スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

54 / 111
54話 来訪者

 ニコラス・フラメルの来校により、ホグワーツでは特別講義が開催された。

 

 

 第三の課題が終わるまで、基本毎週土曜日の午前中、合計17回の錬金術特別講座である。これは、ホグワーツ生でなくても参加が許されており、ダームストラングやボーバトンの生徒も受講が許可されていた。

 セレネはもちろん参加した。見知った顔では、ハーマイオニー・グレンジャーやダフネの彼氏 アンソニー・ゴールドスタイン、ジャスティン・フィンチ‐フレッチリーらの姿が確認できたが、意外にもボーバトンの生徒が多いことに驚いた。もしかしたら、開催校のホグワーツ生よりも多かったかもしれない。この疑問をフラメル本人にぶつけてみると、にやにや笑いながら

 

「それは、わしがボーバトン出身だからじゃろうよ」

 

 と教えてくれた。

 

「わしの名前は、ボーバトンではかなり知れ渡っておっての。7年に一度、ボーバトンで特別講義を実施しているのじゃ。1年生から7年生まで、全員が一度は受けることができるように」

「ボーバトンが羨ましいですね」

 

 セレネは少し目を見開くと、フラメルのためにお茶を入れる。

 特別講座が終わり、疲れた彼にお茶を淹れるのが、いつのまにかセレネの仕事になっていた。実に解せぬ。だが、弟子なので文句を言うことはできない。

 それに、このあとは茶飲みついでに個別の授業を行ってくれる。賢者の石研究に行き詰まりを感じていた身としては、嬉しい限りであった。

 

「そういえば、私の母もボーバトン出身だったそうですよ」

「そうか。名前は?」

「メアリー・スタインだと聞いています」

「あー……ああ、ああ。よく覚えておる。茶色の豊かな髪が特徴的な子じゃった。目は緑色で八重歯が特徴的で、そうそう、それから胸の発育がよくての、15歳だというのにメロンのように豊かで、マシュマロみたいに――おっと勘違いするのではない、わしは決して下心で見ていたわけではないのじゃぞ。だから、その茶に塩をいれるのではないわい」

「……すみません、手が滑りそうだったものでして」

 

 セレネは塩をテーブルに置くと、ちゃんと紅茶に砂糖を入れた。自分の母が下品な目で見られていることは、我慢ができず、つい手が出そうになってしまっていた。セレネは少し息を吐いて自分を落ち着かせる。

 

「うむ、ありがとう」

 

 フラメルはセレネから茶を受け取ると、懐かしそうに話し始めた。

 

「特別講義が終わった後、あれやこれや様々な質問をしてきての。しかも、面白いところを突いてくるのじゃ。ヘルメスの鳥についてとか、カリオストロの指輪について……とても錬金術に熱心で、何回か出張の個別授業もした。そうか、セレネの母親じゃったか。……見た目は彼女と似ておらんが、錬金術に熱心なところは似ておるの」

「そ、そうですか」

 

 セレネは頬がほんのりと熱を帯びている気がした。

 いままで、あの悪夢以外に母との関係性を見いだせたことがなかった。しかし、ここにきて、ようやく自分と母との血の繋がりらしきものを教えてもらったのだ。聞く限りだと見た目はまったく似ていないらしいが、そんなこと気にならないくらい嬉しくなった。セレネは少し嬉しくなった。

 セレネも自分のカップに紅茶を注ぐと、彼の前に腰を下ろした。

 

「母も、その……私と同じ分野を研究していたのですか?」

「賢者の石か? いいや、違う。ホムンクルス……つまり人造人間じゃ」

「ホムンクルスとは、たしか……魔法を使える人形のことですよね」

「うむ、一つだけ誤りがある。セレネ、ホムンクルスは人形のようだが人形にあらず。創り出された生命体じゃ。

 ホムンクルスは鋳造された時点で、完成されておる。老いることも成長することもなく、術師によってあらかじめ定められた期間が過ぎると停止する――錬金術師に造られた生命体じゃよ」

 

 フラメルが杖を振ると、一冊の本が近づいてきた。セレネは本を丁寧に受け取ると、その題名を覗き込む。

 

