東方理想郷 ~ Unknowable Games.   作:まこと13

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 番外編ですが、壱と弐とは違い追加の警告タグなどは必要のない内容ですので、安心してお読みください。
 今回の外伝2話分は読み飛ばすと少し進行上の疑問が残ると思います。





番外編
外伝ノ参 : 最恐が舞い降りた日


 

 

 

 

 ――ねえ知ってる? 流れ星に3回願いを唱えると、願いが叶うの。

 

 

 殺風景な大地で、少女は語りかけていた。

 他に誰もいない世界で、はた目からは母と子にしか見えない2人は、小さな少女だけが一方的に話を続ける。

 

 

 ――願いに込められた力は、集束する。

 

 

 だが、まだ子供に見える少女の口調からは、無邪気さなど全く感じられない。

 少女が口にするそれは、おとぎ話の内容ではない。

 その言葉は厳かに、力強い言霊でもって。

 少女はただ、膨大な知恵と底知れぬ探求心の果てに、辿り着いただけだった。

 

 

 ――たった一瞬で、幾多の強い願いが一極に集中する。だから流れ星には願いを叶える力が宿るの。

 

 

 地表から見られる最も広い視界にある、天。

 そこを流れていく星は、きっと世界で最も多くの者が同時に直接観測し得る一つの点。

 故に、その星が流れる間に観測者の全てが一斉に願った時、その星には刹那の間に無数の願いが蓄積される。

 神社に群がる人の願いの数など比ではない、世界中から願いが集まる可能性を秘めている。

 だからこそ、流れ星には願いの力が凝縮され、それを叶える力が宿る。

 それが、独自の魔導体系を築き上げた少女が研究の果てに導き出した仮説だった。

 

 

 ――だけどね、流れ星には限界があるわ。

 

 

 その一瞬の輝きを見つけ出せる者。

 自転と公転を続ける地球という星で、その流れ星が見える位置に運よく居合わせられる者。

 そして、たとえ見つけられたとして、願いを唱えようとする信心深い者。

 そんな条件下の願いしか集まらないただの迷信。それが所詮は、星に願いの到達点なのだ。

 

 

 ――でも、もしも流れ星以上の奇跡が。世界中の願いを一挙に集める何かがあるとしたら、一体何が起こると思う?

 

 

 ならば、それ以上の願いの力を見つけ出そうと。

 淡々と語りかけていたはずの少女の声は途端に弾み始め、複雑怪奇な理論情報を次々と垂れ流していく。

 まるで狂気に満たされたような情報の洪水を前に、それを聞く者の表情は次第に期待を追い越すほどの畏怖が支配し始めて。

 それでも少女はただ、新たな叡智に手を伸ばすかのようにまた一歩先へと歩みを進める。

 

 

 ――ねえ、考えただけでワクワクしてこないかしら――

 

 

 彼女はそんな、一つの仮説に生きる者。

 世界をただ自らの知的欲求を満たすためだけのフィールドと捉えた、飽くなき研究者の一人だった。

 

 

 

 

 

 

東方理想郷 ~ Unknowable Games.

 

外伝ノ参 : 最恐が舞い降りた日

 

 

 

 

 

 

 魔神が創り出した魔物の蔓延る、幻想郷とは少し違う世界。

 魔界と呼ばれたそこは、濃密な瘴気の中で育った強大な魔力の持ち主が多数存在する。

 だが、そんな強力な魔物たちも今や死屍累々としていた。

 魔界に未曾有の異常事態を巻き起こしているのは、天変地異でも侵略者の大群でもない。

 魔物たちの屍を軽々と積み上げて戦場に君臨していたのは、たった一人の地上の妖怪だった。

 

「……子供の来る場所ではないわ。帰りなさい」

 

 花の大妖怪、風見幽香は屍の山に紛れるように立っていた少女に手をかけることなく背を向け、再び歩き始めた。

 幻想郷の景色を踏み荒らすように突如として押し寄せた魔物たちの元凶を潰すために、魔界の最果てへとたった一人で歩を進めようとする。

 その歩みを止めたのは、少女の一言だった。

 

「無駄よ。その先にいる人を倒したところで、魔物たちは止まりはしないわ」

「……どうして? こいつらの頭である魔神を潰せば、それで終わりでしょう?」

「違うわ。その先にいるのは、ただ静かに暮らしたいだけの平凡な人よ」

 

 少女がそう言って手に持った大きな本を開くとほぼ同時に、辺りの風景が一変していた。

 そこにいたのは、既に2人だけ。

 たった今まで幽香と戦っていた魔物たちの群れは、まるで初めから存在していなかったかのように忽然と世界から姿を消していた。

 夢を見ているかと思うほどの光景を唖然と見ていることしかできない幽香に、少女はただ淡々と次の言葉を紡いでいく。

 

「魔物は別にあの人の命令で動いてる訳でも何でもないわ。だから、そっとしておいてあげてくれない?」

「……へぇ、そうなの。じゃあ、どうすれば止まるのかしら」

「じきに止まるわ。貴方たちの世界での目的を終えたらね」

 

