一夏君が溜まっていた仕事の殆どを終わらせてくれたらしいので、私と虚ちゃんは今日生徒会室に行く必要は無さそうだった。
「じゃあ部屋に帰ろっか」
「お嬢様、誰に言ってるんですか?」
「ん? もちろん虚ちゃんにだよ」
他に誰が居るのかと思い虚ちゃんの方を向いたら、何故かそこには虚ちゃんが居なかった。
「あれ?」
「お嬢様、私はこっちです」
「ありゃ?」
如何やら私は虚ちゃんが居ない方に声をかけていたようだった。何でそんな事をしたんだろうな……
「だから誰に言ってるのかと聞いたのですよ」
「虚ちゃん、さっきこっちに居なかった?」
「私はずっとこっちに居ましたけど」
おかしいな……さっきまでこっちに気配を感じてたんだけど……
「お嬢様は気配察知はあまり得意ではなかったですよね? だからじゃないですか?」
「そんな事は無いと思うけど……てかこの距離で間違えないと思うけど」
「じゃあ何で間違えたんですか?」
「う~ん……」
虚ちゃんの気配を間違える訳も無いし、何で間違えたのか私も良く分かってないんだけどね。
「面白い事してるな」
「一夏君!?」
背後から声をかけられて、振り替える。そこには一夏君が悪い笑みを浮かべていた。
「何でそんな顔してるの?」
「いや、さっき虚の気配を偽って刀奈の傍に居たんだが、面白いように騙されたな」
「それじゃあさっきまでこっちに感じていた虚ちゃん気配は……」
「俺だろうな」
一夏君はイタズラを成功させた子供のような笑みを浮かべて、そして虚ちゃんは呆れたように笑っていた。
「まったく、一夏さんがいきなり現れた時は驚きましたよ」
「虚ちゃんは知ってたの!?」
「だから誰に話してるのですかと聞いたんですよ」
「虚が気付いたから黙ってもらったんだ」
一夏君と虚ちゃんに組まれたら私じゃ太刀打ち出来ないわよね……何せ一夏君だけでも相当な力の差があるのに、そこに虚ちゃんのフォローが加わったら、余計に私じゃ太刀打ち出来ないじゃないのよ……
「刀奈も気配察知を鍛えておかないとな。更識の当主は大した事無いって思われたく無いだろ」
「そうだけどさ……いきなり一夏君の気配を探れる訳無いじゃないのよ……」
何せ一夏君の気配は織斑先生でも探れないんだから……
「お嬢様も油断してると寝首をかかれますよ」
「大丈夫よ。虚ちゃんが居るし、何より一夏君が居るんだから」
一夏君と虚ちゃんが私の味方で居る限り、私が寝首をかかれる心配は無い。簪ちゃんもだけど、私はこの二人をかなり信頼しているのだ。
「あんまり頼られすぎるのも困るんだがな……」
「そうですよ。お嬢様の仕事まで私たちの仕事にされちゃ困りますよ」
「良いじゃないのよ。二人共私よりも仕事を終わらせるのが早いんだから」
私が一時間かかる仕事を、この二人は半分の時間で終わらせる事が出来る。更に言えば一夏君は虚ちゃんよりも十分は早く終わらせる事が出来るのだ。
「そう言う事じゃねぇんだよ。刀奈が仕事をする事に意味があるんだから」
「お嬢様の仕事はそれなりに意味があって任されているんですから」
「でも~」
私が仕事をしなくても一夏君と虚ちゃんがしてくれるのだ。だけどそんな事を言ってても少しくらいはしなくてはいけないのは分かっている。何時までも虚ちゃんが同じ学校に居る訳じゃないのも分かってるし、一夏君も何時までも無国籍で居られる訳じゃないのも分かってる。
「駄々こねるな。刀奈の分の仕事は残ってるから、後でそれを片付けろよ」
「一夏君のイジワル~」
「イジワルで言ってる訳じゃないと思いますよ。一夏さんだってお嬢様に期待してるのでそう言った事を言ってるんですよ」
