Mと言う単語に過剰に反応してしまい、私は部屋から逃げ出した。この学園で私が亡国企業に居たのを知ってるのはお兄ちゃんと姉さんだけだ。あの部屋の人は誰も知らないはず……それが分かってるのにも関わらず、「M」と言われてついつい私の事だと思ってしまった。
「部屋に戻るのは気まずいな……でも戻らないとお兄ちゃんに怒られちゃうし……」
私は今テストに向けて勉強をしてなければいけないのであって、こんなところで油を売ってる場合では無いのだ。
お兄ちゃんは事情を知ってるからもしかしたら情状酌量があるかもしれないけど、勉強をサボってるのには変わりないので、万が一情状酌量があったとしても大した減刑にはならないだろう。
「戻ろう……戻ってちゃんと謝らなきゃ」
虚さんや静寂がもの凄い不思議そうな顔をしてたし、簪や本音も何事かと気にした顔をしてたから、戻ればきっと事情を聞かれるだろう。
「如何すればいいんだろうな……」
誰かに助けを求めようとしても、事情を知ってるのはお兄ちゃんと姉さん、そして恐らくだが須佐乃男も知ってるだろう。だけど須佐乃男に助けを求めてもあまり効果は無いだろうし、お兄ちゃんに頼んでも私を怒るのがお兄ちゃんなので助けてくれるか如何かは微妙だ。だからと言って姉さんに頼んでも、お兄ちゃんには敵わないだろうし……
「あ~もう如何しよう!」
一人でウジウジと考えてもあまり意味は無いのだけども、部屋に如何戻ったら良いのかが分からない以上、こうしてウロウロしてるしか無いのだ。
「何時まで遊んでんだ! さっさと部屋で勉強しろ!」
「お、お兄ちゃん……」
声だけ聞けば怒ってるのかとも思ったが、お兄ちゃんの表情は優しかった。如何やら私の事を心配してくれた探しに来てくれたようだ。
「何ウジウジ考えてるんだ」
「お兄ちゃん……さっき『M』って単語に過剰に反応しちゃって……」
「『M』? 何でそんな話になったんだ?」
「楯無さんがMじゃないかって」
「なるほど……そっちの話をしてたのかお前らは……」
あっ、ひょっとして失言だったかも……勉強してないでおしゃべりしてた事を白状したのかもしれないと慌てたけども、時既に遅し……お兄ちゃんの表情は何とも言えない感じになっていた。
「その事は後でゆっくりと言い訳を聞くとして、別に誰もそこまで気にしてないだろうからさっさと帰るぞ」
「でも、私大声で叫んじゃったし……」
「あの部屋で深入りしてくるとしたら本音だけだろうが、アイツは今それどころじゃ無いから心配するな」
「如何言う……」
お兄ちゃんに尋ねようとしたが、何だか他人事では無さそうな雰囲気を感じ取って途中で止めた。だけどお兄ちゃんには私の気持ちをはっきりと知れる能力がある。
「お前も早く戻らないと今日の晩飯は抜きだぞ」
「えっと……この事を考慮してくれたりは……」
「そんな甘えが許されると思ってるのか?」
「……ですよねー」
お兄ちゃんの表情は怖いくらいに明るかった。つまりは考慮なんてしてくれないと言う事だ。
「さっさと戻れ。事情はさっき俺が適当にでっち上げを話しておいたから」
「ありがとう……でも適当って?」
「マドカが俺と離れ離れの時の学校でM扱いされてたから、その事に過敏に反応してしまうって」
なるほど……テキトーでは無く適当だ。それなら何となく私が逃げ出したのも納得してくれるだろうな……でも私はそんな扱いは受けてない。だから適当にでっち上げたと言ったんだろうな。
「それじゃあ私は戻るね。お兄ちゃんも戻るでしょ?」
「少し出かけてからな。最近食材の消費が早いから」
「そりゃ人数が増えてるからしょうがないよ。それじゃあお兄ちゃん、ありがとね」
お兄ちゃんがでっち上げてくれた嘘のおかげで、気まずさも半減したし、私は勉強する為に部屋に戻る。
「あっ、マドマドお帰り~。さっきはゴメンね~。あんな事情があったなんて知らなかったからさ~」
「ううん、気にしないで。私も気にしすぎだったしさ」
「そう言ってくれると助かる。私も気になってたから」
「ところで、何で私がマゾだって疑惑が出てるのかな~?」
