クシャトリアが弟弟子であるジェイハンに『王』のエンブレムを渡してから数か月後。
無手組の長たる一影からの招集を受けたクシャトリアは、一影の待つ居城へと足を運んだ。
良く言えば個性豊か悪く言えば自分勝手な者達の多い達人の纏め役である一影は、他の九拳たちよりも忙しく一影九拳の会議にも欠席することも多い。
そんな一影直々の呼び出し。余り良い予感はしなかったが、クシャトリアも闇人が一人。ジュナザードほどの異次元の強さがあれば、一影の呼び出しをスッポカスことも出来るのかもしれないが、生憎とクシャトリアは師ほどの強さはないし師程の豪気さはない。
「ここが一影殿のおられる場所か」
一影の使いに連れてこられたのはベルギーにある屋敷だった。
殺風景な草原の中にポツンと聳える日本式の御屋敷は、明らかに周りの風景から浮いていた。ここまでシュールだとある種のホラーである。
クシャトリアは若干げんなりしながらも、一影の待つという部屋へ赴く。
部屋に入ると、既に一影が椅子に座って待っていた。
「一影殿。シルクァッド・サヤップ・クシャトリア、お呼びということなので参上しました」
「急にこんなところに呼び出して悪かった、拳魔邪帝。だが何分、私は暫くここでやることがあるのでね。……かけてくれ」
「はい」
テーブルを挟んで一影の前の椅子に腰を掛ける。
セットされた髪に背広姿をきっちりと着込んだ出で立ちは武術家というよりも、世界で活躍する一流企業化というイメージを抱く。
雰囲気も物静かなもので、とても闇の無手組を統括する男には見えない。
しかしそれは外面のイメージに過ぎない。クシャトリアの師匠ジュナザードと違い不要な殺人を行う外道ではないが、逆に言えば必要なら老若男女問わずの殺戮をも持さない御仁だ。
実際クシャトリアは闇に反抗する抵抗組織を年齢性別問わず皆殺しにしろという命令を一影直々に受けた事がある。
「拳魔邪帝、君は『梁山泊』のことは知っているだろうな?」
一影の確認にクシャトリアは首を縦に振るう。
殺人拳の対極たる活人拳を掲げる達人の集う場所だ。
武術家の頂点に立つ一人である無敵超人・風林寺隼人、ケンカ100段・逆鬼至緒、哲学する柔術家・岬越寺秋雨、あらゆる中国拳法の達人・馬剣星、裏ムエタイ界の死神・アパチャイ・ホパチャイ、剣と兵器の申し子・香坂しぐれなど錚々たる面々が所属している。
梁山泊の豪傑たちは全員が特A級の達人であり、一影九拳とも肩を並べる実力者ばかりだという話だ。
うち無敵超人とアパチャイ・ホパチャイについてはクシャトリアも実際に見たことがあり、その話が嘘ではないことは身に染みて分かっている。
「活人拳を掲げながら『最強』を名乗る梁山泊は、殺人拳と非情の拳こそ真なる武術とする我々にとっては許し難い存在といえる。しかし我々と梁山泊には暗黙の了解があり、敵対はしあっていても激突はしない冷戦状態が続いていた。
とはいえ同じ状況は永遠には続かない。東西冷戦に終わりがあったように、我々と闇にも冷戦終結の兆しが見え始めた」
「和平が成立、なわけはないでしょうね。となると」
「事によってはこれより全面戦争になるかもしれん」
「……!」
闇と梁山泊の全面戦争。そんなことになれば先ず間違いなく大事になる。
下手すれば一影九拳が三分の二に削れるかもしれないし、国が一つ消えてなくなるかもしれない。
決して誇張ではなく闇と梁山泊はそれだけの影響力と力をもっているのだ。
「なにかあったんですか?」
「梁山泊が弟子をとった」
「本当ですか、それは」
武術において弟子とは重要な意味をもつ。
そも武術とは先人から伝えられてきた技術であり、師から武を継承した者には師の教えを次の世代に伝える義務がある。武術組織たる闇も弟子育成を重要視しており、次世代の闇人育成のためにYOMIという組織を作るほどだ。
クシャトリアの師匠ジュナザードを始め一影を除く九拳全てが、自分の継承者となる弟子を幹部としてYOMIに所属させている。
「しかしこれまで弟子をとろうとしなかった梁山泊が何故いきなり……。梁山泊といえば確か拳聖が、梁山泊最初の弟子となる予定だったと聞きますが」
「その通りだ。もっとも梁山泊の長、風林寺隼人の反対により実現することはなかったが」
自分の実父について語りながらも、一影には親子の情のようなものは見えなかった。
闇の長としては肉親にも非情であろうと心がけているのだろう。
ともあれこれまで弟子をとらずにいた梁山泊が弟子を迎えたのは確かに大きな転機であるといえる。
その弟子が途中で逃げたり、潰れたりする可能性もゼロではないが、もしも内弟子として正式な弟子となれば全面戦争のトリガーを引くには十分すぎる切欠になるだろう。
「あれほど弟子入りを渋っていた梁山泊が迎え入れた弟子ということは、やはり一なる継承者の翔くんのように特別な血統なので?」
「それはない。これが闇の諜報部が調べ出した梁山泊に弟子入りした者のデータだ」
一影がテーブルに梁山泊の弟子についての報告書を置いた。
