“それ”を知る者は、言葉を濁す。
「僕はハグリッドの友だちだし、いまでも彼が大好きだよ。ただ、彼にはちょっと刺激的な生物が大好きっていう悪い癖があるだけで……うん、君が聞きたがってる“それ”はね、ハグリッド好みだった魔法生物において、最も危険で恐ろしい生き物だということには間違いないよ。ロンはアラゴグの方が嫌いかもしれないけど」
“それ”を授業で扱うはめになった者たちは、抗議の言葉を口にする。
「殺し合いが趣味なんて素晴らしい新生物を飼育できる一大プロジェクト、僕は二度とごめんだね。グラブリー・プランクの授業は刺激がないけど、絶対的に安心安全さ」
「はじめはね、ドラゴンの血のように、画期的な効力のあるものを持った生き物だと思いたかったの。授業で扱うってことはそういうことでしょ? でも、蓋を開けてみたら……ハグリッドには悪いけど、あれは孵化したばかりのときに踏みつぶすべきだったわ」
“それ”と戦うことになった者たちは、総じて目を逸らす。
「僕は魔法生物飼育学の授業を受講していなかったから、迷路で初めてそれと会ったんだ。噂には聞いていたから、なんとか対処はできたけど……」
「違法生物を生成した挙句、自分の手に負えなくなった怪物の後始末を代表選手に任せるという発想自体が……いいえ、文句を言っているのではありません。代表選手は課題に反論できる立場ではありませんから」
“それ”と対峙した者たちは、誰もが口をそろえて答える。
「二度と関り合いたくない」、と。
ただ一人、“それ”を生み出した張本人を除いて。
「なんでだ? スクリュートは可愛いだろ? こんな面白い生物、なかなかいねぇぞ?」
※
「尻尾爆発スクリュート!? それって、全滅したんじゃなかったの!?」
アルバスはリリーを背中に隠すように立ちながら、必死になって親友に問い返す。
尻尾爆発スクリュートの存在は、さすがに耳にしたことがあった。
『尻尾爆発スクリュート』
ハグリッドが生み出した合成生物で、殺し合いが三度の飯より好きという恐ろしい怪生物。スクリュート同士で殺し合いをはじめ、最終的に残った個体が三校対抗試合の第三戦に投入され、猛威を振るったとされている。なお、代表選手たちもこの生物を一時的に無力化することはできても、殺すことはできなかった。
代表選手が弱かったわけではない。
歴代の代表選手と比較しても、頭一つ以上抜けた実力者の集まりだった。
ビクトール・クラムは、クィディッチ界のレジェンド。
セドリック・ディゴリーは、若くして歴戦の闇払い。
セレネ・ゴーントは、直死の魔眼を持った今世紀最強の魔女の一人。
ハリー・ポッターは、いわずとしれたヴォルデモートを葬り去った大英雄。
フラー・デラクールのみ、めだった活躍は歴史に残っていない。だが、卒業後にイギリスのグリンゴッツに入社できた時点で優秀さがわかるし、ビル・ウィーズリーと結婚さえしていなければ、フランス魔法界を背負うエースになっていたことだろう。
そんな彼らをもってしてでも、“それ”は殺せない。
そんな化け物が、アルバスたちの目の前にいるのだ!
