「ケーキってパンケーキだったんだね」
「一応スポンジも作るが、何故か生クリームが見当たらなくてな」
「おかしな事もあるんだね……」
購買で買ってきたバニラアイスをパンケーキにのせながら首を傾げる一夏。クリームが無かったら一夏の作りたかったケーキにならなかったからと言って、すぐさま別のものを作れるなんて、料理部員……もっと言えば女としての自信が無くなりそうだよ。
「ほい、これがシャルの分だ」
「ありがと~」
ケーキを楽しみにしていた女子は多かったが、一夏はすぐさまパンケーキを作ったので暴動にはならなかった。ケーキにのせるはずだったフルーツたちを煮詰めてジャムにしてしまうあたり、一夏の臨機応変さに脱帽するよ……
「しかし、何処に行ったんだ?」
「生クリーム?」
「ああ。スポンジを焼く前には確かにあったんだが……」
「誰かが食べちゃったのかもね」
「クリームだけでか?」
「意外といけるんだよ」
「想像しただけで胸焼けしそうだ……」
一夏は頭を振って後片付けをするために奥に引っ込んだ。クラスメイトは一夏の作ったパンケーキに満足して帰り始めてるが、一夏は作るだけじゃなくて片付けもしなきゃいけないのだ。調理担当って大変なんだな……
「シャルロットさん。一夏さんは何て言ってました?」
「特に何も言ってないよ。ただ、不思議がってたけど」
「そうですか」
ちなみに、生クリームは一夏の持ってきたクッキーと一緒にクラスメイトの殆どが食べてしまったのだ。一夏に気付かれるかもと思ったが、一夏は消えてしまった生クリームに首を傾げるだけで何も追求はしてこなかった。
「だが、兄上のケーキ、食べたかったぞ……」
「最初に摘み食いをしたのはラウラでしょ」
「そうですわ。ラウラさんが摘み食いをしたのが最初ですわ」
「お前たちも食べただろうが!」
「一夏に知られたら……ダメだ、想像するだけで恐ろしい……」
この中で唯一、一夏の本当の恐ろしさを知っているだろう箒が震えた……それだけ一夏が本気で怒ると怖いって事なんだろうな……
「兎も角、絶対に一夏に知られてはダメだ」
「兄上に隠し事をするのは忍びないが、この際そんな事言ってる場合じゃ無いしな」
「一夏さんのパンケーキを堪能出来ただけで善しとしましょう」
「……フルーツケーキも食べたかったけどね」
「それは言わないお約束ですわ」
「そうだね」
「なあシャル、このボウルって何に使ったんだ?」
「え?……い、一夏!?」
隠して僕の部屋で洗おうとしてた、生クリームをあわ立てたボウルが一夏の手に握られている……この場に居た全員が絶望しきった顔に一瞬でなってしまった……何でもっと厳重に隠さなかったんだ、僕の馬鹿!
「な、なんでもないよ。うん、なんでもない」
「これって……クリームか?」
「そっ、そんな訳無いよ?」
「ふ~ん……ラウラ、クリームは美味しかったか?」
「ああ、最高だった!」
「ラウラさん!」
「しまった!」
一夏の狙い澄ましたラウラへの質問、ラウラも一夏に対して正直に答えてしまった……これでクラスメイトの殆どが一夏に怒られる事が決定した。決定してしまった。
「本当にクリームだけで食べるんだな……」
「あ、あれ……」
「怒ってませんの?」
「何で?」
怒られると覚悟を決めたのにい、一夏は生クリームをそのまま食べた事に驚いただけで怒ってる感じはしなかった。
「だって、勝手にクリームだけ食べちゃったから……」
「クラスメイトの殆どが食べたんならしょうがないだろ。少数で食べたのなら怒ったかも知れんがな」
「ゴメンなさい……」
「元々は食べさせる予定だったんだから謝らなくて良い。だが、勝手に食べた事は関心しない」
「すまなかった……」
「……貴女もですか、織斑先生」
勝手に食べているところを織斑先生に見つかり、黙ってる代わりに少し分けろと言われたので、教師3人分を織斑先生に渡したのだ。
「本番当日には摘み食いはしない事。もしそれが破られた場合のみ説教をするからそのつもりで」
一夏は怒りを通り越して呆れながら片付けに戻って行った……生クリームが入っていたボウルを持っていって……
「でも、一夏に怒られなくって良かったよ」
「そうですわね。一夏さんに怒られたら、最悪泣いてしまいますわ」
「兄上は優しいからな!」
僕とセシリアとラウラは、怒られなかった事に安堵してたが、織斑先生と箒はそうは行かなかったみたいだ……一夏が居なくなった方向を見て2人して震えている。何があったんだろう……