「それは分かってるけど……でも出来る人がやれば良いじゃない」
織斑先生だって家事が苦手だから一夏君に任せっぱなしだったし、ナターシャ先生だって座学が苦手だから一夏君にフォローしてもらってるんじゃないだろうか……
「そこと比べるんじゃねぇよ……ナターシャは元々が軍人だし、あの駄姉と比べられたら終わりだろうが」
「あら、世間から言えば織斑千冬と比べられるって光栄な事だと思うけど?」
「お前はあの駄姉の本性を知ってるだろうが……比べられて嬉しいのか? 駄目さ加減で」
「……あんまり嬉しく無いかも」
あんまりと言うよりもかなり嬉しく無いかもしれない……
「だろ? だからあの駄姉と比べられないように頑張るんだな」
「だったら一夏君が傍に居てほしいな」
「何で? 俺は勉強を見てなきゃいけないんだが」
「私も一夏君に見てほしいの」
「「………」」
一夏君と虚ちゃんが呆れてるのが分かる、年上の虚ちゃんには呆れられても良いのかも知れないけど、年下の一夏君に呆れられるのは本当なら寂しいとか情けないとか思うのかもしれないけど、もう慣れたからそんな事も思わなくなった。
「だとよ。悪いが勉強の方はまた虚に任せる。俺も終わり次第向かうから」
「分かりました。お嬢様が仕事をしてくれるのでしたら仕方ないですし。その代わり後で私の言う事も聞いてくださいね」
「やれやれ……俺は何人の言う事を聞かなければいけないんだか……」
一夏君は呆れながらも私と一緒に生徒会室に行ってくれるようで、ゆっくりと一夏君が来た道を戻るように歩いていった。
「待ってよ一夏君!」
「お嬢様、頑張ってくださいね」
虚ちゃんの応援は何の意味があったのか分からなかったけど、頑張るのは当然だと思う。一夏君が居てくれるから何とか頑張れるとは思うけども、生徒会の仕事は暫くやってなかったしね……
「一夏君、仕事ってどれだけ残ってるの?」
「刀奈でもすぐ終わるくらいしか残ってねぇよ」
「そうなの? 昨日は結構残ってたって言ってなかった?」
「それも片付けたんだよ」
一夏君は少し眠そうに目を擦りながら答えてくれた。
「一夏君、少し寝たんじゃないの?」
「いや、寝ようと思ってたけど、須佐乃男からの質問攻めで寝れなかった」
「そうなの? じゃあ今日はゆっくりと寝ないとね」
「誰の所為で二徹しなければいけなくなったと思ってるんだ」
「誰だろうね~」
気まずくなって視線を逸らすと、何故か逸らした先に一夏君が居た。
「あれ? だって今こっちに一夏君の気配が……」
「気配察知は相変わらずだな」
「また一夏君に騙された!」
一夏君の気配は一瞬後には別の場所から感じてくるし、近いのかなと思えば遠かったりして掴むのが大変なのだ。
「あまり遊んでても仕方ないし、さっさと終わらせるぞ」
「一夏君がそれを言うの!?」
「俺は自分のノルマは終わってるんだが?」
「どうせ私は終わってませんよだ」
不貞腐れると一夏君は私の頭を優しく撫でてくれた。やっぱり一夏君の手は大きくて気持ちいいな……
「さて、俺はここで見てるからさっさと終わらせろ」
「もう少し……」
「やれやれ」
一夏君は少し呆れながらも私の頭を撫で続けてくれた。
「よ~し! 仕事頑張るぞ~!」
「気合だけじゃなきゃいいがな」
「大丈夫よ!」
一夏君に心配されながらも私はしっかりと仕事をしようと会長の机に向かう。そこに積まれてる仕事を見て私は一夏君の方に振り向いた。
「ねぇ一夏君、これがちょっとなの?」
「ちょっとだろ? 終わらせたのはそっちに避けてあるんだから」
一夏君の指差した方に目を向けると、机に積まれた以上の書類の山があった。これを一夏君が一人で……?
