スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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59話 それは、人間らしく

 5年生になると、各寮から男女1人ずつ監督生が選ばれる。

 監督生の仕事は、寮の規律を監督すること、1年生が学校に慣れるまで手助けすること、そして、ホグワーツ特急の見回り。だいたいこのくらいだ。

 セレネは緑に銀字で「P」と刻まれた監督生バッジを身に着けると、監督生が集められる車両――1番前の特別車両に向かった。

 トランクの類は、すでにダフネ・グリーングラスのコンパートメントに置かせてもらっている。

 こういうとき、友人がいると実に便利である。

 

「セレネ、やっぱりバッジを貰ったのね」

 

 車両に入ると、ハーマイオニーが少し嬉しそうな声で迎えてくれた。彼女の胸にもグリフィンドールカラー、つまり赤と金のバッジが輝いている。

 

「スリザリンでそのバッジを貰うのは、貴方しかいないと思っていたのよ」

「大袈裟ですよ、ハーマイオニー」

 

 セレネは謙遜したが、実のところ彼女と同じ考えであった。

 学年随一の成績、表向きの生活態度、三校対抗試合に出場し勝ち進んだこと、そのすべてを考えても、自分以外の誰かが監督生に選出されるなど考えたこともなかった。

 まかり間違って、例えばパンジー・パーキンソンが監督生に選出されていようものなら、ダンブルドアと寮監に抗議のフクロウを送っていたことだろう。

 

「それで、ハリー・ポッターはどこですか?」

「あー……うん、ハリーはね」

「おい、お前。ハリーに何を吹き込んだんだ!?」

 

 ハーマイオニーが答える前に、怒鳴り声が横から飛んできた。ロン・ウィーズリーだ。彼は赤い髪の毛と同じくらい顔を真っ赤にさせて、こちらを睨んできている。

 

「ハリーは、お前のことばかり話すんだ。お前の方が僕たちよりずっと気持ちを分かってくれているとか、あの人のことをいろいろ教えてくれたとか!!」

「……そうですか、ハリーがそんなことを……」

 

 そう言いながら、どうしてロン・ウィーズリーが特別車両にいるのか考える。  

 だが――ここにいる以上、答えは明白だ。彼の胸にもハーマイオニーと同じ新品のバッジが光っている。

 

 つまり、ハリー・ポッターは監督生になれなかった。

 これは意外である。ハリーの方がウィーズリーより優れている印象があった。確かにハリーは学校の規則を遵守しているとはいえず、模範生ではなかったが、ウィーズリーも同じである。ではどうして、ウィーズリーが選ばれたのか。正直、ウィーズリーを選出するくらいなら、成績はとんとんで問題を起こしていないディーン・トーマスを選ぶのが筋である。

 

 セレネはダンブルドアの意図が分からなかった。

 ただ、ここでいさかいを起こすのは賢明ではない。セレネは素直に頭を下げた。

 

「申し訳ありません。ですが、心当たりがあまりなくて……確かに、ハリーとは休暇中に会いましたが、ちょっとおしゃべりしただけです。

 もし、ウィーズリーが私とハリーが話すことを嫌うのでしたら、もう彼とは話しませんけど……」

「ああ、そうして――」

「違うわ、セレネ! ロンはそこまで言っていないの」

 

 ハーマイオニーがロンの口を塞ぎながら早口で話しかけてくる。

 

「ただ、自分よりセレネを信用しているみたいだったから拗ねているだけなの。だから、気にしなくていいわ」

「――!?――――!!」

 

 ハーマイオニーは抵抗するロンを連れて、グリフィンドール生が集まる席に進んで行った。

 セレネもスリザリン生が集まる席に移動することにした。

 途中、レイブンクローの新監督生 パドマ・パチルとアンソニー・ゴールドスタインとすれ違う。アンソニーとは軽く会釈をした。彼はダフネ・グリーングラスの彼氏なのだ。その関係もあり、たまにすれ違って話す程度には仲が良かった。パドマ・パチルも会釈をする。

 次にすれ違ったのは、ハッフルパフの新監督生。ハンナ・アボットとアーニー・マクミランだ。アーニーはセレネのことをいまだに良く思っていないらしい。セレネが近づくと、あからさまに身体を反らした。

 

「ごめんなさい、ゴーントさん」

 

 それに対し、ハンナ・アボットは申し訳なさそうに肩を落とした。

 

「アーニーは貴方が卑怯な手を使わないと分かっているのだけど、なかなか認められないの」

「ハンナ、それは違う」

 

 こほんと、マクミランが咳払いをした。

 

「僕は彼女がジャスティンに対し、彼の気持ちを弄ぶようなことを――」

「はいはい、分かったから。ともかく、そういうことなの。大目に見てもらえると嬉しいわ」

「ええ、分かりました」

「ありがとう」

 

 ハンナは嬉しそうに微笑むと、少しだけ耳元に顔を近づけてきた。

 

「だから、ジャスティンと少し話してあげて。彼、とっても反省しているから」

 

 ハンナ・アボットは口早に言うと、マクミランの元に戻って行った。セレネは彼らが話しているのを横目で見ながら、スリザリン生の集まる席に向かう。

 

「やあ、セレネ」

 

