未来の本因坊   作:ノロchips

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第28話

『黒41目。白……41目半。白番、葉瀬中進藤くんの半目勝ちです』

 

 長かった戦いも遂に決着。その差僅か半目、紙一重の差で激戦を制したのは……ヒカル。そしてこの結果をもって、葉瀬と海王の団体戦の勝敗も決したのだ。

 静寂に包まれる会場。恐らくほとんどの人間が、未だこの結果を受け止められずにいるのだろう。……そんな中、隣で行われていた副将戦もまた決着の時を迎える。

 

「……ありません」

 

 アゲハマを盤上に置き、投了を宣言したのは私の向かい側、海王中の副将。

 大将戦同様、互角の形勢で最終盤までもつれ込んだこの一戦は、最後の最後で向こうに小さなミスが出たことにより、土壇場で三谷くんが僅かながら、それでも確実に一歩リードを奪った。

 残すは一目単位での小ヨセのみ。もはや埋まらないであろう数目の負担を悟った相手は、悔恨の想いと共に頭を下げたのだった。

 

「……っし!」

 

 劣勢を乗り越えた末に手にした会心の勝利、その喜びを噛み締めるかのように三谷くんは力強く拳を握り締めた。

 そしてこの瞬間が契機。初出場校がチャンピオンを、しかもストレートで破った。その事実を前に、それまで静まり返っていたギャラリーが一気に熱を帯びる。

 驚愕、称賛、悲喜こもごも入り交じる歓声の中心に居たのは……紛れもなく私たち葉瀬中だった。

 

 

「し、進藤ぐん……三谷ぃ……」

 

 いつの間にか隣には筒井さんが居た。止めどなく溢れる涙と鼻水、もはやそれを堪えようともしない彼の顔は、対局直後よりも更にぐしゃぐしゃになっていて。

 

「囲碁部……やめないでよかった……」

 

 ぽつりと呟いたその一言が、筒井さんの歩んできた三年間が決して平坦な道のりではなかったことを物語っていた。

 

 そして筒井さんとは対照的に、今にも溢れてしまいそうな涙を必死で堪えているのは日高さん。普段は本来の繊細な姿をひた隠し、強気な姿勢で部員たちを引っ張って来たのであろう、そんな彼女が見せる弱々しい姿に周囲の海王の生徒も少なからず驚いた様子だった。

 せっかく私に口止めしたのにこれでは元も子も無いのかもしれない。だけど、彼女の涙も筒井さんと同じ。共に三年間を過ごした仲間を想うからこそ流せる涙。少なくとも私には、それを茶化そうなんて考えは微塵も湧いてこなかった。

 

 

「完敗、だな……」

 

 終局してから一言も発する事なく押し黙っていた岸本さんが顔を上げる。完敗――その言葉に込められた彼の複雑な想いは、私などでは到底測りきれるものじゃないんだろう。

 

「すまなかったね進藤くん。対局前はキミをバカにする様な言い方をして」

「あ、いや……こっちこそ元院生とか、そんなこと言って……すみませんでした。オレが勝てたのだって運が良かったから……」

「……だとしても前言は撤回させてもらうよ。キミは本当に強かった。それは決して彼女の教えに胡座をかいて得られるような強さじゃない。打ったオレが身に染みてわかっているさ」

 

 だけどそんな私とは裏腹に、まるで毒気が抜けたかの様にお互いの健闘を称え合う二人。その姿からは対局前の険悪な雰囲気なんて全く感じられない。

 ヒカルの勝利に水を差すつもりは無いけれど、本人が口にしている様に恐らく対局前のヒカルでは岸本さんには勝てなかった。……きっとここまでの碁は打てなかった。

 工夫に工夫を凝らした一手の応酬、その積み重ねが描き出したこの一戦こそが、ヒカルを更なる高みへと導いた。……そして私には、岸本さんもまたこの対局を通じて成長している様に見えたのだ。

