ジュナザードは動かない。自分から動くまでもないということか、それとも純粋にクシャトリアがどう出るかを愉しんでいるのか。
恐らくは両方だろう。ジュナザードにとって特A級の豪傑ですら自分より格下に過ぎず、死力を尽くすには値しない。ジュナザードが本気を出すに相応しい使い手は無敵超人と二天閻羅王だけだ。そしてクシャトリアはジュナザードが手塩をかけて育て上げた最高傑作だ。ジュナザードも漸く熟した果実をじっくりと味わいながら喰らいたいだろう。
手を抜かれている上に足掻きそのものを愉しまれている。武人としてはこれ以上ないほどに屈辱的な態度。
だがクシャトリアはそのことに対して怒りを覚えることなどはない。ジュナザードにはそれだけの実力があるし、なによりそういった慢心をつかなければ邪神を殺すことは不可能なのだから。
(――――出し惜しみは、しない)
相手は拳魔邪神ジュナザード。下手な攻撃を一度でもすれば即死しかねない最凶最悪の敵だ。
シラット、櫛灘流柔術、収集した幾多の奥義と秘伝。静動轟一に代表されるハイブリット型としての極地。クシャトリアの全てを出し尽くさなければ、須臾の如き勝算は虚無へと落ちるだろう。
「〝静動轟双〟」
静と動の気を同時発動しながらも、それが溶け合うことなく一つの肉体に同居する。クシャトリアの瞳に赤と青、左右異なる色が宿った。
静の気と動の気、相反する二つを同規模で極めなければ発動の出来ないハイブリット型のみが到達できる究極奥義。クシャトリアが拳聖・緒方一神斎との長きに渡る共同研究の果てに生み出した秘伝を初手より解放する。
さしものジュナザードも長きに渡る武術家人生の中で初めて見る技に目を輝かせた。
「カカカカカカッ。拳聖の小僧が愉快な技を開発していたのは知っておったが、そのレベルまで技を研ぎ澄ませおったか。我も師として鼻が高いわいのう」
「はっ――――ッ!」
無駄口を叩いている暇こそが好機だ。動のタイプが如き爆発力で、静のタイプの如き正確無比な突きを放つ。
ジュナザードは興味深く技をじっくりと観察しながらも、それに気を取られて回避を忘れるほど抜けてはいなかった。人間は二足歩行する生物、そんな常識を置き去りにしたアクロバティックな動きであっさりと突きを回避していく。
回避されたところで攻撃の手を緩めることはない。繰り出される突きと蹴りは猛火となってジュナザードを追撃する。
「ほれほれ。そんなんじゃ我には触れられんわいのう」
「――――!」
遊ばれている、そう分かりながらもクシャトリアは打開策らしい打開策をうつことはなく延々と猛攻を続ける。
最初は喜色満面の顔付で攻撃を躱していたジュナザードだったが、同じことの繰り返しばかりで飽きがきたのか、徐々に顔が曇ってきていた。
「技の原理は面白いが〝ぱわ~あっぷ〟の度合いは然程ではないわいのう。リスクをなくしたせいで、ここまで爆発力を失っては本末転倒じゃわい」
「っ!」
「どれ。我がちと先達として『爆発力』というものがどういうものなのか教授してやろうかいのう」
そう言うとジュナザードは天空を覆うほどの気を己の内側に凝縮し掌握する。
気の発動、気の解放、気の掌握。三段階ある気の扱いの到達点ともいえる『掌握』を会得することは、達人になる上で避けては通れないものといっていい。そのため達人級は全員が『気の掌握』を体得しているものなのだが、恐るべきことにこれまでジュナザードは『気の解放』まででクシャトリアと戦っていた。
それが一気に掌握である。ジュナザードの戦闘力は爆発的に上昇した。
いや上昇したというのも誤りか。上昇したのではなく、やっと本気の一端を垣間見せたのである。
「そらそらそらっ。どうした弟子よ、勇んで挑みかかってきておいてお主の力量はその程度か?」
気当たりによる残像。十三人に分身したジュナザードが一気呵成に襲い掛かってくる。
