スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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91話 冬の星が輝くとき

 ことの発端は、数分前に遡る。

  

 ベラトリックス・レストレンジは闇の帝王に命じられ、自身の赤子を静かにさせようと部屋を飛び出した。帝王に寄り添いたいという気持ちよりも、今は恐怖の方が打ち勝っている。先の部屋よりも開けたロビーから上の階へ向かおうと小走りで進み始め、ふと、違和感に気付いた。

 窓が閉められているというのに、白いレースのカーテンが微かに揺れている。

 

「……誰だ、そこにいるのは?」

 

 ベラトリックスは杖を引き抜くと、カーテンに向けた。

 屋敷を震わせていた赤子の声は、いつの間にか止まっていた。ベラトリックスが赤子が眠る二階へ続く階段を一段たりとも上っていないのにも関わらず、泣き声が止まっている。ベラトリックスは周囲の警戒を強めた。

 

「何者だ!」

「さすがは、ベラトリックス・レストレンジ。高貴なる娘よ」 

 

 カーテンが崩れるように揺れ、一人の男が現れた。

 パーシバル・グレイブスと名乗った男である。数か月前、たった一人で会議に乱入し、死喰い人たちを翻弄し、マグル学の教授を連れ去った男だった。その男の隣には赤毛の青年とノットの息子が控えている。おまけに、赤毛の青年の腕には、ベラトリックスの産んだ赤子がすやすやと眠っていた。

 ベラトリックスは杖を構えたまま、侵入者を強く睨みつけた。

 

「……人質をとったつもりか?」

「そのつもりはない。赤子は宝だ。愛されるべき存在であり、傷つける存在ではない。君にすぐ返すとしよう。だが、その前に一つだけ、話をさせて欲しい」

 

 男は静かに告げる。

 ベラトリックスは殺気を込めた鋭い眼差しで男を睨み付けていた。杖先はまっすぐ男を狙い続けている。それにもかかわらず、男は平然と話し始めた。

 

「ベラトリックス・レストレンジ。魔法の腕もさることながら、格上の敵とも戦える勇気。真に評価されるべきものだ。

 ホグワーツへ侵入した際、指揮官をしたそうではないか。一番強敵を自分に引きつけ、それ以外の者たちをドラコ・マルフォイの護衛としてダンブルドアの元へ送り込む。戦闘能力だけではなく、瞬時の情報を判断する能力も指揮官として必要な才覚だろう」

「侮辱か? 負けた者に対しての?」

「けなしてなどいない、褒めているのだ。ゆえに、優秀な君が傷つくところを見たくない」

 

 ベラトリックスは微かに目を見張った。

 彼女の動揺をよそに、パーシバルと名乗った男は赤毛の青年、ロン・ウィーズリーから赤子を受け取ると、優しく抱きかかえた。

 

「可愛い子だ。君の愛情を十分に受けているのだろう。その子に、父親も愛情を注いでいるのか?」

 

 男は問いかけてくる。しかし、ベラトリックスが応じなくても、彼は答えを知っているのだろう。ベラトリックスは僅かに視線を逸らしたが、再び男に向き合った。

 

「……ッ! 愛情が、なんだというのだ」

 

 ベラトリックスは噛み殺すような声で言った。

 

「別に愛情など、どうでも良いだろう?」

 

 ベラトリックスは、ハッキリ分かっていた。

 ヴォルデモートが、この子を愛する日は来ない。この子が産まれたときから、帝王は我が子を胸に抱くことは疎か、一度も顔を見に来ていないのだ。むしろ、帝王はこの子を道具か何かのように捉えている。自分を含めた、他の死喰い人たちと同じように、ただの駒扱いだ。

 それでも、ベラトリックスは微かに残った虚勢を張る。

 

「我が君のためになるのであれば、その子にとっても大変栄誉あることなのだ」

「……君がそう思うのであれば仕方ない。この子は返すとしよう」

 

 男は赤子を抱えて近づいてくる。ベラトリックスは杖を下げ、大事な愛娘を受け取った。心なしか、他人の腕の中にいるよりも、ベラトリックスに抱かれている時の方が、赤子はリラックスして寝ているように見えた。男は親子の様子を見ると、静かに微笑んだ。

 

「ベラトリックス・レストレンジよ……去れ、そして行くと良い。君のいるべき場所へ」

 

 その言葉を受け、ベラトリックスの心は揺れた。

 

「だが、もし君が望むというなら……私は君を喜んで迎え入れよう」

「迎え入れる、だと?」

 

 ベラトリックスには、男が心からの言葉を述べているように思えた。

 

