東方理想郷 ~ Unknowable Games.   作:まこと13

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第37話 : 潰えし世界の理想郷

 

 

 

 ――見渡す限りの全てが、赤だった。

 

 

 世界を焼き尽くす炎の色も、一面に飛び散った血の色も。

 ただ、全てが一色に染められていた。

 

「それで終わり? 貴方たちの覚悟は、貴方たちの幻想郷への愛は、その程度?」

 

 喉が焼けるような灼熱の海で、聞こえてきたその声だけは寒気を感じさせるほど冷たく。

 終わりゆく世界の中で、何よりも冷淡なその視線だけが刺さっていた。

 

「……どうして、こんなにひどいことができるのよ」

 

 倒れたまま動けない紫は、悔しそうな声でそう吐き捨てた。

 燃え尽きていく幻想郷には、既に満身創痍の人間と幽霊と。

 そして、半死状態のルーミアをゴミのように踏みつける、冷めた目が紫に向いているだけだった。

 

「どうして? 別になんてことはないわ、これはただのゲームよ紫。貴方たちの、この世界への愛を試すための」

「……ゲーム、だと? ふ、ふざけるなああああああっ!!」

「っ!! 待ちなさい妖夢…」

「いいや待たねえ! こちとらもう、我慢の限界なんだよっ!!」

 

 遂に耐えきれなくなった半人半霊の剣士、魂魄妖夢が泣き叫びながら切りかかっていく。

 妖夢に続くように、魔理沙もまた怒りのままに最後の力を振り絞って飛び立つ。

 大切な人たちを奪われた怒りを、憎しみを、全てぶつけるように向かっていく。

 だが、それと同時に天より降り注いだ光は、

 

「残念。これで魔理沙と妖夢も脱落ね」

 

 2人に、次の一言を発することさえ許さなかった。

 無残なほどに全身を貫かれて動かなくなった2人の残骸を、紫は唇を噛みしめながら、それでも目を逸らさずじっと見ていることしかできなかった。

 

「さて、これでそっちに残るのはあと2人だけかしら」

「……ふざけないでよ。私に一体、何が残されてるっていうのよ。霊夢も藍も幽々子も、皆、みんな貴方がっ…!!」

「ああ、そっか。そしたら――――」

 

 地に転がっていた半死状態のルーミアの身体が空高く蹴り上げられる。

 そして、その手に持った枝の先から放たれた光の玉が、その身体を跡形もなく消し飛ばすとともに、

 

「これで分かりやすいかしら」

「っ―――!?」

「じゃあ、今度こそ「幻想郷の生き残り」は貴方だけね、紫」

 

 頭上から生温かい血の雨が降り注ぎながらも、この世界に何一つとして感慨を抱いていないかのような冷たい声だけが響き渡っていた。

 紫にはもう、何もわからなかった。

 目の前の相手が、何を考えているのか。

 この世界が、夢か現実かさえも。

 

「さあ、貴方の描いた夢の結末を見せてもらいましょうか」

「……どうしてよ」

 

 気付くと紫は呟いていた。

 大切な人たちも世界も、訳も分からないまま全てを失った現実を受け入れられず、自分というものがわからなくなっていく。

 ただ壊れてしまったかのように心が乱雑に塗りつぶされていく中、それでも一つの感情だけが止めどなく湧き上がってくる。

 そして、間違いなく訪れる自らの死期とほぼ同時に、生まれて初めて心から抱いた憎悪に全て支配されて――――

 

「ねぇ、返して。私の大切なっ、全部……返せええええええええええっ!!」

 

 

 ――嗚呼、それよ。

 

 ――それで、いいのよ。

 

 

 それは、一つの記憶。

 世界の全てを滅ぼす絶対的な悪として憎まれた、そんな記憶。

 だけど、所詮は一つの通過点に過ぎない。

 

「覚悟しなよ。お前は私が、早苗の苦しみの百倍くらい痛めつけて、痛めつけてっ、狂うまで甚振ってから殺してやるっ!!」

 

