東方理想郷 ~ Unknowable Games.   作:まこと13

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第33話 : 崩壊

 

 

 

 

「……何だ。 お前も、一人なのか?」

 

 記憶の海で、ふとそんな声が聞こえた。

 それは、一体誰の声だったのか。

 その時の自分にとって、印象的な記憶だったことだけはなぜか覚えている。

 だが、最近の出来事だったはずなのに、その他に何も思い出せなかった。

 最近のこと。

 ならば、恐らくは幻想郷での記憶。

 だが、幻想郷に来てからは、別に孤独ではなかった。

 いついかなる時も、自分を見捨てず傍に居続ける人がいたから。

 なのに、一体どうして一人だったのか。

 その記憶すらも、既に霞がかっている。

 

「はーっ。 私が言うのも何だけど、つまんない奴だな、お前」

 

 つまらない。

 そう言われたことは、微かに覚えていた。

 ごく最近。

 光の欠落した異空間で聞いたはずの、魔法使いの言葉。

 だが、彼女はこんな気さくな声ではなかったはずだった。

 ならば、これは一体誰の声なのか。

 

「じゃあさ。 だったら―――」

 

 その後に、その声は何を紡いだのだろうか。

 

 思い出そうとは、しなかった。

 どうでもよかったから。

 どうでもよかったから。

 どうせ、すぐに忘れる記憶だから。

 どうせ、すぐに意味のなくなる記憶だから。

 だから、もう関係ない。

 これから消えてなくなる自分には、関係ない。

 この、最後の歴史を終えたのならば……

 

『諦めないで』

 

 ――五月蠅い。

 

『ふ■けないでよ!』

 

 ――五月蠅い五月蠅い五月蠅い五月蠅い!

 

『もう■度く■い、■■りな■い■』

 

 ――もう、放っておいてよ。

 

『逃■■■■!』

 

 ――もう、終わりにするから。

 

『■■■■、■■■■■■■■』

 

 ――私にはもう、関係ないから。

 

『■■■■■■、■■■■■■■』

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■』

 

 ――誰か。

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■』

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■』

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■』

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■』

 

 ――お願いだから。

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……誰か、助けてよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東方理想郷 ~ Unknowable Games.

 

第33話 : 崩壊

 

 

 

 

 

 

 

「霊符、『夢想封印』!!」

 

 その弾幕は、美しかった。

 薄暗く殺風景な空間を、見惚れてしまうほど華々しく照らしていた。

 だが、それは同時に美しさを遥かに超える残虐さを持ち合わせていた。

 地に落ちた弾幕が、ただ破壊するのではなく、存在そのものを飲み込むかのように大地を消滅させていく。

 虚空に漂う弾幕が、空気をも喰らって星の生命を途絶えさせていく。

 

「……と、これは思った以上に持って行かれてるみたいね」

 

 それでも、最初にその存在を喰らわれたはずの輝夜の身体は、いつの間にか元に戻っていた。

 霊夢の『封魔陣』をくらって右肩を消し飛ばされたはずの輝夜は、自らの『須臾を操る能力』を使って一瞬の内に自害してから生き返ったのだ。

 方法は簡単。 自分の鼓動の速さ「のみ」を1万倍に圧縮することで、異常な血圧変化を起こして心臓を破裂させるだけ。

 そして、死ぬと同時に蓬莱の薬の力で生き返り、消し飛んだ半身を再生した、ただそれだけのことだった。

 だが、普通ならば万全の状態に戻るはずなのに、輝夜は自分の生命力の多くが失われたように感じていた。

 霊夢のスペルを避けようとする自分の身体が、自分のものではないかのようにうまく動かないことに気づいていた。

 それが、蓬莱人にとっての正しい意味での再生ではなかったから。

 再生したというよりはむしろ、消し飛んだ半身の部分へと自分の魂の一部が移ったと言った方が正しいのだ。

 

「私の力が……いえ、存在そのものが希薄になってるのかしら。 なるほど、本当に完成させてたってことなのね」

「何を、さっきからぶつくさ言ってんのよ!!」

 

 辺りに降り注ぐ銀河の粒が視界を覆い、存在する何もかもを喰らい尽くしていく。

 霊夢の力は、確かに不死者をも真に殺し得るものであった。

 蓬莱の薬を飲んだ輝夜ですら、それに何度も当たれば自分がこの世から跡形もなく消え去るだろうことを知っていた。

 だが、妖怪も神も、不死者ですらも抗えない死をまき散らしている霊夢の目には、全く迷いはなかった。

 その理由を、輝夜は理解していた。

 霊夢も、限界なのだと。

 心の弱い人間の子供が、全てを失った絶望と明日来る自らの死を簡単に受け入れられるはずがない。

 それは、ただの錯乱。

 せめて目の前の不死者を死なせてあげることだけが、自分の最後の使命なのだという勝手な思い込み。

 だが、輝夜が簡単に死ぬことはなかった。

 

「それにしても、意外ね。 少しくらい手加減するもんだと思ってたけど」

「はあ? 手加減?」

「そうよ。 私なんかを相手に、霊夢がそこまで全力だなんて…」

「そんなの、私の方すら見ずに避けながら言われても説得力ないのよ!!」

 

