ですので、まずは「スリザリンの継承者版 呪いの子編」の前日譚「ホグワーツ七不思議編」を執筆することにしました。
ここから先の話は、八割ほどオリジナルの展開になってきます。
セレネの物語も「死の秘宝」で終わりなので、長い後日談という形で楽しんでもらえると嬉しいです。
※本編は次回からです。今回は前日譚よりさらに前、新規登場のオリキャラの過去話になりますので、この話を読まなくても問題ありません。早く続きが読みたい方は、次にお進みください。
女の子は、恋に恋していました。
今日もお砂糖とミルクをたっぷり注いだ紅茶をテーブルに置いて、ちょっと高めな椅子に座ります。ふらふらしてしまう足をピンっと伸ばして、蒼い瞳をきらきら輝かせながら
「おじいさま、これは素敵な物語ですね! リザは憧れます」
と、テーブルの向こうの祖父に話しかけました。
今まで読んでいた本をテーブルに置き、祖父に題名を見せつけます。
「……また、その話か」
祖父は預言者新聞から顔を上げると、大きくため息をつきました。
祖父の皺が寄った険しい顔は、最初こそ怖く感じたものでしたが、どことなく声色に馴染みがあり、いまでは親しみを持っていました。
「この話は好かん。どうして、憧れる?」
「だって、お父さまとお母さまの馴れ初めの物語ですもの」
女の子は細い指で『ハリー・ポッターと陰に隠れた娘』と書かれた題名をなぞります。
「お父さまがお母さまを支え、お母さまはお父さまたちを護るために蛇男に立ち向かう……お父さまの愛がお母さまを覆っていた現実に勝ち、お母さまの恋から育まれた感情が愛なき怪物を打ち倒す。
ポッターの英雄譚に隠れてますけど、こっちの物語の方が好きです!
これが実話だなんて……おじいさま、もっと詳しく教えてくださいな」
「本人に聞けばいいだろ」
「教えてくれないのです」
女の子は、ぷくぅっと頬を膨らませます。
「お母さまはさっさと切り上げてしまいますし、お父さまは顔を赤くするばっかり。
家のおじいさまは詳しく知らないみたいでしたし、姉さまは興味がないみたい」
「消去法か、わしは」
「ね、おねがいします。おじいさましか聞ける人がいないのです!
お父さまとお母さまの恋模様について!」
女の子は祖父を見つめました。
祖父はしばらく黙り込んでしましたが、根負けしたのでしょう。肩を落とすと、ぶっきらぼうな口調で話し始めてくれました。
「ホムンクルスは知らん。
だが、あの馬鹿息子はホグワーツに入学した時から好いていたそうだ」
「やっぱり、一目惚れでしょうか?」
「……感情に名前を付けるなら、それが一番相応しいだろう。
ホムンクルスの傍にいるために魔法の腕を極め、組織を設立し、眼まで売り払った。もはや狂気としか思えん。
一目惚れとは、呪縛の魔法のようなものだ。吸い寄せ、引きつけ、放そうとしない。逃げるに逃げられない恐ろしい魔法だ」
「そうでしょうか?」
女の子は疑問を口にする。
「無我夢中になるくらい恋して、すべてを差し出せるほど愛する……リザは、とっても素敵なことだと思います」
「相手が……誰であれ、か?」
祖父は不機嫌な顔になりました。
でも、いつものことなので、女の子は気にしません。
「ええ。相手がホムンクルスでも野獣でも。
たとえ、その恋が実らなくても、輝かしい思い出として心に残ると思うのです。
人魚姫が王子に恋をしたように……」
「……エリザベス、わしはそうは思わん」
祖父は首を横に振ると、新聞を折り畳み始めました。
タイミングを見計らったように、しもべ妖精がせかせかと近寄ってくると、新聞を片付け、代わりに淹れたてのコーヒーをテーブルに置きます。祖父はコーヒーを口に運びながら、話を続けました。
「人魚姫……以前、お前が聞かせてくれた話だが、わしにはちっとも良さが理解できん。いやいや、お前の話し方が悪かったわけではない。とても感情のこもった音読は、大変聞きやすかった。
だがな、死んでしまっては元も子もないだろ?」
祖父は真剣な目を女の子に向けました。
「わしは……馬鹿息子……お前の父親と喧嘩した。大喧嘩だった。
わしは言ったのだ。
『ホムンクルスに一目惚れ? 冗談ではない。純粋な人間でない上に、闇の帝王の敵だ。そいつを好いているなど知られてみろ。お前の命が危ない。
嫡子として、お前には家を引き継ぐ義務がある。
甘ったれたことを言ってないで、現実を見るのだ。危険すぎる恋に身を投じるより、ブルストロード家やパーキンソン家の娘と一緒になれ』
とな。まあ、あいつは反対して、出て行ってしまったが……」