 この男のもとでなら、個々人の能力を正当に評価してもらえる。

 たとえ重大な失敗をしたとしても、評価するべきところは評価される。帝王のように失敗は失敗として、良かった点は評価されず、叱責に加え折檻、最悪「アバダケダブラ」されることはない。ヴォルデモートは機嫌が悪い時、適当に周囲の人を殺そうとする悪癖があった。

 最近では、ベラトリックスは主君の怒りに巻き込まれないように、少し怯えながら仕えている。

 

 ベラトリックスは知っていた。

 帝王が自身を評価していたのは、血筋と類稀なる戦闘能力だけだ。決して、特別に愛されていたわけではない。

 

「私は……」

 

 既に、ベラトリックスは三度も格下の人造人間に敗北してしまっている。帝王からの評価は最底辺まで落ち、もはや、己の取り柄は純血であることだけである。

 ゆえに、次に失敗したが最後、「使えない純血」ということで殺処分される可能性が見え始めていた。

 その時は、我が子も「使えない純血の腹から生まれた子」として処分されてしまうかもしれない。

 ベラトリックスにとって、我が子は闇の帝王と同じかそれ以上に大切だった。そんな最も愛している娘も、いずれは自分のように死の脅威に怯え、道具みたいに扱われ、無残にも使い捨てられてしまうかもしれない――……。

 

「私は、君を正当に評価する。君も、その子も」

 

 この男の手を取れば、娘が死に怯える暮らしから脱却できるかもしれない。

 この子が駒ではなく、一人の人として生きることができるかもしれない。

 

「共に行こう、ベラトリックス。その子が怯えずに暮らせる未来のために」

 

 パーシバルは優雅に手を伸ばす。

 さながら、それは女性をエスコートする騎士のようだった。ベラトリックスは静かに彼を見つめた。相手も目を細めてベラトリックスを見返してくる。

 

「この子が……安心して、生きるために」

 

 ベラトリックスは震える指先で男の手を取った。パーシバルは微笑みを深くすると、後ろの二人を振り返った。

 二人の反応は異なっていた。セオドール・ノットは眉間に皺を深く刻ませ、胡散臭そうに男を睨み、ロン・ウィーズリーはこのような緊迫した場にもかかわらず、ぽかんと呆けたように口を開けていた。

 

「それでは、我々も行動に移るとしよう」

 

 男が宣言した、その瞬間だった。

 ぱちんという音がロビーに木霊した。現れたのは、屋敷しもべ妖精だった。

 

「ドビー!?」

 

 ロンが目を丸くしながら、屋敷しもべ妖精を見返した。

 ドビーはテニスボールのような巨大な目を見開いて、足の先から耳の先まで震えていた。

 

「ドビーは、ハリー・ポッターをお助けに参りました」

「とても良いタイミングだ。君の力も借りるとしよう。……では、我々がするべきことを話そう。最も優先すべきことは、この場からの脱出だ」

 

 男はドビーを含めた一同を見渡した。

 

「まずは、この赤子だ。この子を安全な場所へ届ける必要がある」

「それなら――……」

 

 ロンが口を開きかけ、躊躇したように口を閉ざした。

 

「彼女を陣地に迎え入れるのが不安なのだな?」

 

 男が尋ねると、ロンは沈黙を以て肯定した。

 

「ベラトリックス。この屋敷には、ポッターたちの他に、リドルに捕らえられた者はいないか?」

 

 男はベラトリックスに視線を向ける。

 

「地下牢に数人、繋いでいる。オリバンダーと小鬼。それから穢れた血とラグブッドの娘だ」

 

 ベラトリックスはすらすらと答える。男は小さく頷くと、しもべ妖精に向き合った。

 

「赤子に加え、地下牢に繋がれた者たちを救助することが先決だ。その後、ポッターたちを救出する。頼りになるのは、しもべ妖精の彼だ。たとえ『姿くらまし防止呪文』がかけられていたとしても、君なら自由に移動することができる」

「はい、ドビーめなら可能です。ですが、どちらへお連れしたらよろしいでしょう?」

「私が提案してもいいが……赤毛の青年よ、君なら良い隠れ家を知っているのではないかね?」

 

 ロンはかなり躊躇っていたが、客間からハリーの「ハーマイオニー!」という悲痛の叫びを耳にすると、迷っている時間がないことを認識したらしい。

 

「ビルとフラーのところ。ティンワース郊外の『貝殻の家』へ!」

 

 しもべ妖精は頷いた。

 

「人質と赤子を送り届けることに、時間はかからないはずだ」

 

 男はドビーを見下しながら話を続ける。

 

「戻って来たら、闇の帝王の気を逸らしてほしい。一瞬でも逸らすことができれば、ポッターたちを救出することができる。君は隙を見て、我々を少しずつ『貝殻の家』へ送り届けろ。