「とっくにいない生き物のはずなんだ!」
スコーピウスは大木の陰に身を隠しながら、アルバスに向かって叫んだ。
「ダンブルドアによって処分されたはずなんだ。少なくとも、記録ではそう残っている」
「待って! つまり、ハグリッドはダンブルドアも欺いて、こっそり飼っていたってこと!? それこそ、ありえないわ!」
ローズがヒステリックに言った。
「だって、ハグリッドにダンブルドアを騙すなんて芸当できるはずがないもの! そもそも、こんな巨大な生物がいたなら、どうしてこれまで話題になっていなかったの?」
「冬眠していたのでは?」
「リザ、尻尾爆発スクリュートは冬眠しないんだ。ありえるとするなら、休眠――うわっ!」
スコーピウスが言い切る前に、尻尾爆発スクリュートが動いた。
アルバスからすれば、スクリュートのどこに口があるのか判別することはできないが、声にならない咆哮をあげると、アルバスとリリーに向かって進軍を開始する。
「リリー、逃げろ!」
アルバスは妹だけでも逃がそうとゆすってみるが、彼女は気を失ったまま。腕に抱えた小さな魔法生物と一緒で、目を覚ます気配がない。アルバスが必死になっている間にも、スクリュートの魔の手が迫っていた。
「『アクシオ‐来い』!」
アルバスたちを木っ端微塵にしようとする爆発音が響き渡る直前、ローズの声が夜の空を貫いた。瞬間、アルバスとリリーの身体はぐいっと見えざる手によって持ち上げられ、ローズのもとへと引き寄せられる。アルバスは背後に迫る爆発による熱風と煙を感じながら、ローズの足元に転がった。
「た、助かった。ありがとう、ローズ」
「礼はあとにして。とにかく、あいつをどうにかしないと……!」
「スコーピウス! 父さんたちは、あいつとどうやって戦ったのか知ってる?」
「たしか、失神呪文だった気がするけど……」
「失神呪文ですね、了解です!」
スコーピウスの言葉を受け、エリザベスがスクリュートの眼前に躍り出た。彼女は青い瞳を輝かせながら、杖先をまっすぐスクリュートに向けると、意気揚々と呪文を唱えた。
「『ステューピファイ‐麻痺せよ』!」
エリザベスの杖先から真っ赤な閃光がはしり、尻尾爆発スクリュートに直撃する。
「やったか!?」
「ふふん、リザにかかれば、こんなこと簡単……って、え……?」
しかし、効果は見当たらなかった。
スクリュートは失神呪文が当たったことに気づいている様子さえなかった。エリザベスが渾身の一撃がまったく効いていない自体に茫然としていると、スコーピウスは肩をすくめた。
「失神呪文が効果的らしいんだけど、分厚い殻にはじかれて効かないんだ。殻と殻の合間に何度も打ち込む必要があるんだって」
「そ、そんなの、無理ですよ……!」
エリザベスはひぃっと悲鳴をあげると、スクリュートの攻撃から逃げるように大木の陰に飛び込んだ。手前に生えていた大木は爆発の餌食となり、ぐらりと地面に倒れる。エリザベスは倒れた大木を見ると、小さく震えていた。
「失神呪文はできますけど、殻の隙間なんてほぼないじゃないですか!」
「エリザベス……」
アルバスはエリザベスの珍しく弱気な態度に驚きながらも、彼女の言い分に納得はいった。
尻尾爆発スクリュートの巨体はほとんど立派な殻によって覆われている。殻が覆っていない隙間に撃ち込もうとも、そのためには可能な限り接近するしかない。接近したら最後、スクリュートの反撃にあうのは目に見えているし、あれの恐るべき攻撃を避けながら的を狙い定めるのは至難の業だと容易に想像がついた。
「スコーピウス、参考までに聞くけど、エリザベスのお母さんも失神呪文で倒したの?」
「セレネさんはスクリュートを縄で縛って動きを止めたあと、縄を爆発させることで気絶させたって」
「縄の出現呪文と爆発呪文の組み合わせ……爆発と光で目を回させたってことね」
ローズが思案するように口にしたが、すぐに首を横に振った。
「駄目。あんな大きなものを縛れるほどの縄なんて出現させられないし、爆発させることなんて……リザ、失神呪文を一緒に撃ち込むわよ! 二対一ならなんとかいけるかもしれない!」
「わかりました。頑張ってみます!」
「ま、待って! エリザベスもローズも待ってよ!」
アルバスはエリザベスが了承する前に叫んでいた。
「闇雲に呪文を唱えても勝ち目がないじゃないか!」
「アルバス! それじゃあ、どうしろっていうの? このまま逃げても追いつかれて殺されるのは、目に見えているでしょ? だったら、どうにかして倒さないと!」
