未来の本因坊   作:ノロchips

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第7話

 年が明け、冬休みも終わり、既に学校が始まっていた。

 

「はぁ……」

 

 新年早々だというのに、私は机に頬杖をついてため息を漏らしていた。

 その理由はもちろん、年末の碁会所での出来事。ヒカルが、塔矢くんと打っていなかったという事実。

 

 ヒカルがプロを志すようになったのも、何より囲碁が強くなりたいと思うようになったのも、塔矢くんの存在があったから。

 塔矢くんにとってヒカルは、初めて同世代で自分が追いかけるべき相手。そんなヒカルの存在が彼を更に成長させた。

 ヒカルには塔矢くんが、塔矢くんにはヒカルが必要なんだ。

 

 ……私が本当に打ちたいのはそんな二人なんだ。

 

 だからこそ、ヒカルと塔矢くんが出会っていないかも知れないという現状を思うと、私は気が気でなかった。

 私の思い過ごしならいいんだけど……

 

「どうしたの、彩? なんか元気ないよ?」

 

 そんな私に、隣に座るあかりが心配そうな顔で話しかけてきた。

 

「そ、そうかな……?」

「何か悩み事でもあるの? 私でよければ相談に乗るよ」

 

 そう言って私を気遣ってくれる。本当にいい子だな。

 ……でも、あかりか。聞いてみようかな。

 

「あかり、ヒカルの事でちょっと聞きたいんだけどさ」

「ヒカル? どうしたの?」

「この前、囲碁教室でヒカルに会ったんだ。それで最近はヒカル、囲碁やってるのかなって」

「え? 彩も囲碁やってたの?」

 

 私が囲碁の質問をすることが予想外だったのか、驚いた様子のあかり。まあ、囲碁はお年寄りの遊戯ってイメージがあるだろうからね。

 

「……あ、ごめん。ヒカルの事だよね。うん、最近囲碁を始めたみたいなんだ」

「囲碁教室にもよく通ってるみたいだし、この前はおじいちゃんの所に……碁盤? っていうのをおねだりしに行ったみたいだよ」

 

 やっぱり何かおかしい。ヒカルは囲碁教室にそんなに頻繁には行かなかったはずだし、ヒカルが碁盤を手に入れるのはまだ先。

 何より、この時点でヒカルは囲碁に興味がないはずなのに……

 

「……そっか。ありがとね、あかり」

 

 未だ心配そうにしているあかりをよそに、私の思考はますます深みに嵌まっていくのだった。

 

 

 ―――

 

 

 いつまでも悩んでいてもしょうがない。思いきって本人に聞いてみよう。

 

「ヒカル、今ちょっといいかな?」

「……? ああ、いいけど」

 

 そう言ってから私は気づいた。……一体なんて聞けばいいんだろう。単刀直入に、塔矢アキラくんと打ちましたか?なんて流石に不自然だ。

 話しかけておいて用件を言わない私にヒカルは不思議そうな顔をしている。不味い、早く何か言わないと……!

 

「……あ、そうだ! オレもお前に用があったんだよ。お前さ、子ども囲碁大会って知ってる? 今週末にあるんだけどさ」

 

 次の言葉に悩んでいた私に、逆にヒカルからの質問が投げかけられた。

 

「え? う、うん知ってるよ」

「あ、知ってるんだ。もしかしてお前その大会見に行くつもりだったりする?」

「まあ……行こうかなって思ってたけど」

「じゃあちょうどいいや。良かったら一緒にその大会見に行かねえ? オレもちょっと気になってたんだけど、こういうとこ行ったことないし、一人じゃ不安だったからさ」

 

 まあ元々大会には行くつもりだったし、ヒカルが誘ってくれるのは嬉しいけど……

 でも、今はそれどころじゃないんだ。ヒカルがちゃんと塔矢くんと打ったかどうか確認しないと……!

 

 ……って、あれ?

 

「ヒ、ヒカル! 何で大会の事知ってるの!?」

「な、何だよ急に!? ……貰ったんだよ、囲碁大会のチラシ。去年の年末くらいにさ」

 

 大会のチラシは碁会所で貰える。ということは……

 

 ヒカルは碁会所に行っている。塔矢くんと、打っている。……やっぱり私の思い過ごしだったんだ。

 私は心の底から安堵した。本当に、よかった……!

 きっとヒカルが囲碁に興味を持ったのもたまたま早まっただけなんだろう。うん、それ自体は全然悪いことじゃないしね!