 ベラトリックス、君は思った通りの行動をすればいい。ありのままの君で動けばいいのだ。君たちには――……」

 

 ここで、男はロンとセオドールを振り返った。

 

「私が『目くらましの呪文』をかけよう。ベラトリックスの後ろから入室する。

 そして、私が合図を出したとき、呼び寄せ呪文で助けるべき相手を呼び寄せればいい。

 ……質問のある者は?」

 

 誰も口を開かなかった。男は全員を見渡すと小さく頷いた。

 

「では、作戦開始だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは数分前の出来事。

 そして、現在。セレネは困惑で目を見張っていた。

 

 ベラトリックス・レストレンジがヴォルデモートを刺している。 

 ヴォルデモートはもちろん、マルフォイ夫妻も困惑している中、セオドールとグリンデルバルドは冷静だった。このことから考えるに、ベラトリックスを調略したのは明らかであるが、にわかに信じがたい事実であった。

 

「ベラ、どうして……?」

 

 最初に口を開いたのは、マルフォイの母親だった。

 

「……ナルシッサ。私は決めた」

 

 ベラトリックスはナイフを抜き払うと、マルフォイの母親……ナルシッサを軽く睨み付けた。

 

「私は、デルフィーニのために命を捧げる!」

 

 ベラトリックスは杖を振ると、ハリーの縄を解いた。ハリーは呆気に取られていたが、すぐさまこちらに駆け寄ってきた。

 

「形勢逆転だな、リドルよ」

「ベラ、トリックス……貴様ッ!!」

 

 ヴォルデモートは自身の傷口を治療しにかかっていた。かなり痛そうに顔を歪めていたが、ゆっくりと傷口が塞がっていくのが分かる。あの様子では、十分と経たないうちに戦いに復帰するだろう。

 

 だが、時間稼ぎはできる。

 

「……では、これでさようならだ。

 『プロテゴ ディアポリカ‐悪魔の護り』」

 

 グリンデルバルドは、ハリーが自分の元へたどり着いたことを確認すると、その場で回転し、自分の周囲に青い炎の円陣を描いた。

 

「入ると良い。忠誠心がある者だけが、この輪に入ることができる。さもなくば、死だ」

 

 セレネは一瞬迷ったが、セオドールを連れて炎に飛び込んだ。

 炎なのに熱くはない。一見すると悪霊の火のように見えたが、燃やす対象を限定しているのかもしれなかった。ベラトリックスは闇の帝王を一瞬振り返り、申し訳なさそうな表情を浮かべたが、意を決したように炎をすり抜けた。

 セレネは周囲を見渡した。

 いつの間にか、ロン・ウィーズリーとハーマイオニー・グレンジャーが姿を消している。彼らはどこへ消えたのか、それとも炎に焼かれてしまったのか。そんなことを考えていると、ぱちんと弾けたような音が足元から聞こえた。

 

「ハリー・ポッター!」

 

 音と共に現れたのは、屋敷しもべ妖精だった。

 

「助けに参りました、ハリー・ポッター!」

「ドビー!?」

 

 ハリーが目を丸くすると、ドビーと呼ばれた妖精は落ち着かないように長い耳をぱたぱた上下させた。

 

「ドビーめが、お友達のウィージーたちは既に安全な場所まで連れ出しました。残りはここにいる者たちだけです」

「よし、まずはポッターとベラトリックス、君だ」

 

 グリンデルバルドが言うと、しもべ妖精はハリーと手を繋ぎ、一瞬、躊躇ったが、ベラトリックスとも手を繋いだ。そして、空気に溶け込むように姿を消した。青白い炎の向こうでは、マルフォイ夫妻が炎を消そうと悪戦苦闘しているのが見えた。ヴォルデモートの赤い双眸は忌々し気にこちらを睨み付けていた。ヴォルデモートが炎越しに緑の閃光を放っていたが、死の呪いすらも炎が打ち消している。

 

「これは悪霊の火、ではないな。いや、この魔法、まさか……!!」

 

 ヴォルデモートの眼に驚きの色が奔った。瞬時に何かを理解したらしい。ヴォルデモートは傷口の治療を途中で切り上げ、すぐさま杖を振り上げると

 

「『フィニート‐終われ』!」

 

 と叫んだ。

 オレンジ色の炎が青白い呪いの炎を飲み込み、打ち消そうとしてきた。青白い炎は抵抗するように唸り、天井へと飛び立とうとしていたが、それをオレンジの炎が阻止しようとしてくる。

 

「さすがだな」

 

 グリンデルバルドは感心するように呟いた。グリンデルバルドは杖を指揮棒のように振ると、呪いの炎は勢いを増した。まるで鞭のようにヴォルデモートに襲いかかろうとする。

 