 本来なら、もう終わっている頃だった。

 霊夢がこれまで何度か勝負をしてきた輝夜の実力を考えるのならば、とっくに終わりにできているはずだった。

 今までのスペルカード戦での輝夜は、確かに弾幕を放つ側としては少しは強敵だが、避ける側としてはあまりに未熟だった。

 更に言えば、放つ弾幕もただ財宝の力に任せていただけの、単調な弾幕。

 故に、その攻略法を見つけてしまえば、弾幕ごっこで魔理沙にも早苗にも、何度も負けるのを見かけていた。

 だが、その勝負を霊夢はいつも苛立ちながら見ていた。

 魔理沙たちが本気で放っている弾幕に、輝夜が誠意をもって立ち向かっているようにはどうしても見えなかったから。

 

「それが、あんたの本気って訳ね」

「そんな怖い声出さないでよ、何か私が怒らせるような事でもした?」

「……そういうところが、ずっと嫌だったのよ。 あんたの、人を小馬鹿にしたようなその態度が」

 

 霊夢は内心、どうしても輝夜を好きになることができなかった。

 だが、それは別に嫌いになる出来事があったという訳ではなかった。

 

 多くの妖怪は高慢な性格でもって相手を見下す。

 自分の優位性を隠すことなく、圧倒的な力でもって人間を蹂躙しようとしている。

 だが、たとえ乱暴でも、自分というものを持ったその生き方は、少しなりとも霊夢は好感が持てた。

 一方で、輝夜のそれは相手に対して自分の優越感も劣等感も欠片さえ出すことなき、一種の「無関心」。

 目の前の一切に意味すら感じていないかのような、ただ上辺だけをなでた振る舞いが、その冷めた心の底がどうしても好きになれなかったのだ。

 

「それに、あんただけじゃないわ。 どうせ永琳にしろ、本気で私たちのことなんて見ちゃいなかったんでしょ」

「あら、別にそんなことないわよ。 私たちは…」

「嘘よ。 だってあんた、月の姫君ってことは要するに依姫の前任ってことでしょ? そのあんたが、あの程度な訳がない。 本当はいつも適当に皆をあしらってたことくらい、わかってんのよ」

 

 月の使者のトップに君臨する姉妹の一人、綿月依姫。

 それが、スペルカードルールにおいて霊夢を最強ではなく、幻想郷最強という枠に閉じ込めている原因だった。

 初めてのスペルカードルールで、それでも霊夢を破った相手。

 そして、霊夢が最後まで勝つことのできなかった、唯一の相手だった。

 

「あー、まぁ依姫は昔から空気読めない子だったからね。 でも、依姫と私は立場的に全く別物だったんだけど」

「でも少し考えれば、少なくとも依姫が師匠と呼んでた永琳が手を抜いてたことくらいわかるでしょ」

「そうね。 はい、スペルカードブレイク」

 

 そして、今の攻防を見れば、輝夜が今まで全く本気になっていなかったことなど、一目瞭然だった。

 どれだけ速く複雑に絡み合った軌道を描く弾幕を放とうとも、のんびりとそれを見てから後出しで避けているその動き。

 霊夢のように直感で導く隙間を潜り抜けるのとは違う、理論的な道筋。

 まるで極端にスローモーションにされた世界の中で避けやすい軌道だけを正確に選び続けているかのように、輝夜は何の危な気もなく霊夢の本気のスペルを避けきったのだ。

 しかも、『夢想封印』は2枚目のスペルではない。

 3つのスペルの内、輝夜に当てることができたのは最初の『封魔陣』の不意打ちだけだった。

 『二重結界』をいとも簡単に破られ、満を持して放った『夢想封印』が、あっけなく全てかわされてしまったのだ。

 

「じゃあ、次は私の番ね。 スペルカード宣言、神宝『ブリリアントドラゴンバレッタ』」

 

 そして、次の瞬間に放たれたそれも、今までに霊夢が勝負した時とは比較にならなかった。

 5色の軌道を描く光の弾と、その軌道を射し抜く閃光が複雑に絡み合って、視界を埋め尽くしていく。

 迫り来る弾幕に、身体を僅かに掠めながらとっさに避けた霊夢は、思わず笑った。

 

「っ……何よ、本当に嫌な奴ね、あんた。 そんなにわかりやすく本気出してくれちゃって!」

 

 それは、かつて霊夢が輝夜と勝負した時に最初に見た弾幕と似て非なるもの。

 『龍の頸の玉』という財宝のレプリカに頼り切っていたはずの、難易度としてはそれほど高くなかったはずの弾幕。

 それに輝夜自身の力、『永遠と須臾を操る能力』を込めることで生まれた速度の緩急が、霊夢の感覚を狂わせていく。

 本来ならば、数秒と経たずに誰もが軌道を見失うはずの弾幕。

 だが、それに簡単に被弾してしまうほど、霊夢もまた甘い相手ではなかった。

 

「なら、お礼と言っちゃ何だけど、私も手加減なしで行くわ」

 

