スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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第五章「不死鳥の騎士団」編、スタートです。




不死鳥の騎士団編
57話 14歳の夏


 オーストリア ウィーン。

 音楽が溢れ、芸術と伝統を重んじる街だ。ずっしりと地に根を下ろしたような建物や教会、オペラ座が存在感を示していた。通りにはオープンカフェが至る所に立ち並び、可愛らしいショコラやケーキがウィンドーを彩っている。

 

 夏休み――セレネは義父との約束通り、ウィーンの地を訪れていた。

 

 

「オペラが見れなくて残念だったね」

 

 義父のクイールが残念そうに口を開いた。

 

「まさか、7月は公演がないって……はぁ」

「でも、ウィーン・モーツァルト・オーケストラのチケットは手に入りましたよ。それだけで十分です」

 

 セレネは落ち込む義父を励ますように言った。

 セレネは義父の前で敬語を止めたいと思い始めていたが、長年の癖が沁みついてしまったのだろう。なかなか敬語を外すことができず、いまもこうして余所余所しく話してしまう。

 だが、心は少し縮まった気がした。歩く時の距離感も、心なしか近くなった気がする。

 

「それにしても、凄すぎますね。この宮殿、まるで魔法みたいです!」

 

 セレネは、目の前に広がる宮殿に感嘆の声を漏らした。

 オーストリアのハプスブルグ家が誇るシェーンブルン宮殿――さすがユネスコの世界遺産というだけあり、歴史を感じさせる重厚な存在感に圧倒される。ロココ調の室内に、ボヘミアンクリスタルのシャンデリアや金箔を惜しみなく使った装飾品、亡き夫を惜しむためだけに造られた漆の部屋、そして、天井一杯に広がる壮大なフレスコ画――しかし、ここまで贅を尽くしているというのに、どれもこれも嫌味の一つも感じさせない上品な物ばかりだ。眺めているだけで、ため息が出てくる。

 

「ここで、マリーアントワネットが幼少期を過ごし、モーツァルトが演奏したなんて……」

 

 きっと、その時は2人とも自分の未来を知らなかった。

 モーツァルトは名声を勝ち得るも、病と借金で弱りはて、共同墓地に埋葬される。

 マリーは民を愛していたが、フランス革命に巻き込まれて、最後はギロチンだ。

 2人は時折、この美しい宮殿での出来事を思い出したのだろうか。それとも――遥か夢の彼方の出来事として、忘れ去ってしまっていたのだろうか。

 セレネはなんだか悲しい気持ちになって来た。それを見計らったのか、クイールはセレネの肩を叩いた。

 

「とても歴史を感じるね。……セレネ、外も散策してみようか」

 

 夏の日差しは暑く、緑色の芝生を眩しく照らしていた。

 広大な庭園の向こうには、小高い丘があった。ホグワーツにかかる橋の一部のような建物が、宮殿を見下ろしている。

 

「あれは、グロリエッテ。ハプスブルグ家のために死んでいった兵士たちを弔うための建物らしいよ」

 

 クイールは観光ガイドを見ながら説明してくれた。

 

「死んでいった兵士、か」

 

 セレネが建物を見上げながら呟いたときだった。建物の上空に小さな点が浮かび上がった。小さな点はだんだんとこちらに近づいてくる。近くまで近づいてきたとき、それが点ではなくフクロウであることに気づいた。フクロウはセレネの手元に一通の手紙を落とすと、そのまま飛び去ってしまった。一般的な観光客たちはこれを何かの見世物だと思ったのだろう。ざわざわと雑談をしながら、遠巻きながら興味津々にこちらを見てくる。

 当然だ。フクロウが手紙を運んでくるなんて、絶対にありえない。

 

 

 ……魔法界でなければ。

 

「セレネ、手紙かい?」

「ええ、私宛です。……友だちからですね」

 

 封筒の裏に書かれた名前を一瞥すると、セレネは歩きながら封を切った。そして、そこに書かれた内容に素早く目を通す。

 

「……友だちが、ウィーンに来ているそうです。会いたいって」

「セレネの友だちがかい?」

 

 義父は目を見開いた。そして、小さな声で囁いてくる。

 

「その……魔法使いの友だち?」

「ええ。魔法使いというか、魔女ですけど。会ってきていいですか? オーケストラ鑑賞の時間には戻りますから」

 