 それを聞く幽香は、既に理解していた。

 大妖怪である自分を目の前にして、まるで平凡な何かを見るような目をした少女。

 そこから感じられる不気味さは、他の魔物たちとは明らかに一線を画していた。

 故に、幽香は警戒していた。

 数百の魔物との激戦を潜り抜けてなお歩を進めていたはずの幽香が。

 吹けば飛ぶほど華奢な身体つきの、まだ幼きアリスを前に動けずいた。

 

「……その本。普通の魔導書じゃないわね」

「あら、わかる? 扱い辛いし疲れるし面倒なのよね、この本」

「でも、使ってたでしょう?」

「少しだけね」

「わかってるでしょ。たとえ少しでも、それを使えること自体が異常だって」

 

 幽香が注意深く見ていたのは、アリスの手にある大きな本。

 その魔導書は、幽香をして怯ませるほどのあまりに強力で禍々しい魔力を宿していた。

 だが、幽香が本当に警戒していたのはその魔導書ではない。

 自分でも扱いきれないと一目見てわかる禁書を、面倒という程度の認識で使いこなすアリスに、幽香は最大限の警戒心を向けていた。

 

「……そういえば、聞いたことがあるわ。魔界の魔物に一人、異端の天才がいたって」

「ああ、多分それ夢子ちゃんのことね」

「夢子? あの、向こうで伸びてるなんちゃってメイドのことかしら?」

「そうそう、それそれ」

 

 アリスは適当な二つ返事を幽香に返す。

 幽香自身、未だ目の前の相手のことを測りかねていた。

 この相手には、うかつに飛び出せば自分ですら危ないことがわかっている。

 ましてや、少し前まで幽香と死闘を繰り広げていた夢子は、魔神の側近である最高位の魔界人なのだ。

 幽香は既に力を使い過ぎている。

 これ以上戦い続ければ自分でも危ないことくらい、幽香は十分に理解していた。

 更に言えば、幽香がこれからたった一人で立ち向かうのは、この広い魔界を創造した唯一神。

 魔神と対峙した時に可能な限りの力を温存するために、幽香はできるだけ強敵と交戦することは避けたかった。

 

 

   『同化 ―Cerulean― 』

 

 

 だが、その慎重さが既にアリスの術中だった。

 

「とか言ってる間にどーん」

「っ――!?」

 

 気付くと、意志を持ったように飛び出した花々の蔓が幽香の身体を絡め取るように捕えていた。

 明らかに狼狽していた幽香だったが、それでも冷静に対処しようとする。

 

「これはまさか、貴方も花を操る力を…」

「違うわ。これは貴方と感覚を同一化する魔法よ」

「え?」

「貴方と同じ視点で世界を見て、貴方の力を使って花を操ってる。ただそれだけの話よ」

「なっ……」

 

 幽香はそれ以上言葉が出なかった。

 そんなものは幽香の予想の及び得ない、異次元レベルの魔法であったから。

 幽香は未だ、アリスが何者なのか測れずにいた。

 魔神の血族か、あるいは魔神が創り出した本当の秘密兵器か。

 いずれにせよ、魔神と戦う前にとんでもない化け物に会ってしまったと、幽香は自らの神経を最大限まで研ぎ澄ませた。

 

「あ、動かないでね。貴方が動いたら、その子たちが千切れちゃって可哀想でしょ」

「……ほんと嫌な奴ね、貴方」

 

 だが、極限まで集中した幽香だったが、実際には何もすることができなかった。

 抗えないほど強力な魔法ではない、それでも既にこの戦いの主導権はアリスにあるのだ。

 アリスは別に幽香を倒すために魔法を使ったのではない。

 幽香が守るべき花々すらも無限に操れるという、デモンストレーションを見せただけなのだ。

 この魔法のメカニズムを伝えることで、花を人質にとって幽香を脅迫するため。

 それが実際に可能であるかなど関係なく、幽香の自由は奪われた。

 幽香が本気を出せば出すほど、アリスは余計に花々を操って犠牲を増やすことになるのかもしれないのだから。

 幽香はもう、アリスに抗うことを事実上禁じられたのだ。

 

「そんなに怖い顔をしないで。私はただ、取引をしたいだけなんだから」

「取引?」

「ええ。最終的には貴方が魔神を倒して異変を解決したことにしてあげるから、ここは大人しく帰ってくれない? 地上にいる魔物たちもキリのいいところで帰らせるし」

 

 アリスは平然とそんな提案をした。

 魔神を倒したことに、そして魔物たちを帰らせるとアリスは言った。

 それは事実上、自分が魔神より上の立場にいることを、そして魔物の襲来の元凶がアリスにあると暗示しているのと同義だった。

 そんな戯言を、幽香は疑うこともなく受け入れていた。

 アリスがそれだけの実力を持っていることを、本能的に感じ取っていたからだ。

 

「……嫌よ。これ以上、地上は荒らさせないわ」

 

 だが、幽香はその提案を拒絶した。

 あまりに濃密な瘴気の中で育った魔物は、その体に瘴気が染みついてしまっている。

 故に、繊細な地上の花は魔物に近寄られただけで枯れてしまう。

 だからこそ幽香は魔界へと来た。

 プライドや感情の問題ではない。地上の花を守るためには、一刻も早く魔物たちの元凶そのものを止めざるを得なかったのだ。

 