 そこには、ドラコ・マルフォイがいた。

 これは、ウィーズリーより理解できる人選である。男子の監督生は、彼かセオドール・ノットだと思っていた。クラッブやゴイルが選ばれる事態は天地がひっくり返ってもありえないし、ザビニ・ブレーズは可もなく不可もなくといった成績だ。それに、彼のスリザリン内に対する影響力は、マルフォイやノットの足元にも及ばない。

 

「僕が選ばれることは当然として、君もポッターのように選ばれないかと思ったよ」

「予想が外れて残念でしたね」

 

 セレネは、彼の隣しか空いていなかったのでそこに座る。

 ちょうどセレネが席に着いたとき、主席が監督生としての心構えを説明を始めた。それを聞いているふりをしながら、頭の中でこれからすべきことに思いを馳せた。

 そのうちに、長い話が終わった。監督生はそれぞれ、列車の見回りのために立ち去っていく。

 

「そうだ、セレネ。父上から伝言を預かってる」

 

 セレネも立ち上がりかけたとき、マルフォイが嘲笑うように口を開いた。

 

「『傘下に加わることを、いつでも歓迎する』とね。まったく、半人間の君に何を望んでいるのか分からないよ」

 

 マルフォイは最後のところを強調した。やはり、父親からセレネの出生について聞かされていたのだ。だが、この程度で心を荒げるほど子どもではない。

 だから、セレネはにっこりと笑いながら答えた。

 

「では、お父さまにお伝えくださいね。『私は毛根の死滅した蛇男よりも、ずっと人間だ』と」

 

 その言葉を聞くと、マルフォイの顔がさあっと蒼くなった。

 そんなマルフォイを鼻で笑うと、彼を残して見回りに出た。

 

 いまのは、完全にヴォルデモートを敵に回す言い方だが、別に後悔なんてない。そもそも、あいつは敵である。いずれ、この手で滅する相手だ。

 

 もちろん、ヴォルデモートがセレネの大切な人――つまり、義父のクイールを狙う可能性も考えた。彼を人質にとり、セレネに言うことを聞かせるとか実にありえそうな話である。一応、セレネは護衛としてリータを家に下宿させることにした。

 クイールの手前、リータは「罠に嵌められて失業し、家と財産を火事で失い、友人すべてに見捨てられ、セレネのところに転がり込んできた」という設定になっている。後半はほぼ嘘だが、失業したことは本当だ。優しい義父は娘の頼みと必死に懇願してくる魔女を断ることができず、下宿することを許可した。彼女は最低最悪の新聞記者だが、人の本質を見極めることに長けている。万が一、クイールが「服従の呪文」や「錯乱呪文」にかけられていたら真っ先に気付くはずだ。

 

 だから家に居させたのだが――これは早計だったかもしれない。

 魔法使いならハッフルパフに組み分けされそうなほど誠実な義父、人を陥れることに情熱を燃やすリータ。正反対の二人が仲良くなれるわけがない。

 

 いつか大喧嘩が勃発するのは、目に見えている。

 

「他の護衛を探さないと……でも、心当たりはないし」

 

 セレネが呟きながら見回りをしているときだ。

 前の車両から一人の少年が歩いてきた。彼はセレネに気付くと立ち止まり、ひどく難しい表情になる。セレネはそんな彼の挙動を気にすることなく、いつも通り声をかけた。

 

「こんにちは、ノット。いい夏休みでしたか?」

「あー……まあまあだ」

 

 ノットは気まずそうに言った。

 もしかしたら、彼も父親から自分の出生を聞いているのかもしれない。ついでに言うなら、ヴォルデモートと敵対していることも。

 

「その、だな。ゴーント、オレは、お前が――」

「親衛隊隊長として、今年最初の仕事を命じます」

 

 彼が何か言おうとしたのを遮り、セレネははっきりと宣言した。

 

「宴会が終わった後、談話室で初の全体集会を開きます。……もちろん、参加は自由です。貴方も参加しなくても構いません。ただ、呼びかけだけはお願いします。そのくらいなら――ヴォルデモートも貴方のお父様もお怒りにならないでしょう」

 

 セレネがヴォルデモートの名を口にすると、ノットは衝撃を受けたような顔になった。自分の父親が信奉する親玉なのに、その名前に恐怖心を抱いているらしい。セレネは肩をすくめた。

 

「話は以上です。活動に参加しなくても構いませんが、この仕事だけは――いままでの縁でお願いしますね」

 

 ノットは何も答えなかった。

 しかし、彼はこの仕事を全うしてくれる気がする。父親から真実を聞かされ、内心、セレネのことをどう思っているにしろ、彼は意外と義理堅いところがある。そこを信じての頼みだった。

 

 セレネは彼の隣を通り過ぎ、次の車両に移動する。

 ここからが正念場だ。いままで優等生を演じ続けてきた。これからは、さらにそこに一味加えなければならない。セレネは見回りが終わるまで一切気が抜けなかった。

 

 なにしろ、初めての集会だ。

 リータを通じてグリンデルバルドからヒントを貰ったが、彼は詳しく教えてくれなかった。彼曰く「わずかなヒントをもとに、自分で内容を構築してこそ、自分だけの演説になる」らしい。

 

 とてつもなく意地が悪い助言者である。

 

 途中、ハリーたちがいるコンパートメントも通り過ぎたが、恐ろしいまでの悪臭が漂っていたので挨拶は控えることにする。

 

