史上最凶最悪の師匠とその弟子   作:RYUZEN

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第110話  賢い選択

 人生において思い悩んでいることは案外滅多に起きないものであるが、逆にまるで意識もしていなければ悩んでもいない、所謂想定外の事態というのはよく発生するものだ。

 クシャトリアは誰もいない部屋で一人静かに沈黙する。ティダード首都プラウ・ベーサーにある王族の宮殿、そこに用意されている来賓用の部屋は人払いがされているため誰もおらず、一人で思考するには正にうってつけの場所といえた。

 思えば自分の心には隙があったのだろう。拳魔邪神ジュナザードを舐めたことなど一度もなかったが、策を張り巡らせる黒幕としての意識が、自分もまた策謀に踊らされている可能性を失念させてしまった。

 その結果が今回のこの様である。

 ジュナザードがリミの才能に興味をもっていたのは知っていた。ジェイハンを消してから、新しい弟子としてリミを渡すよう要求したこともあった。その時はクシャトリアが上手くトンチにかけて一旦諦めさせることに成功したのだが、それは言葉通り一旦でしかなかったというわけである。

 弟子のクシャトリアが自分を殺すために策謀を巡らせていることを察したジュナザードは先手をうって――――いやジュナザードのことだ。クシャトリアの殺意などまるで気にせず、ただ純粋に風林寺美羽が駄目だった際の予備を確保しておいただけかもしれない。

 だがどちらにせよ同じことだ。

 シルクァッド・サヤップ・クシャトリアの弟子、小頃音リミは嘗ての内藤翼と同じようにジュナザードに拉致された。これはそれだけの話である。

 

「く、十数年前から俺はなにも進歩していない。無様だな、不用意な行動でなにもかも台無しにする」

 

 贔屓目抜きにしてリミの才能は同年代の武術家たちの中でも頭一つ飛びぬけている。経験値や年季では劣っているが、純粋なる才能という一点においてYOMI幹部たちよりも僅かに上回るといっていい。

 武術には心構えや覚悟など精神的なものも重要なので、才能があるから大成できるというものではないが、こと〝心〟に関してはジュナザードにとってなんら問題にはならない。ジュナザードの秘術をもってすれば心を作り変えるなど容易いことなのだから。たった一年間ジュナザードの下で修行し生き延びるだけで『小頃音リミ』という人間は地上から消失して、ただのジュナザードの武を継承するだけの存在が生まれるはずだ。

 

「いるんだろう、メナング」

 

「…………」

 

 闇に潜んでいたメナングがぬらりと姿を現した。

 この宮殿には達人級含めた警備が配置されているが、メナングはジュナザードが隠密に特化して鍛え上げた達人である。この程度の警備を擦り抜けて、こうしてクシャトリアの部屋まで到達するのは難しいことではない。

 

師匠(グル)は俺になんて仰っていた? 俺が叛逆したことにお怒りだったかな」

 

「いえ。ジュナザード様は気にしてはいませんでした」

 

「だろうな。師匠はそういう人だ。そもそも師匠は端から俺が反逆するように育ててきたのだからな。こうして俺が刃向うのは師匠の思い通りというわけだ。

 さて。それより本題に移ろう。メナング……いいや、メナングさん。リミは……小頃音リミは無事ですか?」

 

 拳魔邪帝としてではなく、一人のクシャトリアとして問いを投げる。

 メナングは物憂げに目を伏せるが、やがて真っ直ぐにクシャトリアの目を見返して言った。

 

「無事だ。今は秘薬で眠らせている。インダー・ブルー……風林寺美羽と違ってまだなにも施されてもいない。体にも心にも」

 

「まだ、ですか」

 

「ああ。彼女が拉致されてきた時はまだブルーがいたからな。しかしブルーは取り戻され、ジュナザード様は再び弟子を失った」

 

「本命を奪い返されてから、リミを予備にしようと? 相も変わらず人倫を顧みないお人だ」

 