 霊夢は、目を閉じた。

 視覚を遮断するという行為がどれほどのリスクを負うことなのか、霊夢は重々に承知している。

 それでも、霊夢は自らの「第六感」に身を任せるために、他のあらゆる感覚をシャットアウトしていく。

 霊夢の持つ、『空を飛ぶ程度の能力』。

 自分を取り巻くあらゆるものと感覚を共有し一体となることで、空を誰よりも近くに感じ取る能力。

 大気の速度。

 霊力の濃淡。

 光の呼吸。

 時の流れ。

 あらゆる概念を自分の感覚と融合して取り込み、自らの内の世界から聞こえる「声」に導かれるままに、霊夢は再び開眼する。

 そして、輝夜の秘宝の力が埋め尽くす空に向かって、霊夢は迷わず飛び込んだ。

 

「……へぇ」

 

 輝夜は感嘆の声を漏らす。

 普通なら、あまりに複雑な軌道に怯んで距離をとってしまう弾幕。

 だが、それは一歩でも退けば逃げ道を断たれる、不可避の迷宮。

 霊夢はそこに、躊躇なく飛び込んだ。

 押し寄せる弾幕の隙間に針の穴を通るように身を縮めて素早く特攻し、それを潜り抜けた次の瞬間には身を逸らし、迫りくる閃光を背の皮一枚で掠めていく。

 ほんのコンマ1秒ずれれば、ほんの1センチでもずれれば被弾してしまうはずの弾幕の嵐を、それでも霊夢は完全に避けきっていた。

 

 スペルカードルールは、妖怪と人間が対等に戦えるルールである。

 それが、表向きのスペルカードルールの存在意義のはずだった。

 だが、それは所詮ただ聞こえのいい、そのルールにおける強者に都合のいいだけの話。

 目の前にある、あまりに美しく弾幕を避けていく霊夢の姿は、そのルールの圧倒的な不平等さを浮き彫りにさせる。

 妖怪という強者に立ち向かうためのはずのルール。

 それでも、そのルールは妖怪と、たった一人の人間の力関係を完全に逆転させてしまった。

 スペルカードルールにおける圧倒的なアドバンテージを持った霊夢という絶対的強者の存在は、最高位の妖怪をして弱者に成り下がらせる。

 美しい者が勝つというルールは、結局はその美しさを持つ者だけが勝てるルール。

 言ってしまえば、度を過ぎて美しすぎるその動きは、このルールにおいてはただの一方的な暴力でしかなかった。

 スペルカードルールで本気の霊夢と戦ってしまったのなら、それだけで並大抵の妖怪の心は簡単に折れてしまうだろう。

 本来なら簡単に蹂躙して然るべき人間を相手に、勝てる訳がないと一目で理解させられてしまうから。

 

 だから、霊夢はその『空を飛ぶ程度の能力』に本気で身を任せて勝負したことはほとんどなかった。

 あまりに圧倒的すぎる力の存在は、幻想郷でスペルカードルールを浸透させる妨げになりかねないから。

 今まで手を抜いていた輝夜のあり方に不平を言いながらも、霊夢もまた本気を出そうとはしてこなかったのだ。

 

 ――でも、あんたなら最後に私を本気にさせてくれるのかしら。

 

 だが、今だけは博麗の巫女の重圧から外れて、霊夢はその遊びにのめりこんでいた。

 久々に、本当に全力で勝負ができる相手に巡り合えたから。

 この状況で、弾幕ごっこを楽しむかのように少しだけ笑っていた。

 

 ――貴方は、最後に少しくらい楽しませてくれるのかしらね。

 

 そんな霊夢を見て、輝夜もまた少しだけ嬉しそうな笑みを浮かべた。

 その退屈を、わかってくれる相手がいなかった。

 いたとしても、自分を楽しませてはくれなかった。

 圧倒的な力というもののつまらなさを身に染みてわかっている輝夜だからこそ、今の霊夢は何よりも美しく見えた。

 

 だからこそ輝夜は、今になって初めて、手加減を捨てて『スペルカードルール』に臨み始めた。

 

 霊夢ならば、このくらいで終わったりしないという期待ができたから。

 弾幕ごっこというものを真に楽しむように、輝夜は本気になった。

 自分の持つ「能力」に頼るだけではなく、異世界そのものから溢れ出してしまうほどに内なる霊力を暴走させていく。

 

「――――っ!?」

 

 それとともに、世界の呼吸が乱れる。

 あまりに強大な弾と、その陰に隠れた矮小な弾。

 高速で迫り来る弾幕と、タイミングをずらして感覚を狂わせる鈍い弾幕。

 霊夢を取り巻くあらゆる流れが狂ったように変化し続け、悲鳴を上げる空間の歪みが霊夢の動きを鈍らせていく。

 鈍らせた、はずだった。

 

「……あはっ」

 

 輝夜は今度こそ本当に嬉しそうに笑った。

 霊夢はその変化に、苦悶の表情を浮かべながらも適応していく。

 避けられるはずのない弾幕の流れも、完全に見切っていく。

 強大すぎる力も、その歪みすらも、今の霊夢にとっては全てが自らの一部に過ぎないのだ。

 