 ハリーと話す機会など、ホグワーツに戻ってしまえばどうにでもなる。

 いざとなれば、魔法薬学の時間にスネイプの目を盗んで会話すればいい。もっとも、ハリーは先生に異様なほど目をつけられているので、少し難しいかもしれないが。

 

「あ、ゴーント様っ!!」

 

 セレネがある車両を通り過ぎるとき、嬉しそうな声をかけられた。

 親衛隊幹部のウルクハートだ。ラグビー選手のような身体つきからは考えられないほど、朗らかな笑顔を向けてくる。

 

「監督生に選ばれたんですね。さすがです。おい、ベイジー言った通りだっただろ?」

 

 コンパートメントを覗き込むと、そこには同じく親衛隊幹部のベイジーの姿があった。ウルクハートとは異なり、ベイジーは少し気まずそうに身体を揺らしていた。

 

「ゴーント様、ベイジーは分かってないんですよ。ゴーント様が言ってるんだから、例のあの人の復活は本当なんだってことが」

「……なるほど、そういうことですか」

 

 おそらく、ベイジーは迷っている。セレネがヴォルデモートの復活を見たことは、昨年度ホグワーツに在籍していた者なら誰でも知っていた。そして、ヴォルデモートの復活を高らかに語るダンブルドアとハリーが狂人扱いされているということも――。それに、少しでも死喰い人と関わりのある人なら、忠誠心が揺れても不思議ではない。分かっていたことだが、こうして実際に目にすると、少し心が寒々とした気持ちになった。

 

 ただ、少なくとも一人――ウルクハートの忠誠心は変わりないようだ。

 セレネは彼に微笑みかけると、静かに歩み寄った。

 

「ウルクハート、貴方に頼みごとがあります」

 

 腰に提げていた巾着袋からとあるものを取り出すと、壊れないように丁寧に手渡しをした。

 

「これは、貴方にしか頼めない仕事なのです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ノーマン・ウォルパートは不安にさいなまれていた。

 

 彼は、今年からの新入生である。

 1学年上に兄――ナイジェル・ウォルパートがいたが、彼は意地悪をして組み分けの仕方を教えてくれない。学校の怖い話――悪戯好きのポルターガイストは1年生に水をかけることを生きがいにしているとか、怪物や巨大蜘蛛がうようよしているとか――。しまいには『僕はグリフィンドールだったけど、お前はスリザリンだ』などと悪口を言ってくる。

 

 スリザリンと言えば、良い評判を聞かない。

 闇の魔法使いを多く輩出し、純血至上主義の高慢な人たちが集まる寮だ。両親ともに魔法使いだが、両方とも途中でマグル生まれやマグルの血が混じっている。そんな自分には、絶対に向かない。その点、兄が所属するグリフィンドールは騎士道精神にあふれる素晴らしい所である。兄のナイジェルは

 

『僕はハリー・ポッターの親友と仲が良いから、彼と話したこともあるんだ』

 

 と自慢していた。

 ハリー・ポッターと言えば、あの人から『生き残った男の子』で代表選手。かっこいい経歴の持ち主である。

 そんなハリー・ポッターはダンブルドア校長と一緒に最近、新聞で叩かれているらしい。母はノーマンが入学することにやや反対していたが、父と兄が「ハリーは狂っていない」と宣言。母はプラットホームで大泣きしながら、ナイジェルとノーマンを見送った。

 

「僕、スリザリンだったらどうしよう」

 

 ホグワーツ特急が停車した時、同じく新入生の少年にこっそり相談した。

 

「スリザリンが嫌なの?」

「だって、僕の兄さんはグリフィンドールだし。僕、グリフィンドールに入りたい。だって、ハリー・ポッターがいるから。それに――」

 

 と、ノーマンがここまで言いかけたときだ。

 

「ほら、どけよ。なに道を塞いでいるんだ?」

 

 後ろから思いっきり押され、ノーマンたちは地面に転がり落ちた。腕は擦り剝けて血が滲んでいる。ノーマンが痛みをこらえて上を向くと、そこには、滑らかなプラチナブロンドの髪と尖った顎をした少年がいた。後ろには大岩みたいな少年二人とパグみたいな顔の少女を引きつれている。

 

「僕は監督生だ。監督生の道を塞ぐなんて……これは、処罰の対象かもな」

「も、もうしわけありません!!」

 

 ノーマンと新入生は急いで謝った。

 初日から処罰になったのでは、たまったものではない。しかし、監督生を名乗った少年はそれで満足しなかった。

 

「そもそも、いかれたポッターを信じているようじゃ、頭の出来が知れているな。お前なんて、組み分けする以前に退学だよ」

 

 監督生が言うと、同調するように背後の取り巻きたちも嘲笑う。ノーマンの目は熱くなってきた。ホグワーツはきっと楽しい所だと思っていたのに、こんな意地悪な監督生がいるなんて最悪だ。こんな場所、来なければ良かった。手が震えて、涙が零れ落ちそうになったとき――

 

「マルフォイ、なにをしているのですか!」

 

 監督生の前に一人の少女が現れた。

 黒く艶やかな髪に白い肌が特徴的な少女は、眼鏡越しに監督生を睨みつける。

 

「見ていましたよ、1年生を蹴り飛ばすなんて……監督生にあるまじき行為です」

 

 身体は小柄だが、凛とした背筋や仕草のせい形容しがたい迫力――東洋の神秘、雅な印象を受けた。監督生からも威圧的な空気は出ていたが、それが道端の小石に思えてくるほどの存在感を醸し出している。事実、監督生は少女の登場にたじろいていた。