 

 本当に素晴らしい一局だった。負けた方だって決して誰かに恥じるようなことじゃない。本心からそう思う。

 だけど私がそれを彼に伝えた所で結局はただの自己満足、それこそ水差し行為になりかねない。そんな不粋な真似をするつもりなんてない。

 何より、私なんかに言われるまでもなくそれは二人が一番良くわかっているハズなんだ。死力を尽くし凌ぎを削り合った二人だからこそ、こうやって最後には認め合う事が出来たんだから。

 

 

「少し、羨ましくなるよ。オレには師と仰げる人は居なかったから」

「あの、えっと……アイツとオレはそんなんじゃないんです。そりゃ今まで何局も打ってきたし、色んな事も教わってきたけど……」

「……違うのかい?」

「アイツは……アイツはオレの――!」

 

 

 喧騒の中、なおも言葉を交わし続ける二人。離れた場所に居る私には、結局それ以上の会話の内容を聞き取ることは出来なかった。

 

 

「……彼女の実力は並じゃない。簡単に手の届く様な相手じゃない事もキミが一番良くわかっているだろう。それを知ってなお、追いかけるのかい?」

「そんな事わかってるさ。それでもオレは決めたんだ。オレが院生を、プロを目指すのだって……いつかアイツに追い付くためなんだから!」

 

「……敵わないわけだな」

 

 

 夢、プライド、そして仲間達の想いを背負って臨んだ一局。負けた方も納得だなんて綺麗事かもしれない。

 それでも岸本さんの表情がどこか晴れやかで、燻っていた想いへの踏ん切りがついた様な、そんな風に見えたのは……きっと私の気のせいなんかじゃないハズだ。

 

 

『男子団体2回戦、海王中対葉瀬中は……3対0で葉瀬の勝利です!』

 

「ありがとうございましたっ!」

 

 

 ―――

 

 

 翌日。夏休み真っ只中の平日にも関わらず、私たち7人が集まるのはやっぱりいつもの理科室だった。

 

「だからさァ筒井さん、オレが思うにこの碁の勝因はここ、右下のコウ争いに勝った事なんだよ!」

「うーん……でも三谷、この一子の取り合いにさほど意味はないじゃないか。白に受けさせた所で形勢に響いてる様には見えないけど」

「ちげーって、こういうのは気合で負けてちゃダメなんだよ! ……へへ、チャンピオン様が無名校の一年坊主相手に退いたんだ。ざまーみろだぜっ!」

 

 三谷くんが得意気に語るのは先日の対海王中における副将戦。

 その饒舌っぷりからもわかるように、三谷くんにとってもやはりあの勝利は格別なものだったんだろう。一晩経っても喜びは衰えることを知らず、むしろより一層増してるんじゃないかって勢いで。

 ちなみにその後に行われた決勝戦、男子は最後もストレートで勝利を納め、文句なしの形で大会を制した。もっとも優勝候補の筆頭である海王に勝っているのだ。実力はもちろん、チームとしての勢いも相手とは比べるまでもない。私が心配していたことと言えば、目を真っ赤に腫らした筒井さんが打ち間違えをしないかどうかくらいだった。

 

 

「ねえ津田さん、次はいつ碁会所に行くの? アタシは明日でも構わないわよ?」

「あ、あはは……気合い入ってるね金子さん」

「わ、私も! 私も行くからねっ!」

 

 女子は海王に3-0で敗れて準優勝、残念ながら今回は向こうに実力差を見せつけられる形となってしまった。それでも初出場で決勝まで勝ち進んだという結果は、間違いなく彼女たちの大きな自信に繋がったハズだ。

 そして印象的だったのは……対局後、金子さんが涙を流して悔しがっていた事だった。

 

 ――次は……負けないから。

 ――あらあら、これだけやられてまだ懲りないのかしら? ……ふふ、でもそういうの嫌いじゃないわよ。良かったら今度久美子ちゃんと一緒に私の碁会所に遊びに来なさいな。いつでも相手になってあげるから。

 ――……わかった、絶対に行く。

 ――あ、あのっ! 私も行っていいですかっ!

