スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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73話 3つ目の分霊箱

 

 潮の香りと打ち寄せる波の音がした。

 

 眼前には、月灯りに照らされた海と星を散りばめた空が広がっている。言葉で表現すれば非常にロマンティックな光景になるのだが、現実には荒々しい風が周囲に巻き起こっていた。

そのうえ、背後には見上げるような崖がそびえたっている。のっぺりとした大岩が、いくつも荒く波打った海から突き出ている。セレネとグリンデルバルドは、そうした岩の一つの上に立っていた。

 

「ここは?」

 

 セレネは周囲を一瞥する。海にも岩にも、岩壁の上にも、厳しさを和らげる草や木も、砂地さえもない。荒涼としたうら寂しく、どことなく怖くなるような場所だった。

 

「幼少期、トム・リドルが孤児院時代に訪れた記録が残っている」

「それは……とても前衛的な遠足ですね」

「もちろん、本当に孤児院で訪れた場所はここではない。この近くの村に滞在していたらしいが、ある日――彼が数名の孤児を連れて、ここを訪れたという記録がある」

 

 グリンデルバルドは淡々と述べた。

 普通ならば、大人でもこの場所に近寄ることができないだろう。だが、ヴォルデモートは魔法使いだ。魔法を使って、登山家のように怯える孤児たちを連れて来た光景が瞼の裏に浮かんだ。

 

「サイコパスにゆかりのある場所ということは分かりましたが、あいつはどこに分霊箱を?

 どこかの岩にですか? それとも、あの荒波の下でしょうか?」

「どちらも不正解だ、フロイライン」

 

 グリンデルバルドは静かに言うと、杖先に明かりを灯した。

 そして、半分海に沈んでいるような危なっかしい大岩を足場に、先へ、先へと進んで行く。セレネは彼の背中を追いかけた。下の方の岩は海水で滑りやすく、冷たい波しぶきが顔を打つのを感じる。こんなところに連れてこられた孤児たちは、きっと怖かっただろうと、頭のどこかで遠い昔の出来事に思いを馳せた。

 

「さて、ここが入口だ」

 

 グリンデルバルドは崖に一番近い大岩に近づくと、杖先から放出した金色の玉を放り込む。それは照明弾のように黒い岩壁を照らし出した。崖の割れ目に、黒い海水が渦を巻きながら流れ込んでいくのが見える。

 

「洞窟?」

「左様。さて、ここから二つ選択肢がある。船で行くか、それとも泳いで進むか」

「前者以外、選びませんよ」

 

 セレネは苦笑いを浮かべた。

 今も顔に打ち付ける海水は氷のように冷たい。それに、セレネは水着を持っていなかった。マグルの学校で着衣泳をやったことはあったが、水を吸い込んだ服が錘のように体に巻き付き、なかなか思うように泳げなかったことを覚えている。

 

「普通はそうだ。だが、例えば、ダンブルドアなら用心を重ねて後者を選択するだろう。船除けの魔法がかかっていないか、警戒するあまりな」

 

 グリンデルバルドは面白そうに言うと、ポケットから玩具の船を取り出した。

 

「しかし、あいつのことだ。その手の魔法は、この場所にはかかっていない。『エンゴージオ‐肥大せよ』」

 

 玩具の船はあっという間に膨らみ始め、ちょうど二人ほどが乗れる大きさになった。

 

「船除けの魔法があるならば、『近寄って欲しくない物』があると公言していることと大差ない。そのような馬鹿をしないさ」

 

 グリンデルバルドはそう言いながら、岩から船に躊躇うことなく飛び降りた。器用に杖を操り、落下速度軽減の魔法とクッション魔法を並列して使っている。おかげで、彼は5メートルほど落下したにもかかわらず、髪の毛先ひとつ乱すことなく、優雅に船へと降り立った。セレネは軽く目を細め、グリンデルバルドを見下ろした。

 

「私、未成年だから、今は魔法を使えないんですよ」

 

 セレネは吐き捨てるように呟くと、眼下の船を一瞥する。

 グリンデルバルドが「とべ」とでも言うように、両手を広げて合図をしているが、目測でも5メートルはある。2階から飛び降りるのと大差ない。だが、もたもたしている時間はない。グリンデルバルドは手の先を動かし、跳ぶように促している。セレネは足に力を籠めると、川に飛び込むときのように、思いっきり岩を蹴って宙に跳び出した。

 風が耳元で鋭く過ぎる音が聞こえる。歯を食いしばり、衝撃を覚悟する。だが、思ったよりあっけなく、すっぽりと自分の体はグリンデルバルドの腕の中に収まっていた。

 

「さて、では出港だ」

 

 グリンデルバルドはセレネを降ろすと、船を動かした。船は音もたてず、洞窟の奥へと進んで行く。波も激しく、船はぐらぐらと揺れている。道もかなり狭まっていたが、船自身が道に合うように形を変化させながら進んでいた。

 

「でも、この短時間で、よくこの場所が分かりましたね」

 

 セレネは酔わないようになるべく遠くを見つめながら、同行者に話しかけた。

 

