史上最凶最悪の師匠とその弟子   作:RYUZEN

12 / 142
第12話  餞別

 人の住む都市部から大きく外れた小道を、クシャトリアは美雲に連れられて歩いていた。

 電車とバスを乗り継ぐこと三時間。更に徒歩三十分。しかしながら一向に目的地に到着する気配はない。

 

「はぁはぁ……うぅ」

 

 クシャトリアは日焼けで浅黒くなった肌に玉のような汗を滲ませ、心底苦しそうに歩いている。

 本来日頃の処刑・拷問そのものの修行で同年代と比べて遥かにスタミナのあるクシャトリアは、電車とバスに徒歩の合計三時間半の移動をしたところで疲れることなどありえない。

 そのクシャトリアが疲れているのは両手にあった。

 右手と左手には一目で『重い』と分かるほどの重りがぶら下がっていて、しかも美雲からはそれをつけたままTの字でいることを言い付けられている。

 梃子の原理を少しでも齧っていれば、いや齧っていなくても人間なら感覚的に分かることだ。腕を畳んで小脇に抱えるのではなく、腕を伸ばして物をもてば伸ばしている長さだけ重さは増す。

 それをTの字、左右両方の手でやっているのだからクシャトリアの腕にかかる負担は並大抵のものではない。

 これを三時間半だ。クシャトリアの疲労は限界ぎりぎりだった。それはもう電車やバスで奇異の目線に晒されることなど気にもならないほどに。

 お目付け役でもある美雲さえいなければ、クシャトリアはもう土の地面をベッドにして今にも熟睡して休みたい気分だった。

 

「美雲さん……はぁはぁ……お、お願いですからこれ外して下さいよ」

 

「駄目じゃ」

 

 クシャトリアが肩で息をしながら抗議するも、美雲はまったく取り合うことなく却下した。

 

「き、筋トレはあんまりしないんじゃなかったんですか?」

 

「安心せよ。別にわしが修行方針を変更したというわけではない。制空圏と静の気、わしは日頃の修行で芽を出して水をやり育てきた。ここまでくれば後は花を開かせるのみ。

 三時間半、お主に苦行を課しておるのも開花のための下準備じゃ」

 

「これが、ですか?」

 

 両方の手で重い重りをTの字で持って三時間半。これのどこが制空圏と静の気の修行を花開かせる下準備なのか全く分からない。

 師匠と違って美雲の場合は気紛れで妙な事をさせるということはなく、あくまで修行は合理的なものだ。だから無駄なことはさせないだろう、とは思うのだが。

 

(逆に言えば合理的なことなら幾らでも地獄を押し付けてくるんだよな)

 

 無駄のない修行、無駄のない恐怖、無駄のない苦痛。どれも美雲の所にきてからクシャトリアが味わったものだ。

 ジュナザードの修行よりは幾分かマシだったが、無間地獄が焦熱地獄になったところで辛いことに変わりはない。

 

「着いたぞ」

 

 美雲がピタッと足を止める。着いたと言われクシャトリアはキョロキョロと辺りを見渡すが、そこには人気のない木々が広がるだけで何もありはしない。

 

「目的地ってここが? 随分と殺風景というか、なにもないところですね」

 

 こんな場所ならわざわざこんな超ド田舎まで来なくても、他に幾らでも場所がある。わざわざ三時間半かけて遠出をする必要もない。

 美雲の意図が分からずに首を傾げていると、美雲はしゃがみ込み両手の重りの鍵を解く。

 

「早合点するでない。着いたとは、お主の重りを外す場所に着いたという意味じゃ。ここが目的地ではない」

 

「成程。……しかし重りがないと両手が一気に軽くなった気がしますね」

 

 どっしりとした重量感が消え失せた両手は小鳥の羽のようだった。

 しかし解放されたといっても、あの重量に三時間半も耐えていたのである。両腕には力という力が一滴残らず搾り取られていた。

 

「だけど何で目的地に着く前に重りを外してくれたんです?」

 

「わしも両手に重りをつけたまま死合いをさせるほど鬼ではないのでな」

 

「そういうことですか。そりゃ両手が重りで塞がってたら死合いなんて…………え? 死合い?」

 

「目的地に到着してからでは、重りを解く時間がなかろう」

 

「そういうことじゃなくて、これから死合いするんですか!?」

 

 何を今更、というような呆れ顔で美雲は首肯した。漸く重りから解放された解放感など一瞬で消え去り、クシャトリアの心は一気に絶望の最下層へと落ちていく。

 走馬灯で見ているのか。周囲に兎の白昼夢が横切った様な気がした。

 

「冗談止めて下さいよ! 幾らなんでも無茶ですよ!」

 

 師匠ジュナザードよりはマシな修行だったから、これまで何も文句を言わずに大人しく従ってきたクシャトリアも今回ばかりは限界だった。

 まったく力の入らない両手を指差しながら、全力で猛抗議する。

 

「美雲さん! 分かってるんですか。俺これまでこの重りをTの字で三時間半も持ってきたんですよ! それなのにいきなり死合い? 両腕にまともに力が入らないのに、どうやって死合いするんですか!? 俺に死ねと? 死んだらどうするんですか!?」

 

「葬式は特上と上のどちらが良い?」

 

「どっちも嫌ですよ! だけどどうせなら特上で!」

 