「スペルカード、ブレイクね」

 

 そして、辺りの光は消え去った。

 霊夢はボムを使うことすらなく、輝夜の本気の弾幕を最後まで避けきったのだ。

 それを見ていた輝夜は、再び静寂を取り戻したその世界で、子供のような笑みを浮かべていた。

 

「ふふふ。 楽しいわね、霊夢」

「……」

「最後にこんな心躍る遊びができるだなんて、思ってもみなかったわ」

 

 だが、そう言う輝夜に、霊夢は反応しない。

 いや、反応することができなかった。

 

 輝夜が本気になり始めてからは、霊夢に余裕など一切なくなっていた。

 あまりに高い難度の弾幕を前に、霊夢はそれが今の自分の力だけでは避けきれないものであると瞬時に悟った。

 だから、自らの中に眠る邪神の力さえ解放して身体能力を高めることで、無理矢理動きを繋いで避けていたのだ。

 本来ならば、とっくに被弾して終わっている。

 虚勢を張りながらも、今の霊夢はもはや輝夜の声すらもまともに聞こえているか怪しい、出し得る100%を遥かに超えるほどの「全力」だった。

 

 それでも、霊夢は立っていた。

 自分がずっと恐れていた力に全て身を任せてまで、この勝負を続けようとしていた。

 だが、それは別に、負けたくないからではない。

 ただ、聞こえてしまったから。

 

 

 ――■■、■■■■

 

 

 本当は、そんな目的などなかったはずなのに。

 自分たちの他に何一つ無いこんな世界で、その『空を飛ぶ程度の能力』を使いすぎてしまったために。

 あまりに世界と近く結びついてしまったせいで、その悲鳴が聞こえてしまったから。

 

「……来なさいよ、あんたの次のスペルを」

 

 だから、霊夢は強がってそう言った。

 霊夢から笑顔は消えていた。

 余裕がないからそうなったのではない。

 自分の意志で、その思考を完全に切り替えていた。

 今から始まるのは、ただ最後の瞬間まで楽しむための弾幕ごっこ、ではないのだから。

 にとりの時に成し遂げられなかった、霊夢の決意。

 紫に憧れ、それでも何もできなかった自分を断ち切るために。

 霊夢はただ目の前にいる相手のことだけを、しっかりと見据えたまま構える。

 

「ええ、そうするわ。 神宝『ライフスプリングインフィニティ』!」

 

 突如として、霊夢の背後で閃光が弾けた。

 本来ならその一瞬で霊夢を貫いて終わっていたはずの光を、霊夢は直感のままに避けていく。

 ただひたすらに、輝夜の放つ弾幕を淡々と攻略していく。

 

「やるじゃない霊夢。 これは、私も切り札を出さないと厳しいかしら」

 

 輝夜は懐に隠していた何かに、既に手をかけていた。

 それは、輝夜の代名詞ともいえる最後の難題。

 だが、嬉しそうにそれを取り出しかけた輝夜に向かって、

 

「……ねえ」

 

 霊夢は、呟くように問いかけた。

 

「何を、そんなに無理してるのよ」

「……え?」

 

 霊夢はただ、輝夜を見ていた。

 辺りを覆いきるほどの閃光の網に目を向けず直感で避け続け、ただ輝夜の目だけを見ていた。

 

「何言ってるのよ。 無理って、何のことよ」

「……」

「それとも何? そんなブラフで勝ちに行こうとするほど、貴方は弱り切ってるの?」

 

 輝夜が霊夢に向ける目は、少し怪訝な色を含んでいた。

 だが、霊夢はその色など気にしてはいない。

 ただ、輝夜の視線の先に映っているものだけを。

 

「……今あんたの目の前にいるのは私なのにさ。 なのに、あんたは一体何を見てるのよ」

「だから、何の話を…」

「なんで、あんたは……!!」

 

 そして、霊夢が強くまっすぐな目を向けて放った、

 

「一体、何を一人で抱え込んでんのよ!?」

 

 

  ――はぁ。 そんな、一人で何でも抱え込むなよ。

 

 

「―――――っ!!」

 

 その言葉が、輝夜の遥か記憶の彼方にある何かと重なった。

 心を打たれた訳ではない。

 霊夢の言葉に、動揺した訳でもない。

 それでも、確かに輝夜の放つ弾幕は僅かに乱れていた。

 

「何を、言ってるのかしら……」

「私には、あんたが何を抱えてるかなんてわからないけどさ。 でも…」

 

 霊夢が何かを言っていたが、輝夜には全く届いていなかった。

 ただ、その心の奥に閉ざされていたはずの記憶が、輝夜の脳裏に響き続けている。

 忘れていたはずの何かが、望まずとも蘇り始めている。

 

「感じるのよ、あんたの心の声を。 苦しいって叫びを」

「……やめてよ、まだ勝負の途中よ。 ちゃんと集中してよ」

「嫌よ。 こんな勝負、私は楽しくないもの。 楽しいとか言いながら、あんたは全然私のことを見てないから!!」

「っ……」

 