クシャトリアも残像を出現させることはできるが、どれほど頑張っても六人が精々だ。なのにジュナザードはその倍以上もの十三人。たったこれだけのことでも力の違いを思い知らされる。
十三人のジュナザードがクシャトリアの周囲三百六十度を囲むように迫ってきた。退路は完全に塞がれている。唯一開けているのは上だが、もしも跳躍などすれば、その瞬間に十三人のジュナザードも飛び上がり、壮絶な空中戦の末に撃滅されるのがオチだろう。
だとすれば兵法の常道に乗っ取り一点突破を図るのが妥当といえるが、ジュナザードがそれを予期していないはずがない。
故にクシャトリアは敢えてその場に踏みとどまった。幸いにしてこういう技に対しての対処法は教わっている。ジュナザードではなく美雲から。
「櫛灘流、阿修羅流し」
気当たりによる十三人分身に対して、クシャトリアは闘気によって手だけを具現化させることで応戦する。
阿修羅と技名にしつつ実際に増えた手の数は30。〝手数〟だけは十三人からなるジュナザードの分身を上回った。
「こぉぉぉぉおぉぉっ!」
十三人に分身したジュナザードの同時攻撃を、三十に増えた手が受け流していく。
静の極みに達した美雲が編み出した対複数戦闘における防御術。それは対ジュナザードにおいても有効だった。
どうにかジュナザードの攻撃を捌ききると、十三人のジュナザードの分身が全て消滅する。
「なに?」
そう、全てが消滅したのだ。分身の中に本物がいればこうはならない。十二体の分身が消滅し、たった一人だけの本物が残るはずだ。
そうならず全ての分身が消滅したということは、考えられる可能性は一つ。これらの分身は全て偽物だった。となれば本物がいるのは、
「上か!?」
咄嗟に対空攻撃の構えをとるが、そこには空が広がるだけ。ジュナザードの姿はない。
「残念、不正解じゃわい! 正解は下じゃわいのう!」
「!」
地面を潜り進んできたジュナザードが、クシャトリアの両足首を鷲掴みにする。
完全に不意をつかれた。手首を握ったジュナザードは、自分の体を軸にクシャトリアを振り回した。
「ほ~れほれ。回れ回れ~」
ただ回すのではなく、地面や壁に叩き付けながら。全身をうちつけられる痛みが何度も何度もクシャトリアを焼いた。
ジュナザードが手を止める気配はない。遊ぶように水を吸った雑巾を叩き付ける様に振り回す。雑巾から飛び散るのが水だとしたら、人間であるクシャトリアが打ち付けられる度に飛び散らされるのは血だ。
「ほれ、飛んでいけい」
やがて飽きがきたのか、ジュナザードが足首を離して放り投げる。遠心力から生まれたエネルギーはかなりのもので、弟子クラスなら十回は死んでいるダメージを喰らっていたクシャトリアだが、未だに意識ははっきりとしていた。
空中で受け身をとると、しっかりと地面に着地する。
「はぁ……はぁ………はぁ……」
「もう息切れかいのう。我はまだ愉しみ足りぬぞ。折角十年以上も時間をかけて仕上げたのじゃわい。もっと我を愉しませぬか」
「俺は、貴方を愉しませるため武術をやってきたわけじゃない」
「ならなんのためじゃ?」
「お前を、殺す為だ」
「口だけは一丁前じゃわいのう。じゃが実力の伴わぬ弁舌など所詮は戯言」
ジュナザードが掻き消える。消えるほどに早く、目で認められぬ速さで背後へ移動する。
クシャトリアはこの技を知っていた。いいやこの技だけではない。シルクァッド・ジュナザードの全てをクシャトリアは知っている。
免許皆伝は奥義を全て伝授されたという証明。であればジュナザードが扱う技全てをクシャトリアも使えるということであるし、ジュナザードの技全てをクシャトリアは知っているということだ。
〝背面潰し《プンハンチユル・プングン》〟
それがジュナザードの繰り出した技の名前。疾風の速度で背後へと回り、五体をフルに使って対象をひねり潰す技。
超人であるジュナザードの技はそれが奥義でなくとも、直撃すれば死を避けられぬ必殺ばかり。この技もまともに喰らえればまず死ぬだろう。