「ヴォルデモートも細心の注意を払って、隠し場所を決めたのだと思いますけど」

「私を誰だと思っているのかね、フロイライン?」

 

 グリンデルバルドは杖で船を操りながら、口の端を上げた。

 

「ヴォルデモートがしそうなことなぞ、手に取るようにわかる。きっと、ダンブルドアも思いついているだろうよ。もっとも、あいつは石橋を叩き過ぎて壊す男だ。まだ、ここに足すら運んでいないだろう。

 ――ほら、見てみろ。ヴォルデモートの華々しいメモリアルだ」

 

 グリンデルバルドが皮肉っぽく言うと、杖灯りが洞窟の岩を照らし出した。そこには、たしかに『トム・リドル 1938.8』と記されている。まるで、観光地に訪れた記念に落書きしているみたいである。事実、これは「自分はここまでやってきたぞ!」という記念に彫ったものに違いない。

 

「1938年といったら……蛇男がホグワーツに入学する前ですね」

 

 これが、もしホグワーツ入学後であれば、「トム・リドル」が「ヴォルデモート卿」になっていたかもしれない。若気の至りなのか、それとも、今もこの時の精神状態と大差ないのか。セレネには判断しかねた。

 

「ですが、ここで行き止まりですよ?」

 

 洞窟はここで行き止まり。

 三方はごつごつした岩壁で覆われている。グリンデルバルドは船から降りると、ダイアゴン横丁の入り口に通じる煉瓦に触れるように、こつこつ杖で岩を叩き始めた。

 

「ここは入り口だ。どこかに入り込む場所がある――ああ、ここだった」

 

 グリンデルバルドは杖でこんこんっと岩壁を叩いた。

 すると、アーチ形の輪郭線が現れ、隙間の向こうに強烈な光があるかのように、一瞬、白く光り輝いた。ところが、その輝きはすぐに収まり、何の変哲もない岩へと戻ってしまう。

 セレネとしては、その輝きよりも、同行者が口にした言葉に引っかかりを覚えた。

 

「……ここだった?」

 

 セレネはじろりと彼を見上げた。

 まるで、一度ここに来たことがあるかのような口ぶりである。

 

「うむ、言い忘れていたが、私は一度、ここに来ている」

 

 グリンデルバルドは悪びれもなく言った。銀の小刀を懐から取り出しながら、平然とした様子で壁を見上げている。

 

「私は君の助言者であり、従者だ。主人を危険な場所に連れて行くわけにはいかない。

 ところが、私一人では分霊箱の護りを破ることが難しそうでね。君が必要だったというわけだ」

「……つまり、私にこの入り口を破って欲しいと?」

 

 セレネは眼鏡に手を添える。

 直死の魔眼を使えば、この岩壁にかけられた魔法など簡単に壊せるだろう。しかし、グリンデルバルドは首を横に振った。

 

「こんな幼稚な仕掛けなら、私でも突破できる。君の出番は――」

 

 グリンデルバルドはナイフで自分の腕を切りつける。真っ赤な色が迸り、岩の表面に黒く光る血が点々と飛び散った。

 

「まだ先だ」

 

 彼は自分で腕に付けた傷を杖先でなぞりながら言った。杖でなぞると、傷はすっかり癒えていった。

 

「血を通行料として支払う必要がある。それだけの仕掛けだ」

 

 再び、岩肌に銀色のアーチが現れる。今度は消えず、輪郭の中の血痕のついた岩がさっと消え、そこから先は底なしの闇が続いていた。

 

「水に、足を入れないように注意した方がいい。では、行くとしよう」

 

 グリンデルバルドは歩き始める。

 セレネも船を降りると、彼の背中を追いかけた。

 

 洞窟の奥には、この世のものとは思えない光景が広がっていた。

 そこには、巨大な黒い湖があったのだ。向こうの岸が見えず、洞穴も天井が見えないほど高い。遠く湖の真ん中と思しきあたりに、緑色に霞んだ光が見える。なんとなく、死の呪いの光と似ている気がして、嫌な気持ちが沸き上がってきた。

 

「あの光の場所に、分霊箱があるのでしょうか?」

 

 セレネは不快な光を睨みつけながら尋ねる。

 

「無論、そうだろう」

「では、先程の船を――」

「あれでは駄目だ。ルール違反になる」

 

 グリンデルバルドは首を横に振ると、足元に転がっていた手頃な石を手に取った。

 

「ルール違反?」

「番人の怒りを買うということだ」

 

 彼は静かに答えると、思いっきり腕を引き、石を遠くへ放り投げた。もちろん、緑色の光のところまで届くはずがなかったが、静かな湖面に落ちる直前、爆発音のような音と共に、なにか大きくて青白いものが水の中から噴き出した。セレネが見定める間もなく、それは恐ろしい水音を上げ、鏡のような湖面に大きな波紋を残して、再び水の中に消えていった。

 

「あれは……!?」

 

 セレネの脳内に、ありとあらゆる水中生物が渦巻いていた。

 ケルピー、大イカ、大海蛇、水中人、水魔、河童……。だがしかし、先程現れたあれは、いずれにも該当しない。

 

