「試験召喚獣、
Fクラス軍からCクラスを守るように先頭に立った波多野の呼びかけに応じて召喚獣が顕現する。身の丈ほどもある大きな盾に騎士鎧という格好をした召喚獣を足元に従えると、彼はニィと不敵な笑みを浮かべた。決して有利とはいえない状況下で笑う波多野を怪訝に思ったのか、須川が密かに眉を顰めた。
「全員を相手にするとは、いくら点数に自身のあるお前でも少々キツイんじゃねぇのか?」
「そんなことはないさ。相手が何人いようが所詮は学年最底辺クラスの成績保持者だ。確かにお前達の連携とチームワークには目を見張るものがあるが、別に俺の敵じゃあない」
「へぇ……さぞかし良い点数を取ったんだろうなぁ?」
挑発も兼ねた須川の問いかけに言葉を返さず、ただ口元を吊り上げて反応する波多野。そのあまりにも厚顔不遜な様子にFクラスメンバーが次々と疑問の声を上げ始めるが、それでも波多野はあくまで無言を貫き通していた。
召喚獣が顕現し、数秒遅れて点数が表示される。数字の羅列が召喚獣の頭上に浮かび上がった瞬間、敵味方を問わず様々な意味合いを込めたどよめきが広がるのだった。
騎士鎧を身に纏った召喚獣が大盾を敵前に構える。
『Cクラス 波多野進 VS Fクラス 二十人
現代社会 658点 VS 平均67点』
「ろ……六百点オーバーだと!?」
「馬鹿なっ! 下手すると学年最高点だぞ!」
「進、テメェ……ッ!」
「……見たかよ、Fクラス。絶対的不利な状況の中で単騎活路を開く救世主。この戦争において、これ以上ない程面白い展開じゃないか!」
驚愕するほどの高得点にFクラス勢が目を丸くして呻く中、波多野は一人両手を広げて高笑いを続けている。その姿は勇者一行の前に立ち塞がる魔王そのもの。試行錯誤を繰り返して勝ち抜いてきた集団を力でねじ伏せる暴力的な存在。今の波多野は、まさにそんな『力』の根源とも言えた。
あまりの点数差に戦慄の表情を浮かべる相手戦力を前にして、波多野進は再び冷酷に裂けるような笑みを浮かべる。
場の空気が凍りつく様子を楽しむように喉を鳴らすと、彼はゆっくりと右手を振り上げ――――
「『衝撃波』!」
轟! と空気を切り裂くけたたましい音を上げながら一陣の烈風が――――いや、烈風の塊とも言うべき巨大な衝撃波が波多野の召喚獣が持つ盾から放たれる。廊下全体を埋め尽くすほどの衝撃波は彼の目前で臨戦態勢に入っていたFクラス生徒達の召喚獣を根こそぎ巻き上げ、天井や壁、床に次々と叩きつけていく。逃げることはおろか防ぐことすら許されない暴力の嵐はFクラス防衛班の戦力を完全に奪い、瞬く間に全員の召喚獣を戦死させていた。
『…………は?』
一瞬、旧校舎から完全に音が消える。沈黙が支配する空気の中で両クラスの生徒達がようやく口に出したのは、もはや言葉ともいえない気の抜けたような疑問の声だ。今目の前でいったい何が起こったのか。誰もが眼前の光景を信じられないと言わんばかりに目を見開き、呆気にとられている。かくいう小山も例外ではなく、ぽかんと間が抜けたように大口を開けて波多野の所業を眺めていた。
奇妙な静寂が旧校舎を支配する中、突如として波多野が叫んだ。
「何やってんだ小山! 今の内にFクラスに行けよ!」
はっと弾かれるように我に返る。そうだ、元はと言えばそういう作戦で、波多野は自分達の突破口を開くためにわざわざ召喚獣を呼び出したのではないか。ここで無様に立ち止まっている余裕はない。今は一刻も早く敵陣に乗り込むことが先決だ。
波多野の言葉に導かれるようにして、Cクラス生徒達が次々と廊下をFクラスの教室に向かって走っていく。波多野の腕輪の能力によってほとんど壊滅状態に追い込まれたFクラスが戦況を立て直すことは最早容易ではない。かろうじて生き残った残存勢力がCクラス軍に攻撃を加えるが、それも些細な攻撃力だ。地力で勝るCクラスが痛手を負うほどではない。
これなら行ける。白星を勝ち取れる。
誰もがそう確信した。ここまで来れば負けはない。絶対に勝てる。
「そこまでです! ここから先には絶対に行かせません! 試獣召喚!」
