何度も見直して、グリンデルバルドの研究をしなくては……
ついに作戦決行の時間が刻一刻と迫っていた。
セレネはポケットの中身を再度確認すると、杖の握り心地を確かめた。
「ミス・ゴーント」
下の階から、マクゴナガル先生の呼ぶ声が聞こえてくる。
セレネは返事をすると、最後にもう一度、一月ほど使った部屋を見渡した。今作戦後、絶対にここに戻ってくるつもりだ。だが、いつでも移動できるように荷物だけはまとめてある。
ダンブルドアが死んだ今、ヴォルデモート勢力の拡大速度が二段階は上がった。魔法省は必死の抵抗を続けているが、いつ陥落しても不思議ではない。
常に逃走できる状態にしておくのが得策だろう。備えあれば患いなし。それに、備えておけば現実には起きないというまじない的な意味もある。
「まあ、ポッター役がポッターらしくない鞄を持っていたら、怪しみますよね」
セレネは残念そうに荷物を一瞥すると、リータ・スキーターが残した箒を片手に部屋を出た。
「気を付けるのですよ」
「ありがとうございます、先生」
マクゴナガル先生は少し不安そうな顔をしていた。
「心配しなくても、大丈夫です。絶対に帰ってきますから」
セレネは先生に微笑みかけると、「姿くらまし」をした。
プリベット通りは沈みかけた夕陽に照らされ、真っ赤に染まっていた。
「セレネ!」
ハーマイオニーが駆け寄ってきた。
セレネは少し目が点になった。
「ハーマイオニー? どうして、あなたが?」
「私も今回の作戦のメンバーなの」
セレネはメンバーに視線を向け、愕然とした。
ハーマイオニーを筆頭に、ロン・ウィーズリー、フレッドとジョージ・ウィーズリー、フラー・デラクール、そして、セドリック・ディゴリー。知っている人が6人もいる。成人とはいえ、20歳かそれ以下の魔法使いが自分を含め、7人もいるのだ。
「……騎士団って、これほどまでに人材不足なのですか?」
もちろん、年配者も8人いる。
ムーディ先生やルーピン先生、ウィーズリーの父とセドリックの父、女性と黒人の闇払い、そして、ハグリッドだ。いくら(ヴォルデモートが襲ってこないこと前提で考えると)ポッター役が狙われにくいとはいえ、残りの半数が若過ぎる。もっと歴戦の適任がいなかったのかと、驚きを通りこして呆れてしまった。
しかも、護衛役の8人目がハグリッドの時点で、団員の少なさに目を覆ってしまいそうだ。セレネの記憶では、ハグリッドが頼りになった覚えがない。尻尾爆発スクリュートの飼育を途中で止めてくれたのは助かったが、あの危険極まる生物の飼育を『一大プロジェクト』として触れ合うきっかけを作ったのは、彼自身だった。
「あー……でも、セレネ。1人1人の質は高いわ」
ハーマイオニーがどこか苦し紛れな返答をする。
「やあ、セレネ。久しぶり」
セレネがハーマイオニーと話していると、セドリックが近づいてきた。
「久しぶりですね、魔法省に就職されたと聞きました」
「ああ、その通り。しかも、息子は闇払いなんだ!」
セドリックではなく、その後ろにいた彼の父親、エイモス・ディゴリーが得意げな顔で答えた。エイモスは自慢の息子の肩を叩きながら、明るい口調で話し始める。
「なにしろ、4年ぶりの新人闇払いだ! しかも、あの厳しい試験を一発でパスしたのは、10年ぶりときた! 闇払い期待のルーキーが息子だなんて、私は鼻が高い! この分だと将来は魔法執行部の部長かもしれん!」
「エイモス、世間話はあとだ。任務に集中しろ」
ムーディが鋭く言うと、エイモスは口を閉ざした。けれど、まだ自慢し足りないのか、もごもご口元が動いている。
ムーディを先頭に、ハリーの家へと歩き始めた。セレネのように箒を持っている者もいれば、傍にセストラルを侍らせている者もいる。
ムーディーがハリーの家の玄関を開けた途端、ハーマイオニーが中へ駆け込んでいった。
「ハリー!!」
ハーマイオニーがハリーに抱き着いた。ロンはハリーの背中を軽く叩いている。その後ろからのっそり現れたハグリッドがコガネムシのような目を優し気に細め、
「大丈夫か? 準備はええか?」