「亡者だろうな。死者の軍隊が、湖の下にうごめいている。悪趣味なことだ。自分の魂の入れ物を亡者に守らせるとは」

 

 グリンデルバルドは不快そうに言い放つ。

 

「さて、セレネ。君がヴォルデモート卿ならどうする? 亡者に襲われることなく、大切な分霊箱の様子を確かめるなら、なにをすればいい?」

「私でしたら……」

 

 セレネは口元に指を添え、考え込む。

 サイコパスの思考になどなりたくないが、今はそうこう言っている場合ではない。

 普通に考えれば、呼び寄せ呪文で分霊箱を持ってくる――のだが、おそらく、それを妨害する呪文がかかっていそうだ。それを外す手間、またかけ直す手間を考えれば、その方法はとらない。

 そうなると、自分から分霊箱の元まで出向くしかない。

 ただし、湖には亡者なる輩がうごめいている。セレネは亡者に関する知識が薄いが、グリンデルバルドの反応からして、亡者に対して賢い命令はできないのだろう。きっと、あの死人たちは敵も味方も見境なく、自分たちの領分を刺激された時点で襲いかかってくるのだろう。

 

 そうなると、亡者を刺激せず、分霊箱の元まで行く手段を確保しなければならない。

 分霊箱の元まで行く手段を一つに限定し、亡者たちにそれ以外の方法で分霊箱を盗ろうとする輩を襲うように命令しておく――それが、妥当なところだろう。

 

 では、その方法は?

 

「……特殊な箒。もしくは、専用の小舟でしょうか?」

「そうだ。そして、答えは後者だ」

 

 グリンデルバルドが杖を湖に向け、釣りでもするように掲げ上げる。すると、湖面から鎖が伸びあがってきた。グリンデルバルドは片方の手で軽々と鎖をつかむと、軽く鎖を叩いた。鎖はじゃらじゃらと音を立てながら、蛇のように滑り出した。鎖はひとりでに岩の上にとぐろを巻き、黒い水の深みから小舟を引きずり出した。

 

「分霊箱の主が渡るためだけに用意された船だよ。さあ、乗り給え」

「……大丈夫ですか、本当に?」

 

 セレネは訝しむように小舟を見る。

 本当に小さな船で、2人乗ると沈むのではないかと思ってしまうほど狭そうだ。すると、グリンデルバルドは高らかに笑った。

 

「そこがあいつの愚かなところよ。

 言っただろう、これはヴォルデモートが渡るためだけに用意された船だ。つまり、この船には1度に1人の魔法使いしか乗れないように魔法をかけられている」

「では――」

「だが、お前は数に入らない。なぜなら、まだ未成年だからだ。

 ヴォルデモートは、まさか成人前の魔法使いが乗るとは思っていないだろう」

 

 その言葉の通り、セレネが乗っても船は沈まず、ゆっくりと湖面を滑るように移動し始めた。

 2人乗ると随分窮屈で、ゆったり座ることなど夢のまた夢だった。舳先が水を割る音以外は、なにも聞こえない。セレネはできる限り、湖の中は見ないようにした。

 

「ところで、フロイライン。君は箒には乗らないのかね?」

 

 ふと、グリンデルバルドが話しかけてくる。

 こんなときに何を聞いてくるのだろうか。セレネは小さく肩をすくめた。

 

「乗りません。もちろん、飛行訓練で習った程度には乗れますが」

「ふむ、それは何故かね」

「別に、乗る意味がないからです」

 

 セレネは正直に答えた。

 

「私は、クィディッチの選手ではありませんから」

「だが、箒を使うメリットは本当にそれだけか? スポーツのためだけに箒は使うのか?」

「……それは……」

 

 セレネは彼から顔を背ける。

 以前、セストラルで空を飛んだとき、思っていたような恐怖はなかった。きっと、箒で空を飛んでも、1年時に感じたような押し潰されそうな恐怖は感じないだろう。

 

「そろそろ、箒を使うメリットを考え直した方がいい。

 ――そろそろ着くぞ」

 

 かたん、と何かに当たって船が停止する。

 グリンデルバルドの杖灯りに照らされたのは、滑らかな岩でできた小島だった。

 小島はせいぜい、スネイプの執務室ほどの大きさしかない。平らな黒い石の上に立っているのは、あの緑がかった光の源だけだった。近くで見るとずっとずっと明るくて、怪しげに輝いている。セレネが目を細めて見ると、最初はランプの灯りかと思ったが、光はむしろ石造りの水盆から発していた。水盆は台座の上に置かれている。

 

「ああ、これこそが君の役目だ」

 

 グリンデルバルドが台座に近づき、水盆を覗き込む。

 セレネも覗き込むと、中には燐光を発するエメラルド色の液体で満たされていた。

 

「この液体は……?」

「最も分かりやすい言葉で表すなら、苦しみしか与えない麻薬だ」

 

 グリンデルバルドはにやりと笑うと、傍に置かれたクリスタルのゴブレットをつかんだ。

 

「この液体を飲み干さなければ、水盆の底にあるモノを見ることも取ることもできない」

 

 グリンデルバルドは水盆から液体をすくった。

 