かといってこの技は先程までのクシャトリアでは回避は困難だ。完全に回避しれず、大きな痛手を負うことは避けられないだろう。
ここで痛手を負い動きを鈍らせては、ジュナザード相手の勝機は失われる。
だからクシャトリアはここが解放するタイミングだと判断した。
「流水制空圏第二、
第一段階の『相手の流れに合わせる』をすっとばして第二段階の『相手と一つになる』ところまで至る。
そしてついさっきまでの動きよりも一段上の速度と威力をもって、ジュナザードに回転蹴りを繰り出した。
ジュナザードに合わせての完璧なるカウンター。狙うは頭部、急所のみ。
「なんと」
ジュナザードは意表を突かれたように目を見開き、技同士が激突する寸前で後退する。
しかしさしものジュナザードも完璧に躱しきることはできず、クシャトリアの蹴りが胸を掠めた。
「……やれやれ。外したか。油断しきっているようでいて、常に冷静な視野を持ち続ける。本当に厄介な人ですよ、貴方は」
「カッ、カカカカカカカカカ。これは一本とられたわいのう。静動轟双、奥義などと言うわりに爆発力が薄味だったのはこういうわけかいのう。
わざと爆発力を抑え気味にすることで静動轟双の出力を見誤らせ、我が勝ちにきた時に全力を解放することで完璧なカウンターを決める。
我相手にこんなイカれた戦術をとる人間は初めてじゃわいのう。前言を撤回しようぞ。流石は我が弟子じゃ」
「そいつはどうも!」
静動轟双の完全解放。動の気と静の気、二つの気が凝縮され完全同時に放出される。
残念ながらクシャトリアの策はジュナザードを掠めるばかりで、手傷を負わせるには届かなかった。しかし見事に策に引っかかったことで、ジュナザードの注目がほんの僅かに散漫になっている。
命綱というにはか細すぎる糸であるし、闇を照らす明かりとしても頼りなさすぎるが――――それが藁であっても、クシャトリアは掴むしかないのだ。
「おおおおおっ!」
「カ、カカカカカカカカカカカカカッ! そうじゃクシャトリア! もっと殺意を練り上げ、殺気を解放せい! さすれば万分の一の確率で我に届くかもしれんわいのう」
台風というよりは天雷の如き蹴りの連撃。ジュナザードは未だ慢心しているが、蹴りに込められた力は全力のそれ。邪神の振り抜く蹴りが一度でも直撃すればクシャトリアは即死する。
そんな絶望的な天雷渦巻く殺風を、クシャトリアは流水を纏って突き進む。
既に第二段階へと移行している流水制空圏。流れを読み、数瞬先の未来を捉えながら、クシャトリアは闇を疾走する。
「風林寺のじっさまの奥義をここまで使いこなすとはのう。女宿に仕込ませた甲斐があったというもの。じゃがクシャトリアよ。風林寺のじっさまは我が唯一同格と認めた武人。その奥義の対策を我がなにも持っておらぬと本気で思っておったのかいのう?」
「ッ!」
瞬間、ジュナザードより赤黒い濃密な殺気が噴出する。殺意の波動は光線となって目から飛び出し、途轍もない気当たりによる暴風がジュナザードを中心に渦を巻いた。
流水制空圏で読み、合わせていた『流れ』が消滅する。否、流水を遥かに超える殺意の激流に、動きの流れが覆い隠されていっているのだ。
「どうじゃ? これでも我の動きを読めるかいのう?」
「…………流水制空圏のような読心の技を、心を閉ざすことで無効化する達人は何十人も見てきた。しかし逆に心を解き放つことで、心を覆い隠す怪物は初めてだ」
閉心術のように心のドアを閉ざし、侵入を阻むのではない。
内側に眠る溢れんばかりの殺意。それを爆発的に増幅させることで心を読めなくする。部屋にゴミを撒き散らして、探し物を見つけられないようにするのと同じ原理だ。
滅茶苦茶としか言いようがないが、実際これのせいでクシャトリアの流水制空圏は無効化されてしまった。もうジュナザード相手に既存の流水制空圏は役に立たない。