 

「おい……星川?」

「え? あ、ああ。大会ね! えっと……」

 

 改めて考えてみると、少しだけ迷う。本来この日はヒカルと塔矢くんの対局の日だし、私がヒカルと一緒にいるっていうのはどうなんだろう。

 でも……ま、いいか。帰り際に適当な場所で別れれば問題ないよね。今回の件も結局私の思い過ごしだったんだし、もう余計なことは気にせずに楽しんでもいいんじゃないかな。折角のヒカルからのお誘いなんだしね。

 

「いいよ。一緒に行こっか」

 

 私はヒカルの誘いを快諾したのだった。

 

 

 

 

 

 そして日曜日、私はヒカルと一緒に日本棋院を訪れた。

 

 私達は対局の様子を眺めながら、ゆっくりと会場内を回っていた。

 どの子も真剣な表情で囲碁を打っている。まだ粗削りな彼らの碁は、私から見れば少なからずミスも見受けられるけれど、ひた向きに碁盤に向かうその姿が小さかった頃の自分に重なり、私の胸に懐かしい気持ちがこみ上げてくる。

 

 ……私も同じくらいの頃、この場所で囲碁を打っていたんだ。でも、決勝で負けちゃったんだよね。あの時は本当に悔しかったなぁ。

 

 昔の思い出に浸っていた私の目に、偶然とある盤面が飛び込んできた。

 この子、ずいぶん悩んでるみたいだけど……ああ、左上の死活か。

 えっと、この形は……1の二が急所だね。受け間違えると黒死んじゃうよ?

 

 しかし私の心配も空しく、その子は長考の末、一路下の1の三に石を打ってしまった。

 うーん、惜しい。その上なんだよね。

 

「惜しい! そこじゃダメだ。その上なんだよな!」

 

 口に出していないはずの私の心の声が、隣にいるヒカルから聞こえてきた。

 

「ちょ、ちょっとヒカル!」

「あっ……やべ……」

 

 自分のしてしまった事に気付き、口を抑えるヒカル。だけど時既に遅し。

 

「君達っ!!」

 

 ……って何で私まで!?

 

 そんな心の叫びが伝わるわけもなく、ヒカルと共に強制退室させられた私は、原作通りのありがたいお説教を受けることになってしまったのだった。

 

 

 

 そして30分間のお説教の末に、ようやく私達は解放された。

 

「もう……本当に気を付けてよヒカル」

「はは、悪い悪い。つい口が滑ってさ」

 

 そういえばヒカルはここで死活の口出しをするんだった。すっかり忘れてた。

 ……それにしてもさっきの局面、確かに少しだけ手が止まる所だ。あれを即答とは……やっぱり佐為はすごいな。

 

 

「これからどうしよっか。もう会場には入れないだろうし、ちょっと早いけど帰る?」

 

 大会はまだ見ていたかったけれど、退室させられてしまった私達は、さすがにもう会場には入れてもらえないだろう。

 仕方なく帰宅を提案する。ちなみに大会に来る前に、私はこっちで用事があるという適当な理由をつけて、現地解散をする約束となっていた。せっかくヒカルと大会に来たのに、これでお別れというのも何だか寂しいような気もするけど、まあこればっかりは仕方ない。

 

 しかし、ヒカルから返ってきた答えは、私が思ってもいなかったものだった。

 

「えっと……星川、今からオレと一局打ってくんない?」

 

 

―――

 

 

 ――ヒカル、ありがとうございます! まさかこんなに早く彼女と再戦できるなんて!

 

「……あー、今日はアイツとはオレが打つからさ。お前は寝てていいよ」

 

 ――……えっ?

 

「オレもさ、お前に教わってから結構囲碁楽しくなってきたし、そろそろお前以外の奴とも打ちたいんだよ」

 

 ――……ヒカル、あなたが囲碁を好きになってくれた事は、私としてもとても嬉しいんですけどね?

 

 ――でも昨日、『明日はまたアイツと打てるなー』って言って、私に社会の宿題をやらせましたよね。……あれは?

 

「別にお前に打たせるとは一言も言ってねーし」

 

 ――酷いっ! ヒカルの鬼っ! 悪魔っ!!

 

「いいじゃねーか。元々来るつもりじゃなかった大会に連れてきてやったんだから」

 

 ――大会だってヒカルのせいで全然見れなかったじゃないですかぁ……

 

「あれはお前が答えを言っちゃうからだろ」

 

 ――ヒカルがお喋りなのがいけないんですっ! ……大体、今のヒカルじゃあの子に一捻りにされてオシマイですよ!

