「我が民よ。私は帰ってきた!」
『おおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――――ッッ!!』
達人も、男も、女も、子供も、雇われの傭兵すらも。ラデン・ティダード・ジェイハンという〝王〟を雄叫びと共に迎えた。
銃声は鳴りやみ、かわりに戦場に轟くのは歓声。ジェイハンの妹でもあるロナ姫などは、感動のせいで足が震えていた。
ここに戦いの趨勢は決したといってもいい。そもこの内乱はジェイハンという王が消えたことにより発生している。よってそのジェイハンが戻れば、争いが集結するのは火を見るよりも明らかというものだ。
ジュナザードに付き従っていた達人すらも、武器から手を放し、己等の王に傅く。
「孫娘を取り返しに風林寺のじっさまが我の前に現れるのは想定しておったし、お主が女宿となにやら策を巡らしていたのは感付いておったが、あの小僧が生きているとは一本とられたわいのう」
驚きながらもジュナザードには不愉快さというものはない。寧ろどこか楽しげに拍手喝采の中心にいるジェイハンを見る。嘗て自分で引導を渡そうとした弟子を見る瞳は、驚くほどの冷酷さに満ちていた。
あの目はジェイハンを見ているようで、実はまるで見ていない。一人の人間ではなく、舞台の登場人物へ向けるものと殆ど同じだ。
「どこまでお主の仕掛けじゃ? 我が雪山でジェイハンを消そうとした所からかいのう」
「まさか。演義補正全開の孔明じゃあるまいし、俺はそこまでなんでもかんでも掌の上じゃありませんよ。ジェイハンが雪崩から生還したのは、ジェイハンの類まれなる身体能力故のもの。
貴方が雪山でジェイハンを消そうとしたのも、ジェイハンが自力で生還したのも、ジェイハンが貴方から身を隠すためにラーメン屋になったのも全て偶然の産物です。そんなジェイハンの動向を俺だけがキャッチできたのも」
なにかがあると予感して、雪山に部下を貼りつかせていたのは幸運だったといえる。もしもそうしていなければ、ジュナザードでさえ『死んだ』と思っていたジェイハンの生存をクシャトリアが知ることはできなかった。
YOMI幹部には多才な人間が多いが、ジェイハンは特に武術以外の能力の方もずば抜けている。こと政治能力や運営手腕、王としての才幹でいえばジュナザードすらジェイハンには及ぶまい。
だからこそジュナザードはジェイハンを危険視し、ほんのわずかな失態で彼を粛清しようとしたのだ。
「俺のやったことなんて精々が孫娘の行方を追う風林寺隼人殿に、日本のラーメン屋にジェイハンがいるという情報を流しただけ」
「言いよるわ。風林寺のじっさますら掌で操ったじゃろうにのう。じゃがこの策、風林寺のじっさまの性格を知り尽くしていなければ成立せんわい。となるとこれはお主だけの筋書ではあるまい」
「さて。なんのことだか」
ジュナザードの冷徹な眼光はクシャトリアのみならず、その背後にいる美雲の存在をも見抜いていた。
特A級をも超えた実力のみに目を奪われがちだが、ジュナザードは分析力もずば抜けている。静のタイプは伊達ではないのだ。
「ジュナザード様」
拳魔邪神の配下が一人、メナングが戦場から抜け出してジュナザードの前に参じる。
一瞬メナングと目が合うが、クシャトリアは何も言うことはなかった。メナングもクシャトリアに対して何か言うことはなかった。メナングはジュナザードの臣下としての義務を全うする。
「正当継承者のジェイハン殿が御帰還なされたことで、形勢は圧倒的に我が方の不利です。無敵超人・風林寺隼人もいるとなれば、ここは撤退するべきかと進言させて頂きます」
「ふむぅ」
メナングは他者を己の快楽の道具としか見做していないジュナザードが、腹心として信を置いている数少ない一人である。故にジュナザードもメナングの進言には耳を傾けた。
ジュナザードは数秒ほど沈黙すると、やがて溜息をつきながら、