「黴の生えた魔法など、俺様には効かん!」

 

 しかし、ヴォルデモートが荒ぶるように杖を勢いよく振るった。オレンジ色の炎は強大な蛇となり、より激しさを増しながら呪いの炎を飲み込んでいく。セレネたちを囲んでいる炎の一部もオレンジの炎に飲まれ、ヴォルデモートとの間に道を作ってしまっていた。

 セレネはヴォルデモートを睨み付けたまま、グリンデルバルドに手を差し出した。

 

「助言者、私に杖を!」

「その必要はない」

 

 グリンデルバルドが呟くと、再度、ぱちんという音が聞こえてきた。しもべ妖精が戻ってきたのだ。

 

「早く!」

 

 しもべ妖精が手を差し出してくる。セレネがその手を握り返そうとしたとき、ヴォルデモートはまっすぐセレネたちに呪文を放とうと杖を向けてきた。

 

「させるか!」

 

 ヴォルデモートの魔法を阻止したのは、セオドールだった。

 彼は黒々とした両目を赤く染め、力を籠めるように闇の帝王を睨み付ける。瞬間、ヴォルデモートが凝固した。呪文を唱えようと口を開け、杖を構えた姿勢のまま停止している。おかげで、しもべ妖精の手を取る時間ができた。セレネは左手にセオドールの手を握り、もう片方の手で妖精のか細い手を取る。しもべ妖精の反対の手には、すでにグリンデルバルドの大きな手が握りしめられていた。

 

「さらばだ、リドル」

 

 グリンデルバルドの言葉と共に、風景が回転する。遠くでヴォルデモートの咆哮が聞こえた気もした。だが、それはもうセレネには関係ない話だ。気が付けば、セレネは知らない場所に「姿くらまし」をしていた。セレネは暗闇をすかして周囲を見渡した。一面に星空が広がり、少し離れたところに小さな家が建っている。近くには、先程「姿くらまし」したばかりのハリーとベラトリックスが佇んでいた。

 

「ここは……?」

「『貝殻の家』でございます」

 

 ドビーはそう言いながら、服の隙間から三本の杖を取り出した。そのうちの2本をハリーに渡しながら話し始める。

 

「ドビーはハリー・ポッターが助けを求めていることを聞きました。そして、助けに向かったのです!」

 

 次に、セレネに杖を渡す。

 7年間、握り慣れた懐かしの杖だった。セレネはたった数時間、離れ離れになっていた杖の握り心地を確かめていると、少し強張っていた表情が緩み始めたのが分かった。

 

「あなたが杖を取り返してくれたのですね。ありがとうございます」

「ハリー・ポッターの友だちを助けるのは当然です」

 

 ドビーは少し得意げな表情を浮かべた。

 

「それでは、ハリー・ポッター。ドビーは城に戻らなければなりません。また何か御用があるときはお呼びください」

 

 ドビーは丁寧にお辞儀をすると、軽快な音と共に姿を消した。

 

 

 

 

 セレネが意識を取り戻してから、1時間足らず。

 短いけど、とてつもなく濃くて危険な時間だった。

 

 命の危険は遠ざかった。ヴォルデモートの企みに自身の身体が利用されるのも回避できた。杖も戻ってきたし、一件落着――……のように思ったのは、数分だけだった。

 

「……それで、ハリー。どうして、この女がいるんだい?」

 

 貝殻の家の主、ビル・ウィーズリーが硬い表情をベラトリックス・レストレンジに向けていた。

 ここに集った全員に針を刺すような空気が漂ったのを感じる。まるで、一歩誰かが動いた途端、崩れ落ちてしまう薄氷の上に立っているような緊張感が張り詰めていた。

 ハリーも答えることができない。ハリーの視線がこちらに向けられる。だが、セレネも答えることができない。十中八九、グリンデルバルドが調略した結果だということは分かっていたが、その意図と調略内容まではつかみきれていなかった。

 当の本人であるベラトリックスは、ビル・ウィーズリーが連れて来た赤子を抱きしめたまま黙したままだった。赤子を抱きしめた彼女は、以前の荒々しさは消え、少しばかり落ち着いているように見えた。

 そんな彼女の代わりに口を開いたのは、グリンデルバルドだった。

 

「ベラトリックスは我らが傘下に下った。それ以上の言葉はいらない。そうだろう、赤毛の青年よ」

 

 グリンデルバルドは、ロン・ウィーズリーに語りかける。赤子以外のすべての視線が、ロンに向けられていた。ロンは少し困ったように周囲を見渡し、おずおずと口を開いた。

 

「えっと、まあ、僕も信用しているわけじゃないけど……そもそも、お前は一体誰なんだ?」

 