Fクラスの教室から慌てたように廊下に飛び出てくる桃色髪の美少女。名を姫路瑞希という学年次席レベルの才女が目の前に現れても小山達が動じなかったのはそんな確信があったから。彼女と共に廊下に出てきた物理教師の召喚フィールドが福原教師の現代社会フィールドと相殺し、大剣を抱えた姫路の召喚獣が霧散していく。
召喚フィールドの干渉。作戦会議で波多野が言っていた通り、理系科目を打ち崩すことに成功。
「そんなっ……こんな力任せだなんて!」
あまりにも原始的な突破法に悲痛な声を上げる姫路だが、召喚獣を使役していない今の彼女にCクラスを止める術はない。大挙して押し寄せるCクラスの大群に巻き込まれないように教室の扉から退くことくらいしか、姫路瑞希にできることはない。
波多野を先頭にして、Fクラスの教室へと侵入する。カビの生えたボロボロの畳を踏みしめつつ進んだ先には、目に見えて慌てる間抜けそうな少年と気怠そうに寝転んでいる赤髪の少年の姿があった。『観察処分者』の吉井明久に、Fクラス代表の坂本雄二だ。
「ど、どうしよう雄二! Cクラスに囲まれちゃったよ!?」
「落ち着け明久。ただでさえ見るに堪えないアホ面をさらに歪ませるんじゃない」
「キサマ! この期に及んで僕を貶すんじゃないよ! 状況分かってんの!?」
「……そうだな。まぁ、ピンチと言やぁピンチだな」
ギャーギャー騒ぎ立てる吉井に軽口を叩きながらも、坂本はどこまでも飄々とした楽観的な表情を浮かべて波多野達を見据えている。そのあまりにも場違いな態度を不審に思った波多野は、わずかに眉を顰めると警戒心を隠そうともせずに坂本に声をかけた。
「おいおい坂本代表よぉ。お前が神童って言われて頭良いのは知っているが、今の状況が分からないほど馬鹿だとは思わなかったぜ?」
「へぇ、随分と勝ち誇ったご様子だなCクラス副代表さんよ」
「そりゃあな。姫路瑞希も突破した。教室には観察処分者の吉井しかいない。加えてこの大人数だ。多勢に無勢どころの騒ぎじゃない。勝ち誇って当然の状況だろ?」
「確かに。こいつは結構な窮地だ」
「……随分と余裕じゃないか」
「そう見えるならそうなんだろうよ」
あくまでも余裕の表情を崩さない坂本にCクラス生徒達から戸惑いの声が上がり始める。坂本は基本的にハッタリと巧みな策略で知られているが、もしかすると今の態度もハッタリなのではないか。いや、それとも今回こそは何か作戦があるのかもしれない。そんな思考に囚われ、困惑の表情を浮かべるCクラス。
そんな彼らを前にして、坂本は周囲に気づかれない程に小さく笑みを零す。
「なぁ波多野。今回の戦争についてだが……なんで俺達がわざわざCクラスなんかに勝負を申し込んだと思う?」
「そんなの……Aクラスに勝つための布石作りじゃねぇのかよ」
「まぁ確かに、そういう考えもあるな。だが、正確には正解じゃあない」
「なんだと?」
「そもそも俺達にとって、今回の戦争は回り道みたいなものだ。Dクラスを倒したのに同程度のCクラスに挑む意味があるか? そんなもんは無駄でしかない」
「……待てよ。じゃあ、お前らはなんでこの戦争を……?」
「牽制さ。Cクラスには懸念すべきイレギュラーがいるからな。なぁ? 波多野進さんよ」
学力平均レベルで特にこれといった長所を持たないCクラスにおいて、切り札ともいえる特別な存在が波多野進だ。Aクラスにも劣らない文系科目は他クラスにとっては驚異でしかない。坂本がわざわざ遠回りをしてまでCクラスを牽制するほどの実力が波多野にはある。
だが、ずっと二人の話を聞いていた小山は一つ疑問に思った。
なぜ坂本は、自分達にこんな話をするのだろうか。
追い詰められたから苦し紛れに目的だけでも話しておくというのはあながち不自然でないわけでもないが、現在の彼に別段追い込まれた様子はない。あたかも均衡、いや、それ以上の戦況であるかのような余裕を見せている。波多野との会話でも彼を挑発するくらいだ。隣で慌てふためいている吉井明久の方がよっぽど正しい態度を見せていると言えるだろう。吉井を見るに、Fクラスにこれ以上の策はないはずだ。
しかし、だったら坂本の余裕っぷりは何なのか。大量のCクラス勢を前にしても眉一つ動かさない坂本に、小山は心なしか気圧されてしまう。
(このまま放っておくと何か危険な気がする。早く倒した方が良い)
「波多野」