「ですが、それでしたら、ヴォルデモートもこの危険な液体を飲まなければならないのでは?」

「液体を飲み干す必要に迫られたら、解毒薬を事前に飲めばいいだけの話だ。だが、我々には解毒薬を用意することはできない。一度試してみたが、この液体は――」

 

 グリンデルバルドが話している間にも、ゴブレットに注がれた液体は減ってきていた。反対に、水盆の液体の量が増え始めている。ゴブレットの液体が全てなくなる頃には、すっかり液体の量は元に戻ってしまっていた。

 

「このように、長くとどめておくことができない。これでは、成分を解析することすら敵わない。もっとも、どのような液体か、効能から推測することはできる」

「……まさか、飲んだのですか?」

「一滴で地獄に叩き落とされる快感があった」

 

 グリンデルバルドは断言する。

 数々の死線を潜り抜けてきた最悪の魔法使いに、ここまで言わせる劇薬だ。セレネはつばを飲み込むと、再び液体に視線を戻した。

 

「似たような薬を作ることは可能だ。だが、あくまで似た薬だ。これと同じものを作るのは難しく、当然解毒薬も作れない」

「……つまり、飲むしかない」

 

 水盆の大きさから、軽く見積もっただけで十杯分。

 一滴で地獄に落とされるような劇薬を、十杯飲み干さなければならない。

 

 そして、セレネは――

 

「では、その毒の成分を殺せばいいんですね」

 

 にやりと笑った。

 眼鏡を外し、青々と輝く魔眼を開く。エメラルド色の水盆を見下せば、想像を絶するほどの線が複雑に絡み合っている。正直、見ているだけで劇薬の不快さを感じ取れるような気持ち悪さが込み上げてきた。

 

「どうだ、フロイライン? 殺れるか?」

「当然ですよ」

 

 グリンデルバルドから銀のナイフを受け取ると、セレネは液体にその切っ先を落とす。

 水面で揺れる線を捉えるのは至難の業だったが、集中すればできなくはない。自分の喉元を貫き破らない程度に、ナイフを突き立て続けるのと大差ないくらい簡単だ。

 セレネは額から汗を滲ませながら、液体を解体していく。額から滲む汗が眉を伝い、液体に落ちて消えていく。このような複雑な解体は、ゴーントの家にあった指輪の入った箱を解体した時以来だ。

 さすが、ヴォルデモートの魔法だ。非常に憎たらしく、素晴らしいほどに複雑極まる。けれど、これがヴォルデモートの魔法でそれを打ち壊しているのだと思うと、心が踊り、口元が笑うのが抑えられない。

 

「これで、終わりです!」

 

 セレネが最後の一本を殺し終わった時、しん、と辺りは静まり返った。

 これで、ただの水である。毒成分の欠片も存在していない、純粋な水だ。

 

「味見をしてもよろしいかな、フロイライン?」

「ええ、どうぞ」

 

 セレネがその場に座り込みながら答えると、グリンデルバルドは躊躇うことなく水盆から水をすくった。

 

「では、遠慮なく」

 

 グリンデルバルドはゴブレットを飲み干した。セレネは肩で息をしながら、その様子を見守った。

 

「なるほど。確かにただの水だ。これなら、全部飲み干すことができるだろう」

 

 グリンデルバルドは愉快そうに微笑んだ。

 

「君はそこで休んでいるといい。あとは私の役目だ」

 

 愉快そうな口元を崩すことなく、グリンデルバルドは液体を飲みきった。

 もちろん、水なので体調を崩すことも、苦しむこともない。やがて、彼は水盆の奥底から何か取り出した。

 

「ロケットだ」

 

 そう言いながら、彼はセレネの掌に乗せた。

 いかにも高価そうなロケットだ。金の鎖に黒々と輝く宝石が一つ、大きくついている。セレネが中を開けると、肖像画が入っているはずの場所に、羊皮紙の切れ端が押し込んであった。

 

「これは……」

 

 セレネは慎重に取り出し、広げてみる。

 羊皮紙には何の魔力も感じられなかった。ただ、短く、走り書きがしてある。セレネは立ち上がると、グリンデルバルドの杖灯りに照らして、それを読んだ。

 

「『闇の帝王へ。これを読むころには、私はもう死んでいるでしょう。

 本当の分霊箱は、私が盗みました。できるだけ早く破壊するつもりです。

 死に直面する私が望むのは、あなたが手ごわい相手に見えたその時に、もう一度、死ぬべき存在になることです。

 ……R.A.B』。

 つまり、これは……偽物?」

「傑作だな」

 

 グリンデルバルドも羊皮紙を一瞥すると、怪訝そうな顔になった。

 

「知ってますか、この人物?」

「いや、分からない。だが、それ相応の財力の持ち主だ。そのロケットだけでも、かなり価値あるものだ。

 だが、まずは、ここから出よう。もう、この場所には用がない」

 

 グリンデルバルドはきっぱり言い放つと、空になった水盆に杖を向けた。そして、再びエメラルドの液体で満たし始める。

 

「あの劇薬は調合できないのでは?」

「似たような劇薬だ。つまるところ、ただの嫌がらせだ」

「……なるほど、理解しました」

 