と尋ねていた。
ハリーは元気よく頷いた。本当に準備は万端らしく、リュックサックを背負い、右手には箒を、左手にはフクロウが入った籠を持っている。
「計画は変更だ! パイアス・シックネスが裏切って、この家で『姿くらまし』をすることを禁じ、煙突飛行ネットワークにつなげることも禁止した。
よって、今晩は箒、セストラルなど空を飛ぶ乗り物で移動することになった」
ムーディが膨れ上がった大きな袋を二つ持ちながら、リビングの方へと歩き始める。
カウンターキッチンスタイルのリビングは、掃除されつくしたようにピカピカで、それなりに広かったが、16人もの人数が詰め込まれると、やや手狭に感じた。
「ねぇ、ハリー、これなーんだ!」
若い女性の闇払いが洗濯機に腰を掛けながら、左手を振って見せている。左手の薬指は、真新しい指輪が光っていた。
「私とリーマス、結婚したの!! それでね……」
「近況報告はあとにしろ。無事に移動した後なら、十分時間はある!!」
ムーディが大声を出すと、あたりは静まり返った。ムーディは袋を足元に落とすと、ハリーを両眼で見つめた。
「いいか。お前を隠しそうな十二軒の家に保護呪文をかけた。騎士団と何かしらの関係がある場所ばかりだ。つまり、わしの家、キングズリーのところ、ディゴリーの邸宅、モリーの叔母のミュリエルの家……分かるな?」
「でも……大丈夫ですか?」
ここで、ハリーの顔に不安の色が見え始める。まるで、計画に空いた落とし穴に気付いたかのような表情だった。
「おまえは、トンクスの実家に向かう。いったん、我々がそこに仕掛けておいた保護呪文の境界内に入れば、『隠れ穴』に向かう移動キーが使える。質問は?」
「あ――…騎士団の本部『グリーモールド・プレイス』に行くんじゃないんですか?」
「そこはスネイプに知られてしまっている。危険すぎる。他には?」
「その、えっと、16人もトンクスの家に向かって飛んだら、ちょっと目立ちすぎませんか?」
ハリーが不安そうに言うと、ムーディは泥のようなものが入ったフラスコを取り出した。
「今夜、8人のハリー・ポッターが空を移動する。1人ずつに護衛がつき、それぞれの組が別々の安全な家に向かう」
「ポリジュース薬を使うの!? それは駄目だ!!」
ハリーの大声がキッチン中に響き渡った。
騎士道精神にあふれるハリーなら、言いだしそうなことである。
「僕に変身するなんて、危険すぎるよ!」
「ハリー、好き好んでそうしているわけじゃないぜ?」
フレッド・ウィーズリーが大真面目な顔で言った。
「考えてみろよ。失敗すれば俺たち、永久に冴えない眼鏡君だ」
ジョージ・ウィーズリーが茶化したが、ハリーは笑わなかった。
「僕、絶対に協力しない。髪の毛一本たりとも渡すものか!」
「ハリー、大人しくして」
ハーマイオニーが彼に歩み寄ると、勢いよく髪の毛数本を引き抜いた。ハリーは痛さと悔しさで顔をしかめていたが、ハーマイオニーは無言で髪の毛をムーディに渡した。
これで、ハリーの意思とは関係なく、計画が実行される。
「さあ、これで準備は整った」
ムーディはフラスコの中に髪の毛を投入する。すると、液体は髪の毛が触れるや否や泡立ち、煙を上げて、一気に明るい黄色の液体へと変化した。
「一人、一口ずつだ。言っておくが、ゴブリンの小便みたいな味だ。吐き出すなよ」
セレネは心の中で、激しく同意した。以前、ヘスティア・カローに変身した時の形容しがたい気持ち悪さを思い出す。今回、覚悟してから一口飲んだが、やはり、胃から酸っぱさが込み上げてくるほど不味かった。つい、食洗器に置いてあったコップを手に取り、水を一気に飲み干したほどである。そうでもしなければ、この不味さに付き合っていられない。
「わおっ、俺たちそっくりだぜ!!」
フレッドとジョージが互いに顔を見合わせ、同時に叫んでいる。双子以上のそっくりな人間が、この狭い空間に自分を含め8人もハリーがいるのは奇妙で、頭が混乱しそうだった。おまけに眼鏡を取ってみれば、ポリジュース薬を飲んで変身してなお、死の線は視えている。