「フランケンシュタイン?」

「そうじゃ、読んだことはあるかの?」

「ええ、マグル版も魔法界版も」

 

 セレネは3年生の時、この本を図書室で見つけたときの衝撃を思い出した。

 

「マグル版での怪物は男ですけど、魔法界版だと女だなんて……初めて読んだときは、目を疑ってしまいました」

 

 セレネが苦笑いをしながら答える。セレネは似たような話――アーサー王女説をノットにしたとき、彼が心底呆れていたことを思い出す。もしかしたら、フラメルにも馬鹿にされてしまうかもしれない。自分がたまたま手に取った話は、異端の説だったかもしれないのだ。

 ところが、フラメルは満足そうに微笑んだ。

 

「広まっている噂が、事実とは限らないということじゃ」

「では、本当に怪物は女だったと?」

「いかにも」

 

 フラメルは頷くと語り始める。

 

「ヴィクター・フランケンシュタインは錬金術師じゃった。彼は賢く、美しい理想の人間『完全な乙女』――すなわち、イヴを創り出そうとしたのじゃ。その結果は――君の読んだ通り、ホムンクルスは失敗作じゃった。イヴにはなれなかったのじゃよ。死体を繋ぎあわせ、生まれてきたのは涙を流さず、血を美しいと感じる怪物じゃったのじゃ。ヴィクターは逃げ出し、北極海に辿りついたとき力尽きた。……哀れな怪物ものう」

「……可哀そうな話ですよね」

 

 セレネは自分のカップに注がれた紅茶を揺した。

 

「怪物は勝手に生み出されたのに、産みの親からは虐待されて。喜ぶと思って持っていった物を拒絶され、初めて乞うた願いも無下にされる。復讐のため追いかけて行ったら、すでにその相手は死んでいた。……救われないですよ」

「実にその通りじゃ。しかも、死体を繋ぎあわせて、ホムンクルスを作るなど言語道断。死者を冒とくした末路ともいえる。

 ……さて、どうして、わしがこの話をしたのか。実はの……メアリー・スタインの先祖の話なのじゃ。つまり、君の先祖の話でもあるのじゃよ」

「え……?」

 

 セレネは手を止めた。まじまじとフラメルを見つめたが、彼の笑みは崩れない。

 

「御冗談でしょ?」

「いや、冗談ではない。

 ヴィクター・フランケンシュタインの息子は生きておったのじゃよ。息子は怪物から逃げるようにイギリスへ渡り、しばらくたってから家名をスタインに変えたらしい。

 嘘だと思うなら、パリの魔法省へ行くがよい。あそこには、シュタイン家の家系図が保管されておる。君の母の名前も刻まれおるはずじゃ」

 

 セレネは心の中で、夏の旅行先を決めた。

 義父に強請って連れて行ってもらうとしよう。家計や都合上無理だった時は、フラメルに頼み込むしかない。最悪、親衛隊の力を借りるとしよう。

 セレネは、どのような手を使っても、パリへ行きたくなってしまった。

 

「……だから、母は錬金術師だったのですね」

 

 せっかく見つけた母との魔法に関する繋がりなのだ。そう簡単に途切れさせたくはない。母の生い立ちが分かれば、必然的に父の正体もつかめるかもしれなかった。セレネ本人としては、そこを気にしていた。父がヴォルデモートではないという事実を明らかにしたかったのである。

 

「もしかして、母は祖先の名誉挽回のために錬金術を――……」

 

 セレネはフラメルに質問しようと口を開いたが、フラメルはうつらうつらと舟をこいでいた。セレネがじっと見つめていると、フラメルはぶるっと顔を震わせる。

 

「う、うむ、いかん。最近、眠りが近くての。そろそろ、お迎えかもしれん」

「先生には、まだ生きていて欲しいです。そのようなことを言わないでください」

 

 セレネは頭を切り替えた。

 彼には生きていてもらわねば困る。賢者の石の解明のために。

 すると、フラメルは朗らかに微笑んだ。それと同時に、12時を指す鐘がなる。今日はこれで終わり。タイムリミットだ。錬金術の授業ではなく、雑談で終わってしまったが、それはそれでよしとすることにした。ぬるくなった紅茶を飲み干すと、さっさと立ち上がる。

