第一問
文月学園新校舎三階、2-Cと書かれた札が下がっている教室前にて。
そんな中、波多野は何故か教室に入ろうとはせず、何やらうんうんと唸りながら首を捻り続けている。時折漏れる呟きは彼の思考が零れているのだろう。無意識に漏れている言葉を拾ってみると、こんなことを言っていた。
「俺のキャラを印象付けるインパクトの強い挨拶……いっそのこと扉蹴破って入ってみるか……?」
ちらと目の前の扉に視線をやるが、裕福な高校レベルの設備である教室のドアを蹴り破るのは少々骨が折れると思って即座に却下。ちょっとだけ軽く蹴ってみたものの、弾力感ゼロの衝撃がそのまま自分に帰ってきて足が痛いだけだった。くそぅ。
クセのないストレートの黒髪を軽く掻き上げると、「うーん」と唸りつつ頭脳をフル回転させる。
……二分間ほど考え込んだところで、波多野は力強く頷くと左手の方にある別教室――――学年最高クラスであるAクラスの豪華な教室の方を向くと、
「Aクラスとの試験召喚戦争を土産にすればインパクトでかいんじゃないか……?」
「余計なことしないでさっさと入ってきなさいよいつまでかかってんのこの馬鹿!」
「アウチッ!」
何やら無謀な自殺行為をクラス単位で行おうとしていた波多野を制止するかのようにCクラスの扉を開けて勢いよく飛び出してきた気の強そうな少女は、今にもAクラスの教室に乗り込もうとしていた彼の頭を思いっきり引っ叩いた。結構洒落にならない強さだが叩かれた本人は意外と堪えていない様子だ。頭を擦ることもせず突っ込み少女の方に向き直る。
「……思ったよりデケェな、小山」
「アンタがチビなだけでしょうが。ちゃんとカルシウム取ってるわけ?」
「うっさい気にしてんだから触れんなボケ。それと、俺が言ってんのは身長の事じゃねぇ」
「はぁ? だったらなんだっていうのよ」
低身長を貶されて若干ジト目になった波多野の言葉に眉を顰める小山。ただでさえツリ目で威圧感の強い彼女の雰囲気が三割増しされるが、波多野が怯える様子はない。彼女との諍いには慣れているのか、特段怖がる様子もなかった。
波多野は胸の辺りで腕を組んで自分を睨んでくる小山を――――より正確には彼女の胸を指で示すと、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて飄々と言い放つ。
「ペチャパイだと思ってたけど、よくよく見れば想像していたよりもずいぶんと大きな膨らみじゃない俺の肘関節が可動域360度にぃいいいいいいいい!?」
「こんのセクハラ野郎がぁああああああああああああ!!」
「ぎゃぁあああ!! 折れる! 折れるって小山! このままじゃ新人類に一歩近づいちまうってぇえええええ!!」
あくどい笑みを浮かべたのも束の間。気が付いた時には足を払われ、誠に綺麗な腕ひしぎ十字固めを極められていた。その速度はまさに神速。突然のセクハラ発言に顔を真っ赤にした小山は一寸の遠慮や同情を見せることはせずに目の前の無礼者を駆逐することに決めた。コイツは絶対今ここでぶち殺す。
怨嗟の声を漏らし続ける怨敵に若干口元を吊り上げると、先程よりちょっとだけ力を込める。
「アンタはそろそろ一回くらい臨死体験した方がいいと思うのよね……!」
「なんじゃそれ! なーんじゃそれぇ! そんな一回は絶対にない!」
「あら、だって波多野は何よりも面白いことを求めるんでしょ? 去年そう言ってたじゃない」
「確かに言ったが命を賭けるとまで言った覚えは無いわ! てか、そろそろ放せぇえええええ!!」
「ふんっ!」
「トドメぇっ!?」
波多野の素っ頓狂な悲鳴が新校舎三階に木霊すると同時に、ベキィッという鈍い破砕音が廊下に響き渡った。
☆
文月学園には学力によって生徒をクラス分けする特別な制度がある。
学園長によるとランク分けすることで生徒の競争力を上げ、勉強の効率を底上げする目的があるとかなんとか。そのために、クラスによって与えられる教室設備の豪華さもそれぞれ違っている。
たとえばAクラスならば冷暖房完備の上に大理石の床。勉強机はシステムデスクで飲食ブースも設置という異例のラインナップだ。正直生徒が利用する施設としては裕福すぎる気がしないでもないが、これだけの設備を我が物にしようと勉強に励む学生も少なくはない。