 ロンの指先がグリンデルバルドに向けられる。 

 

「パーシバル・グレイブスと名乗っておこう。君には双子の兄がいるな? 彼らの知り合いだ。

 ……君たちがこの女を不審に思うのは無理ないだろう。私が外で見張っておこう。ついでに2,3、話しておきたいことがある。ビル・ウィーズリーだったか? 君には、しばらく席を外してほしい」

 

 ビル・ウィーズリーは考え深げな表情になると心配そうにハリーとロンを見比べていたが、根負けしたのだろう。グリンデルバルドの人を落ち着かせるような柔らかい口調や雰囲気を感じ取り、悪人ではないと信じてしまったのかもしれない。

 ビルは「終わったら教えてくれ」とだけ残すと、家の中へ入っていてしまった。

 グリンデルバルドはビルが家の中へ入ったことを見届けると、軽く杖を振った。おそらく防諜の魔法をかけたに違いない。グリンデルバルドは小さな家を一瞥すると、残った者たちに視線を戻した。

 

「君たちだけを残したのは、他でもない。今後のために情報を共有する必要があるからだ。

 ハリー・ポッター、君に聞こう。アルバス・ダンブルドアは君に何を託した?」

 

 グリンデルバルドに話を向けられ、ハリーはグリンデルバルドの顔をじっと見返した。そして、申し訳なさそうに首を横に振る。

 

「誰にも言うことはできません」

「ダンブルドアの悪い癖だ」

 

 グリンデルバルドは一蹴する。

 

「他者を信用することを恐れ、最も大事なことを秘密にしたまま事を運んだ。それが良い方向に運んだときもあるが、同時に不信も生み出している」

「……僕、それでも、ごめんなさい。助けてくれたのは嬉しいですけど、ダンブルドアはロンとハーマイオニー以外に明かすなって言われました。僕からは話せません」

「なるほど……君は、骨の髄までダンブルドアに忠実だな」

 

 ハリーが少し躊躇いながら話す姿を見て、グリンデルバルドは小さく頷いた。

 

「では、聞き方を変えよう。

 ダンブルドアは分霊箱が幾つあると推察していた?」

「……え?」

「私もリドルの考え方を推察することはできるが、ダンブルドアの方があれと関わった時間は長い。あやつが幾つ分霊箱を作ったのか、私よりも正確に突き止めているはずだ」

 

 ハリーは、まさか彼が分霊箱のことを知っているとは思わなかったのだろう。少し肝を抜かれたような顔をしていた。

 セレネはそんなハリーを見て、小さく肩を落とした。

 

「ハリー、この男は私の助言者です。信頼してはいけませんが、信用できる人物です。

 それに、私も分霊箱が幾つ作られたのか非常に気になります。よろしければ、教えてもらえませんか?」

 

 セレネが尋ねると、ハリーは一度目を瞑った。そして、ゆっくり眼を開けると、覚悟を決めたような声で答えてくれた。

 

「……ダンブルドアは、6つ作られたと予想していた。

 日記帳、スリザリンのロケット、マールヴォロの指輪、ハッフルパフのカップ、グリフィンドールかレイブンクローに属する宝物、それから、ナギニ。

 このうち、日記帳は僕が破壊した。指輪はダンブルドアが……それから、ナギニとロケットはセレネが破壊したんだよね?」

「……まあ、そうですね」

 

 本当は指輪も自分が破壊したのだが、セレネは面倒なので訂正しないでおいた。

 

「つまり、ダンブルドアの予想が正しければ、残すところはカップとあと1つということになりますね」

 

 セレネはここで、ちらりとグリンデルバルドに視線を向けた。

 魔眼蒐集列車内で、ハリーが最後の分霊箱ではないかという仮説を立てたことを思い出す。ダンブルドアは気づいていなかったのか、あるいは、ハリーに伝えずに黙っていたのか、そのどちらだろうか。

 セレネが少し悩んでいると、ハリーが口を開いた。

 

「たぶんだけど、ハッフルパフのカップはレストレンジ家の金庫にある」

 

 ハリーが呟きながら、ゆっくりと視線を動かした。彼の視線の先には、ベラトリックスがいた。ベラトリックスはこわばった表情のまま赤子を抱きしめている。

 ベラトリックスは当初、ハリーの問いかけに対して何も語ろうとしなかったが、やがて重たい唇を開けると、苦しそうに言葉を紡いだ。

 

「……黄金のカップなら、レストレンジ家の金庫にある」

 

 この瞬間、ハリーとロンの空気が晴れたのが伝わってきた。

 答えが当たって喜ばしいのだろう。セレネとしても、自身の推察が的中したので嬉しい。少し心が浮足立つのを覚えた。ロンなんて少し興奮した口調で

 