 ――ええ、みんなでいらっしゃい。楽しみに待ってるわ。

 

 葉瀬中囲碁部の肝っ玉かーさんたる彼女も、やっぱり年相応の女の子。その大人っぷりに白旗を上げ続けてきた私としては……微笑ましいような、ちょっとだけ安心したような。

 現在3人が話しているのはまさに碁会所の件について。中高一貫の海王中は冬の大会にも3年生が出てくる。今回の悔しさを晴らす機会はまだ残されているのだ。来るべき日に向けて、大会直後にも関わらず依然として彼女たちの士気は高い。

 

 

 そしてヒカルはと言うと、ただ今私との対局の真っ最中。手合は4子、私が院生試験に向けてヒカルに課した合格ラインだ。

 

 ――彼女が囲碁部に入ったのも、そうさせるだけの何かをキミが持っていたからなんだろう。……キミの行く末を、オレも楽しみにしているよ。

 

 岸本さんの激励を受けて更に気合いを入れ直したのか、理科室に到着するや否やヒカルは一目散に碁盤にかじりつき、私との4子局を申し出たのだ。

 私自身、岸本さんを破ったヒカル相手では、さすがにそろそろ危ないんじゃないかと思っていたのだけれど……

 

「あ、あれ? そこのオレの石……死んじゃった?」

 

 あっさり私の中押し勝ち。やっぱり岸本さんとの一局は、彼の気迫に触発されたヒカルが実力以上のものを発揮した結果なんだろうか。……申し訳ないけど、現状はまだちょっと合格点をあげられそうにない。

 まあそれでもあの時見せたヒカルの力が嘘になるわけじゃない。今日までの成長を思えば、私が4子で負かされる日も決して遠くないハズだ。

 

 

 そんな最中、ひたすら三谷くんの自戦記の聞き手役に回っていた筒井さんがおもむろに口を開いた。鼻の下を伸ばし、顔をぽやーっと赤らませながら。……ああ、ついに来たか。この表情は。

 

「……ボク達海王に勝ったんだよなー。えへへ、まだ信じられないよ……」

 

 安定のトリップタイム。3ヶ月を共にした私たちにはすっかりお馴染みとなった光景。まあ大会での結果を考えればむしろ来るのが遅かったくらいだ。

 

「……筒井さん、私たちは勝ってないんですけどっ!」

 

 お迎え役はあかり。全くもってごもっともなその言い分に筒井さんは否応なしに現実に帰還させられ、理科室にはみんなの笑い声が響き渡る。

 

 

「……え? ああゴメン。で、でもさ、女子だってストレートで決勝まで行けたじゃないか! この調子で頑張れば、次はきっと男女揃って……」

 

 

 そしてそれまでの和やかな雰囲気は、その言葉で一瞬にして吹き飛んでしまった。打って変わって理科室を包み込む重苦しい空気、筒井さん自身もハッとした表情で口元を抑えている。

 

 それはきっと、ここに居る全員が知りつつも触れてこなかったこと。少しでもこの喜びに浸っていようと、今の今まで目を逸らし続けてきたこと。

 

 少なくとも()()7()()に……次などないのだから。

 

 

 ―――

 

 

「……んだよお前ら、ジロジロ見やがって」

 

 口を尖らせながらそう呟いたのは三谷くん。無意識に彼に視線が集まったのは、その影響を最も受けてしまうのが他ならぬ彼であるということを誰もが理解していたから。

 