「分かってるよ、小山。ここまで追い込んだんだ。後はお前が直々に引導を渡してやれ」
「おっと、代表対抗戦か? いくら格上とはいえ、悪鬼羅刹を相手にタイマン張ろうとは少々無謀な気がするがね」
「減らず口もここまでよ。後で吠え面かいても知らないんだから」
「肝に銘じておくよ。……っと、そんなに時間もないんだ。さっさと召喚しよう」
「えぇ、試獣召喚」
「試獣召喚っと」
坂本に促されるように召喚呪文を唱える小山。彼女の声に応じて足元に展開された魔法陣から巫女服に身を包んだ召喚獣が三叉槍を持って飛び出してくる。対する坂本の召喚獣は白染めされた改造学ランにメリケンサックだ。どこの不良学生だよと心の中で思わずツッコミを入れてしまう。
――――この時、小山友香は一つの間違いを犯していた。
坂本の言葉に釣られてそのまま召喚を行った小山だが、彼女はこの時大切なことを忘れていた。それは作戦に関わる最大の案件であり、この戦争の鍵を握ると言ってもいい内容だ。CクラスがFクラスの本陣まで突入できた理由の最たるものであるその案件を、代表である小山自身がすっかりド忘れしていた。
最強の敵である姫路瑞希を華麗に跳ねのけ、Fクラスに侵入できた最大の要因。
召喚フィールドの干渉。
干渉した召喚フィールドは破壊され、張り直すにはそれなりに時間がかかる。だったら、今自分達は何の教科で召喚したのだ?
小山と坂本の召喚獣が顕現し、その頭上に点数と戦闘科目が浮かび上がる。
『Fクラス 坂本雄二 VS Cクラス 小山友香
保健体育 106点 VS 127点 』
「なっ……!? ほ、保健体育ですって!?」
「今だ、出番だぜムッツリーニ!」
「…………試獣召喚」
「まずっ……! 試獣召喚!」
坂本の声に、どこに隠れていたのか小柄の男子生徒が突如として目の前に現れると流れるようにして召喚獣を呼び出す。彼の正体にいち早く気が付いた波多野が慌てて召喚獣を顕現させるが、波多野の表情は苦しいものだった。
三白眼と引き結ばれた口元が特徴的な青年、土屋康太。別名『
『Fクラス 土屋康太 VS Cクラス 波多野進
保健体育 594点 VS 194点 』
「…………邪魔するな」
「ぐっ……駄目だ、勝てねぇ!」
Cクラス内では優秀な成績である点数の波多野でさえも一太刀で点数を奪われ、戦死してしまう。空中に霧散していく召喚獣を悔しそうに見る波多野。
「波多野!」
「小山、てめぇはさっさと坂本倒せ! ムッツリーニは黒崎達が足止めする!」
「おうともさ! Cクラス残り二十五名、全員で挑むぜ!」
『試獣召喚!』
「…………無駄」
『Fクラス 坂本雄二 VS Cクラス 小山友香
保健体育 84点 VS 115点 』
『Fクラス 土屋康太 VS Cクラス 25名
保健体育 587点 VS 平均106点』
すかさず小山に狙いを定める土屋だが、黒崎を初めとしたCクラスがその行く手を阻む。だが、Cクラスの点数に対して土屋の点数は五倍以上。急遽組み上げられた防衛線はそう長くは持たないだろう。瞬く間に次々と点数を刈り取られていく。
しかしながら、幸いなことに坂本は召喚獣の操作慣れしていない。後方で指示を出す代表であるだけでなく、彼自身あまり操作を得意とはしていないようだ。なんとか動き回っているが、徐々に小山に追い込まれている。
時間との勝負。小山が坂本を打ち取るか、土屋が小山を打ち取るか。
『Fクラス 坂本雄二 VS Cクラス 小山友香
保健体育 16点 VS 84点 』
『Fクラス 土屋康太 VS Cクラス 5名
保健体育 524点 VS 平均31点』
「やべっ……!」
「もらったぁあああああああ!!」
「…………やらせない……! 【加速】……!」
壁際まで追い込まれた坂本の召喚獣。これを好機とばかりに顔面に狙いを定め、小山は三叉槍を思いっきり突き出す。代表の危機を悟った土屋もまた、残りのCクラスを無視して腕輪を発動。神速と化した召喚獣で小山の召喚獣への突進を図る。
そして――――
『Fクラス 坂本雄二 VS Cクラス 小山友香
保健体育 0点 VS 0点 』
文月学園史上類を見ない、代表同士の戦死でFクラス対Cクラスの試験召喚戦争は幕を下ろした。