 脳天を貫くような憤怒の叫びも、響かなくなった。

 

「ふざけないでよ衣玖っ! 私をっ、この私を置いて勝手に死ぬのなんて、絶対、絶対に、許さないんだからぁっ……」

 

 心を抉り尽くすような悲しみの涙も、見飽きた。

 

「お願い、だから。返事してよお姉ちゃん。ねぇ、どうしてこんな。どう、して……ぁぁあっ、嫌ぁぁっ…」

 

 全てが崩れ落ちるような絶望の断末魔にさえ、慣れた。

 

 だけど、それでいい。

 悲しみに絶望、怒りに憎悪。

 自分という存在そのものを否定してくれる声、忌み嫌い蔑んでくれる目。

 自分が世界に不要であるという絶対の証だけを、ただそれだけを向け続けてほしかった。

 

 決して。

 

「ありがとな、輝夜」

 

 そんな眩しい顔を、見せないでほしかった。

 

「私はいつでも、姫様とともにありますから」

 

 そんな優しい声を、聞かせないでほしかった。

 

 心が揺らいでしまうから。

 また、重荷が増えてしまうから。

 

 

『だったらもう一度始めましょう。何度でも、貴方の望むままに』

 

 

 そしてまた、始まってしまうから。

 決して終わることなき残酷な世界が、もう一度――――

 

 

 

 

 

東方理想郷 ~ Unknowable Games.

 

第37話 : 潰えし世界の理想郷

 

 

 

 

 

「っ!!」

「かはっ!?」

 

 ひどい頭痛が輝夜を襲うとともに、霊夢がうずくまって息切れしていた。

 闇に飲み込まれたはずの異世界は、気付くと再び弾幕の光に覆われていた。

 その闇の狭間から流れ込んできたのは、綻んでしまった輝夜の心から溢れ出した光景。

 たった一瞬の間に味わった、血の色に染められたその一生は、誰も生き残ることなく世界が滅びた救いのない絶望の記憶。

 何もかもが、万人の心を握りつぶすような不快感を与えるだけのものだった。

 

「何なのよ、今の」

 

 霊夢はただ、呆然とそんな声を漏らすことしかできなかった。

 それは、正しくこの世界の光景ではない。

 世界でただ一人、たった一人を除いて誰も知ることすらない世界の結末。

 だが、それは妄想でも幻でもない、確かに実在した一つの歴史だった。

 

「……ふふっ」

「輝夜?」

「あはははははは」

 

 だが、輝夜はその先を口に出すことはできなかった。

 ただ全て一人胸の内にだけ秘めたまま、嘲るように笑って、

 

「やっとわかった? そうよ、この滅びこそが私の本当の目的……幻想郷が向かう末路よ、霊夢」

「っ!!」

 

 輝夜が霊夢に贈るのは、そんな言葉だけだった。

 これ以上、何も思い出したくはなかったから。

 何より、これ以上何も知ってほしくなかったから。

 

「私がルーミアなんかを助けたかったって? 笑わせないで」

「輝夜……」

「刻み込みなさい霊夢。私は貴方たちの憎むべき敵。幻想郷を気まぐれに滅ぼそうとした、この異変の黒幕なのよ」

 

 だが、輝夜は霊夢のことをよく知っていた。

 その『空を飛ぶ程度の能力』の真髄、世界と一体化して相手の心象風景すら共有する力のことも。

 きっと、今の自分の本当の感情さえも悟られている。

 それをわかっていてなお、輝夜は霊夢に偽り続けた。

 霊夢だけではない。たとえ誰が相手であっても、自分の気持ちなんて絶対に理解させたくなかったから。

 

「でも、バレちゃったのなら遊びはここまでね」

 

 突如として大気が揺れ動く。

 輝夜は辺りに散りばめていた弾幕の全てを、その手の平に一斉に集中させた。

 光を超える速度で一点に向かって次々に収束し衝突していく素粒子は、やがて極限まで圧し潰されて一つの物質を創り上げる。

 すると、世界は加速度的に一点に集中していく。

 輝夜の操る弾幕だけではない。万物が極小の塊に向かって吸い込まれ、次第に次元空間さえも歪ませていった。

 