 セレネもにたりと笑った。

 もし、ヴォルデモートがこの場所を訪れ、分霊箱を確かめようとしたとき――せっかく解毒薬を飲んだのにもかかわらず効果がなく、悶え苦しむことになるだろう。

 

「それで、このロケットはどうします?」

「君が持つといい。何かの役に立つかもしれん。では、帰還するとしよう」

 

 グリンデルバルドは再び船に乗り込んだ。セレネもその後に続く。

 

 

 暗い水面を滑りながら、セレネはR.A.Bに付いて考え込んだ。 

 一人だけ、思い当たる人物がいる。

 

 ルドビッチ・バグマン。

 通称、ルード・バグマン。

 

 元有名クィディッチ選手の魔法省の役人で、三校対抗試合の審査員であり司会者だ。

 陽気にゲームの進行をしていたが、やけにセレネやハリーに肩入れしたがり、不正を働こうとしていた。その意図は当時分からなかったが、新聞によれば、賭け事をやり過ぎて借金が重なり、魔法省を逃げ出したとのことだ。

 

 だが、バグマンが命がけでヴォルデモートに歯向かう理由が分からない。

 

「R.A.B……一体、誰なのでしょうか?」

 

 セレネはロケットをポケットに滑り込ませながら、そっと呟いた。

 

 ヴォルデモートに関わりがあり、分霊箱の存在を知るほどの知識があり、そして、このような代わりのロケットを用意できるほどの財力がある人物――そんな人間、あまりいない。少なくとも、かなり絞られてくる。

 

 だから、すぐに見つけられるはずだ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、やはりというべきか。

 R.A.B探しには、あまり進展がなかった。

 

 手持ちの文献、書類を探ってみたが、まったく該当者が見当たらない。

 グリンデルバルドはグリンデルバルドで、次の分霊箱の在りかを探している、らしい。彼はそこまで偽物ロケットの所有者を気にしていないそうだ。

 

「はぁ……完全に手詰まりね」

 

 セレネはテーブルの上に両手を投げ出すと、リモコンのボタンを押す。

 リビングのテレビは軽い音を立てた後、ニュースの画面を映し出した。英国の首相がどこぞの教育施設を訪問したらしい。セレネがぼんやり眺めていると、頭上からほうっと息を吐く声が聞こえてきた。

 

「どうしたのですか、リータ。あなたがマグルのニュースに興味を持つなんて」

「持ってなんぞいないざんすよ」

 

 リータ・スキーターは、憤慨したように呟いた。

 

「首相の後ろに闇払いの男がいたのが気になったざんす」

「あー、なるほど」

 

 確かに首相の背後には、魔法省で見た騎士団の魔法使いがいた。もちろん、完璧にスーツを着こなしている。彼が魔法使いだなんて、誰も夢にも思うまい。

 

「それより、リータ。あなたは、まだ守護霊の呪文ができないのですか?」

 

 セレネは椅子にもたれかかり、チャンネルを変えながら口にする。

 

「最も幸福なことを思い浮かべば、すぐにすみますよ。ノーマン……昨年度1年生の男の子ですら、できた呪文ですよ?」

「それは、そいつが優秀なだけざんす!」

 

 リータも隣の席に座ると、うんざりしたように片肘をついた。

 

「そう簡単に上手くいかないものざんすよ!? 特に大人はいろいろと事情が込み入っているざんす!」

「でも、この連絡方法が上手くいかないと、緊急時に困りますよ。本当にお願いしますね、最近は特に物騒なんですから」

 

 日刊預言者新聞によれば、魔法執行部部長のアメリア・ボーンズと不死鳥の騎士団のエメリーン・バンスがヴォルデモート自身の手によって殺害されたらしい。

 他にも数件、死喰い人の手による殺人事件が相次いでいる。オリバンダーのように拉致事件も多発しているし、いつ最愛の義父の命が狙われてもおかしくない。だから、これまで同様かそれ以上に、リータにはしっかり護衛として働いて欲しかった。

 

「ご安心を! あっしも本を書き上げるのに忙しくて、家を空けられないざんすからね!」

「ダンブルドアの伝記でしたっけ?」

「新たな視点で切り込んだ伝記ざんす。きっと、ベストセラーになるざんしょ」

 

 リータが含み笑いをしていると、リビングのドアが開いた。

 

「セレネ、そろそろ時間じゃないかい?」

 

 義父が明るい笑顔で呼んでくれた。

 

 今日は9月1日。

 ホグワーツへ出発する日である。

 

「今行きます。それでは、リータ。後は頼みましたよ」 

「リータさん、留守番お願いするね。なにか食べたいものはあるかな?」

 

 セレネの言葉に続くように、クイールがリータに話しかける。 

 リータはむすっとした表情になると、軽く手を振りながら

 

「別に。あんたの食べたいものなら、なんでも構わないざんす」

 

 とだけ言った。

 セレネは思わず眉をひそめる。義父に対して、随分と失礼な態度である。そのことを注意しようと口を開きかけたとき、義父はとんとんとセレネの肩を軽く叩いた。

 