「それについてクシャトリア、ジュナザード様より言伝を預かっている」

 

「言伝?」

 

「『己の弟子を献上することで、今回の粗相については不問にする。だからこちら側へ戻り、梁山泊と戦え』と」

 

「…………そうか」

 

「『ただしこちら側へ戻らない場合、勿体ないが小頃音リミは始末する』」

 

「ッ!?」

 

「ジュナザード様はそう仰っていた。…………すまん。私に、ジュナザード様を止めることはできなかった。これにて御免」

 

 そう言ってメナングは姿を消した。ジュナザードの所へ戻っていったのだろう。

 ジュナザードは本気で無敵超人・風林寺隼人とここティダードで雌雄を決するつもりだ。クシャトリアを自分の側へ引き戻そうとしているのは、風林寺隼人と戦う上で邪魔となる逆鬼至緒と本郷晶を抑えるためとみていい。

 これでもあのジュナザードからすれば穏便な措置だ。相手は特A級の達人二人だが、命じられているのはあくまでも抑え。撃退ではない。

 誇り高い達人であれば『一対一の決闘に割り込まない』という不文律は心得ているであろうし、ようはジュナザードと風林寺隼人が正面からぶつかり合うように場を整えればいいだけ。クシャトリアにとっては特に難易度の高い仕事でもないだろう。

 

(そうだ。一人を犠牲にすれば、俺の命は助かる。たった一人、リミを切り捨てれば)

 

 自分が生き残るために、他人の命を奪う。己の生のために他者の命を喰らい尽くす。

 殺した人間が全て武術家だったわけではない。中には武術とはなんの関係もない人間もいた。そういった人間も自分は容赦なく殺してきている。

 人を殺すことには抵抗もあったし、罪悪感もあった。しかしこれまで数多の命を奪ってきたことに後悔は欠片もない。

 自分の命を賭して誰かを助けるのは気高いのだろう。自分が殺されようとも、誰かを殺さない覚悟は尊いのだろう。そのことにクシャトリアも人間として憧れもする。

 しかしシルクァッド・サヤップ・クシャトリアは所詮俗人だ。武術家としてどれほどの才能があろうと、精神は極々平凡なそれ。自分の命が最も大切で、そのために他人の命を奪うことを良しとするただの人間だ。

 自分が死ぬことと比べたら、殺人者として生きる方がマシだと思い、百人以上の人間を殺してきた。百人以上の命を見過ごし、切り捨ててきた。

 これまでもずっとそうしてきたし、きっとこれからもそうするだろう。

 

(なのに今更になってなにを迷う……ッ!?)

 

 これまでのように切り捨てればいい。そうすればこの場は取り敢えず助かる。

 ジュナザードを殺す機会はいずれ他にあるだろう。久遠の落日により起こる世界規模の戦争の最中、絶好の好機が訪れるかもしれない。

 そもそもクシャトリアがジュナザードの方へ戻りさえすれば、リミが殺されることもないのだ。

 ただジュナザードによって小頃音リミという人格を破壊し尽くされるだけ。死ぬことはない。

 

「いや、なにを馬鹿な。それは死ぬことと同じじゃないか」

 

 人間の人格とは人生の積み重ねだ。これまでの人生全てが『小頃音リミ』という少女の人格であり魂といえる。

 その人生を消され、別人格に乗っ取られれば――――それは小頃音リミという少女は死ぬということに他ならない。肉体と外見がそのままでも、それは全くの別人だ。

 提示された道筋は二つ。小頃音リミを見捨てて、自分の命を選ぶか。

 

「ジュナザードの下へ行き、リミを取り返すか」

 

 自分で言っていて、その余りの不可能さに呆れ果てる。

 そんなことが出来る訳がない。ましてや他人の命の為に己の命を張るなんて馬鹿らしいことだ。

 いっそ恥を忍んで梁山泊の面々に事情を説明し協力を仰ごうかとも考えたが、そんなことをすればジュナザードはあっさりリミを殺すだろう。ジュナザードは人質を盾にするなんて狡い手を使う男ではない。