「貴方を――世界の全てを壊して、もう終わりにしましょう!」

「っ!?」

 

 夢想天生を解かなかったことが幸いした。

 仮に霊夢が生身の状態だったのなら、今ごろその身体は原子サイズまで圧縮されて二度と光を見ることはなかっただろう。

 輝夜の弾幕の全てを飲み込んで完成したそれは、超高速の物体同士の衝突が理論上可能とする、最悪の禁忌。

 極限まで圧縮されることで無限の重力を生む、ブラックホールと呼ばれる超高密度物質。

 それは決して使用されてはならない、幻想郷という枠組みを容易に超えて世界を滅ぼし得る力だった。

 

「……今さらもう驚かないけどね。あんたがどんな力を使おうと」

 

 そう言いつつも、霊夢はこれ以上ないくらい心の中で悪態をついていた。

 悪態をついたのは絶望的なまでの力の差にではない。

 これ以上、一体何があるのかと。

 やっと見つけたと思っていた輝夜の心の底。

 輝夜はただ、死にゆく運命にあったルーミアを助けたかっただけなのだと、そんな答えを見つけたと思った矢先に見つけた新たな壁。

 それは未だ幻の中。

 輝夜から向けられたその視線は、何一つ感情さえ抱いていないかのような空虚な闇に閉ざされていて。

 そして何より、さっき見てしまったルーミアさえも皆殺しにした救いのない滅びの光景は、理解できない更なる難題を霊夢に叩きつけただけだった。

 

「それが、どうしたってのよ」

 

 それでも、そう呟く霊夢の目に迷いはなかった。

 退路などもう、どこにもないのだから。

 輝夜が抱えているものがたとえ何だとしても、諦める理由になんてならない。

 

「あんたがこの異変を起こしたってのも、一つの事実なのかもしれないけどね。でも、私はそれだけが正解じゃないって信じてるから」

 

 霊夢は未だに輝夜のことを信じていた。

 解決策は、きっとまだ輝夜の心の中にあると。

 輝夜を止めることではない、輝夜の奥底に眠る本心を見つけ出すことこそが、きっと今この瞬間で一番重要なのだと。

 

「……信じてる、ですって? 何も知らないくせに、随分と知ったような口を利くのね」

「いいえ、何もわかってないのはあんたの方よ! 自分の気持ちから、あいつの願った世界から目を背けてるだけ。今度は逃げずに、刮目して見てみなさいよ!」

 

 霊夢は再び両の腕を広げて弾幕を放つ。

 そこには一切の躊躇もない。

 この絶体絶命の状況で霊夢が選んだのは、

 

「スペルカード宣言、月符『ムーンライトレイ』!!」

 

 月へと昇る二筋の道と、過ぎ去っていく星々の弾幕だった。

 だが、今度はその弾幕は輝夜の力を打ち抜くことなく、一瞬という間すらなく漆黒の塊に飲み込まれて消えていく。

 それでも、ただ吸い込まれて消えていくだけの光の道を、霊夢は無理矢理に繋ぎ続ける。

 

「……それが、何だって言うのよ」

 

 絶えず繋がれていく光の道は、輝夜の目の輝きを取り戻すことも、声に生気を宿すこともできない。

 だが、その弾幕は輝夜に届く可能性を持ち合わせていない訳ではなかった。

 

 光の世界に広がっているのは、輝夜に優しく手を差し伸べるような、希望に満ちた光景ばかりで。

 そんな世界に身を委ねたい衝動は、絶え間なく輝夜の脳裏を駆け巡っているはずなのに。

 決して自分の心まで届かせないようにと、何一つとして響かないようにと、ただ輝夜自身が拒絶しているだけだった。

 絶望よりも、希望を抱く方がきっと心が満たされて。

 孤独よりも、友情や愛情に包まれている方がきっと力が湧いてきて。

 そんなことは、本当はわかっているはずなのに。

 ただ、それを忘れているだけ。

 忘れようとしているだけ。

 

