史上最凶最悪の師匠とその弟子   作:RYUZEN

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第72話  分岐点

〝銃声が鳴った〟 

 

 叶翔の体に穴が開いて、そこから噴水のように血が噴き出す。その光景を兼一はまるで夢を見ているような気分で見ていた。

 足は鉛のように動かない。指はボンドで固められたように動いてくれない。ただ頭だけがハッキリとしていて、その光景を脳裏に焼き付けている。

 

「沈めっ!」

 

 瞬間だった。叶翔が目に最後の光を灯してフォルトナ兵に蹴りかかろうとする寸前、どこからか飛来した手甲が兵士の頭を吹き飛ばした。

 それを見た叶翔は心底安心したように微笑むと、命を燃やし尽くして地面に倒れていった。

 

「翔ーーっ!」

 

 この世で最も愛する人の絶叫が木霊する。倒れ掛かる叶翔を美羽が受け止めた。

 兼一も満身創痍で銅像になったかのように動かない体に、無理矢理に気血を通して動かす。

 

「なんて無茶をする……。己の体を盾にするなど正気か!」

 

 手甲をフォルトナ兵に投げつけた張本人、クシャトリアが翔の隣に着地すると素早く容体を確認していく。

 医学知識など岬越寺師匠からの受け売りくらいしか持たないが、その手つきは非常に慣れたもののように見えた。

 

「クシャトリアさん!? お願いしますわ、翔を――――」

 

「言われるまでもない」

 

 美羽の懇願よりも先に、クシャトリアは植物マニアの兼一ですら知らない薬草を取り出すと、それを翔の傷口に張り付けていく。

 

(血が……あんなに!?)

 

 翔から流れ出していく夥しい血液。これまで出血くらい何度も経験した兼一だったが、あんな量の血が流れる光景など見たことがない。

 いや、あるといえばある。以前TVで見た医療ドラマ。そこで交通事故にあって死亡した犠牲者があれほどの血を流していた。

 勿論ドラマは所詮は虚構、現実ではない物語に過ぎない。だが目の前で倒れる叶翔は虚構でもなんでもなく現実だ。

 クシャトリアの素早い処置で血は止まったが、その光景は最悪の未来を脳裏によぎらせるには十分すぎるほどのものだった。

 そして元一般人の自分ですら分かるのである。幼い頃よりそういう場所を渡り歩いてきた美羽は、よりシビアに物事を見ているだろう。その証拠に彼女はこちらの胸が痛くなるほど悲痛な顔で、滝のような涙を流していた。

 

「無事か……? 美羽……」

 

 一秒後には永久に覚めない眠りについても不思議ではない状況。でありながら死の淵にいる叶翔が案じるのは美羽の身のみだった。

 その姿に兼一は武術家ではなく、風林寺美羽という女性を愛する一人の男として敬意を表さずにはいられない。

 

「な、何故……あのようなことを?」

 

「き、君の防弾スーツでは、アサルトライフルの弾は防げ……ない」

 

「そんなこと聞いてるんじゃないですわ!」

 

「それに……やっと見つけた俺の片翼だった」

 

 ゴホッと叶翔は血を吐き出す。そこで自分の運命を悟ったのか、翔は兼一に腕を突き出す。

 

「白浜兼一!」

 

「う、動いては駄目ですわ!」

 

 治療のためには怪我人は安静にさせておくべき。そのことを知らぬ筈がないだろうに、クシャトリアが翔を止めることはなかった。

 或はこれが叶翔の『最期の言葉』となるかもしれないから、止めまいとしているのかもしれない。

 

「俺はもう美羽を守れねえ……。だから貴様が守れ! 闇より降りかかる邪悪なもの全てから!」

 

 翔から託された思いを兼一は無言で受け取ると、拳を合わせる。それで自分の役目を終わったと、叶翔はゆっくりと目を閉ざした。

 一人の男の死、それを察して声のない絶叫が轟く。

 

「まだだ。まだ彼には息がある」

 

 だがこの場で一人だけ、クシャトリアは冷静に言った。兼一と美羽の目に希望が再点火する。

 

「ほ、本当なんですか!? お、お願いします……叶翔を、助けてください!」

 

「私からもお願いしますわ! 翔を……」

 

「君たち梁山泊からしたら叶翔は敵だろうに。だが危険な状態だ。寸前で手甲を投げ入れ弾丸の軌道を逸らしたから最悪は免れているが、このままだと遅かれ早かれ同じことだ。

 ティダートの秘薬だけじゃきついな。手術は薬草ほど得意じゃないが、やるしかない……!」

 

