スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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サブタイトルを「スリザリンの継承者」にしようとしたら、とっくの昔に使っていました。……おのれ、過去の私。お前のせいで、私の目論見が破壊されてしまったではないか!


……というわけで、文字数が過去最高記録更新した81話をお読みください。




81話 約束と嘘

 『姿をくらますキャビネット棚』の修復は、マルフォイの言う通り難しかった。

 例えば、林檎をキャビネット棚に入れ、扉を閉じ、開いたときには林檎が姿を消していたとしても、再び開いたとき、がっつり欠けた林檎が戻ってきている。

 

 姿を消すことはできても、体の一部を持っていかれては大惨事だ。

 セレネとしては、死喰い人の一部が削がれるのは、この上なく愉快なことだ。けれど、約束してしまった以上、完璧に修復しなければならない。

 

 名前の通り、この棚はタダの棚ではなかった。

 単純な修復呪文だけでなく、棚自身に『姿くらまし』の理論が複雑に絡み合っている。

 『姿現し』と『姿くらまし』の理論を完璧に理解し、実践できるレベルまでなっていなければ、修復は不可能だということが発覚した。トワイクロス指導教官の練習が五回を超えても、マルフォイは『姿くらまし』ができない。これでは、修復が難航する訳である。

 セレネはそんなことを考えながら、修復に臨んでいた。

 

 ちなみに、セレネ自身は三回目の練習で完璧な『姿くらまし』をすることができた。イースター休暇明けの試験にも合格し、無事に『姿くらまし』の認定免許を取得している。

 グリンデルバルドの言う通り、コツは『行きたい場所を強く念ずるだけ』だったのは、少し癪であった。

 

「……と、まあ、姿くらましの理論を繋ぎあわせれば、修復も可能というわけです。

 あとは、テストを数度行い、安全に魔法が発現するのか確かめる必要がありますけど……ま、それは後日で構わないでしょうね」

 

 セレネは棚にルーンを含んだ魔法陣を書き足しながら、後ろで見守っている男――ドラコ・マルフォイに言った。

 

「ところで、ベラトリックスから聞きましたか?」

「あ、ああ。叔母上に聞いた。確かに、あの人から特別に預かった物があるらしい」

 

 マルフォイはセレネの顔色を窺うように教えてくれた。セレネは作業の手を止め、マルフォイをしっかり見据える。

 

「それはどこに?」

「レストレンジ家の金庫に保管されているそうだ。なんでも、ハッフルパフゆかりのカップらしい。それ以上は教えてくれなかった」

「レストレンジの金庫、カップ」

 

 セレネは噛みしめるように呟いた…

 ハッフルパフのゆかりの品という時点で、ヴォルデモートの分霊箱になっている可能性が高い。ホグワーツ創設者のゆかりの品という時点で、貴重価値が高く、ヴォルデモートが好みそうなものである。十中八九、それが分霊箱だ。とはいえ、レストレンジ家の金庫に保管されているとなれば、イギリス魔法界唯一の銀行にしてホグワーツの次に安全だと言われる場所、グリンゴッツを破らないといけなくなる。

 

 これは、かなり危険な橋を渡る必要が出てくる。

 わざわざグリンゴッツに忍び込んで、レストレンジ家の金庫を狙い撃ちしたことが発覚した段階で、ヴォルデモートはセレネが分霊箱を破壊して回っていることに気付いてしまう。分霊箱が幾つあるのか定かではない段階で、蛇男に感づかれるのは不味い。

 

 とはいえ、ハッフルパフのカップが分霊箱だと分かったおかげで、最低でも5つ作られたことが分かった。

 さすがに、わざわざ魂を薄めるのを承知で、これ以上――……たとえば、7つも作る馬鹿な真似はしないだろうと考えていたが、その愚かな予想が当たってしまっているかもしれない。

 ひとまず、分霊箱の数がはっきりするまで、カップ破壊の件は保留することに決めた。

 

「そうですか。ありがとうございます」

「契約だからな……でも、なんでそんなことを聞くんだい?」

「さあ、気になっただけですよ」

 

 セレネは最後のルーンを刻み終えると、キャビネット棚から離れた。

 

「ちなみに、何人の死喰い人を呼ぶつもりですか?」

「それは……二、三人だ。ベラトリックス叔母上とほんの数人」

 

 マルフォイは素っ気なく答える。セレネは少し目を細めた。おそらく、嘘だ。ダンブルドアを殺すのに、たった二、三人程度の死喰い人を派遣するわけがない。

 ただ、これ以上、脅して人数を聞くまでもなかろう。いくら死喰い人がいたとしても、すべて殺し尽せばいいだけの話だ。 

 

「でも、マルフォイ。一つ忠告しておきますね」

 

 必要の部屋の出口に向かって歩き出しながら、セレネは思いついたことを口にする。

 

「ヴォルデモートの支配は、長く続きませんよ。たとえ、ダンブルドアが死んでも」

「それは……風潮がどうたらって話か?」

「クリスマスの時の話、覚えていましたか」

 

 セレネは少しだけ驚いたように言った。

 3年生の時に、ちらっとした話を彼がいまだに覚えていたとは、思いもしなかった。

 

「ダンブルドア贔屓が世間の風潮だってことだろ? だけど――……」

 

 マルフォイの憮然とした声が聞こえる。

 

「いま、ダンブルドアが死ねば、確実に『あの人』の優勢さ。ポッターあたりが抵抗するかもしれないけど」

「まあ正直、ハリーは上手くいかないでしょうね」

 

 セレネはマルフォイの意見に同意すると、後ろで驚く気配を感じた。少しだけ振り返ってみれば、マルフォイはぽかんと口を開け、まじまじとセレネを見ていた。

 

「少し考えればわかりますよ。蛇男のことですから、ダンブルドアが死んだら、魔法省と新聞社を手中に収めて、アンチ・ポッター運動をするでしょうね。それだけで、随分とハリーは動きにくくなりますから」

「なら、なんで『あの人』の支配が長く続かないって言えるんだ?」

「あの人、政治は苦手そうだからです」

 