「致し方ないわいのう。特A級が五人来ようと構わぬし、王子が何度蘇ろうと何度も殺すまでじゃが、風林寺のじっさま相手となると我もそれなりの準備をせねばならん。ここは潔く退くのが大人の武人というものじゃわいのう」
唯一自分と対等と認めた男がいるという一点が、ジュナザードに退却を決断させた。決断すれば行動は早い。ジュナザードは他大勢の部下にはまるで構わず、メナング一人だけを連れて戦場から立ち去る。
一年前は一緒についていったであろうクシャトリアは、師の背中を見送りながら動くことはない。
「追ってこんのかいのう、クシャトリアよ。お主の目的は我を殺すことじゃろう?」
「俺は貴方とだけは戦いたくない。念のために捕捉しておくと、感傷だとかセンティメントな理由じゃなく純粋に死にたくないからですが」
そもそも自分の手でジュナザードを殺す自信があるのならばとっくにそうしている。
クシャトリアは殺したい相手を何の理由もなく生き延びさせていくほど呑気ではない。殺したい相手がいるのならば、迷わず即座に殺す。
そうしなかったのは自分一人の力でジュナザードを殺せる可能性が非常に少ないからだ。なによりも、
「貴方が風林寺美羽を誘拐した時点で、もはや貴方と風林寺隼人の激突は不可避となっている。激突を避けるにはもはや二人のうちどちらかが『激突する前に死ぬ』くらいしかない。
或は貴方が震え慄いて身を隠したのならば話は別ですが、よもや貴方ほどの武人がそんなみっともないことはしないでしょう? いくら相手が唯一互角と認めた男だとしても」
「カカカカカッ。我にここまで無礼なことを言った弟子はお前が初めてじゃわいのう。メナング!」
「はっ!」
「退くぞ。立て直しじゃわいのう。風林寺のじっさまとの死合い、久々に我の血が高ぶってきたわい。それに――――」
ジュナザードが戦場に目を向ければ、戦場はもう戦場ではなくなっていた。ジェイハンというたった一人の男が現れただけで、混沌とした戦場は完全に静まっている。
このままジェイハンが玉座に戻れば内乱もやがて収まるだろう。そうなればティダードにも平和が訪れるはずだ。だがこの平和には欠陥がある。
「所詮たった一人の力で成立した国家なぞ、その一人さえ消せば崩れるもの。風林寺のじっさまを相手にした後でこの国など如何様にもできるわいのう」
ジュナザードとメナングが姿を消す。ティダードに幾つかある己の居城へと戻ったのだろう。
長くジュナザードの弟子をしていたクシャトリアには、ジュナザードの逃げ場所にも心当たりがあった。
「さて、と」
クシャトリアはクシャトリアで他にもやるべきことがある。丁度、風林寺隼人が兼一、美羽、翔の三人を抱えてこちらへ来るところだった。
首尾よく無敵超人を拳魔邪神にぶつけるために、まだ色々と動く必要があった。
ジュナザードが退散してからの動きは速かった。元々ジェイハンの熱烈な信奉者でそれ故に軍事政権をうちたてようとしたガジャ大佐は、率先してジェイハンの下に加わり、ティダード正規軍は完全にジェイハンの影響下となった。
また国外よりジュナザードが招いた達人達については無敵超人、ケンカ百段、人越拳神のオーラに恐怖して退散。ヌチャルドの勢力もほぼ全てジェイハンに吸収され、急速にティダードはジェイハンのもとに纏まりつつあった。
元ジュナザード配下の殺人拳たちも、拳魔邪神の後継者と目されているクシャトリアが如何にもな〝聖人面〟で表面にだけ心のこもった説得をすることで七割は懐柔できた。残りの三割については、一時的に牢獄に閉じ込めているので当面の間は何もできない。
ここまでは概ねクシャトリアの計画通りである。
けれどジュナザードが言った通りこの平和は酷く脆い。ジェイハンが雪崩に巻き込まれ死んだと伝えられてから、一気にティダードが内戦状態になったのが良い例である。
ジェイハンという一人のカリスマ的指導者によって纏められた国は、ジェイハンという一人の人間が消えるだけであっさりと崩壊するだろう。