「……」
「恋は盲目だ。危険だ。恐ろしいものだ。他人の忠告まで聞き入れることができなくなってしまう。
……幸いなことに、あいつは生き残り、関係は修復しているが……」
祖父は一旦、口を閉ざしました。
一度、青い空を見上げ、そして、女の子に視線を戻します。祖父は寂しそうに目尻を緩めながら、囁くような声で
「だけど、あの時……義務があるなんて言葉ではなく、お前を愛しているからだと伝えていれば……」
「お父さまは止まった?」
「……いや、出て行っていただろう。あいつは、そういう奴だ。だが、こちらの気持ちは伝わったかもしれない。互いに意地を張ることなく、もっと早くに和解することが、できたかもしれない……」
再び、テーブルに沈黙が訪れました。
重苦しい空気ではなく、互いに自分の考えを深めているような、静かな沈黙でした。
「エリザベスお嬢様、お帰りのお時間です」
沈黙を破ったのは、しもべ妖精でした。
時計を見ると、短針が5の文字を差しています。
「ありがとう、シェリー。先に玄関で待っていてくれますか?」
「かしこまりました、お嬢様」
しもべ妖精は深々とお辞儀をすると、出発の準備のために出て行きました。
女の子は、まだ1人で「姿くらまし」をすることができません。しもべ妖精に付き添いして貰わないといけませんでした。女の子も急いで紅茶を飲み干します。その様子を見て、祖父が一言
「エリザベス、わしはお前を愛している」
と告げました。
女の子はカップを持ったまま、きょとんと祖父を見つめます。
「わしの孫として、この世界の誰よりも愛してる。だから、無茶な真似はしないと約束してくれ。
誰かに恋をしても、どうか命まで投げ出さないでおくれ」
女の子は祖父の言葉を静かに受け止めると、とんっと椅子を降りました。
あまりに高い椅子でしたので、ふわりと黒いスカートが膨らみます。そして、女の子はもう一人の祖父が買ってくれた麦わら帽子を被ると、大好きな祖父に笑いかけました。
「ありがとうございます、おじいさま!」
そして数歩歩き、ふと、思い出したように振り返りました。
「おじいさま、リザはおじいさまとピクニックに行きたいです。お父さまたちとの仲直りの記念で、家族みんな一緒に。ランチバスケットを持って!」
女の子は祖父の口元が綻ぶのを見てから、玄関で待つ妖精の元へ走り出しました。
「おじいさまは恋が危険だっていうけど……」
女の子は口の中で呟きます。
「やっぱり、恋は素敵なものですよね? 特に、一目惚れには憧れます」
女の子はしもべ妖精に語りかけましたが、妖精は静かに首を横に振ります。
「私には何とも……しかし、お嬢様。どうして、一目惚れや恋にこだわるのですか?」
しもべ妖精は不思議そうに尋ねました。
妖精から見て、女の子はすべてを持っていました。
水に濡れたような長い黒髪、幼さ特有の愛らしさを持ち、立ち振る舞いは無邪気な子どもなのに、大人びた理性を持った青い浄眼。
スリザリンの血を引き継いでいるので蛇語も話せます。
調子に乗ってうっかりミスをしたり、義姉の悪戯に簡単に引っかかったり、慢心するあまり失敗したりするところさえ直れば、将来はどこへ出しても恥ずかしくない娘になることでしょう。
「エリザベスお嬢様なら、向こうから素敵な殿方がやってきますよ。
そこから、ゆっくりと互いのことを知っていく恋も良いのでは?」
「そうね……じゃあ、シェリーには特別、教えてあげます」
女の子は無邪気に笑うと、その場でくるっと回りました。
「恋って、ドキドキするんですよね?」
女の子は橙色に染まり始めた空を見つめます。
「リザ、ドキドキしたことがないんです。もちろん、うっかり魔法薬の配合を間違えたり、お父さまのワイングラスを落としちゃったりしたこともあるけど……そのドキドキとは違うのですよね?」
「そうですね……その動悸と恋の動悸は違うと思います」
しもべ妖精は一般論で答えていきました。
「リザは、みんなが大好きです。一緒にいると幸せで、ほんわかします。
でも、それを超えるようなドキドキする感情……凄く素敵だなって」
「エリザベスお嬢様……」
「だから、リザは理想の王子様と恋に落ちるときが、とっても楽しみなんです!」
女の子は夢をみるように指を絡めて、門の方へと浮足立って歩きだします。
「きっと、背が高くて、キリっとしてるけど、ちょっと破天荒で向こう見ずな人だと思います。リザは、そういう人が―――……ふべっ!」
しかし、女の子は敷居の段座に気付かず、派手に転んでしまいました。
「お嬢様っ!?」