「それは……」
ローズの糾弾に、アルバスは黙り込むしかなかった。
ローズとエリザベスしか失神呪文を使える人がいない以上、自分たちは見ていることしかできない。ただ、彼女たちが必死になって呪文を唱えたところで、殻によって弾き返されるのは火を見るより明らかだ。仮に運よく隙間に命中させることができたとしても、見上げるほどの巨体とまで成長したスクリュートを一撃で昏倒させられるとは思えない。せめて、何発も隙間に当てることができればいいのかもしれないが、そんな都合よくことが進む前に、彼女たちは爆発の餌食になってしまうだろう。
「せめてスクリュートの動きを止めてから、失神呪文を……」
「どうやって止めるのよ! ここには、縄がないのよ! いえ、縄があっても、相当丈夫な縄でないと動きを止めるのは不可能。グロウプがいれば、抑え込んでもらえたかもしれないけど……!」
ローズがそう言った矢先に、巨大な火花が落ちてくる。どうやら、尻尾爆発スクリュートは手当たり次第に大木を倒すことを決めたらしい。次々と周囲の大木が倒れ落ち、アルバスたちが隠れている木にまで大きな火花が迫っていた。
「『プロテゴ‐守れ』!」
ローズは上空に盾の呪文を展開する。火花は薄い盾に当たり飛散したが、耐え切れずに霧散する。ローズは顔をしかめた。
「おしゃべりは終わり。アルバス、スコーピウスとリリーを連れて逃げなさい。ここは、リザと一緒に食い止めるわ」
「でも……」
アルバスは言い淀んだ。
勝ち目がない戦いに、女の子二人を残して自分たちだけ逃げるわけにはいかない。だけど、ローズの言う通りだった。丈夫な縄もなければ、それを出現させることもできない。巨人のグロウプがいれば、スクリュートと戦ってくれたかもしれないが、いまの彼はホグズミード村の奥の洞穴で暮らしている。呼びに行く前に全滅は必至だし、それをするくらいなら、全力でホグワーツ城に助けを求めに走るほうが得策だ。
そもそも、この場には助けてくれそうな魔法生物などいない。見渡す限り、アルバスたちを優に隠せるほど巨大な木しかなかった。あの木の陰に誰か助っ人が隠れてたらいいのに、と思うが、そんな人物がいたら、きっとすぐに助けに来てくれているに違いない。そもそも、ここら一体に生えている木たちが人ならば――……と、ここまで考えたとき、アルバスの脳裏に刺激がはしった。
「ねぇ、ローズ! ここの木、使えないかな?」
「はぁ!? なに言ってるの?」
「倒れた大木を使って、あいつを下敷きにするんだ!」
尻尾爆発スクリュート自体が倒しまくった周囲の大木たちを一気に浮遊させ、目標に落とすことができれば……気絶とまでは行かなくても、一時的に動きを止めることくらいはできるのではないだろうか。
「浮遊呪文なら、僕もスコーピウスも使えるから……失神呪文より、ずっといいと思うんだ」
「そんなの……爆発で吹き飛ばされるのがオチよ!」
「アル様! 木を縄の代わりにすれば、いいんですね」
ローズが反論したが、エリザベスは勢いよく頷いた。
「『ウィンガーディアム・レヴィオーサ‐浮遊せよ』!」
エリザベスが杖を振れば、先ほど倒れた大木が浮かび上がる。
「僕もアルバスに賛成! 『ウィンガーディアム・レヴィオーサ』!」
スコーピウスも杖を取り出すと、手近な大木を浮遊させた。アルバスも杖を抜くと、気持ちを整えるように小さく息を吐いた。浮遊呪文は1年生の秋ごろに習う簡単だけど、ちょっと難しい呪文。特に発音が難しく、何度も何度も言い間違いを正されたのは忘れない。アルバスはみんなの前で恥をかいた記憶を思い出しながら、思いっきり杖を振った。
「『ウィンガーディアム・レヴィオーサ』!」
アルバスの唱えに応じて、大木が浮かび上がる。アルバスは、自分の呪文が成功したことに、ほっと安堵の息を零した。こうして、三本の大木が夜空に浮かぶ。
「『ウィンガーディアム・レヴィオーサ』」
ほどなくして、ローズが四本目の大木を夜空に浮かべた。
「3つ数えたら、あいつの頭上に落とす。それから、振り返らずに走るんだ。森の外まで! 1……2……3!」
アルバスが叫ぶのと同時に、夜空を浮遊する四本の大木はガラガラと音を立てながら落下する。さすがのスクリュートも自分より巨大な大木が一度に四本も落ちてきては、たまったものではない。爆発で吹き飛ばす前に、押し潰されてしまった。スクリュートが大木の下敷きになったのを見届ける間もなく、アルバスはリリーを抱えて走り出した。