 セレネはきっぱりと言った。

 

「政治?」

「小規模のグループを治めることはしていますが、国レベルになると話は変わってきます」

 

 死喰い人だけ所属しているお山の大将なら、ヴォルデモートでも務めることができた。

 だが、もっと範囲を広げて、イギリス全体を支配するとなると話は変わって来る。

 

「おそらく、自分は裏方に居座り、魔法省大臣に難しい業務は任せるのでしょうけどね。あの蛇男は物凄く自分本位な性格ですから、きっと長くは続きませんよ。必ず、どこかでボロが出ます。

 だいたい、あの男がイギリス全土を手中に収めた程度で喜ぶと思いますか?」

「……たぶん、それはない?」

 

 マルフォイは少し考えた後、ゆっくり首を横に振った。

 

「イギリスのマグル界を支配するのは不可能なので、おそらくは最初に世界的な魔法界の支配を目論むはずです。

 まずは手始めに、海を渡ったフランスやドイツ辺りの魔法界に服従を迫るかもしれません。

 ……さて、ここで問題です。あなたがドイツやフランスの立場で、イギリスから『この俺様に完全服従しろ』と迫られたら、どうします?」

「もちろん、それは断る。それで、戦争になるんじゃないのか?」

「ですよね。その時点で、アウトです」

 

 セレネは目を伏せた。

 

「そもそも、ヴォルデモートは戦争を知りません」

「……え? 今、まさにしているじゃないか!」

「いいえ、戦争ではありません」

 

 セレネはきっぱり言い放った。

 

「今しているのは、内乱にすぎません。

 そもそも戦争とは、政治的な案件です。外交の手段でしかありません」

「外交……?」

 

 政治にしろ外交にしろ、ホグワーツでは耳慣れない言葉だ。

 ホグワーツにはマグルでいう政治・経済に相当する勉強がまったくない。魔法省に進んだ一部の魔法使いが、仕事を通じて初めて身に付ける分野である。つまり、ヴォルデモートや魔法省に就職していない大半の死喰い人は、政治を知らない。無論、ヴォルデモートはトム・リドル時代に多少、基礎基本は学んでいるだろうが、初等教育で学ぶ程度の政治経済の知識で、世界の魔法省と対等に渡り合うのは不可能である。 

 

「戦争とは無駄が大きすぎます。喜ぶのは軍事産業だけ。とはいえ、魔法界には軍事産業がないに等しいので、誰も得をしません。

 でも、力による恐怖支配が得意な蛇男のことです。外交を通じた駆け引きなんてせずに、戦争へと突き進むことでしょう」

「……その先にあるのは、地獄ということか」

「マグルの歴史を紐解けば、暴力と恐怖を振りかざし、他国への侵略をつづけた国の末路は、だいたい決まっています。周辺諸国が手を取り、一つの敵に立ち向かうのです」

 

 セレネは自嘲めいた笑みを浮かべると、マルフォイは少し悩むような顔をしていた。

 彼はアンブリッジを傍で見ていた。アンブリッジが力で押さえつけようとするほど、学生たちは反発して立ち向かってきた。アンブリッジの場合は背後に政府という大きな勢力があり、学生たちは小規模な反乱に過ぎなかったが、もし、その立場が逆転してしまっていたら――……きっと、アンブリッジや尋問官親衛隊は悠然と構えていることができなかったはずだ。

 

「ま、ヴォルデモートが頭を使って、戦争を回避しながら他国を支配するというなら、すべて覆りますけどね。

 もっとも、外交を知らない時点で、上手く勝つ方法すら知らなそうですけど」

 

 セレネは軽く伸びをしながら、マルフォイに語り続けた。

 おそらく、ヴォルデモートがそんな手腕を発揮するとは思えない。ただでさえ、元の魂の数十分の一に薄められた現在は、そこまで正気な状態で駆け引きに挑むことはできないだろう。

 

「そんな崖に突っ込む暴走列車みたいな『スリザリンの継承者』と、目の前にいる『スリザリンの継承者』では、どちらを選びますか?」

「それは……は?」

「私と手を組むというなら、いつでも大歓迎で迎え入れます。条件次第では、あなたの家族もまとめて、庇護してもいいと考えていますので」

 

 セレネはマルフォイの返事を待たずに、颯爽と必要の部屋を去った。

 ドラコ・マルフォイは純血の名家中の名家だ。しかも、ヴォルデモートの直臣として、蛇男にまつわる情報をたくさん持っている。

 マルフォイ一家の庇護を約束するだけで味方に寝返ってくれるなら、こちらとしても大歓迎だ。正直、大人の協力者が少ない分、物凄く心強い。

 

 

 

 

 

 

 「姿をくらますキャビネット棚」の最終性能テストは、期末試験の後に決まった。

 先生方が試験の採点で手いっぱいになる隙をついて、性能テストをすることになったのだ。そうと決まれば、あとは自分の魔法の精度を上げる訓練とパラケルスス版の賢者の石の作成に励むのみである。

 

 

 

 そんな、6月のある日のことだった。

 

 

「セレネ!」

 

 夕食が終わり、大広間を出たところで、ジャスティンが声をかけてきた。何か後ろに隠すように、背中に手を回している。セレネは足を止めて、ジャスティンが近づいてくるのを待った。

 

「どうかしましたか?」

「えっと、こっちに来ていただけませんか!」

 

 ジャスティンは玄関ホールの端へとセレネを連れてくる。

 夕日はとうに沈み、蝋燭の灯りくらいしかないのに、彼の頬は赤く染まっている。

 

「あの……ほら、変身術の期末試験、出現呪文が出るって話でしたよね?」

「ええ。水を出したり、花を咲かせたりするらしいですね」

「その、それで、ちょっと練習していまして……」

 

 ジャスティンは後ろに隠していた物を取り出した。

 柔らかいオレンジ色をしたカーネーションの花束だった。アクセントを添えるように、いくつもの四つ葉のクローバーが差し込まれている。

 

「上手くできたので、セレネにあげようと思ったんです」

「そうですか」

 

 セレネは花束を受け取った。

 

