一つのことを学び、極めようとする者達が一定数以上集まれば、誰が一番なのかを知りたくなるのは人間の常である。
だからこそ武術のみならずスポーツや広くは料理に至るまで『大会』というのはいつの時代も行われてきた。
表の世界で最も有名な大会といえば、やはりオリンピックがあげられるだろう。日本人的には甲子園だとか国立だとかの方が身近で分かりやすいかもしれない。
そして表の世界のスポーツ選手が自分達の腕を他者と競い合いたいという願望があるように、裏の世界を生きる武術家にも同じ願望がある。そんな願望が形になったのが裏ボクシングであり裏ムエタイでもあるのだろう。
また当然、表のようにメディアに大々的に放送されるものと違い、裏の大会は往々にして血生臭く表沙汰にならないものにありがちだ。いや、表沙汰にできる裏の大会など皆無に等しいだろう。
参加者は賞金首や殺人犯が当然のようにいるし、観客は殺人、女、薬などの臭いを纏った悪党たち。では彼らの中で頂点に君臨した者に与えられるは栄光か、それとも別のなにかか。
――――闇の世界で最も有名な『大会』にDオブDというものがある。
正しくはDesperate fight of Disciple、略してDオブD。
日本語訳で「弟子の死闘」という名前の通り、20歳未満の弟子たちによって開催される武術大会だ。裏社会では伝統ある大会で、ここで優勝した武術家の中には今は達人として名を轟かせている者も数多い。
主催者は闇にも多大な出資をしている武術マニアの大富豪フォルトナだ。
もっと世界は武術を中心にして回るべき、最強の兵器は人間自身などと言って憚らない危険人物で、多くの孤児を養子にしては己の武術的好奇心を満たすために消費する悪党だ。
開催地であり彼の私有地であるデスパー島には、フォルトナの雇った達人に最新科学を用いた防衛システムがしかれており、例え国軍であろうと陥落させるのは難しい鉄壁の要塞といった体をなしている。
「また面倒なことを人に押し付ける」
クシャトリアはテーブルに置かれた手紙を見下ろし、深い溜息を吐いた。
溜息と一緒に幸福が抜け落ちていくような気がしたが、きっとただの錯覚だろう。逃げていくような幸福など、今の自分には思い当たらないのだから。
「栄誉なことじゃないか。一応裏社会じゃ格式ある大会のゲストに招かれるなんて」
「人事だと思って勝手に言う。なんなら代わってくれてもいいんだが」
「いやいや。すまないけど私はバーサーカーやルグの面倒を見ないといけなくてね。二人を大会に放り込むのも面白そうだが、私の目から見るにまだ時期尚早だ。ここは謹んで辞退させてもらうよ」
自分のためではなく、弟子の育成のために断るのがなんとも緒方らしい。
クシャトリアは改めてテーブルに置かれた招待状に視線を落とした。招待状の差出人の名はフォルトナ。言うまでもなくDオブDの主催者の名前である。
無論、招待といってもクシャトリアを選手として招こうなどというトチ狂ったことをフォルトナがするわけがない。仮にも一影九拳にも比肩する武術家が弟子クラスの大会に参加すれば、大会ではなくただの虐殺劇になってしまう。
観客が望むのは生死をかけた死闘であり、一方的な処刑ではないのだ。故にこの招待状は選手としてではなく賓客、ゲストとしての招きである。
(まぁ。未来ある若者が成す術なく虐殺される、っていうのも需要がないわけじゃないが)
権力という極上の玩具を手に入れた人間は、場合によっては暗い欲望をもつもので、適当な孤児を攫ってきては、わざと逃がして猟銃片手に狩りを楽しむ――――なんていう悪趣味な遊びを、クシャトリアは見た事がある。
「師匠ー! 拳聖様の弟子との交流組手しゅーりょーしました! 聞いてくださいよ、リミ。なんと六勝四敗! 勝ち越しだお!」
緒方の弟子との交流組手のため連れてきたリミが、意気揚々とそう言ってやって来た。
半身不随で治療中の朝宮龍斗を除いた、緒方の二人の弟子。バーサーカーが五度、ルグで五度の合計十戦。弟子クラスではの但し書きはつくも、両名とも優れた素養と実力をもつ武術家だ。
その相手に合計六度の勝利を勝ち取った。
これは実に師匠として鼻が高いところだが、ただでさえ調子にのり易いリミは飴五分の鞭九割五分の割合でやった方がいい。故に、
「そうか。なら負けた回数×一時間、明日の組手に費やそう」
しっかりと鼻っ面に鞭を叩き込んでおいた。
「お、鬼だお……鬼がいるお……。おろ? この招待状なんなんじゃろ。…………英語、読めないお。でもこの天下一武道会の三倍くらいビッグなコロシアム。
ピンときた! 謎は全てとけたし、真実はいつも一つ! まさか師匠、大会に出るんですかー! これから待望の達人トーナメント開始ですか!?」
「…………苦労してるね、君も」
「才能はあるんだがなぁ」
同情的な視線を送る緒方に、クシャトリアは嘆息で応じる。
とはいえお頭の方は残念極まるリミだが、無造作に置かれている手紙に気付くあたり、妙に注意深いところがあるので侮れない。
「DオブDは二十歳未満の武術家限定の大会だ。俺は出ないよ」
「えと、じゃあ選手ってばまさかリミ!? 遂に銀幕デビューの時が来てしまったんですか!」
「阿呆。闇から選手として参加するのは九拳のディエゴ殿とラフマン殿のYOMI二人。カストル姉弟だ。招かれているのは俺一人だけ……」
