スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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94話 レイブンクローの髪飾り

「……少し埃がたまってるわね」

 

 セレネは秘密の部屋の最奥部に辿り着くと、アルケミーの頭から滑り降りた。

 

 約1年ぶりに訪れる「秘密の部屋」は、相変わらず湿り気が多く立ち込めていた。

 特に隣接された書斎は1年間誰も足を踏み入れていないこともあり、埃が少しばかり溜まっている。歩いてみると、自分の足跡がくっきり残っていた。

 7年生になったらホグワーツに戻ってくるつもりだったこともあり、読みかけの本が机の上に置きっぱなしにされていた。セレネがその表紙を指でなぞると、その部分だけ薄らと蓄積された灰色の埃が払われ、本来の色がくっきり浮き立った。

 

「ゴーント先輩、ここが……秘密の部屋、ですか?」

 

 ヘスティアが、どこかおっかなびっくり周囲を見渡しながら尋ねてきた。セレネは彼女の問いに頷きながら、ダンブルドアの杖を取り出した。

 

「正確に言えば、スリザリンの書斎です。『スコージファイ‐清めよ』」

 

 セレネは「埃っぽさと湿り気が少しマシになればいい」程度の気持ちで杖を振る。ところが、予想以上に埃が一掃され、湿り気が遥かに緩和された。息苦しさは皆無で、息を吸い込むと冷気を吸い込んだ時みたいに、すっと肺までクリアになっていく気がした。書棚に積もっていた埃も消え、くっきり足跡を残していた床も磨き抜かれ、顔が映りそうなくらい輝いている。

 この快適さ、しもべ妖精が毎日かかさず掃除をしているスリザリン寮の談話室より居心地が良い。

 

「さすが先輩。素晴らしい魔法です!」

「……ありがとう、ヘスティア」

 

 セレネは礼を言いながら、ダンブルドアの杖に目を落とした。

 ダンブルドアの杖は、物の数秒足らずで空気清浄機と除湿器が数時間で為せる技をやってのけた。それどころか、部屋全体が新品同然のレベルまで掃除がされている。

 7年間慣れ親しんできた沙羅の杖では、最悪の状態から最善の状態に部屋を清めるまで、もう少し魔力を込めて意識を集中させる手間がかかる。いや、全力の魔力を込めて集中したところで、ここまで完璧に清掃できるとも思えない。

 

 不思議と手に馴染む杖は、自分の力を万全以上に引き出している。

 

 この杖があれば、もしかしたら――……

 

「それで、ゴーント。何をすればいいんだ?」

 

 セオドールの咳払いで、セレネは我に返った。

 

「え、あ、そうでした。サラザール・スリザリンの日記があります。そこに、レイブンクローの失われた髪飾りに関する記述がないか、手分けして探そうと思います」

 

 セレネはそのまま杖を振り、無言で日記帳を呼び寄せた。呼び寄せた、と表現すれば軽く感じる。どちらかといえば、日記帳の山を移動させたと表現するのが正しい。セレネが考えるより先に、杖が日記帳の山を均等に3つ築いてくれた。一つの山が2学年分の教科書の山に等しい。

 セオドールが顔を青ざめさせながら

 

「げっ、この量を読むのかよ」

 

 と呟いたことに対し、セレネは反論できなかった。

 

「サラザール・スリザリンは几帳面だったのかもしれませんね」

 

 セレネはそれだけ言うと、義父から貰った銀時計を取り出した。

 

「制限時間は一時間です。一時間を過ぎたら、諦めて、ハリー・ポッターたちと合流します。いいですか?」

 

 セレネが告げると、2人は異論なしと日記帳の束に取りかかった。

 

 

 スリザリンは丁寧に一日、一日の記録を書き連ねていた。

 生徒たちの理解が悪いことや講義の反省といった仕事の内容はもちろん、ヘルガ・ハッフルパフの料理が見事で美味しかったことや魔法生物の研究、新たな魔法薬の生成など、スリザリンの日常がよく分かった。

 特に日記の大半を埋めているのは、ゴドリック・グリフィンドールに関する内容だ。彼とは魔法学校を建てる理想を元に手を組んだが、どうやって彼のマグルやマグル生まれを贔屓する悪癖を直させようか思案する様子が強く伝わってくる。

 

 レイブンクローの話題は、たまに上がってくる。

 

 グリフィンドールと言い争いや決闘をしていると、必ずレイブンクローとハッフルパフが仲裁に入ってきたこと。

 レイブンクローと新しい魔法薬や魔法理論について語り合ったこと。

 スリザリンの腹心だった”男爵”が、彼女の娘に熱を上げていたこと。

 その娘が出奔後、レイブンクローは深い悲しみに暮れていたこと。時折咳き込むようになっていたが、自ら自作した魔法薬を常時携帯し、講義の合間に飲む姿が見られたこと。

 

 そんな内容が、ぽつぽつと日常の切れ間に挟まってきている。 

 

 セレネとしては、出奔した娘の足取りや髪飾りの行方について知りたくて、一字一句見落とさないように慎重に読み進めていった。ところが、読み進めれば読み進めるほど、レイブンクローの話題はあまり出てこなくなった。代わりに、グリフィンドールに対する抗議や愚痴、マグル生まれを排斥する方法が日記帳の大部分を埋め始めていた。

