では、また縁がありましたら。
博麗霊夢と俺の関係を一言で表すのなら、同居人だ。
それ以外で、簡単に、適切に表す言葉を、俺は知らない。
いずれ殺す者と、殺される者。準備が整うまで、俺が逃げないようにするための、そのためだけの同居だったはずだ。
理不尽を嫌う俺だったが、俺は、博麗になら殺されても良いと思っていた。
初めて、あの冷たい瞳に射すくめられた瞬間、俺は自分自身の死に納得できていたからだ。この少女に殺されるのなら、理不尽と思わず、納得して死んで逝けると。
例えそれが、俺の未来の罪故に、などと訳の分からない説明をされたとしても。博麗に殺されるのなら、俺はそれでいいと思えたんだ。
そして、今。
俺はいよいよ殺される。
今更後悔は無いけれど、つまらない未練なら少しだけ。
ああ、だから博麗。
俺のつまらない未練なんて、容赦なく潰して、殺してくれ。
縊って、惨めに殺しておくれ。
●●●
土曜日。
時刻は深夜の丑三つ時。
場所は一目のつかない、寂れた神社で。
「準備はいい?」
「もちろん」
俺は死に装束として、黒いスーツでびしっと決めて、治りきらなかった怪我は包帯を解いて、そのままに。
紅白衣装の巫女姿の博麗と、相対する。
「詳しい説明とか、アンタをどうやって殺して、どうやってアンタの中の能力を封じるとか、冥土の土産に聞く?」
「いいえ。三途の川を渡るのには身軽で居た方がいいでしょう?」
「サボり癖のある死神が担当だったら、しばらく現世をさまようことになるかもね」
「はははっ、それは嫌だなぁ」
そんなことをしていたら、うちの上司に駆逐されてしまうじゃないか。
だから、手早く死ぬので、さっさと魂なりなんだり、回収しに来てほしい。
「じゃあ、殺すわよ」
「ええ、どうぞ」
あっさりと言われ、俺も笑顔でそれを承諾する。
次の瞬間、
「――かはっ」
俺は腹を蹴り飛ばされ、そのまま石畳へと転がり、仰向けに倒れた。
あばらが何本か持っていかれた上、内臓も傷ついてるかもしれない。まともに呼吸すらできず、浅く息をしただけでも、体に激痛が走る。
「…………」
無言のまま、博麗は蹴り飛ばした俺へと歩み寄る。
ゆっくりと、しかし、逃げることを許さない迫力を持って。
「死になさい」
無表情で、何の感情も瞳に映さず、両の手で俺の首を絞めた。
「―――っ」
冷たい手が、蛇のように首に絡みついて、締め付ける。ぐいぐいと、喉を絞めて、血管を締め付ける。
声も出ない。
意識も擦れていく。
間違いなく、俺は死ぬ。ここで、俺は、博麗に首を絞められて死ぬ。
不思議なことに、走馬灯は見えない。いや、あれは体が死を覚悟していないから起きる現象のはずだ。なら、死を受け入れている俺に、そんな無粋な物は起きないのかもしれない。
よかった。
これで、最後に潔く死ねる。
「―――ぁ」
……………………
…………
……
「どうしてだよ?」
絞り出されたのは、俺の声。
本来だったら、断末魔も許されないほど、首を絞められ、出ないはずの声だ。
「なぁ、答えてくれよ」
博麗が、その手を緩めなければ、声も出せないはずなのに。
「どうして! 今更、お前が泣くんだよ! 博麗ぃ!!」
断末魔より惨めな俺の言葉が、夜空に吸い込まれた。
「…………」
博麗は答えない。
無言のまま、無表情のまま――――その両の瞳から、透明な滴を流している。
「憎い相手なんだろ!? お前の故郷を壊した奴なんだろ!? 殺せよ! そのためにお前はわざわざ、境界を越えて、過去にまで戻ったんだろ!?」
最初の出会いから、俺を殺すと言っていたじゃないか。
「そのためにわざわざ半年も一緒に暮らしたんだろ!? 憎い相手と! 今すぐにでも殺したかったのを我慢して、ここまで来たんだろ!?」
半年間、歪な同居生活を過ごしたじゃないか。
毎日、殺意をちゃんと確認してたじゃないか。
「殺せ! 俺を殺して役目を果たせ! 博麗霊夢!!」
裏切りを責めるような俺の慟哭。
体の痛みなど、そんなものは引き裂かれるような心に比べたら、なんともなかった。例え、喉の奥から血がせり上がってきても、どうでもいい。
ただ、答えを。
――答えを!