 今日この日をもって、囲碁部の状況は大きく変化してしまう。

 出場した全員が残る女子はまだいい。打倒海王を合言葉に、再び3人で次の大会に臨むことが出来るから。

 だけど男子は違う。筒井さんは引退し、ヒカルは院生への道を歩み出す。そうなってしまえば当然大会には出場出来ない。この先本気でプロを目指すのならば、私ほどに部活に顔を出すことも出来なくなってしまうだろう。その一点に目を向ければ、三谷くんが一人取り残される形になってしまうのだ。

 もちろんヒカルが院生志望であることは周知の事実。だから一時の激情に身を任せ、そのまま喧嘩別れになってしまうなんてことには……ならないと思う。

 それでも私たちはみんな知っているのだ。本人は否定するかもしれないけれど、この7人での囲碁部で、本当に楽しそうな笑顔を見せていた三谷くんの姿を。……簡単に割り切れる様なことじゃないはずだ。

 

 

「……な、なあ三谷!」

 

 沈黙の中、意を決して声を上げたのは私の向かいに居るヒカルだった。

 

「その、さ……三谷さえ良ければだけど」

「……何だよ、言いたいことがあんならハッキリ言えよ」

「オマエさえ良ければ……オマエも、オレと一緒に……!」

 

 はっ、と息を飲む音が聞こえた。自分のものか、他の誰かのものだったのか。少なくとも私には、ヒカルが口にしようとしているその先を察することが出来た。

 

 ……ヒカルの気持ちは痛いほどわかるよ。でも、それは……!

 

 その言葉を遮るように三谷くんは小さなため息を一つ溢した。そして全員が固唾を飲んで見守る中……彼はゆっくりとヒカルの目前にまで歩み寄り、そのまま右手を振り上げると――

 

 

「バーカ」

 

 

 すぱーん、とヒカルの頭をひっぱたいたのだ。

 

「な、何すんだよっ!」

「オレはそんなもんに興味ねー。院生になるのも、星川を追いかけんのも、全部オマエが決めたことだろ。……勝手に人を巻き込んでんじゃねーよ!」

 

 声を荒げながら捲し立てる三谷くん。ヒカルはそれ以上言葉を返すことも出来ずに俯くばかり。私たちもまた、あっけに取られた様にその様子を傍観する他なかった。

 そうしてすっかり小さくなってしまったヒカルを他所に、彼は照れ臭そうな表情を浮かべながら小さく呟いたのだ。

 

 

「それによ……オレまで抜けちまったら、誰がコイツらを海王に勝たせるってんだよ」

 

 

 視線の先には女子3人組。その言葉に誰よりも安堵の表情を浮かべていたのは金子さん。あかりと久美子に至っては今にも泣き出しそうになっていて。

 無理もない。彼女たちにしてみれば一人、また一人と囲碁部から離れていく現状の中、これ以上仲間を失いたくないという想いでいっぱいだったはずなのだから。

 三谷くんは改めてヒカルに向き直ると、今度は幾分か落ち着いた声で、それでも力強く……その想いをぶつけていく。

 

「いいか進藤、オレだって諦めた訳じゃねェ。今年がダメなら来年でも、それでもダメなら再来年でもいい。絶対に3人集めてコイツらと、もう一度大会で優勝するんだ! だからオマエは……とっととプロにでも何でもなっちまえ。仮に戻ってきたって、もうオマエの席なんか残ってねーからな!」

「三谷……」

「……ま、たまに打ちに来るくらいだったら勘弁してやるからよ」

 

 恐らくこの場に居る誰よりも彼に対して引け目を感じていたのはヒカルだ。最初から宣言していたこととはいえ、形だけを見れば、勝手に三谷くんを囲碁部に引っ張り込み、一人置き去りにして自分は勝手に離れて行くのだから。何より……いがみ合いも絶えなかったけれど、それでも三谷くんと一番仲が良かったのだってヒカルなんだ。ヒカルが口にした言葉も、彼へのやり場のない罪悪感の末に零れ出たものだったんだろう。

