史上最凶最悪の師匠とその弟子   作:RYUZEN

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第111話  馬鹿

 無駄のない行動、無駄のない処理、無駄のない人生。合理主義というのは多くの公人にとって一つの指標となりうるものだ。

 義理人情に遊び心などといった不確定要素を可能な限り排除し、能率を最優先に実益を求め続ける。きっとそれは企業家などにとっては重要な生き方なのだろう。

 お金で解決しないこともあると人は言う。金は全てではない。実益だけが価値あるものではない。人間にはもっと大切なものがある。金だけで解決しないことも世の中にはあるのだと。

 しかしそう謳う人間はこう言われなければならない。即ち金でしか解決しないことも世の中にはあると。愛とは生きる活力になるし、時に世界をも支配する原動力となりうるが、決して万能でもなければ全能でもない。

 ならば愛と金の両方を持ち合わせた人間は、あらゆる困難を解決する術があるのかと問われれば――――残念ながらそれも否だ。

 もしも金と愛の二つだけで事態が解決するのならば、クシャトリアはとっくに師匠という楔を断ち切り自由を手にしていたことだろう。

 金で解決しないことが世界にはある。愛で解決しないことが世界にはある。

 そういった難題を解決する、たった一つの冴えたやり方。

 

――――暴力だ。

 

 野蛮にして原始的な腕力。または武力。それでしか解決しないことが世界には存在する。

 拳魔邪神ジュナザード。あれは正真正銘の怪物だ。金で心を動かすことなど出来ないし、愛で魂を揺らすこともできない。ジュナザードを滅ぼすには、暴力で命を潰すしかないのだ。

 ただし偽りなく世界最強の人間であるジュナザードを、殺せるだけの暴力を振るえる人間など片手の指で足りる程度しかいないのだが。更に残念なことに片手の指の中に『シルクァッド・サヤップ・クシャトリア』の名はない。

 なのにクシャトリアはやって来た。拳魔邪神ジュナザードの牙城に。

 

「……来たのか、クシャトリア」

 

 門の前にはメナングが待っていた。ジュナザードにクシャトリアが来た場合の案内でも命じられていたのだろう。

 恐らくジュナザードとクシャトリアを除けば最も事態を把握しているであろうメナングは、良識人らしく鎮痛な面持ちだ。ジュナザードのような外道なら兎も角、真っ当な人間なら年端もいかぬ少女を拉致することに後ろめたさを覚えないはずもないだろう。

 

「拳魔邪帝クシャトリアだ。師匠(グル)に用があってきた。ここを通してもらう」

 

「承知している。ついて来い、ジュナザード様がお待ちだ」

 

 大きな門が開き、メナングの先導で中へ入っていく。

 

「…………うっかり独り言を漏らすが、小頃音リミはまだ無事だ。奥に閉じ込められている」

 

「!」

 

「だがもしも彼女を奪還しようと企てる者がいれば、看守を命じられた達人の手で始末されるだろうな。そういう指示がジュナザード様より下っている」

 

「………………」

 

 これはメナングの〝独り言〟だ。だからクシャトリアは何も答えないし、追及もしない。それに最低限聞きたかった情報は全て知ることができた。これでもう迷う必要はない。後は精々行動するだけである。

 歩いていたのは時間にすれば数分にも満たぬことだった。拳魔邪神ジュナザードは謁見の間の玉座にてクシャトリアを待っていた。

 周囲にはジュナザードに付き従う殺人拳たちもいる。ざっと見積もって三十人。驚くべきことに全員が達人級だ。無論、一影九拳には遠く及ばないが。

 

「カカカカカカッ。昨日ぶりじゃわいのう、我が弟子クシャトリア」

 

「ええ。昨日ぶりです、師匠」

 

「昔と比べ心を隠すのが随分と上手くなったのう。我の目をもってしても、お主がなにを考えておるのか分からんわい」

 

「ずっと人の心を見透かされ続けたら、誰だって心を隠す術を学びたくもなります。心が丸見えだったら碌に貴方を殺す算段もたてられないでしょう」

 