 

「お、おいおい、ゴーント。この僕に意見をする気か? 僕に逆らうと父上が黙っていないぞ? 父上に言いつけて、お前もポッターみたいにしてやろうか?」

「……親の権力に頼るなんて、他に言い負かす手段は思いつかないのですか。それとも、力の差を理解できないのでしたら……いいでしょう。宴会の後、2分……いえ、1分だけ時間を取ります。その時に決闘をしましょうか。どちらが、より優れているのか、はっきりするでしょう」

 

 少女が杖をちらつかせると、監督生は喉に物が詰まったような声を上げる。そして、「今回は見逃してやる」という震えた捨て台詞を残すと、取り巻き立と一緒に早足で立ち去って行った。

 

「……まったく、弱い者いじめをするなんて、スリザリンの風上にも置けないわね。

 あなたたちは、大丈夫ですか?……怪我をしていますね、『エピスキー―癒えよ』」 

 

 少女は華麗に杖を一振りした。すると、たちまち怪我が治っていく。ノーマンと新入生は消えていく痛みに驚き、目を見合わせた。

 

「ああいった悪質な監督生はごく一部です。基本的に皆、優しいですよ」

 

 ノーマンは顔を上げ、少女の顔を見つめた。

 中性的な顔だった。美少年とも美少女ともとれる非常に整った顔立ちをしている。小さな白い顔に大きな黒い瞳はとても美しく、眼鏡をかけていなければ完璧なのに――と子どもながらに思う。

 

「初日から泣かないでください。ここは、素晴らしい所ですから。

 ……それでも、もし嫌なことがあれば、普通の監督生か寮監に言いなさい。きっと、守ってくれるはずです」

 

 少女は微笑み、ノーマンと新入生の頭を軽く撫でた。そして彼女はローブを翻すと、友だちの場所へと走り出す。その時、彼女の胸元にスリザリンの寮章が刻まれているのが見えた。

 

「いい人だったね」

「……うん、かっこいい人だった」

 

 ノーマンたちは互いに頷きながら、城へと渡る船に乗った。

 

 あの人がいるなら、スリザリンも捨てたものではないのかもしれない――と思いながら。

 

 

 

 

 

 結局、ノーマンは「スリザリン」に配属された。

 兄のナイジェルと寮が分かれただけなく、よりにもよってスリザリンだったが、先程の少女が行儀正しく拍手してくれるのを見つけ、考えを改める。

 

「あの人、誰?」

 

 宴の途中、近くの先輩に話を振ってみる。

 すると、その先輩はぶるりと震えた。

 

「あの方はセレネ・ゴーント様だ。間違っても指をさすな、粛清されるぞ」

「粛清?」

 

 ノーマンは物騒な単語に、ぽかんと口を開けた。

 さっきまで、あの少女は慈母のように優しかった。彼女に粛清など似合わない。そう思っていると、先輩はあたりを警戒するように見わたし、小声で囁いてきた。

 

「取り巻きがヤバいんだ。いいか、崇拝するのは自由だが、手を出すのはご法度だぞ」

 

 それだけ言うと、先輩は口を閉ざしてしまった。

 結局、彼女について分かったのは、名前と取り巻きがヤバいことだけだった。友だちと談笑しながら食べる姿は絵画になるほど美しく、見惚れるほど綺麗な食べ方をしている。

 ずっと見つめていると、セレネ・ゴーントと目が合った。セレネはこちらを見返した後、小匙一杯分ほどの口元に微笑を向けてくれる。それだけで十分だった。かっこいい憧れの先輩と目が合い、自分に微笑んでくれた。つい一時間ほど前の気持ちは最低ラインを突破していたが、今では上昇し続けている。

 

 スリザリンに選ばれた自分、万歳だ!

 どうして、兄のナイジェルは彼女のことを一言も教えてくれなかったのだろうか。

 

 

 その後は、ガマガエルのような新任教師のよく分からない話――魔法省がホグワーツをよく思っていないとか、そのような話が挟まったが、それ以後は特に意味が分からないこともなく、宴会はお開きになった。

 

「1年生、こっちに来い。この僕が直々に寮への道案内をしてやる」

 

 まっさきに口を開いたのは、先程の意地悪な監督生だった。監督生バッジを見せつけるように胸を張りながら立ち上がっている。

 

「光栄に思うんだな。さあ、こっちだ」

「少し早いですよ、マルフォイ」

 

 しかし、そんな彼に待ったをかける人物がいた。セレネ・ゴーントである。

 

「まだ立ち上がっていない1年生もいます。全員の準備が整ってから出発する。それは常識です。……もっとも、1年生がこちらの言うことを聞かずに遊び惚けていたなら、話は変わってきますが」

「わ、分かってる。うるさいな、本当に」

 

 監督生は黙り込むと、1年生全員の準備が終わるのを待った。セレネの命令を嫌々ながらも聞き入れていることから考えるに、彼女は意地悪な監督生よりも立場が上なのだろう。

 

 意地悪な監督生とセレネが先頭になり、ノーマンたち1年生を引き連れて進んで行く。大広間を出ると、監督生たちは薄暗い地下に向かって歩き始めていた。周囲には蝋燭の灯りしかなく、正直――足元が見えにくい。

 

「『ルーモス―光よ』。この呪文は覚えておいた方がいいですよ」

 