 

「今日は急いでおるが、なにかあるのかの?」

「ええ、ホグズミード村で友だちとご飯を食べる約束をしていまして」

「……彼氏かの?」

「違います」

 

 セレネはきっぱりと言い放つ。セレネは鞄の中に荷物をしまいながら、杖を一振りした。テーブルの上のカップはひとりでに宙に浮くと、洗い場にゆっくりと着地する。勝手に出てきた水で洗われ、ピカピカの状態で乾燥棚に置かれた。

 

「それでは、今日はありがとうございました。とても有意義な話が聞けました」

「いやいや、わしも驚きじゃったよ。母に恥じぬように、これからも生きるがよい」

「ええ、もちろんですよ」

 

 セレネはフラメルに背を向けると、ホグズミード村へ急いだ。

 

 

 校庭を淡い白色の太陽が照らしている。

 前回のホグズミード村行きの時はあいにくの雨模様だったが、今回はこれまでになく穏やかな天気で心地が良い。ホグズミードに着く頃には、セレネはマントを軽く畳み、手に提げていた。

 

「おそーい!」

 

 ホグズミードについたセレネを待ち受けていたのは、ミリセント・ブルストロードだった。その隣で、ダフネ・グリーングラスが曖昧な笑みを浮かべている。セレネは時計を確認する。

 

「待ち合わせ時間、まだ過ぎていませんけど」

「5分前でしょ! 私だって5分前に来ているんだから、あんたは10分前なの!」

「さすがにそれは横暴ですよ。……というより、あなたもいま来たのでは?」

 

 よくみると、ミリセントの肩は揺れていた。

 額からは汗が滲んでいる。おそらく、走って来たのだろう。頬にはクッキーの食べかすがついていた。そのことを指摘すると、彼女は瞬く間に赤くなった。すぐにハンカチで口元を拭うと、きりっとした目付きでセレネを睨みつける。

 

「もう、あんたは! いちいち細かいわね!!」

「そういうあなたは、少しばかり感情的になりがちでは?」

「まあまあ、2人とも。落ち着いて、落ち着いて」

 

 どうどうとダフネは2人の間に割って入った。

 

「2人とも、本当にごめんね。今日は忙しいのに、私のために時間を割かせちゃってごめんね」

 

 そう言いながらも、ダフネはいつになく嬉しそうに笑っていた。

 セレネとミリセントは顔を見合わせる。そして、互いに息を吐いた。

 

「いえ、ダフネ。こちらこそ、ごめんなさい」

「あたしもごめんね、ダフネ」

「もう、2人ともなに謝ってるの。さあ、行こうよ!」

 

 ダフネはスキップをしながら先に進む。そのあとをセレネと仏頂面のミリセントが後を追った。

 

 

 

 今日は、セレネとミリセントがダフネに昼食を奢る日なのである。

 

 

 なぜ、そうなったのか。

 理由は3年生の時に交わした約束に遡る。クリスマス休暇が終わった少し後、ミリセント・ブルストロードはセレネたちの前で宣言した。

 

『私たちのうち誰かが、来年のバレンタインまでに彼氏を作ること! 勝った方が負けた方になんでも1つ言うことを聞かせられるっていうのはどう?』

 

 と。

 セレネは承諾した。だが、バレンタインまでに彼氏を作らなかった。作れなかったのではない。作らなかったのである。セレネとしては、ここを強調したい。

 代表選手としての課題を解決するための魔法習得、賢者の石の研究、最近ではムーディからもらった本に記載された魔法の習得――、それに加えてマグルの勉強もしないといけないので、やることが山積みだ。

 

 とてもではないが、恋など楽しんでいる場合ではない。

 

 ミリセント・ブルストロードも彼氏ができなかった。

 

 ただ、彼女はセレネとは違い、クリスマスから彼氏作りに燃えていた。

 彼女はクリスマス・ダンスパーティーで、マクラーゲンに誘われた。だが、彼とは会場に入る前に言い争いをし、別れてしまったらしい。その直後に出会った、ザカリアス・スミスとは話が合ったらしいが、彼と目玉焼きの焼き加減の話で意見が分かれ、喧嘩別れしたそうだ。