「そんなものじゃ結局何も変えられない。何の価値も、何の意味もないのよ」

「ぐっ……!?」

 

 次第に質量を増していく超密度物質は、光さえも逃さず閉じ込めていく。

 霊夢の依拠する世界そのものを隔てなく飲み込み、次第に霊夢の存在そのものを希薄にしていく。

 まるで絶望の闇に飲まれるかのように、何もかもが色彩を失っていく。

 

「……違うわ。意味がない訳じゃ、ないのよ」

「……」

「悔しいけどね、私が悪いのよ。私が弱いから、私がどう足掻いてもあんたには勝てないって自覚しちゃってるから」

 

 それをわかっていてなお、霊夢が放ち続けるのは同じ弾幕。

 他の全ての光を失おうとも、未だ霊夢の放つ光は消えない。

 世界に溶け込んだ霊夢の姿が原形を失いつつあろうとも、それでも輝夜へと向かう微弱な二本の光の道だけは途切れることなく伸び続けていた。

 

「だったら、もう諦めなさい」

「嫌よ! だって私には聞こえるんだもの。あんたの声が、あんたの奥底から湧き上がってくる心の叫びが!」

「何を……」

 

 どれだけ絶望的な状況だろうとも。

 たとえ誰にも不可能に見える窮地に立たされようとも。

 今の霊夢には、もうその気持ちを抑えることなどできない。

 自分が今ここにいる意味を。

 目の前で泣いている子を助けたいという揺るぎない想いだけは、それだけは絶対に譲れないから。

 

「だから、私は諦めない。勝てるか勝てないかなんて関係ない。私の耳に助けを求める声が届く限り、私は絶対やめないって決めたのよ!!」

 

 霊夢はただ、貧弱な弾幕を放ち続ける。

 輝夜へと続くその2本の光の道だけは、決して途絶えさせないよう繋いでいく。

 他に術がないからではない。

 今この瞬間だけは、それこそがきっと他の何よりも強く輝夜に届き得るのだと思えたから。

 

「だって、この弾幕に込められた想いは」

 

 自分がルーミアの弾幕から感じ取った願いは。

 

「あんたが心から抱いていたその想いだけは」

 

 その弾幕を前に、輝夜が垣間見せた戸惑いは。

 

「それだけは、絶対に嘘なんかじゃないって信じられるから!!」

 

 だからこそ、自分の奥底から不思議なほど湧き上がってくる力に身を任せて、霊夢は魅せ続ける。

 この一枚のスペルカードに込められた、何よりも強い想いを信じて。

 そして、輝夜の奥底に眠る想いが、決してちっぽけなものなんかじゃないと信じて。

 霊夢は最後の力を振り絞って、世界の記憶の全てを繋ぎ止める。

 

「だから、これが本当に最後の弾幕よ! あんたの抱える希望と絶望、どっちが強いのか私がさらけ出させてあげるから!!」

 

 だが、その言葉を最後に、霊夢の姿を映し出していた光は遂に崩れ落ちるように散っていく。

 同時に、空しいほどあっけなく辺りは静寂へと還っていった。

 

 世界の全てが超重力の底に沈んでいく中、残されていたのは自分の周囲の時空間だけを静止させている輝夜と。

 そして、霊夢のいた場所に留まる小さな光の玉と、そこから伸びる二本の光の糸だけだった。

 この世界に僅かに残された色彩、それが飲み込まれて途絶えた時に世界は終わり、霊夢の存在はこの世から完全に消え去るのだろう。

 

「……」

 