「ムーディ先生、ハリーと同じ型の眼鏡でなければダメですか?」
「駄目だ」
セレネの懇願は、あっけなく却下されてしまった。
ハリーの容姿はもちろん服装まで同じにならなければ、この計画の意味がない。なので、眼鏡も複製呪文で作り出した物をかけなければならない。理屈は分かっているが、セレネは小さくため息をついた。自分本来の服装と一緒に魔眼殺しの眼鏡をハリーと同じリュックサックに入れ、代わりにハリーの眼鏡をかける。当然、魔眼殺しではないので、死の線はくっきり視えた。
代わりに、パラケルスス版の賢者の石を嵌めたネックレスを下げる。服の上から見えないので、問題ない。きっと、万が一の助けになるだろう。
「全員、準備はできたな!!」
セレネは外に出ると、ムーディの隣で箒にまたがった。
これから本当に死の危険が待ち受けている。セレネは全員を見渡した。緊張で顔が強張っている者から、どことなくリラックスした表情の者まで表情は多種多様だ。ここに集った騎士団のメンバーは、誰もそのことに気付いていない。だが、死の危機が迫り恐怖を覚えるだろうが、誰も逃げ出す者はいない気がした。
「全員、一時間後に『隠れ穴』集合だ」
ムーディが叫んだ。
ハリーの籠から、ヘドウィグが飛び立つ。白いシルエットが空高く上っていくのがよく見えた。ムーディは人数分の白いフクロウまで用意することはできなかったらしい。
「三つ数えたらだ。一、二……三!!」
合図とともに、セレネの箒はぐんっと飛び上がった。一気に星の瞬く夜空へと上昇し、街の灯りが星のように眼下で輝いているのが見える。セレネは眼下の街並みを見下しながら、こっそり胸元をなぞるように「勇気」のルーンを刻んだ。
その時だ。どこからともなく降って湧いたような黒い人影が周囲を包囲し始めたのである。その中から黒い煙が飛び出し、まっすぐムーディとセレネを追いかけてくる。誰なのか、想像するまでもない。
「アバダケダブラ!!」
緑色の閃光が、セレネに向かってまっすぐ奔った。予想通りの攻撃に、慌てず横へ箒を旋回させる。
「ポッター! わしを見失うな!」
ムーディの怒声が聞こえる。ヴォルデモートに襲われている状況でも任務のことを忘れていない。さすがは、歴戦の闇払いである。
「分かりました、先生!」
セレネもポッターに成りきって叫びかえした。
どうやら、死喰い人たちがムーディを狙い、ヴォルデモート単体のみが自分を狙っている。ヴォルデモートの心理状態が分かりやすいというべきか、蛇男の放つ魔法はすべて死の呪いだった。いつもの自分なら、死の呪いを魔眼で切り伏せることができるが、今回ばかりはそうもいかない。アバダケダブラに盾の呪文が効かない以上、避けるしか選択肢はなかった。
「ま、これでも空中戦は少し練習したからね」
セレネは自分に言い聞かせるように、小さく呟いた。
前回のヴォルデモートとの戦い以後、空中戦の方法についても研究した。ウルクハートやノーマンから箒の扱い方を教わったり、飛行魔法で空を飛んだりしてきた。もちろん、寮のクィディッチ選手である彼らには敵わないが、素人ながらそこそこにできるようになったとは自負している。
それに、この7日間、「作戦では箒に乗るから」という理由で、マクゴナガル先生に監督してもらいながら、箒の練習も積んできた。
マクゴナガル先生は在学中、グリフィンドールのクィディッチ選手だったらしく、素晴らしい飛行技術を持っていたのは嬉しい誤算だった。先生は厳しいコーチとして、セレネに飛行技術を教えてくれた。箒の修行中、
『私がこのまま箒の扱いに慣れたら、来年度のクィディッチ選手になるかもしれませんね』
と冗談交じりに言ったところ、先生は真顔で
『大丈夫です。グリフィンドールのクィディッチチームは全員が強いですから』
と答えられた。
それでは、スリザリンチームが弱いみたいではないか。さすがにウルクハートらは卒業するが、得点王のベイジーはいるし、ノーマンの飛びっぷりだって悪くないのに。
閑話休題。
とにかく、少しは飛ぶ技術が上がっている。ただ真っ直ぐ飛ぶだけで精いっぱいから、空中で曲芸をやってのけるまで成長した。