「四葉のクローバーも創り出したのですか?」

「えっと、実は僕だけだと難しくて、アーニーやスーザンに手伝ってもらいました」

 

 ジャスティンは頬を掻きながら、照れくさそうに言った。

 現実世界で四つ葉を探すのが難しいように、魔法でクローバーを創り出すときも神経を集中させないと四つ葉を創り出すことはできない。

 ハッフルパフでも特に優秀なアーニー・マクミランとスーザン・ボーンズなら、四つ葉を創り出せても不思議ではない。セレネは納得すると、ジャスティンに向き直った。

 

「ありがとうございます。大切にしますね」

「よ、喜んでもらえて嬉しいです」

 

 ここで、セレネは少し首を傾げた。

 ジャスティンは喜んでいるようだが、少しがっかりしたようにも見える。はて、それは何故なのだろう。一瞬気になったが、別に尋ねるまでのことではないと判断した。

 第一、セレネが理由を尋ねるだけの時間はなかった。

 

「セレネ!! ちょうど良かった!!」

 

 ハリーが階段を駆け下りてきたのである。

 その必死な形相に、セレネは身を引き締めた。

 

「どうしたのですか、ハリー?」

「時間がないんだ。僕、ダンブルドアと分霊――……いや、理由は上手く言えないけど――……」

 

 ここで、ハリーは一瞬、悩むようにジャスティンを見たが、すぐに首を横に振った。

 

「ジャスティンにも聞いて欲しい。

 とにかく、いろいろとあって、ダンブルドアは今夜いないんだ! だから、マルフォイが何を企んでいるにせよ、邪魔が入らないチャンスなんだ。いいから、黙って聞いてくれ!」

 

 ジャスティンが口を挟みたくてたまらなそうな顔をしていたが、ハリーは噛みつくように言い放った。

 

「トレローニーが聞いたんだ! マルフォイが『必要の部屋』で歓声を上げてたって!

 だから、マルフォイとスネイプを見張らないといけないんだ。特にスネイプだ! ダンブルドアが学校に追加的保護策を施したっていうけど、スネイプが絡んでいるなら、きっと意味がない」

「ハリー……」

「今は議論している時間はないんだ!」

 

 セレネが口を開こうとしたが、ハリーは焦ったように言葉を遮った。

 

「ハーマイオニーとロンには、もう話してある。いまから一時間後、ダンブルドア軍団のメンバーをできる限り集めて、グリフィンドールの談話室の前に集合する手はずになっているんだ。君たちにも参加してほしい」

 

 ジャスティンはハリーの気迫に圧倒された様子だったが、こくこくと頷いていた。

 

「僕、アーニーたちを呼んできます。きっと、ハリーの力になりたいはずですから」

「ありがとう、ジャスティン! セレネも頼んだよ! 僕も必ず、戻って来るから!」

 

 それだけ言うと、ハリーは正面玄関の向こう側へと消えていった。

 静まりかえった玄関ホールには、セレネとジャスティンだけが残された。

 

「なんだか、大変な事態になってきましたね」

「……みたいですね」

 

 セレネは平然とした顔で言いながらも、内心は舌打ちをしていた。

 おそらく、マルフォイはセレネを警戒して、こちらに知らせずに「キャビネット棚」の最終テストをしていたのだろう。

 

「では、私は支度をしに戻りますね。ジャスティン、グリフィンドールの談話室の前で会いましょう」

「またあとで!」

 

 セレネは談話室に戻ると、ベッドの上に花束を放り投げる。そのまますぐに鞄を開け、戦闘の支度を始めた。パラケルスス版の賢者の石をネックレスのように首から下げ、残り数個はポケットの中にしまい込む。杖は袖の内側に隠し、いつでも取り出しやすいようにセットした。

 セレネの準備が整ったとき、ダフネが部屋に戻ってきた。彼女は目を丸くして、カーネーションの花束を見つめている。 

 

「ちょ、ちょっと、セレネ!? その花束、誰から――……」

「ちょっと、出かけて来ます!」

 

 ダフネの話を遮り、セレネは部屋を飛び出した。

 ちらりと、頭の片隅に彼女も「ダンブルドア軍団」に参加していたことが横切ったが、言わないことに決めた。盾呪文や魔法薬学を得意としているが、それ以外の実技魔法は、妹のアステリアに負けている。セレネの見立てでも、ダフネの実力は死喰い人と戦うレベルにまで至っていなかった。

 知らせない方が、彼女のためだろう。

 

「待て、ゴーント」

 

 セレネは談話室を飛び出したが、その先には障害が待ち構えていた。

 セオドール・ノットが入口の脇の壁に背を預けて立っていたのである。

 

「そろそろ消灯なのに、どこへ行くんだ?」

「別に、どこでもいいではありませんか」

「はぁ……大方、一人でマルフォイをどうにかしに行こうとしていたんだろ? この時間なのに、マルフォイの奴はまだ帰ってきていないしな」 

 

 セオドールは呆れ果てたような口調で話し始める。

 

「約束、忘れたとは言わせないぞ」

「……」

 

 セレネは何も答えなかった。

 彼は「ダンブルドア軍団」の一員ではないが、戦力として申し分ない。ただ、彼の父親は死喰い人だ。死喰い人たちから決裂しているとはいえ、純血の裏切り者として、狙い撃ちされるかもしれない。一対一なら死喰い人ともやり合えるだろうが、幾人も束になって来たら難しいだろう。

 セレネが渋い顔をしていると、彼は少し怒ったような顔になった。

 

「約束!」

「……分かりました」

 

 結局、セレネは折れた。

 セオドールの有無言わさぬ雰囲気を感じ取ったのもあるが、約束は約束である。

 それに、どうせ死喰い人は自分が全員倒すのだ。彼がいたって問題ないだろう。セレネはため息をつきながら歩き始めた。

 

「危険だと思ったら、すぐに撤退してくださいね」

「それ、お前もな」

 

 セレネたちは歩き始めた。

 

「実は、ハリーに召集をかけられていまして……」 

 