 もう姿も見えなくなってしまった霊夢に、輝夜は既に興味を抱いてはいなかった。

 ただ無言のまま、何もかもを飲み込み消していく漆黒の塊だけを見下ろしていた。

 全てを無の世界へと誘ってくれる、終焉の力。

 自分がそれに飲み込まれてしまえば、どれだけ楽か。

 他に何一つない虚無へ飛び込めてしまえば、どれだけ救われるか。

 ただ、そんなことばかりを考えていた。

 

「この世界も、もう終わりかしら」

 

 次第に何もなくなっていく次元空間の中で、輝夜は呟いた。

 あと数秒、それできっと全ての光は暗い闇の底に消えていく。

 霊夢がどれだけ足掻こうと、輝夜がどれだけ拒絶しようと、それは変わらない。

 そして、何も残らない。

 霊夢が必死に探し当てた何かも、輝夜の記憶の中で渦巻く何かも。

 全ては、無意味なものでしかないとわかっているのだから。

 

「これで、よかったのよね」

 

 誰もいないはずの世界で、輝夜は問いかけた。

 それがただの独り言だとわかっていても。

 何の意味もない逃避なのだとわかっていても。

 

「こうするしか……なかったのよね」

 

 本心を騙しながら、ひたすら自分にそう言い聞かせ続けることしかできなかった。

 

 そうしないと、また塗り潰されてしまうから。

 自分の中に強く根付いていたはずの想いが。

 もう、僅かにしか残されていない自我が。

 

 

『――そうよ。諦めることなんて、許されないんだから』

 

 

 無機質に響き渡るその音に消されていく感覚だけが、永延と刻まれ続けてしまうから。

 

 一人で暗闇を見上げている時も、霊夢と話している時も、弾幕ごっこをしている時でさえも。

 輝夜の脳裏に直接響き渡るようなその音は、決して止まることはなかった。

 だが、世界を塗りつぶすほどに鳴り響いているかのように感じるそれは、音などという一般的な事象ではない。

 輝夜の『永遠と須臾を操る能力』によって創られた、この世界とは異なる歴史から生まれた異物。

 幾多の平行次元世界における蓬莱山輝夜という存在が発する感情の全てを集束させた、情報概念の混沌だった。 

 輝夜の敵ではない、されど決して味方でもない。

 この世界でたった一人、輝夜だけが受信してしまう無数の情報の洪水は、人知れず輝夜を鼓舞しながら、それでも極限まで追い詰めながら、無感情な音だけをどこまでも紡いでいく。

 

 

『もう、選択肢なんて残されてないのよ』

 

 

 本当は、今までずっと抗い続けてきた。

 幾度となく心を折られそうになりながらも、輝夜は脳裏を埋め尽くすほどに鳴り続ける無機質な悲鳴を、全て受け止めようとしていた。

 たとえ孤独に身を投げてでも、どれほどの絶望に囚われようとも、それでも戦い続けると誓ったはずだった。

 だが、最初の頃は耐えきれていたはずの音は、次第に大きくなっていく。

 時を重ねるほどに、目の前の現実はより困難に、より残酷に再構築されていく。

 

「……うるさいのよ。そんなこと、言われなくても私が一番わかってんのよ!」

 

 抑え込み続けた輝夜の心が、少しだけ耐えきれなくなって叫んだ。

 それでも、決して終わることはない。

 幾度となく打ち砕かれ続けてきた道の先は、気付くと全て閉ざされていて。

 いつしか、輝夜は抵抗の無意味さというものを嫌というほどに思い知らされてしまっていた。

 行き先を失った輝夜の心は、感情なきその音の羅列にあらゆる希望を奪われ、空っぽになるまで壊されていく。

 

 

『だったら、また何度でもやり直せばいいわ。貴方の本当の願いが叶う、その世界まで』

 

 

 そして、辿り着く先はいつも同じだった。

 目的の達成でもなければ挫折でもない。

 

 ――ただ、始まりへ。

 

