東方理想郷 ~ Unknowable Games.   作:まこと13

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第4話 : 決意

 

 一隻の舟が、ゆっくりと彼岸へ進んでいく。

 そこに乗っているのは、三途の川にいるはずがない生者が3人。

 それと、真剣な顔つきで寝転がっている一人の死神だった。

 

「八雲紫?」

「知らないか? 幻想郷ではかなり名の知れた妖怪のはずなんだが」

「いや、そいつのことは知ってるよ。 だけど……八雲紫が死んだ?」

「ああ。 そいつの式神がそう言っててな。 あいつは冗談を言うような奴じゃないはずなんだが」

「でも、それはちょっとおかしいねえ」

 

 萃香の質問に答える小町は、深く考え込むように言葉を濁した。

 何も知らないという訳ではない。

 嘘をつこうとしている訳でもない。

 ただ一人で怪訝な表情を浮かべていた。

 

「おかしい?」

「ああ。 あたいは幻想郷の死者の魂を運んでるから、それが本当なら知らない訳ないんだけど」

「でも、けっこう仕事サボってるんだろ?」

「否定はしないけどね。 でも、それほどの大物が死んだのならそれなりの情報は入ってくるだろうし、流石のあたいも気づくさ」

「じ、じゃあ、紫さんはまだ生きてるってことですか?」

 

 小町のその答えを聞いて、早苗が期待のこもった声でそう言った。

 三途の川に来ていないのならば、紫はまだ死んではいないと考えられるからだ。

 しかし、小町は少しバツの悪そうな顔をして頭を掻いていた。

 

「それが、そうとも言えないんだよね」

「えっ?」

 

 小町はめんどくさそうに少しだけ体を起こした。

 そして、川の上を漂っている霊魂を指差して言う。

 

「幻想郷で死んだ奴の魂は全部この三途の川に集まってくるはずなんだけど、最近どうも霊魂の様子がおかしい気がするんだ」

「霊魂の様子が、おかしい?」

「ああ。 お前たちが話したほどの異変が起きているのなら、死者が増えて必然的に霊魂の数も増えるはずなんだ。 でも、最近の霊魂の数は普段と大して変わらない……いや、むしろ少ないんだ」

「……つまり、どういうことですか?」

 

 彼岸のシステムをいまいち理解しきれていない早苗は、首をかしげて聞く。

 

「あー。 まぁ、あたいの推測にすぎないけど、八雲紫やこの異変の影響で死んだ奴らの魂が何らかの原因で現世に取り残されている可能性があるってことさ。 あるいは、実は死んでいないかね」

「……じゃあ、この先に紫さんはいないんですか?」

「まあ、一概にそうは言えないけどね。 実はあたいが見逃しちまってたとか、八雲紫が能力を使って三途の川や映姫様の審判をすっ飛ばして勝手に白玉楼あたりにいるって可能性もあるからね」

「えっと、三途の川ってそんなことが許されちゃうんですか?」

 

 早苗はその予想外の緩さに、驚きの表情を浮かべていた。

 外の世界でも有名な地獄の王である閻魔が統括する三途の川や彼岸は、もっと厳格な法の下にあるのだと思っていたからだ。

 

「そんなの、許される訳がないだろう? ただ、時々生きていた時の姿のまま霊体化して三途の川に来るやつもいるからね。 あの妖怪がそんな状態でここに来たならありえるって程度さ」

「ああ、それが本当なら紫らしいな」

 

 だんだん面倒くささが顔ににじみ出てくる小町や混乱する早苗と文をよそに、萃香は笑っていた。

 紫がもしかしたらまだ生きているという可能性は、藍の様子を見たときには絶望的だと思っていたにもかかわらず、ほんの少しだけにしろ希望が見えてきたからだ。

 だが、もしそうだとしたら藍は嘘をついていたのか。

 それとも、藍を騙してまで紫が何かをしているのか。

 いずれにせよ、そうだとすれば異変の件については再び紫が怪しいという話になるのだが、紫について調べるのが容易ではないことを萃香はよく知っていた。

 

「でも、もし紫が彼岸にいなかったら私たちは一体何しに行くんだろうな」

「そうだったら嬉しいですけど……でも正直、ここまで来ておいてそう考えると、ちょっと複雑な気分ですね」

「まあ、お前たちが彼岸で何をするつもりかは知らないけどさ。 そんなことより、映姫様への報告の内容はちゃんとわかってるんだろうね?」

 

 異変や紫のことよりも、小町が一番注意して話したのはそのことだった。

 小町は3人を無事に彼岸と現世へ送り届ける代わりに、交換条件を求めてきた。

 その要求はこうだ。

 

 今日もいつも通り、彷徨う霊魂を導くために三途の川を懸命に見回っていた小町は、彼岸に行くつもりで三途の川に来たものの霧の中で迷って途方に暮れていた早苗たちを偶然にも発見する。

 小町は無事3人を保護し、厳重注意の下に現世に送り返そうとするが、どうやら3人は異変解決のためにどうしても彼岸に行く必要があったようなので、そこは既に彼岸の近くだったことも相まって、小町はそのまま彼岸へ行き、一時的な滞在の許可申請をするために映姫に話をしに来た。

 

 こういう設定にしろということである。

 

「閻魔がそんな作り話っぽいことを信用するかねえ」

「それを信用させるのがお前たちの役目だろう? うまく説得できなかったら、帰りの舟に乗せることもなく地獄行きにされちまうよ」

「何ですかそれ……ってよりも、そんなに怖い人なんですか、その映姫さんって人は?」

「ああ、怖いなんてもんじゃないよ。 どんな奴だろうと、絶対的に潔白であろうと、映姫様がクロだって言ったらそいつはもうクロになっちまうのさ」

 

 映姫の持つ『白黒はっきり付ける能力』。

 それは物事を絶対的に決定してしまう能力である。

 この世界に彼女の決定を覆すことのできる者など存在せず、彼女のことを知る誰もがその力を恐れているのだ。

 

「思い出しただけでも寒気がするよ。 この前の花の異変の後なんて、あたいは10日間拷問器具に座ったまま仕事をすることになったんだから」

「そ、そういう怖いですか。 でも、それは異変になるまで放っておいた小町さんが悪いんじゃないんですか?」

「おっと、そろそろ着くみたいだ」

 

 花の異変の原因の一端は小町にある。

 それ故、その話題は小町にとって都合の悪い話であるため、露骨に話を逸らしたのだ。

 そして、小町にこれ以上追及しても意味がないだろうことは、ほんの10分足らずの舟旅だけで早苗たちはもう理解していた。

 

「さて、それじゃあたいはまず彼岸入りの許可をとってくるから、しばらく舟で待っててくれよ」

「えっ? 私たちも一緒に行くんじゃないんですか?」

「そういう訳にもいかないんだよねえ。 そもそもあの石頭の了承なんかを得るためには何日も前から奮闘する必要があってね」

「何日もって……そんな話聞いてませんよ!!」

「だって今初めて言ったし」

 