 義父は少し考え込んでいた。だが、ニッコリ笑って許してくれた。

 

「いいよ。ゆっくりしてきなさい。僕はその間……そうだな、クリムトの絵でも観に行ってくるよ。セレネはあの絵、少し苦手だろ?」

「ありがとう!」

 

 セレネは義父に抱きつこうとしたが、手を広げたところで気恥ずかしくなった。そのまま思いっきり手を振ると、彼に背を向けて走りだした。

 

 普通の家族がどうするのか、セレネにはまだ分からない。

 いままでやってこなかった分を取り戻したいと思うのだが、なかなかうまくいかないものである。

 

 

 セレネは顔を赤らめながら、待ち合わせの場所に急いだ。

 オペラ座の外観を横目で見ながら、小走りで目的地のカフェに入る。赤い内装のカフェに入ると、一人だけおかしな人がいた。夏にもかかわらず分厚いコートを纏った女性が、美味しそうにザッハトルテを食べている。女性はとても幸せそうにザッハトルテを賞味していたが、セレネに気付くと物凄く嫌そうな顔になった。まるで、特大なゴキブリでも見つけたような顔だ。もっとも、その反応は想定していた。セレネは気にすることなく彼女の前に座ると、にっこり微笑みかけた。

 

「お久しぶりですね、リータ・スキーター。元気でしたか?」

「ふん、あんたのせいで散々ざんす!!」

 

 リータは不機嫌な表情のまま、生クリームが乗ったコーヒーを飲み干した。

 

「あんた、あのグレンジャーと図ったざんすね!」

「それは貴方のへまです。私は何も彼女に言っていませんよ」

 

 リータ・スキーターは懲りずに学校に潜入しようとしたのだが、ハーマイオニー・グレンジャーに動物もどきであることが露見してしまったのである。

 ハーマイオニーと「これから一年間、記事を発表しないこと」という約束を交わしたらしい。彼女もリータ・スキーターの記事の被害者だ。ハーマイオニーは、リータのせいで一部の心無い人たちから「ハリーやクラムといった大物狙いのビッチ」だと思われていた。完全に中傷である。これは、慰謝料を請求していいレベルだ。

 

「第一、ハーマイオニーとの約束を私たちは破ろうとしているのですから」

 

 ただし、これは口約束だ。

 セレネとリータの契約ほど強い拘束力はない。

 

「大丈夫ざんすよね? このせいで、あたしがアズカバンに入れられたら――」

「それはありえません。単純なことです。貴方は、これからする表向きインタビューを――そうですね、一年半後あたりに発表すればいいだけですから。そうすれば、ハーマイオニーとの約束には引っかかりません。

 そもそも、失業中の貴方に旅行費を出したのは……この私ですよ? その分は働いてもらわないと困ります」

 

 セレネはリータの目を睨みつける。リータは言葉を詰まらせた。

 

 三校対抗試合の賞金――その大半は、ハリー、セドリック、セレネの同意の元、フレッドとジョージ・ウィズリーの悪戯専門店開業資金として提供された。

 しかし、セレネはその際、100ガリオンだけ自分の手元に残して貰えないか交渉したのだ。ハリーたちは快く同意してくれた。金にがめついと思われたかもしれないが、今後の資金のためである。

 今回のリータの旅行費は、そこから捻出したものだった。

 

「さて、そろそろ連れて行ってくれますよね?」

「……分かってるざんすよ」

 

 リータは苦い顔のままザッハトルテを食べ終え、会計を済ませると外に出た。

 

「そのカメラを掲げておくざんす。顔は――見えづらくした方がいいから、この帽子を被るざんしょ」

 

 リータは路地に入ると、年代もののカメラと古びたベーレ帽を押し付けてきた。セレネは帽子を深く被ると、下手したらマグルの博物館に展示されてそうな大きなカメラを持った。リータはそれを確認すると、セレネの手をつかんできた。カエルの方の手でつかんできたのは、リータなりの嫌がらせに違いない。

 

「行くざんすよ。舌を噛まないように注意するざんしょ!」

 

 移動キーと似た感覚がセレネを襲った。お腹が内側から引っ張られたと思った途端、周囲の風景が回転され、急速に消えていく。次にセレネの足が地面に着いたとき、目の前には黒い要塞がそびえたっていた。周囲の風景は、チロル地方らしい雄大な山々と深い緑で覆われている。見上げるばかりの黒い要塞だけが異質だった。