私の事を気遣ってか、楯無さんはMとは言わずにマゾと言う表現をした。本当にお兄ちゃんがでっち上げた通りの過去があるならば、どっちでも変わらないと思うけども、それでも楯無さんなりの気遣いなんだろうなと感じ取れたので、私は無言で頭を下げた。
「だってお姉ちゃん、一夏に怒られて嬉しそうにしてたから」
「別に嬉しくないよ~! でも、その後に一夏君は必ずフォローしてくれるから、そっちは嬉しいかも」
お兄ちゃんの話題で盛り上がりそうだったけども、私はそれに交ざる事は出来ない。だって他の人よりも少し遅れてしまってるので、慌てて取り戻さないと今夜のご飯はお預けと言う事になってしまうのだ……美味しそうなお兄ちゃんお手製のご飯を、皆が食べてるのに私だけは食べられないなんて……そんなのはどんな拷問よりもキツイ、姉さんなら発狂するかもしれないレベルでの罰だろうな。
私は今まで以上に集中して、お兄ちゃんが作った問題を解いていく。今まで解説してもらった事を思い出し、授業で習っただろう事とあわせて考えると、意外と解く事は出来た。
けれどもやっぱり分からない箇所は出てくるもので、所々は教師役の誰かに質問して解説をしてもらう。お兄ちゃんと比べると分かりやすさでは劣るけども、やっぱりお兄ちゃんに信頼されてるだけあって最終的には理解する事が出来る説明をしてくれるのだ。
「何だかマドマドが真剣モードだよ」
「何か一夏君に言われたんじゃないかな? ほら、彼はマドカちゃんのお兄さんだし」
「一夏様ならありえるかもしれませんが、どちらかと言うと励まされたと言うよりかは発破を掛けられてという感じですね」
「どっちでも良いよ。私たちだってマドカさんの事を気にしてる余裕は無いんだし……今回は一夏様のお慈悲をくださるとも分からないし……」
「一夏君は厳しい時と優しい時の差が凄いよね……」
香澄がこぼした言葉に、部屋に居る全員が頷いた。確かにお兄ちゃんの優しい時と厳しい時の差は激しい。この間みたいに本音を無条件で許したかと思えば、姉さんと篠ノ乃博士の時みたいに問答無用で叩きのめしたりと言う感じだ。
今日がどっちのお兄ちゃんなのかは、私にも須佐乃男にも分かりっこない。それくらいお兄ちゃんは分かり辛いのだ。
「ほらほら、おしゃべりしてると一夏君に怒られるよ~」
「お嬢様がそれを言いますか……」
「率先しておしゃべりさせようとしてるくせに」
「そんな事ないよ~」
如何やら楯無さんは私たちの邪魔をしたいようだった。そんな事をすればお兄ちゃんに怒られる可能性があるのにも関わらず、楯無さんはおしゃべりをしたいようだった。
「そう言えば一夏君は何処行ったの? 生徒会室では私の監視をしてたのに、こっちの監視はしないのかしら?」
「一夏君なら夕飯の買出しに行くって言ってましたよ。食材の減りが早いってぼやいてたのを何となく聞いてました」
「人数増えてるし、一夏のご飯は美味しいから皆量食べちゃうからね……」
「体重が増えてないか心配です……」
虚さんがつぶやいた言葉に、私たちの手は止まり、教える側の人も動きを止めた。
「如何かしましたか?」
「虚ちゃん、それは言っちゃいけない事だよ」
「そうですよ。気にしちゃ駄目な事なんですから……」
「かんちゃんの言うように、おね~ちゃんは気にしちゃいけない事を口にしちゃったんだよ」
「でも、勉強ばかりで身体を動かしてませんし、気にした方が……」
途中まで言って、虚さんは私たちが鋭い視線を向けてる事に気がついて黙った。同じ乙女としてそれは口にしてはいけない事だと言う事に、今更ながら気付いたんだろうな。
「テストが終わってから考えれば良いの、そう言う事は。大体一夏君だって動いてないんだし、状況は一緒よ」
「でもお姉ちゃん、一夏はその分食べて無いし……」
「それに一夏様は余計なものは全て体内で燃焼出来ますし……」
「何それ羨ましい……」
「でも、一夏さんなら何でもありって感じがしてますし、それくらいは出来ても驚かないようになってしまいましたね……」
虚さんの言う通り、お兄ちゃんの凄さは既に知れ渡ってるし、それくらい出来ても当たり前って雰囲気になっちゃってるしね……
「ですが、一夏様がそれを出来るからと言って、運動を疎かにするような人ではありませんよね」