 小町は悪びれる様子もなく言った。

 

「でもとりあえずちゃんと協力を得たいなら大人しくしててくれよ。 不法侵入なんかしたら、それこそ追われて情報収集なんてできなくなるしね」

「でも、私たちは急いで…」

「まあ、心配しなくても大人しくしててくれれば今日中には何とか許可は取ってきてやるからさ。 だから少しくらいここで……」

 

 そう言って彼岸の方を一瞥したとき、小町が困惑した声を上げた。

 

「……どういうことだ?」

 

 三途の川を渡り切ったそこには、やたら大きな建物と、無数の霊魂があるだけだった。

 

「どうしたんですか?」

「いつもなら、霊魂を管理する死神たちが何人もいるはずなんだ。 なのに何で……?」

「み、見てください、あれ!」

 

 文が指をさした先には、大きなクレーターができていた。

 いや、そこだけではない。 

 海岸の地形が無残なほどに荒れていたのだ。

 それは無力化された霊魂以外来るはずのない彼岸においては、ありえないはずのことだった。

 

「なんだよ、これ? ……おい、お前たちはここにいろ!」

 

 そう言うと小町は一人先に舟から飛び出して、一瞬で建物の方へと消えていった。

 

 

 

 

 

東方理想郷 ~ Unknowable Games.

 

第4話 : 決意

 

 

 

 

 

「ボサッとしてんな、行くぞ!」

 

 辺りの様子を見て戸惑っていた早苗たちだったが、萃香にそう言われ、我に返ったように舟を飛び出して小町を追いかけた。

 

「どういうことでしょうか、ここで一体何が…?」

「わからないが……多分、この異変と関係ないってことはないだろうな」

 

 萃香のその一言に、早苗と文は気を引き締める。

 紫や霊夢を倒した相手が、この先にいるかもしれないのだ。

 そして、突然気づいたように早苗が言った。

 

「待ってください!? だとしたら、小町さんが危ないじゃないですか!」

「ああ、そうだ」

「だったら私が…」

「待て文、危ないから一人で先走るな」

 

 萃香はあくまで冷静だった。

 この状況での単独行動はあまりに危険だからである。

 萃香にそう言われ、文は萃香と早苗のスピードに合わせるように飛んでいたが、その顔は見るからに焦っていた。 

 それは、早苗も同じである。

 まだ小町と会って間もないとはいえ、この状況で放っておけるほど他人ではなかった。

 それが、今も危機にさらされていると思うと、落ち着いてはいられなかった。

 

 仰々しい門や扉を抜け、3人はひたすら先に進む。

 そして、長い廊下の先に、やっと広間へ出る光が見える。

 その中には、一人で佇む小町の姿があった。

 

「小町さん! よかった、無事でしたか」

「………なんで」

「え?」

 

 だが、早苗たちは広間へ出ると同時に言葉を失った。

 そこからは、生命の息吹きというものを全く感じられない。

 もう原形を留めていない、元は恐らく裁判所のような場所であっただろうそこには、あちこちに焦げ落ちた物体があるだけだった。

 その中心にある大きな席は、横に倒れるように崩れている。

 そこで何かがあったことは明白だった。

 

「小町、さん…?」

「え? ……あ、ああ、何だよ来ちゃったのか。 まいったなぁ、無許可でこんな所まで来られちゃ映姫様に怒られちゃうよ」

 

 小町は笑いながら振り向いて言った。

 しかし、舟の上と同じように頭をかきながら面倒くさそうに話す仕草は、見ていて明らかに不自然だった。

 その手には、二つに折れてただの燃えカスのようになってしまった何かが握られている。

 

「……あの、それは?」

「あ、これ? 映姫様の悔悟棒ってやつだよ。 ほら、悪いことしたらこれで叩かれるんだ。 あたいもこれで何度叩かれたことか。 今回も危うくこれで叩かれるところだったよ、いやー折れててよかった」

「え……?」

「って、映姫様は何本も持ってるんだっけ? しまったなぁ、こんなところ見られたらそっちで叩かれちまうよ。 ほら、お前たちは映姫様に見つからないうちに早く逃げてくれ」

 

 そう言って小町は笑う。

 だが、その顔はどう見ても完全に引き攣っていた。

 

「……」

「はっはっは、なんだよ、なんで黙ってんだよ……それに映姫様も実は見てるんだろ? 早く出てこないと、この無法者たちが何か問題を起こすかもしれませんよ」

「小町さん、多分…」

「いやいや、騙されないぞー。 また映姫様ってばあたいをからかって…」

「小町さん!!」

 

 小町の口が止まる。

 その手から折れた悔悟棒が床に滑り落ち、乾いた音が2つ鳴る。

 

「……ははは、こんなの、嘘だ。 だって、映姫様は本当におっかないんだぞ? あたいがどんな無法者を取り逃がしても、全部一蹴して、それでその後「ちゃんと仕事しなさい!」って言ってあたいに罰を与えるんだ」

 

 早苗たちから異変のことは聞いていたはずだった。

 だがそれでも、小町の中でそれはあり得ないことだった。

 スペルカードルールなんてものさえなければ、映姫は誰よりも強い存在なんだと信じていた。

 だから、たとえ誰を相手にしたとしても、映姫が今ここにいないはずがないと思っていた。

 

「あー、そうか。 これが侵入者をここまで通しちゃったあたいへの罰なんだ。 いやー、やっぱり映姫様はドSだなぁ。 悔悟棒なんかで叩かれるよりよっぽどキツイお仕置きだ」

「……」

「……でもさ、順番が違うだろ?」

 

 小町の肩が震える。

 

「あたいに罰を与えるのは、こいつらを裁いてからじゃないのかっ!? いつもみたいに何もかも全部解決してからなら、あたいはどんな罰だって受けるから、だから……出てきてくれよ、映姫様!!」

 

 小町は、舟の上にいた時からは考えられない程大きな声で叫んだ。

 だがその言葉は届かずに、空しく消えていく。

 早苗も文も萃香も何も言えない。

 そして、そこにはただ、小町の言葉にならない悲痛な叫びだけが響き続けた。

 

「小町さん…」

「……」

「……」

 

「何の騒ぎだ?」

 

 ふと、新たな声が響く。

 振り向くと、そこには小町と同じ大きな鎌を持った死神が数人立っていた。

 

「っ……!! これはっ!?」

「あ、みんな……大変なんだ、映姫様が…」

「動くな!!」

「え…?」

 

 先頭にいる死神が、小町に鎌を向ける。

 

「そいつらは一体何者だ? お前の差し金か、小町?」

「あ、確かにあたいが連れてきたんだけど…」

「……なるほど。 この惨状はそいつらの仕業って訳か」

「!?」

 