「…………たくない」
首に絡む手は冷たく、震えていた。
「アタシは、アンタを殺したくない」
しかし、声は毅然と。
「殺すのは、嫌だ」
今までの約束を、裏切る言葉を告げていた。
「なんだよ、それ?」
涙を流す瞳は、俺の目を見つめている。
ぽつぽつと、熱い液体が、俺の頬に落ちてきて、それが無性に悲しかった。
「だって、お前は……博麗、お前はっ! 一度も俺の名前を呼ばなかったじゃないか!」
悲しみのまま、俺は吠え猛る。
「出会ってから、半年間! 一度たりとも!」
「――それは!」
無表情が崩れた。
なんだ、その顔は。やめてくれ、そんな弱々しい顔を俺に見せないでくれ。
「アンタが、アタシの名前を一度も呼ばなかったから」
「…………っ」
博麗ではなく、霊夢と。
呼んでほしかったのか?
いつから?
どのきっかけで?
ああ、わからない。わからないよ、博麗。
俺はこういう人間だから、君の心を汲むことなんて出来ないんだ。
「…………だったら」
だから、
「笑ってくれよ。なぁ? 愛想笑いでも、本気で怒っているという意思表示でもいいからさ、笑ってくれよ。俺はまだ一度も……君の笑顔を見たことが無いんだ」
形にしてくれ。
そうでなければ、俺みたいな奴は何もわからないんだ。
「無理よ。だって、こんな気持ちじゃ笑えない」
「なら、俺だって無理だ」
俺はそういう人間だから無理なんだ。
一度ぐらい死んでおかないと、優しい人間にもなれやしない。
「…………笑えないけど、一人になるのは嫌なのよ」
なんて、わがままな。
けれど、君を一人にしてしまったのは、それは、俺の罪だから。今更慣れ合うのは、もう無理じゃないのか? 贖罪なんて形じゃ、もう一緒に暮らせない。
なのに、君はまだ俺に何かを言おうと口を開く。
「だから――――」
博麗は、歪んだ顔で言葉を紡ぐ。
「アンタがアタシを笑わせなさい、××」
俺の、名前を。
殺し文句を。
「はは、なんだよ、それ」
ずるいじゃないかよ、それは。
「そういう殺し方はずるい」
「黙りなさい。アタシが先に妥協したんだから、アンタもさっさと妥協しなさいよ」
毅然と、涙を流しながら俺に命令する博麗。
今更、何もかもなかったことにして、新しく始めるのは、俺たち足りなすぎるから。
恨みも、殺意も、呪いも、親愛も、全部――何もかも足りないから。
だから、妥協して殺されておくことにしよう。
「わかったよ、霊夢。俺が、お前を笑わせてやるよ」
こうして、俺は殺された。
今までの自分を殺されて、互いに妥協しながら生きていくことになった。
今更、独りぼっちで生きていくには、お互い、関わり過ぎてしまったから。
二人で、誤魔化しながら生きていこう。
●●●
なーんて、ことがあったのは、今は昔の、さてどれくらい前だっただろうか?
それほど時間も経ってないような気もするし、随分と時間が経ったようにも感じる。
ただ、言えるのは、
「ちょっと霊夢? 冷蔵庫にあった俺のプリン知らない?」
「ああ、それなら食べたわ――――妖怪甘味食らいが」
「正直に言おうぜ、謝ったら許すから」
「悪かったわ。今の私じゃ、あの妖怪からこの家を守るのが精いっぱいで」
「どれだけ強いんだよ、甘味食らい!? 今でも霊夢、指一本で俺を殺せるレベルの強さじゃんか!」
「それはアンタが弱いだけよ、××」
「違う、絶対違う。この世界基準ではそれなりの方だから、俺」
「アンタの強さなんて、甘味食らいの前じゃ、塵同然よ?」
「だから、どうして毎回盗み食いの度に新しい妖怪を捏造すんだよ!?」
相変わらず、俺と霊夢の日常はだらだらと続けている。
間違っても、愛のある生活じゃなくて、お互いが妥協し合っている生温い関係だけど、まぁ、今は、悪くないと思えるようになった。
ああ、後一つだけ。
「ふふふっ、捏造じゃないわ。妖怪は人の心より生まれる存在でもあるの。つまり、盗み食いをしたいというアタシの心が、その妖怪たちを生み出してしまったのよ」
「なにもっともらしいことを言ってんだ、この巫女は」
最近、霊夢が笑えるようになった。
だから、こんな日常にも、きっと意味はあるんだろう。
俺の家で、素敵な巫女が笑ってくれているのなら、きっと。
fin