 

「……本当に行くざんす?」

「あら、リータ。まさか、貴方が怯えているのですか? 歴戦の新聞記者なんでしょ。それも、人を破滅に追い込んだ最低の記者。それが、たかだか一介の殺人鬼に怯えているなんて」

 

 セレネがくすりと笑うと、リータのプライドに火がついたのだろう。表情を引き締めると、すたすたと要塞に向かって歩き始めた。要塞の入り口には、守衛と思われる魔法使いが二人立っている。

 

「止まれ、何の用だ」

 

 一人の魔法使いが、厳しい口調で叫んだ。

 

「あたしは、記者のリータ・スキーター。これは、あたしの専属カメラマン見習いざんす。

 面会の予約をしてあるはずざんすけど」

「面会だと?」

「ええ、アルバス・ダンブルドアの人生を一冊の本にまとめようと考えていまして、その一環で……ここに収監されている人物にインタビューを申し込んだざんす。敗れた男から見た、ダンブルドアを知りたくて。監獄長の許可は下りているはずざんすけど」

「……少し待て、確認する」

 

 魔法使いは、要塞――改め、ヌルメンガードの監獄に入って行った。しばらくすると、魔法使いは戻ってきて厳かな顔で告げた。

 

「確認が取れたが、お前たちが面会する囚人は、いまでこそ模範囚だが危険極まりない人物だ。内部に入ったら独房に着くまで目隠しさせてもらう。それでもかまわないか?」

「それは……か、かまわないざんす!」

 

 リータがセレネを伺うように横目で見てきたので、靴を踏んでやった。

 主人が見習いカメラマンの機嫌を伺うなんて、絶対にありえないことだ。セレネは少しだけ足取りが震えているリータの後に続いて、監獄の中に足を踏み入れた。

 監獄の入り口には三角形と丸が重なり合った印と「より大きな善のために」という文字が刻まれている。その文字を見ていると、看守がこちらに杖を向けてきた。

 

「『オブスキューロ‐目隠し』」

 

 看守はセレネたちの目を塞ぐ。彼らに手を引かれるまま右に行ったり左に行ったり、上へ登ったりと監獄内を動き回る。セレネは最初こそ覚えていたが、次第に自分がどこを歩いているのか分からなくなってしまった。

 

 目隠しを外された時、セレネたちは寂れた独房の前に立っていた。

 人の気配は――正直なところまるでしない。

 

 だが、この中に――セレネが今、求めている人物がいる。

 そう思うと、セレネの背中に緊張が走った。

 

「……ここの独房だ。見張りとして私も入る。面会時間は15分だ」

「あら、ここの囚人は模範囚ざんすよね? あんたがいなくても、問題ないざんす」

「しかしだな――」

「それに、そんな怖い顔の看守が傍にいたのでは、囚人の舌も緩まないざんすよ」

 

 リータは看守の手を握った。ガリオン金貨が10枚、握らされている。看守はにこりとも笑わずに、リータを厳しい表情で睨みつけた。

 

「15分だけだ。魔法は一切使うな。感知され、記録されるぞ」

 

 看守はそれだけ言うと、独房を開けた。

 リータに続き、セレネが入ると、黙って扉を閉める。

 

 買収成功だ。セレネは細く笑みを浮かべながら、独房を眺めた。窓はあったが黒い石に切れ目が入っているだけで、とてもではないが人一人通れる大きさではない。だが、コガネムシ状態のリータなら出入りすることができるだろう。独房は夏にもかかわらず冷たく、囚人は毛布に包まっていた。骸骨のような姿で、落ちくぼんだ大きな目をこちらに向けてくる。

 

「話は聞いてるざんすか? あたしは、リータ・スキーター。ダンブルドアの本を書くため、決闘で負けたあんたにインタビューを――」

「嘘だ」

 

 囚人はリータの説明を遮ると、にたりと笑った。歯がほとんどない。セレネはリータの後ろにいたが、彼女の背中が今にも帰りたがっているのを強く感じた。気丈に背筋を伸ばしているが、わずかに足が震えている。

 

「いや、半分は本当か。だが、本来の目的はそれではないな」

 

 囚人はこちらを見据えたまま、静かに推理をしてくる。

 

「そうだ、お前ではない。後ろの可愛らしいフロイラインだ。お前が私に用件があるのだろう?名前は……ああ、知ってるぞ。お前は、セレネ・ゴーントだ」

「貴方に名前を知られているなんて光栄です」

 