 

「……ゴーント! ちょっと来い!」

 

 スリザリンがバジリスクかギリシャ神話のメドゥーサを秘密の部屋に潜ませるべきか思い悩む記述を読んでいた時、セオドールが声を上げた。セレネは急いで彼が開いているページに目を落とした。

 

「髪飾りのことですか!?」

「いや、違う。気になったことがあったんだ。ここ、読んでみろ」

 

 セレネは彼の指さした箇所に目を走らせる。

 スリザリンが城を去ろうとした直前、自身の腹心の男爵が長旅から帰還したことが記されていた。スリザリンとしては彼に自分が去った後の寮を任せようとしたらしいが、彼の肉体は生身ではなく、ゴーストだったことを残念がる様子が書かれていた。

 

「『白銀の身体は血まみれで、重たい鎖を身に着けている。本人は”悔恨のため”だと言ったが、何に対する悔恨なのか。いくら尋ねても、頑なに口を開こうとしなかった』。

 ……身体が血まみれで、鎖を着けている、スリザリンに関するゴースト? まさか……」

「先輩、『血みどろ男爵』では!?」

 

 セレネたちは顔を見合わせた。

 血みどろ男爵は生前のことを語らない。気難しく、怒りっぽいので話しかけにくいという理由もあるが、彼から話しかけてくることも稀だった。

 セレネ自身、男爵と会話した経験は指で数える程度だった。自ら男爵を探し、話しかけたことは1度しかない。そのことに思い至った時、セレネははっとした。

 

「そういえば、5年生の時……男爵に話しかけたことがありました」

 

 セレネは指を口元に添えながら、当時のことを回想する。

 

「男爵はホグワーツのゴーストとして長く城にいるから、彼にスリザリンやレイブンクローの秘宝の在りかを知らないか尋ねようとしたんです」

「それで、結果は?」

「激怒されました。『くだらん失われた宝を探す暇があるなら、学生らしく試験勉強をしたらどうだ!?』と。

 ……つまり、男爵はスリザリンの時代の人で、『失われた宝』……おそらく、レイブンクローの髪飾りについて何か知っているのではないでしょうか?」

 

 セレネは少々考えが飛躍しすぎているようにも思えたが、我ながらに良い線をついているのではないかと感じていた。

 

「私は秘宝の在りかを知らないか、としか尋ねていません。それなのに、あの男爵は『失われた宝』とわざわざ口にしていました」

「では、これから男爵を探しに行くということですね」

 

 セレネはヘスティアの提案に頷くと、もう一度、自身の銀時計に目を落とした。

 予定の一時間が迫っている。素早く動かなくてはいけない。今、ここで日記に目を落としている瞬間にも、ヴォルデモートが城に迫っているのだ。

 

「一度、上に戻りましょう」

 

 セレネたちは日記帳を置いたまま、秘密の部屋から抜け出した。途中、銀色の鳩がセレネの肩のあたりに舞い降りた。鳩は小さな嘴を開けると、アステリアの声で

 

『マクゴナガル先生から全校生徒は大広間に集まれと言われました。私たちも大広間に向かいます。死喰い人たちは拘束され、スネイプ校長は城から逃げ出したそうです』

 

 と教えてくれた。

 大広間に集まれ、ということは、生徒を避難させるため、そして、残って戦う者を振り分けるためだろう。おそらく、ハリーたちもそこにいる。

 そして、ちょうど、大広間の辺りまで戻ってきた時だった。

 

 甲高くて冷たい、はっきりとした声が城を震わせたのだ。どこから聞こえてくるのかは定かではなく、まるで周囲の壁そのものから、何世紀にもわたってそこに眠っていた怪物が話し始めたかのように思える声だった。

 

『お前たちが、戦う準備をしているのは分かっている』

 

 ヘスティアが小さく悲鳴を上げる声が聞こえた。道案内役のアルケミーが一瞬、動きを止める。セレネはヴォルデモートの声が途切れた合間を縫って、素早くアルケミーに命令した。

 

『アルケミー、進みなさい。あいつは遠くから話しかけているだけ』

『……承知しました』

 

 アルケミーが進み始める。アルケミーは元の主の声に、少し怯えているようにも見えた。

 

『俺様には敵わぬ。お前たちを殺したくはない。ホグワーツの教師に、俺様は多大な尊敬を払っているのだ。魔法族の血を流したくはない』

 

 大広間の前まで辿り着いた。セレネはアルケミーに隠れているよう手で指示をすると、こっそり大広間に入り込む。生徒たちは怯え切っていた。恐怖で顔を歪ませながら、互いにすがりついている生徒もいる。

 

『ハリー・ポッターを差し出せ。そうすれば、誰も傷つけはせぬ。ハリー・ポッターを俺様に差し出せ。そうすれば学校には手を出さぬ。

 真夜中まで待ってやる』

 

 声がやむ。

 城中が静まり返ったように思えた。鼓膜を押し付ける静けさだ。

 

「あそこにいるじゃない!」

 

 パンジー・パーキンソンの鋭い声が飛んだ。胸には新しい監督生バッジが輝いている。

 

「ポッターはあそこよ! 誰かポッターを捕まえて!!」

 