 死神たちが敵意を見せるように一斉に構える。

 それを見て文は両手を上げて言う。

 

「ち、違います! 私たちは幻想郷で起きてる異変調査のために来ただけで…」

「言い訳するな!」

「ちっ。 早苗、文、こりゃどう考えても分が悪い。 退くぞ」

「えっ!? でも…」

「いいから行くぞ!」

「逃がすな、追え!!」

 

 萃香が早苗を引っ張り、逃げようとする。

 それを追いかける死神たちの前に、小町が立ちふさがった。

 

「小町さん!?」

「待ってくれ! こいつらは確かに怪しく見えるけど、今来たばかりで本当に関係ないんだ、だから…」

 

 小町は枯れきった声で懸命に叫ぶ。

 しかし、死神たちはその言葉を全く気にする様子もなく言う。

 

「うるさい、裏切り者の言うことなど聞けるか!」

「裏、切り…?」

「ああ、そうさ。 お前はよく仕事をサボってよく四季様に怒られていたよな。 それで鬱憤がたまって、こいつらと共に四季様を襲った。 そうだろう?」

「なっ……!? 違う! あたいがそんなことする訳…」

「黙れ! お前の言い訳など聞き飽きた。 もういい、こいつもひっ捕らえろ!」

 

 死神たちが一斉に向かってくる。

 だが、小町は動けなかった。

 映姫を失って間もなく仲間に疑われ、何が何だか分からなくなっていた。

 ただ、今になって何か熱いものがこみ上げてくる。

 

  ――はぁ。 また貴方ですか、小町……

 

 確かにいつも怒られてばかりだった。

 だけど本当は、それを本気で嫌だと思ったことなんて一度もなかった。

 サボってばかりの自分を認めてくれる人も、叱ってくれる人も他に誰一人としていなかったから。

 だから、それを嫌だと言って避けることだけが自分の目的なんだと自分自身に言い訳しながらも、ずっとそれを繰り返してきた。

 

  ――とりあえず今回だけは何とかしておきましたが……次はありませんからね?

 

 そんな風に言って、いつも自分を叱ってくれた。

 いつも自分を庇ってくれた。 

 それだけが、自分にとっての全てだった。

 その時間だけが何よりも心地よく、かけがえのないものだった。

 

 だけど、そんな時間はもう来ない。

 もう、永遠にその説教を聞くことはないのだ。

 

「なんで、こんな……」

「全員、かかれ!!」

 

 小町はもう、俯いたまま動かない。

 ただ一筋の涙を流しながら一人立ち尽くす小町に向かって、死神たちが容赦なく襲いかかる。

 

「がっ……!?」

 

 だが、そこに突然横切った大きな腕が死神たちを塞き止めた。

 いつの間にか小町の前には、その腕だけを巨大化させた萃香が立っていた。

 

「……お前、今なんて言った?」

「っ……!!」

 

 萃香が一言そう呟くと、死神たちの空気が一瞬で張り詰める。

 

「な、何やってるんだ! お前さん、早く逃げないと…」

「黙ってろ!!」

 

 萃香が叫ぶと、そこにいた全ての者が本能的に一歩後ろに下がる。

 その敵意を向けられた死神たちだけではない。

 庇われているはずの小町も、文や早苗でさえ、恐怖で少し身震いしそうになった。

 

「裏切り者……って言ったか? 私たちは一応ただの侵入者だ、たとえ極刑になったって文句は言えねえ。 だが、小町はお前たちの仲間だろ? 話くらい聞いてやれよ!!」

「いいよ、あたいが悪いんだ、元々あたいが仕事をサボってばかりだったからこんなことに…」

「……はっ、くだらない。 そいつは元々、ここの癌だったんだよ。 ろくに仕事もしないで周りに迷惑かけてばかりの…」

「っ!!」

 

 先頭の死神がそう言いかけた次の瞬間、文字通り鬼のような形相を浮かべたかに見えた萃香の姿が消えた。

 

「――――――」

 

 その死神は声すら上げることはできなかった。

 萃香に薙ぎ払われて吹き飛んだ死神は、後ろにいた数人も巻き込んで壁に叩きつけられた。

 辺りに轟音が響き渡り、衝撃で壁は崩れ落ちる。

 

「クズが……」

 

 幸い死神の頑丈な身体のおかげで原型は留めているものの、萃香に直接薙ぎ払われた死神はそのまま瓦礫の下敷きになり、もはやピクリとも動かなくなった。

 突然死神たちを殴りつけた萃香を見て、小町は驚いた表情で言う。

 

「な、ななな、なんてことをするんだ! こんなことして……お前さん地獄行きじゃすまないよ!! そっちの2人も…」

「いいんだよ。 ……すまないね、私の勝手な行動でこんなことになっちまって」

 

 萃香はそう言って早苗と文の方に振り向く。

 2人は、もう笑っていた。

 

「いいんですよ萃香さん、私もスッキリしました!」

「そうですね。 まぁぶっちゃけるとここで死ななきゃいいだけの話ですよ!」

「な……!?」

「ほらな。 こういう奴らなんだよ、こいつらは」

 

 ほんの数十分程度の付き合いだろうと、早苗や文の中で、小町は既に仲間だった。

 それがけなされ、裏切られて黙っていられるほど大人ではなかった。

 

「っ……なんだこれは?」

「何があった!?」

「このっ……貴様ら、生きて帰れると思うな!」

 

 目の前には既に、騒ぎを聞きつけた死神たちが集まってきていた。

 巻き添えをくらっただけの死神も、そのおぼつかない足取りで既に立っていた。

 

「……あー。 でもまあ、確かにこんなところに長居してもしょうがないな。 このまま逃げるとするか」

 

 萃香は死神たちの方を一睨みし、拳に力を入れる。

 しかし、死神たちはその気迫に少し身震いしながらも、逃げ出す訳でもなく構える。

 

「……ちっ、今のでも脅しにゃならないか」

「駄目なんだ、こうなったらこの先出てくるのはもうただの死神たちだけじゃない。 本当に映姫様レベルの奴が出てきたら…」

「そりゃ、ちょっとマズイね。 紫のことを探してる暇なんてなさそうだ」

 

 この状況でそんなことを言う萃香に、小町は呆れた顔を向けた。

 そして、萃香はそのまま早苗と文に言う。

 

「おい早苗、文! ここは私が引き受けた。 その間に小町連れて適当に情報収集頼むよ」

「え? でも、萃香さんは…」

「大丈夫だ、私もすぐ戻る。 だから頼むぞ!」

 

 そう言って萃香は背中を向ける。

 2人を完全に信頼しきったその姿を見て、早苗と文はすぐに走り出す。

 

「わかりました萃香さん!」

「ほら小町さん、行きますよ!」

「えっ!?」

 

 早苗が小町の腕をつかむ。

 しかし、小町はそれを振り払った。

 