それに、今の自分には「勇気」のルーンが刻んである。いまなら少し怖くても、何でもやってのけられる勇気が身体の奥から湧いてきていた。
「――ッ」
ただ、現実には上手くいかない。
耳の横すれすれを「死の呪い」が通り過ぎる。
まさに、血の凍るような思いだ。あと一歩、避けるのが遅ければ当たっていた。セレネはムーディの位置を目を凝らしながら視認する。夜の空は暗く、前が見えにくい。敵が放つ呪文の光のおかげで周囲が見えているとは、皮肉な話である。
セレネは大きく右旋回で急上昇しながら、死の呪いを躱し、ヴォルデモートとの距離を置く。前から吹き付ける豪風を肌で感じながら、次に打つ手を考える。やはり、逃げてばかりでは悔しい。とはいえ、下手に戦いに打って出ると、自分の色が強く出過ぎてしまう。
「本当、面倒くさい!」
セレネは歯を噛みしめた。
「死ね、ポッター!! 動くな!!」
悲しいことに、蛇男はまだ自分のことをハリーと勘違いしているようだ。
動くな、と言われて止まるほど、自分は優しくない。止まった瞬間、殺されるならなおのことである。一方の眼で後方のヴォルデモートの位置を確認しながら、もう一方の眼でムーディの位置を確認するように、せわしなく眼球を動かし続ける。右に旋回し、左に旋回し、次は右と見せかけて左に避ける。ちょこまかとタイミングや向きを変えながら、狙いを定めにくいように飛んでいた。だが、それでも限度がある。今この瞬間にも、緑の閃光が二発、すぐ脇を逸れていく。
こんなことを十分近く続けているうちに、ヴォルデモートが苛立ち始めたのが伝わってきた。
「さっさと死ね!」
白い顔が怒りで歪み、緑の閃光の数が増え続けている。さらにいえば、ヴォルデモートが追いかけているという圧迫感が次第に強まって来ていた。前回はダンプカーに追われているような恐怖を感じたが、今回は空の要塞に襲われている気分だ。敵機に追われている戦闘機乗りたちは、このような思いを抱いていたのかもしれない。吹き付ける風と自分の冷や汗で体が冷えて仕方がなかった。
せめて、ムーディが護衛らしく自分の援護に入ってくれれば助かるのだが、彼は彼で10人の死喰い人に追われていた。そんな相手に、助けを求めるのは極めて困難である。
「アバダケダブラ!!」
「――ッ、そう何発も連射して良い呪文ではありませんよ!」
セレネは覚悟を決めた。
身体を反らすように、急上昇する。そして、一気に宙返りをした。もちろん、ヴォルデモートも易々と後をつけてくる。自分を押し潰そうとしてくる重力に耐えると、そのままもう一度、宙返りをするために急上昇した――が、今度は一捻り加える。少し斜め気味に急上昇し、頂点で箒を滑らせるようにした。そのまま横滑りしたまま高度を下げずに回る。強烈な重力に骨が軋み、箒も苦しそうに弾くような音を立てる。速度も遅くなってしまったが、小さな旋回をしたおかげで、高度を保っていられた。
しかし、ヴォルデモートは違う。
先ほどのように通常の宙返りを行ったがために、前のめりになり、セレネより前に飛び出してしまう。そのおかげで、セレネはヴォルデモートの後下につくことができた。
おかげで、ヴォルデモートは一瞬、標的を見失った。ずっと追いかけていた敵が突然、まるで「姿くらまし」をしたかのように視界から消えたのである。ヴォルデモートの飛行速度が明らかに低下し、混乱しているの分かった。
この好機を逃すわけにはいかない。
「『ステューピファイ‐麻痺せよ』!」
全力以上の魔力を込めた失神呪文をヴォルデモートめがけて放つ。
ハッフルパフのカップを破壊できていない現状、ヴォルデモートを殺すことはできないが、失神させることはできる。
案の定、ヴォルデモートは突然の背後からの攻撃に対応できなかった。
赤い閃光を真面に浴びて、螺旋を描くように急降下していった。黒いマントがひらひらとひらめきながら、落ちていくのが見える。
「……ふぅ……」
セレネは落下していく蛇男を視認しながら、勝利の喜びより、安堵の方が勝っていた。