「そう、交渉決裂ね。だったら残念だけど貴方は…」

「余裕ぶってるとこ悪いけど。貴方は今、誰に喧嘩を売ってるかわかってないみたいね――――」

 

 幽香はあくまで冷静だった。

 戦況を、アリスを観察することを怠らなかった。

 辺りを覆うように溶け込ませていた幽香の妖力が大地を揺るがし、同時に花の拘束を簡単に解いていた。

 そして、幽香の姿が消えた。

 それはほんの一瞬の出来事。

 アリス自身の身体能力が高くないことを見抜いていた幽香は、アリスの反応を超える速度で踏み込み、アリスの身体を地に叩き付けると同時にグリモワールを奪い取っていた。

 それだけで、あまりにあっけなく戦いは終わっていた。

 

「終わりね」

「そうね」

「……抵抗、しないの?」

「してもしょうがないでしょ? 接近戦に持ち込まれて本を奪われた時点で、私の負けよ」

 

 数秒前まで主導権を握っていたはずのアリスは、それでも即座に自らの敗北を宣言した。

 だが、幽香はそれを怪訝な目で見ていた。

 アリスの表情に、一切の変化がなかったから。

 まるで、ここで幽香に勝とうと敗れようとどうでもいいのだと言わんばかりに。

 

「貴方の負け? いいえ、違うわね」

「あら、どうして?」

「この状況も、貴方の狙い通りなんでしょう? 思い通りに事を進めた奴を負け犬とは呼べないのよ」

「……へぇ、鋭いじゃない」

 

 

     『 幻惑 ―Indigo― 』

 

 

 次の瞬間、押さえつけていたはずのアリスと魔導書が、幽香の前から消え去っていた。

 目の前にいたはずのアリスの姿は、幽香の認識を支配して見せていた幻。

 だが、アリスが何の策もなく終わるはずがないと予測していた幽香は、戸惑うことなくあらゆる方向に即座に注意を向け、遥か先に魔導書を開いたアリスの姿を確認する。

 そして、地を蹴った。

 アリスが次の魔法を使う前に止めるために。

 ただ小休止のように淡々と次の魔法を唱え始めていたアリスに向かって。

 

「だけど、残念ね。そんな鋭さなんて持たなければ、もっと長生きできたのに」

「はっ、そんなのはお互い様――」

 

 だが、幽香はその先の言葉を発せなかった。

 

 

  『 破滅 ―Scarlet― 』

 

 

 他者と同化する。

 智を支配する。

 それらは確かに、人知を超えた理の上に立つ力。

 それでも、幽香を倒すための力ではなかった。

 故に幽香は失念していた。

 足止めではなく、アリスが本気で幽香を始末しようとした場合。

 目の前にある魔導書がただ破壊のために力を撒き散らした場合に、一体どうなるのかを。

 

「ぁ……」

 

 喉が焼ける。

 呼気から全てが塵に変わり、体中が燃え尽きていく。

 そんな未来が、幽香には明確に見えていた。

 それはいわゆる走馬燈。

 死という名の、完全なる終焉の形。

 ただ動けないままに、幽香は瞬時に自らの最期を悟った。

 

 

     『還元 -Zwei- 』

 

 

 その、はずだった。

 

「―――けほっ」

「え……?」

 

 だが、幽香の全身が焼き尽くされるような感覚は、気付くと途絶えていた。

 同時にアリスは突然咳き込み倒れ、幽香だけが何事もなかったように立っていた。

 幽香はただゆっくりとアリスの隣に見下ろすように立って、アリスがもう動かないことを確認する。

 死んでいる訳ではない、それはわかった。

 それでも、一体何が起こっているのかは全くわからなかった。

 アリスはまるで、生命エネルギーそのものを奪われたかのように存在自体が休止していたのだ。

 

「……禁呪の副作用、かしら」

「違うわ、本当なら貴方は今ここで死んでいたの。私が介入しなければね」

「っ!?」

 

 返事をしたのは、アリスではない。

 目の前にいるアリスは、既に屍と変わらないほどに終わっていた。

 ただ、その状況で確かにその声は幽香の真後ろから聞こえてきた。

 気配もないままに、悠然とそこに立っていたのは、

 

「初めましてになるのかしら花の妖怪さん。私は…」

「魔神でしょ。魔界の創造神、神綺」

 

 振り返らなくても、幽香にはわかった。

 冷汗が自分の頬を静かに伝っていくのを感じる。

 今まで相手にしてきた有象無象とは違う。

 そこにあるのは、肌で感じられるほどの強者の予感。

 たとえ自分が万全の状態であったとしても、勝てる保証のない強敵。

 

 だけど、それでも―――

 

「あら、わかってるのにこっちを向いてはくれないのね。それとも、怖くて振り返ることもできない?」

「いいえ、別にそういう訳じゃないわ。ただね…」

「私に注意を向けることが、この状況で最善ではないと?」

「ご明察」

 

