦場へと飛び込んでいく。
根本の扱いに批判が出るかもですが、ご容赦を。
次回もお楽しみに。