 だけど三谷くんは、その全てを理解した上で力強くヒカルの背中を押し、ここに残ることを選んだ。

 それはきっと彼がヒカルを、仲間たちを、そしてこの囲碁部を本当に大切に思っている証に他ならなかった。

 

 

「まったく……アンタも素直じゃないんだから」

 

「う、うるせーな! オマエこそさっきまでメソメソしてたくせに!」

 

「……記憶にないわ、そんなこと」

 

「へっ、嘘つけ。今だってちょっと涙目に…………いってーな、何すんだよっ!」

 

 

 ―――

 

 

「ぐすっ……そういえば、彩はどうなっちゃうの?」

「え、私?」

「だってプロになったらさ、もう囲碁部には居られなくなっちゃうんじゃないの?」

 

 そう、すっかり忘れていたけれど、一応私も今回の変遷に関与しているのだ。もうすぐ始まるプロ試験、そしてプロ棋士になれば否応なしに今とは立場が変わってくる。

 

「うーん、そうだね。プロになったら今までの様には部活に参加出来ないだろうし……もしかしたら囲碁部をやめることになるかもしれないね」

「やっぱり……そうなんだ……」

 

 鼻をぐすぐすさせながらしょんぼりと俯くあかり。……だけど私はそんなあかりの肩をポンと叩き、笑顔でこう付け加えたのだ。

 

「……でも、それだけだよ」

「え……それだけって……」

「私はプロになってもここに来る。みんなと囲碁を打つよ。それは変わらないんだから!」

 

 私が理科室の扉を叩いたのはヒカルとの対局の機会を求めて、そしてかつての自分が通り過ぎてしまった囲碁部への憧れから。それもまたプロになるまでの半年間限り、当初の私はそう考えていたハズだ。

 そしてこの3ヶ月間。みんなと苦楽を共にし、笑い合って、その中でヒカルは目覚ましいばかりの成長を見せた。大会でだって結果を残すことが出来た。

 楽しかった。もう思い残すことなんて無いくらい、本当に素晴らしい時間だった。

 

 ……そう、だからこそなんだ。

 

「だ、だってプロだよ? そんな事して怒られたりしないの?」

「プライベートで友達と囲碁を打つだけじゃん。誰が文句を言えるっていうの?」

「その……お金とか払わないといけないんじゃ……」

「もう、何で私が友達からお金を取らないといけないのさっ!」

 

 だからこそ私はもっとここにいたい。みんなと一緒に囲碁を打っていたい。

 私は図々しいんだ。せっかく手に入れたものを自分から投げ捨てるなんて、そんなもったいないこと出来るわけないじゃないか。

 ヒカルの大切な場所はここに残った。そして私の大切な場所も……確かにここにあるのだから!

 

 

 

 そうしてしばらくの間、よしよしとあかりの頭を撫で続けていた私だったけれど……。

 

 ……あれ? ここまでの話の流れだと、まるで私がプロになって当然みたいな感じになってるじゃん。

 

 不意にそんな考えに思い至ったのだ。まあ私自身落ちるつもりなんてないし、客観的に見ても今回の試験の有力候補には違いない。それでも……これじゃいくらなんでも楽観的と言うか、傲慢が過ぎやしないだろうか。

 

「まあ……まだプロになるって決まった訳じゃないけどねっ!」

 

 ここは謙遜の一つでも挟んでおくのが人情。そう考えた私は、乾いた笑いを浮かべながらそんな風に言ってみたのだけれど。

 

「いや、オマエがそれを言うかよ」

「まあ星川さんは、ねェ……」

「あはは、彩は受かっちゃうんじゃない? だってほら……」

 

 呆れた様な、白けた様な、何とも微妙な視線を向けられてしまう。戸惑いながらも久美子の指差す先に目をやってみれば、そこには他ならぬ彼女自身が持ち帰ってきた週刊碁が。

 