 輝夜は次第に苛立ち始めていた。

 自分のことをわかった風に話す霊夢との会話に、嫌気がさし始めていた。

 久々に僅かながらも心躍った弾幕ごっこさえも、空虚に見え始めていた。

 

「……うるさい」

「何? 聞こえないのよ!」

 

 だから、いつの間にか輝夜の心は冷めていた。

 自らそうしようと思ったわけではない。

 ただ、輝夜はかつての敵を前にした時のように。

 気づくと、自然と殺気立っていた。

 

「―――黙れと、言ってるのよ」

 

「ぇ……?」

 

 輝夜の放つ弾幕が、止まった。

 だが、同時に霊夢の動きも止まった。

 その心の底に巣食う冷たい感覚が、霊夢の中で蘇っていた。

 

「何、これ。 ……いや、知ってる。 私は知ってる」

 

 霊夢は独り言のように、自分に言い聞かせるように呟く。

 何かに怯えるように震えながらも、その心的外傷を思い出していく。

 霊夢が母を殺してしまった、あの日。

 霊夢が殺してしまう前に、母を殺そうとしていた相手の放っていた殺気。

 それが、目の前に再び現れたから。

 

「あんたは、まさか……」

 

 輝夜は答えなかった。

 それを悟られてしまった失態に、戸惑っている訳ではない。

 ただ、既に興味を失っていた。

 これで終わりなのだから。

 本当は、最初からこうするつもりだったのだから。

 だから、ふと思っただけだった。

 もう、霊夢を拒絶しようと。

 

「そうよ。 私が、貴方の母親が死ぬ原因をつくった……いえ、正しく言えば貴方に母親を殺させた張本人よ」

「殺させ、た……?」

 

 霊夢のその戸惑いを、なんとなくではあるが、輝夜はわかっていた。

 それが霊夢の根底に巣食う、最も深き闇なのだと。

 そして、その事実を知れば、霊夢が壊れることもわかっていた。

 それでも、輝夜は打ち明けた。

 もう、今の戦いに興味を失っていたから。

 終わりにするのなら、この方が手っ取り早いから。

 

「だから、思う存分恨みを晴らせばいいわ。 貴方たち家族の全てを無意味に終わらせた、最悪の仇敵が今ここにいるんだから」

 

 そう言って、輝夜は目を閉じる。

 ただ、霊夢の中にある憎しみが膨れ上がっていくのを感じながら。

 

「……何で。 あんたが、あんたが全部…っ!!」

 

 気付くと、霊夢は我を忘れて駆けていた。

 その身に憎しみと、最悪の力だけを纏いながら。

 輝夜は、暴走した霊夢の力がすぐに自分を殺すのだとわかっていた。

 だが、それを避けようとも止めようとも思わない。

 本当は、それこそが霊夢と弾幕ごっこをする目的だったから。

 楽しむことは、ただ付属的についてきたおまけに過ぎず。

 ただ、不死者をも殺せる力を持っている霊夢に、自分を殺してもらおうと思っただけなのだ。

 

 だから、その気持ちはむしろ晴れやかだった。

 それで、全てが終わるから。

 あと数秒で終わる。

 楽しかった記憶も。

 苦しかった記憶も。

 何もかもが、これで終わってくれるから―――

 

 

 

 

 

 

  ――愛してるわ、霊夢。

 

 

 

  ――だったら、私がお前の代わりに見てきてやるよ。

 

 

 

 

 

 

「っ!!」

 

 

 次の瞬間、辺りに衝撃波が走った。

 不死殺しの力を全力で宿した拳を振りかぶった霊夢と、目を閉じたままそれを受け入れようとしていた輝夜。

 このまま、霊夢が輝夜を殺す。

 疑うこともないように思えたその光景は……

 

「……え?」

 

 目を開けた途端、驚きを隠せなかった。

 霊夢は輝夜の目の前で、その拳をギリギリのところで自らの意志で止めていた。

 そして、輝夜もまた自分の身を守るように、霊夢が止めたはずのそれを逸らすように、自らの意志で完全に避けていた。

 

「どうして……」

 

 輝夜は、その出来事を理解しきれなかった。

 霊夢が自分を殺さなかったこと、だけではない。

 この場で死ぬつもりだったはずの自分が、その気持ちと反する行動を、生きようとするかのような行動をとっていたことを。

 

 

 ――違う。 母さんも紫も、そんなことは望んでない。

 

 霊夢をギリギリで踏みとどまらせたのは、紫が最期に遺した言葉だった。

 紫から受け取った、最初で最後の確かな愛情。

 復讐に囚われて道を踏み外すことなど、あってはいけない。

 約束だから。

 母と同じくらい大切な、紫に託された自分の物語を、これ以上血に染めたくはなかったから。

 

「……ふう。 ちょっと、熱くなりすぎたかしらね」

 

 だから、霊夢は落ち着いて深呼吸し、もう一度輝夜から距離をとった。

 復讐を果たすのなら、こんな形ではない。

 スペルカードルールで輝夜を負かすことこそが、母や紫が何よりも望んだ幻想郷の理想なのだから。

 