 彼女の視線の先には、ハリーがいた。しかし、彼が口を開くより早く、周囲がどっと動いた。グリフィンドール生が、パンジーからハリーを守るように全員が立ち上がる。次にハッフルパフ生が立ち、ほとんど同時にレイブンクロー生が立った。少し遅れて、スリザリン生の半数が立ち上がる。立ち上がった全員がハリーに背を向け、パンジーに対峙して、あちらこちらでもマントや袖の下から杖を抜いていた。

 

「な、なによ。信じられない! 『あの人』と戦おうって言うの!?」

 

 パンジーは予想外の展開に、後ずさりしている。

 

「どうも、ミス・パーキンソン」

 

 マクゴナガル先生が、きっぱりと一蹴した。

 

「あなたは、フィルチさんと一緒に大広間から最初に出て行きなさい。

 もう一度言いますが、未成年者が残ることは禁じます。残って戦いたいという者は、成人に達した者たちだけです。

 他のスリザリン生は、ミス・パーキンソンの後に続いて出てください」

 

 セレネの耳に、ベンチが床をこする音に続いて、スリザリン生が大広間の反対側から出て行く音が聞こえた。

 

「レイブンクロー生、続いて!」

 

 マクゴナガル先生が声を張り上げる。

 四つのテーブルから次第に生徒がいなくなった。レイブンクローのテーブルには高学年の生徒が何人か残っていた。ハッフルパフのテーブルにはさらに多くの生徒が残った。グリフィンドール生は大半が席に残り、マクゴナガル先生が壇から降りて、未成年のグリフィンドール生を追い立てていた。

 

 スリザリン生で残っている生徒はまばらだった。

 全員、セレネの見知った顔である。親衛隊に所属している上級生や過去に在籍していた卒業生だ。卒業生で元幹部のエイドリアンはセレネがいることに気が付くと、駆け寄ってきた。

 

「お久しぶりです、ゴーント様」

「様はよしてください。でも、貴方がどうして?」

「僕が知らせたんです」

 

 ノーマンが得意そうな顔をしながら近づいてきた。

 

「守護霊の呪文で、元親衛隊に所属していた人たち全員に」

「ありがとう、ノーマン。でも、貴方は未成年でしょ?」

「はい。でも、僕は戦えます! 今のスリザリン寮で一番強いのは僕です!」

 

 ノーマンは頑として避難しないつもりらしい。セレネは銀時計に目を向ける。真夜中まで30分しかない。わずか30分で男爵を説得し、レイブンクローの髪飾りを破壊しないといけないのだ。

 セレネはノーマンの頭に、ぽんっと手を置いた。

 

「確かに貴方は強い。でも、今は避難しなさい」

「でも、セレネ先輩! 僕はもうすぐ4年生で――……」

「未成年者は避難する。生き残ることができれば、万が一の時、再起することもできる」

 

 セレネはノーマンと視線を合わせると、静かに言った。

 

「常に最悪な事態を想定して行動しなさい。分かりましたね、ノーマン」

 

 それだけ言うと、彼から視線を外した。

 スリザリンのテーブルには、まだ下級生が残っている。グリーングラス姉妹は口論をしていた。姉のダフネが『ここから逃げよう』と言うのに対し、妹のアステリアは『残って戦う』と言い張り、両者ともに一歩も譲っていない。

 

「……時間がありません。この場は貴方とヘスティアに任せますね」

 

 セレネはセオドールの腕を叩くと、そのまま大広間を去ろうとした。

 

「待てよ。オレも血みどろ男爵を――……」

「もう貴方の眼では、男爵を見つけることはできないでしょう?」

 

 セレネが指摘すると、セオドールは悔しそうに唇をかみしめる。彼にもう浄眼はない。この世のものではないゴーストを見ることは不可能であった。

 

「それに、親衛隊を取り仕切るのは、隊長の仕事では?」

 

 セレネが口元に微笑を浮かべると、彼は考え込むように強く目を閉じた。

 

「分かった。だがな、約束しろ。人を殺すことだけはしないって」

 

 彼は瞼を開けると、まっすぐセレネを射抜いてきた。

 

「……分かってますよ。人を殺すことはしません」

「絶対だぞ。何度謝っても、人殺しだけは許さないからな」

「分かってますって!」

 

 セレネはそれだけ言うと、彼に背を向けて駆け出そうとした。けれど、二、三歩ほど進んだところで一度、振り返り、言い忘れていた言葉があることに気付く。

 

「全部終わったら、祝杯でもあげますか。睡眠薬なしのボトルを取り寄せて」

「……ああ、せっかくだ。二十年物のワインを買って飲もうぜ」

 

 セレネは彼と拳と拳を乾杯するように軽く叩きあわせると、再び背を向けて駆けだした。

 後ろでセオドールが親衛隊員たちに指示を飛ばし始める声を聞きながら、大広間から走り出し、血みどろ男爵を探し始める。

 避難中の生徒たちで玄関ホールはごった返していた。監督生が大きな声で指示を出し、自分の寮の生徒たちをしっかり引き取ろうとしていた。どこもかしこも押し合いへし合いで、ザカリアス・スミスが一年生を押し倒して列の前に出ようとしているのが見えた。

 

 セレネは生徒の流れに乗りながら、血みどろ男爵を探し始める。

 すると、スリザリン生の一団の上に真珠のような姿が漂っているのが見えた。

 