「手術!?」

 

 こんなところで手術などできるのか、と問おうとして兼一は思い出した。

 デスパー島には試合で重傷を負った選手のために最新医療設備が導入されている。兼一や新白連合の皆も世話になったので良く知っている。

 あそこならば手術に必要な機材も一通り揃っているだろう。

 クシャトリアが叶翔を抱き抱えた。その間にも刻一刻と叶翔は死に引きずられていっている。急がなければ、ならないだろう。

 

「そういうことならばおいちゃんたちも協力するね」

 

「馬師父!?」

 

 今最も来てほしい人の一人が現れたことに、兼一と美羽は目を輝かせる。

 

「逆鬼どんは秋雨どんを連れてくるね。手術なら秋雨どんが一番得意ね」

 

「おうよ!! 待ってろ、直ぐに連れてきてやる!!」

 

 馬師父がクシャトリアと共に医務室へ走っていき、逆鬼師匠は岬越寺師匠を呼ぶために飛んで行った。

 梁山泊と闇、二大勢力に所属する豪傑たちが一人の命を救うために奔走している。これならばきっと叶翔も。

 安心したせいで緊張の糸が切れたのか、兼一は眠るように気絶した。

 

 

 

 

 兼一が次に目を覚ました時、視界に飛び込んできたのは長老の笑みだった。

 体が上下にがくんがくん揺れる。この感覚は闇ヶ谷へ行くときに感じたものと同じものだった。どうも長老に抱えられているらしい。

 

「おお、目が覚めたか兼ちゃん」

 

「ちょ……長老。あいつは……叶翔は、どうなりましたか? 手術は!?」

 

 体の痛みすら忘れて、長老の隣を並走する馬師父と岬越寺師匠に言った。

 そこに叶翔の手術をした一人であろうクシャトリアの姿はない。無論、叶翔も。

 

「彼の手術は――――大失敗したね!!」

 

「えええええっ!?」

 

「冗談ね」

 

「師父!? こんな時にふざけないで下さい!」

 

 あまりの不謹慎さに怒るが、そこで気づいた。手術の大失敗が冗談ということは、結果がどういうものだったのかは予想のつくことだ。

 馬師父の後を岬越寺師匠が引き継ぐ。

 

「クシャトリア君の応急処置が完璧だったお蔭で、どうにか危ういところで一命をとりとめたよ。峠は越えたし、もう大丈夫だ」

 

「そうですか」

 

 聞きたかった答えを得られて、兼一は心からほっとした吐息を漏らす。

 叶翔の無事。昨日まではあれほど嫌いで嫌いでたまらなかったというのに、今では彼の無事をこれほど喜んでいる自分がなんとなくおかしかった。

 

「それで叶翔はどうしたんですか?」

 

「あいつならガングロ仮面が連れて行った…よ」

 

「が、ガングロ仮面って」

 

 もしかしなくてもガングロ仮面とはクシャトリアのことだろう。

 確かに浅黒い肌でよく仮面をつけているが、あんまりといえばあんまりな渾名だ。

 

「けど良かったんですか。あいつを闇に戻しちゃって」

 

「あいつの師匠、本郷晶はテメエの弟子を見殺しにするような男じゃねえ。寧ろ下手に闇から引き離そうとする方が危険だ。

 あの小僧、闇の一なる継承者なんだろ。それが梁山泊や国連に身柄を抑えられたら、連中のこった。どんな手を使ってでも取り返しにくるぜ」

 

 いつも好戦的な発言をすることの多い逆鬼師匠が、珍しく冷静な発言をする。

 国連や梁山泊、それに闇とのパワーバランスなどという複雑な勢力関係については良く分からない。だが師匠がそういうということは、それが一番正しい判断だったのだろう。

 だが叶翔が美羽を守ったのは闇からしたら許しがたいことのはずだ。もしも闇がそのことで叶翔になにかしようとすれば。

 

「心配すんな。本郷の奴なら、例え闇を全部敵に回してもテメエの弟子を守る。あいつはそういう男だ」

 

「叶翔の師匠のこと知ってるんですか?」

 

「ああ。好敵手だ」

 

 逆鬼師匠がここまで信頼を寄せる相手など、兼一の知る限り梁山泊の師匠たちくらいだ。

 それほどの信頼を向けられるというのであれば心配することはない。

 兼一は忘れていた痛みを思い出して悶えた。

 


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