「バ、バカ言っちゃいけないよ、生き残ることすら危ういこの状況で! それに、あたいは…」

「言ったでしょう? 誰がどう言おうと私たちはこの異変を解決する。 小町さんはどうしますか?」

「え?」

「無実の罪を着せられて、ただ捕まりますか? それともここは逃げて、映姫さんをこんなにした人を捕まえたいですか? どっちですか!!」

「っ!!」

 

 その言葉に小町はたじろいだ。

 そして床に落ちている、折れた悔悟棒が目に入る。

 自分は今、一体何をすべきなのか、何をしたいのか。

 映姫ならば何が正しいかを、何をすべきかを大局的に見て冷静に判断するだろうし、そうするようにずっと言われてきた。

 

 だけど、冷静になんて考えられなかった。

 すべきことなんて、正しいことなんてどうでもよかった。

 小町はただ、感情のままに思う。

 

 ――映姫様の仇を討ちたい。

 

 既に小町の目には光が戻っていた。

 

「……あたいが安全な道を案内する。 ついてきな!」

「は、はい!」

「萃香さん、お気を付けて!」

「おーう。 すぐ戻る」

 

 萃香は3人に気楽に後ろ手を振る。

 

「逃がすな、追え!」

「まあ、そう焦るなよ」

 

 集まった死神たちが、早苗たちを追おうと走り出す。

 だが、その前に突如として巨大な影が立ちはだかった。

 

「なっ!?」

「スペルカード宣言、鬼符『ミッシングパワー』。 私がここを通すとでも思ったか?」

「っ……怯むなっ!!」

「まあ、少し私と遊んでこうや」

 

 巨大化した萃香が挑発するように笑ってそう言うと、死神たちが一斉に襲い掛かってくる。

 一振りで相手を死に誘う鎌が、たった一人を相手に10本以上も四方八方からその命を刈り取りに来る。

 しかし、その鎌は刈り取るどころか刺さりすらしない。

 

「え……?」

 

 一撃で仕留められないどころか、鎌が刺さりすらしないという初めての体験を前に、死神たちが困惑する。

 そして、その刃に向かって萃香が腕を振り回すと、個体としては決して弱くはないはずの死神たちが、鎌ごとゴミのように吹き飛んでいった。

 それにもかかわらず、萃香につくのはほんのかすり傷程度に過ぎない。

 

「なんだ? 死神っていってもこの程度かい? とんだ期待外れだな」

「ちっ、この化け物が……」

 

 まるで蚊に刺されただけのように体を掻きながら喋る萃香に、死神の一人が悪態をつく。

 それでも、数で勝っている死神たちは、何度も何度も萃香に飛び掛っていく。

 しかし、それを全くものともしない。

 それどころか、殺す気で萃香に飛びかかっていく死神たちとは対照に、萃香はその腕に纏った霊力を直前で弾幕化して当てるという、あくまでスペルカードルールの範囲での攻撃しかしていなかった。

 本気で何度飛び掛っても、まるで遊び感覚で全てを薙ぎ倒す萃香を前に、次第に死神たちにも恐怖の色が浮かび始める。

 そして、動ける死神の数が減り、その猛攻が収まってきた頃に萃香が退屈そうに呟いた。

 

「あーあ、せっかくカッコよく残ったってのに、なんかこれじゃ本当にすぐ戻ることになりそうだな」

「なっ!? この、ナメヤがって…」

「そんな訳ですまないね、もう十分時間は稼いだだろうし、ヤバいのが出てくる前に私もそろそろ逃げることにするよ」

 

 そう言うと、萃香は元の小さな姿に戻る。

 

「チャンスだ、今のうちに…」

「……と、思うじゃん? だが残念、酔神『鬼縛りの術』!!」

 

 萃香の持つ瓢箪から飛び出した鎖が、一斉に死神たちを襲う。

 何が起こったかもわからないまま、その鎖に死神たちが捕えられる。

 

「なっ、何だこれは!?」

「じゃあなー、お前たちの上司によろしく」

「待、待て! この、こんな鎖…」

「お前たちごときじゃあしばらくは外せないよ。 まあ、その鎖は特別にプレゼントするからせいぜい頑張ってくれ」

 

 そう言って萃香は早苗たちの行った方向へ振り返る。

 早苗たちにすぐ合流するか、自分もそれ以上の情報を集めてビックリさせるか、先に舟に乗って驚かすか、迷いながら萃香は走り出す。

 

「ひっ…!?」

 

 その直後、後ろで悲鳴が聞こえた……ような気がした。

 しかし、それは一瞬で消え、

 

「――あら、残念ね。 私とは遊んでくれないのかしら?」

 

 新たに声が響く。

 その声に萃香が恐る恐る振り返ると、いつの間にか死神たちは一人残らず倒れ伏して動かなくなっていた。

 ただ、崩れた映姫の席の上に何事もなかったかのように一人の妖怪が座っている。

 室内にもかかわらず傘を差し、罪人を裁く席に座るにはあまりに場違いな明るい色の服を着たそいつは、見ただけで誰もが逃げ出したくなるようなその妖艶な瞳で萃香をじっと見ていた。

 

「……ああ、なるほど。 この惨状はお前の仕業か」

「あら、意外とリアクションが薄いのね」

「いーや、十分驚いてるつもりなんだがね」

 

 さっきまで半分遊び気分だった萃香の目つきが真剣になる。

 

「お前が、この異変の首謀者なのか?」

「さあ、どうでしょう」

「一体何を企んでいる?」

「さあ、何でしょう」

「……はっ、答える気はねーってか」

「いいえ、別にそういう訳じゃないわ。 ただね…」

「あん?」

 

「これから消える貴方に、それを教える意味はある?」

「っ!?」

 

 その時、辺り一帯に巨大な爆発音が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「けっこう色々ありましたね」

「ええ。 でも、勝手に持ち出してよかったんでしょうか」

「本当は駄目に決まってるんだけどね。 こんな騒ぎを起こした後なら、何をしてももう同じだろうさ」

「それもそうですね」

 

 早苗たちは既に建物を出て三途の川へ向かっていた。

 文の鞄には最近の死者名簿などの大量の資料が詰めこまれている。

 

「それにしても何だったんでしょうか、さっきの音は……?」

「多分、萃香さんが暴れてくれてるんだと思いますよ。 そのおかげで私たちの方には全然誰も来ませんでしたし」

「だけど、あの鬼も早く来ないと、待ってる間にもっと厄介な奴が来ちまうよ」

 

 文と小町は心配そうに振り返る。

 萃香の持つもう一つの能力、『萃』の力。

 それは、あらゆる者を自然と自分の周りに集めることのできる能力である。

 つまり、本来なら早苗たちが進んだ先にいたはずの、今彼岸にいる死神のほとんどが萃香一人に襲いかかっていることが予想できる。

 個体としてかなりの力を持つ死神たちに囲まれてしまえば、少なくとも文や早苗では無事に済まない脅威となることくらいはわかっていた。

 しかし、早苗は振り返らない。

 