 セレネは先ほど、ハリーから聞いた話を伝える。すると、セオドールは考え込むように眉間に皺を寄せた。

 

「マルフォイの件はともかくだ。ダンブルドアがいなくなるって、どうしてポッターは知っていたんだ?」

「さあ。もしかしたら、ダンブルドアと出かけるのかもしれませんね。話し終えた後、すぐに正面玄関から出て行きましたから」

 

 セレネも話しながら、ハリーがダンブルドアと出かける理由に思いをはせた。

 ハリーは先ほど、確かに何か理由を言おうとしていた。おそらく、ジャスティンが隣にいたので言い淀んだのだろう。だが、彼は確かに「分霊――……」と口にしていた。明らかに、ダンブルドアと分霊箱を破壊しに行ったのだ。ダンブルドアに宿題として『スラグホーンがトム・リドルと交わした分霊箱に関する話について聞き出せ』と出ていたことから考えても、あながち間違いではないだろう。

 

 セレネの知らない分霊箱を破壊してくれるなら、これほど助かることはない。

 

「ですが……」

 

 もし、行き先が例の海岸だったら、少し不味いことになる。

 ダンブルドアならグリンデルバルド製の毒薬を無効化できるかもしれないが、万が一、あれを飲み干すなんて決断をしてしまったが最後、とんでもない悲劇かつ無駄足になってしまう。下手したら、ダンブルドアかハリーのどちらかが死んでしまうかもしれない。

 

「……ま、それはないでしょう」

「何を勝手に納得しているんだ?」

「気にしないでください」

 

 セレネたちがグリフィンドールの談話室の前に着くと、すでにハーマイオニーたちが待っていた。

 とはいえ、さすがに「ダンブルドア軍団」の全員が集まったわけではなかった。

 グリフィンドール生は、ハーマイオニー、ロンとジニー・ウィーズリー、そして、ネビル・ロングボトムだけだったし、ハッフルパフ生はジャスティンとアーニー・マクミラン、スーザン・ボーンズ、レイブンクロー生に至っては、ルーナ・ラブグッドだけだった。

 

「……時間ね」

 

 ハーマイオニーは時計から目を上げると、全員を見渡した。

 

「今夜、ダンブルドアとハリーが……ちょっと、ある理由で城を留守にしています。

 その間、マルフォイとスネイプが何か不審な行動を起こすかもしれません。だから、皆に見張ってもらいたくて、ダンブルドア軍団を召集したわ」 

「グレンジャーさん、ごめんなさい。私、どうしても信じられないの」

 

 スーザン・ボーンズが疑問の声を上げた。

 

「マルフォイが何かできるとは思えないし、スネイプ先生はホグワーツの教授よ? その、先生の過去はともかく、今は不死鳥の騎士団のメンバーだって聞いたことがあるわ」

 

 スーザンが言うと、ハーマイオニーも言葉に詰まった。おそらく、彼女も半信半疑なのだろう。

 セレネもスネイプが裏切るとは思えない。自分の寮監ということもあるが、ダンブルドアがスネイプの裏切りを見逃しているとは、到底思えなかった。彼が裏切り者なら、ダンブルドアは絶対に雇うことはしないだろう。

 

 ……もっとも、クィレルや偽ムーディという例外はあったが。

 だがしかし、ハーマイオニーが答える前に、アーニーが咳ばらいをした。

 

「スーザン。さっきも言ったろ? きっと、ハリーは皆に伝えていないだけ、確固たる証拠があったんだ」

 

 彼はもったいぶった口調で言った。

 

「彼が僕たちを頼り、召集をかけたという時点で、大きな意味がある。そもそも、僕たち『ダンブルドア軍団』はOWL試験だけでなく、来るべき『例のあの人』の脅威に備え、そして、立ち向かうために、自主的に闇の魔術に対する防衛術を学んできた。

 マルフォイが死喰い人に屈し、なにか良からぬことをしようと企んでいるのなら、僕たちは阻止するために戦う必要がある!

 それに、ホグワーツの教授が闇の力に屈したことなら、以前もあったはずだ。にわかに信じがたいが、スネイプも堕ちたという可能性もありえなくはない」

 

 アーニーは演説を終えると、どうだと言わんばかりに周囲を見渡した。だが、その眼がセレネの隣に立つセオドールを視止めたとき、明らかに不快そうに歪んだ。

 

「だけど、僕は……どうして、ダンブルドア軍団に参加していない人がいるのか、ちょっと分からない」

「彼は問題ありませんよ」

 

 セレネが代わりに答えた。

 

「魔法省での戦いにも参加していました。そうですよね、ハーマイオニー?」

「ええそうね。彼は私たちの仲間よ。そうよね、ロン」

「え……あー……う、うん。まあ、そうだな」

 

 ハーマイオニーに睨まれ、ロンは口ごもりながらも認めた。それを聞いて、アーニーは納得したらしい。小さい声で「君たちも認めているなら、問題はない」と答え、ハーマイオニーの言葉を待った。ハーマイオニーは自分を落ち着かせるように深呼吸をすると、冷静な目で皆を見渡した。

 

「二つのグループに分けようと思うの。マルフォイを見張る側と、スネイプを見張る側。

 私たちは、10人いるから……5人と5人に分けたらいいんじゃないかしら?」

「それなら、まずは男女で分けたらどうですか?」

 

 ジャスティンがおずおずと提案すると、アーニーが「文句なし!」と頷いた。

 

「女性陣と男子一人がスネイプを見張り、残りの男性陣がマルフォイを見張るのはどうだ?」

「異議あり」

 

 それに対し、セレネがすぐさま異議を唱える。

 このままでは、マルフォイが引き連れてくる死喰い人を潰す計画が台無しである。けれど、そのまま理由を言うわけにはいかない。

 セレネは腕を組みながら、努めて静かな口調で話し始めた。

 

「もしかしたら、戦闘が起きるかもしれないんですよね? それならば、戦闘経験の有無を考慮したうえで、グループを分けるのがよろしいかと」

「戦うことを考えるなら、なおさら女性陣がスネイプを見張るべきだ!」

 