「だったら話が簡単だ!」

 

 と言い始めた。

 

「この女を連れてグリンゴッツへ行けばいい! 自分の金庫に入るんだ、誰も怪しまないだろう?」

「それは違いますよ、ウィーズリー」

 

 セレネは静かに指摘した。

 

「蛇男のことです。彼女が裏切ったことは既に方々へ広めていることでしょう。もちろん、グリンゴッツにも」

「じゃあ、カップも別の金庫に移動している可能性もあるってこと?」

「それは……可能性としては考えられますけど、蛇男には慢心する傾向があります。私たちが分霊箱を壊して回っていると知らない以上、移動させることはありえないかと」

 

 セレネは答えながら、自身の考えに納得していた。

 もし、既に分霊箱を破壊して回っていることが知れているのであれば、いつまでもレストレンジ家の金庫に保管しておくはずがない。自身の眼に届く場所に置いておいたり肌身離さず持ち歩いている方が、よっぽど安全である。それをしていないということは、ヴォルデモートは分霊箱に迫りつつある危険を察知していないということなのだ。

 

「フロイライン、君の言う通りだ」

 

 この考えには、グリンデルバルドも同意した。

 

「君とポッターは知らないが、しもべ妖精がマルフォイ家の地下牢に繋がれていた小鬼を解放し、あの家へ移送して来た。

 彼女の証言でレストレンジ家の金庫にカップがあると確証を持てた今、小鬼の力を借りてグリンゴッツへ侵入することができる」

「ですが、グリンゴッツに侵入したら蛇男に分霊箱を壊して回っていることが知れてしまうのでは――……いえ、それも良いかもしれませんね」

 

 セレネが一人で納得すると、ハリーが不思議そうに尋ねてきた。

 

「どうしてだい? あいつにバレたら、最後の一つの在りかを探すのが難しくなるんじゃないか?」

「ハリー、貴方は蛇男が怒り狂ったとき、その考えを読み取ることができますよね?

 分霊箱を盗まれたことが分かったら、あいつは怒り狂って、最後の一つの場所を思い浮かべて安全かどうか確かめに行くのでは?」

「あっ!」

 

 ハリーは目を見開いた。

 

「それなら、最後の一つの在りかが分かるかもしれない! しかも最後の一つを破壊した場所で、あいつを待ち伏せすることができる!」

「そういうことです」

「これで、計画は決まったな」

 

 セオドールが咳ばらいをすると、個々に残った全員を見渡した。

 

「小鬼と取引をして、レストレンジ家の金庫に入る手助けをしてもらう。その後、ポッターがあいつの考えを読み取り、最後の隠し場所に向かう。あの人と戦う準備をしながらな」

「その通りだ。しかし、実行に移す前に、やることが残っている」

 

 グリンデルバルドはそう言いながら、ベラトリックス・レストレンジに目を向けた。

 

「リドルのことだ。まだ切り札を隠し持っているかもしれない。我々の知らない計画をひそかに進めているかもしれない。あいつは確かに慢心しているが、7つも分霊箱を作るほど慎重な一面もある」

 

 ヴォルデモートは分霊箱以外に、なにか計画を企んでいるかもしれない。

 たとえば、自身の不老不死を実現する転生を企んでいたように、他にも危険極まる計画や謀を張り巡らせているかもしれなかった。

 セレネはベラトリックスに目を向ける。長い黒髪を背中に波打たせ、厚ぼったい瞼の下からグリンデルバルドを見つめ返していた。

 

「ベラトリックスよ。闇の帝王は他にどのような計画を実行しようとしているのかな?

 最も信の厚かった君ならば、知っているはずだ」

 

 グリンデルバルドは後ろで手を組みながら、ゆっくりと彼女に歩き始めた。ベラトリックスの肩が僅かに震えたのが見えた。

 

「教えてくれ」

 

 グリンデルバルドは人を安心させるような落ち着きのある声で問いただす。 

 誰も何も答えなかった。どこか近くで波が岩に打ち付けられている音だけが大きく聞こえていた。

 

「あいつを倒すために」

「……倒すために、か」

 

 ベラトリックスの裂けた唇から小さな言葉が漏れ出す。

 その瞬間、ベラトリックスの空気が変わった。まるで、しおれていた空気がピンっと背を伸ばすように変化する。

 

「……ホムンクルスの小娘」

 

 ベラトリックスはグリンデルバルドに半分背を向けると、セレネと向き合った。そのまま腕に抱きしめていた赤子を手渡してくる。

 

「この子をどう思う?」

「え?」

 