 セレネはリータの前へ進み出た。

 

「ですが、どうして名前まで? 未来視が使えると聞いていましたが、名前まで分かるのですか?」

「お前は三校対抗試合の五人目の代表選手だ。日刊預言者新聞に出ていたぞ。そこの女が書いた記事だ」

 

 囚人は歯のない口で笑いながら、部屋の隅を指さした。

 隅には新聞が丁寧に畳まれている。一番上に乗せられた記事の日付は一週間前だった。

 

「模範囚になると、少しくらいの我儘が許される。私の場合、新聞だ。そうだな……察するところ、お前はヴォルデモートのことで来たな?」

 

 囚人は指を回しながら言い当ててくる。セレネは本心から驚いてしまった。

 

「さすがですね。あなたは、シャーロック・ホームズですか?」

「ホームズは知らんが、少しばかり推理しただけのことよ。新聞に書いてあることを繋ぎあわせるだけで、ヴォルデモートが復活したことは分かる」

 

 セレネと囚人が微笑みながら話し合っていると、後ろでリータが噴き出す音がした。セレネは、少し振り返ると顔をしかめた。

 

「どうしましたか、リータ。私の要件は、ヴォルデモートのことだと言っていましたよね」

 

 セレネが軽い口調で言ったが、リータはヴォルデモートの名前を聞いただけで跳びあがってしまった。

 

「まさか……『名前が言ってはいけないあの人』が戻って来たと、本気で言っているざんすか?」

「ええ。私、復活したところを見ましたから。でも、驚きました。新聞には――あー……一度も、その類の話が載っていないと思ったのですけど」

 

 セレネは囚人に語りかける。

 日刊預言者新聞は、ヴォルデモートの復活を認めていない。すべては、ダンブルドアが皆に触れ回っている戯言だと。ダンブルドアがついに耄碌したのだと書いてある。そして、ハリー・ポッターも目立ちたがり屋でダンブルドアに賛同して触れ回っている嘘つき少年だと。

 

 セレネとセドリックの名前が載らないのは、単に有名ではないからだ。このときほど、セレネは自分が無名で良かったと思ったことはない。

 

「アルバス・ダンブルドアが簡単に耄碌するものか」

 

 囚人は静かに答えた。

 

「イギリス魔法省が、必死にヴォルデモートの復活を隠している。奴らは認めたくないのだろうよ、なにしろ、あやつは今世紀最悪の魔法使いだ。そいつを相手にするのは骨が折れる。これまでの13年間の平和が、すべて消し飛ぶのだからな。

 ましては、魔法省大臣は平和になってから就任した小男だ。ヴォルデモートと戦う決意より、自分の権力にしがみつく男なのだろうよ」

「でしょうね。私も同意見です」

 

 セレネは一歩、囚人に近づいた。

 こんな弱り切った男が、いまから50年ほど前にダンブルドアと決戦を繰り広げた当時最悪の魔法使いだとは思えなかった。だが、彼の語り口と頭脳は健在だ。セレネは床に膝をつくと、囚人と目線を合わせた。

 

 彼の目の奥には、まだ光が見える。

 まだ、死んでいない。見た目より、ずっと健在だ。

 

「単刀直入に言います。ゲラート・グリンデルバルド」

 

 セレネは心から彼に微笑みかける。

 イギリスを除く欧州を恐怖に陥れた、最悪な魔法使いの成れの果てに向かって。

 

「私と契約して、助言者になってくれませんか?」

「……お嬢さん、何を言ったか分かっているのか?」

 

 グリンデルバルドの口元は笑っていたが、目は笑っていない。

 

「私と契約すると? 助言者として? それは、アルバス・ダンブルドアの指示か?」

「いいえ、私の独断です」

 

 セレネは鞄から一枚の用紙を取り出した。

 

「私、ヴォルデモートが嫌いです。大嫌いです。大量殺人鬼のサイコパス。人の心にずかずかと土足で踏み込んできて、自分の最も嫌な過去を嘲笑う。反吐が出る。マグルだって殺す。たぶん、私の大切な人も……そんなこと、絶対に許さない。これ以上、あいつに髪の毛一本たりとも許してたまるものか。

