兼一や逆鬼、それに本郷や翔たちがティダード王国へと出立した頃、無敵超人・風林寺隼人は孫娘を探して世界中を走り回っていた。
世界中を、というのは比喩ではない。海面を疾駆することを可能とする海渡、そして飛行機すら追い抜く超人的脚力。この二つを存分に駆使して、文字通り全世界で規模の大きい聞き込み調査を行っていたのだ。
ただ今回に限ってはそれがやや災いしたといっていいだろう。
クシャトリアは風林寺隼人を盤面に並べるため、真っ先に彼にある情報を与えようとした。しかし風林寺隼人が余りにも素早く移動するせいで、彼を補足するのに些か以上に時間がかかってしまった。
だがクシャトリアの配下――――主にホムラの努力が実り、兼一や逆鬼の出立と少し遅れる形でホムラは風林寺隼人と接触することに成功した。
「ジュナザードはティダード王国とな?」
「はい。ソースが何処かは聞かないで頂けると幸いです」
「ほ? 〝そ~す〟なら梁山泊の台所に買い置きがあったはずじゃが」
「そのソースではありません。情報元という意味でのソースです。尤も貴方様ほどの御方であれば察しはつくと思いますが」
「あい、分かった。わしは運よく独力で美羽の居場所を突き止めた。これでいいのじゃな?」
「感謝します、風林寺殿」
達人を超えた超人としての強さばかりが注目されがちだが、戦国時代から生きているなどと嘯くのは伊達ではなく、風林寺隼人は人生経験の塊のような人物だ。更に言えば長年の経験に裏打ちされた洞察力は、大抵の物事は容易く見抜いてしまう。
だからホムラがクシャトリアの命で動いている事、そしてクシャトリアが何かを企てていることまで風林寺隼人は感付いている。
しかし感付いても敢えて踏み込まずにいるのも、優れた洞察力の賜物といえた。
「感謝するのはこちらの方じゃ。孫娘のいる場所を教えてくれたのじゃからのう。さて、わしとしては今すぐにでもティダードへ赴き、ジュナザードから美羽を取り戻したいところじゃが……」
「――――」
「まだ他に話があるようじゃの」
「……流石は風林寺殿。それもお見抜きでしたか」
ホムラは自分の心が完全に見透かされているのではないか、と冷や汗を流した。
風林寺隼人は好々爺めいて笑うだけで何も答えはしない。ただその瞳だけは真っ直ぐにホムラの目を捉えていた。
「風林寺殿は今ティダード王国が内乱に次ぐ内乱で荒れに荒れているのはご存知で?」
「美羽を探して世界中を走り回っておったら自然と耳に入ってきおったよ。ジュナザードの奴は、まだあのようなことを繰り返しているようじゃな?」
ティダード王国はインドネシアでも随一の内戦地帯だ。街中には常に世界中から傭兵が集まってきており、銃弾が飛び交わない日は存在しないとすらいっていい。自爆テロで建造物が破壊された、なんていうのも一週間に一度の頻度で発生するほどだ。
利益、宗教、民族、言語。内乱や戦争なんていうのは必ず原因があるものだが、ティダードの内乱に限れば、全ての原因はジュナザードに集約されるといっていいだろう。
ティダードにおいて神として信仰を集めるジュナザードは、平和を嫌い戦乱を好んだ。故にジュナザードは意図的にティダードに争いを引き起こし、泰平の時代が訪れないようにしているのである。
一度は高いカリスマと能力を併せ持つラデン・ティダード・ジェイハンにより、纏まりかけた国も、そのジェイハンが死んだことで全てふいとなった。
ジェイハンが殺されたのは白浜兼一との戦いで醜態を晒したからだが、今思えば平和になりかけた国を再び乱すためでもあったのだろう。
事実ジェイハンの妹のロナ姫には、カリスマ性はあっても国を治める能力にはかけており、ジェイハンの後を継ぎ切ることはできなかった。王位正当後継者であるロナ姫は、今では寂れた古城に数名の家臣と住む生活である。
「現在ティダードで最も強い勢力を率いているのは、ロナ姫の父王の側近だったヌチャルドですが、彼にも国を纏められるだけの器はありません。彼が大勢力を率いていられるのは、彼のバックに拳魔邪神がついているからに過ぎないからです。ヌチャルドが邪神にとって不要な存在と成り果てれば、拳魔邪神は躊躇わず彼を殺すでしょう。