「男爵! 男爵!!」

 

 セレネは流れの合間を縫うように、男爵の方へと進んだ。男爵はセレネを見止めると気難しそうな顔をしたまま、人気のない廊下の方へと流れていった。セレネは男爵を追って廊下に出ると、人気のない通路で男爵が待っていてくれた。

 

「久しぶりだな、ゴーント」

「また会えて光栄です、男爵」

「世辞は良い。用件は何だ」

 

 男爵は堅い声色で尋ねてきた。

 

「まさか、挨拶をしに来たわけではないだろう?」

「気を悪くしたら申し訳ありません。貴方は……ロウェナ・レイブンクローをご存知ですか?」

 

 セレネがレイブンクローの名を口にすると、男爵は固まった。一瞬だけ、彼の気難しい表情が拭い去られ、無表情になる。だが、次の瞬間、彼の透明な頬が半透明になり、声が熱くなっていた。

 

「何を問われるかと思えば、ロウェナについてだと!?」

「すみません。貴方ならご存知かと思いまして……」

「……ああ、知ってる。良く知っている。しかし、それが何の役に立つ? ヴォルデモートとの決戦が迫っている時に!」

 

 血みどろ男爵の眼に苛立ちの色が強く滲みだしていた。セレネは出来る限り低姿勢を維持しながら、彼に問いかけ続けた。

 

「ありがとうございます。もう1つだけ、よろしいですか?」

「なんだ!?」

「レイブンクローの髪飾りについて教えていただけませんか? いつ、どうして失われた――……」

「そんなことを聞くために、わしを呼び止めたのか!?」

 

 男爵は火山が噴火する勢いで怒り始めた。

 

「ヴォルデモートの決戦が迫ってる! 元スリザリン生の恥を払拭するため、わしに協力を求めているのかと思えば、髪飾りだと!? 髪飾りが何の役に立つというんだ!?」

 

 彼の逆鱗に触れてしまったのだろう。男爵は唾を飛ばす勢いで怒り始める。もちろん、ゴーストなので実際に唾は飛ばないが。

 セレネは男爵が全て言い終えるのを待つと、きわめて静かな口調で尋ねた。

 

「レイブンクローの髪飾りこそ、ヴォルデモートを倒すために必要なアイテムなのです。

 お願いします。断片的な情報でも構いません。どうか、教えていただけないでしょうか?」

 

 男爵は宙に浮いたまま、セレネを見下ろしていた。顔が半透明で強く刃を噛みしめているのが分かる。

 

「髪飾りは知恵を与えるものだ。レイブンクローの英知を授かろうとしているのか? バカバカしい。多少知恵をついたところで、あやつを倒せるとは思えん!」

「いえ、髪飾りを被るつもりはありません。使うつもりもありません。

 私は、髪飾り自体を探しているのです。お願いします。なんでも構いません。髪飾りに関する情報を教えてください」

 

 男爵はセレネの言葉を聞くと、ふんっと鼻を鳴らした。

 

「髪飾りの場所なら知っている」

 

 じゃらりと身に着けている鎖が重たそうな音を立てる。

 

「だが、諦めることだ。あれはアルバニアの森にある」

「アルバニア?」

 

 セレネは言葉を繰り返した。

 

「ロウェナの娘、ヘレナ嬢が髪飾りを盗み、アルバニアの森に隠れ住んでいた。髪飾りがあるとすれば、あの森だろうよ」

 

 男爵の声は未だに大半が怒りで満ちていたが、わずかに郷愁の色が混じっていた。

 

「これで満足か? お前は戦が始まろうとしている時に、アルバニアまで行くのか!? 仲間を見捨てて!」

「……いえ、行きません」

 

 セレネは男爵との会話に思考の半分を裂きながら、もう半分で情報を整理していた。

 

 アルバニアといえば、ヴォルデモートが長期に渡って隠れ住んでいた場所だ。

 彼はアルバニアが隠れやすいから、そこに潜伏していたのではない。

 目立たず、邪魔されずに潜伏する場所が必要になった時、貴重な髪飾りが1000年近く隠され続けていた森が、素晴らしい避難場所に想えたのではないだろうか。

 

 だが、そこに髪飾りはない。

 グリンデルバルドは「そこに分霊箱のヒントがあるかもしれない」と渡ったが、アルバニアの森に分霊箱はなかった。おそらく、そこにあったはずの髪飾りは、ヴォルデモートが手に入れ、隠し場所を変えたのだ。

 

 

 ここ、ホグワーツに。

 では、どこに隠した? 貴重な分霊箱を本来あるべき城のどこに隠したのだろう?

 

「……あいつは……いつ、アルバニアに行った? いったい、ホグワーツのどこに隠した?」

 

 セレネは独り言のように呟いた。

 

「ダンブルドアが絶対に見つけられない場所……模範生はもちろん、一般の生徒が見つけられない場所……」

 

 普通に考えれば、秘密の部屋だ。

 サラザール・スリザリンの末裔のために用意された部屋だ。

 

 だがしかし、あそこに髪飾りはなかった。

 そもそも、スリザリンの隠し部屋にレイブンクローの品を隠そうとは思うまい。そう考えると、レイブンクローの談話室になるわけだが、ヴォルデモートはスリザリン生だ。レイブンクローの談話室に入った時点で怪しまれ、ダンブルドアに目を付けられる可能性が高まる。

 

 ヴォルデモートは、どこに隠した?