ただ飛行していただけなのに、1000mを延々と走り切ったような疲労感だった。
ムーディの傍についていた死喰い人たちは、親玉がやられたことを受けて、全員が慌てふためいたように急降下し始める。ここで「よくも、我らが頭領を!」と怒りに燃えて突撃してくれば大したものであるが、全員が親玉の安否を気にするあたり、それも、忠義心というよりも恐怖からの安否確認だというあたり、死喰い人たちの底が知れたような気がする。
「気を休めるな! 油断大敵!」
「え?……うわっと!?」
ムーディの声で、緩んでいた心を引き締め直される。真下から緑の閃光が飛んできたのだ。突然の攻撃に、セレネは避けることがかなわず、つい「死の線」を切ってしまった。緑の閃光は四散したが、これで正体が露見してしまう。
上昇してきたヴォルデモートは忌々しそうにセレネを一瞥すると、暗闇に溶け込むように姿を消した。
代わりに、降下していた死喰い人たちが急上昇し、下から失神呪文や妨害呪文、武装解除の呪文などが襲い掛かってくる。
だがしかし、正体が露見してしまったということは、これからは「魔眼」の力に頼ってもいいということ。
セレネは悩むことなく線を切りながら飛び続けた。
飛んで、飛んで、飛び続けた。
どこまで飛び続けだろうか。何度目かになる赤い閃光を断ち切った時、ふっと死喰い人たちが一斉に姿を消した。目の前には小高い丘と一軒家が見える。他には何もなく、くるぶしまで伸びた雑草や小さな花だけが夜風に吹かれて揺れていた。
「よくやった、ゴーント! そこに着地しろ」
ムーディの指示を聞きながら、家の前に着地した。地面に足が着いたとき、今までにないほど生きていることを実感する。思わず、その場に崩れ落ちそうになった。
「やはり、お前は闇払いの素質があるかもしれんな」
「……こんな思い、もう勘弁してください」
自分の得意技が全て封じられての戦闘など、本当に金輪際やりたくない。
セレネは、心の底から疲れていた。
「だが、どこかで情報が漏れていたな。……なら、誰が漏らしたかだ。『あの人』や死喰い人たちの様子を見る限り、少なくとも前日には決行がバレていたことになる。ところが、おそらく8人のポッター作戦までは知らないときた。ダンクが漏らしたなら、肝心なところも伝えるだろう。
では、いったい誰が……?」
ムーディがその場をぐるぐる回りながら考え込んでいる。
セレネは気が付くと、随分と袖が長くなっていることに気付いた。ズボンもぶかぶかで、今にもズレ落ちそうだ。どうやら、変身の効果が切れ始めたらしい。
「あの、ムーディ先生?」
「む、そうだ! あと1分で移動キーが作動する。こっちに来い!」
着替えたいと言う前に、ムーディは叫んだ。
セレネは片手でズボンを持ち上げながら、ゆるゆるの靴で駆け寄った。そのせいで、少し転びそうになる。移動キーは歯の欠けた櫛だった。人差し指で移動キーに触れると、見えない釣り糸に引っ張られるように、おなかの裏側をぐいっと前に引っ張られ、くるくると無抵抗に回転しながら、ムーディの自宅を急速に離れていった。
数秒後、両足が固い地面を打ち、どこかの裏庭に両手両ひざをついて落ちた。
「ここが、『隠れ穴』だ」
ムーディが杖をつきながら歩き始めると、前方から黒人の闇払いが駆け寄ってくるのが見えた。その後ろには、ハリーとハーマイオニーの姿が見える。黒人の闇払いは、ムーディにまっすぐ杖を突きつけると鋭い声で質問する。
「アルバス・ダンブルドアが、我々に最後に残した言葉は?」
「ハリーこそ我々最大の希望だ。彼を信じよ」
ムーディが答えると、次にセレネに杖を向けたが、ムーディが止めた。
「こやつはホムンクルスだ。ポリジュース薬はヒトへの変身に限定されている。
それより、問題は誰が裏切ったかだ。現状、帰ってきたのは何人いる?」
「私たちの他、ハグリッドとハリー、そしてリーマスとジョージだ。ジョージが負傷している。スネイプにやられたそうだ」
闇払いとムーディはその場で話し始めたので、セレネはハリーたちの方へ歩き始める。
「どう思う?」