「あんたがあの時の母さんの相手だったいうのなら、それで構わないわ。 私はあんたを、殺し合いなんかじゃなくてスペルカードルールで負かす。 ただそれだけのことよ」

「……」

「さ、続きを始めましょうか」

 

 もう、霊夢は冷静さを取り戻していた。

 本当はあの時、情動のままに輝夜を殺していてもおかしくはなかったと、霊夢は思う。

 それでも、我を忘れて殺さずに済んだのは、決めていたからだった。

 目の前にいるのは、憎むべき敵ではないのだと。

 それが自分の物語なのだと、決めたのだから。

 

 

 ――違う。 こんなの、私は知らない。

 

 その一方で、輝夜は未だに動けなかった。

 得体の知れないその記憶から、逃れられなかった。

 本当は知っているはずの、その記憶。

 いくら否定しようとも決して消えることのない記憶。

 

「……そうね、まだ私のスペルの途中だったわよね」

 

 輝夜の声は、震えていた。

 それでも、隠しきれない動揺に支配されたまま、輝夜は再び弾幕を放った。

 もう、何も考えたくはなかったから。

 弾幕ごっこという無意味な何かに熱中すれば、何も考えなくて済むと思ったからそうしただけだった。

 だが、今の輝夜からは、さっきまでのような悪寒は全く感じられなかった。

 

「……何? こんなのじゃ、全然足りないのよ!」

 

 霊夢は、軽々とその弾幕を避けていた。

 さっきまでのキレも複雑さも速さも、美しさすらもない。

 ただ乱暴に放たれただけの弾幕では、今の霊夢を捕えることなどできるはずがなかった。

 

「もっと本気で来なさいよ。 そんなつまらなそうな顔せずに、ちゃんと私のことを見なさいよ!」

 

 

  ――まぁ、こんなとこにいちゃ世界がつまんなく思えるのも仕方ないと思うけどさ。

 

 

「……黙れ」

 

 輝夜は、統一した口調すらもままならなくなっていた。

 その目は霊夢のことなど見ていない。

 霊夢の声など、聞こえていない。

 ただ、少しずつ蘇ってくるその記憶に、翻弄されていく。

 

「あんたと対等になれる相手がいないから、やる気が出ないっての? でも、私はあんたに届くわよ! あんたがたとえ―――」

 

 

  ――でもな。 たとえ、どんな生まれ方をしていても、どんな力を持っていたとしても。

 

 

「黙れ黙れ黙れ黙れっ!!」

 

 輝夜は頭を押さえながら、必死にそれを否定した。

 それでも、忘れかけていた何かが心の底から溢れ返ってくる。

 だから、輝夜は目の前の戦いだけに集中した。

 脳裏を埋め尽くしていく記憶を封じ込めようとした。

 ただ全てを掻き消すように。

 ただ全てを忘れ去ろうとするかのように。

 やがてその弾幕は、強大な力だけを帯びて暴走していく。

 辺りの闇の全てを掻き消すように、何もかもを光に染め上げていく。

 そして、他のどんな記憶も入り込めないほどに、輝夜がただ何もかもを懸けて放ったその弾幕は―――

 

 

  ――それでも、こんな世界も悪くないってお前に認めさせてやれるような思い出を、私が何度でもつくってきてやるからさ。

 

 

 硝子片のように、儚く砕け散った。

 

 刹那の間に粉々になった光の弾幕は、余韻すら残さないまま世界に静寂をもたらす。

 次第に、世界を暗闇が覆っていく。

 そして、世界は全てを失っていく。

 ただ、一人と、それを静かに見守る一人だけを残して。

 やがて何もなくなった世界で宙に浮いたまま動かなくなった輝夜に、霊夢は挑発するように言った。

 

「あら、もう終わり? まだ制限時間にはなってないと思うけど」

 

 あっけない幕切れに物足りなさを感じながらも、霊夢は既に次の弾幕に備えて呼吸を整えていた。

 輝夜の最後のスペルを、知っていたから。

 かつての輝夜との勝負の中で唯一、霊夢が苦戦し被弾したことのある弾幕。

 『蓬莱の玉の枝』。 輝夜の代名詞とも言える、唯一の「本物」である秘宝。

 その切り札に輝夜の本気が込められたのならば、今の霊夢をして避けきるのは至難の業である。

 だから、霊夢は輝夜の一挙手一投足にまで注意を向けていた。

 そして、輝夜は遂に自らの懐から最後の秘宝を取り出し……

 

「……貴方が、悪いのよ」

「え?」

 

 それを、捨てた。

 その行動の意味がわからなかった霊夢だったが、次の瞬間理解する。

 輝夜が、その手を天高く上げるとともに、

 

「貴方が、そうやって人の心を掻き乱すからっ……!!」

 

 星無き空が、突如として黄金に染まった。

 金色に輝く無数の弾幕がめまぐるしく回転し、宇宙を覆い尽くすほどに勢力を増大させていく。

 空気の流れが、静止しているかのような速度から光速に達するまで入り混じって変化していく。

 やがて時という概念の全てが秩序を失って暴走し、世界に爆発的なエネルギーを生み出した。

 