 この状況で幽香が最大限の警戒を払っていたのは自分の背後をとっている神綺ではない、ピクリとも動かないアリスこそを警戒していた。

 なぜなら、神綺は自分と同等以上に強いことが肌で感じられていたから。

 自分に死を悟らせる程の力を持ちながらも、その力を感じ取らせないままでいるアリスの得体の知れなさの方が、遥かに危険であると幽香は判断したのだ。

 

「流石ね、それで正解よ。今の私は創造神であっても、支配者じゃないから」

「やっぱりそうなのね。この子が実質的な今の……いえ、これからの魔界の神という訳?」

「そのつもり、だったんだけどね」

 

 答える神綺の声は、少し愁いを含んでいた。

 

「まぁ、その辺についてはゆっくり話をしたいわ。だからとりあえず――どこか落ち着ける場所が欲しいわね」

 

 そう言うと、神綺は静かにその魔力を解き放って、

 

 

    『創造 -Eins- 』

 

    『適応 -Vier- 』

 

 

 同時に、世界が変質した。

 殺風景で寒々しかった荒野は姿を変え、広がった土壌がアリスを包み飲み込んでいく。

 やがて温暖な気候と化した景色の中には、見渡す限りの花畑が広がっていった。

 

「っ……!?」

「ふふっ、これはちょっとした挨拶代わりよ」

 

 幽香は絶句し、一目で理解した。

 勝てる保証のない強敵などと、そんな評価はあまりにおこがましい自惚れであると。

 自分とはまるで次元の違うレベルの魔法を目の当たりにして、幽香はアリスにばかり割いていた視線を恐る恐る後ろに向けると……

 

「さあ、貴方の話しやすい環境を整え…あれ? え、ぁっ、待ってそんな、あぁっ…」

「……」

 

 そこには魔力切れでひざが折れて、プルプルと全身を震わせてながら辛うじて四つん這いの恰好で立ち直そうとしている、情けない神綺の姿があった。

 その姿を見て今度は別の意味で声も出なかった幽香だが、

 

「あふっ!?」

 

 とりあえず何かイラっとしたので、チャンスとばかりに神綺を蹴飛ばしていた。

 今度こそ地面に倒れてピクピクと痙攣していた神綺に、幽香は一つため息をついて聞く。

 

「……で、結局貴方は何がしたいの? 私はそんなコントを見るためにここまで来た訳じゃないのよ」

「ち、違うの、本当はもっとカッコよくキメようとしてたの! ほら私、神じゃない? もっと威厳のある姿を見せたかったというか、夢子ちゃんにため息つかれちゃうような私とサヨナラしたかったというか……ってああっ、そんな残念なものを見るような目で見ないでーっ!!」

 

 辺り一帯を花畑に創り替えて優雅に紅茶でも飲みながらの対談、恐らく神綺はそんな光景をイメージしていたのだろう。

 ただ、調子に乗って同時に二つの魔法を使おうとしたばっかりに失敗し、こんな残念な結果に終わってしまっただけなのだ。

 それでも、実際に目の前でその失敗を見てしまうと、それはそれはひどいカリスマブレイクだった。

 魔界の唯一神、自分を超える魔法の使い手という強者のイメージは、既に幽香の中から消え去ろうとしていた。

 

「うぅぅ、こんな簡単に魔力の限界きちゃうなんて、私ももう歳なのかしら……あ、でも違うのよ! まだお肌とかツルツルだし、気にするほどじゃ…」

「そういうのはもういいから。話を、進めましょうか」

「ふぇ?」

 

 幽香が指を鳴らすとともに辺りに咲き乱れていた花が神綺を取り囲み、その魔力を満たしていった。

 同時に地面から少しだけ盛り上がった巨大な蔓が、腰を掛けるのにちょうどいい場所に鎮座していた。

 

「あわわっ、まあ素敵! 植物の椅子ね」

「……随分と自然に受け入れるのね」

「何を?」

「何でもないわ」

 

 幽香も挨拶代わりではあるが、それは幽香なりに本気のパフォーマンスだった。

 だが、神綺の魔法に介入してみせ、それを利用して神綺の魔力を満たしてみせようとも、それは神綺にとって特段驚くものではなかったのだ。

 それが、幽香の気に障っていた。

 まるで幽香の能力や魔法など、神綺は最初から脅威として見ていないかのように。

 

「さてと、じゃあ単刀直入に聞くわ。どうして貴方たちは地上を侵略しようなんて考えたのかしら」

「地上を侵略?」

「……とぼけるつもり? 魔界の魔物が、地上を荒らしまわってるのよ」

「何それ私聞いてないわ!?」

 

 神綺は勢いよく立ち上がってそう言った。

 幽香は再び、深いため息をついた。

 アリスの話を聞いた時に、黒幕が魔神ではないのだという可能性も浮かんでいはいた。

 だが、ここまで蚊帳の外にされているとは思ってもみなかったのだ。

 

「……ってことは、本当にさっきの子が黒幕ってことかしら」

「アリスちゃんが?」

「ふーん、アリスっていうのね。まぁ、侵略って感じではなかったけれど、あの子が何かしらの目的を持ってたのは確実よ」

 

 神綺は、一人で深く考え込む。

 アリスが地上の侵略を企んだ、その理由を辿ろうとして……

 