「うぅ……へ、平気です。問題、ありません」
女の子は半分泣きながら立ち上がりました。
そして家路を急ぎながら、思うのです。
はやく、理想の王子様と恋に落ちたいと。
これから、数か月後のことです。
女の子は両親に連れられ、クィディッチワールドカップに来ていました。
アルゼンチンのパタゴニア砂漠で行われた大会でしたが、ちょうど良い機会とばかりに「アルバス・ダンブルドア軍団」の同窓会もかねているらしく、両親――……特に父親がスリザリンOBの人たちと会話に花を咲かせていました。
「お父さまたちは楽しそう……」
ですが、女の子は大人たちの会話なんて、ちっとも面白くありません。
女の子が少しつまらなくなった、そんな時でした。
「ねぇ、リザ。聞いた? ハリー・ポッターが来てるんだって。見に行かない?」
義姉のデルフィーニが誘いをかけてきたのです。
「でも、デルフィー姉さま。ハリー・ポッターがいるのは特別区ってお母さまが言ってましたよ?」
本当は両親も特別区に誘われたらしいのですが、母親が「変身術を使えば問題ないでしょ」と言ったため、一般区画にテントを張っていたのでした。
実際、女の子の母親は有名人でしたが、このキャンプ場に到着して以来、ずっと髪の色と瞳の色を変えて過ごしていました。
「ええ、そうね。でも、ちょろっと魔法を使えば問題ないわ」
「姉さま? 学校の外で魔法を使うのは……」
「禁止。ええ、分かってるわ。だけど、こんな広い会場だもの。バレない、バレない」
デルフィーニは杖を振りながら、にこっと笑いました。
それでも、女の子は渋い顔をします。
「リザは、ハリー・ポッターに興味はありません。
だいたい、お母さまに怒られるような危険なことは……」
「あー、もしかして、怖気づいてる? いいわ、私一人で行ってくるから。リザはお留守番してなさいー。帰って来たら、デジカメで撮った写真を見せてあげる」
デルフィーニはからかうように笑うと、颯爽とテントを出て行ってしまいました。
「ま、待ってくださいー! リザを置いて行かないでー!」
女の子は慌てて義姉を追いかけます。
ハリー・ポッターに興味はありませんでしたが、義姉に馬鹿にされたまま黙っていられる性格でもありませんでした。
「デルフィー姉さまー!」
「ほら、行くわよ。しっかり付いてきなさい」
女の子はデルフィーニの背中を追いかけました。
特別区の入り口は外から有名人を見ようと凄い人だかりでしたが、デルフィーニが女の子の手をしっかり握ってくれたのではぐれることはありません。
遠回りして裏の方に行くと、警備担当の魔法戦士が厳つい表情で佇んでいました。デルフィーニは真剣に狙いを定め
「『コンファンダス―錯乱せよ』」
呪文を放ちました。
すると、魔法戦士の頭が前にかくんと不自然に揺れます。その隙に、デルフィーニは女の子と一緒に走り出しました。
女の子たちが傍を通り過ぎる際、魔法戦士は慌てたように彼女たちを見て
「と、止まりなさい。君たちは――……」
「セレネの娘です。外から戻ってきました」
「あ、ああ、あの直死の魔眼の……おかえりなさい」
「どうもー!」
デルフィーニはにやっと悪戯っぽく笑うと、あっさり通り抜けてしまいました。
女の子は魔法戦士の耳に聞こえない距離まで来ると、義姉に尊敬の目を向けました。
「デルフィー姉さま、さすがです!」
「錯乱させたのは、義母さんに関する部分だけよ。義母さんは本来、この特別区に入る人だからね。簡単だったわ。ふふ、警備の魔法使いも大したことがないのね。
さてと、ポッターはどこかな……?」
義姉は女の子から手を離すと、足を弾ませながら探し始めます。
女の子はきょろきょろと辺りを見渡しました。
さすがは、特別区。
一面、巨大なテントが立ち並んでいましたが、一般区より人が少なく感じました。背の高い魔法使いたちが談笑しながら緩やかに歩いたり、互いにハグしたりする姿が目立ちます。
しかし、ちょっとした事件が起きてしまったのです。
「っまずい、ロングボトム先生だ」
デルフィーニは素早くテントの陰に隠れたのですが、女の子は周囲の様子に気を取られていたため、義姉が隠れたことに気付かなかったのです。
「デルフィー姉さま、不思議な服装の人がいますね。……あれ?」
ワールドカップ出場国の国旗を組み合わせたデザインのローブを着た銀髪の女性の傍を通り過ぎたとき、ようやく女の子は姉とはぐれたことに気付きました。
「姉さま?」
義姉の姿は、どこにも見当たりません。