 ミリセントは負けじと彼氏作りに励み、次にレイブンクローのマーカス・ベルヴィと仲良くなり始めた。ところが、これもシュークリームを皿で食べるか、直接手で食べるかという話で破局。

 結局、彼女は彼氏がいないまま、バレンタインを越し、いまに至る。

 

「うぅ、いいこと。セレネ。目玉焼きは――」

「半熟か固めか気にするような男とは付き合うな、ですよね。それ5回目です。ちなみに、シュークリームを手で食べる楽しさを認めない心の狭い男とも付き合うな、という文句は8回目になります」

「うぐぐ……私が勝つ予定だったのにぃ!! セレネをぎゃふんと言わせたかったのに!!」

 

 ミリセントは嘆いた。

 

 さて、セレネもミリセントも彼氏ができなかった。

 よって、この試合は引き分けかに思われた。

 

 

 

 

 だが、この約束に巻き込まれていた者がもう一人、あの場にいたのだ。

 

 ダフネ・グリーングラスである。

 おそらく、発起人はダフネが彼氏を作るなど想像もしなかったのだろう。普段から大人しく、あまり目立つことのない女の子だ。積極的に彼氏を作りに行くことなどできなかっただろうし、クリスマス・ダンスパーティーさえなければ、セレネたちのように独り身だったはずだ。

 しかし、クリスマスが彼女を変えた。

 レイブンクローのアンソニー・ゴールドスタインに見初められたのである。二人は鳥の夫婦が寄り合うように仲睦まじく、落ち着いたカップルだ。

 きっと、滅多なことがない限り、このカップルは破局しないだろう。

 

『ねえ、ミリセント。セレネも聞いて欲しいんだけど、あの約束って、もしかして、もしかしてだけど……私の勝ち、なのかな?』

 

 バレンタイン後、ダフネからそう切り出された時、セレネとミリセントは何も言い返すことができなかった。

 そして、ダフネが敗者に下した命令で今日、セレネたちはホグズミードにいる。

 

 その命令が、『ダフネに昼食を奢ること』なのであった。

 

「……私が、負けるなんて」

 

 セレネは胃が落ち込む気持ちを堪えながら、三本の箒に入る。

 賑やかな店内とは反対に、セレネの気持ちは今にも沈みそうだった。なにしろ、今までほとんど負けたことがない。たかだか彼氏を作るという非常にくだらない対決だったが、負けた事実をあまり認めたくなかった。

 

「……もう少し、本気で乗り出していれば……こんなことには……」

「いやー、考えてみなさいよ。あんたが彼氏を作ったが最後、下手すれば親衛隊が暴動を起こすわよ」

 

 ミリセントがヤル気のなさそうな声で言いながら、テーブルに着いた。

 

「フローラたちを筆頭にですか?」

「隊長殿を筆頭によ。あいつ、暴れまわるわよーきっと」

「彼はありえませんよ」

 

 セレネはダフネの背中を目で追いかけながら言った。

 ダフネはセレネたちの財布を手に、カウンターへ走っている。公正なるじゃんけんの結果、食べ物代がミリセント、飲み物代がセレネということなっている。

 

「彼、好きな人がいるみたいですし」

「ふーん、それ誰よ」

「さあ。部下のプライベートに立ち入る必要はありませんから」

「……部下って、ねぇ」

 

 ミリセントが疲れたように笑うと、そのまま机に突っ伏した。

 

「あー、もう! セレネのわからずやが!」

「わからずやって……なんのことです?」

「そこよ! そういうところよ!! なによ、ダフネにゴールドスタインがいて、パンジーにはドラコがいて、セレネはわからずや! あーもう! 私の魅力に気づく優しい男はいないのかしら!?」

「きっといるよ」

 

 テーブルに戻って来たダフネが明るい声色で言った。

 彼女は、数種のスコーンが載ったお盆を持っていた。その後ろには、バタービールが3本浮かんでいる。

 

「スコーンだけでいいのですか?」

 

 セレネはダフネに話しかける。

 

「ミリセントの財布を気遣わなくていいですよ」

「……あんたが言わなくていいわよ」

 