 何度ゴールを目指そうとも、目の前に現れるのはスタート地点だけで。

 幾度繰り返そうとも、ただひたすらにその繰り返ししかなかった。

 今回だって、そうだった。

 霊夢が輝夜の心の隙を見つけ出して。

 それに、微かに心動かされたような気がして。

 今回は何かが違うのだと、何か少しでも希望を抱けると、そう思えるような世界を感じられようとも。

 結局は、徒に期待させて全て奪い去られるだけ。

 何一つとして変わらないと、最初からわかってしまっているのだから。

 

「……ええ、そうね」

 

 だからもう、今さら足掻いたところでどうしようもない。

 輝夜はただ、その音の指し示す運命に従っていく。

 その先の景色は、きっといつもと同じ。

 あと少しで終わってしまう。

 そして、また始まってしまう。

 終わりのない迷宮が。

 希望も、絶望さえも、決して許してはくれない世界が―――

 

「……え?」

 

 だが、輝夜はふと我に返った。

 遅すぎたから。

 この世界の終焉が。

 この世界から、光が消え去るのが。

 あと数秒と思ってから既にどれだけ経ったのかもわからない。

 それでも、霊夢が残した微弱な光と、そこから伸びてくる2本の道は未だに途絶えない。

 その光は一向に消耗する気配すらも見せない。

 むしろ、その光は消え去るどころか勢力を増しているようにさえ見えた。

 

「どうして、消えないのよ」

 

 物理的にあり得ない。

 法則として間違っている。

 そんな、理屈的な思考しか浮かばない。

 他に原因を説明できる事象を、今の輝夜は持ち合わせてはいなかった。

 

「なんで。早く消えてよ。これ以上、私にどうしろっていうのよ!」

 

 どれだけ否定しようとも、光は決して途絶えることはなかった。

 本当であれば既に終わっているはずの世界で、それでもただ同じ光景だけが続いていく。

 思い通りにならない光は、次第に輝夜の奥底を侵食し始めて。

 押し寄せる不安は、戸惑いは、その心を不安定にしていく。

 

「……どうして。こんなの、見たくないよ。もう、聞きたくないよ。ねえ、私はどうすればいいの、教えてよ――」

 

 そして、気付くと輝夜は考えてしまっていた。

 深く封じていたはずの、いつも通りを。

 誰よりも頼りにしてきた人の記憶を、僅かに思い出してしまった。

 

 すると、世界を覆う光は一気に勢力を強めた。

 

「……え?」

 

 まるで何かに押さえつけられるかのように。

 それ以上の強い力を持った何かに、塗りつぶされていくかのように。

 決して消えることなく響き続けた音の羅列は、突如として輝夜の脳裏から離れていった。

 

 その世界が、見えてしまったから。

 輝夜が、自覚してしまったから。

 光の道が2本ではないことを。

 光の玉から輝夜に向かって伸びる道が、いつの間にか一本増えていて。

 その光の道を見る自分の瞳の奥に、はっきりと一つの人影が映っていることを。

 

 

  ――言ったはずよ。私は、何があっても貴方の味方だと。

 

 

「っ――――!!」

 

 突如として響き渡ったのは、何よりも深く聞き覚えのある声。

 それは空耳なんかじゃない、心の奥深くまで揺さぶるような強い響き。

 他の誰よりもずっと自分の傍にいてくれた、永琳の声が。

 ふと、今も隣にいるような気がして。

 

 

  ――ったく。この貸しは高くつくよ、姫様。

 

 

 そこから、連想してしまっていた。

 ぞんざいな態度の、それでも心地よい響きを。

 自分たちに新しい居場所を開いてくれた、てゐの声を。

 その影は、また一つ増えていて。

 

 

  ――幻想郷は全てを受け入れるわ。たとえ貴方が、何を企んでいたとしてもね。

 

 

 そして、得体の知れない自分たちを、それでも幻想郷という世界に招き入れてくれた声。

 輝夜の世界を包み込むように広がった声とともに、いつの間にか光の道はその数を増やしていって。

 

 

  ――じゃあ、今度はウチに遊びに来てくださいね。あ、無理に信仰してくださいとか言ってるんじゃないんですよ、フリじゃないですよ?