「わかったよ。じゃあ、君の好きなエールパイを買って帰るよ」

「だから、あんたの食べたい物を買ってくるざんすよ!!」

 

 リータが少し怒ったように言い返していたが、義父は笑顔で手を振りながら扉を閉める。

 

「お父さん、あの人に甘くしなくていいですよ」

 

 セレネはトランクを車に詰め込みながら言った。

 

「居候なんですから」

「でも、セレネの友だちだろ? それに、よく家事をしてくれるんだ。彼女、ああ見えて、意外とマメなんだよ」

 

 義父は微笑みながら車に乗り込む。セレネも助手席に乗り込んだが、どうにも腑に落ちない。けばけばしいマスゴミ女が家事をしている様子なんて、全く思い浮かばなかった。いや、一応、セレネが夏休みで帰ってきている間は、こまめに掃除や食事の支度をやっていたが、主人がいない間もやっているとは思えない。もしかしたら、リータは義父に錯乱呪文をかけているのではいだろうか?

 念のため、服従の縛りを多くしておいた方がいいかもしれない。

 

「でも、セレネとまたクリスマスまで会えないなんて、寂しいよ」

 

 義父はハンドルを回しながら話しかけてきた。

 

「セレネは今年のクリスマス、どこに行きたい? 去年は日本だったよね?」

「そうですね……フランスに行きたいかもしれません」

 

 フランスにまで、ヴォルデモートの手は及んでいない。

 いざとなったら、ニコラス・フラメルの家へ逃げ込めば、安全を確保することができる。

 

「フランスか……いいね、ノートルダム大聖堂とか行ってみたいな」

「モンサンミッシェルとかもいいですよね」

 

 セレネは父に合わせ、フランスの名所をいくつか挙げる。

 

「いつか、本場でワインも飲んでみたいです」

「そういえば、セレネは11月で17歳か。魔法使いの成人年齢なんだよね?」

「浮かれてはいられませんよ。今年は、義務教育修了試験がありますから」

 

 セレネは苦笑いを浮かべた。

 義務教育修了試験はマグルのOWL試験だ。義父のためにもマグル界で働くことも念頭に入れている以上、絶対にパスしたい試験である。いくら魔法使いの成人年齢になるとはいえ、浮かれてはいられない。

 

「それでも、ちゃんと成人のお祝いをしないとね。誕生日のパーティーはクリスマス休暇で帰って来てからやるとして、成人のプレゼントは何が欲しい?」

「おおげさですよ、お父さん」

 

 セレネは恥ずかしそうに頬を赤らめると、少し身を縮めた。

 

「その、こっちでの成人は来年ですから」

「ははは、確かにそうだね。じゃあ、来年に鍵型のネックレスをプレゼントするよ」

 

 義父は楽しそうに笑った。

 魔法界ではどうだか知らないが、イギリスのマグルは成人――すなわち18歳の誕生日を迎えると、親から鍵型のカードやアクセサリーが贈られる。鍵には「これからは、門限はない。いつ帰ってきてもいいし、どこへ行ってもいい。あなたの人生だ」という意味合いが込められているらしい。

 

「セレネには、あまり派手なアクセサリーは似合わないね。シンプルなものをオーダーするとして……」

「だから、今から考えなくていいですよ。来年の話ですから」

「ごめんね。でもさ、嬉しくて。あんなに小っちゃかったセレネが、もうすぐ成人だなんて……本当、メアリーにも見せてやりたかったよ」

 

 義父の顔に悲し気な影が、一瞬横切った。

 セレネも少し顔を俯かせる。

 メアリー・スタインはセレネが成人しても、きっと喜ばない。実の子ではないし、せいぜい貴重なサンプルデータ程度にしか思わないだろう。だが、そのようなこと、義父に言えるわけがなかった。

 

「いつか、成人して、就職して、結婚して……はぁ、嫌だな。いつか、セレネが見知らぬ男のところに嫁ぐ日が来るなんて」

 

 義父は大げさに項垂れてみせる。セレネは少し話題が逸れたことに安堵しながら、これまた大げさに肩を落としてみせた。

 

「私、簡単に嫁ぎませんからご安心を。第一、私を彼女にしたいなんて、そんな稀有なことを考える人は……そうそういませんよ」

「いやいや、セレネ。君は可愛いんだから、もっと用心しないと! 何度も言っているけど、男は狼だから気をつけないといけないんだぞ!? きっと、すぐ近くに、セレネを狙っている奴が潜んでいても不思議じゃないんだ!」

「だから、大丈夫ですよ。お父さんは気にしすぎです。

 それに結婚なんて、ずっと未来の話ですよ」

 

 セレネは呆れたような口調で断言した。

 いずれ、義父には孫の顔を見せたいと思っているが、いまはそのようなこと考えられない。そもそも、ヴォルデモートを処理して、平和な世の中になってからでないと、彼氏を作ることすら考えられそうになかった。

 

「……そう、ずっと先のことです」

 