 すぐにミリセントが噛みついてくる。その様子を見て、ダフネはくすくすと笑った。

 

「いいの。だって、私、三人でゆっくりおしゃべりしたかったんだ」

 

 ダフネは椅子に腰を下ろすと、ここ最近のことを口にした。

 

「セレネはいつも以上に忙しそうにしてるし、ミリセントもぴりぴりしているし……命令は口実。ちょっとお昼を安くあげたかったのは事実だけど……こうして、ゆっくりおしゃべりしたかったんだ」

「「……ごめんなさい」」

 

 セレネとミリセントの声が重なった。

 

「いいのいいの。ほら、バタービールが冷めちゃうよ」

 

 ダフネは幸せそうに笑った。悪意の欠片もない純粋な笑顔に、セレネは苦笑いを返す。ダフネの笑顔を見ていたら、やり返そうという気とか負けた悔しさも薄まってしまった。

 

 それから三人は、スコーンとバタービールを片手に、とりとめのないおしゃべりをした。

 

 ハニーデュークスの新発売されたヌガーの素晴らしさのこと、グランドラグス魔法ファッション店の流行服について、管理人のフィルチと司書のマダム・ビンスは付き合っている説、クラッブとゴイルではどちらがマシか――。

 セレネはほとんど聞き役であり、内容も政治や勉強とは関係のないものばかりだったが、時がたつのを忘れてしまったくらい楽しい一時だった。

 

 たまには、勉強もしない日もあっていいのかもしれない、と思える程に。 

 

「もう、喋りつかれて顎が痛いじゃないの」

 

 三本の箒を出るとき、ミリセントは笑いながらダフネの腹を小突いた。

 

「でも、楽しかったでしょ?」

「まあね。それで、次はどこに行く? まさか、これで終わりってわけじゃないわよね?」

 

 ダフネとミリセントが楽しそうに話している。その後ろを追いながら、ふと――セレネの視界の端に、黒い動物が映った。黒い犬だ。前足に銀色の義手をつけているが、馴染んでいないのだろう。ひどく歩きにくそうに、よたよたと進んでいる。

 

「あの犬……」

「どうしたの、セレネ?」

 

 ダフネが振り返って尋ねてくる。

 片足を失くした犬は、ちょうど猪の絵がぶら下がったパブに消えて行った。

 

「いいえ、なんでもありません」

 

 あの犬が、シリウス・ブラックだと言っても信じてもらえないだろう。

 

 マグル大量殺人事件の真犯人は吸魂鬼に魂を奪われ、なにも話せなくなってしまったので、いまだにブラックは容疑者だ。彼は逃亡生活を送っている。しかし、まさか、ホグズミードに戻ってきているとは知らなかった。

 

 セレネの応援にフラメルが駆けつけたのと同じように、シリウス・ブラックもハリーのために戻って来たのだろうか。

 

「……ま、なにもしてこないならいいけどね」

 

 セレネは小さく呟くと、もうかなり先に進んでしまった二人を追いかけるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 月は流れていく。

 

 イースター休暇が終わる頃、第三の課題の内容が発表された。

 代表選手は、クィディッチ競技場にできた巨大迷路に入り、その中心に置かれる優勝杯を手に入れる課題だ。もちろん、ただの迷路ではなく、ハグリッドが放した魔法生物や罠や呪いがいたるところに障害物として設置されているらしい。

 

 説明役のバグマンが『ハグリッドの魔法生物』と口にしたとき、セレネはハリーと目を合わせてしまった。

 これは、十中八九――あの「尻尾爆発スクリュート」も出てくる。この珍生物は今やそこらの呪いを通さぬ殻で覆われている。踏み潰せればいいのだが、哀しいことに全長は2メートルに匹敵してしまっていた。しかも、こいつは殺しあいが趣味なのである。

 もはや、この課題のために生まれてきた生物なのでは?とさえ疑いたくなってしまう素晴らしさだ。セレネは、こいつと絶対に遭遇したくない。

 

 