また、例えばFクラス。
こちらは最低学力クラスなだけあってか、Aクラスとは正反対にどん底かつ貧乏な設備だ。
まずはあちこちにカビの生えた粗末な畳。窓ガラスはひび割れていて、机代わりの卓袱台に至ってはちょっとした衝撃で足が折れてしまうほどのボロさ。お世辞にも勉強できる環境とは言えない。だが、そもそもFクラスに編入される生徒の大半は基本的に勉強に対して意欲がないものばかりなので、妥当と言えば妥当なのだろう。どうせシステムデスクとか与えても遊び倒すだけだろうし。
そして、波多野進が所属するCクラスはというと……、
「ちょっと裕福な高校レベルって想像しづらいよなー」
「どちらかと言うと大学の教室って感じよね。机が分離していない辺りを見ると」
「てか、これって清涼祭の時にちゃんと取り外せるんだろうな……?」
十人単位で繋がっている長机を撫でながら、共に教室設備の感想を述べる波多野と小山。結局波多野が延々と悩んでいたインパクトのある入室は小山によって完璧に阻止され、二人で口喧嘩しながらのお披露目となった次第だ。痴話喧嘩よろしく口論と共に入室してきた二人を目の当たりにしたCクラスメンバー達は一同揃って「夫婦か?」と目を疑ったものの、小山には既に彼氏がいるのでそういった関係では決してないのだ。……まぁ、その彼氏とやらの評判は著しく低いが。
小山は波多野の隣で朝のHRで配られたプリントを鞄に詰め込みながら、会話を続行。
「それにしても、アンタがまさかCクラスだなんてね。文系科目が滅茶苦茶いいから、AかBにでも振り分けられたのかと思ってたのに」
「文系だけならな……ただ、鬼門の理科系科目が全力で足を引っ張ったんだ」
「理科系って……Aクラスレベルの社会と国語を相殺するくらい低かったわけ?」
「一桁」
「選択問題全部同じ解答選んでももうちょっとマシな点数取れるでしょうが……」
はぁ、と呆れたように溜息をつく小山。額に手を当てて「やれやれ」とわざとらしく肩を竦める彼女に怒りのボルテージが若干上昇するものの、クラス代表である彼女は波多野よりも総合点数が高いため文句の一つも言えないのであった。学力絶対主義の風潮がここに来て俺の邪魔をするのか、と口元を引き攣らせつつ怒りを抑える波多野。
そんな震える修羅状態の彼に二人の男子生徒が話しかけてきた。
「よぉ進。お前もなんだかんだでCクラスだったんだな」
「よろしく頼むよ、進君」
「おー、黒崎に野口じゃないか。今年もよろしくー」
底抜けに明るい雰囲気の少年が黒崎トオル。そして落ち着いた調子で柔らかい話し方をする方が野口一心だ。二人とも去年波多野と同じクラスであり、それなりに交流を深めていた。第二学年で有名な観察処分者と愉快な仲間達程ではないものの、それなりに一緒にバカやって面白おかしい学校生活を共に送ってきた仲である。見た感じ男子の知り合いがあまり多くなさそうなCクラスにおいて二人の存在は波多野的にはそれなりに大きい。
黒崎は小山に気付くと、何故か嫌らしい含み笑いを浮かべた。
傍らで呆れたような顔で肩を竦める野口を他所に、小山に話しかける。
「ウチの代表は小山か。なんか波乱が起きそうな一年だな」
「ちょ、どういう意味よ黒崎君。私が代表を務めることのどこが不安なわけ?」
「いやいや、小山が代表な点はいいんだよ。ただ俺が言いてぇのは……」
そこで言葉を切った黒崎はちらと波多野に視線を向け、ニコニコと微笑ましく笑うと、
「波多野との不倫が根本にバレないように気をつけろってことなんだけどさ」
「いいい、いきなり何言い出すの貴方は! 意味がッ、意味が分からないわ!」
「え? いやいや、そんな誤魔化さなくてもいいぜ代表。今日だってメチャクチャ仲良さそうに教室に入ってきたじゃねぇか」
「やっ、あ、あれは……あれは馬鹿な事企んでた波多野を止めてただけで! 代表としての責務だし!」
「それに進のことだけ呼び捨てだしさ。彼氏の根本ですら君付けするくせに」
「ぐ、偶然よ! 単純に語呂が良いから呼び捨てにしているだけだって! 別に深い意味なんてないわ!」