このままジェイハンが辣腕を振るっていけば、そういった統治上の欠点も克服され、やがて一人のカリスマに頼らずとも運営できる国家になっていくだろうが、それは一朝一夕にできるものではない。
こればかりは豪傑達が殴れば解決するというものではなく、時間をかけてじっくりと取り組まなければならないのだ。
ただしティダードには時間をかけてゆっくり、などということを許してはくれない火種が残っている。言うまでもなくそれは拳魔邪神ジュナザードだ。
ジェイハンも強烈なカリスマ性をもつが、長年神として信仰されてきたジュナザードのそれはジェイハンを上回る。
今は無敵超人を筆頭とした三人の豪傑にクシャトリアがいるのでジュナザードも迂闊に手を出せないが、クシャトリアは兎も角、三人の豪傑も常にティダードに滞在することはできない。三人が立ち去ればジュナザードが潜んでいる必要はなくなり、三日と保たずに平和は崩れ去るだろう。
そのことはジェイハンも、無敵超人・風林寺隼人も分かっている。
そして凡俗ならばいざしれず、風林寺隼人ほどの男がティダードの現状を知っていて放置するなんていうのは有り得ない。ティダードの抱える問題を解決するため、風林寺隼人がジェイハンに協力するのは当然のことだった。
「と。ここまでがお主の……いいや、美雲の計画かのう」
「恐ろしい御方だ、貴方は。我が師匠が対等と認め、美雲さんが落日における最大の障害と見做すだけはある」
クシャトリアの策謀など風林寺隼人にはお見通しのようだった。
あっさりと策を看破されたクシャトリアは悪びれもせず肩を竦める。
「だけどよく美雲さんが一枚噛んでいることまで分かりましたね」
「なに。昔ちょっとあってのう。美雲の手練手管は知っておる」
「俺の知らない昔の美雲さんを知っているなんて、ちょっとだけ妬いてしまいますよ」
「下手に勘繰るでない。浮いた話などではなく、遠い昔に闇の暗躍を阻止するために共に戦った時代があっただけじゃ。袂を分かち別々の道に進んでからは一度も会っておらん。闇と梁山泊の戦いが始まるまではのう」
「美雲さんが闇をねぇ」
一影九拳として『久遠の落日』に向けて最も精力的に活動している美雲が、闇の暗躍を阻止するために戦う。
今ならば考えられないことだが、昔は考えが違ったのだろう。
「随分と美雲を好いているようじゃが、お主ほどの男が気付かんわけもないじゃろう」
「俺が美雲さんに利用されていることを、ですか? いいんですよ別に。俺は美雲さんの役にたてるなら利用されるだけの男でも。死ぬのは勘弁ですが、それ以外は大抵やります」
「何故そこまで?」
「特に複雑な話でもありませんよ。精神的に一番追い詰められていた時代に、優しくしてくれたのが美雲さん一人だっただけです」
味方になってくれた人間が偶々美雲だっただけで、もしも違う人間に助けられていたのならば、美雲に対して向けていた感情をその人間に向けていたことだろう。
人間の感情など以外に簡単なものだ。
「美雲さんに対する感情がなんなのか。俺にもいまいち分かりませんし、美雲さんが俺に期待しているのは別のことだと思いますが、どちらにせよ俺と美雲さんの目的は一致している」
クシャトリアは自分の自由を獲得するためにジュナザードを殺さなければならず、美雲は落日を進めるため不確定要素のジュナザードを廃除する必要があった。
利害などなくともクシャトリアは美雲のために動くが、利害が一致しているのならば言うまでもない。
「おっと」
そうやって話しているとクシャトリアのケータイが鳴った。
「失礼」
表示されている電話番号は闇のものだ。風林寺隼人の近くで話していいことでもない。
その場を離れ周囲に誰もいないことを確認してから、クシャトリアは電話に出た。
「もしもし」
『大変です、クシャトリア様。リミが……リミが!』
ここで初めてクシャトリアは小頃音リミが、ジュナザードに拉致されていたことを知ることとなった。