 なお、スタートする順番は順位順だ。

 すなわち、1位のセレネとハリーが最初に入り、次に2位のセドリック、3位のクラム、4位のフラーと続いていく。

 無論、先に迷路に侵入したセレネたちが一番有利なのだろうが、待ち受ける障害物によっては逆転されることも考えらえる。道にだって迷うかもしれない。つまり、誰にでも――最後に入るフラー・デラクールにも、優勝のチャンスはある。

 

 うかうかはしていられない。

 

 セレネは「秘密の部屋」へ行く回数を増やし、呪文の習得に励んだ。

 単純な攻撃系の魔法数種と「幻影魔法」など相手を躱すことのできる魔法を中心に練習していく。

 

 ……ちなみに、ムーディから渡された「もっとも邪悪なる魔法」は、非常に興味深い闇の魔術が詰まっていたが、第三の課題を考えると使えないものばかりだった。若返りの魔法は今のセレネに必要ないし、殺人によって魂を分け、殺されないようにする「分霊箱」なんて犯罪だ。即、アズカバン行きである。すべてを燃やし尽す「悪霊の炎」は魅力的だったが、止め方が非常に複雑で、いまの自分には難しそうだった。前者はともかく、後者は使えて損はないので理論のみ習得しておく。

 

 賢者の石もフラメルのおかげで、方向性は異なるが、ついに試作品が完成した。

 フラメル版の永遠の命をもたらすものではなく、どちらかといえば、パラケルスス版の魔法吸収タイプになってしまったので、厳密に言うと失敗だが、なにかに使えるかもしれない。セレネはいつも胸ポケットに入れておくことにした。

 

 

 

 新たな魔法の習得、賢者の石研究――これらに励んでいる間にも季節は進んで行く。

 つい先日まで若々しい黄緑色だった木々が、すっかり深緑色に染まり、勢いよく空に向かって枝を伸ばしている。もうすぐ来る夏を謳歌しようと、元気溌溂とした木々とは反対に、セレネの心は少し沈んでいた。

 

 

 なぜなら、最後の課題当日だからである。

 

 朝食時、いつもなら焦げ目のついたトーストにバターを載せて食べるのだが、今日はなかなか食べ進めることができない。バターはすっかり溶けて、ぽたぽたと皿に黄色の染みを作り始めていた。

 

「セレネ、大丈夫?」

 

 ダフネが魔法史の本から顔を上げ、心配そうに尋ねてきた。

 

「ええ、大丈夫です。ダフネこそ試験の方は大丈夫ですか?」

「全然。ゴブリンの反乱の首謀者の名前が、まったく覚えられない」

 

 ダフネはお手上げだーと両手を挙げる。代表選手は期末試験を免除されていたが、一般生徒はそうでもない。今日は期末試験最終日――誰もが、最後の追い込みにかかっているのである。

 

「語呂で覚えればいいですよ。だいたい、薄汚いウルグとかですよ」

「やってるけど、忘れちゃうんだよ……。そのまま本番でいいかな」 

「諦めずにやってみたらどうでしょう? 道が開けるかもしれませんよ?」

 

 セレネはそう言いながらダフネを励ましていたが、内心では自分が一番逃げ出したかった。少なくとも、尻尾爆発スクリュート級の魔法生物と相対した時、対抗できる手札が少ししかないのだ。あらゆる作戦を立案してあるが、それがスクリュートに決まるとも限らない。

 最悪、「直死の魔眼」がある。だが、これは――ムーディの忠告を受け、いままで以上に使いたくないものになっていた。

 

「ゴーント」

 

 そのとき、マクゴナガルがセレネに近づいてきた。

 

「代表選手は、朝食後に大広間の脇の小部屋に集合です」

「課題は今夜でしたよね?」

 

 セレネは、少し眉間に皺を寄せて答える。

 

「それは分かっています。いいですか、代表選手の家族が招待されて、最終課題の観戦に来ています。みなさんにご挨拶する機会だというだけです」

「私の義父は、マグルなのですけど……そこは、大丈夫なのでしょうか?」

「問題ありません。過去にも、ホグワーツにマグルが足を踏み入れたことがあります」

 