 

 

「いいんだよ別に」

 

「この前アイツと打ったのは佐為だ。だから今のオレはアイツの目には映っていない」

 

「今日は負けてもいいんだ。その代わり、今のオレの姿をアイツに覚えさせてやる」

 

 ――ヒカル……

 

「だって、アイツはオレの……」

 

 

 ――……わかりました。ヒカルがそこまで彼女の事を想っているのなら、仕方ないですね。

 

「悪いな。お前ともいつか何とかして打たせてやるからさ」

 

 ――本当ですか!?ヒカル、約束ですよ!

 

「まあ……そのうちな!」

 

 ――ゼッタイですからね!

 

 

 ―――

 

 

 棋院には一般客用の対局施設が設けられている。基本的には有料だけど、今日は子ども囲碁大会ということで、小学生までは半額となっていた。有難い限りである。

 

「ヒカルから囲碁のお誘いがあるなんて思わなかったよ。どうしたの急に?」

「んー……最近囲碁がやっと面白くなってきたからかな」

 

 少し照れ臭そうに頬を掻きながらヒカルが言う。

 面白く……か。そんな何気ない言葉が、私はとても嬉しかった。ちょっと前まで囲碁なんかって言ってたヒカルが、その面白さに気づいてくれたのだから。

 

 ……って事は、もしかして今から私と打つのは佐為じゃなくてヒカルなのかな?

 

 どちらと打ちたいかと言われれば、それはもちろん佐為だ。あの時の対局は本当に楽しかったし、出来ることなら何度でも、と思える程の素晴らしい時間だった。正直な所、ヒカルに対局に誘われた時も、また佐為と打てるんじゃないかと期待した事は否定できない。

 それでも、囲碁を好きになってくれたヒカルが自分の意思で私と打ちたいと言ってくれるのだったら、一人の碁打ちとして、彼の頼みを無下に断ることなんかできないし、そんな自分の欲求以前に喜んでヒカルと打ちたいと思う。

 

「ヒカルと打つのは、囲碁教室の時以来だね。あの時はヒカルが予想以上に強くてびっくりしたよ」

「よく言うぜ。あの対局、ホントは引き分けなんかじゃなかったんだろ」

 

 あれ、バレてる。……そういえば囲碁教室に通ってるんだもんね。もうコミくらい知っててもおかしくないか。

 

「私囲碁には結構自信あったんだけどさ。初心者だと思ってたヒカルにあそこまで追い詰められて。それで勝ったなんて言えなかっただけだよ」

「あれは……偶然だよ。オレ、今日はあの時みたいに上手く打てないかもしれないけどさ……」

 

 そう言って目を伏せるヒカル。

 

 囲碁は運の要素がほとんど介入しないゲームだ。一手一手にその人の実力が如実に反映される。『偶然』初心者が上級者と互角に戦えることなんて無いに等しい。

 ちょっと考えればヒカルのこの発言がおかしい事なんてすぐわかる。他の人なら不審に思うだけだろう。でも、私にはヒカルがどんな想いでこの言葉を言ったのか、なんとなくわかった。

 きっと、自分だけの力で私と打ちたいんだ。ありのままの自分の碁を見てもらいたいんだ。

 

 佐為ではなく、ヒカルの碁を。

 

 ……だったら私も、そんなヒカルの想いに精一杯答えてあげよう。

 

 

「うん。どんな碁でも、ヒカルと打つことに変わりはないよ」

 

 その言葉にヒカルは顔を上げ、ほっとしたような表情を見せてくれた。

 

 

 

 私とヒカルの『初めての』対局が始まった。佐為の教えを受けているとはいえ、まだ囲碁を覚えて間もない。その打ち筋は稚拙と言わざるを得なかった。

 けれど、その一手一手から、こう打ちたいというヒカルの気持ちがしっかりと伝わってくる。まだそれを形に出来るだけの実力は伴っていないけれど、少なくとも上手の私に対して手が縮んでいる様子など微塵も感じられない。

 

 ヒカルは、本当に囲碁を楽しんでいた。

 

「ここまでだね。うん、良かったんじゃない?ちゃんと囲碁になってたよ」

「うーん……ここはもうちょっと上手く打ちたかったんだけどなあ」

「あ、ここか。そうだね、ここはキられちゃうと苦しいから、やっぱりツイでおいた方が良かったかな」

 

 私のアドバイスに真剣に耳を傾けるヒカル。そういった姿勢は囲碁に強くなるためには欠かせないものだ。

 そんなヒカルの姿を見ていると、今まで感じたことの無いような温かい気持ちに満たされて、自然と笑顔になっている自分に気がついた。

 