「ボクも本当に驚いたよ。身内の小さな大会なんて言ってたけど、れっきとしたプロアマ混合棋戦じゃないか! ……ボク達、凄い人に教わってたんだなぁ」

「ま、オレや進藤に4子も5子も置かせておいて、ただの院生ってんじゃこっちが困るぜ」

「……アンタ言ってて情けなくならないの?」

「オマエは一言多いんだよ!」

 

 私の思惑とは裏腹に、何だか話がおかしな方向に行っている様な気がするけれど……そんな中、私は一人何とも言えない嫌悪感を覚え始めていた。

 自分を誉めてくれているのはわかっている。嬉しいとも思う。それでもこの話題が上がる度に嫌でも目に付いてしまうからだ。……私の忌まわしき、黒歴史が。

 

 

「あのさ、何回も言ってるけど……そろそろアレ片付けようよ。もうみんな読み終わったでしょ?」

 

 若獅子戦での優勝は個人的にも誇らしいし、今さら自分が取り上げられた事を恥ずかしいなんて思ったりもしない。それにも関わらず私が口を酸っぱくしてそう言い続けるのは……他でもない、あの写真が原因だった。

 

 ……まったく何で編集部はこんな可愛くない写真を採用したんだか。パシャパシャと何枚も撮っていたんだから、もっとマシなのだってあったハズなのに。……私への嫌がらせとしか思えないよ。

 

 残念だの何だのと言われ続けてきた私だけど、これでも一応は女子なのだ。人並みに身だしなみにも気を使うし、オシャレにだって興味もある。そんな私にとって、こうも映りの悪い写真が野晒しにされている現状は正直ちょっと……いや、かなりよろしくないものだった。

 もはや何回目になるかもわからない懇願。だけどそんな私に対し、よりにもよって金子さんはこんな事を言ってのけたのだ。

 

「ダメよ。むしろ今だからこそこれが必要なんじゃない」

「え……どういうこと?」

「私たちに今一番必要なのは新入部員でしょ? プロを輩出した囲碁部っていう名目は勧誘の大きな武器になるわ。この写真は、その立派な証明になるんだから」

「……は?」

 

 それはつまり……この写真を、囲碁とは無関係の生徒たちにまで晒し続けるって、こと?

 

 ……じょ、冗談じゃない! 発行から日が経って、ようやくこの写真の流通も落ち着いたと思っていたのに、何でわざわざ自分から蒸し返す様なことをしなきゃいけないんだっ!

 

「あ、それいい! それすっごくいいアイデアだよ! ね、久美子?」

「うん! これなら新入部員もすぐに集まるよ!」

「ちょっ、なに勝手に話進めてるの!? 私絶対に嫌だからね!」

「もう、まだ写真映りのこと気にしてるの? 大丈夫大丈夫、すごく可愛く撮れてるからっ!」

 

 私の抗議など聞く耳も持たずに盛り上がる女子たち。そしてこのマズイ流れに、あろうことか男子までが便乗し始めたのだ。

 

「プロを輩出した囲碁部かぁ。ボクの作った囲碁部が……えへへ、悪くないかも……」

「まあ確かに使えるものは使っていかねーとな。……そういや進藤、オマエわざわざコピーしてたけど、そんなにこの写真が欲しかったのかよ」

「ばっ、ちげーよ! あれは佐為が棋譜を持って帰れってうるせーから……」

「サイ? 何言ってんだオマエ」

 

「ま、そういうことだから星川さん。……囲碁部の為と思って、諦めなさい」

 

 多勢に無勢とはまさにこの事。少数派はいつだって多数派に駆逐される運命。この世界は余りにも……残酷だった。

 

 

「そ、そんなぁ……」

 

 

 こうして、晴れて囲碁部の広告塔としての永久保存が確定した私の写真。

 がっくりと項垂れながら――せめて、せめて卒業までにはこの記事が処分されますようにと、そう願い続けることしか私には出来なかった。

 


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