「……まさか、もう完成の目途が立ったのかしら」

「何か、心当たりでも?」

「え、ええ。アリスちゃんは地上に溢れた「願い」の力にずっと興味を持ってたの。七色の魔法の先にある『虹』色の究極魔法を完成させる研究のためにね」

「究極魔法?」

 

 究極というのが何を指すのかはわからないが、それは幽香の興味を強く惹いていた。

 たとえ結果が残念な感じに終わってしまったとしても、神綺が使ったのは確かに地上の魔導水準を遥かに超えるレベルの魔法であったから。

 それを使いこなす神綺をして究極と言わしめるその魔法は、少なくとも魔導に身を捧げる者の一人として気にならないはずがないのだ。

 

「それについては、いろいろ難しい話になるんだけど……とりあえず最初から話すわね。まず、アリスちゃんが使ってる魔導書。あれは元々は、私の創世魔法を一冊の本にまとめたものなの」

「……創世魔法?」

「まず、何もない0の状態から万物を『創造』し、あらゆるエネルギーを世界に『還元』する。蓄積されたエネルギーは次第に生命を『創生』、生命は知性を持って世界の法則に『適応』を始めていく。やがて神の知恵を超えた無限の『叡智』に辿り着いた時、世界は手に負えない『混沌』の中へと向かっていく。そんな、神の支配を超えて幾多の世界を巻き込みかねない危険因子と化した世界をやがて『破壊』によって再び0へと導く、一つの世界を創り出してから破壊するまでのサイクルを記した魔法よ」

 

 幽香は、ゴクリと唾を飲んだ。

 あっさりと神綺が口にしたそれは禁呪などというレベルの魔法ではない、明らかに幽香の知る魔導としての常識を遥かに外れたもの。

 あまりに荒唐無稽な、それでも自分の力の到底及ぶべくもない魔導体系を前に、幽香は話についていくのがやっとだった。

 

「よかった。貴方は普通の反応をしてくれるのね」

「……馬鹿にしてるのかしら」

「いいえ、むしろ褒め言葉ととってもらって構わないわ。叡智の過程に狂っていない、正しい反応よ」

 

 意味深な言葉を吐きながら、神綺は淡々と続ける。

 

「でもね、アリスちゃんはそれを完成した魔法として見てはくれなかった。私の魔法を基礎にして、別の魔導体系へと書き換えたの」

「え……?」

「アリスちゃんは私が最後に記した『破壊』のサイクルを過去の終わり、つまり始まりの『破滅』の魔法と捉えて、生命の『適応』から先の理を個の進化の体系へと昇華させたのよ」

 

 それは、幽香には理解しがたい話だった。

 存在を受け入れるのがやっとだった魔導の形を、更に書き換えることなど想像すらできないから。

 

「生命の知恵はやがて幾多に渡る世界の滅びの記憶と『同化』し、一つとなった完全なる智の体系が、再び破滅の道を辿ることのないよう神を欺く『幻惑』を生み出す。そうして破滅のサイクルを回避した世界だけが神を超えた『未知』の領域に辿り着き、その先の世界を見渡せる。破滅までを一つのサイクルとしない、神の支配から外れて無限に進化していく過程を七つの色になぞらえた魔法。それが、アリスちゃんが築き上げた『七色の魔法』の力よ」

 

 神綺の魔法が基盤とするのは、無限に辿り着いて手に負えなくなる前に0へと戻して繰り返す神の支配による視点。

 それをアリスは、0へと戻さない。0から無限へと向かい、その先へとたどり着くための魔法と化したのだ。

 

「……だけど、それがどうしたっていうのよ。別に、そんな抽象的な概念になんて興味はないわ」

「そうね、結局のところ7つの魔法の持つ力は、私の創世魔法もアリスちゃんの七色の魔法も大差はないわ。だけど、アリスちゃんの魔法の執着地点は私みたいに支配のための7つの理を完成させることじゃない。全ての理の先へと辿り着くことだったの」

「理の先?」

「ええ。抽象的な因果の過程であっても蔑ろにしては決して届き得ない、この世の全ての理を超えた――『虹』色の魔法にね」

 

 七色の魔法は、ただでさえその一つ一つが神の力を越えた魔法。

 その理の全てを無視して存在するその魔法は、確かに究極と呼ぶに足るだろうことは幽香にもすぐにわかった。

 

「それが、さっき言っていた究極魔法って訳ね」

「ええ。多分アリスちゃんは、それを完成させるために地上に出ようとしたんだと思うわ。虹の魔法は、魔界にいては使うことができないからね」

「どうして?」

 

 神綺は少しだけ躊躇い、気持ちを落ち着かせるように深呼吸をしてアリスの歴史を語り始める。

 

「そもそもアリスちゃんの起源は、地上にあるの。アリスちゃんはこの魔界で唯一、私が創った魔物じゃないから」

「でしょうね。他の魔物と比べると、あの子はあまりに異質すぎるわ。地上の妖怪として見ても普通じゃないけど」

「そう思うのも無理はないわ。だって、元々アリスちゃんは妖怪でも魔物でもない、普通の人間なんだから」

「人間……?」

 

 確かにアリスの力自体は、その辺の低級妖怪と大して変わらない、それを幽香は感じ取っていた。

 それでも、人間の、しかもこの年齢の人間が持つにはあまりに過ぎた力だった。

 