 これまでの私は、自分が強くなることだけを目指して囲碁を打ってきた。この世界に来てからも、強い人と打ちたい、打って勝ちたい。そんな事ばかり考えていた気がする。

 ……でも、こうやって何も知らなかったヒカルが囲碁を好きになってくれた事を実感したり、強くなっていく姿を傍で見守るっていう事にも、また別の嬉しさや楽しさがあるのかもしれない。

 佐為や私の師匠も、もしかしたらこんな気持ちだったのかな。

 

 ……そういえば、あの時はたまたまの一言で片付けてしまったけれど、今思うと少しだけ気になってくる。

 

 ヒカルは何でこんなに早く囲碁に興味を持ったんだろう。

 

「ヒカル、一つ聞いていいかな?」

「ん? 何だよ」

「ヒカルって囲碁教室の時は……何ていうかさ、あんまり楽しそうじゃなかったじゃん? 対局も最初は渋ってたし」

「でも、今日のヒカルはすごく囲碁を楽しんでたよね。少なくとも私にはそう見えたよ」

「さっき最近囲碁が面白くなったって言ってたけど、その時からちょっと気になってたんだ。何かあったのかなって」

 

 私の質問に、ヒカルが驚きと恥ずかしさが入り交じったような表情に変わる。気のせいか、顔が赤らんでる様にも見える。

 ……あれ、聞いちゃいけないような事だったのかな?

 ヒカルはしばらく所在なさげに視線を動かしていたが、やがて私に向き直って静かに口を開いた。

 

「……オレ、囲碁教室でお前と打った時は、確かに囲碁なんか好きじゃなかった。対局だって、正直面倒臭いと思ってた」

「でもそんなオレなんかが見ても、あの時のお前は……その……凄く、かっこよかったんだ」

「石を打つお前の指先は、本当に光ってるみたいで。オレもあんな風に打ちたいって、思った」

「……だからオレは囲碁を覚えようと思ったんだ」

 

 驚いて言葉が出なかった。私みたいに打ちたい、か。……はは、そんな事言われたの初めてだよ。

 

「今日の碁は、オレは前みたいにうまく打てなかったし、お前がオレに合わせて打ってくれてたのもなんとなくわかった」

「……でも、いつかきっとお前みたいに強くなってやる。今のオレの実力じゃそんな事言う資格なんてないけど、お前はオレのライバルだって、いつか絶対に認めさせてやるからな!」

 

 しっかりと私を見つめて、ヒカルはそう言った。

 

 

 私が……ヒカルのライバル?

 私みたいに打ちたい。そして私に追い付くために強くなりたい。ヒカルのその言葉は、正直凄く嬉しかった。

 

 ……でも、その相手は塔矢くんじゃないの?私なんかで、本当にいいの?

 

 私はヒカルに返事をすることができなかった。

 ヒカルはヒカルで、感情のままに発した自分の言葉が今になって恥ずかしくなったのか、私から視線を逸らし気まずそうにしている。

 どちらとも次の言葉を発する事が出来ず、しばらく無言の時間が流れる。それに耐えきれなかったのか、先に沈黙を破ったのはヒカルだった。

 

 けれど、ヒカルが発した次の言葉に、私の思考回路は凍り付かされる事となる。

 

 

「その……なんだ、今日はありがとな! 囲碁教室で大会の事を聞いた時はどうしようか迷ってたけど、お前とも打てたし、来れてよかったよ!」

 

 

 

 え………?

 

 今……なんて?

 

 思わず耳を疑った。ヒカルは囲碁教室でこの大会を知った? 碁会所じゃなくて?

 

 じゃあ……

 

 

「そ、そうだ! お前こっちで用があるんだったよな。うん、じゃあオレ先に帰るよ!」

「あ……」

 

 慌ただしく立ち上がり、掛けてあった上着を手に取るとヒカルは私に背を向けて走り去った。

 遠ざかるヒカルの背中を私はただ見つめていることしかできなかった。

 

 

 ―――

 

 

 ヒカルと塔矢くんは出会っていなかった。理由なんて考えるまでもない。全部私のせいだったんだ。私の自分勝手な行動が、彼らの未来を壊してしまったんだ。

 

 ヒカルは私に追いつきたいという想いから囲碁に目覚めた。だから仮に今後彼らが打ったとしても、ヒカルは塔矢くんをライバル視しないだろうし、佐為が打たないヒカルに塔矢くんが惹かれる事もない。

 

 強くなった二人と打ちたい。それがこの世界での私の目的だった。でも今はそれが叶わないかもしれない事より、私なんかのせいで大切な友達の才能が花開くことなく終わってしまう事の方が……ずっと怖かった。

 

 

 


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