あたりは皆、知らない人ばかり。両親からも遠く離れ、義姉がいなければ区画の外に出ることも難しいでしょう。杖さえあれば、女の子にもこの場を潜り抜けることができたのですが、父親の教育方針上「杖を持つのは、ホグワーツに入学する年になってから。それまでの魔法の練習は、オレから杖を借りること」となっていたのです。
「姉さま、姉さま……」
ことさら人通りの少ない場所に迷い込み、女の子は半分べそをかきながら進みます。
もう二度と、義姉と会うことはできないかもしれない。
それどころか、両親と会うこともできないかもしれない。
8歳の女の子は一人ぼっちで心細くて、途方に暮れて進むことも戻ることもできなくなってしまい、やがて、泣くのにも疲れ果て、女の子は膝を抱えて小さく小さく座り込んでしまいました。
こうして蹲っていると、ますます世界から切り離されて、一人ぼっちになったような錯覚に陥ってしまいます。
特別区の片隅で、女の子は一人ぼっちの子ウサギのように寂しさに震えていました。
そんな時でした。
「君、どうしたの?」
暗い雨雲の中に差し込んだ一筋の日差しのような声に、そっと顔をあげます。
そこにいたのは、ゆるっとした黒髪に緑の瞳をした男の子でした。
「迷子?」
こちらを案じる視線、心から心配している声を聞いた瞬間、女の子の身体に衝撃が奔りました。
「……違う」
女の子は愕然とします。
そこにいるのは圧倒的なまでに、自分の理想とは違う男の子でした。
体格が良くて、もっと鋭い表情を浮かべる男性が良かったのに、ぶっきらぼうで、ちょっと荒っぽい所もあるような人が好みだと思っていたのに、なにもかも理想と正反対な人なのに。
あまりに違うことばかりで、間違いなく女の子は一人ぼっちの悲しみなど吹っ飛ぶくらい驚いて、優しさに喜んで、心臓が破裂しそうなくらいドキドキして――……
エリザベス・ノットは、一目で恋に落ちたのでした。
「違うの?」
男の子はきょとんと首を傾げます。
そんな何気ない姿まで愛おしく思えるほど、女の子の瞳は男の子に釘付けでした。
「ううん、迷子です」
「そっか。うーん、じゃあ、僕が一緒に探してあげる。どこから来たの?」
「え、……あの、そのまえに姉を探さないと……」
「あー、そのお姉さんから探さないといけないのか。子どもがいそうな場所ってどこだろう……? ローズに聞けば分かるかな。付いてきて」
男の子が歩き出そうとした瞬間、女の子は男の子の袖をつかんでいました。
「あ、あの……! 手をつないでも、いいですか!?」
「……? うん、いいよ」
男の子が少し戸惑いながら、女の子の手を握ります。
女の子は男の子と並んで歩きながら、身体の内側で燃え上がる初恋の炎に終始どきどきしていました。
なよっとしているけど、初めて会った自分を気にかけてくれる優しい人。
いいえ、そんなのこと、本当の理由にもならないでしょう。
「その……リザは……エリザベスって言います。リザって呼んでください」
彼のことが好き。
他のすべてが霞んで見えてしまうくらい、彼のことが好き。
すべての理由は後付けで、彼を一目見た瞬間から、心を奪われてしまったのです。
「僕は――……あー……アルでいいよ。ただの、アル」
「アル様……」
「いや、アルでいいよ?」
困ったように笑いながら歩く男の子に惹きつけられながら、エリザベス・ノットは彼の名前を繰り返します。
男の子の素性なんて、どうでも良かったのです。
絶対に、この手を離したくないと思いました。どうやっても、この人の緑の瞳に視線が吸い寄せられてしまいました。
「……いいえ、アル様と呼ばせてください」
この人が、自分の生涯で最も特別な人だ。
祖父の言葉通り、命を投げ出すような真似はしたくありませんでしたが、この人と一緒なら地獄だって付き合えると思うほど、心に熱が灯っています。
「あなたは、リザに手を差し伸べてくれた……王子様なのですから」
エリザベスは赤くなった頬を隠すことなく、男の子に心から微笑みかけました。
この後、ハリー・ポッターはセレネの娘から
『リザに息子さんをください! 絶対に幸せにしてみせます!』
と言われたことに衝撃を受け、セレネは娘の奇行に頭を悩ませることになるのでした。
これは、「19年後」に続く物語。
次回、第一話「未知との遭遇」。
今後、物語の視点はリザではなく、基本的にはアルバスで行く予定です。
「呪いの子」では、アルバスとスコーピウス以外の孫世代が活躍していなかったので、「七不思議編」では満遍なく活躍できるように気を付けて執筆していきたいです。
投稿予定日は6日の0時です。
お待ちください。