ハーマイオニーが口火を切った。
「どうして、死喰い人は今夜のことを知っていたのかしら?」
「騎士団の誰かが裏切っているわけないよ」
ハリーが断言する。
「ヴォルデモートは最後の方になって、僕に追いついたんだ。最初は誰が誰なのか、あいつは知らなかった。計画を知っていたなら、僕がハグリッドと一緒だと始めからわかっていたはずだ」
「確かに、一理ありますね」
セレネは力なく笑った。
「あなたもよく無事でしたね。参考までに、どうやって逃れたのか教えてもらえませんか?」
セレネが尋ねると、ハリーはかいつまんで説明してくれた。
危ういところを、ヘドウィグが盾になって守ってくれたこと。しかし、その結果、本物のハリーだと気づかれてしまったこと。ヴォルデモートを呼び出したに違いないこと。そして、ハリーとハグリッドが安全地帯のトンクスの実家に到着する直前に、ヴォルデモートが現れたことなどだ。
「ハーマイオニーは途中からヴォルデモートに襲われたって言っていた。つまり、順番的には、セレネ、ハーマイオニー、そして僕だってことだ。でも、分からないんだ。僕、杖が勝手に動いて、ヴォルデモートのアバダケダブラを押し返したんだよ」
「杖が勝手に動く? そんなこと聞いたこともありません」
「ありえるんだよ! 実際に、僕の杖は勝手に動いたんだ」
「落ち着いて、ハリー。原因を考えている最中です」
「僕はあんなことしたことないし、できるわけないんだ」
「火事場の馬鹿力か。もしくは、ハリーの杖が特別なのか」
「特別じゃないよ? オリバンダーのところで買ったものだ。君も一緒にいたじゃないか」
セレネとハリーが討論している間、ハーマイオニーは不安そうに夜空の彼方を見上げていた。
その後、アーサーとフレッド・ウィーズリーのペアが帰ってきた。次にディゴリー親子、ロンとトンクス。最後にビル・ウィーズリーとフラー・デラクールのペアがセストラルにまたがって裏庭に降り立った。
負傷者はいたが、死者はいない。
ヴォルデモートが本腰を入れて追っていたことを考えれば、まさに奇跡のような結果だった。
「ハリー」
『隠れ穴』と思われる趣のある建物から、ジニー・ウィーズリーが駆け寄ってきた。
「計画の成功を祝って、ささやかなパーティーをするの。入って」
「ありがとう、ジニー」
ハリーはジニーの手を握る。ハリーは少し気まずそうにこちらを見てきたが、セレネは素知らぬ顔で歩き始めた。ハリーの恋愛模様など興味がない。むしろ、自分ではなく他に良い人を見つけたなら、それは喜ぶべきことである。それよりも、さっさと着替えたいので、トイレを借りたかった。
「さあさあ、貴方もどうぞ」
「隠れ穴」の入り口に近づくと、小太りの女性が笑顔で迎え入れてくれた。
「どうもすみません。あの……着替えをしたいので、トイレを貸してくれるとありがたいのですが」
「まあ、トイレなんてとんでもない。ジニーの部屋を使ってちょうだい。ジニー、案内して」
「はい、ママ」
セレネはジニー・ウィーズリーに案内される間、一言も話さなかった。
彼女の部屋は狭かったが、明るい雰囲気だった。壁一面に女性クィディッチ選手のポスターが貼ってあり、小物も可愛らしい。
「ゴーントさんは、ハリーのことをどう思っているの?」
セレネが着替えをしていると、彼女が淡々と尋ねてきた。ジニーはこちらを見ずに、暗い窓の外を見ている。
「友達ですよ。それ以上でもそれ以下でもありません」
セレネはジャケットを羽織りながら、正直に答える。
「ハリーは貴方と付き合っているんですよね。それなら、何も問題はありませんよ」
「……」
「私は彼のことを友達以上には見えませんし、ハリーは私にない魅力を貴方から感じた。それだけです」
セレネは嘘偽りなく言ったが、ジニーはこちらを振り返ると疑心に満ちた視線を向けてくる。
無理もない。もし彼女と逆の立場なら、同じ心配をした気もする。セレネは無実だというように両手を上げてみせる。
「そこまで心配なら、本人に尋ねてみては?」
セレネはそう言うと、部屋から出た。ジニーはあとに続かなかった。