「大丈夫ですよ、萃香さんは強いですから」

「とは言ってもねえ」

「あの人数相手では少し心配で…」

 

 文は萃香のことを噂で聞いたことはあっても、会ったのは今日が初めてだった。

 萃香の性格は文の知っている噂とは違っていた。 

 だとしたら、その暴力的なまでの力の噂も違っていてもおかしくはない。

 大丈夫だとは思っていても、文は一抹の不安を拭い去ることができなかった。

 

「萃香さん……」

「私、よく博麗神社で萃香さんに相手をしてもらうんですが、私なんていつも子ども扱いなくらい、本当にすごい人なんです。 だから、心配しなくても萃香さんは誰が相手だろうと大丈夫だって私は信じてます」

「でも、それとこれとは…」

 

「そうだそうだー。 私はまだ文に信頼されちゃいないのかい?」

 

 突然発生したその声は、何故か前から聞こえてきた。

 3人が驚いて舟を覗き込むと、萃香が先に乗り込んでいた。

 

「えっ?」

「なんだー? 文は私があんな奴らの足止めすらできないと思ってるのか」

「え、あ、いやー、私は大丈夫だと思ってましたよ、ええ!」

 

 文から不安の表情が消え、ぱあっと嬉しそうな顔になる。

 

「本当かー?」

「本当ですってば、ねえ、小町さ…」

「ほら、無駄口たたいてないで! ボヤボヤしてると追いつかれる。 全員揃ったならすぐに出るよ!」

「おおっ!?」

 

 そう言って小町は乗り込むとすぐに舟を動かし始めた。

 

「よし。 とりあえず、まずはこのまま現世まで無事に着ければ…」

「うわぁ。 小町さんいつもそれくらいテキパキ行動できればいいのに」

 

 頼りになる小町に少し気持ち悪さを覚えた文が笑いながら言う。

 

「まったく、こんなことは今日だけだよ。 あたいはこの異変が終わったら長期休暇をとらせてもらうんだ」

「何ですかその死亡フラグ!? やめてくださいよ!」

 

 すっかり危機を乗り越えた気分になって、早苗がそう言う。

 文も少しだけ緊張が解けていた。

 そして、萃香が口を開く。

 

「ははは、何だそれ。 じゃあ私も何か言わせてもらおうかな。 ……早苗、文」

「もう、萃香さんまで何ですか」

 

 文は笑いながら、冗談めかして答える。

 萃香も少し笑って、

 

「私さ……お前たちに会えて、よかったよ」

 

 そこに、また爆音が響く。

 今度は地響きで舟が揺れるほどのものだった。

 

「……え? ちょっと、おかしくないですか? だって私たちは皆もうここにいるんですよ。 なのに、なんでまだあんな音が鳴ってるんですか?」

「すまない」

「萃香さん……?」

 

 少し、萃香の体が透け始める。

 

「なっ……どうして、どうなってるんですか萃香さん!?」

「まさか……」

「もう、こっちに分身を置いとく余裕もあんまりないみたいでね」

「っ!? 小町さん、すぐに舟を…」

「戻すな!!」

 

 萃香が叫ぶ。

 また地響きが舟まで届く。

 

「……もう、遅いよ。 それにお前たちが来てどうなるものでもない。 まあ、この舟が現世に戻るくらいまでは持ちこたえてやるからさ」

「どうしてですか!? だって、萃香さんならあんな人たちに…」

「ちょっと厄介な奴がいてね。 多分、閻魔をやった犯人だ」

「えっ!? それは一体…」

 

「……風見幽香。 幻想郷に住む花の妖怪だ」

 

 萃香からその名を告げられ、早苗たちはますます混乱する。

 

「待ってください!? 幽香さんって……確かまだ生きてるはずじゃないですか! なんでここに…」

 

 小町はそれを聞いてうろたえるように言う。

 

「なんだって!? そんな、待ってくれ、そんなのあり得ないよ! だって…」

「いいから聞け!」

 

 その気迫に押され、小町が黙る。

 

「ちょっと、おかしいんだ。 あいつは確かに厄介な奴だったが、これほどの力を持ってはいなかったはずなんだ」

「え……? まさか、幽香さんも…」

「ああ、多分あいつもこの異変の影響を受けてるんだと思う。 だけど多分それだけの話じゃない。 私も何がどうなってるのかはわからないが、ただ一つ言えることは、これは今の時点でわかってるような単純な異変じゃないってことだ」

「ちょっ、待ってください! 一体どういうことですか!?」

「……だから、それを調べるのがお前たちの役割だ」

「役割って……」

 

 萃香は答えない。

 今にも消えそうなその顔で、ただ微笑んでいる。

 

「……なら、萃香さんも一緒に来てください」

「お前たちの役割がこの異変の解決なら、私の役割は今お前たちを無事に逃がすことだ」

「私たちだけじゃ無理なんです! だから…」

「無理じゃないさ、お前たちなら…」

「萃香さん!!」

 

 早苗が叫んだ。

 その目には涙が滲んでいる。

 

「そんなことを……そんなことを言ってるんじゃないんです。 私たちは、萃香さんと一緒に行きたいんです」

「……」

「私たちには、萃香さんが必要なんです」

「……」

「何とか言ってくださいよ、萃香さん」

 

 早苗は、縋るような目で萃香に訴えかける。

 文と小町は、何も言えずに佇んでいる。

 そして、萃香が口を開いた。

 

「いいんだ、その言葉だけで十分だよ」

「いい訳ないじゃないですか!」

「言っただろう、早苗。 私はお前たちに会えてよかったって。 それが、本当に私が今思う全てなんだ」

「全てって…」

 

 萃香は少し間を置いて舟の端に一人歩き出す。

 誰の方を見るわけでもなく、ただ一人その暗く淀んだ空を見上げながら言う。

 

「……文も知ってると思うけどさ、私たち鬼は昔はそりゃひどい奴だったんだよ。 自分たちが誰よりも優れてると思い込んで、力を振りかざすだけの最低な奴らさ。 その中でも、私はとびっきりのクズだったよ」

「え……?」

「でも、そんな私も完膚なきまでに打ちのめされたことがあってさ。 それ以来考えるようになったんだ、私から力をとったら一体何が残るんだろうって。 ……そしたら、初めてわかったんだ。 皆が私たちを嫌っているんだって、私は孤独なんだって」

「……」

「だけどさ、私はそんなのが嫌だったんだ。 だから、私は変わろうと思った。 もう今までみたいなことはしないって誓った。 ……でも、もう遅すぎたんだ。 結局もう、誰も私を必要とはしてくれなかった」

 