 セレネは杖を一振りすると、杖先が明るくなった。込められた魔力が多いのか、篝火のように辺り一帯を照らしている。

 

「このように、暗い地下道を照らす灯りになりますから」

「そんなことまで教えるのか、セレネ」

「あたりまえです。1年生が学校に慣れるようにサポートするのが、私たち監督生の仕事なのですから。

 それに、正直、私も最初はこの道を歩くのが不安でしたし」

 

 セレネは優しく言った。意地悪監督生は驚いたように、あんぐりと口を開けている。ノーマンには分からなかった。優しく可愛らしい先輩なのに、どうして驚くのだろうか。

 

「……ふ、ふーん。完璧なセレネ様にも、怖いモノがあったんだな」

「マルフォイだって、がくがく震えながら通っていたではありませんか。半分泣いてたことを覚えていますよ」

 

 意地悪監督生は黙り込んだ。

 完全に、セレネの方が圧倒している。ホグワーツ特急での態度の違いに、ノーマンはくすりと笑ってしまった。

 

「ここが僕たち、スリザリンの談話室だ。合言葉は『バジリスク』!」

 

 意地悪監督生がドアに向かって呟くと、鍵が外れる音がした。意地悪監督生はドアを押し開けると、軋むような音が聞こえた。そして、さっさと寮に入って行ってしまう。

 

「合言葉を忘れると入れなくなってしまうので、気をつけてくださいね」

 

 セレネはドアをくぐる前に立ち止まり、1年生に向かって説明してくれた。

 そして、1年生を率いて寮に入っていく。その瞬間だ。世界が割れんばかりの拍手が巻き起こった。寮の談話室を埋め尽くすほどの生徒がいたのだ。最初、ノーマンたち1年生を歓迎しての拍手かと思ったが、違うことにすぐ気づく。彼らの視線は、ノーマンたちではなく、セレネ・ゴーントに向けられていた。

 セレネが制するように手を挙げると、拍手はだんだんと小さくなり、消えた。代わりに、不思議な曲が流れていることに気づく。今まで聞いたことのないサウンドだ。歌劇のような曲かと思えば、すぐに転調し、力強いギターがカッコよく鳴り響く。よく見ると、テーブルの上に蓄音機が置かれ、レコードが回っていた。

 

「まさか、こんなに大勢が集まってくれるとは思いませんでした。まず、そのことに感謝を。

 あと1分、待ってくださいね。まだ、監督生としての仕事が残っていますから」

 

 セレネは皆に向かって話すと、くるりと反転し、ノーマンたちと向き合った。

 

「ごめんなさいね、驚いたと思います。実はこれから集会を開くのですが、もし参加したければどうぞ。でも、疲れて眠い人も多いと思います。その場合、貴方たちのベッドはあちら――右手が女子、左手が男子となっています。そちらへ上がって結構です。

 これは、自由参加なのですから」

 

 セレネは静かに言った。だが、ノーマンの意志は決まっている。

 いくら自由参加とはいえ、こんなにたくさんの生徒が集まっているのだ。確かに疲れはあるが、聞かないで後悔したくない。それに、あの素晴らしい監督生が開催する集会なのだ。参加しない方がおかしいとさえ思えた。

 ノーマン以外の1年生も同じ気持ちだったのか、誰もベッドに上がる子はおらず、最前列に座った。

 

「おい、セレネ。集会ってなんだ? 聞いてないぞ!?」

 

 意地悪監督生が声を荒げると、セレネに詰め寄っていく。

 

「親衛隊の集会です。貴方も参加したければどうぞ」

 

 セレネは意地悪監督生を見ずに言った。意地悪監督生は何か言い返したそうだったが、周りに集った生徒たちの圧に負け、すごすごとベッドの方へ上って行った。

 

「ウルクハート、レコードの準備ありがとう。もう止めていいですよ」

 

 セレネが蓄音機の傍に立つスリザリン生に向かって言った。彼の方が上級生に見えるのに、セレネに対し、顔を赤らめながら嬉しそうに従っている。

 

 いま、この場では――セレネ・ゴーントが最も頂点に立っていた。

 

「さて、いまの曲を聞いたことがある人はいますか?」

 

 誰も手が上がらない。ノーマンも聞いたことのない曲だった。だけど、とにかくカッコいい曲だった。重厚なサウンドもギターの唸るような音も、力強い歌声も――そのすべてがカッコいい。

 セレネは手が上がることを期待していないように見えた。やっぱりか、と周囲を見渡している。

 

「では、これがいい曲だと思った人?」

 

 すると、かなりの人数が手を挙げる。ノーマンも他の1年生たちも挙げていた。あれは妖女シスターズには出せないサウンドだ。セレネは、どこからこの名曲を見つけてきたのだろう。

 

「ありがとう。手を下ろしてください。

 この曲、皆さんが知らなくて当然です。だって、マグルの曲ですから」

 

 ざわめきが群衆に広がった。ノーマンも目をぱちくりさせる。

 今のがマグルの曲だったのかという驚きもあるし、純血主義で知られるスリザリン生がマグルの曲を聞いていたことにも驚いた。

 

「貴方たちのなかには、やはりマグルとは相いれないという人がいると思います。まあ……それでもかまいません。ある意味、マグルは私たちと同じ人間ですけど、ちょっと違う人間なのですから」

 

 セレネは集まった人たちに向かって語りかける。

 先ほど、ノーマンたちに優しく語りかけたように。

 