「…………ワォ」

 

 弾幕であり、それでも弾幕と呼ぶにはあまりに強大すぎるその光は、今の霊夢をして呆然と声を漏らしながら立ち尽くすことしか許さなかった。

 避ける、避けられないというレベルの話ではない。

 それは一度放たれれば、星一つの犠牲で済めば僥倖と思えるほどの、絶望的な破滅の力だった。

 

「……やっぱり、あんたも私と同じだったのね」

 

 全力を出さないのではない、出せない。

 本気を出してしまえば勝負が成り立たないから。

 相手を殺し、世界を滅ぼしてしまいかねないから。

 だから、霊夢が弾幕の美しさを追求することで手加減をしていたように、輝夜は勝負の一切を財宝の力に任せていた。

 自分の力ではなく、歯止めのきく別の何かを動かすことで、少しでも意味のある戦いにしていただけなのだ。

 

「でも、これは流石にそういうレベルの話じゃないわよね……」

 

 だが、最悪の力を持つ霊夢の目から見てなお、迫り来るそれはスペルカードルールで処理できるような弾幕ではなかった。

 避ける隙間など存在すらしない、天空という名の黄金の一枚天井は、明らかに弾幕のごっこ遊びを逸脱した最終兵器。

 それに少しでも当たれば……いや、たとえ奇跡的に避けられたとしても、その残照がこの世界ごと全てを破壊して終わってしまう。

 とても弾幕「ごっこ」としては成立しない、絶体絶命の状況だった。

 

「輝……」

 

 それでも、その名を呼ぼうとした霊夢が、輝夜を止めることはなかった。

 輝夜の表情を、見てしまったから。

 ついさっきまで無理矢理つくっていたはずの冷静な顔に、涙が浮かんでいるのが見えてしまったから。

 だから、霊夢は思考を巡らせる。

 記憶の糸を、辿っていく。

 殺すためではない。

 勝つためでもない。

 ただ、目の前の相手の情動の全てを、受け止めるための方法を。

 母や紫が遺してくれたルールなら、こんな時にどうするべきなのかを――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「伊吹萃香?」

 

 春雪異変が終わってしばらくした頃。

 新たな異変に悩まされていた霊夢は、その名を知っていた。

 かつての自分では全く歯が立たず、紫ですら勝てる保証のない最強の妖怪、風見幽香。

 それを完膚なきまでに叩き潰し、その住処である太陽の畑を焼き尽くしたという鬼。

 人間も妖怪も、誰もが忘れかけていた鬼という種族への恐怖を、たった一人で蘇らせた最強にして最悪の相手だった。

 

「で、紫はそいつが今回の異変の黒幕と睨んでる訳ね」

「多分ね。 でも、萃香は大人しくスペルカードルールに則ったりするような相手じゃないわ」

「……それは、とんだ困ったちゃんね」

「でしょう?」

 

 霊夢は溜め息をついた。

 紅魔館のレミリア・スカーレットや白玉楼の西行寺幽々子は、色々と厄介な問題児とはいえある程度は理性的な思考の持ち主だった。

 それ故に、それまでの異変はスペルカードルールにおいて解決が可能だった。

 いや、むしろ異変の黒幕であったその2人が理性的であったが故に、スペルカードルールがやっと幻想郷に浸透し始めてきたのだ。

 だが、今回の件で萃香がルールを無視してしまえば、せっかく受け入れられ始めたルールが再び破綻しかねない。

 今、万人の心に最も恐怖を与えている鬼の四天王がルールに則らないのならば、スペルカードルールが意味を失ってしまうのだ。

 

「だから、今回は私もちょっとだけ折れてみようかと思うの」

「折れる?」

「まぁ、全員がスペルカードルールに完全に則るだなんて夢物語が本当に実現すると信じられるほど、私も子供でもないしね。 少しくらいはその時のための対策も練ってたのよ」

「ふーん」

「ただ、ね……」

 

 紫は、複雑な目で霊夢を見る。

 その提案を躊躇うかのような、迷いを含んだ目で。

 だから、霊夢は紫の口から聞くのではなく、自分から先に言った。

 

「その方法だと、勝負の際に危険がつきまとう……つまりは私が追い詰められれば、邪神の力が暴走する可能性もあるってことでしょ」

「……そうよ。 だから、その方法を使うのなら霊夢が極端に追い込まれないように万が一を考えて、今回だけは私が先に萃香と勝負して弱らせておくわ」

「弱らせるだけ?」

 

 その、紫の弱気な提唱を受けて、霊夢は少し疑問の表情を浮かべる。

 

「そんなに話を聞かない奴ならさ。 もう、今回に限ってはいっそのこと紫が退治しちゃえば?」

「正直言うと、普通のスペルカードルールだったらともかく、正面からまともにやり合ったら私一人じゃ萃香には勝てないの。 私の立場上、藍と2人がかりで止めに行く訳にもいかないし、やっぱりルールに則った上で霊夢に解決してもらうしかないのよ」

「えー。 それはちょっと、荷が重くないかしら」

 