 紫とも長い付き合いだし、地底にも、妖怪の山にも、知っている相手は割といるはずだった。

 だが、ただそれだけだった。

 今さら変わろうとしたところで、萃香は誰にとっても別に必要ではない、いてもいなくてもそれほど変わらない存在にしかなれなかった。

 紫も霊夢も魔理沙も、誰も萃香を本当に必要としてはくれなかった。

 

「そんなことは…」

「大丈夫、そんなことはないことくらいわかってるよ。 でも、私が本当に欲しかったものは違うんだ。 あの妖精たちみたいに、どんな時でも無条件で自分を受け入れてくれる、必要としてくれる、そんな仲間がずっと欲しかったんだ。 だから……」

 

 萃香は思いっきり笑って振り返る。

 

「早苗が私を誘ってくれて嬉しかった。 昔のことを気にせずに、文がこんな私を認めてくれて嬉しかった。 そんな風に……私のために泣いてくれて嬉しかった」

「萃香さん……」

「私は今日、やっと出会えたんだよ。 ずっと待ち望んでいた、夢にまで見た本当の友達ってやつに」

 

 それが、純粋な萃香の気持ちだった。

 こんな気持ちのままなら、このまま終わってしまってもいいと思った。 

 ただ、それだけだった。

 

「だから、私はもう満足なんだ。 もう、私なんかには勿体ないくらい、お前たちにはそんな気持ちをもらったから。 だから、最後に…」

「っ……いやです!!」

 

 文が俯いたまま叫ぶ。

 

「射命丸さん?」

「……まったく、これだから鬼は嫌いなんですよ」

「え……?」

「最後だとか、ずるいんですよ。 いつも……いつもいつもいつも、勝手にそんなこと言って!!」

 

 そう叫ぶ文自身も、そんな口を聞いている自分がいることに驚いていた。

 今までずっと、鬼に向かって言いたいことを言ったことなどなかったのだから。

 

「私だって!! ……私だって、やっと会えたんです。 鬼が怖いって、鬼なんて嫌いだって、今までずっとそう思い続けてきたのに!」

「文……?」

「今までずっとそう思って生きてきたのに! 今になって初めて、やっと……やっと……!!」

 

 そして、涙と鼻水でくしゃくしゃになったその顔を上げて、

 

「本当に、心の底から好きになれたのに……」

 

 掠れた声でそう言う。

 文はいつものように話すことができない。

 ただ、考えず思いのままに、全てを吐き出す。

 

「……戻ってきてくださいよ、萃香さん。 私に希望を持たせた責任、とってくださいよ。 私の友達はこんなに強くて優しいんだって! そう、皆に自慢させてくださいよ……」

 

 萃香は何も言えなかった。

 こんなにも自分のことを想ってくれる相手になんて会ったことがなかったから。

 それも、2人も同時に。

 だから、どう答えていいのかわからなかった。

 ただ、その目からは生まれて初めて涙が零れ落ちた。

 

 戻ってくることを諦めていた訳ではない。

 鬼というのは、もともと退治されることを前提とされた存在であるが故、自らの死の瞬間を潔く受け入れてしまうという、独自の倫理観を持つ種族なのだ。

 だから萃香は本質的に、ただみっともなく逃げてくるよりも、こんな気持ちのままこの2人を護って消えられたらそんなに幸せな人生はないと思ってしまうのだ。

 

「そうだな」

 

 だが萃香は今、その自分の倫理観を超えて、初めて生きたいと思った。

 またこの2人と共に、笑いあいたいと。

 

「私は……――――っ!?」

 

 しかし、無情にも萃香の姿は加速的に消えていった。

 

「萃香さん!?」

「……ははは、ごめんな」

 

 ――ああ、勝てなかったか。

 

 ――バカだな、私も。

 

 ――始めから本気でやっていればだなんて言い訳するつもりもないけどさ。

 

 ――だけど、それでも……

 

 突然、萃香はまるで自嘲するかのように笑って言う。

 

「そうさ。 私は……鬼は自分勝手な生き物なんだ。 文だってよく知ってるだろ?」

「……」

 

 その時、萃香は初めて自分の弱さを呪った。

 そして、初めて自分の強さを誇りに思った。

 今まで誰に勝っても心の底から嬉しいと思ったことはなかったし、誰に負けても本当に悔しいと思うことなんてなかった。

 勝ち負けなんてものは、全て自己満足に過ぎなかったから。

 

「勝手だって思われたっていい。 だけど、私はただそんな風に私のために泣いてくれた最初で最後の大切な人たちを護りきって……最後に見せる姿くらい、私らしく見せたいんだよ」

 

 だけど、今初めて本気で思った。

 口ではこんなことを言っていても、本当は勝って2人の所に戻りたかったと。

 ……そして、たとえその願いが叶わなかったとしても、この2人を護りきったことこそが、自分の人生の中で何よりも大きな勝利だったのだと。

 

「萃香さん……」

「だから、私は最後まで鬼らしく、勝手に言いたいことだけ言って勝手に消える。 それが私だ。 それが、私の最後の望みだ! だから……早苗、文!!」

「っ……はいっ!」

 

 早苗も文も、それが萃香のただの強がりであるとわかっていた。

 だけど、もう何も言い返さなかった

 もう、何も言い返せなかった。

 萃香が望んだ最後の時間を、無駄にしたくはなかった。

 ただ、その涙をためた目でじっと萃香の目を見つめる。

 

「何度でも言う。 お前たちに、無理なことなんてない!」

「…はい」

「霊夢に勝てない? 鬼が怖い? そんな自分で決めた固定概念に惑わされんな!」

「っ……はぃ」

 

 早苗も文も、かすれて声が上手く出ない。

 目がかすんでもうその姿を見ることもできない。

 ただ、萃香はそんな2人にゆっくりと近づいていく。

 

「……お前たちは誰よりも強くなれるって、何だってできるって、私が保証する。 だから――」

 

 そして最後に、その小さな手を2人の頬に添えて、

 

 ――頑張れ

 

 そんな声が聞こえた気がした。

 もう萃香の姿はどこにもなかった。

 ただ、最後の萃香の顔は最高の笑顔だったと思う。

 

「……」

「行こう」

 

 小町が呟くように言う。

 小町にも、早苗と文の気持ちは痛いほどわかっていた。

 だからこそ、その最後の時間を邪魔したくはなかったから今までずっと黙ってきた。

 だが、もうその時間は終わったのだ。

 

「小町さん……」

「みっともない顔見せんなよ。 あいつの気持ちを、無駄にすんな」

 

 少し前に映姫を失ったはずの小町がもう前を向いているのだ。

 自分たちだけが感傷に浸っている訳にはいかなかった。

 

「……はい」

「行ってきます、萃香さん」

 

 自分の頬に、まだ微かに温もりを感じる。

 ただそれだけで、早苗と文は前を向くことができた。

 

 いつの間にか、舟はもう現世側の陸に着いていた。

 