 セレネはそう言いながら、窓の外に目を向けた。

 空を見上げても、青空なんて欠片も視えない。どこまでも濃い霧が頭上を支配している。それは、ロンドンに入ってからも続いていた。

 キングズ・クロス駅に着くと、セレネは9と4分の3番線を目指した。

 ちらほら、フクロウをカートに乗せた一家とすれ違う。マグルの服装に身を包んでいる者もいれば、派手なローブに身を包んでいる一家も見かけた。

 だが、どの一家もセレネたちとすれ違ったとき、ひそひそと額を寄せ合っていた。興味深そうにこちらを見てくる。中には、うっとりとした憧れを越した視線を送ってくる者もいた。

 

「……セレネ、どうしたんだい? 君は学校で何かしたのかな?」

 

 これには、義父も異変に気づいたらしい。

 目付きが険しくなり、セレネを庇うように歩き始める。セレネは明後日の方向を見ながら、渋々答えることにした。

 

「えっと、おそらくですけど、昨年度の末に悪い魔女を倒しまして、そのことが新聞に載ったのです」

 

 ヴォルデモートの片腕 ベラトリックス・レストレンジを倒した少女。

 記事としては、ヴォルデモート復活のことやハリー・ポッターが「選ばれし者」などという眉唾物の噂の方が大きく取り上げられていたが、セレネのことも「ベラトリックスを打ち破った勇敢な少女」として、それなりに派手に取り上げられていた。

 

「セレネ、悪い魔女を倒したなんて……君はなんて危ないことを!!」

 

 もちろん、義父に行動が褒められるわけがない。

 案の定、悪い魔女に立ち向かうなんて危ないことをしてはいけません、というお説教が始まった。この説教はセレネたちが4分の3番線の壁を通り抜け、紅色のホグワーツ特急の前に付くまで続いた。

 

「セレネ! こっち、こっち!!」

 

 ダフネ・グリーングラスが車窓から顔を出している。

 セレネは一旦、義父と別れると、トランクを彼女のいるコンパートメントまで運んだ。

 コンパートメントには、ダフネの他に妹のアステリアやセオドール・ノットの姿があった。

 

「久しぶり、セレネ! 元気だった?」

「ええ、おかげさまで。……ミリセントの姿が見当たりませんけど?」

 

 セレネが言うと、ダフネの顔色が少し曇った。

 

「うーん……それが、ちょっと色々あってね……」

「詳しい話は後だ」

 

 ダフネが言葉を言い淀んでいると、セオドールが口を挟んできた。

 

「それより、お前は監督生だろ? 先頭車両に行った方がいいんじゃないか?」

「そうですね。すみませんが、荷物をお願いします」

 

 セレネはトランクを荷台に押し込むと、コンパートメントを出た。

 監督生は先頭の特別車両に集まらなければならないのだ。だが、そこに行く前に、セレネは義父の元へいったん戻った。時計を見ると、発車時刻まで2分を切っている。汽笛がいつ鳴っても不思議ではない。

 

「セレネ、友だちと会えたかい?」

 

 義父はセレネを見つけると、嬉しそうに微笑んだ。

 セレネは義父のところに駆け寄り、彼の手が届く手前で足を止めた。周囲を見渡せば、別れのハグをしている家族が多い。見れば、義父も少し手を広げているように見える。けれど、自分は本当に彼の腕に飛び込んでいいのか。セレネは少し悩んでしまった。

 義父は困ったように笑うと、一歩、こちらに近寄って来る。

 

「セレネ」

 

 義父は優しくセレネを抱きしめてくれた。

 

「気をつけてね。クリスマスには必ず帰って来るんだよ、待ってるから」

「……はい」

 

 セレネが答えると、彼は優しく背中を叩いた。 

 ちょうどその時、汽笛が鳴った。ぱっと腕が離れ、セレネも汽車に飛び乗った。ドアを閉め、窓越しに義父を見つめる。

 

「いってきます、お父さん」

 

 セレネが思いっきり手を振ると、義父も手を振り返してくれた。

 汽車が速度を増し、角を曲がる。セレネは義父が見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。

 

「さてと、行きますか」

 

 セレネは特別車両に向けて歩き始める。

 道中、じろじろとすれ違いざまに見てくる生徒が多くいたが、完全に無視することにした。特別車両に入ると、監督生は殆ど集まっているらしく、監督生の仕事の説明が始まっていた。

 セレネはスリザリン生が多く集まっている場所に近づくと、親衛隊の監督生たちが席を空けてくれた。セレネは彼らに軽く会釈をしながら腰を下ろし、ふと――もう一人の監督生、ドラコ・マルフォイの姿がないことに気づいた。

 

 マルフォイの姿が見えないなんて、これは珍しい。権力を振りかざすことが好きな男子学生は、結局――解散の時間になるまで、一度も姿を見せなかった。

 

 これは、どういうことなのだろう?