 私は、この手で――あのサイコパスを懲らしめたい」

「……それで?」

「ですが、私――あまり闇の魔術に明るくありません。正直、あのヴォルデモートのすることやしたいことについて想像を膨らませるだけで反吐が出ますし、それが果たして正解しているかどうか、自分で判断することができません。

 そこで、私は考えました。『敵と対峙するためには、まずは敵を知る』」

 

 偽ムーディが闇の魔術に関する本を渡したとき、教えてくれた言葉だった。

 

 偽ムーディの魂胆としては、「直死の魔眼は敵に回すと大変危険だから、使わせないようにする」という名目で魔眼を使い続ける危険性を教えてくれたが、それと同時に、いくつか面白い本を紹介してくれた。彼としては「いまから下手に新しい難易度の高い魔法に手を出して、使えないまま自滅すればいい」という気持ちもあったらしいが、いまになっては真相は闇のままだ。

 

 なにせ、彼は吸魂鬼に魂を抜かれ、いまは何も語ることができないのだから。

 

 

「ヴォルデモートと対峙するためには、闇の魔法使いについて知らなければなりません。ですが、その知識があまりにも少ない。特に、ホグワーツの図書室からは……おそらく、ダンブルドアが意図的に闇の魔術に関する本を抜いている。

 そのうえ、相手は50年以上も闇の魔術の研究に明け暮れた男。そんな相手に、たった数年身に着けた程度の知識で立ち向かうなんて――控えめに言っても無謀です。

 だから、私は最悪の魔法使いと恐れられた貴方を助言者にしたい。

 欧州に悲劇をもたらし、いまだに一部からは恐れられている貴方を。……私が、ヴォルデモートを倒すために!」

 

 セレネはグリンデルバルドの目の前に用紙を掲げた。すでに、自分の名前はサインしてある。

 

「契約書です。

 やることは簡単。貴方は、私に助言をする。命の限り、私を助ける。私の命令に背かない。それだけです」

「……それは、お前のメリットだ。私のメリットは……ああ、これか」

 

 グリンデルバルドは用紙を読み込んだ。

 リータが忙しなく時計を気にしている。彼女はセレネの耳元で「あと5分ざんすよ」と囁いた。早くこの時間が終わって欲しいような口調である。グリンデルバルドは少し顔を上げ、リータを見据えた。

 

「私は過去、ダンブルドアと兄弟のように過ごした」

「それ、本当ざんすっ!?」

 

 その瞬間、リータの目付きが変わった。まるで、骸骨のように老いた男を巨大なダイヤモンドのように見つめている。

 

「いつざんすか!? そのあたり、詳しく聞きたいざんす!!」

「それは、次の面会でだ」

「……ということは、受け入れてくださると?」

 

 セレネが静かに聞くと、グリンデルバルドの目が光った。

 

「この契約、破るとどうなる?」

「ご安心を。この紙には呪いが染み込ませてあります。原初のルーンの効果で、破った者はカエルになります。その効果は……こちらの女が身をもって証明していますよ」

 

 セレネはリータのコートの下に隠されたカエルの腕を一瞥した。グリンデルバルドもその腕を横目で見ると、再びセレネと視線を合わせた。

 

「フロイライン、若き娘よ。お前は、ホグワーツどころか魔法界の掟を破ることになるが……怖気づいて引き返すなら、今のうちだぞ?」

「覚悟の上です。それに――知られなければいいだけの話ですから」

 

 セレネがまっすぐ答えると、グリンデルバルドは面白そうに笑った。

 

「……いい目だ。新聞よりもいい目をしている。おい、そこの記者。ペンを貸してくれ。私は老体だが、この酔狂な娘に付き合おう」

 

 グリンデルバルドは契約書にサインをした。

 最後の一文字を書き終えると、契約書が青白く光り輝く。互いに何かで縛られたような感覚がしたが、それもすぐに解かれ、契約書は一枚の紙になっていた。

 

「契約は受理しました。よろしくお願いします、助言者」

 

 セレネはグリンデルバルドに手を差し伸べる。グリンデルバルドも骨だけの手で握り返してくる。その力はほとんどなかった。おそらく、持ってあと数年の命だろう。

 

「それで、今か? 今、そこに書いてあることをするのか?」

「いえ、準備が整っていません。私が学校に戻ってから――この女を使って、やりとりしましょう。いいですよね、リータ」

「ええ、いいざんす! そんなことより、ダンブルドアとの関係を――っ!」

 