 マクゴナガルが立ち去り、セレネは少し唖然としていた。

 そして、内心――少し不味いな、と思った。

 なにしろ、セレネは義父に代表選手になったとは一言も伝えていない。こうなるならば、クリスマスの時にされたノットの忠告通り、伝えておけば丸く収まったかもしれない。だが、あの心優しい義父のことだ。そのあたりの事情も分かってくれるだろう。

 

 セレネはそう判断すると、ダフネと別れて大広間を横切った。

 そのまま、小部屋のドアを開いた。小部屋のすぐ内側にはセドリックが両親と話している。彼の父親は『人生最高の瞬間』と言いたそうな晴れ晴れとした笑顔を浮かべているが、母親の方は、喜びの中に少し心配だという色が見え隠れしていた。その隣には、クラムに似た男と、スレンダーな女が座っている。おそらく、まだ部屋に入ってきていないクラムの両親だろう。その反対側で、フラーが彼女の母親とフランス語と思われる言語で楽しそうに話していた。フラーの母親は、第二の課題の時に湖の中で目撃した小さな女の子の手をしっかり握っている。

 

 そして、その向こう側――暖炉の前で、義父のクイール・ホワイトは赤毛のぽっちゃりとした女性と耳に牙のイヤリングをつけた長髪の青年と楽し気に言葉を交わしていた。

 

「義父さん」

 

 セレネが呼びかけるよりも先に、クイールはこちらに気付いた。ぱっと表情が華やいだが、それは一瞬だけだった。無言で立ち上がり、こちらに近づいてくる。彼は感情のすべてを押し殺したような表情をしていた。

 

 そして――ぱしん、とセレネの頬を叩いた。

 

「どうして、僕に言わなかったんだ! こんな危険な課題に参加させられているって!」

 

 予想通り、クイールから叱りの言葉が降ってくる。

 しかし、その声は怒りというよりも、今にも泣きそうな鼻声で、セレネは戸惑ってしまった。怒られるのは予想の範囲内だ。叩かれるのも最悪ありえると考えていた。ところが、まさか泣かれるとは思っていなかったのである。

 なぜ、彼は泣くのだろう。

 自分のことではないのに。実の娘でもないのに。

 

 

「聞いたよ、何度も死にかけたって。ドラゴンや水中人に襲われたって!!

 セレネに万が一のことがあったら……僕は、君のお母さんに何て言えばいいんだ? 

 ……教えてくれたっていいじゃないか。魔法の使えない僕は、たしかに何もできない。君の助けになれない。僕が課題の内容を知ったら、きっと心配すると思って、今回のことを一切も話さなかったことも理解できる」

 

 クイールの手がセレネの肩に置かれる。彼の顔は涙で歪んでいた。

 

「でも、僕たち家族じゃないか」

「かぞく?」

「嬉しいことも、辛いことも、悲しいことも、分かち合うことができる。辛いとき、互いに支え合うのが家族なんだよ。……ホグワーツでは習わなかったかい?」

 

 セレネは何も答えられなくなってしまった。

 ただ、もう彼の泣き顔は見ていられない。少し俯くと杖を取り出した。

 

「……『テルジオ‐拭え』」

 

 杖を操り、クイールの涙を拭きとる。

 

「ごめんなさい、お義父さん」

 

 セレネは囁くような声で謝った。

 

 彼に謝ったのは、いつ以来だろう。そもそも、彼に怒られた記憶がない。彼の前では、いつも気を張りながら優等生を演じ続けてきていた。わがままは言わず、率先して家事を手伝っていた。

 だから、きっと初めてだ。彼に迷惑をかけ、強い心配をかけさせてしまった。セレネの心の中に、少しずつ罪悪感が広がっていく。

 

「……セレネ、謝らなくていいんだよ」

 

 だが、その広がりに、待ったをかけたのもクイールだった。彼はぽんっとセレネの頭を撫でる。セレネが視線を上げてみると、そこにはいつも通りの微笑みを浮かべた義父の姿があった。その顔を見ていると、罪悪感や課題に対する不安感や緊張まで溶けていく。セレネは自分の表情が緩んだのを感じた。

 

「だけど、次からは一言言って欲しいな。

 はい、説教はここまで。反省の代わりにというのはなんだけど、この学校を案内してくれないかな? 実は、うずうずしていてね」

 