 

「……物を隠すことに特化した場所……誰にも見つからない場所……誰にも……見つからない……」

 

 セレネはそこまで呟いたとき、酒を飲んだときのような熱い衝撃が身体を貫いた。

 

「……わかった。ありがとうございました、男爵!!」

 

 セレネは難しい顔をしたままの男爵に礼を言うと、すぐさま床を蹴った。

 

 誰にも見つからない場所。

 そんな場所、あるわけがない。第一、本当にそのような場所があれば、ヴォルデモートさえ見つけることができない。つまり、見つけるための鍵があるはずなのだ。秘密の部屋の場合、それは蛇語だった。

 

 では、他に見つからない場所は? 簡単な話だ。見つからない場所を用意すればいい。無論、ヴォルデモートはホグワーツの創始者ではないので、一から部屋を創るのは不可能だ。しかしながら、自分の用件をすませるために姿を変える便利な部屋が1つだけ、ホグワーツには存在している。

 

 セレネは階段まで戻ると、駆け上り始めた。

 生徒の避難は大方終わったのか、人通りは少ない。戦うために残った生徒や不死鳥の騎士団は、防衛のために校舎の外に出てしまっているのだろう。

 

「セレネっ!」

 

 ふと、下から声をかけられた。階段の桟に身を乗り出すように下を覗いてみれば、ハリーたち三人組が上ってくるところだった。

 

「セレネ! 髪飾りはヴォルデモートが就職を頼みに来た夜に隠したことが分かった!」

 

 ハリーが階段を上りながら叫んでいる。

 

「あいつは、ダンブルドアの校長室に行く途中か、そこから戻る途中で髪飾りを隠したんだ!」

 

 校長室は3階。そこから下の階に隠した可能性が高い。

 

「それより上の階に隠したかもしれないぜ。ほら、フクロウ小屋に行く途中とか。『面接の結果を手下たちに伝えたい』とかいう理由でさ」

 

 ハリーの考えに上乗せするように、ロンが考察する。2人から少し遅れて、ハーマイオニーが階段を上ってきた。彼女は少し息が上がっている。

 

「セレネは、どこに行く途中だったの?」

「必要の部屋です。あそこなら『誰にも見つからずにモノを隠せる部屋』になることができます」

「あ……ああっ! そうだ、その通りだよ!」

 

 セレネが言うと、ハリーは目を見開いた。

 

「僕、髪飾りを見た!」 

「「ええっ!?」」

 

 ハリーの発言に、セレネとハーマイオニーは目が点になる。ロンは言葉も出ないのか、口をあんぐり開けていた。

 

「去年、プリンスの本を必要の部屋に隠したんだ。その時、近くにあった石の像に古い黒ずんだティアラを被せたんだ。あれがレイブンクローの髪飾りだったんだ!」

 

 ハリーはそう言いながらセレネを追い越し、8階を目指して上り始める。セレネもその背中を追いかけた。

 

「あの場所は何世紀にもわたって、みんなが隠し場所にしてきたところだったんだ。あいつは、自分しかその場所を見つけられないと思ったんだ」

「ダンブルドア先生やマクゴナガル先生は、確かに見つけられなそうですよね」

 

 模範生や優等生たちは、8階の一歩脇にそれた場所へ足を踏み入れる理由がない。たとえ、その道を偶然通ったところで部屋が開かれるわけでもなく、開いたとしても、ヴォルデモートが髪飾りを隠した部屋が開かれるわけがない。通常、優等生は物を隠すような後ろめたい行いをするわけがないのだから。

 

 セレネたちが必要の部屋に戻ると、ホッグズ・ヘッドに続く道からリーマス・ルーピンが出てくるところだった。久しぶりに会うルーピン先生はますます白髪が増え、ローブはくたびれていたが、瞳だけは爛々と輝いていた。

 

「ああ、ハリー。ロン、ハーマイオニー、セレネも」

「リーマス、ここにいて大丈夫なの?」

 

 ハーマイオニーがルーピン先生を気遣うような声をかける。

 

「トンクスは?」

「彼女は行きたいと言っていたけどね。でも、彼女は出産間近だ。実家で安静にしているよ。戦いが終わるころには、産まれているかもしれない」

 

 ルーピン先生は少しばかり苦渋の表情を浮かべていた。

 

「それは……トンクスの傍にいてあげた方がいいんじゃない?」

「ハーマイオニー、これは大事な戦いなんだ。イギリス魔法界を左右するほどのね。私は生まれてくる子がより幸せに暮らせるような世界を作るために、戦わないといけないんだ」

 

 ルーピンは自分に言い聞かせるように答えると、にっこり笑って走り去っていった。

 これで、必要の部屋に残っているのは、セレネたち4人だけになった。必要の部屋は誰かが部屋にいる限り、姿を変えることができない。最後にもう一度、誰もいないことを見届けると、部屋の外に出た。

 

「じゃあ行くぞ」 

「ハリー、ちょっと待った!」

 

 ロンが鋭い声を上げた。彼は、まじめな顔で全員の顔を見渡した。

 

