「セレネ、すっごくいい!」
長い長い着せ替え人形の時間も終わり、ようやく再会した友は頬を赤らめていた。
「とっても似合っていますよ!
いえ、セレネが到着して早々、お母さまが専属のスタイリストと連絡をとっていましたので『きっと、着飾っているんだろうな』と思っていましたが……まさか、ここまで凄くなるとは思いませんでした!」
ジャスティンは最初からセレネを助ける気などなかったらしい。
セレネは初めて彼に殺意を抱いた。
「……あなたのお母さまが二時間以上、あれを着せたりこれを着せたりした挙句に選んだ衣装ですからね。似合っていないわけないと思いますよ」
セレネは皮肉をこめて、やや乱雑に言った。
ジャスティンはセレネのあからさまに不機嫌な様子に気づくと、少し罰の悪そうな表情を浮かべた。
「あー……ごめんなさい。お母さまは女の子を着飾るのが夢だったみたいでして……ほら、僕は男兄弟ですから」
そのことは既に知っている。
着せ替えられながら、何度となく同じ話を聞かされた。
服など機能性重視で、みっともない程度でなければ構わない。
無論、イギリス上流階級のパーティーということで、義父に「セレネのお母さんが着ていたパーティードレス」を出してもらい、ダフネから借りた本で軽く化粧をしたのだが、それはジャスティンの母親からしてみれば「まったく似合わない失敗作」だったらしい。
「……まあ、眼鏡は許して貰えましたので、それだけは良かったです」
セレネはため息をつくと、ぎりぎり杖が入ったパーティーバッグを抱きしめた。
眼鏡はとられそうになったが「視力はいいのですが、特殊な色覚異常がありまして!」と訴えれば、あっさり許してくれた。どうやら、魔法族特有の目に関する異常だと認識してくれたらしい。
それを想えば、少しだけ掻き乱された気持ちが落ち着いた。この眼鏡を外した瞬間に広がる世界に比べれば、着せ替え人形になる程度、容易な課題である。
「本当にごめんなさい、母が迷惑をかけて」
「……迷惑ではありませんよ。たぶん、これほど素晴らしいドレスを着たのは生まれて初めてです」
セレネはドレスの裾をつまんだ。
迷惑でないのは嘘だが、ドレスの感想に関していえば本当だ。
セレネは、窓ガラスに映し出された自分の姿を一瞥した。
腰を結ぶ大きめなリボンとチュールが特徴的なスカートは可愛らしく、だがオフショルダーなので肩元が少し恥ずかしい。短めな黒髪も編み込まれ、優雅に結わかれていた。軽めに施された化粧は、13歳の少女を大人っぽく見せている。
まさに、別人だ。
化粧や衣装を馬鹿にしていたが、前言を撤回した方が良いのかもしれない。化粧や衣装一つ違うだけで、与える印象は大幅に変わってくる、と。
ふと――シンデレラもこんな気分だったのかと感じる。灰に汚れた娘も、魔法で瞬く間に変わっていく自分に驚きを隠せなかったに違いない。
もっとも、セレネをエスコートするのは白馬に乗った王子様などではない。たんなるホグワーツの同級生だ。セレネはジャスティンにぎこちない笑みを向けた。
「しっかりクリーニングに出して、返しますね」
「なにを言っているの、セレネさん」
その言葉を聞いた瞬間、身体が硬直するのを感じた。
ジャスティンの母親である。いつのまにか、セレネの後ろで優雅に微笑んでいたのだ。
「その服もアクセサリーも、すべて差し上げますわ」
「で、ですが……」
「その代わり、また遊びに来てくださいね。ジャスティンも他の息子たちも、着飾り慣れていない女の子を連れてくることがないのよ」
「しかし……」
「そもそも、学校の友だちを連れてくるのが初めてなのよ」
ジャスティンの母親は喜色満面で話し始めた。
「もちろん、どんな娘さんだろうと不安でしたわ。なにしろ、ほら、学校の友だちといえば、大きな言葉では言えないけど、魔法使いでしょ? もちろん、息子の友だちは魔法の世界出身の方ばかりで、話を聞く限り、どの方も上品だったのだけど、価値観がずれているようで……とにかく心配していたのよ。私はね、ジャスティンを政治家か学者の道を志すよう教えていたのだもの。イートン校に合格するために、生後間もないころから家庭教師を雇って……でも、『この子は、魔法の世界で生きていくのだから……』と諦めていたわ。
だからね、あなたのような魔法の世界出身ではない娘さんを連れてくるなんて、もっと思わなかった!」
その勢いはまさに、怒涛。
口を挟むすきなど与えない。自分の話したいことだけを一方的に語る。否、語るなどという表現では生ぬるい。語り尽す、だ。
「どんな娘が来るか、気が気でなかったわ。家督は継がないにしても、フレッチリー家の名に恥じぬ娘でなければ許さないって思っていたの………ああ、気にしないで、セレネさん。私、セレネさんを気に入りましてよ。きっと……あら! あらっ! あそこにいるのはハリウッド俳優じゃなくって!? 大変、すぐに挨拶に行かなくては!