 セレネが言うと、ロン・ウィーズリーが噛みつくように声を上げた。

 

「マルフォイの方が、何するか分からないだろ? マルフォイの方が戦う危険性は高いから、安全そうなスネイプの方を女性陣が――……」

「ロン! 私が頼りないって言うの?」

 

 ロンが反論しかけたとき、ジニーがぴしゃりと言い放った。

 

「言っておきますけど、魔法省の戦いで、私は誰かさんと違って最後まで正気だったわ!」

「踵を砕かれて動けなかった人に言われたくないね!」

「はいはい、兄妹喧嘩はあとにして!」

 

 スーザンが険悪な空気になり始めたウィーズリー兄妹の間に入る。そのまま二人を宥めるように見ながら、聞きやすい声で話し始めた。

 

「私も戦闘経験の有無は大切だと思うわ。その、私たちハッフルパフ生にとっては、初陣なわけだし……。

 まずは、魔法省に突入したメンバーを二つに分けて、その後、私たちを分けるのがいいんじゃないかしら?」

 

 スーザンの意見に反対する者は誰もいなかった。

 その後、魔法省での戦いを踏まえたうえで、マルフォイグループが、ロン、ジニー、セレネ、セオドール、ジャスティン。スネイプグループがハーマイオニー、ルーナ、ネビル、アーニー、スーザンに決定した。

 

「最後になるけど、いいかしら」

 

 決行寸前、ハーマイオニーは小瓶を取り出した。

 忘れもしない、スラグホーンが最初の授業でハリーに渡した「幸運薬」だ。わずかに減ってはいるが、まだ十分入っている。

 

「幸運薬のフェリックス・フェリシスよ。ハリーのだけど、彼が作戦に参加する皆に一口ずつ飲んで欲しいって」

 

 ハーマイオニーが言うと、まずロンに渡した。

 それから、皆が順番に一口ずつ飲んでいった。セレネもハーマイオニーから受け取り、一滴、口に含む。すると、次のルーナに小瓶を手渡しするころには、無限大の可能性が広がるような気分が、ゆっくりと身体中に染み渡っていくのを感じた。これからする死喰い人討伐が全て上手くいくような気がしてくる。

 最後のジニーが飲み終わった頃には、皆の顔に不安の色は一欠けらも残っていなかった。

 

「では、作戦開始ね」

 

 ハーマイオニーの合図で、まずスネイプチームが持ち場へと歩き始めた。

 

「さて、僕たちもマルフォイを探すぞ」

 

 ロンはそう言いながら、古びた地図を取り出した。

 

「これは特別な地図なんだ。これを使えば、誰がどこにいるのか分かる……んだけど、どこにもいないな」

「マルフォイは、城の外に出たってこと?」

「いや、必要の部屋だ。あそこにいると、地図に名前が載らない」

 

 ロンは力強く言うと、皆で8階の「馬鹿のバーバナス」の絵がある廊下まで急いだ。やはりというべきか、マルフォイは「必要の部屋」にいるらしい。きっと、死喰い人の手引きの真っ最中なのだろう。

 「必要の部屋」の前に到着すると、廊下の突き当りは単なる石壁が広がっていた。どうやら、マルフォイは扉を消しているらしい。

 

「よし、ここで待つぞ」

 

 ロンが自分自身に言い聞かせるように言うと、石壁の前に座った。セレネも石壁の前で待とうとしたが、急にこのまま待っていては危険だということを感じ取った。

 

「ウィーズリー。私、ここでも二手に分かれた方がいいと思います」

 

 なにもない石壁の前で、セレネは提案をする。ロン・ウィーズリーは訝し気にセレネを見た。

 

「どうしてだい?」

「マルフォイが何か対策をしているかもしれません。彼は、自分の実力がそこまで高くないことを分かっているはずので、なるべく戦いは避けるつもりだと思います。たとえば、待ち伏せしていることが分かった瞬間、インスタント煙幕をまき散らすとか」

 

 セレネとしては、その可能性は非常に低いと思った。

 あのマルフォイが、そこまで考えているとは思えない。第一、フレッドとジョージ・ウィーズリー兄弟がマルフォイにインスタント煙幕やおとり爆弾などを売るとは考えにくかった。

 ところが、セレネの中の幸運薬が、妨害の可能性を訴えている。セレネは幸運薬に従うことにした。

 

「もちろん、あくまで可能性です。ここで見張るのが3人、向こうの廊下で待機している人が2人でどうでしょう?」

 

 セレネはそこまで言い切ると、ウィーズリーを見つめた。普段のロン・ウィーズリーならセレネの意見を受け入れなかったかもしれない。だが、嬉しいことに、しばし考えてから頷いてくれた。これも、幸運薬の効果かもしれない。

 

「分かった。その代わり、君が向こうの廊下で待機していてくれ。言い出したのは、ゴーントだからな。あと一人は――……」

「オレが行く。オレなら連携も取れるからな」

 

 セオドールはそれだけ言うと、先に廊下を歩き始めていた。セレネも彼を追いかけるように「必要の部屋」の前から離れる。

 

「足手まといには、ならないでくださいね」

 

 セレネはセオドールに言うと、壁に背を持たせかけた。

 ここからでは「必要の部屋」の様子は分からないが、なにかあれば物音で気づくはずだ。

 

「……なんだ、オレよりフレッチリーの方が良かったか?」

「誰でも同じですよ。私が死喰い人を倒すだけですから。……ただ、まあ……」

 

 セレネは一呼吸置いた後、窓の向こうの景色を見つめた。

 

『あなたが傍にいた方がいいかも』

 

 背後の壁に寄りかかりながら、セレネは小さな声で呟いた。

 

 幸運薬の効果もあるだろうが、全く負ける気がしなかった。

 そもそも、この城にいる限り、セレネは死喰い人程度に負ける確率は極めて低いのだから――……。

 

 

 