 確かに、昔と比べて霊夢は随分と成長していた。

 母の死という、霊夢の心に突き刺さったあまりに大きな負の遺産は、それでも霊夢の力を向上させるには大きな効果を発揮していた。

 もう二度とあんなことを起こさないように、それまで以上に自分を痛めつけるような修行を続けることで。

 その結果、初めての異変である紅霧異変の時点で、霊夢はスペルカードルールにおいて藍を超える力を身に着けていたし、今では既に紫とも五分の戦績を収めるほどになっていた。

 だが、紫以上の相手に、しかも普通のスペルカードルールを逸脱して挑むということ自体、まだ想定外のことではあった。

 

「でも、大丈夫よ。 あくまでこれはスペルカードルールの延長線上だし、いざとなったらアレを使えば霊夢に勝てる奴はいないでしょ」

「うーん。 まぁ、それはそうかもしれないけど…」

 

 だが、想定外だからといって避けられない道もある。

 博麗の巫女となったからには、それを覚悟しなければならないのだ。

 

「だけど、気を付けてね。 これはあくまで緊急手段で、普通のスペルカードルールで解決できるのなら、それに越したことはないの。 弾幕で勝敗を決するための、それでも昔のような殺し合いの決闘の一面を含んだ危険な特殊ルール」

 

 それは、ルールに則らない相手がいた時のための逃げ道。

 その被害を最小限に抑えるために妥協案として設けられた、幻想郷におけるもう一つの決闘方法。

 

 

「それが―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……スペルカード、変則ルール壱の採用を提唱するわ」

 

 霊夢は、そう宣言した。

 その言葉が、今の輝夜に届いているかはわからない。

 だが、それは言葉が届いていないからこそ必要な変則だった。

 弾幕に、ごっこ遊びで済ませられない明確な殺傷が不可避である時のための特殊ルール。

 スペルカードルールに納得しない、暴虐の鬼を止めるために。

 人の決めた規則に従わない、わがままな天人をこらしめるために。

 かつて二度、異変で使ったことのあるそのルールは、もはや言葉の届かない相手のために設けられた奥の手。

 弾幕を片方が放ち片方が避けるのではない。

 それは互いにスペルを、自分の技をぶつけ合って攻略することでその勝敗を決する。

 つまりは互いのスペルの美しさではなくスペルの強さを比べる、昔の決闘に近いルールだった。

 

「そうするしか、ないわよね」

 

 霊夢はそれを、積極的には使いたくはなかった。

 力比べでは、自分の中に眠る力の制御をしきれなくなりかねないから。

 その結果、誰かを傷つけ殺してしまうことを、恐れていたから。

 だが、今は躊躇している場合ではなかった。

 いや、むしろ今回はその力さえも頼りにして全てを出し切らない限り勝ち目のない相手であることが、わかっているから。

 

 ――母さん、紫、皆……お願い、力を貸して。

 

 霊夢は、自らの『空を飛ぶ程度の能力』を使って、もう一度この世界を更に深く取り込んでいく。

 命を捨ててまで今なお霊夢を守り続けている、紫の力を。

 歯止めのきかない邪神の力を。

 今まで霊夢が生きてきた、あらゆる喜びの歴史も悲しみの歴史さえも。

 臆することなく、何もかもを自らの内に再び還していく。

 

 

   ――新難題――

 

 

 その間にも、世界は劇的に変化していく。

 既に輝夜の姿すらも見えないほどに宇宙を埋め尽くしていく弾幕は、視覚も聴覚も感覚も、あらゆる情報でもって不可能という結末だけを否応なく霊夢に叩きつける。

 霊夢が死ぬか、世界が終わるか。

 そんな選択肢しか存在しないかのような死地だけが、霊夢を待ち受けている。

 

 

  ――ラストスペル――

 

 

 だが、それでも霊夢の視線が僅かにも揺らぐことはなかった。

 『∞』にまで膨れていく輝夜の力とは対照に、霊夢の存在は限りなく『0』に近づいていく。

 『博麗霊夢』という個の存在を世界から消し去って、暗闇に溶けた異空間の何もかもと一体化していく。

 あらゆる弾幕を、避けずとも避けられるように。

 逃げるのではない、まっすぐにその弾幕に立ち向かえるように。

 

「……いくわよ輝夜。 私も、手加減なしだから!」

 

 九天の中心に佇む輝夜に向かって、霊夢は最後の始まりを宣言する。

 揺らぐことなきその瞳に映っているのは、目の前に広がる死地への恐怖や絶望ではない、大切な人たちとの信頼や未来への希望でもない。

 その目の光は、ただ向き合うべき今の現実だけを。

 今そこにいる輝夜のことだけを、一直線に焼き付けたまま。

 その身を世界に溶け込ませ、天空から降り注ぐ兵器の中へとまっすぐに飛び立った。

 

 

 

   「『金閣寺の一枚天井』」

 

 

    「『夢想天生』!!」

 

 

 

 そして、輝夜の囁くような小声と霊夢の叫ぶような宣言が、同時に世界に轟いた。

 

 

 

 

 


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