それでは、セレネさん、ごゆっくり。ジャスティンは、粗相がないように」
それだけ言うと、ドレスを翻し風のように走り去っていった。
まさに、嵐のような女性だ。
はたっと我に返れば、セレネのことなど忘れたかのように、俳優たちに黄色い歓声を上げていた。
「凄いお母さまですね……ジャスティン、なに笑っているのですか?」
ジャスティンはくすくす笑っていた。
「失礼。セレネが怖がっているところ、初めて見ました」
「怖がってなどいません。少し苦手なだけです」
セレネは唇を少し尖らせた。
普段は優等生の仮面をかぶっているが、あればかりは御免被る。
優等生らしく逆らうことなく、大人しく彼女に従えばよかったのかもしれないが、ただの人形に成り果てるのは生理的な嫌悪感がある。
それから、あのように嵐のような女性は、セレネの人生の中で初めての出会いだった。ゆえに対処方法が分からず、流されるままに屈辱の数時間を過ごすことになってしまったのである。
まだ、ヴォルデモートの方が「立ち向かおう」という意思が芽生える。できれば二度と出会いたくない人種だった。
「たしかに、お母さまはおしゃべりですから」
「度が超えています」
「それは、セレネがしゃべらないだけですよ。スーザンやハンナも興奮すると、あれくらいしゃべります。だから、僕とアーニーはたじたじで」
話しながら歩いていると、次第に笑い声や音楽の音が大きくなってきた。
部屋に入ると、息をのむくらい開けた空間が広がっていた。気品のあるシャンデリアなどの照明器具が白い壁を黄金に輝かせている。天井からは真紅と深緑の垂れ幕が交互にかかり、テーブルにはテレビや雑誌で眺めたことのある御馳走が並んでいた。その周囲を煌びやかな男女が細いグラスを片手に談笑している。
「素敵ですね」
ウェイターが持ってきたグラスを手に取り、奥へと進んでいく。
パーティー会場の中央には、首が痛くなるほど高いモミの木が飾られていた。
クリスマスツリーは赤や金のリボンと銀の鈴で飾られ、感嘆の息を零してしまう。あまりにも美しいので、セレネはつい
「まるで、魔法みたい」
と呟いてしまった。
この世界に魔法はある。だが、あれは確かにマグルの作ったクリスマスツリーだ。魔法使い特性のツリーではない。だが、魔法に負けず劣らず素晴らしい。
「魔法でないってことは理解していますけど、素晴らしいですね」
「いいえ、あれは魔法ですとも」
一人の老婆が近づいてきた。
だが、彼女を老婆、と呼ぶのは申し訳ないかもしれない。
背筋は定規でも入ったかのようにピンと伸び、白髪は上品に整えられている。皺だらけの顔も気品があり、誇り高さを感じられた。
「私の曽祖父が、魔法使いから譲り受けたクリスマスツリーよ。リボン一本一本に邪気払いの魔法がかけられているそうなの。本当かどうか分からないけど」
「おばあ様!」
ジャスティンの背中も老婆のようにぴんっとまっすぐになった。
「ひさしぶりね、ジャスティン。寮制の学校に入ったとは聞いていたけど、まさか外国の学校だとは思わなかったわ。そちらは、学校のお友だち?」
「……はい、セレネ・ゴーントと申します」
セレネは丁寧にお辞儀をした。
ホグワーツは外国、ではなかったが、ジャスティンの反応を見る限り、祖母には彼が魔法使いである、ということを知らせていないらしい。
「……ゴーント?」
ジャスティンの祖母の顔が一瞬歪んだ。セレネは首を傾げる。
「あの……なにか?」
「いえ、ごめんなさいね。ゴーントという名に聞き覚えがありまして」
「えっ!?」
セレネは驚きのあまり、持っていたグラスを落としそうになった。
「どうしたのですか、セレネ?」
ジャスティンが訝しそうにこちらを見てくる。
セレネは急いで驚きを隠した。