 文句を言いつつも、ジュナザードなら葬式すらあげてくれないだろうし温情的なのでは、と思ってしまった自分が嫌だった。

 外道師匠に鍛えられているか最近自分の幸福の上限が恐ろしく下がっているような気がする。

 

「そう恐れるでない。死合いといっても今回戦う相手は緊湊に至っていないお前より格下の相手じゃ。両腕に力が入らずともなんとかなろう」

 

「格下……? それならまぁ」

 

 緊湊未満ということは美雲から修行を受ける前の自分と同等かそれ以下程度の実力ということだ。

 制空圏について無知であったあの頃の自分ならば、例え両手が使えずとも倒す自信はある。なにせ人間には手が使えなくても、手の三倍の強さがある足という武器があるのだから。

 

「では行くぞ」

 

「ちょっと、まだ心の準備が!」

 

 有無を言わさず美雲はクシャトリアを抱き抱えると、一っ跳びで木の枝まで跳躍し、まるでモモンガのように空中を滑り木から木へと飛び移っていった。

 

「見よ。あれがお前が死合う相手じゃ」

 

 木の上から美雲がある一点を指差す。指が指示している方向を視線で追って行くと、そこには古ぼけた神社のようなものがあった。

 社は錆びて崩れかかっており見るに堪えないが、一際立派な台座に日本刀が置かれているのが印象的だった。

 けれどそんなことよりもクシャトリアが注目したのは日本刀の周りに集まる男達だ。

 

「な、ななななななんなんですかあれは!?」

 

「日本に幾つかある死合い場の一つじゃ。今回はあの台座に置かれた刀の所有者を決める戦いじゃのう」

 

「そうじゃなくてあの人達!」

 

 ビシッと刀を囲むように集まっている厳つい男達を指差した。

 時代錯誤な着物に脇差という出で立ちの男から、黒い服に小太刀というヤクザ物めいた男、おまけに全身ピアスにアフロヘア―で槍をもった明らかに変な男もいた。

 

「お前より格下の武術家たちじゃが?」

 

「全員武器持ってるじゃないですか! しかも木刀じゃなくて真剣! おまけに全員大人だし。騙したんですか!?」

 

「失敬な。騙してなどおらぬ。わしの見る限り集まっている連中は全員緊湊未満、武術的にはお主に劣るものばかり。ただ数が多く武器を持っているだけではないか」

 

「全然ただで済むレベルを超えてますからね?」

 

 軍隊を一人で殲滅してしまいそうな達人からすれば、日本刀やら槍やらを持った大人の集団なんて雑魚同然なのだろう。

 だがクシャトリアは達人どころか妙手に至っていない弟子クラスの武術家。或いはこれから無限の努力を重ねて行けば彼女と同じ場所に到達できるかもしれないが、少なくとも今は弟子クラスの上位程度の実力だ。

 武器を持った大人の集団は十分に強敵である。

 

「なんじゃ。ジュナザードの奴めは対武器戦を伝授しておらんのか?」

 

「いや、それは伝授はされてはいますけど」

 

 元々シラットは徒手格闘術だけではなく武器術も内包した武術だ。

 ジュナザードがあくまでも無手を貫いた事から、クシャトリアは武器を使った戦い方は余り詳しく教わっていないが、ジュナザードの配下には武器の達人も多くいる。

 だから対武器戦の組手相手には事欠かなかったし、集団戦闘の心得もあった。

 

「だけど幾ら何でも両手が碌に仕えない状況で、武器ありの多対一なんてやったことありませんよ!」

 

「……つまりお主は死合いをやりたくないと申すのだな?」

 

「ま、まさかやらなければ殺す……とか?」

 

「失礼じゃな。わしはジュナザードではない。そのような真似はせぬ」

 

「ほっ」

 

「ただお前を引き取りに戻ったジュナザードに、お主が死合いから逃げたと教えてやるだけじゃ」

 

「!」

 

 あの師匠が、だ。あの極悪非道にして残虐無比なジュナザードがだ。

 他人の師匠の前で自分の弟子が死合いから逃げたと知れば、どういう行動に出るだろうか。

 

(お前みたいな失敗作に我がシラットは極められん、だとか何とか言って殺されるな)

 

 脳裏に残虐に笑うジュナザードが、クシャトリアの首を手刀で切り落としている図が浮かぶ。

 これはただの想像に過ぎない。が、ここで逃げればその光景は現実のものとなるだろう。

 

「分かりました。やります……」

 

「人を真に突き動かすは恐怖。奴の事は好きではないが、弟子に恐怖を植え付ける事に関しては奴以上の者もおるまいな。己の弟子を良く仕上げておる」

 

「どうも」

 

「餞別じゃ。持って行け」

 

 美雲は懐からあるものを取り出すと、クシャトリアに手渡した。

 ずっしりとした重み。目を凝らして視線を落とすと、それは素人目にもはっきりと業物と分かる見事な手甲だった。

 

「これは?」

 

「わしも弟子が可愛いのでな。銃弾だろうと弾く代物じゃ。奴等の刀など楽に弾くじゃろう。上手く使え」

 

「はい、美雲さん」

 

 手甲を送ってくれるだけ、やはり師匠よりは優しさがあると思っておこう。というよりそう思わなければやってられない。

 覚悟を決めてクシャトリアは木の上から飛び降りた。

 

 




 地獄に落としつつもフォローを忘れない。それがBBAクオリティー。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。