「だそうだけど、そこんところはどうなんだよ新野?」
「放送部ネットワークでは『意識している』が優勢ですね」
「すみれ貴女急に出てきて余計なこと言わないでっ!」
不意にぶち込まれた衝撃情報に動揺を隠せないながらも声を張り上げる小山。対して怒鳴られた紫髪の少女は特徴的なシングルテールをピョコピョコ揺らしながら黒崎と二人でケラケラ笑っていた。
新野すみれ。文月学園放送部に所属する、期待のエースである。
朗読大会では常に県上位をキープし、去年は一年生ながら全国大会にも出場した実力の持ち主。「やけに耳に残るいわゆるアニメ声な彼女の声によって語られる物語は目前に風景を映し出してくれる」とはかつて全国大会の審査員を行った評論家の言だ。
顔を真っ赤にして詰め寄ってくる小山をなんなく躱しながら、新野はポケットからボールペンと手帳を取り出すと野口と世間話に興じていた波多野に質問を開始する。
「波多野さん波多野さん! 放送部兼新聞部として友香ちゃんとの関係性についてインタビューしたいのですが!」
「コラーっ! ドサクサに紛れて何聞いてんのすみれぇえええ!!」
「小山との関係? まぁ、喧嘩仲間って言ったらそれで終わりなんだけど……」
「そ、そうよね。ほら、聞いたでしょすみれ。私と波多野はあくまでもただの友人なのよ」
波多野の答えに安堵の溜息をつくと、これ以上の追及を回避するべく話題を終わらせようとする。しかし若干表情に
だが、彼女は忘れていた。
波多野進という少年が何を最優先にして生きる人間であるかということ。そして、そのためには何事も恐れない無謀な少年であるということを。
声を張り上げて新野達を牽制する小山の陰で思案顔を浮かべていた波多野はパチンと指を鳴らすと、新野の注意を引きつける。動きを見せた波多野に気付いた小山が慌てて振り向くが、もう遅い。
波多野は既に悪戯っ子特有の笑顔を顔全体に張り付けると、堂々たる面持ちで言い放つ。
「俺と小山の関係……それは言葉で表現するにはあまりにも複雑で、淫らで、エキサイティングな関係だ!」
『おー!』
「『おー!』とか感心している場合じゃっていうか淫らでエキサイティングってなによその関係性ぃいいいいいいいいい!!」
Cクラス教室に小山友香渾身のツッコミが響き渡った。彼女の絶叫によって各々雑談に励んでいたクラスメイト達が揃って波多野達の方に注目する。新クラスの代表が何やら面白い目に遭っていると判断したCクラスメンバー達は若干遠目でニヤニヤしながら様子を窺うことに決めたらしい。無駄に団結力の強いクラスだった。
そんな絶賛動物園状態の自分にさえ気づいていない小山は〈ガッシィッ!〉と波多野の襟首を掴み上げると、肩ほどまで伸ばした髪を振り乱しながら赤面状態でヒステリックに捲し立てる!
「
「わー! 分かった分かった分かったから手ぇ放せ
「えっ!? ウソ、そういうことはもっと先に言いなさいよ! また変な噂立てられちゃうじゃない!」
「人の話を聞かないうえに勝手に自爆したお前に言われたくねぇ!」
あわあわと頭を抱えて混乱の渦中にある小山と必死に酸素を吸入している波多野。今に会話で既にいくつか地雷を踏んでいる気がしないでもないが、そこら辺はあえてスルーしておくのが文月学園クオリティというやつである。こういう面白いネタは後でゆっくり弄ってやるのが一番効果的でかつ面白いのだし。
それを分かっているクラスメイト達は馬鹿騒ぎすることはせず、いたって普通を装いながらも生暖かい視線を二人に向ける。今年一年の良いカモを見つけたと言わんばかりに舌なめずりしているのは新野すみれと黒崎トオルだ。一方野口は冷静に苦笑いを浮かべて様子を見守っている。
そんな大規模野次馬状態の教え子達の中に不覚にも飛び込んでしまったCクラス担当化学の布施先生は気まずそうに頬を掻くと、騒動の原因となった二人に向けて控えめに語りかけるのだった。
「えーと……まぁ、お幸せに」
「弁解をさせてください!」
「や、でも勘違いさせたままの方が面白くね?」
「アンタは黙ってろ!」
二年Cクラスの一年は、クラス代表のヒステリックなツッコミで幕を上げた。