クシャトリアは唾を呑み込みながらその報告書に目を通す。
「えーと、白浜兼一、荒涼高校一年生。10月12日生まれ、身長165cm、体重50kg。父親は一流商社で部長職を務める白浜元次、クレー射撃での入賞経験あり。母親は白浜さおり専業主婦。妹に白浜ほのか十二歳」
プロフィールのさわり程度を流し読みしたが、なにか特別なところはどこにもない。
白浜なる武術家の血統なんて存在しないし、何か身長が高いだとか体重が重いだとかいう身体的特徴もなかった。
強いて特殊なところをあげれば父親がクレー射撃での入賞経験があるところだが、一影九拳のYOMIと比べればその経歴も平凡そのもの。
「なになに……。中学生時代はいじめられっ子で、高校時代からは苛め対策に空手部に所属。しかし入部した空手部でも苛められ、退部をかけた試合で同級生の大門寺と戦い反則負け。空手部を自主退部。
空手部を止めた後に梁山泊に入門。現在は園芸部に所属。成績、中の下、運動神経、中の下、ルックス、中、体格、中の下、ケンカ指数、下、根性、下の下、総合評価E-、ランク、虫けら級。なんですこれ?」
後半の虫ケラ級だとかいうやけに具体的なデータは置いておくにしても、どこをどう見ても梁山泊の弟子になるような者には見えない。
添付されている顔写真にしても『物静かな高校一年生』という感じで武術をやるようなタイプにも見えなかった。
苛め対策に空手部に入った事や、反則負けしたとはいえ試合に挑んだことを含めれば、勇気あるいじめられっ子というのがこのデータからプロファイルできる人物像だ。
「情報部の話によれば、彼が梁山泊に入門する切欠となったのは彼と同じ荒涼高校に在籍する無敵超人の孫娘の紹介があったからということだ」
「……まぁ出生や経歴は武術の素養に必ず関係があるものでもありませんからね」
クシャトリアにしてもジュナザードに拉致される前はごく普通の日本人の少年でしかなかった。
だがそのクシャトリアにしてもジュナザードの関心を引くだけの才能があったからこそ、こうやって若くして九拳と肩を並べる達人になることができたのである。
白浜兼一にしても同じ類なのかもしれない。
「拳魔邪帝。君は荒涼高校に教師として潜入し白浜兼一の動向の監視及び調査をやって貰いたい。教師としての身分や教員免許などについては闇が用意しよう」
「美雲さんの教えが良かったので、高校生レベルなら教えることはできると思いますが…………どうして私に? 梁山泊の弟子の調査となると、最悪梁山泊の豪傑と戦闘になる可能性もあります。私ではなく他の九拳に任せた方が良いのでは?」
「君は拳魔邪神より隠密術を教えられ、変装術と閉心術にも長けている。君がこなしてきたミッションの中にも潜入捜査が幾つかあり、その全てを成功させた実績があるだろう。九拳と並ぶ実力を持つ君ならば、万が一の時も安心できる。
それに拳魔邪帝。他の九拳の方が良いと君は言うが、他の九拳たちに潜入ミッションなんて出来ると思うのか?」
「………………」
想像してみる。九拳たちが普通の学校(それも不良の巣窟)で教師になったことで起こる地獄絵図を。
ジュナザードは論外だ。皆殺し的な意味で学級崩壊すること確実である。そもそもあの自分本位な師匠が一影からの任務なんて真面目に励むわけがない。
人越拳神・本郷晶なら性格的には悪くないが、潜入ミッションなんて断るだろうし、そもそも梁山泊の逆鬼至緒とはライバル関係であり顔なじみ。よって潜入には向かない。
現在も絶賛放浪中の馬槍月は授業をボイコットして自習ばっかり。
セロ・ラフマンは座禅を組んで授業しそうだ。
美雲はあのけしからん恰好で授業したら色んな意味で学校が血の海になる。そもそも無敵超人と顔見知りだ。
アーガード・ジャム・サイもアパチャイの兄弟子であり顔なじみ。性格はまともだが潜入向きでもない。
笑う鋼拳ディエゴ・カーロは学校を毎日学園祭にしそうであるし、そもそも年がら年中覆面しているので論外。
アレクサンドル・ガイダルは癇癪起こして生徒を皆殺しにしそうなので除外。
緒方は元々梁山泊の弟子になる予定だったので顔が知られている上に、体育教師にでもなろう者なら生徒に危険極まる技を教えそうなので却下。
「……謹んでお受けします」
げんなりしながら、任務をやる旨を伝えた。
対ジュナザードの読心術に会得してある閉心術を併用すれば潜入にはうってつけだろう。
「助かる。ああそうだ、拳魔邪帝。これを持って行け」
一影が投げ渡したパスポートを受け取る。そのパスポートは一影九拳なら常にもっているものであり、闇人であればある任務をする際に渡されるものだった。
「
殺しという禁忌を合法化する悪魔のパスポート。
これがあればクシャトリアは天下の往来で罪のない子供を殴り殺したとしても罪に問われることはない。
「ミッションの際に必要があれば使うといい。ただし白浜兼一を含めた梁山泊の関係者には手を出すな」
「了解です」
一礼してから一影の部屋から出る。
クシャトリアはまた面倒なことを引き受けてしまったと嘆息した。