「僕たち、誰かのことを忘れてる!」

「誰?」

「屋敷しもべ妖精たち。全員、下の厨房にいるんだろう? 脱出するように言わないといけないよ。僕たちのために死んでくれなんて、命令できるわけない――……」

 

 ロンが全て言い終える前に、ハーマイオニーが動いていた。彼女はロンに駆け寄り、その両腕を首に巻き付け、彼の唇に熱烈なキスをした。ロンも彼女に応え、ハーマイオニーの身体を床から持ち上げてしまうほど夢中になっている。

 セレネは冷たい視線を二人に向けると、ハリーに顔を向けた。

 

「ハリー、さっさと始めましょう」

 

 ハーマイオニーは慎み深い方だと思っていたのに、状況をわきまえずに夢中になるとは……と、セレネは呆れ果てた。セレネはキスをしたことがないので気持ちの良いものなのか、熱くなれるものなのかは分からないが、時と場所を選べと強く思う。ただ、それを止めることに時間を割くのは無駄な気がした。

 

 ハリーは2人の親友に苛立ちを隠せない様子だったが、セレネに言われて必要の部屋を『すべての物が隠されている場所』に変えるために動き始める。

 ハリーが三度、壁の前を通り過ぎた時、扉が現れた。ハーマイオニーとロンは気づかない。むしろ、ますますヒートアップしているように見える。ハリーが口を開く前に、セレネは杖を取り出した。

 

「『レラシオ‐放せ』。……まあ、まだ続けたいならどうぞ。私たちは先に進みますから」

 

 2人の間に軽く火花を飛ばすと、弾かれたように離れた。2人とも顔を赤らめると、咳払いをして杖を構えた。部屋に入り、扉を閉めた途端、部屋は静寂に包まれた。

 セレネは、まるで摩天楼の都市に放り出されたかと思った。大昔からの何千人という生徒たちが隠した品物がビルのように積み重なり、いくつも高くそびえ立っている。

 

「こっちの並びだと思う」

 

 ハリーが進み始めた。

 トロールの剥製の横を通り抜けると、がらくたのビルが立ち並ぶ。どこも似たり寄ったりの風景で、おそらくハリーも分からなくなったのだろう。

 

「手分けして探そう」

 

 ハリーはセレネたちを振り返った。

 

「老魔法戦士の石像を探してくれ。戸棚の上に載っている像だ。ティアラを着けている。そのティアラが分霊箱なんだ」

 

 四人はそれぞれ、隣り合わせの通路へ急いだ。セレネも像を探して歩き始めたが、ふと足を止める。足音だ。それも、四人どころの足音ではない。もう三人分ほど多い。嫌な予感が胸を過り、セレネは道を引き返した。足音は聞こえる。姿は見えない。

 

「『目くらまし』か」

 

 セレネは眼鏡を外した。同時に黒い線がのたくっていく。何分、周囲にがらくたのビルが建っているせいで、余計、死の線が目立って視えた。

 だがしかし、目くらましの呪文には、これが一番効くのだ。目くらましの呪文で消せるのは、外観だけだ。死の線までは消えない。

 

「……あれか」

 

 耳に神経を集中させながら進むと、何もない空間に死の線の塊が三つ分見えた。

 目くらましで隠れている者は三人。それが誰かまでは特定できない。ヴォルデモートではないと思うが、それに与する者であることは確かだ。後ろから狙い撃つのは簡単。1人は文句なく倒せる。2人もいける。けれど、3人目は? ダンブルドアの杖を使えば簡単に倒せるだろうが、ベラトリックス級の死喰い人、たとえば、ドロホフのような手合いだった場合、打ち損じてしまったら面倒だ。周囲はがらくたのビルが鬱蒼としている。火を使われたら、こちらが不利だ。悪霊の火を操られたら、目も当てられない。

 

「……ま、悪霊の火だったら、よほどの使い手じゃない限り、この状況で使わないか」

 

 悪霊の火ほど制御の難しい魔法はない。

 ベラトリックス級ならともかく、それ以下の魔法使いが火の回りが速そうな状況下で使うわけがない。使うとすれば、クラッブとゴイル級の馬鹿だ。もっとも、あの二人が使えるわけがないので、ありえない話である。

 

 セレネが後ろから三人を追跡する。

 どうやら、三人の方はハリーを追跡しているようだ。ハリーは荒く息をしながら通路を進んで行く。追跡には気づいていない。

 

「あった!」

 

 ハリーは歩みを止めた。痘痕面の石像が埃っぽい古いかつらを被り、もっと古そうな黒ずんだティアラをつけている。あれがレイブンクローの髪飾りだ。ハリーは手を伸ばしながら近づこうとし――……

 

「止まれ、ポッター」

 

 セレネの前を歩く三人組、マルフォイ、クラッブ、ゴイルが目くらましを解いた。セレネはビルの陰に隠れ、身を潜めながら様子を窺う。ハリーの額には汗が滲んでいた。

 

「俺たちは褒美をもらうんだ!」

 

 クラッブが唸るように言った。表情は見えなかったが、大きな背中からは勝ち誇った喜びが滲み出ている。

 

「ポッター、おまえを『あの人』のところに連れていくことに決めた!」

「俺たちは外の廊下に隠れていたんだ! 俺たちはもう『目くろます術』ができるんだぞー! 髪飾りを探しているらしいな? それって、なんだ?」

 