 セレネは赤子を見下した。

 蛇男から生まれた子だが、父親とは異なり鼻があった。非常に整った顔立ちの赤子で、二重瞼に桃色の頬をしている。きっと浄眼持ちのこの子の瞳は、淡い青色に違いない。セレネの腕の中で、赤子は心地よさそうに寝息を立てていた。

 

「……まあ、可愛いかと」

 

 セレネは正直に答えた。

 ベラトリックス・レストレンジとヴォルデモートの子だとさえ思わなければ、薄気味悪さの欠片もない普通の赤子だ。そもそも、あんな人間離れした蛇男に生殖能力があったなんて吐き気を催すが、そこから産まれた赤子自体には何も罪はない。転生魔法を行う上で魂の一部が付着していたら話は変わってくるかもしれないが、ヴォルデモートの口ぶりからしてそれはないだろう。

 将来は美人になることを予想させるような、大変可愛らしい赤子であった。

 

「名前はデルフィーニ、ミドルネームはアルタイル。高貴なるブラック家とサラザール・スリザリンの血を引く、未来における本当のスリザリンの継承者だ」

 

 ベラトリックスは少し誇らしげに赤子の名を口にすると、長い杖を取り出した。

 彼女の雰囲気の変化。そして杖を取り出したことで、途端に臨戦態勢を整える。グリンデルバルドを除いた全員が杖を構え、ベラトリックスに向けていた。ベラトリックスは自身の周りを囲む杖を一瞥した後、グリンデルバルドに向けて薄い笑みを浮かべた。

 

「私の口は、これ以上は明かすことはできない。

 カップのことは、それなりに調べがついていたことなのだろう? 私が明かさなくても、我がレストレンジ家の金庫にあると乗り込む算段を考えていたのだろう」

「……」

「この私が最も愛しているのはデルフィーニだ。私の愛するデルフィーニ。私はこの子が道具としてではなく、誠に幸せになる未来を望んでいる。

 だが、デルフィーニと同じくらい、私はあの御方を愛しているのだ」

 

 ベラトリックスは最後の一言を紡いだ時、表情が恍惚と輝いていた。

 

「誰よりも……そう、私よりも強く、激しく、畏ろしく、とても輝いておられる。私に最もふさわしい活躍の場を与え続けてくれる。私を――……初めて認めてくれた御方だった。

 だから、私は愛してる。闇の帝王を愛しているのだ」

 

 ベラトリックスは杖を持ち上げる。

 セレネはいつでも彼女を拘束する呪文を唱えられるように、片手で赤子を抱きながら神経を張り巡らせた。ベラトリックスは恍惚な色をわずかに潜めると、グリンデルバルドに向けて寂しげな微笑みを浮かべた。

 

「パーシバル・グレイブス。

 半世紀早く貴方と出会っていれば、もしかしたら――……」

 

 ベラトリックスはその先の言葉を告げなかった。

 唇を硬く結ぶと、勢い良く杖先から緑の閃光を破裂させた。

 

「……嘘、でしょ?」

 

 セレネは唖然とした。

 アバダケダブラを避けるとか避けないとか、閃光に張り巡らされている死の線を切るとか、そういった次元の話ではなかった。

 ベラトリックス・レストレンジは杖先を自身の胸元に突きつけて、死の閃光を放ったのだ。ヴォルデモートの副官としての杖捌きは武装解除の魔法を放つよりも早く、止めようがなかった。

 ベラトリックスの黒髪が冬の風に揺れながら、地面へと倒れていく。

 

「……死んでしまっては、開心術で読み取ることもできん」

 

 グリンデルバルドは淡々と口にする。

 

「赤子をリドルから引き離しはしたが、あやつに対し深い愛を抱いていたのだろう。

 彼女は、リドルが不利益になる情報を漏らすまいと決めていたのだ。

 ……闇の帝王に対する忠誠心はなくなっていたかもしれないが、まだトム・リドルのことを強く愛していたのだろう」

「どうして、あいつを愛することができたんだろう?」

 

 ハリーは困惑したように言葉を零した。

 

「人を人とは思わない極悪人なのに。自分の子どもすら道具としか見てない悪い奴なのに。

 あいつの立てた計画のせいで、大事な子どもの未来が破滅するかもしれないのに!」

「愛のカタチは人によって異なる」

 

 グリンデルバルドはハリーの肩に優しく手を乗せた。

 

「ベラトリックス・レストレンジは自身の愛に殉じたのだ」

「……なんて、身勝手な人」

 

 セレネは小さく呟いた。

 愛に殉じたと言えば美しい響きだが、赤子の未来を託して、罪を償うことなく死んだことに他ならない。我が子を愛すると同時に、我が子を利用しようとする男まで愛するなんて、我がままにもほどがある。