「だが――――!」
クシャトリアは負けじとジュナザード目掛けて疾駆した。
例え流水制空圏が封じられようとも、クシャトリアの脳内には海馬に焼き付けたジュナザードの戦いの記録がある。クシャトリアがジュナザードの弟子となってから十数年、暇さえあればジュナザードの動きを観察し続けた。
このデータを総動員すればジュナザードの動きを寸分違わず再現することも、その動きを予測することも可能である。流れを読むことが出来ずとも、流れのデータが変わるわけではないのだから。
「
ジュナザードの繰り出してきた攻撃を、完全に予測していたクシャトリアは、ベストなタイミングでのカウンターを仕掛ける。
カウンターの膝蹴りは最適の起動を描いて、綺麗にジュナザードの眉間へと吸い込まれていき、
「――――ごはっ!」
それを上回る速度で、クシャトリアの腹に蹴りが叩き込まれた。胃の中のものを全て吐き出しながら、クシャトリアは必死になって後退る。
「カッカッカカカーーーッ! 遅い、遅いわいのう!」
ジュナザードの動きは100%予測できていた。しかも静動轟双によってクシャトリアの基礎能力は一回り上昇していたのである。なのにカウンターを喰らわすどころか、技の回避すらできなかった。
これは断じて予測にミスがあっただとか、静動轟双に欠陥があっただとかいう生易しいことが原因ではない。
なんのことはない。シルクァッド・ジュナザードの身体能力が、予測を遥かに超越するほど隔絶していた。ただそれだけのことで……それ故に抗いがたい絶望だった。
「遅い! 軽い! 脆い! クシャトリアよ、お主はちっとばかし『超人』というものを舐めすぎだわいのう。我や風林寺のじっさまのような『超人』は技が優れておるから『超人』なのではない。
良いか? クシャトリア。超人というのはのう、単純に力や速さが達人を遥かに凌駕しているということじゃわいのう!」
技だけが上回っているのならば、これまで集めたデータで如何様にも出来た。
経験だけが上回っているのならば、策を弄することで差を埋められた。
しかし力や速度、肉体のスペック全てで劣っているのならば、もはやどうしようも出来ない。
どれだけデータで動きを予測しようと、それを上回る速度で消し飛ばされる。どれだけ策を練ろうと、純粋な力によって強引に捻じ伏せられる。
故に武術的にクシャトリアがジュナザードを打倒するのは不可能だった。
「そうだ。不可能なんじゃない、不可能だった……これまでの武術的常識ならば!」
「カッ?」
世界は変わる。技術は進歩する。技は発展する。そして革新が起きた時、嘗ての常識は淘汰されるのだ。
超人がどれほど出鱈目な身体能力を有しているかなど、ジュナザードを間近で見続けたクシャトリアはとうに理解している。超人という人種が、どれほど理不尽なスペックを有しているかも。
だがクシャトリアに打倒ジュナザードを諦めるなどという選択は有り得なかった。
故に手を伸ばしたのである。常識を超えるための禁忌へと。武術界に存在しなかった、禁断の術理をもって、常識を打ち破るために。
静動轟双が消える。両立されていた静と動、それらが融合し紫色の破滅的なオーラへと変化していった。
「――――静動轟一ッ!」
武術に対しての兇的な愛情をもつ〝拳聖〟緒方一神斎が考案し、クシャトリアが開発に協力し続けた技。静動轟一がここに発動する。
静と動、相反する二つの気を融合させることで生み出されたエネルギー。そのエネルギーが肉体を極限にまで活性化させ、一時的にクシャトリアを『超人』の領域へと押し上げた。
「うぉおおおおおおおおおおおおッ!」
ここにクシャトリアとジュナザードの力と速度は拮抗した。もうジュナザードの有利は経験値と技量しか残っていない。この二つならば策とデータで対処可能だ。
クシャトリアは決死の覚悟で挑みかかり、そして真の絶望というものを思い知らされた。