「私たちは魔法族。魔法に目覚めた人間、そしてマグルは目覚めなかった大多数の人間です。もしかしたら、マグルも脳や遺伝子をいじくれば魔法に目覚めるかもしれませんが……それは別の話なので脇に置いておきましょう」

 

 ここまで聞いた時、ノーマンは少し気持ちが冷めかかった。

 要は、セレネも他のスリザリンたちと同じ――マグルやマグル生まれを蔑視するのだと。だが、それにしては、どうしてマグルの歌を聞いていたのか。ノーマンには理解できなかった。

 

「さて、マグルと魔法族の違いは他になにがあるでしょう? ああ、先に言っておきますけど、ダンブルドアのように『マグルも魔法族と変わらぬ人間なのだから、仲良くしなさい』と言うつもりはありません。これには、明確な答えがあります」

 

 誰も答えない。

 セレネの解答を待つように、辺りはしんと静まり返る。

 

「マグルは常に進化し続ける。知性と悪意に好奇心、そして向上心が、どこまでもマグルを進化させていくのです」

 

 セレネは静かに、しかしはっきりと断言する。

 

「マグルには、便利な魔法がありません。マグルが必死に生きようともがいた結果、便利な道具や技術が生まれます。たとえば、このグラス」

 

 セレネの手には、いつの間にか透明なワイングラスが握られていた。

 向こうまで見通せるほど綺麗なグラスだ。ゴブリン製なのだと思ったが、すぐにノーマンは否定した。

 この話の流れで見せられたグラス。その作り主は、当然――

 

「マグル製です。魔法では、一度作ってしまえば複製呪文で何個も同じものを創り出せます。もっとも、時間が立てば消えてしまいますが。

 しかし、マグルはこれを1日に1000個製造します。まったく同じ品質、同じ大きさのグラスを。もちろん、魔法で作り出した物ではないので、永遠に消えることはありません」

 

 セレネはグラスを見せつけるように掲げると、近くのテーブルに置いた。

 

「ただのグラス一つとっても、技術力や熱意の差が分かったと思います。

 そして、マグルとは愚かにも自分に近しい種族を認めぬ生き物です。3年生以上の方は中世の魔女狩りについて習いましたね? とても怖がりで、すぐに牙を剥けてきます。いま、もし私たちの存在が明るみに出れば――きっと、火あぶりではすまされません。

 手作りだったグラスが産業革命を経て、安く大量生産できるようになったのと同じように――武器の歴史も進化しています」

 

 セレネは眼鏡をくいっと上げた。天井のシャンデリアの光が反射し、眼鏡を光らせた。彼女の表情は視えない。

 

「例のあの人――ええ、皆さんは誰のことか分かっているでしょう。先学期末、リトル・ハングルトン村の墓地で復活した大量殺人鬼です。ああ、ミリセント。貴方の悲鳴は分かります。悪に落ちた男の復活を信じたくないのは重々承知です。

 ですが、現実から目を背けるような愚か者は、ここにいないと――私は信じています」

 

 ノーマンは隣の子と顔を見合わせた。

 今、セレネは新聞で散々「狂っている」と騒がれているハリー・ポッターやダンブルドアと同じことを主張している。それなのに、どうしてこんなすんなり耳に入ってくるのだろう。

 ノーマンはそこが不思議で、ますます真剣に彼女の話に耳を傾けた。 

 

「復活したサイコパスは、いまは息を潜めて裏で活動しています。だから、誰も気づきません。おそらく、一般的な魔法使いがその存在に気付くのは、彼が魔法省を陥落させてからでしょう。その時に、きっとあの毛根なし男はこんな法案を作ります。

 『マグル生まれ排除法』。それから『マグル排斥法案』。言い方は大げさですが、内容は皆さんも想像できますね。なにしろ、あいつは純血主義でマグルを憎んでいます。マグル生まれも、マグルの存在も」

 

 セレネは優雅に語りかけてくる。時折、「例のあの人」のことを辛辣に表現しているのは、よほど気に入らないのだろう。

 

「マグルをすべて殺し尽すまで、あの蛇男は安らげないでしょう。ですが、マグルも馬鹿じゃない。

 なにしろ、イギリスにおけるマグルの人口は6千万人。半数も殺す前に、自分たちを脅かす敵の存在に気付きます。そして、自分たちの知恵を振り絞った最大の敵意を向けてくる」

 

 セレネは語った。

 空から鉄の鳥に乗って攻めてくることを。

 一発で都市を壊滅させる爆弾のことを。

 

「たぶん、あれは盾の呪文で防ぎきれない。仮に防いだとしても、放射能……目に見えない閃光が身体を蝕み、殺されてしまいます」

 

 セレネは再び全体を見渡した。

 

「マグルの恐ろしさ、サイコパスの浅はかさが理解できたでしょうか? ええ、ウルクハート。さすがです。貴方の言う通り、『やられる前にやりかえせばいい』とは、もっともな言葉です。

 ですが、それは果たして――本当に良いのでしょうか?」

 

 セレネは一人一人に問いかけてくる。

 

「マグルの世界には、ここにはない素晴らしいもので溢れています。この曇りのないグラスも、ロックも、そして、他にも――」

 

 セレネは杖を一振りした。すると、テーブルの上に置かれていた箱が開かれ、中から美味しそうな細長いチョコレートが姿を現した。

 