 窓から差し込む月明かりが、静かに廊下を照らしている。

 ホグワーツ城は、音もなく静まり返っていた。時折、フクロウの鳴く声だけが遠くから聞こえてくる。セレネはクイールから貰った時計を取り出し、何度か時間を確認した。時計の針は、淡々と時を刻んでいる。銀色の時計を握りしめていると、これからすることへの覚悟が深まり、ヴォルデモートへの怒りが胸の内で静かに燃え上がるのを強く感じた。

 

 事態が急変したのは、見張り始めて1時間ほど経過した時だった。

 「必要の部屋」へと続く廊下から、黒い煙が噴き出してきたのである。幸運にも、セレネたちが隠れている廊下まで煙は来ていない。

 

「セオドール!」

「分かってる!」

 

 セレネとセオドールは廊下の曲がり角に隠れるように立つと、煙に向かって杖を構えた。

 セレネたちが構えていると、黒い煙の中からマルフォイが現れた。不気味に光る萎びた手を持ち、もう片方の手で誰かの手を握りしめているのが見えた。

 マルフォイが曲がり角を曲がった途端、セレネは鋭く杖を振るった。

 

「『ステューピファイ‐麻痺せよ』」

 

 赤い閃光がマルフォイに当たるか否かのところで、盾の呪文が展開される。ベラトリックス・レストレンジだ。彼女がマルフォイを守ったのである。ベラトリックスはセレネを睨み付けると、狂ったように笑い声をあげた。

 

「ぁぁあああ! 例のお人形ちゃんじゃないか!!」

「『ステューピファイ』!」

 

 セレネはベラトリックスを無視して、その後ろから現れた死喰い人に失神呪文を撃ちこむ。強敵を屠るのも大切だが、まずは雑魚どもを減らすべきだ。敵は多数であり、連携されたら面倒である。失神呪文を撃ちこまれた死喰い人は豚のような悲鳴を上げて、冷たい床に倒れ込んだ。それを皮切りに、次々と死喰い人が黒い煙の内側から飛び出してくる。

 

「貴様っ、この私を無視したな!!」

 

 ベラトリックスがセレネに向かって閃光を放った。セレネは盾の呪文を無言で展開すると、他の死喰い人に向かって呼び寄せ呪文を唱えた。

 

「『アクシオ‐来い!』」

 

 とある死喰い人の手から杖が飛び上がり、セレネの手に収まる。セレネは眼鏡を外すと、今まさに杖を失くしたばかりの死喰い人に向かって走り出した。普段から魔法ばかり頼っている死喰い人は、杖を失った異常事態に対応することがすぐにできない。セレネは目に見えて狼狽する死喰い人の前に飛び込むと、そのまま両腕に奔る「死の線」を切り裂いた。

 

「アミカス!」

 

 痛みで倒れ込む死喰い人の後ろにいた女性が、怒りの声を上げた。そのままセレネに杖を向けてきたので、アミカスと呼ばれた死喰い人の腹を蹴飛ばして、思いっきり女性にぶつける。アミカスの重みで女性死喰い人がふらついた隙に、セレネは彼女の両腕も奪った。ついでに動けないように、2人の足も奪っておく。豚のように耳障りな悲鳴が廊下に木霊したが、それを上回る声で、ベラトリックスが叫んでいた。

 

「ドラコ、走れ! ギボン、ヤックスリー、ロウル、ドラコを援護しろ! 他の者たちも、こいつらに構うな! ここは、私一人で十分だ!」

 

 セレネが横目で見ると、マルフォイを先頭に、三人の死喰い人が天文塔の方へ走っていくのが確認できた。だが、その次は続かない。大柄の死喰い人が、セオドールの放った失神呪文で倒れ込むのが見える。セオドールは、すぐに、その後ろを走っていた痩せた死喰い人にも呪文を放っていた。

 

「よう、お嬢ちゃん!」

 

 彼の戦いに一瞬、気を取られたせいだろう。背後から迫る獣に気付くのが遅くなった。

 吼え声を上げながら、もつれた灰色の髪の男が襲い掛かってくる。全体的に薄汚く、獰猛な獣みたいな牙のある口を開き、セレネに噛みつこうとしていた。

 

「『フリペンド‐撃て』!」

 

 だがしかし、その牙がセレネに届くことはなかった。

 何者かの放った衝撃呪文が、薄汚い大男を吹き飛ばしたのである。

 

「に、逃げてください、セレネ!」

 

 ちょうど煙の中から這い出てきた、ジャスティンだった。恐怖に怯えたように震えながらも、まっすぐ薄汚い男に狙いを定めている。

 

「セレネ! そいつは、グレイバック! 狼男です!!」

「おやおや、坊ちゃん。物知りなこって」

 

 ただ、ジャスティンの放った呪文の効果は、浅かったのだろう。グレイバックは狼狽えることなく体勢を立て直し、にまにまと嫌らしい笑みを浮かべていた。

 

「だけど、坊ちゃんはあとだ。俺は、今まで食べたことのない肉に興味があるんでね」

「グレイバック! ホムンクルスは私の獲物だ!」

 

 グレイバックが黄色い爪で前歯をほじっていると、ベラトリックスが怒りの声を上げた。

 

「あの小娘は、魔法省での借りがある! 早くドラコを追え!」

「しかしですね――……」

「御託は良い! ドラコに続くのだ!!」

 

 ベラトリックスはグレイバックの足元に呪文を撃ちこむ。グレイバックは、さすがに味方に殺されたくはなかったのだろう。悔しそうにセレネを一瞥すると、ドラコたちの去っていった方へ走り出した。

 

「さて、小娘。魔法省での続きと行こうか」

 

 ベラトリックスがセレネの前に立ち塞がった。

 

「ゴーント、加勢する」

 

 セレネの脇にセオドールが立った。軽く周囲を見渡せば、両腕と足を失って床で呻いている二人の他、二人の死喰い人が倒れていた。セオドールがやったのだろうか、ご丁寧に縄で縛られていた。

 つまり、ドラコ・マルフォイを追いかけた者を除けば、ベラトリックスの他に戦える死喰い人はいない。

 幸運にも、ロン・ウィーズリーたちが黒い煙をかき分けて廊下に出てきたところだった。

 

 これで、5対1だ。

 数で圧せば、ベラトリックスも簡単に倒せるかもしれない。

 

