「おい、そこの1年生!」
図書館から帰ると、急に背の高い人たちに囲まれた。
クィディッチの緑色のユニフォームを纏い、がっしりと筋肉のついた身体つき。
ざっと見ただけで、7人の大男が私を囲んでいる。いや、違うな――。直接囲んでいるのは、この7人だけだが、少し遠巻き気味に険しい視線を向けてくるスリザリン生が多数いる。
何か不味いことをしただろうか、記憶を探ってみるが――これといって特に問題は起こさなかったはずだ。
「何の用でしょう?」
「何の用、だと!?しらばっくれるな、この1年が!!」
どすの利いた声で、真ん中の長身の男が叫ぶ。
薄暗い談話室に、男の声が木霊した。何事か、と寮の方から人が下りてくるのが視界の端に映る。しらばっくれるも何も、知らないのだから仕方ない。
「お前、本当にスリザリン生なのか?」
「スリザリン生ですよ?『組み分け帽子』がスリザリンだと叫んだ場面を、視ていなかったのですか?」
「そういう問題じゃねぇよ!!」
ダンっと、1人がテーブルを叩く。
テーブルの上の花瓶が飛び上がり、音を立てて四散する。遠巻きに見ていた女子生徒――たしか、ダフネ・グリーングラスが、小さく悲鳴を上げたが、他の人は割れたことに無頓着だった。
「お前、グリフィンドールと仲良くしているんだってな?」
「しかも、あの憎きハリー・ポッターと」
あぁ、なんだそのことか。
私は、呆れたように肩を降ろした。
「別に、仲良くしているつもりはありませんよ?」
事実、ハリーと仲良くしていたことは無い。
『あのハリー・ポッターと、1年生のロン・ウィーズリーとセレネ・ゴーントが、侵入してきたトロールを倒した』という噂が広がり、3人と仲良いと勘違いされてしまっている。だけど、実際に仲良くした経験は皆無と言ってもいい。特に、ウィーズリーは、廊下ですれ違うたびに睨むような視線を向けてくる。
ハリー・ポッターとは、すれ違って会釈をする程度の仲でしかない。たぶん、義父のクイールが彼の担任をやっていなければ、もう少し疎遠だっただろう。
「グリフィンドールと一緒にいるところを、俺は何度も見ているぞ?」
「確かに、図書館でグリフィンドール生のハーマイオニー・グレンジャーと『調べもの』をすることはありますね」
ハーマイオニーは、『ニコラス・フラメル』なる人物について調査している。
ハーマイオニーが言うには、どうやら去年までは入ることが出来たらしい『4階の禁じられた廊下』に、『ニコラス・フラメル』なる人物がかかわった何かが隠されているらしいのだ。凶悪な『3頭犬』に護らせるほど、重要な何かが――。
私自身の勉強も忙しいが―――1フロアを封じてまで護ろうとしている『何か』の正体が気になってしまった。だから、忙しい時間の合間を縫って協力している。
今日だって、『ニコラス・フラメル』について調べていた。生憎と、これといった収穫は何もなかったが。
「しかも、クィディッチの寮対抗試合にも顔を出さないなんて――もしかして、グリフィンドール席で応援していたんじゃないだろうな?」
男はそう言うと、隣に立つ――まるでプロレスラーのような巨体の男に合図を送る。
巨体の男は待ってました、と言わんばかりに拳を鳴らした。―――嫌な予感が、胸を横切る。
「恥を知れ、この『非スリザリン』!!」
その一言と共に、拳が迫ってくる。
この圧倒的な体格差で、拳が当たっては不味い。
私は半歩、右に身体を動かそうとする。しかし、その時、視界に入ってきたのは、後ろから私を抑えつけようとする太い腕だった。
この腕に捕らわれたが最後、私は奴らの気が住むまで殴られてしまう。そんな姿、優等生である『セレネ・ゴーント』に許されるはずがない。
『弱い者は死ぬ』
何故だろう。
床に伸びたトロールが脳裏に浮かんでくる。
それとともに、強烈な『』のイメージがフラッシュバックした。
そうだ、私は負けてはならない。負けて、セレネに――いや、私自身に汚点をつけてはいけない。負けることは死であり、死を避けるためには勝たなければならないのだ。
「仕方ない」
私は、しゃがみこんだ。
もともと、体格差がかなり開いた相手だ。
ストレートの拳は、そのまま標的を変えることが出来ない。ただ、何もない空間へと打ち出される。後ろから迫っていた太い腕も同じこと。むしろ、このままでは自分に拳が当たってしまうので、咄嗟に左へ避けてしまったらしい。
この隙を、私は逃さない。そのまま、男の胸に下から突き上げるようにぶつかり、遥かに背が高く体格の良い男を押し倒した。
「1人目」
頭を強く打ち、気を失った巨体の男を一瞥して、他の6人に視線を向けた。
「まだやります?」
最初に話しかけてきたリーダー格らしき男に、視線を向ける。
男は怯んだようにたじろいだが、次の瞬間――逆に頭に血を登らせてしまったらしい。ローブの袖から、杖を取り出したのだ。
「この1年のガキが!!」
その途端だ。
数多の呪文が、私に向けられる。
私はその呪文の雨を潜り抜けようとしたが、1つだけ――眼鏡に当たってしまった。
眼鏡は宙を描き、リーダー格の男の手の中に納まった。
「どうだ!眼鏡が無ければ、動くことも出来ねぇだろ、このガリ勉――が?」
その後の言葉は、紡がなかった。
いや、紡ぐことが出来なかった。
何しろ、眼鏡を奪われても私の足は止まらない。あの眼鏡は伊達眼鏡といってもいい代物で、度は全く入っていない。ただ『眼』を抑制するだけの眼鏡だ。線が一面に広がり、頭が痛み始める。だけど、そんな些細なことを気にする余裕はない。飛んでくる呪文を交わしながら、一つ一つ『観察』する。
そのうちに、『面白い線』が視えてきた。
「ま、マーカスっ!なんでアイツ、眼鏡ないのに動けるんだよ!?