 どれほどの時間、一人でいただろうか。ふと部屋のドアがノックされていることに気付く。

 

「誰だ?」

 

『僕です、兼一です』

 

 ジュナザードのせいで気が乱れていたこともあったのだろう。深く考えもせずクシャトリアはドアを開けた。

 

「なんだい、兼一くん」

 

「い、いえ。丁度部屋の前を通りがかったので挨拶をと……。それよりも大丈夫ですか? 物凄く顔色が悪そうですが?」

 

「顔色が、悪い? 俺が?」

 

「はい」

 

 閉心術を会得して以来、達人級にすら心中を見通されたことなどないというのに、兼一はあっさりとクシャトリアが追い詰められていることを見抜いてしまった。

 これは別に兼一が達人級を超える読心術の使い手というわけではなく、クシャトリア自身が心を閉ざせないほどに精神的に参っているだけのことだ。

 そのことをクシャトリアは兼一に見抜かれたことで初めて自覚する。

 

「気にしなくていい。君には特に関係のないことだ」

 

「けど……」

 

「おいおい。君はわざわざティダードまでやって来て漸く想い人を助けることが出来たんだろう。ならこんなつまらない男など気にせず、恋人の看病でもしておいた方が建設的だぞ。

 それに忘れてやしないか? 俺は闇人の一人なんだぞ。何度か巡りあわせで協力することもあったが、基本的に俺と君とは敵同士だ。君の師匠を殺そうとしたこともあったし、そちらの介入で俺の仕事を台無しにしてくれたこともあったな。

 白浜兼一くん。君がお人好しなのは調査で知っているが、助ける相手は選んだ方が良い。俺みたいな人間に手を差し伸べる暇があるんなら、電車で爺さんに席でも譲ってやるほうがよっぽど建設的だ。

 それともなんだ? 俺が君に助けを求めたら、風林寺美羽を救出しにティダードまで来たように、君は俺を命懸けで俺を助けてくれるのか?」

 

「助けます」

 

 NOを求めたクシャトリアの問いに、兼一はYESと即答する。クシャトリアは目を丸くするが、兼一の目は揺れることなく真っ直ぐだった。

 

「僕にはクシャトリアさんの悩みがなんなのかは知りませんけど、それが殺人とか暗殺とかじゃなくて本当に助けを求めての事なら……僕は助けます。ま、まぁ僕の力なんてクシャトリアさんにとっては本当に蟻んこみたいなものでしょうけど」

 

「馬鹿だな」

 

 兼一の話を聞き終えたことで、クシャトリアの腹は決まった。

 

「他人の幸福が自分の幸福になるから、人助けする奴は五万といるが、君は他人の幸福が自分の幸福にならなくても人助けする稀有なタイプらしい。尊いとほんの少し憧れるよ。だが真似したいとは思わないな」

 

 大切な誰かを守るためならまだしも、まったく見ず知らずの人間のために、自分の命を懸けるなど馬鹿げている。

 生憎だがクシャトリアは馬鹿ではなく、どちらかといえば賢い方だ。見ず知らずの人間を助けるために命など懸けたりはしないし、有り余る財産は寄付したりせず95%は自分のために使う。こういう賢い生き方をした方が人間は幸せになれる。

 だから今回もとるべきなのは賢い選択。リミを切り捨て、自分の命を優先する。そうすればクシャトリアは幸福になれるだろう。だが、

 

「俺も一度くらいは――――」

 

「クシャトリアさん?」

 

「すまんが急用ができた。これはティダードまでの交通費だ。とっておけ」

 

 札束を押し付ける様に放ると、クシャトリアは外へ飛び出す。向かう先は拳魔邪神ジュナザードのアジトだ。

 自分が愚かしいことをしている自覚はあったが、クシャトリアの顔は不思議と晴れ晴れとしていた。

 

 


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