スコーピウスとローズもエリザベスも、来た道を必死の形相で走った。ただ、どうしても、アルバスはリリーを抱えている分、皆より足取りが遅くなってしまう。それに気づいたのか、エリザベスだった。彼女は走りながら振り返ると、荒い息をしながら呪文を唱えた。
「『ウィンガーディアム・レヴィオーサ』!」
すると、リリーの身体が浮かび上がる。意識のない彼女の腕はだらりと落ち、ゆらゆらと揺れながら、エリザベスの右横に追従する。
「アル様、走ってください! リリーは、リザが引き受けます!」
「ありがとう、エリザベス!」
アルバスたちは走った。
後ろで下敷きとなっている化け物が、いつ復活して襲いかかってくるか分かったものではない。とにかく、走って走って、走って、走って―――やっとの想いで森の入口までたどり着く頃には、月はかなり傾いていた。4人とも芝生に倒れ込むと、しばらく誰も話さなかった。
「さい――っ、あく!」
最初に口を開いたのは、ローズだった。
「二度とごめんだわ、こんな危険なこと!」
彼女は肩で息をしながら、よろよろと立ち上がった。
「狼男の遠吠えの正体はスクリュートの爆発音? こんな命を危険にさらして見極める謎じゃない」
「ローズ……」
「ばかばかしい。七不思議のほとんどが謎でもなんでもないことばかり。こんなことのせいで、命を落としたらたまったものではないわ」
「ローズ、君は七不思議を追いかけないってこと?」
スコーピウスが尋ねると、ローズはふんっと鼻を鳴らした。
「馬鹿げた噂話のせいで、校則をこれ以上破って死にたくないもの。もっと悪かったら、退学ね」
ローズは吐き捨てると、ぷんぷん怒りながら走り去っていった。彼女の赤い髪が闇の中に消えていくのを見届けると、アルバスはぽつりと呟いていた。
「死ぬより退学の方が嫌だなんて……ローズらしいや」
「同感」
「不思議な人ですね、ローズは」
スコーピウスとエリザベスも立ち上がると、いまだ倒れているアルバスの手を一緒に引っ張った。
右手はスコーピウス、左手はエリザベスに支えられ、アルバスもようやく立ち上がる。
「ローズらしいよ、校則を破って死ぬのが嫌だってところも」
「ローズのパパとママは、毎年かなりの校則を破っていたのにさ」
「君のパパもね、アルバス」
スコーピウスとアルバスは小さく笑いあった。
「アル様、とても冴えてましたね! カッコよかったです!」
エリザベスがアルバスの手を握ったまま、無邪気に笑いかけてきた。
「まさか、1年生にならった呪文でスクリュートを止めるなんて……!」
「たまたまだよ、スクリュートが周りの木を軒並み倒してくれて、本当に助かった」
「アルバス、たまたまかもしれないけど、それを思いつくってことが凄いよ」
「スコーピウスの方が凄いって。僕、スクリュートのこと全然知らなかったから……」
スコーピウスの知識がなければ、目の前の怪生物の正体を知ることもできなかった。対策を立てることもできなかっただろう。
「エリザベスもありがとう。走っているときにリリーを浮遊させてくれて。僕一人だったら、いまごろスクリュートに追いつかれてたかも」
「えへへ……リザは当然のことをしたまで」
「それにしても、今日は大冒険だったね。スクリュートが生き残っていたなんて……ローズは謎でも何でもないって言いきってたけど、れっきとした謎だよ」
スコーピウスはやや得意げに話し始めた。
「だって、狼男の吼え声だと思われていたのが、本当は違ったんだからね」
「その正体が幻の尻尾爆発スクリュート! リザ、世紀の大発見だと思います!」
「世紀かどうかは分からないけど、謎の解明には違いないよね! だって、尻尾爆発スクリュートが生き残っていたんだから」
「なにが生き残っていたって?」
3人が真夜中の大冒険について話に花を咲かせていると、冷ややかな声が降ってきた。
アルバスたちの興奮していた熱量は一気に冷め、3人とも血の気が失せていくのを強く感じる。
「尻尾爆発スクリュート、という単語が聞こえた気がするけど……どこで見つけたの? もしかして、こんな真夜中に『禁じられた森』を探検していたわけじゃないよね?」
ネビル・ロングボトム教授が、規則違反の3人を冷ややかな目で見降ろしていたのだった。
ハリポタでは数々の名言がありますが、ロンの「死ぬより退学になるほうが悪いのかよ」は、「賢者の石」における屈指の名台詞だと思います。