 しかし――……

 

「いいえ、この女は私一人で十分です。皆さんは、マルフォイを追ってください。天文塔の方へ行きました」

「だけど……」

「行ってください! すぐに追いつきます!!」

「ああ、私が興味があるのは、そこの人形だけだ……今のところはね」

 

 ベラトリックスは不気味に笑いながら、セレネだけを見据えていた。

 

「分かった。ダンブルドア軍団、行くぞ!!」

 

 ロン・ウィーズリーの声を皮切りに、何人もの足音がセレネの脇を通り過ぎていく。傍にいた気配も消えていた。

 セレネは遠ざかる足音を聞きながら、しばらく向かい合っていた。その距離は、目測で5メートル。少し駆け出せば、数秒で到達できる程度の距離しかない。

 

「あああ!! この日を夢にまで見た」

 

 ヴォルデモート最強の副官、ベラトリックス・レストレンジの黒い目の奥は、怒りの炎が燃えていた。

 

「私から杖を奪い、愚弄した罪はきっちり払ってもらおうか!」

 

 セレネは何も答えなかった。

 頭にあるのは、単語は一つだけだ。この女を殺す。ヴォルデモートの右腕たる女を確実に殺せば、かなりの大打撃になるはずだ。セレネは口の端を上げると、ベラトリックス・レストレンジに笑いかける。

 

「『クルーシオ‐苦しめ』」

 

 最初に動いたのは、ベラトリックスだった。

 彼女の杖から放たれた磔呪いが、まっすぐセレネに向かって宙を奔る。セレネは駆け出した。ベラトリックスの胸元めがけて疾走するが、彼女は油断の欠片もなかった。セレネが避けたのを見届ける前に、すぐさま無言で次の呪いを撃ってくる。わずか数秒で詰められる距離だったが、セレネは真横に跳び退けるしかなかった。弾けるように横に跳んだが、ベラトリックスは止めることなく呪いを撃ち続けている。

 

「――ッち」

 

 セレネはベラトリックスの視界から逃れるように、彼女を中心に円を描くように疾走した。

 おそらく、前回のような目くらましは通用しない。セレネが磔呪いから逃れ続けていると、ベラトリックスの馬鹿にしたような甲高い笑い声が廊下に木霊した。

 

「あはははっ!! どうしたんだい、ホムンクルス! もしかして、怖気ついたんでちゅか!?」

「まさか!」 

 

 セレネは口元に笑みを携えたまま、無言で失神呪文を連射する。接近することが難しいなら、遠距離からの魔法攻撃だと判断したのだが、さすがはヴォルデモートの副官 ベラトリックス・レストレンジだ。セレネが高速で駆け、前後左右から目まぐるしい攻撃呪文をしかけても、悠然と一歩も動かずに全てはじき返していた。

 

 このままでは、もう埒が明かない。

 セレネの息が切れた瞬間、勝負は決するだろう。セレネの速度が落ちて、攻撃呪文が途切れたとき、ベラトリックスは攻勢に転じる。魔眼の力があるとはいえ、永遠に防ぎきれる自信はなかった。

 

 ならば――……

 セレネは走りながら神経を研ぎ澄まさせた。

 一歩間違えれば、確実に自分は死ぬ。義父の仇も、ヴォルデモートへの復讐も遂げることができないまま、無残に死ぬ。それだけは、あってはいけない。

 

「……よし!!」

 

 セレネは覚悟を決めると、足を動かし続けたまま進行方向を変えた。

 床を踏み込み、ベラトリックス・レストレンジめがけて跳躍する。セレネが放ち続けた失神呪文の猛攻が途切れたことにより、ベラトリックスは攻勢に移行した。底意地の悪い笑みを浮かべながら、赤い閃光を走らせる。前回の戦いでは、ハリーが「盾」を展開してくれたが、自分で防ぐ手間が惜しい。セレネは磔呪いを正面から受け止めた。

 

「――ぐっ、うあ」

 

 身体を内側からチェーンソーで切り刻まれているような感覚。名状しがたい激痛が、瞬く間に全身へと広がっていく。心臓が悲鳴を上げながら軋み、身体の内側へと圧縮された肺が喘ぐように酸素を求めている。

 だが、それだけだ。

 心臓を杭で刺される痛み程度、安いものだ。

 

「――ッ、はあ!!」

 

 一歩、力強く踏み込んだ。

 速度を落とすことなく、ベラトリックスめがけて奔る。

 さすがのベラトリックスも、これには驚いたのだろう。わずかに眉を上げ、目を見開いていた。もちろん、それは一瞬だけ。次の瞬間には、第二撃を放つために魔力を高めている。

 けれど、セレネの方が速い。

 一瞬だけ動きを止めた最狂の魔女よりも、足を止めなかった自分の方が速い。

 セレネは走りながら杖を持ち直すと、槍のようにベラトリックスの胸元に叩き込んだ。

 

「こ、この、小娘がぁああ!!」

 

 だが、負けた。

 ベラトリックスは微かに身体を逸らし、心臓ではなく右胸の辺りを杖先が貫通する。右肺は殺せたが、肝心の心臓は無傷のままだ。ベラトリックスは口から血を流しながら、セレネの右腕をつかむと、胸から引き抜いた。そのまま、セレネの小さな身体を廊下の端まで投げ飛ばす。

 

「――ッ」

 

 気が付くと、体が宙を浮いていた。

 セレネは飛んでいる。まるで、槍投げの槍になったみたいだ。

 強い風を感じる。今さらながら、磔呪いの激痛が後を引いて襲ってきた。あまりの痛みに我を失いそうになりながらも、必死で自我を保ち続ける。心臓が悲鳴を上げるほどの激痛のおかげで、むしろ自分の存在を自覚する。強烈な痛みが、自分はまだ生きていることを訴えていた。足からも腕からも指先からも痛みが感じる。痛いけど、五体満足で生きている。小枝みたいな杖も右手が握っている。

 だから、まだまだ戦えるとを叫んでいる。

 

 それに、打つ手は――……最終手段は残っている。

 