呪文が一発も当ってないぜ!?」
「まぐれだろ!?数撃てば当たる!」
その言葉に、ふんっと鼻を鳴らした。
毎時間のように図書館と教室を移動している私の脚力を、甘く見ないでもらいたい。
だいたい、そんな闇雲に撃っても魔力を消耗するだけだ。効率よく、狙いを定めて撃たなければ意味がないと、『闇の魔術に対する防衛術』の教科書にも書いてあった。この人たちは、読んでいないのか。はたまた、頭に血が上っているのか。いや、そんなことはどうでもいい。
――もう避ける必要は、なくなったのだから。
私は杖を左手に移し、代わりにナイフを構えた。
後に――とあるスリザリン生は、この時の状況をこう語る。
「眼鏡が吹き飛んだ途端、アイツの纏っていた空気が変わったんだ。
黒い眼から、禍々しい青い眼に――。しばらく、アイツは避けていた。まるで、ダンスでも踊るような軽やかな身のこなしで、全ての呪文を避けていた。だけど、突然、避けるのを辞めて歩き始めたんだ。
―――何でもないように、青い眼で哂いながら。
当然、呪文は歩いているアイツに集中する。だけど、アイツはナイフを鞭のように振り下ろすだけだった。ナイフを振り下ろした瞬間、呪文が全部消失するんだよ。いくらマーカスたちが呪文を撃ったところで、何も変わらない。むしろ、呪文の乱発でマーカスたちの方が、へとへとだった。だけど、アイツは汗1つかいていない。青い眼を爛々と輝かせて、くたびれたマーカスたちの前に立ったんだ。もう、他のクィディッチ選手たちは一歩も動くことが出来なかった。マーカスだけが、最後の力を振り絞って呪文を唱えたが――それも、あっけなく消失させられてしまうと、そのまま座り込んでしまった。
セレネ・ゴーントは黒く艶やかな髪を軽くなびかせ、最後の呪文を薙ぎ払った時――静かな口調で、こう言った。
『話にならない。人の交友関係に口出しする前に、魔力の扱い方も勉強なされてはいかがかと思いますが?』
くるり、とそれっきりマーカスたちに背を向ける。
その無法備な背中に向けて、マーカスはここぞとばかりに叫んだ。
『サーペンソーティア―蛇よ、出でよ!』
マーカスの杖の先から、腕程の太さの大蛇が飛び出した。
蛇は、セレネ・ゴーントの首元にまっすぐ飛んでいく。
だけど、彼女は一言、何か囁いた。何を言っていたのか、聞き取ることは出来なかった。それは、言葉ではなかったんだ。そう、まるで蛇が唸るようなシューという低い音、と例えるのがいいかもしれない。
すると、不思議なことが起きたんだ。先程まで殺気を纏っていた蛇が、とたんに大人しくなった。そして、なんとセレネ・ゴーントを護る様に地面に這い始める。大蛇を従えて、威厳に満ち溢れ、振り返ることなく颯爽としたその姿に―――傍観者と化していた僕達は確信したんだ。
優等生?いや、優等生なんて枠を突き抜けた異彩な存在――蛇を操る『パーセルタング』の力を秘め、遥かに体格の良い上級生をも倒す。いつもの馬鹿丁寧な仮面を脱ぎ捨てた残虐な笑み――
そう、彼女こそ、『スリザリンの継承者』だ」
※3月8日誤字訂正