「ほら、行きな。 こんな異変、さっさと解決するんだろう?」

「小町さんは…」

「あたいには少し、やることがある」

 

 小町は三途の川の方を向いたまま、振り向かずにはっきりとそう言った。

 

「そう、ですか」

「ああ」

 

 だが、早苗も文も、何をとは聞かなかった。

 聞いてどうするというのか。

 たとえ聞いたとしても、自分たちが小町を手伝う、なんてことには多分ならない。

 そして、恐らくもう小町は決めているのだ。

 だから、一緒に来てくれだなんてことも言えるはずがない。

 それはきっと、小町の進む道ではないのだから。

 

「……わかりました。 行きましょう、早苗さん」

「はい」

 

 何を言うわけでもなく、そのまま舟を降りて歩き出す。

 もう、2人は振り返らない。

 挨拶すらなしに、その姿はゆっくりと霧の向こうへと消えていく。

 それでも、小町も振り返らない。

 ただ、海岸から遠ざかるその背中だけが小さくなっていった。

 

「……行った、か」

 

 一人そう呟く小町を乗せたその舟は、ただ水の上を漂っていた。

 どこへ向かう訳でもない。

 死の香りのする霧が充満する川を、一隻だけで漂っている。

 

「……はーあ、なんでだろうね」

 

 小町のその声は、またいつものような面倒そうな声だった。

 だが、いつものように気怠そうな顔でため息をつく小町の目は、どうしようもないくらい確かに生きていた。

 

「あたいにまだ悲しいって感情なんかがあっただなんて……それに、あたいがこんな奴だったなんて、考えたこともなかったよ」

 

 一人そう呟く小町は、笑っていた。

 その笑いを声には出さずとも、ただ自らを嘲るような笑みを浮かべていた。

 

「あたいはずっと一人で、誰も信用せずに、適当に、何も考えずに、ただ寝て、サボって、時間を無駄に浪費するだけの奴だと思ってたのにさ……」

 

 そこに、突如として異変が現れる。

 静かな、何もない川が、次第に大きく波打ち始める。

 いつだって避けてきた、嫌だったその面倒事が目の前で起こっていく。

 

「これだけ長く生きてきたつもりなのに、今更になってたった一日でそんなことに気付かされるだなんて」

 

 だがそれでも、小町は笑ってその先の虚空を見つめて――

 

「本当に……面倒でしょうがないよなあ!!」

 

 小町がその背に括っていた大きな鎌を振るのとほぼ同時に現れた光の束が、その鎌に断ち切られ二つに割れて消えていく。

 それが合図だったといわんばかりにまた無数の光が小町を襲う。

 だが、その光は全て小町を避けるように曲がり、霧の彼方へ消えていく。

 

 そして、その隙間を縫って舟上の小町の首を獲りに来た腕さえも――

 

「っ!? 結界、かしら?」

 

 気付けば舟から遠く、引き離されていた。

 

「結界? そんなのあたいは知らんよ。 ただ単にお前さんがビビッてあたいから離れすぎただけだろう?」

「……安い挑発ね。 死神には三途の川の構造を変える力でもあるのかしら」

「さあね、ご想像に任せるよ」

 

 そこにあったのは、全身に傷を負い、身体の多くの部分を引き千切られながらも五体満足で小町の前に立つ幽香の姿だった。

 突然現れて当然のように小町の首を刎ねようとした幽香は苛立ちを含む声でそう吐き捨てるが、小町はその笑みを崩さない。

 

「まあ、でも正直言うとそんなことには興味ないから、とりあえずさっさと消えてくれるかしら。 さっきからこの川を渡りきれなくて困ってるのよ」

「そもそもただの妖怪はここを渡れないものさ。 それに消えるも何も、ここはあたいの領域だ。 消えるのはそっちだろう?」

「死神風情が随分な口を聞くものね。 貴方は……確か、閻魔の腰巾着だったかしら」

「……ああ、そうさ。 うちの上司が随分と世話になったみたいで」

「そうね。 こっちも昔、随分と世話になったわ。 でももう用済みよ――あいつも、貴方も」

 

 そう言うと、再び幽香の持つ傘から閃光が放たれる。

 その目には警戒の色などない。

 幽香は小町をただの虫ケラ程度にしか思っていなかった。

 一瞬で全て消し去った死神たちと同じように。

 だが……

 

 ――死歌『八重霧の渡し』

 

 薄暗い三途の川に日が昇ったと思えるほどの明るい光と共に、辺り一帯の霊魂が一瞬で消し飛ぶ。

 普通の死神なら、もう終わっているはずだった。

 さらに言えば、そこにいるのは普通の死神ですらない。 

 三途の川の癌とまで言われた、誰よりも怠け者の死神のはずだった。

 

 しかし、消え去ったのは全て幽香の正面にいる霊魂たちだけだった。

 幽香の首にはいつの間にか背後から大きな鎌が突きつけられている。

 

「……おやまあ。 お前さん、厄介な力を持っているようだねえ」

「――っ!?」

 

 小町の鎌は、幽香の首擦れ擦れのところで、得体の知れない何かに阻まれていた。

 それに気づいた幽香は反射的に腕を振り上げ、鎌の刃を圧し折る。

 

「なっ!?」

 

 簡単に折れるはずのない死神の鎌を、木の枝でも折るかのように無造作に破壊されたことに驚き、小町は再び幽香から大きく距離をとる。

 だが、武器を折られた小町以上に、幽香が取り乱していた。

 

「お前は――っ」

 

 ――本当に、ただの死神なのか!?

 

 その声はもう、出ていなかった。

 

 普通の死神ならもう終わっているはず。 

 だが、小町は普通の死神ではなかった。

 

 他の死神に溶け込め切れないはぐれ者。

 真面目にやればほとんどのことは自分一人でできてしまう。

 適当にやってもエリート扱い。

 昼寝して、霊とおしゃべりして、サボってサボってサボって、ようやく一人前。

 いつしか妬まれ孤立し、その結果周りに合わせるために適当にサボることばかりを身に着けてしまった死神。

 それが、小野塚小町という優秀すぎた死神なのだ。

 

 だが、そんなことを幽香は知る由もない。

 屈辱。

 屈辱屈辱屈辱屈辱屈辱屈辱。

 

 ――アレが無ければ、私が敗けていたと? 閻魔でも、鬼ですらない、ただの死神ごときに?