「一夏のヤツ、かなり怒ってるぞ」
「箒もそう思うか。私もあんな一夏を見るのは指折りしかないぞ、しかも片手で足りる回数だ」
「文字通り、甘い誘惑になどに負けるんじゃ無かった……」
「しかし、あの誘惑に勝てる女など少ないだろうな……」
「そうですね……しかし、一夏に怒られる可能性を考慮すれば勝てないにしても我慢は出来たかも知れませんでした……」
「次に地雷を踏んだヤツは気の毒だな……」
一夏の本当の恐ろしさを、身を持って体験した事のあるだろう2人には、さっきの一夏の態度はよほど恐ろしいものに見えたんだろう。2人して顔を見合わせて、互いを気遣うように小声で反省していた。
「あの~……ひょっとしてさっきの一夏は、かなり怒ってたんですか?」
「何だデュノア、一夏が怒ってたのに気付かなかったのか?」
「あんなに怒り狂ってる一夏など、滅多に見られるものじゃないぞ」
「そ、そうなんですか……」
今更ながらに恐怖が襲ってきて、僕は無意識に自分の身体を抱きしめていた……人間、本当に恐怖すると自分の身体を抱きしめてしまうんだね。
「一夏君の抜け目の無さには関心するわね~」
一夏が教室で激昂してるとはつゆ知らず、私たちは一夏の作ってくれたゼリーに舌鼓を打っていた。
「でも、何時作って何の意図があって人数分のゼリーを用意したんだろう……」
「一夏さんの事ですから、何か意味があるはずですよね……」
「そんなの如何でも良いじゃ~ん!」
「そうですよ。一夏様がゼリーを作ってくれた意味なんて、考えても分かりませんし」
「お兄ちゃんに聞けば解決するんだから、今は素直に味わいましょうよ」
「そうだね、一夏君に聞けば良いんだもんね」
一夏に聞くのは誰にするか何て言いながら、私たちは再び一夏の作ってくれたゼリーに舌鼓を打つのだった。
「そろそろおりむ~も帰ってくるかな~?」
「如何だろう、一夏の事だから後片付けも自分でするんじゃないかな」
「ありえますね~。本当は私たち3人で片付けを担当するはずだったのですが、この有様ですから」
「お兄ちゃんって誰かに頼るの下手だから」
「少しは甘えてくれても良いんだけどね~」
「時々、どっちが年上だか分からなくなりますよ……」
虚さんが軽い自己嫌悪に陥りそうになったが、自力で復活してくれるので、この場の全員がフォローする事無く会話を続けた。
「おりむ~の包容力はハンパ無いもんね~」
「あれで同年代って言うんだから、信じられないわよ」
「でも、一夏様は紛れも無い同年代の男子ですよ」
「そうなんだよね」
「私は1個下だし、お兄ちゃんには昔から甘えてたから不思議では無いよ」
「山田先生やナターシャ先生も、一夏さんに相談する事があるようですし、やはり一夏さんは頼りになるのでしょう」
「教師まで一夏君に相談するんだ……」
虚さんの発言に、全員が頼り甲斐のあり過ぎる一夏に絶句した……あり過ぎるって事は無いんだろうが、今はそう表現したい気持ちになったのだ。
「ただいま……何だこの空気?」
タイミング良く(悪く?)、一夏が部屋に戻ってきた。帰ってくるなり普段と違う雰囲気に、さすがの一夏も怯んでいる。
「一夏君の頼り甲斐に驚いてたのよ」
「はぁ……」
「教師からも相談されるなんて、さすがお兄ちゃんだね」
「相談?」
「この前、山田先生とナターシャ先生から相談されてましたよね」
「……ああ、あれですか!」
一夏は少し考えた後、納得したとばかりに手を叩いた。一夏がそんな行動をするなんて思ってなかったので、私たちは少し驚いてしまった。
「それで一夏様、いったい何を相談されてたんですか?」
「織斑先生が元気ないんですが、何か心当たりありませんか、って」
「それだけ?」
「飲みに誘っても良いですか、っても聞かれましたが」
「あの女の事を聞かれてたの?」
「他に何を聞くって言うんだ……俺はあの2人から見れば、ただの生徒の1人に過ぎないんだぞ?」
それは謙遜が過ぎると思うよ……一夏がただの生徒だったら、他の、その他大勢は何て表現すれば良いの?一夏の自分自身の過小評価は相変わらずだけど、少しは自分の事を認めても良いんじゃ無いかな……
「あっ、ゼリーは食べてくれたみたいですね」
「美味しかったよ~」
「ありがとうございました」
「でも一夏君、何で人数分のゼリーを作って置いておいたの?」