 どこまでも自己中心的で、独善的な愛だ。自分の犯した大き過ぎる罪を償わず、自分の愛のために生きて死ぬなんて、誰が見ても卑怯すぎる。犯した罪の重さを思い知らずに、自己満足のままに死んでいくなんて、絶対にありえてはいけないのだ。

 唯一、ベラトリックスの評価できるところは、愛娘をヴォルデモートの魔の手から引きはがし、安全と思われる場所に預けたことだけだった。

 

「母親として最低ね。自分の罪も償わないで死んだら、この子が辛い思いをするのに」

 

 セレネの呟きには誰も答えなかった。

 

 冬の夜空を彩る星々は霞み始め、東の空は白み始めていた。

 海を臨む丘の上からは、水平線から空が桜貝色と淡い金色に染まりつつある。

 

「……だけどさ、どうするんだよ、その子?」

 

 ロンがセレネの腕に抱かれた赤子を見ると、一段階低い声で問いただしてくる。

 

「あの人とあの女の子だぜ。なんというか、邪悪そのものだ」

「それなら、殺しますか?」

 

 セレネは自分の口調が少し尖っていることに気が付いた。腕の中の赤子はむずかしそうに顔を歪め、寝返りを打とうとしていた。

 

「……殺しは駄目だ」

 

 ハリーが言った。

 

「この子は何もしていない。殺したら……あいつと同じになる」

 

 ロンは何も答えなかった。手を汚さずに済み、少し安心しているようにさえ思えた。

 この場に集った全員が同じ意見のようだ。誰も、デルフィーニを殺そうという者はいない。それを見て、セレネは大きく肩を落とした。

 

「……はぁ、この年で母親ですか」

「ご、ゴーント!? 何を言ってるんだよ!」

「非情に不本意ですが、あの女から赤子を託されたのは私ですので」

 

 最低最悪のベラトリックスだが、この子を想う愛情だけは本物だった。

 母親の犯した罪の重さを押し付け、育児を突っぱねることは簡単だが、何度も言葉を重ねるが、子ども自身に罪はない。

 それに、セレネとしては、この子が誰にも愛されることなく成長し、第二のベラトリックスやヴォルデモートになることだけは避けたかった。

 ずっと昔、ダンブルドアがセレネに言った言葉を借りれば、この赤子は「誰よりも闇に落ちる危険がある子」である。それならば、誰かが近くに寄り添い、闇に落ちないように導かなければならない。

 セレネは、ここにいる者の中で、その役目を果たすことができるのは自分しかいないと思った。

 ハリーやロン、セオドールに務まるとは思えない。

 まかり間違っても、グリンデルバルドには絶対任せてはいけない。それこそ、闇の魔法使いが新たに誕生してしまう。

 

「一応、私はスリザリンの血を引いています。……認めたくはありませんが、この子の血縁と言えるでしょう。

 さて、赤子の処遇が決まった今、一番大切なのはグリンゴッツへの潜入方法についてです」

 

 セレネは気持ちを切り替えるように、わざと一オクターブ高い声で言い放った。

 

「作戦会議と行きましょうか」

 

 残る分霊箱は1つ。

 ハリーが分霊箱なのかは確証をつかめていないが、確実にゴールに近づいてきている。

 セレネはこの手でヴォルデモートを殺せる日が近づいてきていることを強く感じると、少しだけ薄雲が漂っていた心が晴れた気がした。

 

 

 

 海に面した小綺麗な丘の上。

 セレネの腕に抱かれた赤子は、まだ眠り続けている。

 まだ自分の生まれも知らず、母親からの愛と一緒に受け継がれてしまったあまりにも重く巨大な罪も知らないまま――……。

 

 

 

 

 




ベラトリックス脱落。
今回の題名は他に「ベラトリックスの罪」という案がありました。
そっちの方が良かったかなと、今でも悩んでいます。

ベラトリックスの忠誠心はヴォルデモート卿から離れていましたが、彼女は娘と同じくらい、ヴォルデモートも愛していました。

ハリー・ポッターの登場人物って悪役でも作中や設定を見て「可哀そうで悲しい人だったんだ」と思う人物も多いですが、ベラトリックス・レストレンジは絶対的に悪だと思います。
時代や生まれが悪かったかもしれないにせよ、彼女の罪を罪と思っていない行動は大っ嫌いです。
彼女はグリンデルバルドの傘下に下ったとしても、自分の振る舞いを絶対に改心する姿が想像できませんし、マグル生まれを蔑視する思考を変えることもないと考え、このような結末になりました。

彼女の娘は、ベラトリックスの愛と罪を背負って生きていくことになるでしょう。


「呪いの子編」はしっかり執筆しますので、ご安心ください。

「死の秘宝編」が終わるまで、残り9話。
次回「グリンゴッツ」は6月7日0時投稿予定です。



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