「『サーペンソーティア‐蛇よ、出よ』」

 

 セレネは、背後に大蛇を出現させる。果てしないほど飛ばされそうだった自分を大蛇にぶつからせることで、無理やり停止させた。

 

「うぐっ……」

 

 背骨を棍棒で叩かれたような痛みだった。

 口の中に鉄の味が広がり、口端から液体が伝っているのを感じる。セレネは口元を袖で乱暴に拭うと、残忍な高笑いをするベラトリックスに向かって呪文を放った。

 

「『インセンディオ‐燃えろ』!」

「『アグアメンティ‐水よ』」

 

 セレネの杖先は燃え盛る炎を奔らせる。ベラトリックスは高笑いをしたまま、セレネが押し潰されるような水流で圧倒した。廊下の床一面が水に浸される。当然、セレネもびしょぬれになっていた。

 

「我が君相手に、マグルの小細工をしたらしいが……これなら、それも無駄だろう? お前も濡れているからな! ええ、ホムンクルスの小娘!」

「……」

 

 ベラトリックスは嗤っている。右胸に空いた穴から絶えず赤い血を流し続け、黒いスカートを吸魂鬼のようにたなびかせなら嗤っていた。

 

「どうだい、降参かい? 降参するなら今の内だよ? 今なら特別に、痛みも感じる間もなく死なせてあげようか? あははははは!!」

「あなたこそ、降参するなら今のうちですよ」

 

 セレネは背後の大蛇に寄りかかりながら、ゆっくりと立ち上がった。

 

「ここはホグワーツ。私はサラザール・スリザリンの継承者。この城にいる限り、あなたは私に勝てない」

「この状況が分からないのかい? それとも、怖すぎて、錯乱しちまいまちたか?」

 

 ベラトリックスはぴしゃりぴしゃりと水たまりを歩きながら、赤ん坊に対するような口調で話しかけてくる。

 

「それに、スリザリンの継承者は我が君以外の誰でもない。ホムンクルス風情が名乗っていい称号ではないんでちゅよー? 分かりまちたか?」

「……そうね、そうかもしれません」

 

 セレネはベラトリックスを見つめた。

 

「だけど、それは誰が判断するの?」

 

 それだけ言うと、セレネは目を伏せる。

 

『襲え!』

 

 鋭く叫んだ蛇語を合図に、創り出したばかりの蛇がベラトリックスに飛びかかる気配を感じた。無論、ただの蛇の攻撃がベラトリックス・レストレンジに通じるわけがない。ほどなくして、蛇が悲鳴を上げて水たまりに落ちる音が聞こえてきた。

 ベラトリックスは馬鹿にしたように笑う声が、廊下に響き渡っていた。

 

「なんだ、小娘!? 蛇を仕掛けることが継承者の証だと言いたいのか!? この――……」

 

 しかし、その先の言葉は聞こえなかった。

 唐突に電池が切れたおしゃべりオウムのように、言葉が途切れる。ひたひたと感じる音を耳にしながら、セレネはゆっくりと顔を上げた。

 

『終わりましたよ、主』

 

 蛇の王者、バジリスクのアルケミーがベラトリックス・レストレンジの後ろで、とぐろを巻いていた。ベラトリックスは固まったまま、微塵たりとも動かない。セレネは小さく息を吐いた。

 

「……水たまりに映った魔眼を見て、石になったというわけですか。いつしかのミセス・ノリスと同じ結末ですね」

 

 どうせなら、バジリスクの魔眼を直接視れば良かったのに。ベラトリックスは、悪運の強い女である。

   

『ありがとう、アルケミー』

『ホグワーツ城にいる限り、主の危機とあれば、どこへでも馳せ参じます』

 

 アルケミーは、シューシューと満足そうに唸りながら、嬉しそうに頭を下げた。

 必要の部屋を見張り始めた一時間前、アルケミーを呼び出しておいて正解である。あの呟きが本当にアルケミーまで届いていたのか分からなかったが、これも幸運薬の力なのかもしれない。

 

「さて、と」

 

 セレネはよろめきそうになりながら、石になったベラトリックス・レストレンジに近づいた。

 

『アルケミー、パイプの内側まで下がっていなさい。必要な時、また呼ぶから』

『了解しました。いつでもお申し付けください』

 

 水を踏みしめながら、ベラトリックスの前に立つ。

 手が届く距離にいるのに、凶悪な笑みを浮かべた魔女は杖先一つも動かせない。血液までもが石になったのだろう。ぽっかり空いた胸の穴からは、血が一滴も流れ落ちていなかった。

 

「……哀れな最期ね、ヴォルデモートの副官さん。二度もやられる気持ちはいかがかしら?」

 

 セレネが話しかけるが、当然、反応は見当たらない。

 戦闘で燃え上がっていた心が、異様なまでに冷えていくのを感じる。

 

「今度こそ、しっかり殺すわ。あの世で、ご主人さまを大人しく待ちなさい」

 

 セレネは静かな口調で語りかけると、杖を手の中で回した。

 直死の魔眼の力で、改めて「死の線」を視る。残された箇所は、足に二つ。腕に一つずつ。そして、胸の中心より少し左側に複雑に密集した線が一つ。どれを切れば確実に死ぬかは、考えるでもない。

 

「さようなら、ベラトリックス・レストレンジ」

 

 セレネはベラトリックスの胸元に狙いを定める。

 あっという間に終わることだ。躊躇う必要も皆無である。

 

『セレネ、いいかい――……』

 

 誰かの優しい言葉が、耳の奥で蘇る。

 冬の木漏れ日のように、暖かい人の言葉だった気がする。でも、それがどうしたというのだろうか。

 セレネは右腕を思いっきり引き、そして――……

 

「――ッ、セレネ!!」

 

 誰かが、水を蹴る音が聞こえる。

 聞き覚えのある声に、セレネの動きが止まった。誰かが自分の腕を力強くつかみ、死の線を切り刻むのを止めさせようとしている。

 

「どういうつもりですか?」

 

 セレネは咎めるように言うと、腕をつかんでいる人物を睨み付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 


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