「美紀ちゃんの言う通り、一夏君は今でこそ怪我で運動を控えてるけど、何時もは朝早くから運動してる人だもんね」
「早くお兄ちゃんと一緒に運動したいな……」
甘えん坊と思われるかもしれないけど、ずっとお兄ちゃんと離れ離れだったからか、私は姉さん並にお兄ちゃんに依存している。それはもうブラコンと言われてもしかないくらいに……
「マドマドは良いよね~。おりむ~に自然に甘えられるから~」
「本音がそれを言うの? 本音だって毎朝一夏に起こしてもらってるでしょ」
「簪ちゃんだって結構甘えてるわよね」
「それを言うならお嬢様の方が……」
結局この部屋に居る人間は一人も例外無くお兄ちゃんに甘えているのだろうな……見回りで居ない碧さんやナターシャ先生、姉さんや山田先生も……頼りになるのは間違い無いのだけども、頼りになり過ぎるのも考え物なのかも知れないな……
この学園で最も頼りになる人はと聞かれれば、真っ先に思い浮かぶのがお兄ちゃんだと言い切れる自信がある。それくらいお兄ちゃんは頼りになるのだ。
「もう少し一夏君を楽にしてあげましょう……」
静寂のつぶやいた言葉に、全員が頷いてもう少し頑張ろうと誓ったのだった……
IS学園の敷地内には、食材を扱ってるお店がある。生徒と教員で別れてはいるのだけども、私は今日生徒の方のお店にやって来た。偶には違うものを食べたくなったのだ。
「あら~、ナターシャ先生じゃないの。如何したの、こんな場所で」
「偶には此方に来てみようかと。最近はずっと向こうの出来合いのものばっか食べてますからね」
「自分では作らないのかい?」
「あまり得意じゃないですし、一人分を作るのって結構面倒なんですよね~」
今の世の中でも、女性として如何なの? って感じの事をあっさりと言う。それくらいもう私は家事を諦めてるのだ。
「何だか悲しくなってくるわね~。千冬ちゃんもだけど、ここの先生たちは出来合いのものばっかりね」
「千冬ちゃんって、凄いですね」
「何が?」
「いえ、織斑先生をそんな呼び方で呼べるなんて……」
「本人には内緒よ。さすがに目の前では呼べないもの」
「ですよね」
織斑先生をそんな風に呼べるとしたら……誰だろう? 織斑先生にご両親は居ないし、名前で呼び合う友人も居ないとか……篠ノ乃博士は独特な呼び方をしてらっしゃったし、それ以外には織斑先生を名前で呼ぶ人は居ないんだよね……
「あら一夏君じゃないの。今日も来てくれたのね」
「ええまあ。今部屋のエンゲル係数が高いもんで……」
「一夏君?」
おばさんと話していたら別のおばさんが一夏君を見つけて話しかけていた。
「何だ、ナターシャも居たのか」
「居ちゃ悪いかしら?」
「別に悪くは無いが……また惣菜かよ……」
「良いじゃないのよ……自分で作るよりも買った方が美味しいんだから……」
非常にマズイところを見られたかもしれない……前に一夏君に栄養バランスの事で怒られそうになったのにも関わらず、私は相変わらずの食生活なのだ……
「あらあら、一夏君がナターシャ先生を呼び捨てにしちゃってるわよ」
「知らないの? 一夏君とナターシャ先生は付き合ってるのよ」
「まぁ! それはそれは」
「あの~、少し黙っててくれませんかね?」
一夏君が結構本気で怒ってる……それを感じ取ったおばさんたちは黙って奥に引っ込んでいく……あぁ、私も出来る事なら逃げ出したいわね。
「そんな生活ばっかしてると何時か影響が出るって言ったよな?」
「言われたけど、織斑先生や山田先生よりからマシな生活だと思うよ? お酒も飲んでないしさ」
「あれ二人と比べてる時点で、お前も問題ありだ」
仮にも教師を掴まえて「あれ」って……そんな事を言えるのは一夏君だけだろうな……
「だって私は一夏君みたいに料理上手じゃないし、他の彼女と違って一夏君が栄養管理してくれる訳じゃないもん!」
「不貞腐れるなよ……何ならお前も泊まるか? 勉強教えてくれるなら構わないが」
「えっと、教えるって誰に?」
さすがに一夏君や楯無ちゃんに教える事は出来ない……だって私よりも頭良いんだもん。
「本音、須佐乃男、マドカ、美紀、香澄、エイミィの六人だな。教える側には俺以外にも居るんだが、教師が居てくれると更に楽が出来る」