 

  ――残念ですが、忠誠は誓えません。ですが、友人としてなら喜んで。

 

  ――約束ですよ!? また私と一緒に……あ、じゃなくて、幽々子様の気まぐれに付き合ってくださいね!

 

  ――ふっふっふ。姫君さえ陥落すればあとは芋づる式に購読者が……あ、いえ、何でもありません、こっちの話ですよ!!

 

  ――またいつでも待ってるよお姉さん。あたいたちと本気でじゃれあって遊んでくれる人間なんてそうそういないしさ。

 

 

 気付くと辺りを覆い尽くしていたのは、雑音を掻き消すほどの声だけではない。

 視界いっぱいに広がる光の道と。

 心を締め付けるほどの笑顔の奔流ばかりが、脳裏を埋め尽くしていって。

 

「何なのよ、これ」

 

 それは、決して止まることはなかった。

 人里離れた僻地に根城を構えた、自由気ままな吸血鬼たちの。

 不死人とは決して交わることなき冥界からやってくる、好奇心旺盛な亡霊たちの。

 平和な里で暮らす、真面目で暑苦しい人間たちの。

 未来永劫会えるはずのなかった彼岸を司る、堅苦しい裁断者たちの。

 遠き山奥に君臨する、トラブルメーカーの神々の。

 遥か天より全てを見下す、傍若無人な天人たちの。

 地下深くに隠れ住んだ、痛快で豪快な妖怪たちの。

 

「……違う」

 

 光の道は、いつの間にか世界を埋め尽くしていって。

 いろんな声が。

 ただ多様な声が。

 

 それでも、全て輝夜を肯定するような、優しい声ばかりが響いていた。

 

「そうじゃない!!」

 

 刹那、悲痛なほどの叫びが響き渡った。

 耳を塞ぎ、目を逸らして。

 それでも消えない声と光は、輝夜の心の奥に眠る記憶を無理矢理に侵食していく。

 

「こんなの、違う! 私なんかに、そんな声をかけてもらう資格なんてない!!」

 

 今の輝夜の脳裏に響いているのは無機質な情報羅列ではない、あまりにも有機的で感情的な、想いの込められた声の奔流。

 だが、そんな声なんて決して聞きたくなかった。

 何もできなったのに。

 今まで幾度となく、裏切り続けてきたのに。

 

 

  ――よく頑張ったな輝夜。今度は、私たちが戦う番だぜ!!

 

 

 それでも自分を受け入れてくれる、優しい声を聞くのが辛かったから。

 

 

  ――私のことはいいんです。でも、せめて師匠のことだけは……最後まで、信じてあげてくださいね。

 

 

 報われない最期にも笑いかけてくれる、愛に溢れた笑顔を見るのが苦しかったから。

 

 だからこそ、輝夜はもう誰とも深く関わりたくなかった。

 ただのゲームの世界の住人であるかのように、無感情に遠くから見渡すだけでいい。

 今までの何もかもを忘れられるくらい、全てが自分にとって何でもない、諦められる存在でいてほしかった。

 そうでないと、心が壊れてしまう。

 助けられないことに、耐えられないから。

 見捨ててしまうたびに、心が張り裂けそうになってしまうから。

 

「だから、そんな眩しい目で見ないで。お願いだから私を嫌って。憎んで蔑んで、私のこと全部、否定してよ!!」

 

 そして、それさえも許されないのならば、せめて誰からも愛されないような悪役でいたかった。

 愛を忘れ、友情を忘れ、この世界に何も感じられないほど冷酷な存在になりたかった。

 今までの全ての記憶を塗り潰すくらいに、絶対に許さないと自分のことを否定してほしかった。

 かつて自分を憎み、自分への復讐だけを求め続けた、あの人間のように――

 

 

 ――はっ。似合わねーんだよ、お前に悪役なんて。

 

 

「……え?」

 

 だけど、遂にはそんな声すらも聞こえてきて。

 そこに、かつてのような憎しみはない。

 自分と背を合わせるかのように立って不敵に笑う、一人の少女の幻影すら見えた気がして。

 