肝心のロナ姫には国を纏めるカリスマはあれど、国を治める統治能力はない……。このままではティダードは延々と内乱が続くだけでしょう」
孫娘の命が関わっているのだから、ティダードの内乱など知ったことではない。そう考えるのが常識だが、無敵超人・風林寺隼人の精神は凡俗のそれでは計り知れないものがある。
そんな彼が孫娘可愛さに目を曇らせ、目の前の不幸を見過ごすなんてことはしないだろう。これはそこまでを読んだクシャトリアの計略だった。
「興味深い話じゃのう。じゃがお主の〝ばっく〟にいる者と、そのロナ姫が手を取り合えばジュナザードに対抗するのも不可能ではないと思うがのう」
「あの御方に今はそのようなつもりはありません。あの御方が手を下さない以上、この内乱を鎮めることが出来るのは唯一人。ラデン・ティダード・ジェイハン王子のみです。
風林寺隼人殿。この度は我が主の命により、死した王の居場所をお伝えに参りました」
「!」
初めて無敵超人の顔が驚きに染まる。
「ラデン・ティダード・ジェイハンは雪崩からどうにか生還。ジュナザードの魔手から逃れるため、現在は日本のラーメン屋で余りある手腕を振るっております」
「ほほう。ラーメン屋とはのう。YOMIには頭の良い子が多いのう」
「私からお伝えすることはこれにて終わりです。では、後の事はお任せします」
ホムラは伝えることを伝え終えると、もうやることはないとばかりに立ち去る。無敵超人・風林寺隼人は何をするでもなくそれを見送った。
ラデン・ティダード・ジェイハン。ティダードを平和に導くことのできる唯一の可能性。
思考には一秒もかからなかった。風林寺隼人は風を追い抜く速度で、日本へと戻っていった。
ティダード王国。インドネシアの小国でしかない筈のそこは、今や武術界の中心人物たちの願いと思惑が渦巻く世界の中心となっていた。
白浜兼一、逆鬼至緒、叶翔、本郷晶。そして無敵超人・風林寺隼人、活人拳の長までもがティダードを目指している。
事はそれだけでは終わらない。闇の無手組が長、一影こと風林寺砕牙もまた『どうしても駄目な時』は己の娘を守れるよう、変装してティダードに潜入していた。
だがもう一人。風林寺砕牙の影、もう一人の一影もまた動きがあった。といっても彼の思考にあるのは風林寺美羽でもジュナザードでもなく、本郷晶に同行している叶翔なのだが。
「鍛冶摩」
「――――はっ」
自分の師に呼ばれてYOMIの新リーダー、鍛冶摩里巳が入室してくる。
〝一影〟は振り返ることなく、自身の弟子に告げた。
「お前も聞き及んでいるな。人越拳神・本郷晶がティダードへ向かった。不可侵の協定を破ったジュナザードへの報復のために、だ。お前のもう一人の師も娘に万が一がないようティダードへ向かっている」
鍛冶摩は風林寺砕牙の弟子だ。故に彼から発端から現状まで一通りの流れは教えられていた。
ただ叶翔までティダードへ赴いているというのは初耳だったが。
「お前に任務を与える。お前もティダードへ向かえ。目的は――――」
一影が任務の内容を言う。聞き終えると鍛冶摩は神妙に頷き、任務を了解した。
元より鍛冶摩は己の命を武に捧げている。師からの命令を断るなんて選択肢が、そもそも鍛冶摩には存在しないのだ。
「して一影様。俺がいない間、YOMIは誰が統括を?」
「こういう時、便利に扱き使えるクシャトリアが留守だからな。オーディーンにでも任せておけ。YOMIで一番組織の統率に秀でているのは彼だ。少々不安だが拳聖もいれば問題はないだろう」
本国で修行中の者、師匠探しの真っ最中な者を除いて、本部にいるYOMI幹部は谷本夏、櫛灘千影、レイチェル・スタンレイ、朝宮龍斗の四名。その中なら確かに朝宮龍斗がうってつけだろう。
千影は人を率いるタイプではなく、レイチェルは論外。そして谷本夏はラグナレク時代、朝宮龍斗の配下だったのだから。
「では行け、我が弟子」
「――――はっ。務めを果たしてまいります」
旧きYOMIの長が向かった国に、新しきYOMIの長までもが向かう。
ここにクシャトリアも想定していなかった駒が、新たに盤面に並ぶこととなった。
これでやりたかった夢の対決がやれそうです。