 ジュナザードが笑った、笑ったような気がした。だが周囲にいる配下の達人達は驚愕しざわめきたつ。

 いずれ自分達が新たに仕えることになるかもしれない邪神の継承者が、よりにもよって邪神の眼前で邪神を殺す算段をたてていたことを宣言したのである。ジュナザードの傍で仕えながらジュナザードの心を知らぬ者にとっては、驚くに値することだろう。反面メナングなどのようにジュナザードを良く知る人間には、特に驚いた様子はない。

 

「カッカッカッカッカッ。じゃがその算段もお主がここに来た時点で失敗に終わってしまったのう。我を殺すのに風林寺のじっさまを使おうとしたのは中々の着眼点じゃが、やや詰めが甘かったのう。いいや足元が疎かにしておったと言うべきか。

 師として弟子にありがたい忠告をしてやるのであれば、大切なものは誰にも見つからぬよう隠しておくものじゃわいのう。もっともお主が弟子のために計画を破棄するかどうかは五分五分じゃったがのう。昔のお前なら見捨てておったろうに、弟子をとって心が弱くなったわい。免許皆伝を与えたからといって放任が過ぎたかいのう。

 弟子を見捨て計画を続行しておったならば、戦いのどさくさで我を殺すことも不可能ではなかったというのに。お主も愚かしい真似をするものじゃわい」

 

「我ながらそう思いますよ」

 

 丁度立場が昨日とは逆転している。

 昨日は周囲にジュナザードの敵ばかりがいたが、今回周囲にいるのはジュナザード配下の殺人拳ばかり。ようは味方だらけだ。

 

「ただ一つだけ訂正して貰いたい。俺は別に貴方の軍門に降りにきたわけじゃあない」

 

「カッ? なら何をしにきたんじゃわいのう?」

 

「決まっている」

 

 指弾。親指で弾かれた硬貨が弾丸そのものの速度で飛び、ジュナザードの仮面を貫く。仮面が蜘蛛の巣状の皹が広がっていき、真っ二つに割れた。

 割れた仮面から現れるのは白髪に赤目のともすれば十代にも見える美しい少年の顔だ。シルクァッド・サヤップ・クシャトリアと瓜二つの顔立ちに、邪神の素顔を知らない者達が絶句する。

 

「策などいらん。俺はお前を殺しに来たんだ、拳魔邪神ジュナザード」

 

「カッ、カカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカッ! 正気か? 狂ったか? 勝機があるとでも? 狂っておるのかクシャトリア。真っ向勝負から我に敵わぬが故に策を弄したのだろうに、今になって我相手に真っ向から挑むじゃと?」

 

 玉座から立ち上がったジュナザードから、命を鷲掴みにする殺意の波動が振り撒かれた。大気すら萎縮して消え失せるほどの殺意に、この城全体が微かに振動しているかのような錯覚を覚える。

 しかしクシャトリアにとってこの殺意は十年以上前から浴びせられたもの。慣れによる耐性ができている。

 殺意に動じずクシャトリアは正面からジュナザードを睨み返した。

 

「分かり切ったことを問うなよ師匠。俺は正気じゃないし、勝機も微々たるものだろう。だが不変の神たる師匠には理解できないことだろうが、人間という生き物は可変だ。清廉潔白な聖人が気の迷いで悪を働くことがある。唾棄すべき悪人が気まぐれで善行を積むこともあるだろう。

 俺は賢い人間だよ。自分の利益()のために他人の利益()を奪ったり見捨てたりすることに迷ったりしない賢い人間だ。だがそんな賢い俺にも、人生で一度くらいは馬鹿なことをしたくなる日がある。今日がその人生一度の日だった……それだけのことだ」

 

「風林寺のじっさまに影響を受けたか……いいや、この臭いはちと違うわいのう。じゃがまぁどちらでも良いわい。手塩にかけて育ててきた弟子が、漸くこの我を殺しに来たのじゃ。それに応えてやるのが師の心意気というものじゃわいのう」

 

 ジュナザードが飛び上がり、天井に着地する。そしてそのまま天井を踏み破ると、次の階へと体を滑り込ませた。

 

「なにをしておる? 上がって来んかいのう。このような狭苦しい場所ではなく、上で決着をつけようではないか」

 

 迷うことはなかった。師匠を追ってクシャトリアは上へ跳躍する。ジュナザードと戦い、彼を討ち滅ぼすために。

 武術家となって始めて、いや生まれて初めて、クシャトリアは他人のために命を懸けた。

 

 


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