「アリスちゃんは人間でありながらたった一人で独自の魔導体系を切り開いた一種の「天才」。マッドサイエンティストみたいなものと言ったらイメージも湧くかしら」

「……逆にわからないわ」

「まぁ、それはいいわ。何の目的があったのかは知らないけど、とにかくアリスちゃんは地上にいた頃から魔法の力に魅入られてたみたいなの。魔界に来てからも狂ったように魔導書を読み漁って応用させ、身体の弱い人間としての生を捨てて妖怪として生きる道を選ぶのにもそう時間はかからなかったわ」

 

 どれだけの才能を持っていようとも、人間という短い寿命しか持たない種族が魔法を極めるにはあまりに時間が足りない。

 故に、アリスは人間を辞めた。それ以上でもそれ以下でもなかった。

 

「そこまでして、あの子は何をしたかったのかしら。力が欲しかったというのなら、少しは自分自身を鍛えた方が早いと思うけど」

「アリスちゃんは結局のところ、強さなんてものに興味を持っていないのよ。あの子の研究分野……一番心力を注いでいたのは、生物の抱える願いの持つ力だからね」

「願い?」

「ええ。特定の理を超える力じゃない、どんな願いであっても叶えるという、あらゆる理を無視した力を探し求めてたみたいなの」

 

 世界に願いの形は無数にあれども、それを叶えるためには確かに全ての理を超え得る必要がある。

 恋愛成就、一攫千金、死者蘇生、世界征服と、簡単なものから不可能と思えるものまで全てを叶え得るとすれば、それは確かにどんな魔法さえも比較に値しない究極魔法と言えるだろう。

 

「だけどね、願いの力なんてのは簡単に扱えるものじゃないわ」

「まぁ、願いの力なんてそもそも曖昧で存在すら怪しいものだしね」

「それが一般的な思考ね。だけど、アリスちゃんは違ったの。アリスちゃんがまだ人間だったころに立てた仮説は、世界中の人間すべての願いの力が一つになった時、どんな願いでも叶える力が宿るってものよ」

「……それは随分、非現実的な話ね」

 

 世界には、数十億の人間がいる。

 その全ての願いなど、どうあっても集まることなどあり得ない。

 ましてや国の違い、思想の違い、貧富の差によっても願いに対する考え方など千差万別である。

 ならば、世界中の願いが揃うことなど不可能と言って差し支えないだろう。

 

「でも、だからこそアリスちゃんは地上に出ようとしたんだと思うわ」

「え?」

「七色のグリモワールの第四……いえ、『青』色の魔法は、誰かと視点を同一化することを可能にするからね」

「それを使って、全人類の思考を同一化させようと? それこそ非現実的じゃない?」

 

 魔物たちを使って地上の全てを侵略するだけではない。

 世界中の全てを支配下に置くことで願いの力を集めようというのであれば、それは驚きを通り越して呆れることしかできない話だった。

 

「うーん、そういうことじゃなくて、アリスちゃんは地上の人たちを理解しようとしたんじゃないかしら」

「理解?」

「アリスちゃんは頭はいいんだけど、感情の部分については疎いみたいなの。だから、皆が何を考えてるか知りたいんじゃないかしら」

 

 願いを知るためには、少なくともその相手を理解する必要がある。

 何を考え、どうして何を望むのか、少なくとも人間が感情を抱く理由を理解できない内は、世界中の願いを集束させることなどできないだろう。

 

「……でも、それなら地上の侵略をする意味は? 人間を理解するためなら、他の魔物は必要ないじゃない」

 

 幽香は真剣な眼差しで神綺に問うた。

 それは、今回の異変の核であった。

 魔物が地上に溢れかえったその理由、それさえ解決できるのなら幽香にはアリスの目的などどうでもいいのだから。

 

「えーっと。それは多分、寂しいんだと思うわ」

「……はあ?」

 

 だが、神綺の返答を聞いた幽香は素っ頓狂な声を上げた。

 

「アリスちゃんは、ああ見えて寂しがり屋なとこもあるからね」

 

 つまりは、地上を理解したいけど自分一人で地上に出向くのは寂しいから魔物を連れていきたいと。

 そんなあまりに気の抜けるような理由を前に、幽香はツッコむ気も起きなかった。

 創世魔法や究極魔法、そんな高次元な話の後では、寂しいという感情などあまりに矮小なレベルの話にしか聞こえなかったから。

 

「……はぁ、馬鹿らしくなってきたからもういいわ。ま、真偽はどうあれ黒幕はわかったし、とりあえずそのアリスってのを地上に来たくなくなるくらい虐めてあげれば終わるのよね」

「え? ダ、ダメよ!」

 

 のんびりと話をしていた神綺は、焦って突然に立ち上がった。

 その身に強力な魔力を纏いながら、幽香の前に立ち塞がる。

 

「アリスちゃんを虐めるなんて、そんなの私が許さないわ!!」

「……あはっ、結局こうなるのね!!」

 