 ゴイルもクラッブに続けて話し始める。

 セレネは「『目くろます』ではなく『目くらまし』だ」と心の中で突っ込みながら、眼鏡を再びかける。あの三人程度なら、直死の魔眼なしでも無力化できる。とはいえ、一歩間違えれば、がらくたの山に埋もれ、窒息してしまう。周囲に振動を与えかねない魔法は使えない。

 つまり、取るべき行動は1つだ。

 

 一瞬で杖を奪い取り、行動を無力化する。

 

「『エクスペリアームス‐武器よ去れ』」

 

 セレネが通路に躍り出て鋭く呪文を唱えると、三人の杖が一気にセレネに向かってきた。セレネは杖をキャッチすると、そのまま縄を出現させる。

 

「『インカーセラス‐縛れ』!」

 

 セレネの出した縄は、マルフォイ、クラッブ、ゴイルをそれぞれ縛り上げる。セレネが思い浮かべた通りに縛り上げていく。やはり、この杖はセレネの力を十全以上に引き出している。セレネは満足そうに杖を握り直すと、ハリーに近づいて行った。

 

「追跡するなら、追跡されていることも想定しましょうか」

「――ッ、ゴーント!」

 

 三人が忌々し気に睨んでくるのを涼しい顔で受け止めながら、セレネは歩みを進めた。ところが、次の瞬間、クラッブが動いた。縄で縛られたまま、近くのがらくたのビルに突進したのである。がらくたはたちまちバランスを失い崩れ、周囲のビルを巻き込みながら、セレネに向かって雪崩を起こし始めたのだ。

 クラッブが嘲笑う。

 

「人間もどき! さっさとくたばれ!」

「嘘でしょっ!?」

 

 

 セレネは愕然とした。

 こんなところで山に刺激を与えたら、確かにセレネも倒せるだろうが、自分だって巻き込まれかねない。馬鹿なのか!? ああ、こいつは馬鹿だった! セレネは急いで呪文を唱えた。

 

「『プロテゴ‐守れ』!」

 

 周囲を球で覆うように、盾の魔法を展開させる。生き埋めにはならなかったが、盾で逸れた分が更に周囲へ流れ落ち、ますます周りのビルが崩れ始め、川のように流れていく。それでも、ビルを吹き飛ばして生き埋めを防ぐよりかは、周囲への被害は少ない。

 

「やめろ! この部屋を壊したら、その髪飾りとやらが埋まってしまうかもしれないんだぞ!!」

 

 セレネが雪崩から身を守っている最中、マルフォイが叫ぶ声が聞こえてきた。

 

「それがどうした?」

 

 クラッブの声が聞こえる。

 

「闇の帝王が欲しいのはポッターだ。髪飾りなんて、誰が気にするってんだ!」

「ポッターはそれを取りに来た。その意味を考えろ!」

 

 マルフォイは仲間の血のめぐりの悪さに、いらいらを隠せない口調だった。それに対し、クラッブは狂暴性を剥き出しにしてマルフォイに食ってかかった。

 

「意味を考えろだ!? お前がどう考えようと知ったことか? ドラコ、お前の命令なんかもう受けないぞ!」

 

 縄が千切れる音が聞こえる。どうやら、クラッブかゴイルは自力で縄を引き千切ったらしい。

 

「やめろ、クラッブ! ポッターを殴るな!!」

 

 マルフォイがクラッブを怒鳴りつけた。その声は巨大な部屋に響き渡った。

 

「闇の帝王は、生きたままのポッターをお望みなんだ!」

「それがどうした? 俺は殴っただけだ。殺そうとしていないだろう?」

 

 駄目だ、こいつ。なんとかしないと。

 セレネは強く思った。長く続いた雪崩が終わり、視界が晴れる。クラッブの足元にハリーが蹲っていた。セレネはクラッブに迷うことなく杖を向ける。

 

「それに、俺はやれたら殺っている。闇の帝王は、どっちみち、やつを殺りたいんだろう? なら、それが少し早まったところで――……」

 

 彼が最後の言葉を言い終える前に、セレネは失神呪文を飛ばした。赤い閃光はクラッブの背中に直撃し、彼の巨体はぐにゃりと崩れ落ちた。

 

「ハリー、大丈夫ですか?」

 

 セレネが駆け寄ると、ハリーの鼻が曲がっていた。大きく青い痣ができ、鼻から血が絶えず流れ落ちている。クラッブは手加減なしで殴りかかったらしい。

 

「『エピスキー‐癒えよ』」

「あ、痛っ!」

  

 あまりにも急に鼻が治り過ぎたせいか、ハリーは痛そうに鼻を押さえた。

 

「ごめんなさい、ハリー。それで、これが髪飾りですね」

 

 セレネは黒ずんだティアラをつかんだ。

 この場で壊してもいいが、また三人に邪魔されたら面倒である。

 

「一度、外に出ましょうか」

 

 セレネはティアラを握りながら、再度、三人を縛り上げる。

 とはいえ、彼がこのまま出ることができず、餓死しましたーでは、気分が悪い。クラッブは復活したとき自力で破るかもしれないが、マルフォイと言い争っていた感じからして、残り2人を助けるとも考えにくい。