「良く分からないけど、凄そうな大会にVIPで招かれるなんて凄いんですねぇ~」
「…………武術家として百歩譲って光栄だとしても、人間的には行きたくないが」
「ふぇ? なんでですお?」
「理由は色々ある。実力は兎も角、フォルトナが師匠に近い性質だということが一つ。だが一番にはDオブDを仕切るため招かれたディエゴ・カーロ殿があそこにいるからだよ」
笑う鋼拳ディエゴ・カーロ。邪神や鬼神や拳神など物騒な異名が飛び交う九拳において、ともすればどこか陽気さすら感じる異名。
しかし以前、彼と仕事をしたことがあるクシャトリアは〝笑顔〟のマスクの裏側に鬼も泣き出す〝怒り〟のマスクが隠れていることを知っている。
「ディエゴ・カーロって人がいると、そんなに駄目なんですか?」
「ふっ。ディエゴ殿は一影九拳でも特に派手な御仁でね。暗殺任務を受けたら、花火で暗殺対象を派手に打ち上げるなんて朝飯前。エンターテイメントのためならなんでもやるクレイジーさで並ぶ者はいない。
俺が一影や美雲さんの頼みでどれだけ事後処理に走り回らせられ、どれだけディエゴ殿に無理難題無茶振りをふっかけられたか。断言しよう。かぐや姫の我侭すらあれに比べれば子供のおつかいだね。
DオブDに行けば、どうせディエゴ殿のエンターテイメントに付き合わされ、事後処理やらなにやらで奔走させられるに決まってる」
「じゃあ行かなければいいじゃないですか?」
「そうもいかないんだよ。最悪なことに一影直々に笑う鋼拳の暴走を抑える役と、カストル姉妹等のお守りも命じられているし。おまけに相手は九拳で、俺は一介の闇人だから頼まれれば断れない。ふ、ふふふふふふ」
中間管理職の悲哀を漂わせるクシャトリアの背中は煤けていた。
幹部と下っ端の間にいる人間が苦労するのは、日本の企業から大国に匹敵する力をもつ秘密結社でも変わらなかった。
「――――拳魔邪帝殿」
「ん?」
「あ、龍斗様!」
体調のため今回の交流組手にも不参加だった龍斗が、車椅子をひいてやってくるとリミが顔を明るくして飛びつこうとする。
だが龍斗もさるもの。車椅子を巧みに操りあっさりとリミを回避する。拳聖がよく制空圏を仕込んでいるのが良く分かる動きだった。
「う~。龍斗様が冷たい~」
「リミ、恋愛に積極的なのはいいが時と場所を選べ。それより。なんだい、龍斗くん」
「DオブDに梁山泊が招待されたというのは本当ですか?」
「耳が早いね。ああそうだよ」
今回DオブDには梁山泊の史上最強の弟子・白浜兼一ならびに無敵超人の孫娘・風林寺美羽がDオブDに選手として招かれた。梁山泊の豪傑たちも全員が観客として招待されていることだろう。
これは全て一影九拳の総意ではなく、DオブDを仕切ることになったディエゴ・カーロが大会を盛り上げるためにやった独断である。しかし幾ら独断といっても招いてしまったものは仕方ない。今になって取り消すわけにはいかない以上、万が一の事態だけは防ぐ必要がある。
ただでさえ忙しいのに梁山泊の参戦というイレギュラーがなければ、クシャトリアがDオブDに行くことはなかっただろう。
クシャトリアは梁山泊の参加を聞いた龍斗は目を伏せ、曇った眼鏡の向こう側で考え込む。
本人は隠しているつもりなのだろうが、読心術を会得するクシャトリアには彼が幼馴染と嘗て淡い恋心を抱いていた相手を心配しているのが瞭然だった。
だから彼が次に言うであろう言葉もなんとなく予想はついていた。
「……拳魔邪帝殿、そして拳聖様。一つ私の願いを聞いては頂けませんでしょうか?」
「なんだね、龍斗。言ってみなさい」
緒方がやんわりと促す。心なしか表情がどことなく楽しげだった。
「どうか私をデスパー島に行かせてください。選手として参加させてくれ、と言うのではありません。本当にただ行かせて頂けるだけで結構です。どうか、お願いします」
「龍斗が行きたいなら師匠として私は背中を押すが、クシャトリアはどうだい?」
緒方には他にやることがある以上、龍斗がDオブDに行くにはクシャトリアが面倒を見なければならない。
はっきりいって彼を連れて行ったところで荷物が増えるだけかもしれないが、
(彼の目)
朝宮龍斗は生半可な気持ちで行きたいと言っているのではない。ここでクシャトリアが断れば、自分の力だけでなんとしてもDオブDに行こうとするだろう。
言っても聞かないのであれば、目の届くところで面倒を見たほうがマシだ。
「分かった。ただし軽挙な行動は慎むこと。それが条件だ」
「はい」
「はいはいはーい! 龍斗様が行くならリミも行きます! 龍斗様、二人でDオブDに優勝しましょうね!」
「いや僕は大会に参加するわけじゃ……」
龍斗とリミの二人を眺めながらクシャトリアは考える。
これまでリミはクシャトリアと実戦に近い組手は何度もやってきたが、一方で年の近い武術家との死闘に関しては未経験に等しい。叶翔の時はただの組手であるし、ティターン時代のものは単なる喧嘩。死闘と呼べるのは贔屓目に見てもクロノスとの戦いくらいだろう。
DオブD。二十歳未満の武術家が我こそはと参加する戦い。リミにとっては良い修行になるかもしれない。
(うん。ディエゴ殿なら飛び入り参加の一つや二つは面白いからで認めてくれるか)
憂鬱なDオブDだったが、弟子の修行と思えば少しは面白く……もとい、やる気が沸いてくる。
リミは自分の師匠が悪いことを考えているのにも気付かず、今は龍斗と一緒に南の島へ行けることを無邪気に喜んでいた。