「今年、私はオーストリアに行きました。そこで購入した、王室御用達のチョコレート。極上のチョコレートはうっとりするほど美味しいです。マグルの職人が作った最高の逸品だと思います。

 さて、やられる前にやり返す。確かにできなくはないでしょう。マグルの素晴らしいものがあるなら、それだけを残して後は滅ぼせばいい。なるほど、一理はあります。ただ――そうして、魔法族のために強制的に作られた物が、はたして同じ品質を保っているでしょうか」

 

 セレネは目を伏せる。

 

「断言しましょう。それは否です。彼らはしもべ妖精ではない。マグルが己の尊厳を捨て、私たちの奴隷に成り果てたとき、その価値は失われる。なぜなら、もうそこには知性も、好奇心も、悪意も、向上心の欠片も存在しないから。

 だから、私たちは姿を隠す。ただ、科学技術の発展により、そろそろそれも難しくなってきていることも事実。いずれ、マグルに歩み寄り、怯えさせないように注意しながら、互いに共存していく道を探さねばなりません。

 一方的に滅ぼすのではなく」

 

 セレネの声が談話室に木霊する。

 それを聞いた時、ノーマンは気づいた。

 

 マグルが新たな技術を開発し、どんどん発展していく。それは、魔法が使えないが故に考えるからだ。

 好奇心や向上心を知性や時に悪意を使いながら、脳を振り絞って考える。

 

 それができる魔法族は、きっと――限りなく少ない。 

 だって、すべて魔法で済んでしまうから。

 

「最後に、一つ――ここにいる何人かは知っているかもしれませんが、私の出生について話しましょう」

「おい、待て! ゴーント!」

 

 群衆をかき分けるように、誰かが飛び出してきた。

 痩せすぎの少年だ。肩で息をしながら、怒ったようにセレネを睨み付けている。

 

「お前、それだけはやめろ! それを口にしたら――!!」

「どうせ、ヴォルデモートが復活したことが知られれば、私の出生もばらまかれる。その時になってからでは、たぶん遅い。だから、先に私から開示します。もっとも、あまり広めて欲しくないですけどね。

 だから、その気持ちだけは受け取っておきます。ありがとう、ノット」

 

 セレネは寂しそうに微笑むと、彼の腕を軽く叩く。本当は肩を叩きたかったのかもしれないが、単純に背が足りなかったのかもしれない。ノットと呼ばれた痩せ気味の生徒は、呆然と突っ立っていた。

 

「父はマールヴォロ・ゴーントの遺骨から創られたホムンクルス。母は東洋人の髪の毛から創られた卵子。

 つまり、ホムンクルスと人間の子、スリザリンの継承者――それが、私です」

 

 ノットは崩れ落ちる。拳を思いっきり床に叩きつけているのが見えた。途端、ハチの巣をついたように周囲が騒がしくなった。ノーマンも唖然とする。確かに、人間離れした美しい人だが、まさか人造人間の血が入っているとは思わなかったのだ。

 

「ですが!!」

 

 セレネは叫んだ。その声で再び静まり返る。ノーマンはちらっと周囲を見渡した。どの顔も不安と驚愕で彩られている。きっと、自分の顔も同じなのだろう。

 

「私は人間です」

 

 セレネは宣言した。静かに、しかしハッキリと、談話室に透き通った声が響き渡る。

 

「人間は意志がある生き物、常に進化をし続ける生き物です。

 ホムンクルスのように完璧に創られた存在ではなく、私は成長し続けます。私は、ヴォルデモートのように1つの思想にしがみつき、そのまま停滞しない。今まであった喜びも屈辱も忘れず、すべてを糧にし進み続ける!」

 

 だから人間だ!

 セレネは力強く叫ぶ。まるで、自分に言い聞かせるように。いつのまにか、眼鏡の奥の瞳が黒から鮮やかな青へと変わっていた。

 

「……貴方たちはどうですか?」

 

 セレネは問いかける。

 

「ヴォルデモートや死喰い人のように、過去の思想に凝り固まり、緩やかに停滞していきますか?

 それとも、すべて考えることを止めて、木偶人形のように魔法省や上からの指示に従いますか?」

 

 ノーマンは思った。

 どちらを選んでも、それは人間とは呼べない。マグルであれ、魔法族であれ、ホムンクルスと人間の間から生まれた者であれ、自分で常に考えて行動する者こそが人間である。

 

「私の目的は打倒ヴォルデモート。いまはそれだけです。マグルを考えなしに殺し、マグル生まれも殺し、人の嫌がることばかりしてくる悪辣非道なサイコパスを野放しにできません。もう、あれは人間ではない。思考を止めた、ただの化け物なのです。

 ただ、魔法省はそれを認知していない。だから、とても難しいですけど、彼らの眼を盗んで剣を磨かねばなりません。来るべき戦いに備えるために。

 

 人間として、己の正義のために」

 

 セレネは言葉を紡ぐ。魔法のように聞き入ってしまう言葉を――。

 

「社会が正しいとは限らない。大衆の意見がすべて正しいとも限らない。

 だからこそ、貴方たちは自分が正しいという道を考えなければならない。自分の正義を信じなければいけない。

 迷うのは大いに結構。目で見て、耳で聞いて、十分に考え、十分に悩みなさい。そうして生まれた結論が、人間らしい答えです」

 