「えっと、どれくらいで終わらせたの?」
「午後の授業には出なかったからな。その半分くらいじゃないか?」
つまりは大体一時間と……それくらいで終わらせられるなんて信じられないわね……やっぱり一夏君の処理速度は人間のそれを超えているわね……
「俺は人間だ」
「知ってるけど、普通の人間は他人の心を読んだり、この山を一時間で片付けられないわよ」
「他人じゃないだろ。俺はお前の恋人、他人より近しい間柄だ」
「うん……」
一夏君に真顔で言われて、私は顔を真っ赤に染め上げた。だって恥ずかしい事を素面で言われると相当恥ずかしいんだもん……
「お嬢様、さっさと終わらせてくださいね」
「えっ、虚ちゃん?」
生徒会室に居ないはずの虚ちゃんの声が聞こえて、私は慌てて辺りを見渡した。だけどやっぱりこの部屋には私と一夏君の姿しか無い……
「一夏君、今のって……」
「声帯模写だな」
「ホント器用ね……」
「俺一人の声で発破をかけるより、色々な声でかけた方が気合が入るだろ?」
「ううん、一夏君一人が良い……」
私の言葉に一夏君は首を傾げる。
「だって一夏君と二人っきりなんだから、他の人の声を聞きたく無いよ」
「そうか……なら止めておくか」
一夏君自体の声で言ってくれたので、私の気持ちが伝わったんだろうなと思い安堵した。だって一夏君の声は優しさを含んでいたから……
「さて、さっき虚の声で言ったように、さっさと終わらせてくれよな」
「は~い」
一夏君の声で応援されたので、私は気合を入れて残った書類の山に取り掛かろうとしたけれど、それを目の前にするとやっぱり気合が抜けてしまう……
「一夏君、ちょっと手伝ってくれない?」
「……お茶くらいなら淹れてやる」
一夏君は生徒会室に備え付けられているキッチンに移動して紅茶を淹れてくれた。一夏君の淹れてくれるお茶は他の人とは違う美味しさがあるから好き。
「やっぱり一夏君の淹れてくれるお茶は格別ね。虚ちゃんが淹れてくれたのも美味しいけど、一夏君のと比べちゃうとね」
「比べる事は無いだろ。美味しいのは美味しいって評価で良いだろ」
「そうね。私は一夏君の淹れてくれた紅茶も、虚ちゃんが淹れてくれた緑茶も好きよ」
「種類が違うじゃねぇかよ……」
「元は同じでしょ?」
「……それで良いなら別にこれ以上は言わねぇけど」
一夏君は呆れながらも、お茶菓子のクッキーを出してくれた。甘い物で気合を入れた私は、書類の山に挑む決心をして一枚ずつ確実に処理していく。
一夏君は本当に見てるだけのようで、腕を組みながら私を見ていた……んだけど、途中から目を閉じていたので寝てたのかもしれないわね……
「一夏君、起きてる?」
「一応はな……だが相当眠い」
「ゴメンね、私が一夏君のベッドを使っちゃったから」
「別に無理しないで一緒に寝れば良かっただけだから、刀奈が責任を感じる事はねぇ」
そうは言っても、一夏君は相当眠いのか途中でバランスを崩した。こんな一夏君を見るのは初めてかもしれないわね……
「少し寝たら?」
「まだ大丈夫だ……今日くらいはもつはずだから」
目を擦りながら一夏君は立ち上がってストレッチを始めた。眠気を誤魔化す為に身体を動かしてるんだろうけども、こんな一夏君は見たくなかったな……だって一夏君も人間だったんだと思い知らされるし、そうなると一夏君にかなり無茶させちゃってるんだと言う罪悪感が襲ってくるから……
「気にしすぎだ。俺はまだ大丈夫だし、刀奈が気にする事は何も無い」
私の考えを見透かしたのか、一夏君は私の事を優しく抱きしめてくれた。一夏君の体温は普段よりも高く感じたけど、それでも一夏君の体温を感じて私は抱きつき返した。
「ありがとう、一夏君……そしてやっぱりゴメンね」
体温が高いと言うことは、一夏君は相当眠いんだろう。だけどこうして私の我が侭に付き合ってくれて、そしてこの後は勉強を見るんだから……謝って間違ってると言う事は無いだろうな。
「一夏君?」
「………」
埋めていた顔を上げると、一夏君は寝ていた。立ったまま寝てるのは身体に負担が掛かるんだろうけども、今は寝かせてあげようと思ったのだけども、すぐに一夏君は目を覚ました。
「終わったら刀奈も勉強を見るんだから、少しは体力を残しとけよ」
「一夏君には言われたく無いわよ。お姉さんに任せなさい!」
偶にはお姉さんぶって一夏君を安心させようとしたけども、一夏君は噴出すだけで安心はしてくれなかったようだった。
「何よ~」
「いや、可愛いなと思って」
「もう!」
一夏君に可愛いと言われ、私は自分の体温が上がっていくのが分かる。それくらい嬉しいし恥ずかしいのだ。
「年上のお姉さんに可愛いなんて!」