「時間だ、15分経ったぞ」

 

 看守が扉を開けてくる。

 セレネはグリンデルバルドから少し距離を置いた。リータがとても悔しそうに顔を歪めている。

 

「リータ先輩、出ましょう。時間ですから」

 

 セレネは見習いカメラマンの仮面をかぶると、グリンデルバルドに背を向けようとする。

 

「小娘、この夏の間にポッターと会え」

 

 グリンデルバルドが小さな声で、最初の助言をする。セレネは振り返って、彼の目を見た。改めてみると、彼がオッドアイだということに気づく。片方の目が黒、もう片方の目は青白く光っている。

 

「……ハリーにですか?」

「鬱々としているはずだ。ここで恩を売れば、あとあとになって返って来る。ポッターに会って何をするかは……まあ、お前なら分かるはずだ。ポッターとはそれなりに近しいのだろう?」

 

 その後は言葉を交わすことができなかった。看守が外に出るように急き立てたからだ。

 リータは名残惜しそうに、セレネも後ろ髪を引かれる思いで独房から出た。

 

 

「……さてと、手紙を書かなくちゃ」

 

 セレネが頼むと、リータは苦虫を噛み潰したような顔をした。だが、やがて観念したように息を吐く。

 

「ハリーにざんすか?」

「さあ、誰にでしょう。とりあえず、リータ。あなたはしばらく連絡係をお願いしますね」

 

 セレネが頼むと、リータは苦虫を噛み潰しような顔をした。だが、やがて観念したように息を吐く。

 

「まあ、仕方ないざんす。あたしもいろいろと調べたいことができたし」

「その本、完成したら一番に読ませてくださいね」

「難癖をつけるつもりざんすか?」

「まさか。個人的な興味です」

 

 セレネはリータほどではないが、グリンデルバルドがダンブルドアと兄弟のように過ごした事実に驚いていた。片や世紀の大悪人、もう片方は清廉潔白の大賢者だ。まったく正反対で接点もなさそうな二人組である。

 この二人がどうして兄弟のように暮らしていたのか、そして、どこで道を違えてしまったのか。セレネにも興味があった。

 

「題名は『アルバス・ダンブルドアの真っ赤な人生』はどうです?」

「いいざんすね。でも、『真っ白な人生と真っ赤な嘘』の方がもっと良さそうざんす」

「確かに。その方が、手に取る人も多そうですね」

 

 セレネとリータは、いつになく会話に華を咲かせながら監獄――ヌルメンガードを後にした。

 

 

 

 

 

 

 数日後。

 プリベット通りに一羽のフクロウが舞い降りた。

 

 ダーズリー家の庭の茂みに隠れ、マグルのニュースに耳を傍立てている少年――ハリー・ポッターの元にだ。フクロウはこっそり隠れるハリーの頭の上に手紙を落とし、そのまま空高くへ飛び去って行く。

 ハリーは歓喜した。

 なにしろ、夏休みになってから3週間――誰もろくに魔法界の情報をくれなかったのだ。

 

 ヴォルデモートが復活したというのに、日刊預言者新聞ではそのことを一切報じない。

 マグルのニュースでも、ヴォルデモートの仕業と思われる謎の失踪やら殺人事件は一切流れていなかった。

 親友のロン・ウィーズリーとハーマイオニー・グレンジャーは夏が始まってから一緒に過ごしているというのに、ハリーには『もうすぐ迎えに行けるわ。私たち、なにも話せないけど忙しくしているの』という手紙一通だけだ。いつ迎えに来るかも書いておらず、おそらく二人して忙しいながらも楽しく過ごしているのだろう。そう思うと、ダーズリーの家に縛り付けられた自分が惨めで、無性に腹が立っていた。

 

 唯一、名付け親のシリウス・ブラックだけが『いろいろ不安だと思うが、無茶するなよ』という短い手紙をくれた。下手に希望を持たせず、ハリーを励ます一行の手紙。アズカバンから脱獄し、またも捕まるもヒッポグリフにまたがって逃走した男が「無茶するな」と言われるなんて……それが一番マシな手紙だということも、ハリーの心を複雑にさせた。

 

 そんな時だったのだ。

 日刊預言者新聞でもなく、ホグワーツのフクロウでもない。 

 

 ハリーは期待に心が躍った。

 おそらく、ロンから「隠れ穴に逃げてこい」という誘いの手紙だ。ようやく来たのだ、と思いながら封筒を裏返したとき、ハリーは少しだけ落胆した。

 

