未来の本因坊   作:ノロchips

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第6話

 12月も終わりに近づき、世間はいよいよ年末、といった雰囲気になっている。

 

 塔矢くんと初めて会ったあの日以来、私は彼とは打っていない。

 小学生のお小遣いなんてたかが知れたもので、一回500円の席料は、正直なところ私にはかなり厳しかった。

 いくら囲碁馬鹿女の異名を持つ私でも、お小遣い全てを囲碁に当てるなんてことはさすがに出来ず、自分のお財布事情と相談すると、月に2回行ければいい方だった。

 

 実際は今月の頭に1回だけ碁会所には行っていた。

 その日は運悪く碁会所に塔矢くんはいなかった。初めて行った時のように、塔矢くんがいなかったら帰らせてもらおうと思って気楽な気持ちで行ったのだけれど。

 

「お、おい。あの子……」

「ああ、アキラくんに勝った子だよ!」

「えっ! あの子が!?」

 

 塔矢くんに勝った私は知らない内に有名になっていたらしく、入った瞬間に碁会所中の注目を浴びてしまった。

 もはやこの空気の中で、やっぱり帰りますとも言えず、私は泣く泣く市河さんに500円を支払うことになったのだった。

 携帯電話が無いことがどれほど不便かという事を、痛いほど感じさせられた。

 

 

 ちなみに碁会所のお客さん数人の、

 

「アキラくんが女の子に負けたのか……」

「女の子なんかにねぇ」

 

 という発言が私の逆鱗に触れたため、彼らに対局を申し込み、一刀両断にしてあげた。

 大人気ない? 今の私は子供だもん。

 

 

 

 そして今日、私は碁会所に向かっている。今日もし塔矢くんがいなければ年内に彼と打つことは叶わない。

 今日こそ打てるといいんだけどな……

 

「あら、彩ちゃん。いらっしゃい」

「こんにちは、市河さん」

「この前は驚かせちゃってごめんね。今日はアキラくんいるわよ。奥で棋譜を並べてるわ」

 

 よかった……今日はいるみたいだ。

 

「この前に彩ちゃんが来た時に、自分がいなかった事をアキラくんすごく後悔してたのよ」

 

 そうなんだ。ちょっと嬉しいな。

 

「じゃあ私、早速打ってきます! あ、これ席料です」

 

 市河さんに500円玉を渡し、塔矢くんの方へと向かっていった。

 

 

 市河さんの言った通り、塔矢くんは相変わらず真剣な様子で棋譜を並べていた。

 

「こんにちは、塔矢くん」

「星川さん! 来てくれたんだ……」

 

 私の顔を見て、塔矢くんが笑顔に変わる。

 

「この前は本当にごめん……せっかく来てくれたのに」

「ううん、私が急に来たんだもん。いなくてもしょうがないよ」

 

 本当に塔矢くんが謝ることじゃないのに。こういう律儀な所が彼らしいのかもしれないけど。

 

「終わった事はもういいって! 今日は打てるんだからさ」

「そ、そうだね。じゃあ早速打とう!」

 

 そう言って、塔矢くんは碁盤の上を片付けだした。

 

 

「さっき並べてたのって、私と打った時のやつだよね」

「……うん。あれからボクは、あの時自分が手を抜いてしまった事をずっと後悔していた」

「ボクの思い上がりで、キミとの一局に傷をつけてしまった。……でも、やっと今日またキミと打つことができる」

 

「今日こそ、本当に全力で戦ってみせるよ」

 

 そう言って私をまっすぐに見つめる。……不覚にもちょっとだけドキッとしてしまった。

 

 

 

 ニギリを行い、私が黒。お互いに碁笥を交換し、私が蓋に手を掛けたその時、

 

 ――カランッ……

 

 突然甲高い音が響いた。塔矢くんの手から碁笥の蓋がこぼれ落ちた音だった。

 

「あ……ご、ごめん……」

 

 そう言って、落ちた蓋に手を伸ばす塔矢くん。その手は、震えていた。

 

あ……あれ? このシーンどこかで見たことが……っていうか、それをする相手、私じゃないよね?

 

「おまたせ。じゃあ始めようか。星川さん……?」

「あ……う、うん。お願いします」

「お願いします」

 

 塔矢くんに促され、私は雑念を振り払うかのように黒石を掴んだ。

 

 

 ―――

 

 

 結局この日は塔矢くんと四局打った。私の全勝という結果だったけれど、時折見せる彼の鋭い一手に何度か私もヒヤリとさせられた。

 

「今日はありがとう塔矢くん。楽しかったよ」

「うん、ボクも楽しかった。悔しいけどボクはまだまだキミには及ばないみたいだ」

「そんなことないよ。前よりもしっかり対応されて、私も結構危なかったんだから」

 

 恐らく以前の私との対局からずいぶん打ち筋を研究したんだろう。たった一局なのに、本当に大したものだ。

 

「もう今年は来れないと思うから、また来年だね」

「うん。……ボクはここでキミを待ってるから。また打とう」

「うん。じゃあね、塔矢くん」

 

 そう言って私は塔矢くんに背を向け、碁会所の入り口に歩き出した。

 

 

 

 塔矢くんと打てたのは嬉しかったし、彼が以前よりも伸び伸びとした碁を打っていたのも喜ばしいことだ。

 でも、違和感が拭いきれない。震える手で碁笥の蓋を落とすシーン、あれはヒカルと囲碁部の大会で再戦した時のだ。そしてヒカルもまた、プロでの塔矢くんとの対局を前に同様の事をしている。

 自分の目標とする相手を前に、恐れながらも立ち向かおうとする意思がそうさせたもの。

 塔矢くんが私にそれをしたということは……

 

 ある可能性に辿り着いたが、私はそれを振り払った。

 だって彼のライバルはヒカルなんだから。彼と共に高みに昇っていけるのはヒカルしかいないんだから。

 

 私で良い訳がないんだから。

 

 

 

 

 

「彩ちゃんが次に来るのは来年かな? よいお年を」

「はい、市河さんもよいお年を。あ、そうだ」

 

 私が今日ここに来たのはもう一つ目的があった。

 それは確認。年が明ければすぐに子ども囲碁大会だ。そしてその日はヒカルと塔矢くんの二度目の対局の日でもある。

 もう年末のこの時期、さすがに一回目の対局は済んでいるはずだ。

 

「ここ最近、私以外に子供が来ませんでしたか?」

 

 その質問に、市河さんは斜め上に視線を傾けながら少し考えた後、再び私に向き直ってこう言った。

 

 

「来てないわよ。最近来た子供は彩ちゃんだけ。それがどうしたの?」

 

 

 ―――

 

 

 ヒカルが来てない。塔矢くんに……会っていない。

 もちろん原作は詳しい日にちまでは表記されていないのだから、もしかしたら明日会うのかもしれない。年が明けてから打つのかもしれない。……けれど。

 

 私は自分の胸の中の違和感がどんどん大きくなっていくのを感じていた。

 

 

 


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