「無理に年上ぶらなくても良いぞ。刀奈は俺にとっては可愛い彼女なんだから」
「少しは威厳を見せたって良いじゃないのよ」
頬を膨らませて一夏君を睨むけども、それも結局一夏君に可愛いと思われるだけだったのだ。
お嬢様と一夏さんが生徒会室で作業をしてる為、勉強を教える側の人間が二人減っているのです。
「かんちゃん、ここ教えて」
「静寂、これって如何解くの?」
「虚様、ここを教えてください」
一夏さんが作った問題はそれほど難しい訳では無いのですが、やはり補習ギリギリの皆さんには少し難しいかも知れませんね。
「あっ、私もここ教えてほしいです」
「簪、次は私に教えて」
「静寂、次は私」
私たちが説明してる横で、美紀さん、マドカさん、カルラさんが質問を持って待っています。一夏さんやお嬢様が居れば何とか質問する側を待たせる事は無いのですが、やはり三人では少しキツイですね……
「少し休憩しましょう。その間に説明をしますので」
「そうだね。説明してる間に先に進まれたらまた質問が出てくるし」
「ですが、一夏君は普段休憩を設けてませんよね」
「今は一夏さんとお嬢様が居ませんので、それくらいは仕方ない事です」
説明が上手な二人が抜けているので、如何しても滞ってしまうのですよね……だから勉強する側には申し訳無いですが、説明が終わるまで待ってもらうしか無いのですよ。
「おね~ちゃんがそう言うなら良いよ~」
「そうですね。念話で一夏様に聞こうとしても、反応がありませんし」
「お兄ちゃん、何かあったのかな?」
「いえ、唯単に楯無様に集中する為だと思いますけど」
お嬢様がしっかりと仕事してるのかも怪しいですが、一夏さんが居る以上は大丈夫でしょうね。
「休憩があるのは嬉しいね」
「エイミィは昨日のテスト楽々合格してたからね」
「そんな事ないよ~。美紀だって補習でしっかりと合格したんだから」
「エイミィ、それってあんまり褒めてないよ」
日下部さんのツッコミに、カルラさんは恥ずかしそうに視線を逸らしました。この六人の中で一番安定した成績を残してるのは日下部さん、その次がカルラさんなので、この二人は結構余裕があるはずなのです。一方で美紀さんは昨日のテストでついに合格点を一回で超える事が出来なくなってしまっているのです。
「やっぱり一夏様に通信しようとしても繋がりません」
「おりむ~は何してるんだろうね~」
「お兄ちゃんの事だから、きっと楯無さんにプレッシャーを掛けてるんじゃないの?」
「刀奈お姉ちゃんも一夏様にプレッシャーを掛けられながらだと、普段の力を発揮できないんじゃないのかな」
「そんな事無いと思うよ。お姉ちゃんは意外と一夏のプレッシャーを楽しんでる節があるから」
お嬢様はそうなんですよね……一夏さんにプレッシャーを掛けられるのを楽しんでるんですよね……
「生徒会長ってMなの?」
「違うと思うけど……」
「Mって言うな!」
「!?」
「マドカさん?」
何故かMと言う言葉にマドカさんが過剰に反応しました。何か嫌な思い出でもあるのでしょうか……
「マドマド、何かあったの?」
「……何でも無い」
「そんな事無いでしょ。あんな反応するなんてさ……」
一夏さんなら何か知ってるのかも知れませんが、残念ながら一夏さんはこの部屋には居ません……そしてもう一人知ってるかもしれない須佐乃男も、何も言わずにその場に座っています。
「ゴメン、ちょっとトイレ」
マドカさんは部屋から出て行き、部屋には不思議な雰囲気が漂いました。マドカさんの反応も気になりますが、それ以上に気になるのがお嬢様がMなのかと言う疑問です。
「簪お嬢様、お嬢様はMなんでしょうか?」
「如何なんだろう……でも虚さんに小言を言われても嬉しそうじゃないよ?」
「そうですよね……」
私も別に苛めてる訳では無いのですが、端から見たら私はお嬢様を苛めてるように見えるのでしょうね……
「後で一夏君に聞いてみたら如何です? 彼なら更識先輩の心の内を見れますし」
「でも静寂、一夏がそんな事を知りたいって思うかな?」
「……ちょっと分からないかな」
一夏さんはそんな事に興味ないでしょうし、一夏さんから見れば私たち全員はMに見えるんでしょうね……
「あっ、一夏様の気配が近づいて来ます」
「仕事が終わったんでしょうね」
「それじゃあ勉強を再開しよう」
マドカさんが戻ってこないのも心配ですが、一夏さんが戻ってきたとなれば質問でつまる事も無いでしょうし、再開しても問題ないでしょうしね。
一夏さんが部屋に戻ってくる前に再開して、サボってたと思わせないようにしたのですが、一夏さんには私たちが休んでいた事がバレバレだったようです……
一夏と刀奈ばっかりやってる気がする……