「小鳥遊先生は? 彼女は同じ部屋よね?」
「碧はナターシャ以上に当てにならん……」
小鳥遊先生も私同様実技教師だ。私は場合によっては座学も担当するけど、小鳥遊先生は完全に実技専門なのだ。
「教えると何か報酬はあるの?」
「……教師なんだから無償で教えろ、と言いたいがそうもいかないよな。教師だって給料もらってナンボなんだから」
「別に無償でも良いけど……」
「飯くらいは作ってやる」
「ホント!? それじゃあやる!」
一夏君のご飯が食べられるならそれくらいはやる。だって久しく食べて無いんだもん……
「引っ越してきても良いんだが、そうなると俺が部屋で寝られない時に逃げ出す場所が無くなるんだよな……」
「前から疑問なんだけど、何で一夏君は自分の部屋で寝ないの?」
自分の部屋なんだから、当然一夏君のベッドだってあるだろうに……
「偶に刀奈がふざけて俺のベッドで寝てるんだよ。一緒に寝るのはマズイだろ、色々と」
「そ、そうね……いくら付き合ってるとは言え同衾は駄目よ」
「同衾って……随分と古臭い言葉を知ってるな」
前に篠ノ乃さんが言ってたのを何となく覚えていたのだ。古い言葉だったんだね……知らなかったわ……
「前に週一で誰かと一緒に寝るって決めたが、有耶無耶になって消えたからな。思い出されないようになるべく一緒には寝ないようにしてるんだ」
「それじゃあ週に何回か一夏君の部屋に泊まって、他の日は自分の部屋で寝るわ」
「……駄姉が黙ってないとは思うがな」
「織斑先生の対処は一夏君に任せるわよ」
それ以外に対処出来る人が居ないんだから……
「しょうがねぇな。ナターシャも一緒に生活出来るように手筈を整えるとするか。その代わりしっかりと勉強の方も手伝ってもらうからな」
「分かってるわよ。でも、引越しとなると荷物とかがあるわよね……すぐに出来ないわよ?」
「これを使えばすぐだろ。着替えだけ持ってくりゃすぐに生活出来る環境だからな」
確かに、一夏君の部屋は私が使ってる教員寮の部屋よりも広く、そして設備も整っているのだ。
「それじゃあ今すぐにでも!」
「手続きとかあるんだから、それはしっかりとしてくれよな」
「手続き?」
「退寮手続きをして寮の片付け、そして寮長への挨拶だな」
「……織斑先生?」
教員寮には寮長は居ない。つまり一夏君が言う寮長とは学生寮の方の寮長だろう……そして一年の寮長は織斑先生が勤めているのだ。
「俺もついてやるが、基本的にはナターシャが話すんだからな」
「分かってます……」
織斑先生とは同い年だから、普通なら敬語を使わなくても良いんだろうけども、アメリカ軍から匿ってもらってる恩と、何となくタメ口を使いづらい雰囲気があるのだ。
最初は一夏君にも敬語で話そうと思ってたけど、一夏君はすぐに気さくな優しい男の子だと言う事が分かったので普通に話せてるのだ。
「まぁ、駄姉が暴れたら一撃喰らわせれば良いだけだし」
「そんな事出来るの、一夏君だけよ……」
「だろうな。だから俺が喰らわせる」
一夏君は拳を突き出して私の目の前で寸止めしてみせる。うん、十分怖いわね……
「そうと決まれば買い物手伝ってくれ。さっきおばちゃんに言ったように今部屋のエンゲル係数が高いんだ」
「食事代って一夏君が負担してるの?」
「他に誰が負担してくれるんだよ」
「え? 各自後で徴収するとかじゃないの?」
食堂の代わりなら、当然食事代を払うものだと思うんだけど……
「合格出来なかったら食わせないし、残ったら他のやつらで分ければ良いだけだしな。料金を取ってる訳じゃ無いぞ」
「ただで一夏君のご飯が食べられるの?」
「……元々金は取ってねぇだろ」
一夏君のご飯がただで食べられると知り、私は俄然やる気が出てきた。もちろん勉強を教えるのは苦手だけども、一夏君のご飯が食べられるならそれくらい頑張れる気がする。
「随分と不純な動機だな……」
「何でも良いの。一夏君と一緒に生活が出来るなら、私は私の出来る事を何だってやるつもりだもん!」
私の言い分を聞いて、一夏君は呆れたように視線を食材に移した。勉強や運動の時もそうだけど、集中してる一夏君はカッコいいな……
ちょっと過剰反応かもしれませんが、それだけマドカは過去を知られたく無いんです