 

「……あはは、ははははははははははは」

 

 幽香は無機質な笑い声を響かせながら、圧し折った小町の鎌を握力だけで砕く。

 粉々になった刃が手の平をズタズタに切り裂いていたが、幽香はそれを気にも留めていないかのようだった。

 その心に湧いていたのは怒り。

 何に対するものなのかもわからない。

 ただ全てが殺意の衝動に侵されていく。

 そして、

 

「――殺すわ」

 

 突如として幽香の姿が消える。

 

「ぐっ!?」

 

 小町の体からは、いつのまにか血が噴き出していた。

 それに気づいた小町は、目の前に迫る攻撃を直感だけで避け、受け止め、受け流す。

 視界の全てを覆うような殺気の嵐。

 突き出された腕が少しでも掠った部分の肉片が飛び散る。

 時々放たれる閃光に触れた部分は、焼けて崩れ落ちる。

 徐々に上がっていく幽香の速度に、流石の小町も全てには反応しきれない。

 その『距離を操る能力』を使おうにも、何がどこから来るのか予測できない。

 目の前にあるのは相手を殺すことだけを考えた、洗練された動き。

 油断も、冷静さすらなくただ破壊を繰り返すその動きは、徐々に小町を追い詰めていく。

 

「あぐっ……こりゃ、本格的に、マズいねぇ」

「このっ……消えろ消えろ消えろ消えろ消えろっ!!」

 

 既に、小町の表情から笑みは消えていた。

 だが、明らかに死にかけの小町よりも、小町との戦闘では未だ一撃も食らっていない幽香がだんだん精神的に追い詰められていく。

 幽香は一瞬で終わると思っていた。

 小町に考える余裕すら与えないままに、終わらせるつもりだった。

 それにもかかわらず、小町は未だに幽香の猛攻をギリギリのところで耐えきっているのだ。

 そのことが、幽香のプライドを必要以上に刺激する。

 

「ただの死神風情が、私と対等とでも思っているの? 勘違いも甚だしいわ!」

「あの鬼すら倒したお前さんとあたいが対等だなんて、そんな訳ないだろう? 普段のあたいならとっくに諦めて死んでるさ」

「なら死ね。 みっともなく地に伏して、そして跡形もなく消え去れ」

「……ああ、それは魅力的な提案だねえ。 できればそうして、釜茹で地獄にでも浸かってゆっくりしたいところだ。 だけど――」

 

 幽香の腕が、小町の中心線を捕える。

 それを察知したわけではない。

 ただ偶然、不意に小町が放った弾幕が、幽香の腕を僅かに逸らす。

 確実に心臓を獲りに伸ばしたその腕にわき腹を貫かれるも、それでも小町は僅かに即死を免れた。

 そして、幽香の腕を掴んで――

 

「なっ……ここ、は?」

「――だけど、お前さんは手を出しちゃいけない人に手を出した。 あたいを怒らせる、たった一つの手段をとった」

 

 小町はそのまま、その能力を使って幽香を三途の川の果てへと連れ込んだ。

 さっきよりもさらに暗く、淀んだ空気の漂う川。

 その雰囲気に驚いている幽香の一瞬の隙をついて自分のわき腹からその腕を引き抜き、再び小町は幽香から距離をとる。

 そして、そこに存在する、永遠の迷路に取り残された絶望を抱えた霊魂たちを、小町は自らの周囲に集めて言う。

 

「だから、あたいはお前さんを許さない。 どんな手を使ってでも地獄に送ってやるさ」

「……はっ。 貴方に、それができるとでも?」

「別にあたいが直接手を下せなくてもいい。 三途の川の最果て――どんな強力な妖怪だろうと、ここから生きて帰れる奴なんていないからね」

「私を貴方ごときの物差しで図らないでくれるかしら。 ……それに、たとえ私一人を止めたところで、それでこの異変が終わるとでも思って?」

「……ああ、どうせそんなこったろうと思ったよ。 でも、あたいはお前さん一人止められれば別にいいのさ」

「何?」

「あたいはただ、ここで自分勝手な復讐心を果たしたいだけだ。 異変のことはあたいじゃない、あいつらが何とかする。 こんなあたいを信じて助けた、あのバカ共がきっとな!」

 

 小町の口元には、腹部の傷から上がってきた血が溢れていた。

 致命傷ともいえる負って多くの血を失い、既にその顔色は青ざめて弱り切っていた。

 だが、それでも小町は懐から一枚のスペルカードを取り出し、幽香に向かって宣言する。

 

「だから、諦めな。 ここを切り抜けられようと切り抜けられまいと、お前さんが乗っちまった舟は片道切符の地獄行きさ。 どう足掻こうと二度と日の目を見ることなき無間地獄、せめてこの僅かな間だけでもあたいと一緒に踊ってくんなあ!!」

 

 そして、無限の距離という名の監獄の中で、小町は再び不敵に笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう三途の川は見えない。

 気付けば、いつの間にか速足になっていた。

 どこへ行くつもりかも決まっていないが、自然と2人の足は同じ方向を向いていた。

 

「これから、どうしましょうかね」

 

 文が一人、ポツリと呟いた。

 それを誰に向けて言っているのかはわからない。

 ただ、文は何かを後悔するような、それでも何かを信じているような複雑な顔をしていた。

 

「……そうですね」

 

 早苗が不意に立ち止まる。

 そして、早苗も文と同じように一人呟く。

 

「私は、守矢神社に戻ろうと思います。 確認しておきたいことがあるので」

「守矢神社、ですか……」

 

 文がまた少し言葉を濁す。

 早苗がそう言うだろうことはわかっていたというのに。

 その足は、最初からその方向を向いていたというのに。

 それなのに、ただそんな言い方をする文に、早苗が反応する。

 

「どうしましたか? 私が守矢神社に行くことに、何か問題でもあるんですか?」

「いえ……」

 

 そう言う早苗の声はいつもよりも落ち着いた声だった。

 言いよどむ文に対して、早苗はいつになく真剣な表情で言った。

 

「射命丸さん、私もそこまでバカじゃありません。 神奈子様と諏訪子様が、それに射命丸さんが私に何か隠してることくらいわかってます」

「早苗さん……」

「私は今まで、本当は怖かったのかもしれません。 神奈子様が、諏訪子様が、この異変に関わっているかもしれないと思いながらも、真実を知ってしまうことが怖くて……2人と対峙することが怖くて、ずっと逃げていました」

 

 早苗は俯いたまま、ただ懺悔するかのように言う。

 それは、早苗が初めて文に打ち明けた自分の弱さであった。

 そんな弱さは文も、早苗さえも、ずっとわかっていたことである。

 それでも、今までずっと、口に出してその弱さに向き合うことができなかった。

 

「……だけど、私はもう逃げません」

 

 早苗はその目に溜めた涙を切って顔を上げた。

 

「たとえ誰が何をしていようとも、私がこの異変を解決してみせます。 私なら何だってできるって言った、萃香さんの言葉を幻想にしたくはありませんから!」

 

 そう言う早苗の目は今までのような興味本位や不安の目ではない。

 確固たる信念を持って文の目を見ていた。

 そして、文はゆっくりと口を開く。

 

「わかりました」

 

 文は今までのような冗談めかした態度ではなく、本気で早苗を見据えて言った。

 

「……守矢神社への道すがら、お話ししましょう。 妖怪の山で今進められている、破邪計画のことを――」

 

 

 


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