 神綺の殺気が膨れ上がっていく。

 さっきまでの間の抜けた態度からは考えられないほどの、まさに魔界の唯一神と呼ぶに相応しき魔力。

 だが、幽香も負けてはいない。

 花に囲まれていたおかげで、既に十分に体力と魔力は回復していた。

 最後の戦いを前に、その身に宿した妖力を最大限に膨らませて……

 

「さあ、来なさい。地上の花を傷つける奴は、たとえ誰であっても私が許さないわ」

「……え? お花?」

「ええ。瘴気が染みついた魔物は、地上の花にとっては毒なのよ。だからこれ以上魔物の侵攻を許すわけには…」

「あっ、あーーーっ!!」

 

 その瞬間、神綺の闘気が急激に萎んだ。

 手をポンと叩いて、閃いたと言わんばかりの表情で、

 

「そうよ! だったら、貴方が一緒に行ってくれればいいのよ!」

「……はあ?」

「ほら、貴方は魔物が地上から魔界に帰ればいいんでしょ?」

「それはまぁ、そうね」

「だったらそこは、貴方がアリスちゃんのお友達として一緒に地上に行ってくれれば解決じゃない!!」

 

 神綺は、これ以上ないほどの名案だとでも思っているのだろう。

 だが、一方で幽香は何言ってんだこいつと言わんばかりの表情で立ち尽くすことしかできなかった。

 

「ほらアレよ、魔物たちが地上に行かなくてもいいし、アリスちゃんは地上に行っても寂しくない! うん、我ながらナイスアイディアね!!」

「いやちょっと待ちなさいよ、そんなの…」

「ダメ? アリスちゃんは元々人間だからほとんど瘴気も染みついてないし、貴方にとっても悪い話じゃないでしょ?」

「それは、その……」

 

 確かに、それだけで幽香の目的もアリスの目的も同時に達成できるのかもしれない。

 それでも、その提案を受け入れることは躊躇われた。

 アリスを地上に出すこと自体に、幽香は何か言葉にできない不安しか感じなかったから。

 

「ね! ああ、でも寂しくなっちゃう、けどちゃんと笑って送り出してあげないと。うん、よーし、そうと決まったら早速アリスちゃんのお弁当作ってあげなきゃ!」

「え? あ、ちょっと待ちなさい、そんなの私はまだ納得して…」

 

 だが、幽香が言い終わる前に神綺の姿はマッハで消えていた。

 

 ……そんなことがきっかけで、泥沼化するかに思えた魔界と地上のいざこざは、あまりにあっけなく解決してしまった。

 魔物たちは大人しく魔界に帰り、たった一人で魔神を脅しつけてきた最恐の妖怪として地上に幽香の名が広まるのにも、そう時間はかからなかった。

 そして、幽香は結局アリスを連れて地上に行くことになってしまったが、そこに友情が芽生えることはなかった。

 幽香はどうもいけ好かない危険な相手として、アリスのことを警戒しつつも距離をとり。

 アリスはアリスで、神綺から友達になれと言われたものの幽香とは波長が合わず、関わりたくないし魔物も連れていけないし、苦肉の策でお人形を作って寂しさを紛らわすことにしたとか。

 とにかく、それで異変の全てはハッピーエンド、に終わったかに見えた。

 

 だが、その異変の終息は、アリスにとってはあくまで始まりに過ぎなかった――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……もう、限界なのかしらね」

 

 魔法の森の自宅に籠りながら、アリスは一人呟いた。

 地上に出てきて何十年たっただろうか、最近は幾多の生物と関わってきた。

 特に面白いのは、人間の里を飛び出してきた一人の小さな人間。

 自分とは違ってあまりに強い感情でもって輝いているその姿は、まるで幻想郷という世界を駆け抜けていく一つの流れ星。

 その少女と関わり続けることでアリスも少しだけ人間の願いの、感情の何たるかを学び始めた、かに思えた。

 

 だが、その理解は逆にゴールへの道のりを遠ざけた。

 人の感情がここまで面白く、そしてここまで複雑怪奇だとは思っていなかったから。

 一人の人間を理解することすら、自分には荷が重すぎる。

 それに気づいて初めて、アリスは自分の仮説の厳しさを思い知った。

 

「……次の、他の研究を始めましょうか」

 

 だから、アリスはその仮説を切り捨てざるを得なかった。

 『虹』の魔法の基礎を完成させ、人の感情を知り始めたにもかかわらず、長年追い求めてきた全てを諦めたのだ。

 今の仮説に成就の可能性がないのであれば、また新たな研究をもとに別の楽しみを見つけるしかない。

 なぜなら、数人、数十人の願いを理解して集めることすらアリスにはあまりに遠き道のり。

 それを全世界の人類、数十億人分の願いを集めることなど、限りある時間の中では不可能だろうから―――

 

 

「でもまぁ、これに懲りたら今後はあまり人のプライバシーに踏み込まないことね」

 

 

 だがある日、そんな言葉を聞きながらアリスは呆然と動けずいた。

 それは、偶然に出会ってしまった奇跡。

 さっきまで自分の興味を僅かに引いていた、『青』色の魔法で同化していた覚妖怪が倒れたことなど気にもならない。

 ただ、それを冷たい目で見下ろす少女に、アリスはこれ以上ないほどの期待を抱いていた。

 なぜなら、その少女は最高の被検体だったから。

 