 そこで、初めて――セレネは笑った。

 先ほどまで、ノーマンたち1年生に見せていたような微笑みとは違う。心の底から浮かび上がってきたような笑顔だ。ノーマンは自分の耳が赤くなるのを感じた。

 

「もし、貴方たちの正義が私の考えに賛同するなら――このチョコレートを食べなさい。もちろん、意見が違うのであれば、食べなくても構いません。どうぞ、そのままベッドに向かってください。止めることはしません。それが、貴方たちの結論なのですから」

 

 セレネの声が談話室に消えていく。

 誰も動かない。ベッドに向かう者も、誰もいない。

 

 だから、ノーマンは最初に動いた。

 

 たとえ、生まれが半人間で作られた生命体であっても人間と主張する監督生。

 とても優しくて、自分がいじめられていた時は助けてくれた。スリザリンを少し好きにさせてくれた。

 彼女は間違いなく人間だ。いままで、あまり考えずに生きてきた自分よりずっと。たぶん、グリフィンドールの兄よりも。

 

 感謝と畏敬の念を込めて、ノーマンはチョコレートを食べる。

 

「……ノーマン・ウォルパートね。歓迎します、これからよろしく」

 

 セレネは口元に微笑を浮かべ、迎え入れてくれた。

 ノーマンが動いたのを皮切りに、生徒たちが動き出す。ベッドに直行する生徒は少なかった。悩んでいる生徒は、ほぼいない。誰もが、決意を固めた顔でチョコレートを頬張る。とある姉妹は泣きながらチョコレートを食べていた。

 セレネはチョコレートを食べた人の名前を呼び、迎え入れるように背中を叩く。一人一人、間違えることなく。ノーマンは感心してしまった。

 

 

 セレネ・ゴーント。

 スリザリンの継承者。ノーマンは、きっと、これから1年――否、彼女が卒業するまでずっと、自分の世界は彼女を中心に回るのだと直感する。

 これは、考えるのを止めた結果ではない。

 考えた末、彼女についていくことを選んだのだ。感謝の念も、畏怖もあるが、彼女の考える未来を見てみたいという気持ちが強かった。

 

 

 化け物 ヴォルデモートを、セレネ・ゴーントと名乗る人間が打ち倒す場面を見てみたい。

 

 

 なにしろ、どんな化け物も最後には人間によって倒される。

 もし、セレネの杖によってヴォルデモートが倒されるのだとすれば――それは、とても人間らしい未来なのだ。

 

 その未来を、いつか見てみたい。

 願わくば、セレネの隣で。

 

 そんな強い思いを胸に抱き、ノーマン・ウォルパートはベッドに向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、貴方はどうしますか?」

 

 それぞれ覚悟を決め、己の信念をもとに談話室を去って行ったあと、セレネは一人残った者に話しかける。彼は崩れ落ちたままの姿で固まっていた。

 視線は合わない。セレネは彼を見下したまま、小さな声で呟いた。

 

「……どちらでも構いません。お父様のこともあると思いますし」

「……父上は関係ないだろ。これは、オレが決めることだ」

 

 ここでようやく、一人だけ残った親衛隊隊長――セオドール・ノットが立ち上がる。だが、チョコレートに手を伸ばす気配はない。黙ったまま、寝室の方へ歩き始める。セレネは息を吐いた。

 どうやら、彼はヴォルデモート側を選んだらしい。胸に穴が開いたように寂しいが、それも彼の選んだ結論なら仕方ない。

 

 セレネは、わずかに目を伏せた。

 

「……そうですか。いままでお勤め、ご苦労様でした」

「なに言ってんだ、この馬鹿」

 

 セレネは顔を上げる。すると、不満そうな顔をした少年がこちらを振り向いていた。

 

「言っただろ、3年生の時に。一蓮托生だってな」

 

 セレネは予想外の言葉に、思わず目を見開いた。

 

「勘違いするなよ。思考の停滞とかなんたらじゃない。このオレが決めたことだ。一度決めたことは守るのが、オレの信条なんだよ。

 だから、そんな菓子を食わなくても、最後まで付き合ってやる」

 

 それだけ言うと、ノットは姿を消した。 

 談話室には、セレネだけが残される。セレネは足元が揺れるのを感じた。倒れる前に、近くのソファーに座り込む。

 

「……私って最低ね」

 

 ソファーに沈みながら、ぽつりと呟いた。

 

 確実に腹心の部下を作り、自分好みに育てるため、いつになく1年生に優しくして回った。

 心のどこかで、カロー姉妹やノットたちが自分の傘下に残ると信じていた。カロー姉妹はまだいい。敵対するのは従兄妹だ。しかし、ノットは違う。彼は、たった一人の父親を裏切ろうとしている。セレネは義理堅い彼の性格を逆手に取り、彼に親子喧嘩をしろと焚きつけている。

 

 そして、それを喜んでいる。

 彼らが自分のところに残ってくれたことを、深層心理で喜んでいる。

 

 

 ああ、なんて最低な女なのだろうか。

 

 

 セレネは今日の行いを胸に刻みながら、クッションを強く抱きしめた。

 

 

 




〇ノーマン・ウォルパート
本作オリジナルキャラクター
グリフィンドールのナイジェル・ウォルパート(映画のオリキャラ)の弟。
スリザリンに組み分けされる。

……不死鳥の騎士団作中に、スリザリンに組み分けされた子が誰も出てこなくて悲しい。



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