「静動轟一」
クシャトリアは何が起きたのか分からなかった。ジュナザードの体が黒く発光したかと思うと、次の瞬間には殴り飛ばされていた。
全身を駆け巡る焼けるような激痛。だが目の前で起きている絶望に、クシャトリアは己の痛みなど忘れ、ただひたすらに目を見開く。
喋ることはできない。口は完全に塞がっている。
動くこともできない。足は完全に縫い付けられている。
抗いがたい自然の猛威に晒された時、人は立ち尽くし呆然とすることしか出来ないというが――――だとすればクシャトリアが体験しているのは同じことなのだろう。
「あ、あ――――」
拳魔邪帝ジュナザードから立ち昇る紫色の闘気は、静動轟一が発動しているという証。
しかしジュナザードの静動轟一はクシャトリアのそれとは決定的に違っていた。静動轟一の副作用、爆発的エネルギーの発生による精神と肉体へかかる異常な負荷、それがないのである。ジュナザードの〝超人〟としての規格外の肉体強度が、完全に静動轟一の負担を抑え込んでしまっているのだ。
「良い師は弟子を育て、良い弟子は師を育てる……だったかいのう。風林寺のじっさまが口を酸っぱくして言っておったのは。弟子から教わることなんぞ何もないと思うていたが、分からぬものじゃわい。
カッカッカッ、お主はまっこと良き弟子であったぞ、クシャトリア。なにせこの我に技を教えた弟子など、お前が初めてなのじゃからのう。そら、誇るがいい。閻魔への土産話には丁度良いじゃろう?」
「こ、このっ!」
「遅いわいのう」
クシャトリアの放った突きが、あっさりジュナザードに掴まれる。
ただの突きと侮るなかれ。静動轟一を発動し『超人』のポテンシャルを得たクシャトリアの突きは、もはやそれ自体が豪傑を屠るに値する必殺技に等しい。それをジュナザードは、まるで息を吸うような容易さで防いでしまったのだ。
クシャトリアは静動轟一を使うことで『達人』から『超人』の領域に足を踏み入れた。ならば『超人』が静動轟一を使えば、踏み込む領域はなんだというのか。
そこまで思考してクシャトリアはジュナザードの異名がなんだったのか思い出した。
「か……神……。神になったのか。師匠は神になったのか。神の領域に、足を踏み入れたとでも……」
「その通りじゃわいのう。人としての限界を捨て去り、神と戦うことを望んで生きてきたが――――前者の願いは叶ったようじゃわい。感謝するぞ、クシャトリア」
なにが起きたのかクシャトリアには認識できなかった。気付けば激痛と共に、クシャトリアの体は宙を舞っていた。
速すぎて見えなかったが、痛みの感覚から判断するに恐らく蹴られたのだろう。正に神速だ。その一挙一動が人間の捕捉できる限界を超えてしまっている。
「我が弟子、シルクァッド・サヤップ・クシャトリア。我が最高傑作、我が分身、我が現身よ。我を神座へと送った褒美じゃ。我が最大の奥義をもって、苦しまず逝くがいい」
それはもしかしたらジュナザードが弟子にする初めての『情け』だったのかもしれない。
ジュナザードが必殺の構えをとるのが、スローモーションのように見える。残念なことに走馬灯は浮かばなかった。
だが浮かばないで良かったのかもしれない。走馬灯に不幸せなことばかりが浮かんできても鬱になるだけだし、幸せなことが浮かんできてもそれはそれで死ぬのが嫌になる。どちらにせよ気分が悪くなるのならば、そんなものはない方が良い。
クシャトリアは死の恐怖から逃れる様に、目蓋を閉ざす。
「風林寺、任力剛拳波!」
クシャトリアを呑み込もうとした死の運命、それを嵐の如き勢いで吹いた神風が吹き飛ばす。
神話の英傑が降臨したかのような気配に、クシャトリアは閉ざしていた目蓋を開いた。
「どうやら間に合ったようじゃのう」
恐らく地上の誰よりも戦歴を重ねてきた雄々しい背中。天を突くような巨躯。
ジュナザードが唯一対等と見做した最強の武人、風林寺隼人がそこにいた。