ジャンケンで負けたお姉ちゃんが、会話の流れで何気なく質問した。一夏は特に不審に思う事も無く、お姉ちゃんの質問に答えた。
「本当は食後のデザートを……って思ってたんですが、夜中に苦しそうに呻いている刀奈さんたちを見て、こりゃダメだなって思ったのでゼリーにしたんです。丁度教師陣にゼリーを作るつもりだったので、ついでに」
「そんなに呻いてたの!?」
「あれだけ食べた後に、夕飯まで食べれば誰でも苦しいでしょうし、呻きますよ」
「恥ずかしいよ~」
「本音が言うとそう聞こえない不思議」
「では、私の分は……」
「虚さんのは単純に仲間外れにする理由が無いので」
「良かった……」
「虚さん?」
虚さんが何に安堵したのか、男子の一夏には理解出来なかったみたいだ。この場に居る一夏以外は、虚さんの安堵の理由が分かった。彼氏に呻き声など聞かれたく無いもんね……
「おかげで楽になったわ……」
「これからは気をつけます……」
「おりむ~に辱められた~!」
「お兄ちゃん、責任取ってよね!」
「何のだよ……」
一夏は呆れたように私たちを見回し、味方が居ないと分かるとため息を吐いた……いや、吐こうとした。だが――
「!?」
――お姉ちゃんに唇を塞がれたために、一夏のため息は、ため息にならず一夏の中に戻って行った。
「……何ですかいきなり!?」
「ため息吐く癖は直そうね?」
「だからってキスする事無いでしょうが……」
「嫌だった?」
「嫌じゃ無いですが、この後の展開は勘弁してほしいですね……」
「モテる男の子の苦悩ね♪」
「楽しそうに言われても……」
一夏の想像通り、私たちはお姉ちゃんの行動に押されるかの如く一夏にキスを迫る。一夏も諦めからか、マドカ以外とはキスをしてくれると言ってくれた。
「何で私はダメなの!?」
「血の繋がりが無くても、マドカは妹だからな。普通、妹とはキスしないよな?」
「ぐぬぬ……」
「マドマドが唸ってる~」
「なあ須佐乃男……俺がおかしいのか?」
「恐らく、一夏様が正しいと思います」
「だよな……」
「隙あり!」
「「「ああー!」」」
マドカが唸ってるのを見て、自分がおかしいのか須佐乃男に確認していた一夏だったが、その一瞬の隙を突いて須佐乃男が一夏にキスをした。
既にキスをしたお姉ちゃんと、キスする権利の無いマドカ以外の3人……私を含む残りの彼女が同時に声を上げた。
順番を決めるつもりだったのに、須佐乃男が抜け駆けをしたのだ。
「須佐乃男、ズルイよ!」
「何がです?」
「順番を決めるんでしょ~!」
「待て、俺はテーマパークの乗り物じゃ……」
「一夏さんは少し黙っててください!」
「は、はい……」
反論しようとした一夏を、虚さんが一蹴した。普段は大人しい虚さんだが、一夏が絡むと落ち着きを何処かに失くしてしまうのだ。
「そもそも楯無様もいきなりでしたし、こう言うのは早い者勝ちですよ」
「お前も余計な事言うなよ!……!?」
「「ああー!」」
「プハ……確かに早い者勝ちですね」
「虚さんまで……」
「おね~ちゃんズルイよ~!」
「順番が無い今、早い者勝ちと言う須佐乃男を責める事は出来ませんよ」
一夏が須佐乃男にツッコむ一瞬の隙を突いて、今度は虚さんが一夏の唇を奪った。虚さんは私たちと違い、舌と舌を絡ませるように一夏とキスをしていた……大人だ。
「虚ちゃん、やるわね」
「この前碧さんがしてましたので」
「大人の余裕ですね~」
「勘弁してくれ……」
「い、一夏!わ、私も///」
「かんちゃん、此処は無理しないで普通に行こうよ~」
「……そうだね」
さすがに刺激に耐えられないだろうし、虚さんみたいに見様見真似でして、万が一失敗したらせっかくのチャンスがもったいない結果になってしまう。
「かんちゃんからどうぞ」
「じゃあ、遠慮なく」
「いや、少しは遠慮……」
一夏が何かを言いたそうだったが、それを私は私の唇で塞いだ。一夏は抵抗するのを諦めたのか、それとも始めから抵抗するつもりが無いのか、大人しくされるがままだ。
「次は私~!」
「少しは休ませろよ……」
「ダメ~!」
本音もすぐさま一夏の唇に自分の唇を重ねた。一夏からする事が少ないなら、こっちからすれば良いんだ……今更ながらにそんな事を考えていた私だったが、如何しても虚さんのキスが頭から離れなかった……碧さんもしたんだよね……そのうち私も出来るようになるのかな?