 クイールは子どもっぽく笑うと、セレネの手を引いて歩き始めた。

 大広間に戻ると、もう大半の生徒は試験へ向かっていた。クイールは天井を見上げると、組み分け前の1年生のようにはしゃいでいる。

 

「凄いな。食堂の上に、空が広がっている!」

「空じゃなくて天井ですよ。魔法で投影しているだけです」

「魔法版プラネタリウムか。凄いな、セレネ。夏に帰ったら、家の天井にあの魔法をかけてくれないかな?」

「すみません、夏休みは魔法を使えません。卒業したらは、どうでしょう?」

「うん、いいな。楽しみだなー……あれ、あれはハリーじゃないか」

 

 クイールはハリーの方に近づいていった。

 彼は緊張しているのか、はたまた家族に会うのが嫌なのか、複雑な表情でベーコンとにらみ合っていた。ハリーはクイールに気付くと、少しだけ表情を明るくした。彼は、ハリーの担任だった時代があるのだ。

 

「先生! セレネの観戦に来たんですね」

「そうだよ。もちろん、君のことも応援している。まさか、教え子と娘が魔法使いで、一緒に戦うなんて――物語になりそうだ。くれぐれも、結末はハッピーエンドで頼むよ」

「もちろんです」

 

 セレネはきっぱりと言った。

 

「私が勝利して、ハッピーエンドです。せいぜい健闘してくださいね、ハリー・ポッター」

「こら、セレネ。友だちに対しての口の利き方じゃないぞ」

「……お互い頑張りましょう、ハリー。

 ところで、小部屋へ行かないのですか? 赤毛の婦人が待っていましたけど」

「えっ!!? ダーズリーじゃなくて!?」

 

 ハリーは驚きのあまり跳びあがると、急いでベーコンを口に押し込んだ。そして、尻に火がついたような速度で小部屋に向かう。

 よほど、ダーズリーが来ることが嫌だったに違いない。

 

 学校内を案内してもよかったが、他の生徒たちがテスト中なので、校庭を案内することにする。

 陽光が降り注ぐ校庭をクイールと歩き、ボーバトンの馬車やダームストラングの船を見せたりした。特にボーバトンの馬車をひく天馬に興味を持ったらしく、太陽の日差しで普段より一層輝く黄金の鬣に、クイールの眼は、しばらく奪われていた。

 他にも、近づくものに攻撃する『暴れ柳』を、遠くから眺めた時には、どうしてこの危険極まりない植物が植えられたのかと、クイールは考えを巡らせていた。これには、セレネも解答することができなかった。

 

 どうして、あの危険極まりない植物が植わっているのだろうか。絶対に自然保護のためでないことは確かである。後日、調べてみることにしよう。

 

 

 

 初夏の陽光の下、心地よい風を感じながら二人で歩く。

 遠くに、クィディッチ競技場が見えた。城からでも巨大な生垣がうごめいているのが見える。

 

「義父さん、私――絶対に、帰ってきますね」

 

 自分のために、優勝しようと思っていた。それは、今でも変わらない。

 だけど、たとえ――最悪な結果になったとしても、彼のために生きて戻ってくる。もう、彼の泣き顔を見たくなかった。あの顔を思い出すと心がずきずき痛む。そんな気持ち、いままで感じたことがなかった。

 

「優勝したら、今年の夏は海外旅行に行きませんか?」

「おっ、セレネから提案するなんて珍しいね。どこに行きたいんだい?」

「パリ。フランスです」

「フランスか……僕は日本に行きたかったけど、まあいいか。優勝したらフランスに行こう」

 

 クイールが朗らかに微笑み、セレネの肩を叩く。

 

「絶対に戻っておいで、セレネ」

「はいっ!」

 

 

 

 遠くで12時の鐘が鳴る。

 あと、課題まで4時間。それまで、セレネは義父と寄り添って過ごした。

 

 

 心地の良い、最後の至福を――。

 

 

 

 

 

 

 

 




セレネの祖先が明らかになりました。
ちょっと無理やりだったかもしれません。でもいいんだ。だって、FGOではイギリスにヴィクターの孫いるもんね!


いよいよ第三の課題です。次回もお楽しみに!


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。