 

 セレネは疑問を抱きながら、車両の見回りを始める。

 

「やあ、久しぶりだね」

 

 セレネが監督生車両を出て、数歩歩き始めた直後だった。前から気取った声で話しかけられる。そこにいたのは、ハッフルパフのザカリアス・スミスだった。

 正直、この男子学生のことはあまり好きになれない。

 DAで一緒だったが、それ以前に、クリスマスのダンスパーティーに申し込まれた時の態度が最悪だった。あの時の悪印象をいまだに引きずっている。

 

「久しぶりですね。それでは、私は車両の見回りがありますので」

 

 セレネは冷たく言うと、立ち止まりもせずに歩き続けた。

 

「おいおい、待てよ。待てったら、セレネ」

 

 ところが、ザカリアス・スミスは後ろから追いかけてくる。

 

「セレネはさ、ベラトリックス・レストレンジを倒したって本当なのか? 例のあの人を間近で見たとか、他にも多くの死喰い人と戦ったとか?」

「すみません、いま私は監督生の仕事中ですので」

 

 セレネは振り返らずに答える。

 つまるところ、彼は単なる野次馬だ。新聞以上の情報が知りたいと、当事者から聞き出そうとしているだけに過ぎない。正直、あまり彼と長く語り合いたくなかったし、一緒の空間にいたくなかった。だから、無視こそしていなかったが、歩みは止めることなく、最低限の発言だけを返すことにする。

 

「なあ、いいだろ? 僕たちは友達じゃないか」

「友達になった覚えはありません」

「DAの仲間だろ? なぁ、神秘部で何があったんだよ? 魔法省にどうやって侵入したんだ? おい、僕の方を見ろよ、見ろったら!!

 『アクシオ‐眼鏡よ来い』!!」

 

 ザカリアス・スミスは杖を取り出すと、呼び寄せ呪文を唱えた。

 セレネの魔眼殺しが空に浮き、スミスの手の中に収まる。そこで、セレネはようやく足を止めた。振り返ると、スミスが得意そうな顔をしている。

 

「ほら、どうだ! 眼鏡を返してほしかったら、話、を……」

 

 しかしながら、スミスの得意げな表情はセレネの顔を見ると氷のように固まった。

 

「な、なんだよ、その眼!」

「眼鏡、返してくれます?」

 

 セレネが声に威圧感を込めながら、スミスの右手にある眼鏡を指差した。

 スミスは震えあがると、なにやら口ごもりながらセレネに眼鏡を押し付け、逃げ去っていった。

 

「まったく……」

 

 セレネは眼鏡を軽く拭くと、再び眼鏡をかける。

 スミスのせいで、何の心づもりもなく魔眼を通した世界――すなわち、死の線で溢れている世界を見てしまった。きっと、振り返った時、スミスが見た自分の表情は、かなり険しい物だったに違いない。

 

 そんなことを考えていると、ふと――誰かが自分に視線を向けていることに気づいた。

 セレネが視線の方へ目を向けると、そこには小太りの老人が立っていた。てかてかとした禿げ頭と銀色の口髭が特徴的で、服のボタン一つ一つが金色で輝いている。

 

「君……いやはや、驚いた。もしかして、その眼鏡は魔眼殺しかい?」

 

 老人は感心したようにセレネを見つめてきた。

 

「ええ、まあ」

「驚いたわい。ちなみに、どのような魔眼を持っているのか教えてもらえないか?

 千里眼か? それとも、魅了の魔眼……はないな。あの少年の態度からして、それはない。ならば、感情視の魔眼か、それとも、遷延の魔眼か?」

 

 老人はセレネを観察するかのように、のっそり、のっそりと近寄って来る。セレネは警戒心を強め、眼鏡越しに軽く睨んだ。

 この車内で大人を見かけたことは、車掌と車内販売の魔女、その他は新任教師だったリーマス・ルーピンしかいない。つまり、この老人こそ「闇の魔術に対する防衛術」の新しい教師になるのだが、この学科の教師は変わり者が多い。むしろ、変わり者しかいない。

 

 1年生の時は、後頭部にヴォルデモートを寄生させた男。

 2年生の時は、ナルシストの詐欺師。

 3年生の時は、唯一の人格者だが狼人間。

 4年生の時は、狂った最高峰の元闇払い……の変装をした死喰い人。

 そして、5年生の時は、魔法省のガマガエルだ。

 

 このセイウチのような老人も、どこか変わり癖があるに違いない。

 セレネが身体を強張らせていると、老人はおかしそうにくすくすと笑った。

 

「そう警戒するな、怪しい者ではないよ。まあ、魔眼が狙われていると警戒するのも無理はない。魔眼殺しを必要とするとなれば、さぞ珍しく強力な魔眼なのだろうからな」

 

 老人はそう言うと、セレネに右手を伸ばしてきた。

 ビロードに覆われた腹をせり出しながら、嬉しそうに微笑んでいる。

 

 

「私はホラス・スラグホーン。この度、復帰することになった魔法薬学の教師だよ。

 君さえ良ければ、私の開催する昼食会に参加してもらえれば、大変嬉しいのだが――どうかね?」

 

 

 

 

 

 

 

 





R.A.Bの正体とか、初見で分かった人がいたのでしょうか。
私は絶対にバグマンだと思っていました。4巻で死喰い人の裁判にかけられていましたし、博打に金を費やしているのではなく、分霊箱の偽物を買うために金を集めていたのだと思っていました。

……まあ、当時中学生の私は、完全に筋違いの解釈をしていたわけですが。



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