「失礼しました。ゴーントという苗字は珍しいな、と感じまして。もしかしたら、親戚かもしれないので教えていただけれると嬉しいのですが」
セレネは慎重に言葉を選びながら尋ねた。
老婆はじっとセレネの目を見つめる。その眼差しはセレネの心を見透かそうとしているようだったが、ダンブルドアほどの眼力はない。セレネが真剣に見つめ返すと、老婆はややあってから口を開いた。
「六十年以上前の話よ」
静かに前置きすると、老婆はゆっくり話し始めた。
「リトル・ハングルトンにね、大富豪の一家がいたの。そこの息子がとてもハンサムで、若い娘は誰もが彼に熱を上げたものよ」
「おばあ様も含めて、ですか?」
「ええそうよ。今思えば性格は少し……いいえ、かなり傲慢で礼儀がなってなくて、本当に良い人とはいえなかったけど、そこらの映画俳優よりずっとかっこよかったの。
そんな彼がある日突然、駆け落ちしたのよ。誰もが驚いたわ。美男子だったことは確かだったし、皆熱を上げていたのは間違いないのだけれど、彼と駆け落ちしてまで一緒になりたいと思う人はいなかったし、しかも、相手は、あのメローピー・ゴーントだったのですもの。
その知らせを聞いた瞬間、驚きのあまり紅茶のカップを落としてしまったわ」
「メローピー・ゴーント」
セレネは名前を反芻した。
「生粋の貴族―魔法族家系図」に「ゴーント家 最後の末裔」として記されていた名前だ。
「とても美しい人だったのですね」
「いいえ、そんなことはなかったわ!」
ジャスティンが尋ねると、老婆は少し怒ったような口調で言った。
「青白くて、髪に艶がなくて……おまけに、家は村はずれの草むらの中。扉の入り口には蛇の死骸が打ち付けられているのよ。父親は犯罪者で監獄に入れられてるらしくて……。もちろん、結婚生活は長く続かなかったわ。半年後、彼女を連れず、たった一人で村に現れたの。『騙された』と言いながら。
……まさか、あなたは彼女の親戚、かしら?」
「いいえ、知りません」
セレネは断言した。
十中八九、メローピー・ゴーントはヴォルデモートの母親であり、富豪の息子が父親だろう。
大方、メローピーが魔法で富豪の心を操ったが、なにかしらの理由で魔法が解けて、富豪は逃げていったといったところだろうか。その後、メローピーはヴォルデモートを産んだ。
「私の家はロンドンですし、リトル・ハングルトンという村の名前は初めて聞きました」
「そうよね、あなたはメローピーともトムとも似ていないもの。
不快な思いをさせて、ごめんなさいね」
「いいえ、そのようなことはありません。お話しいただき、ありがとうございます」
セレネがにこやかに答えると、老婆はほっと安心したように息を吐いた。
リトル・ハングルトン。
セレネは村の名前を心の片隅に止めた。
「ミセス! ああ、ここにいらしたのですか!」
燕尾服の男性が声を上げて近づいてきた。
その声を合図に、初老の男性が老婆の周りに集まってくる。そのなかの数名には、マグルの新聞で見覚えがあった。閣僚や有名企業の社長だ。きっと、セレネが知らないだけで、他の男たちも似たような立場にちがいない。
ジャスティンは去りたそうにしていたが、セレネはあえて彼女の隣に立っていた。
「まあまあ、お久しぶりですわ。大臣になられたんですって?」
「おかげさまでなんとかやっていますわい」
「ミセスも御元気そうで何より。……おや、こちらの御二方は?」
話を振られ、ジャスティンの身体がびくりと一瞬跳ねたのを感じた。
「私の孫とその友人ですの」
「はい、ジャスティン・フィンチ・フレッチリーと申します」
「セレネ・ゴーントです。よろしくお願いします」
ジャスティンは背筋を伸ばしながらも、どこかそわそわしていた。