 差出人は、ロン・ウィーズリーではなかった。

 セレネ・ゴーント――ヴォルデモートの復活を見届け、一緒に逃げて帰って来た少女からだ。彼女からの手紙など、いままで一度もなかった。ハリーは首をひねりながら、こっそり庭を抜け出すと、自分の部屋に戻った。 

 どのような内容であったとしても、手紙をダーズリーに奪われて捨てられることだけは避けたい。

 

「セレネが僕に何の用だろう?」

 

 ハリーは封筒を開けると、数枚の金銭が出てきた。

 ガリオンやクヌートといった魔法界の通貨ではなく、マグルの紙幣が数枚入っている。セレネはいったい何を考えているのだろうと頭を悩ませていると、折り畳まれた紙幣の間に白い紙が二枚挟まっていることに気づいた。

 一枚はロンドンの地下鉄の地図、そしてもう一枚は手紙だった。

 

『いま、貴方は辛いと思う。いろいろ話したいことがあります。お土産も渡したいです。

 8月2日10時。駅前のホームズ像の前で待ってます。持ち金がなかったら、同封した紙幣を使ってください。それでは、当日を楽しみにしています』

 

 たったそれだけだった。

 

 だが、ハリーの心は夏休みに入ってから一番晴れやかだった。

 今の状況を同情してくれただけでも心が救われたが、話ができるというという文字を読み、思わずガッツポーズをしてしまった。この際、セレネでも構わない。魔法界と通じる人間から、現在の状況を共有したかった。新聞にはろくなことが書いていない。マグルのニュースもインコが水上スキーを成功させたとくだらないものばかり。

 セレネとなら、少しは自分の知らない情報を教えてくれるだろう。

 

 ロンたちが忙しくて教えてくれない情報を。

 

「でも、ホームズ像って……どこだろう?」

 

 ハリーは考え込んだ。

 シャーロック・ホームズがイギリスを代表する有名小説だということは知っている。だが、その像が立っている場所を知っているほどマニアではない。もし、マグルの学校に通っていれば教科書やなにかで読んで知ったかもしれない。だが、ハリーは11歳からほとんど魔法界で暮らしているのだ。ホームズシリーズやナルニア国物語など名前こそ知っている小説はあったが、その内容まで詳しく読む前に魔法界で暮らし始めていたのである。

 

「そんなこと知ってるのは、ハーマイオニーかセレネくらいだよ。セレネって、意地悪だな……ん?」

 

 よく目を凝らしてみると、紙の一番下に小さく文字が書いてあった。

 

「『ホームズ像があるのは、ホームズが住んでいた通り』って、それも分からないよ!」

 

 ハリーは身体をベッドに投げ出した。

 どうして、セレネはこんななぞなぞめいた待ち合わせの仕方をするのだろう。もっとストレートに「キングクロス駅の前」とか「大英博物館の入り口」とか指定してくれたらいいのに。それとも、セレネなりに分かりやすく伝えたつもりなのだろうか。

 

「だいたい、僕はホームズなんて一度も……いや、待てよ」

 

 ハリーは跳び起きると、急いでトランクを漁った。バーノン叔父さんお下がりの靴下たちの下をかき分けていくと、その下から一冊の本が出てくる。

 

 シャーロック・ホームズシリーズの長編作品「バスカヴィル家の犬」だ。

 3年生の時だ。ハリーがクィディッチの試合中に吸魂鬼に襲われ入院した際、セレネは見舞いに来てくれたのである。彼女はハリーが死神犬グリムを怖がっていることを知ると、どこか呆れ気味に「入院中は暇だから読みなさい。なにごとにも、トリックはある」とこの本を渡してくれたのだ。

 

 事実、バスカヴィル家に現れた巨大な黒い犬が近所に住まう男のトリックだったように、ハリーが死神犬だと思っていた犬はシリウスの変身した姿だったというトリックがあった。

 

 だが、それ以降は本を読み返すこともなく、ましてはセレネに本を返すことすら忘れ、ずっとトランクに入れっぱなしになっていた。 

 

「この本に、ホームズが住んでいる場所が書いてあったかも」

 

 ハリーは久しぶりに本をめくり始めた。

 

 すべては8月2日に、新しい情報を手に入れるために―――。

 

 

 

 






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