 ――私はずっと、貴方を待っていたのよ。

 

 その覚妖怪と同化して読み取った記憶の中にあったのは、とある能力から創り出された幾多の歴史。

 永遠と須臾を操り、無数の世界を渡り歩く力。

 既に億を超える平行次元世界を渡り歩いた少女の心には、数えきれないほどの感情が集っている。

 それを知ったアリスの思考は、その瞬間かつてないほどに冴えわたっていた。

 なぜなら、無数の感情には、それと同じ数だけの願いが宿っていたから。

 幾多の平行世界を渡り歩き続け、数億、数十億、いずれは全世界七十億超の人類と同等の数の願いを抱えることになるかもしれない一人の少女の存在は、アリスを再び『虹』色の魔法へと誘うには十分だった。

 

 ――そう。私はきっと、貴方と巡り合うこの瞬間のために地上に来たのよ!

 

 アリスにとってそれは、まさに運命の出会い。

 この少女なら、きっと自分の知的欲求を満たしてくれる。

 たとえ今ここで完成しなくてもいい。

 この世界で成せなくても、それでもいつかどこかの平行世界で自分の研究を成就させてくれると思ったから。

 

 だが、アリスの運命の相手はその少女ではなかった。

 

 気付いてしまったから。

 その少女では、決して願いを叶えられないことを。

 

「貴方たちのことは、私が守るから」

 

 なぜなら、少女は本当は誰よりも強く優しくて。

 

「……誰か、助けてよ」

 

 それでも、その強さや優しさは時に精神を蝕んで。

 

「だったら憎みなさい。幻想郷を滅ぼした私を、死してなお憎悪の止まることなきよう」

 

 いつしか抱え込み過ぎた重荷はその願いさえ否定し、全てを捨てることこそが願いと化してしまったから。

 

 それでは、ダメなのだ。

 分散してしまう。

 たとえどんな願いでも、最後まで貫けるのであればそれでいい。

 だが、誰一人として失わず全てを救いたいという願いは、あまりに困難でやがて自らの願いさえ否定させてしまう。

 願いの力が蓄積される前に、叶うはずのない願いの大きさに圧し潰されてしまうから。

 

 そうではない。

 もっと純粋で。

 もっとまっすぐで。

 何より、歪んでいるとさえ思えるほど一途な想いが必要だから。

 

 故に、偶然か必然か。

 その愛情の裏側にひっそりと共存する、一つの魂の欠片。

 無限に世界を渡り歩いた少女と融合し続け、それでも既に消えてしまいそうなほどに弱弱しいその灯が、熱く燃え上がろうとする姿。

 それは、アリスの目にはあまりに輝いて見えた。

 

 ――ふざけんな。

 

 友情や愛情じゃなくてもいい。

 たとえ、始まりが憎しみでも。

 

 ――何でもかんでも一人で抱え込んでんじゃねえ、自分のことばっかり責めてんじゃねえよ。

 

 本当に強い想いは、たとえ歪な形であろうとどこまでもまっすぐで。

 

 ――いいか。お前を憎んでいいのも壊していいのも、それは私だけの特権なんだよ。

 

 それはきっと、たった一人との繋がりのためだけに。

 何者にも遮れないほどに、どこまでも一途で。

 

 ――だから、相手が神だろうが悪魔だろうが、たとえお前自身だろうが。

 

 ただ自分の奥底から湧き上がってくる感情のために、生死の理さえも無視して「生きる」。

 どんな困難にも屈せず、己の境遇も過去も未来さえも、何もかもを捨てられるほどの執着。

 そんな、情熱的なまでの激情の集合体こそが、きっと奇跡を起こす魔法と化せるだろうから。

 

 

 「それだけは……絶対に譲れねえんだよ!!」

 

 

 ――嗚呼。やっと見つけたわ。

 

 

 幾多の世界で揃った、無数の一つの願いは次元世界を越えて。

 やがて全ての願いを繋げる星々となって想いを力に変えていく。

 

「――だからこそ若輩の私にも一つだけ、あんたに教えてあげられることがあるわ」

 

 興奮を抑えきれないまま、アリスは閉ざされた異世界で目の前にいる少女と、同時にその先にいる誰かに語りかけるように言葉を紡いだ。

 いつまでも世界の片隅で燻っている、小さな炎に語り掛けるように。

 世界に関わることのできない死の先にいるはずの存在に、この世に生きるための導きを与えていく。

 

「最後まで傍観者でいることほど、つまらない結末の迎え方はないってことをね!」

 

 幾多の世界の願いが集っていく。

 やがて全ての願いが一つに重なると同時に、アリスは解き放つ。

 何が起こるかもわからない願いの集合体に向けて、自らの生きた証の全てを。

 

 

 ――だから、私に見せてみなさい。貴方の、無数の貴方自身が抱く、その願いの力を。

 

 

 そして、遂に暗闇の世界に轟いた『虹』色の究極魔法は――――

 

 

 

      『 奇跡 ―Iridescent― 』

 

 

 

 七十億超の無間世界を超えて、決して変わるはずのない運命に風穴を空けた。

 

 

 

 

 


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