居間に戻ると、皆が計画成功の祝いにファイアー・ウィスキーを飲んでいた。ところが、ハリーの姿だけが見当たらない。ハーマイオニーに尋ねると、いらいらした表情で今しがた庭へ飛び出して行ったそうだ。
「私、呼び戻してくるわ」
ハーマイオニーが不安そうな顔で追いかけた数分後、彼女の表情は一変して、怒っているように見えた。疲れ切ったようなハリーが彼女の後ろにいたが、この数分の間に何があったのだろうか。
セレネがこっそり小声で尋ねてみると、ハーマイオニーは腕を組みながら教えてくれた。
「ハリーがまた『あの人』の心の中をのぞいたのよ。ヴォルデモートのとつながりを利用しないように、ダンブルドアが『閉心術』を望んでいたのに」
「……そういえば、過去にありましたね。シリウス・ブラックが監禁されている映像を見たとか」
5年生のOWL試験で起こった出来事を思い出す。
ハリーはヴォルデモートの見せた夢に惑わされ、魔法省まで出向いてしまった。
「それは、確かに問題ですね」
「でしょ! ほら、ハリー。セレネも危険だって言ってるわ」
ハーマイオニーはハリーを捕まえると、得意げな表情で言い放った。ハリーは心底うんざりした顔で彼女を見つめる。
「僕だって見たくないよ。あいつの感情が高まると、勝手に見えるんだ」
「だから、それはあってはいけないことよ。心を閉ざす訓練を再開させなくちゃ!」
「大丈夫だよ、ハーマイオニー」
二人が口論をし始めたところで、セレネはそっと場を離脱した。
「それでは、私はこれで失礼します」
セレネはムーディに頭を下げる。すると、ウィーズリー兄妹の母親が口を開いた。
「もう少しゆっくりしていったら? 泊まってもいいのよ?」
「ありがとうございます。ですが、マクゴナガル先生が心配しますので」
セレネは軽く一礼をすると、庭へ出た。
夏なのに薄寒い空気が肌を刺している。右手に死線を潜り抜けた箒を握りしめたまま、ひっそりと「姿くらまし」をする。
ホグズミード村は暗く、ほとんどの家の灯りが消えていた。しんと寝静まった家々が立ち並んでいたが、一軒だけ軒先に暖かな光が灯っている。マクゴナガル先生が玄関に立ち、杖灯りをともしていたのだ。
「おかえりなさい、ミス・ゴーント」
「ありがとうございます、先生。待っていなくても良かったのに」
セレネが言うと、マクゴナガル先生は小匙一杯分ほどの笑みを浮かべた。
「さあ、中に入りなさい。疲れたでしょう」
「……ええ、とっても疲れました」
セレネは本当に疲れて肩を落とした。
もう追われて飛ぶのは懲り懲りである。同じ夜空を飛ぶにしても、次は箒の前にラジオでも付け、自分の気の向くまま飛びたい。
セレネは着替えずに、ベッドに倒れ込んだ。
それからは、特に代わり映えのしない平穏な日々が続いた。
「グラドラグス魔法ファッション店」で新しいイブニングドレスを購入したくらいだ。昨年まで使っていたドレスはヴォルデモートと戦ったせいで汚れ、ところどころ切れてしまっていた。
蛇男のせいで、無駄な出費である。失神呪文で一時的に落下させた程度では、気が済まない。これまで奴がやらかしてきた精神的な苦痛と飼い蛇の義父に対する仕打ちを含めて、多大なる慰謝料を請求したい。
そして、7月31日。
ちょうど日が傾き始めた頃、来客があった。
なんと、魔法省大臣のルーファス・スクリムジョールが訪ねてきたのである。しかも都合よく、マクゴナガル先生が学校の仕事で留守にしている時に来た。まるで、セレネが一人になる時間を狙っていたようだった。
「私がここに来たのは他でもない」
白髪交じりの鬣のような髪型の男性は、ソファーに座ると話し始めた。
「ダンブルドアの遺言についてだ」
予想外の言葉に、セレネは事態を飲み込むまで瞬き2回分の時間を要した。
「遺言? 私にですか?」
「知らなかったのかね?」
「ええ、先生とは……まあ、目をかけてもらっていた方だとは思いますけど、遺言だなんて」
1年に1度ほど、ダンブルドアと顔を合わせて話したことはある。