 なので、2時間ほど経過すれば、自動的に解けるように細工しておいた。

 

 あまり仲は良くなかったが、同じ寮で過ごしてきたよしみである。

 

「ハリー、何事!?」

 

 ハーマイオニーが杖を握りしめながら駆け寄ってくる。その後ろには、ロンの姿もあった。

 

「おっどろき! こいつら、残ってたんだ!」

 

 ロンが目を見張ると、マルフォイとゴイルは非常に不服そうな顔をした。

 

「じゃあさ、早くそれを破壊しようぜ!」

「外に出てからです。……また、邪魔されたら敵いませんから」

 

 四人はマルフォイたちを残して、必要の部屋を立ち去った。 

 部屋の外に出た途端、バーンという大きな音が何度も城を揺るがした。透明な騎馬隊の大群が疾駆し、叫び声をあげている。辺りを見渡した。8階の廊下なんて辺鄙な場所なのに、どこもかしこも戦いの最中だ。退却するゴーストの群れよりも、もっと多くの悲鳴が聞こえてきた。

 

「さて、いきますか」

 

 セレネは眼鏡をとった。

 ティアラには「はかり知れぬ英知こそ、われらが最大の宝なり」と小さな文字が彫ってある。セレネはダンブルドアの杖をくるりと手の中で回し、髪飾りに走る線を突き刺した。切り込みを入れた途端、黒くねっとりとした血のようなものが、流れだし始める。それに構わず、線を切り刻むと、突然、激しく震え、真っ二つに割れた。遠くからの微かな苦痛の叫びを耳にする。校庭からでも城からでもなく、たったいま破壊した髪飾りから響いてくる悲鳴だった。

 

「これで、完了ですね」

 

 セレネは分霊箱を放り投げた。

 

「ねぇ、これで髪飾りを破壊したわ」

 

 ハーマイオニーが囁くように言った。

 

「つまり、あとは……」

 

 しかし、ハーマイオニーは言葉を切った。叫びや悲鳴が先ほどよりも間近で聞こえ、まぎれもない戦いの音が廊下一杯に聞こえ始めたからだ。セレネはどきりとした。死喰い人がホグワーツに侵入していた。セレネは動く階段の上で二人の死喰い人と戦うミリセント・ブルストロードの姿を見止める。ミリセントは死喰い人の猛攻に防戦一方だった。しかも、足場が動いている。死の呪文が彼女の髪すれすれで通り過ぎていくのを見た瞬間、セレネは階段から飛び降りた。

 

「『ペトリフィカス・トタルス‐石になれ』!」

 

 セレネは落下しながら、ミリセントを狙う死喰い人たちを石化させる。そのまま足が階段に着く直前、クッション呪文で落下を緩和させる。体感にして2階ほどの高さから飛び降りたが、足が痺れるような痛みもなく、彼女の前にふわりと着地した。

 

「大丈夫ですか、ミリセント」

「セレネっ! あ、あたしは大丈夫」

 

 ミリセントの化粧ばっちりの顔には、いくつも傷がついている。記憶の中の彼女は、お世辞にも魔法が得意とはいえなかった。正直なところ、全然大丈夫には見えない。

 

「あなたは陰で休んでいなさい。戦いには休息も必要です」

 

 セレネはミリセントの手を引きながら、石化した死喰い人たちをしり目に走り始める。

 至る所で戦いが勃発していた。死喰い人側が優勢のように見えた。ホグワーツの生徒たちが懸命に死喰い人の猛攻を食い止めようとしている。

 

「……ここなら、安全です」

「ありがとう、セレネ」

 

 セレネはミリセントを一本奥の廊下に連れ込むと、彼女の手を離した。

 

「礼には及びません。貴方は友だちですから」 

「……セレネ、私のこと友だちって思ってくれてたの!?」

 

 ミリセントがぽかんと口を開けている。セレネは自分らしくないことを言ったかな、と頬を少し掻いたが、すぐに戦いに意識を戻す。

 

「それでは、またあとで」

「うん! 戦いが終わったら、あんたに聞くことがうんっとあるんだから!!」

 

 互いに笑い合うと、セレネは廊下を駆け出した。

 

 分霊箱は全て壊れた。

 ハリーが分霊箱かもしれない、という仮説は残っている。

 

 とはいっても、ハリーを殺すわけにもいかない。こんな状況で「分霊箱かもしれないから死んでくれ」なんて頼めるわけがないし、あやふやな仮定をハリーが受け止めてくれるとも思えなかった。

 

 なので、セレネにするべきことは1つ。

 ヴォルデモートを実際に垣間見て、死の線が身体に映るかどうか見極める。ヴォルデモートに死の線が映れば分霊箱はすべて破壊したことになり、死の線が視えなければ、ハリー分霊箱説が真実味を帯びるということだ。

 

「大変だ! 蜘蛛が襲ってくるぞ!!」

 

 セレネが階段を駆け下りていると、脇の窓から岩ほどもある巨大な蜘蛛の大群が入り込んでくるのが見えた。

 

「どうやら、簡単に辿りつかせてもらえなそうね」

 

 セレネは唇を舐めると、蜘蛛に杖先を向けた。

 

 

 

 

 




次回更新予定は、6月28日0時を予定しています。


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