ちらちらこちらに視線を送ってくる。まるで「はやく別の場所に行こう」と促しているようだったが、セレネはそれに気づかないふりをした。
「これはこれは、聡明そうな……ベックマンです。お見知りおきを」
初老の男が手を差し伸べてきた。ジャスティンが緊張気味にベックマンの手を握り返すのを待ってから、セレネもそっと手を差し出す。
それからしばらくは、初老の男女と手を交わす時間が続いた。ときに談笑し、聞かれた問いには持っている知識を総動員して答える。
「……すみません、この後、予定がありまして……」
最後にガリアスタの色黒い手を握り返し、別れた後――セレネはすまなそうに口を開いた。
時刻は、すでに7時を回っている。気がつけば、1時間近くが経とうとしていた。
「まぁ!? 知らなかったわ!」
老婆は口に手を当て驚き、ジャスティンは酷く落ち込んだ表情を浮かべていた。
「ごめんなさいね、年寄りにつきあわせてしまって……本当は2人で回りたかったでしょうに」
「いいえ、そんなことありません。興味深い一時でした」
セレネはドレスの裾をつまみ、軽くお辞儀をした。
「僕、出口まで送っていきますよ。あ、タクシーを呼んだ方がいいですか?」
「ありがとう。だけど、タクシーはいりません」
セレネはジャスティンと一緒に出口へ向かう。
セレネはやや足早に、ジャスティンは少し遅めに歩みを進めていた。
「時間が経つのはあっという間ですね」
ジャスティンが悲しそうに口を開いた。
「僕、もっとセレネと一緒にいたかったです」
「私もですよ」
セレネも言葉を返した。
「もう少しパーティーを楽しみたかったです」
「でしたら、来年もどうですか?」
ジャスティンは少し焦り気味の口調で提案してきた。
「来年もパーティーがありますし、次は、その……もう少しのんびり……どうですか?」
「ありがとう、考えておきます。とても楽しかったです、ジャスティン。それから、お母さまにドレスの礼を伝えておいてください」
セレネは丁寧に礼を口にし、最後「それでは、ホグワーツで」と言うとすぐに出口へ飛び出した。
約束の時間が迫っている。
ヒールが脱げそうになったが、なんとかバランスを保ちながら早足で進む。
一歩路地に入ると、そこには待ち合わせ通りの人物がいた。
否、人ではない。
長い耳、テニスボールのような目、薄汚いシーツを貧相な身体に巻き付けた生物――屋敷しもべ妖精だ。
「セレネ・ゴーント様でいらっしゃいますね」
しもべ妖精は甲高い声で尋ねてくる。セレネは頷き、肯定の意を示した。すると、しもべ妖精は枯れ枝のような手をこちらに差し出してきた。
「お待ちしていました、それではお連れ致します。お手を貸してください」
冷たい手を握りしめると、セレネは腹の底から持ち上がるような浮遊感を覚えた。
事実、足が地面から浮きあがっている。風が唸り、身体が回転した。視界の景色が、めまぐるしく世界が変わっていく。例えるなら、気分はジェットコースター。安全ベルトなしで一回転しているような感じだ。または、全自動洗濯機に叩き込まれた、という例えも悪くない。
初めての感覚に吐き気を覚えながらも、どうにか真顔で足が地面に触れたとき、セレネは安堵の息をついた。大丈夫だと理解していても、知識と経験は結び付かないものである。
「つきました、ゴーント様」
小綺麗な茂みが続いている。
同じ高さで刈りそろえられた茂み、冬にもかかわらず青々と柔らかそうな芝、絶え間なく湧き出ている噴水、そして、クジャクが悠々と庭を闊歩する。
一目見ただけで、金持ちの庭だということが分かった。
「さて、やってやりますか」
良い子の人形の時間は終わり。ここからが勝負どころである。
セレネは口の端を片方だけ持ち上げた。乗り込むのは、マルフォイ邸のクリスマスパーティー。
夜はまだ、これからだ。