一度も面と向かって話したことのない生徒が多い中、そう考えると他の生徒よりもダンブルドアと近しかったのは事実だ。
しかし、彼のアドバイスが役に立った試しが、今まであっただろうか。
それに、セレネよりハリーたちの方がダンブルドアと親しい関係だった。セレネが困惑していると、スクリムジョールは目を光らせた。
「ダンブルドアが遺言を残したのは、君を含めて4人しかいない。ポッター、ウィーズリー、グレンジャーの三人だ。私物の大半はホグワーツに寄付され、個人的な遺贈品は君たち4人しかいない」
「と、言われましても」
セレネがダンブルドアの意思を図りかねていると、スクリムジョールはマントの内側に手を入れ、遺言書と袋を取り出した。
「『セレネ・マールヴォラ・ゴーントに、私の杖を遺贈する。この半世紀、大事に使い続けてきた一本である。私を思い出す大切なきっかけとして、大事に保管して欲しい』」
そして、袋の中から節の多い杖を取り出した。
セレネは杖を受け取ったが、ダンブルドアの考えをさっぱり理解できなかった。
「杖について、なにか話していたかね?」
「いえ、まったく」
そもそも、杖は自分の杖で十分満足している。
これ以上、杖を貰っても無意味だ。たとえ、この杖がグリンデルバルドの言っていた「最強の杖」だったとしても同じである。ダンブルドアに言われるまでもなく、使わず保管するのは当然の運びだった。
「杖は魔法族にとって、騎士の剣と同じだ。魔法省はダンブルドアが君に何かしらの意思を託したと考えている」
「私には何も。ハリー・ポッターに聞いてください。彼の方が託されていると思います」
セレネがきっぱり答えた。
ハリーには「分霊箱探し」を始めとした命令が与えられていたかもしれないが、自分には直接与えられていない。分霊箱の探索は、自分が勝手にやっていることである。
スクリムジョールとしばらく睨み合っていたが、向こうが折れる方が先だった。マントを翻しながら、足早に立ち去っていった。
遺贈の話は、これでおしまい。
マクゴナガル先生が帰ってきたとき、杖を見てもらったが、間違いなくアルバス・ダンブルドアのものだということが判明した。
「杖なんて2本もいりませんよ」
セレネはベッドに腰を掛けると、興味本位でダンブルドアの杖を振るってみた。
「『エイビス‐小鳥よ』」
杖先から青色の小鳥が二羽飛び出すと、ちっちっちと鳴きながら開けっ放しの窓から外へと消えていった。
「……私の杖なら一度に十羽は出せるのに」
完全に興味を失くしたので、そのまま遺贈された杖をトランクに放り込むと、自分の杖を使って窓を閉める。セレネはそのままベッドに後ろ向きに倒れ込んだ。少し黄ばんだ天井を見上げながら、杖を託された真意について考えを巡らせたが、一向に正解が見えてこない。
ただ、1つだけハッキリしていることがあった。
「私の指輪、返ってこなかった」
ダンブルドアに貸したままのペベレルの指輪を思い出す。
黒い石が挟まった金の指輪を貸したままである。遺贈と聞いて一瞬、あれが戻って来るのではと期待したが、指輪の話は一切出てこなかった。
ダンブルドアが遺品のほとんどをホグワーツに寄贈したらしいので、その中に紛れ込んでしまったのか。それとも、何らかの理由で壊れてしまい、そのことを隠しているのか。はたまた、危険なものだと判断され、闇から闇へと勝手に葬られてしまったのか。
ダンブルドアが死んだ今となっては、真相は闇の中である。
箒の空中戦、書くの大変だった……。
原作との変更点は以下の通りです。
〇セドリックの参戦
セドリックが死亡しなかったので、ここで再登場。
ヴォルデモートの復活を目撃し、死喰い人が暴れまくる現状を許せず、順当に闇払いになったハンサムイケメン。どうすればいんだ、呪いの子編!
なお、彼が不死鳥の騎士団に所属したので、エイモス父さんも騎士団入り。
エイモスの息子自慢は止まない模様。
〇ダンブルドアの杖を遺贈
ダンブルドアには未来視がないのに、どこまで想定しているのか。
次回投稿は4月29日の0時を予定しています。
GWはできるかぎり、更新していきたいです。