「ため息1つでエライ目に遭った……」
「何よ~。美少女5人にキスしてもらって不満なの?」
「不満じゃ無いですが、連続でされればさすがに疲れますよ……」
「今度はおりむ~からしてほしいな~」
「……考えとく」
「約束だよ~」
最早抵抗する気力も残って無いのか、一夏は本音の提案を否定する事なく、だが肯定するでも無く曖昧な答えをした。
「それで一夏、碧さんと大人のキスをしたって本当なの?」
「……本当だ」
「お兄ちゃんからしたの?」
「如何なんだろう……何か流れでそうなったんだよな……記憶があやふやなんだ」
「あの時は碧さん、酔っ払ってたからね~」
「一瞬、舌をねじ込んでたよね~」
「見てなかった……」
その場に私も居たのに……碧さんが酔っていたって事は、マドカの歓迎会の時だろう……まさかあの時に一夏がそんな事をしてたんなんて……
「もう良いでしょ。俺は風呂に入る」
「一緒に?」
「さすがに怒りますよ」
「冗談が通じないんだから」
お姉ちゃんは半分本気だったろうな……一夏がもう少し機嫌が好かったらきっとお風呂に突撃!とか言い出したに違い無い。
「虚さん以外はまだ病人なんですから大人しく寝てる!」
「「「「「は~い……」」」」」
「私も疲れました」
「なら、お先に風呂どうぞ」
「大丈夫です。大浴場に行きますから」
「そうですか、なら遠慮無く入らせてもらいます」
そう言って一夏は部屋の風呂場に、虚さんは大浴場に向かっていった。私たちは一夏に怒れれないように、大人しくベッドで寝てる事にした。
「やっと文化祭の入場券を手に入れた」
「ご苦労な事ね。あの子を脅せばもっと楽に手に入れられたんじゃない?」
「アイツの周りには警護の人間がうじゃうじゃ居るし、何より『唯一の男』が傍に居るからな」
「下手すれば此方が危ないって訳ね。貴女にしては考えてるわね」
「うるせぇ!」
学園から遠く離れたある場所で、2人の女性が何か不穏当な会話をしている。1人は見るからに短気そうな若い女性で、もう1人は年齢を感じさせない(検討がつかない)見た目の知的な雰囲気の女性だ。
「それじゃあ、しっかりと仕事をしてくるのよ、オータム」
「分かってる。スコールの方こそ、しっかりとあの女を捕まえる作戦を立ててくれよ」
そして文化祭当日
「これより、IS学園文化祭を開催する事を宣言しま~す!」
体育館で生徒会長の開催宣言を気に、学園は一気に異様なテンションになった。
「それじゃあ最初は一夏君と虚ちゃんが入場者案内ね」
「分かりました」
「お嬢様は本部に詰めていてくださいね」
「無線で情報は入ってくるから大丈夫だって」
刀奈さんは最初から本部に居るつもりなど無かったのだろう。本部には生徒会長に直通の無線が置かれていて、何かあったらこれで知らせる事と書かれた紙が置いてあった。
「それじゃあよろしくね~」
「お姉ちゃん、待ってよ」
「私も一緒に行きます!」
「それじゃあおりむ~後でね~」
浮かれ気分を隠そうとしない4人を見送って、俺と虚さんは入場口に向かう事にした。クラスの出し物である喫茶店で出されるお菓子は、ある程度作ってあるし、何か苦情が来たら連絡するようにセシリアに言ってある。何故セシリアかと言うと……セシリアしか電話番号を知らないからだ。
本音も居るんだろうが、本音に説明を任せてもきっと理解出来ないだろうしな……
こうして、色々な問題が起こりそうな文化祭が始まったのだ。
早く一夏の誕生日まで行きたいです……