「どうして、貴方までそう言うのよ」

 

 目に映るのは、真っ暗な世界などではない。

 輝夜の心に巣食う闇の存在など、誰も許してくれはしなかった。

 気づくとその視界には、漆黒の塊を覆い尽くすほどの光の道ばかりが広がっていた。

 

「もう認めなさい。無価値なんかじゃない、無意味なんかじゃない。今あんたの心を動かしてるそれこそが、あんたにとっての希望なのよ」

 

 そして、活力を取り戻した世界の中心で、光の起点が再び霊夢の姿を形どっていって。

 そこからまた一本の光の道が輝夜に向かって伸びていく。

 やがてその光は全ての細い道を束ねて、一つとなった大きな光の道を繋いでいた。

 

「だから、あんたは孤独に逃げなくてもいい、そうやって何でも抱え込まなくていいのよ!! だってあんたは一人じゃない。あんたが本気で助けを求めるのなら、どんなに辛い時でも苦しい時でも幻想郷の皆が―――」

 

 一挙に集った声が全て、雄叫びを上げる。

 ただ同じことを。

 霊夢の叫びと重なるように光り輝いて、

 

 

   「私たちが、ついてるから!!」

 

 

 押し寄せた声の津波は、閉ざされた世界で反響して大きくなって。

 その集合体は何もかもを飲み込むほどに力強く、輝夜の心を打ち抜いていく。

 そして――

 

 

  ――な、言ったろ? こんな世界も悪くないだろって。

 

 

 今の輝夜の瞳に映るものは。

 輝夜を温かく出迎えるように光の道を埋め尽くす数えきれない人たちと、その中心で手招きする一つの影。

 いつものように、適当に語りかけるルーミアの声と。

 

 

 『……そうね。少しは、楽しめそうかしら』

 

 

 その耳に響いていたのは、無感情な音の混沌ではない。

 それはただ、全ての世界で共通して湧き上がっていた想い。

 輝夜自身の心の奥底から溢れて一つになった声が繋がり、光の道は強く弾けんばかりに輝いていった。

 

「……そっか」

 

 世界が大きく揺れていた。

 辺りの全てを吸い込み尽くそうとしたブラックホールは、それでも飲み込みきれなかった光に覆われて。

 ひび割れた漆黒の塊は、次第に脈打ち胎動していく。

 だが、輝夜がそれに目を向けることはなかった。

 

「そんなの、忘れられるはずがなかったんだ」

 

 輝夜はただ、流れ込んでくるその声だけに身を任せていた。

 拒絶していたのではない。

 全て、思い出してしまった。

 自然にその記憶を、その声を受け止めるかのように、それでも……

 

「だって、こんなにも儚くて」

 

 憐れむように、その波の中を漂っていた。

 そんな想いだけでは、何もできない。

 希望だけでは、何も変わらない。

 そんな束の間の笑顔は、すぐに絶望に染まる。

 こんなちっぽけで貧弱な種族には、もはや美しくも儚く散るだけの、そんな未来しか残されていないことを知っているのだから。

 

「なのに、こんなにも愛おしくて」

 

 それでも、輝夜は気付いてしまった。

 幾多の世界を渡り歩こうとも、どれほどの苦難の中にいようとも、変わることはない。

 そんな儚く脆いものたちこそが、自分にとってかけがえのないものだと。

 決して失いたくない、何よりも大切なものなのだと。

 

「ああ、そうだ。だからこそ私は――」

 

 その声は、聞こえてきたのではなく。

 ただ、内側から。

 忘れていた感情とともに、力強く湧き上がった輝夜自身の想いが自然と声になって。

 

 

「私は、たとえ何を賭してでもこの子たちを守り抜こうと、そう誓ったんだ」

 

 

 同時に砕け散った暗闇は、溢れ出した光を抑えきれないまま世界を真っ白に染めていった。

 

 

 

 

 


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